ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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 革張りの椅子に身を沈め、まどろむように目を閉じているのは若い男。
 どう年配に見積もっても三十半ばといったところ。
 暗闇にほの白く浮かび上がる横顔は東欧の俳優の如く端正だが、固く引き結んだ唇と怜悧な切れ長の眦が、細身のナイフに通じる研ぎ澄まされた風情を漂わせる。
 一見暴力沙汰とは最も縁遠い場所にいるエリート風だが、勘のいい者が接見すれば、スーツの下の筋肉が筋金のように鍛えられている事実が見てとれる。隆起を誇示して自尊心を充たすでもなく、徹底して贅を削ぎ落としバネの撓りをよくした肉体は、もう一枚の毛皮として艶めく闇をまとう静かなる黒豹のそれ。
 執務室にノックが響く。
 耳朶を打った空気の振動に男の瞼がぴくりと反応する。
 ゆっくりと瞼を開き、薄目を開ける。
 瞼を持ち上げると形よく切れ上がった眦が現れる。
 双眸に鋭利な光が宿る。
 誰何の黒瞳を扉へ向ける。
 「失礼します」
 扉が開く。
 黒背広の男が慇懃に一礼する。
 主の機嫌を損ねることを何より恐れる黒背広は、音をたてぬよう静かに扉を閉じる。
 部屋の入り口に立ち、壁に沿って視線を一巡させる。
 何度訪ねても部屋の暗さに慣れることはない。
 そして、目の前の男にも。
 額に浮いた冷や汗を悟られぬよう、絨毯を踏みしめ執務机へと向かう。
 毛足の長い絨毯が足音を吸収してしまうため、衣擦れの音のほかに耳に届くのは自身の荒い吐息と動悸ばかり。
 歩幅を意識して前後に足を繰り出しつつ、生唾を嚥下する。
 執務机の前に立つ。
 踵を揃えて直立した配下を、男は無関心に一瞥する。
 背筋を伸ばし直立不動の姿勢をとった配下は、こわばった舌を叱咤して要件を告げる。
 「例のブツのありかがわかりました」
 わずかに顎を反らし、野太い声で報告する。
 その間も体の脇に垂らした掌はじっとり汗ばみ、腋の下には粘液質の汗が滲み出す。
 男の目が忙しく動く。
 男の目の奥を凝視すると、期せずして冥府を覗き込んだかのような戦慄が走る。
 「どこだ?」
 一声で女の背骨をとろかす美声に申し分ない容姿。
 目の前の男は、自分のような醜男とは別世界に住んでいる。
 莫大な富に明かせて世界中の美女を侍らすことすら不可能ではない、脳天から爪先まで札束で磨き上げられた完璧な男。
 内心ひと回りも下の男に顎で使われる現状に忸怩たるものがないではなかったが、それ以上に彼が抱いていたのは、目の前の男に対する底冷えする畏怖と恐怖心。

 得体の知れない男。
 危険極まりない男。

 野生の動物が匂いで外敵を嗅ぎ分けるように、人間にも外敵を嗅ぎ分ける能力が備わっている。
たとえ相手が自分に害意を持っていなくても、その人物が強大なー…あまりにも自分とかけ離れた存在であると本能が感知すれば、人は自然その人物と距離をおくようになる。

 住む世界がちがうと痛感させるとてつもなく不吉な何かが、この男からは強烈なまでに放たれている。
 人から忌避し畏怖されることによって強大な力を得る
 悪魔的な何か。
 デビリッシュ。

