ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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三十話

 口の中が苦い。
 錆びた鉄の味が喉を灼く感覚に軽く咳き込めば口の端を一筋の赤が伝う。
 下水道の脇に設けられた横幅3メートルもない歩道、僕らと8メートルの距離を隔てて立ち止まったサムライが目を細める。
 うろんげな視線が舐めているのは二の腕に付着した生々しい靴