 「……この男です」
 背広の内ポケットから一葉の写真を抜き取り、デスクに滑らせる。
 スタンドに点灯し、掌中の写真へと目を注ぐ男。
 無言。
 沈黙。
 上目遣いに主人の顔色を見る。あるじをさしおいて口をきいてよいものか迷う。
 男はじっくりと写真を検分する。間接と長さのバランスが絶妙な指に見惚れる。
 口を開きかけたまま凍り付いた男の耳を単調なリズムが叩く。
 男の人さし指が机を叩き、拍子をとる。しばらくそうしてから、おもむろに口を開く。
 「愚鈍だな」
 「は?」
 刹那、指に挟んだ写真を投擲。
 風切り音が耳朶を掠め、頬に朱の斜線が走る。
 頬に浮き出た血の筋に一呼吸遅れ我に返った配下は、炯炯たる眼光に気圧され後退する。
 顔面蒼白の配下を見下し、男ははっきりと歎息した。
 「今この場で殺されないことを感謝しろ。俺は愚鈍な男が嫌いだ。もう一度だけチャンスをやるから、この男について説明しろ」
 男が投げた写真が空を切り、頬の薄皮を裂いたのだとようやく合点がいった配下は、膝から下の震えを止めることができなかった。
 まさか恐ろしさで口が利けなかったとは言えない。
 ましてや写真を滑る指の美しさに目を奪われていたなど。
 大きく深呼吸し、酸素で肺を満たす。
 うわべだけでも平静を取り繕い、事務的な口上を述べる。
 「……名前はダンカン・フォーマシィ、42歳。我が組織の末端構成員で麻薬の運び屋として働いていました。ケチな小悪党です。組織では全く重きを置いてません、いくらでも換えの利く使い走りです。二週間前は埠頭での荷下ろしに駆り出されたようですが、例の銃撃戦のどさくさに紛れてとんずらこいたってのが一緒に働いてた男の証言です。経歴を簡単にまとめますと窃盗の前科五十八犯、二十代の頃に二度ムショにぶち込まれてます。今回はそう、悪い手癖がぶりかえしたといったところでしょうか。フォーマシィには親しい友人や近い身寄りもなく、腐れ縁の情婦にも門前払いをくって行き場をなくしてる模様。421丁目のアパートには二週間前より帰宅した形跡なし、現在自宅と情婦宅、行きつけの酒場とカジノに見張りをあたらせてます。現在八十名余りを動員して鋭意追跡中ですが、どうも場末のモーテルやら倉庫やらを転々としてるそうですね。機を見るに敏というか……もとコソ泥だけあって、はしっこいヤツです。いたちごっこですよ。まあ時間の問題です。多勢に無勢の鬼ごっこが二週間も続いてやっこさんは疲れきってる、そろそろ音を上げる頃合だ。フォーマシィは西へ西へと移動してます。先日遂に境界線をこえて旧市街に入りましたが、土地勘のないフォーマシィが俺たちを巻いてうまうま逃げおおせるとは思えません」
 「旧市街はデミトリ家の縄張りだ。共同戦線を組むべきだな」
 男の発言に、部下は驚く。
 「デミトリ家と……ですか?しかしデミトリ家は、」
 「背に腹は変えられん」
 男の言葉は心胆寒からしめる征服力をもち、異を唱えかけた部下の無能を暗に責め、おおいに萎縮させる。
 机上で組んだ五指に尖った顎を乗せ、暗い天井に目を馳せる。
 天井に視線を放り、韜晦を含んだ口調でひとりごつ。
 「間違いがあってはならない。絶対に。お前達は奪われた物の価値を正しく理解してない。ダンカン・フォーマシィ捕獲作戦には万全の体勢をもって臨む。くだらん見栄は捨てろ。体面?馬鹿らしい。使えるものは友だろうが敵だろうが徹底的に利用する。幸いデミトリ家当主から停戦の話し合いが来てる。歓楽街の土地権を分割して協調路線を歩まないかと、あの血のデミトリ家当主がわざわざ打診してきたのだ。折角の好機を無駄にする手はない……」
 天井に向けられていた視線がゆるやかに下降してくる。
 部下の顔をきっかりと正視し、低い声で念を押す。
 「本当にこの男で間違いないんだろうな」
 「裏はとりました。付け加えるなら、フォーマシィーは麻薬中毒で喉から手が出るほど金を欲してます」
 固い声で部下が肯定する。
 再びの沈黙。
 長々と息を吐き、表情を消して宣告。
 「……この男を殺せ」
 闇に沈んだ居室に死刑執行の宣告が殷殷と響く。
 姿勢を正した部下にはそれきり関心を失ったように、椅子の背凭れに上体を沈める。
 天井を仰いで目を閉じる。
 「……この男が奪ったものを絶対に取り返してこい。無傷でだ。もしひとつでも傷をつけたなら……」
 瞼が開く。
 現れたのは切れ長の眦。
 鬼気迫る燐光を灯した黒曜の目が、なによりも雄弁に部下を脅迫する。
 「その罪、お前の血で贖ってもらおう」
 途方もない威圧感に腰が砕けそうになる。
 「イエス、ボス」
 深々と頭を垂れ、踵を返す。足音は無音に近い。
 ドアが閉じる。
 部下が礼をして退室したあとも、男は微動だにせず革張りの椅子に上体を沈めていた。
 椅子の背凭れに上体を預け、虚空に目を馳せる。
 静寂。
 椅子が軋む。席を立つ。
 ゆっくりと執務机を迂回し、悠揚とした足取りで左手の棚へと歩み寄る。
 棚の中段に鎮座する香炉へ手を伸ばす。
 掌に抱いた香炉へと目を落とす。
 上品な趣のある、美しい香炉だった。
 乱れ飛ぶ胡蝶と艶やかに咲き誇った牡丹の絵柄が異国情緒を漂わせる。
 男の唇が開き、小さく声を発する。
 『ユーシン、招来』
 異変は唐突だった。
 男の手の中の香炉から、たなびく絹糸のようにか細い煙が立ち昇る。
 えもいわれぬ芳香が鼻孔をくすぐり、飴が溶けるように空間が歪む。
 次元の裂け目から生み落とされた極彩色の陽炎はやがて人の形をとり、優雅な挙作で男の前に降臨する。
 女は鮮やかに染め抜いた絹を何枚も重ねた東洋の衣装を身に纏っていた。
 腰の高い位置で絞った真紅の帯が、生ある炎のようにあでやかに吹き流れる。
 「……どうだ?」
 聞いたのは男だ。
 香炉を机の角におき、片手をズボンのポケットにひっかける。
 男はリラックスしていた。
 配下と問答していた時の殺気は完全には失せていなかったが、その顔に浮かんでいる表情は凪のように穏やかだ。
 抜き身のナイフのように鋭利な切れ長の双眸も、女と相対した今は別人のように柔和な光を湛えている。
 女のおとがいが持ち上がる。漆黒の目がひたりと男を見据える。
 『あの方は死にます』
 「そうか」
 大した感慨もなく、言下に切り捨てた男を咎めるように女は眉をひそめる。
 「奴は無能だ。あれの奪還は不可能だと半ばわかっていた」
 『では何故、行かせたのですか』
 女の喉からかすれた声が迸る。
 まるで我がことのように哀れな配下の末路を嘆く女に一瞥くれ、男はため息を吐く。
 悲痛な訴えにも心動かされることなく、淡々と続ける。
 「なに、座興だ」
 男の唇が綻ぶ。闇に閃くのは剃刀のように鋭利な微笑、邪悪な弦月を象った禍々しい微笑だ。

 それなのに。
 そんな風に笑う男は、悪魔のように美しかった。

 歯痒げに下唇を噛む。
 悲哀に歪む女の顔を目の端でとらえ、男が薄く歎息する。
 脇にたらしていた手がゆっくりと弧を描き、女の右頬へとあてがわれる。
 「お前はやさしい女だ」
 やさしい声音だ。
 もしこの場に第三者がいれば、男がこんな声をだせることに驚吃しただろう。
 男はいとおしげに目を細め、苦笑をまじえて指摘する。
 「まるで母のようにやさしい女だな」
 『……あなたも本当はやさしい人です、ジズ・フィロソフィア』
 男の顔から表情が消えた。女はなにも言わず、ただただ哀しげに男を見つめていた。
 男は所在なげにその場に立ち尽くしていたが、ふいにその全身に装填された銃のような殺気が漲る。
 「ユーシン」
 『はい』
 鞭打つように名を呼ばれ、女は遅滞なく返事する。
 顔をあげた男からは最前までの気弱な表情は払拭され、黒社会の頂点を狙う若き簒奪者の威厳と覇気が満ちていた。
 「俺が呼ぶまで香炉で待機してろ」
 『御意』
 着物の袖を泳がせ虚空に没した女の残像には一瞥もくれず、男は顎を反らして天井を仰いだ。
 椅子に身を投げ出し、長い足を無造作に組んだ男の喉から歪な声が漏れる。
 笑い声は次第に大きくなり、しまいには大音量となり部屋中に響き渡る。
 気違いじみた哄笑が終息するのを待ち、洗いざらしの紙のように乾ききった笑みで吐き捨てる。
 「おれがやさしいだと?やさしいだと。まさか」
 机の端に乗った香炉を冷ややかに一瞥、自嘲的に唇を歪める。
 「やさしさと愚かさは同義だ」
 男の独白は苦渋の滲んだ余韻を残し、闇に呑まれて消滅した。



                     



 其の血、生粋の邪悪なり。

 其の目、生粋の暗黒なり。

 其の者地獄の最も深き渕から召喚されし奈落の王なり。

 地をあまねく災厄で覆い屍の山を築く者なり。

 乳飲み子の悲鳴に耳を傾け骸の頂で眠る者なり。

 処女の断末魔を肴に美酒を傾ける暴君なり。

 老若男女問わず屠り尽くすサタンなり。

 其の者、実に悪魔なり。


                +



 状況によって、神を冒涜する言葉は、祈りよりも安息をもたらす
 マーク・トウェイン(Mark Twain)

     
                +

 桁外れに巨大な空間だった。
 巨象を三頭放し飼いにできるスペースを有した地下空間は四方を分厚い壁に隔てられ、完璧に外界と隔絶されていた。
 防音処置を施した壁が四方に聳えているため、度を越した饗宴の騒音も外部に漏れることはない。

 コンクリート打ち放しの殺風景な空間は車両が一台も停まっていない駐車場をおもわせた。
 規則的に建ち並んだ鉄筋コンクリートの柱が高い天井を支える様は、幾何学美さえ醸し出す不思議な光景だった。
 整然と並んだ柱に区分されているのは、横幅5メートルのパーソナルスペース。
 
 立ち定位置を示す白線の内側に狙撃手が一人。

 コンクリートに引かれた線ぎりぎりに革靴をおき、重心を腰に移動させる。
 腰を安定させ、腕を床と平行にする。
 まっすぐ伸ばした腕の先には拳銃が握られている。
 掌中にしっくりと納まったスリムな銃身は剣呑に黒光りし、極限まで無駄を殺ぎ落とされたシャープなシルエットを際立たせていた。

 銃底を左手で固定し、右手で銃把を握る。
 洗練されたフォルムの拳銃を一瞥、殺傷に足る重みを確かめるように掌を開閉する。
 掌にずっしり食いこむ重量感のある手応え。
 掌に走った神経の軸索が銃の構造を透視する、あの感覚。
 弾丸が排出される溝も小指の爪の先より小さいネジも、掌を密着させた部位から銃の内部構造が詳細に伝わってくる。

 カウンターに臨み立つ人物は小柄な背格好をしていた。
 華奢な背中、できあがってない肩の線。
 四肢はすらりとしている。
 スリムな体躯に一分の隙なく黒いスーツを着込んでいる。上等なスーツ。贔屓にしているブランドに上客の特権を行使し特注したのもの。成長途上の体には大きすぎず小さすぎず、適度な余裕を残して寸法を測られている。靴もまた牛皮製の高級品。ワックスで丹念に磨いた、光沢ある黒い靴。
 半弧を描いて靴が滑る。
 足を開き、腰を引き、反動に耐えられるよう下半身を安定させる。
 耳をすっぽり覆っているのはマフ付きのヘッドホン。
 ヘッドホンから微かに漏れてくるノイズが蜂の羽音に似た重低音を伴い、三半規管に微電流を流し鼓膜を震撼させ、水を打ったように静まり返った空気を微弱に振動させる。

 少年は鼻歌を口ずさんでいた。
 聴覚で知覚できない程度の音量の、鼻歌。
 なにを言っているかは聞き取れない。ただわかるのは、少年がわくわくしているというひどく単純な事実だ。パチンコの銀玉で片端から空き缶を倒す遊戯に熱中している子供のように。
 少年はふんふん鼻歌を唄いながら軽く引き金に指をかける。
 引き金に指をあてがったまま、遥か前方へと視線を飛ばす。
 前方25メートルには人型の的が並んでいる。
 警察や軍隊の訓練所にあるような屋内射撃場を私設で備えている事自体、この空間の創造主の並外れた財力を窺わせる。
 等身大の人間を模した的には人体の急所を示す同心円が精密に描かれ、顔は黒く塗り潰されている。平均的成人男性とほぼ同じ身長の的が端から端へとずらり林立したさまは、なかなかどうして壮観だ。

 顔のない木偶人形。
 哀れな身元不明死体ジョン・ドゥ。
 ネームレス、フェイスレス、ハートレスのないない三拍子。

 「藁のハート」

 引き金にかけた指に圧力を加える。
 発砲。銃口から迸った火線が直線の軌道を描いて虚空を灼き、銃身が跳ね上がる。
 轟音。続けざまに引き金を引く。
 的の胸が木片を散らして炸裂する。

 「おがくずの詰まった頭」

 唇が音を発する。引き金を引く。
 耳を聾する銃声が轟き、きな臭い硝煙が鼻孔を突く。
 銃口から迸った火線が電撃の鞭のように虚空で撓り、的の頭部を木っ端微塵に破砕する。

 「ブリキの右腕」

 予告どおり右腕を撃ち抜く。木片が飛散する。着弾の衝撃に不安定に傾ぐ的。

 「ブリキの左腕」

 それは予告ではなく、数瞬後に予定された現実を述べているにすぎなかった。
 銃口から発射された弾丸が左腕を撃ち抜く。的の左上腕部に穴が穿たれる。

 「メッキの左足」

 銃声。的の左足を銃弾が貫通する。

 「メッキの右足」

 銃声。的の右足を銃弾が貫通する。

 「そしてー……使いものにならねえディック!!」

 一際甲高い銃声が轟いた。
 全弾撃ち終わった後、私設射撃場には濛々と硝煙がたちこめる。
 コンクリートを敷いた床の一面には累々と空の薬莢が散らばっている。足元に散らばった薬莢を靴の 先端で蹴り、その行く先を視線で辿る。
 気まぐれに蹴飛ばした薬莢はカン、カンと澄んだ音を奏でて 床で跳ね、蜂の巣となった的の方へと転がっていった。
 無数の穴を穿たれた的を一瞥、ゆっくりと腕をおろす。
 下を向いた銃口からは今だ牙のような硝煙がたちのぼっている。
 手前のカウンターに拳銃を滑らし、ヘッドホンを毟り取る。
 途端に流れ出したのは大音量のへビィ・メタル。鼓膜が割れんばかりの騒音を発音の不明瞭な巻き舌出がなりたてるヘッドホンをカウンターに投げ出し、少年はすかっとした笑顔を浮かべる。

 「歯応えねえなあ木偶人形は。猫でも撃ってたほうがまだマシだ」

 白い歯を零して笑った少年の顔は驚くほど幼かった。あどけないと評していいだろう子供っぽい笑顔。
 年齢は十代半ばに届くか否かという微妙なところ。
 艶のある黒髪に映える白い肌は、人種の坩堝と称されるこの街でも特別目立つエキゾチックな配色。
 肉の薄い鼻梁と皮肉げに捲れ上がった唇が酷薄そうな印象を抱かせるが、銀縁眼鏡がよく似合う 涼しげな容姿は端正な部類に入る。
 コキコキと肩を鳴らす。
 肩鳴らしは済んだと言わんばかりのこまっしゃくれた動作だった。
 眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、前方の的を凝視する。

 的の股間に穴が開いていた。
 少年が狙い撃ちした穴。

 「性転換完了っと。チンポコなくしたオカマちゃんが黒塗りの仮面の下でひいひい泣いてるぜ」
 野卑な薄笑いを浮かべ、去勢された的を嘲弄する。
 少年がいるのは等間隔に区分された射撃訓練用スペースの一角。
 前方に並ぶのは等身大の人間を模した黒塗りの的。
 少年が破壊した的を除いてもまだ五十体はあるだろう。
 軍隊の点呼の如き規律正しさで人間大の的が整列したさまはなかなかどうしてシュールだ。
 カウンターに放置したヘッドホンからは大音量のへビィ・メタルが流れ続けている。
 興味のない者にとっては耳障りな雑音に他ならないが、すごぶるご機嫌な少年は最前から靴で拍子をとっている。ふんふんでたらめな鼻歌をなぞりつつ、律動的にコンクリ床を叩いていた少年の背後にぬっと気配が忍び寄る。
 カツンカツンカツン。
 靴音。振り向く。
 背後にはスキンヘッドの若い男。
 没個性な黒いスーツを着こんではいるが、鉄板でも入れたみたいに固い肩の線と厚い胸板は隠すことができない。がっしりと頑丈な体格。自然と発散される凄みと威圧。えらの張った武骨な顔にサングラスをかけ表情を隠しているが、眉の上を斜めに走った傷から剣呑な雰囲気が漂っている。
 「おい、みろよ」
 無造作に顎をしゃくる少年。
 股間が破裂した的を一瞥、黒服の眉間に皺が寄る。
 前方の的を顎で促した少年は、けたけたと下品な声で笑う。
 「やっこさんのオカマ掘ってやったぜ。トンネル開通してるだろ?」
 スリムな拳銃を掌中で弄びながら、けたたましく笑う。
 しまりのない笑みを満面に広げた少年に何を思ったか、黒服の顔をあきれたような、小馬鹿にしたような表情が掠める。が、それは一瞬のこと。再び表情を引き締めた黒服は分をわきまえた猟犬さながら素早く脇にどくと、哄笑する少年のために道を開ける。
 「坊ちゃん、ボスがお呼びです」
 慇懃無礼とでも呼びたくなる取り澄ました声とツラ。
 敬語を使ってやってるだけで有り難く思えという恩着せがましさが、伏せた目にちらつく軽侮を孕んだ不満の色から見てとれる。
 本音を言えばこの愚劣な少年に頭を下げる価値などこれっぽっちもないとばかり、分不相応な主人に対する猛烈な反発と反感が鉄面皮の下で燻っているのは明らかで、その全身からプライドの焦げ付きの匂いが漂っている。
 きな臭い殺意の匂い。
 ツンと鼻を刺す独特の。
 おが屑から立ち上る一筋の煙のような、甘苦く危険な味。
 笑い声が止み、不吉な静寂が落ちる。
 拳銃を手玉に取りつつ、少年は何事か言いたげに脇に控えた黒服を見る。
 無表情に徹する黒服。
 静寂を破ったのは少年の靴音。
 少年は片手に拳銃をさげたまま靴音高く射撃場を横切り、そして……

 乾いた銃声が響いた。

 「………!」
 膝を抱え悶絶する男。
 銃口から一筋硝煙がたちのぼる。
 すれ違いざま男の方を見もせずに革靴を撃ち抜いた少年は、苦虫を噛み潰したような顔をする。
 「犯されたいのかテメエ。二度と俺をその名で呼ぶな」
 手首を一閃し、火を噴いたばかりの拳銃を顔の前へと持ってくる。
 右足の甲を撃ち抜かれ、弛緩した口の端から白く濁った泡を噴いた男を見下ろし、少年は薄く笑う。
 悪意に満ち満ちた蔑笑。
 憎しみと憤りと一匙の嘲りをミキサーにかけらたらこんな顔ができあがるかもしれない。
 なぶるように下唇を舐め、拳銃をくるくる回す。
 円弧を描いて旋回する拳銃が黒い旋風となり、地に伏せた男の視界に暗い影を落とす。
 「俺の名はディアボロ」
 右手の拳銃を旋回させながら、少年が言う。
 底光りする黒瞳が嗜虐の笑みに細まり、細身のズボンを穿いた足が虚空に浮かぶ。
 耳を覆いたくなるような絶叫が射撃場に響く。
 コンクリ床に仰臥した男の右足を踏んづけ、少年はさも愉快げに喉を鳴らす。
 踏みにじった右足からじくじくと赤い血が滲み出す。
 絶叫、悲鳴。
 さかんに身を捩る男。コンクリ床に落ちたサングラスが砕け散り、脂汗に塗れた顔が醜悪に歪む。
 激痛に失禁、えびぞりになる。背骨がへし折れそうに撓る。ズボンの股間に恥辱の染みが広がる。憤死寸前の形相を滂沱とぬらすさまざまな体液、鼻水と涙と血のミックスジュース。四肢で床を掻き毟って極限の苦痛を訴える男の姿は、羽をもがれた蝉が地面でのたうち回る姿を連想させる。
 靴底に体重をかける。
 下に敷いた足首の骨が軋む。
 男が白目を剥く。失神した男の顔を直上から覗きこみ、少年ーディアボロは言った。
 「悪魔の名を持つ、血のデミトリ家四代目だ」
 最後に足首を蹴り、男の上から体をどかす。コンクリ床に散った血痕を見下ろす。
 男が履いた革靴には焦げ穴が開き、か細い硝煙がたなびいていた。
 失神した男には一片の関心も払うことなく、凱旋の靴音高く射撃場を横切る。
 奥の壁に設置されたエレベーターに乗りこむ。

 がしゃん。

 格子戸が閉まる。
 鳥篭がすべるように上昇を開始する。
 鉄の処女の名で畏怖される拷問具に似た可動式の棺は、なるほど人殺しを運ぶのにふさわしい。
 機械の唸りを伴い高度を上昇させる矩形の棺の中、壁に凭れたディアボロは、手にした拳銃をしげしげと眺める。
 固形化したコールタールのように黒光りする銃身。
 シャープなフォルムが美しい、デザイン的にも洗練された拳銃。
 殺傷力も申し分ない。
 「坊ちゃまだとよ。けっ」
 密室の中でディアボロは吐き捨てる。
 その顔に滲むのは紛れもない嫌悪感。
 「だれがあんな日干しの種もらって産まれてきたっつんだよ?気色わりい呼び方しやがって、どいつもこいつも気にくわねえ。顔を合わせば坊っちゃん・坊っちゃん・坊っちゃん……ボチャンと硫酸の池に突き落としてやろうか、全員」
 実際、この少年なら口にしたことを実行しかねないという危惧もあった。
 瞳の温度が氷点下まで下がる。
 目を過ぎった殺意を隠すかのようにブリッジを押し上げる。
 なにもかも気に食わない。そう、なにもかもだ。
 エレベーターの壁に凭れ、箱の天井を見上げる。
 無防備に腕を垂らす。
 緩慢に瞼を下ろす。
 まどろむように瞑想。
 瞼を閉ざしたディアボロは心もち顎を傾げ、鼓膜に被さる静寂に身を委ねているかにみえた。

 唐突に口を開く。

 「腐れインポのザーメン豚ども。ケツの穴に銃つっこんではらわた引きずり出してやろうか。鼻の穴に銃つっこんで頭蓋骨吹っ飛ばしてやろうか。目ん玉くりぬいた空洞に俺のモンを突っ込んでやろうか」
唄うような節回しで呪詛を連ねる。頭の中で妄想を膨らませる。

 真っ赤に灼けた銃身を肛門に突っ込み、ずるずると腸を引きずり出してやる。
 暴いたはらわたを千匹の蛆に食わせてやる。
 くりぬいた眼球を砂糖漬けにして美味しくしゃぶってやる。

 加速する暴力に比例する欲望。
 心臓がどくんと脈打つ。
 銃をにぎるじっとり汗ばむ。
 下半身でどろりとした熱塊がうねり、スーツの股間が勃起しはじめたのがわかる。
 ディアボロは息をつく。
 頭蓋骨の中にある骸と屍を積んだ楽園。そこだけが安息を与えてくれる。楽園は妄想の中にしかない。
 乱れた呼吸を整えるのに集中する。
 これから祖父のもとに出向くというのに、股間を膨らませたままではなんともばつが悪い。

 ガシャン。

 棺が停止、ガラガラと格子戸が開く。
 拳銃を背広の懐にしまい、気負いなく足を踏み出す。
 エレベーターから一歩出た刹那、周りの風景が豹変する。
 鏡のように磨きぬかれた花崗岩の床が最果てまで続き、左右の壁には先代・先々代の当主が暇に 明かせて収集した絵画や壺が飾られている。
 右手の壁にかかっている絵は半世紀も前に急逝した天才画家の遺作であり、オークションに出展すれば破格の値がつくだろうことは想像にかたくない。

 いつかかっぱらってやる。

 そう心に決めて額縁の前を通過する。
 廊下は長い。
 途中、何人かの黒服とすれ違った。
 ディアボロの姿を目にした途端、鞭打たれたように飛びのき頭を下げる。
 決して目を合わせぬ念の入れようは病原菌に対する待遇に似ている。
 まるで彼が一歩ごとに災厄を振りまいて地上を汚染してると言わんばかりの避けっぷり。
 あながち穿った見方ではなし、山ほどの前科があればこそだが。
 実際ディアボロへの部下の接し方は、その徹底した慇懃さを抜きにすれば、病原菌よりちょっとマシで疫病神に劣るといった微妙な線。
 少なくとも俺の通り道に雁首ならべて突っ立ってるコイツらは、マスク付き防護服を着てねーからな。
 礼儀正しく道を譲った男たちにも別段感謝を表すことなく、かえって軽蔑しきったようにディアボロは鼻を鳴らす。
 ポケットに指をひっかけ、大股に廊下を歩いていると目的のドアが現れた。

 樫材の重厚な扉。

 飴色に艶光りする重厚な見た目と同様、幅は分厚い。合板で補強せずともこれだけで十分防弾の盾となる。
 ノックもせず、金色に輝くノブを捻る。
かかさず油をさしているため殆ど音をたてず開いた扉の向こうには豪奢な内装が広がっている。
 床一面に敷き詰められた毛足の長い高価な絨毯。
 臙脂の絨毯の上に浮かんでいるのは、座り心地のよさそうな革張りのソファーが四脚。

 招待主は一目でわかる。
 
 一人掛けのソファーに端然と腰掛けたその人物は、ロマンスグレーの頭髪を丁寧に分けた老紳士。
 頬に刻まれた年輪の彫り深さはかなりの高齢を告げていたが、背筋はバイオリンの弦をおもわせてピンと伸び、おそろしく姿勢がよい。
 華奢なティーカップを捧げ持ち、紅茶の芳香を上品にたのしんでいるのどかな横顔からは老人が心ゆくまでリラックスしていることが窺える。
 右目に嵌めた単眼鏡は熟成された知性と深い教養を感じさせ、レンズの奥のアイスブルーの目は柔和な光をため、カップの面を見つめていた。
 「テメエの血尿飲んでんのかよ、ジジィ。ずいぶん斬新な健康法じゃねえか」
 老人が顔を上げる。
 片手に受け皿を、片手にカップを持ったまま、おっとりと振り向く。
 扉に凭れて腕を組んでいたのは、スーツ姿の少年ーディアボロだ。
 少年の姿を認めた老人は、目尻に皺を寄せて砕顔する。
 「重畳なり、我が孫よ。一緒に紅茶でもどうかね?」
 優雅なティータイムに土足で踏みこんできたディアボロを、老人はいやな顔ひとつせず歓迎する。
 ディアボロは足音荒く部屋を横切ると、向かいのソファーへどさっと腰を投げ出し、あろうことか卓上に足を乗せる。
 不作法を通り越し侮辱に値するこの傲慢な振る舞いにも、老人は眉をひそめることなくカップに口をつける。
 「わざわざ呼び出しやがってどういう算段だ、ジジィ。ついに代を譲る気になったか?」
 挨拶代わりの挑発をさらりと受け流し、音をたてずに紅茶を啜る。
 受け皿片手に品よく紅茶を啜り続ける老人にしびれを切らし、ディアボロが円卓を蹴る。
 がん!
 円卓が揺れ、手つかずのまま放置されていたディアボロの紅茶が零れる。
 透き通った紅色の液体がテーブルをひたして絨毯に滴る。
 ひっくり返った白磁のティーカップを一瞥、老人はやれやれと嘆息する。
 「まったく、お前には人の心がないの。ただ一人の孫と親交を暖めるため、多忙なスケジュールを割いてティータイムをもうけたワシの心がわからぬのか?」
 「俺のためを思うなら即刻死んでくれよジジィ。死因は問わねえからさ」
 なげかわしげにかぶりを振った老人にもほだされることなく、ディアボロはあっけらかんと言い放つ。
 背後に控えていた護衛が気色ばむのも無理はない。
 いきり立った護衛を「まあまあ」と宥め、老人は正面に向き直る。
 卓上に足を投げ出したディアボロは、据わった目で老人を睨む。
 「腹上死でも心臓発作でもこの際かまわねえからさ。なんならこの場で首括ってくれてもいいぜ?シャンデリアに吊られたジジィのミイラ見ながら優雅にティータイムきめこむのも一興だ。あんたがこの世を去ってくれれば、俺は自動的に血のデミトリ家の当主に昇格。デミトリ家が三代かけて築いてきた旧市街のマーケットとその莫大な利益が、丸ごと懐に転がりこむわけ。老後の心配せずに遊んで暮らせるなんて結構なご身分じゃねえか、なあ?」
 人さし指をまっすぐ老人の胸に向け、続ける。
 「首括る勇気ねえんならひと思いに俺が殺してやろうか。なに、ラクに殺してやるよ。今すぐにでもあんたの心臓を素敵なミンチにしてやる。掃除は後ろに突っ立ってる役立たずの木偶の坊どもにやらせりゃいい」
 「ばあん」と口で銃声を真似、炯炯と目を輝かせるディアボロ。有言実行の脅迫。
 緊迫した空気を破ったのは、老人の間延びした笑い声。
 緊張感のかけらもない顔で紅茶を啜りながら、老人が言う。
 「……ミンチにしてもらいたい相手は、別におる」
 「?」
 ディアボロの顔に疑問符が浮かぶ。
 きょとんとした孫を愉快そうに眺め、空のカップを卓上におく。
 足を組み、膝に掌を被せる。背凭れに上体を沈め一拍おいて本題を切り出す。
 「ディアボロ、お前の初仕事じゃよ」

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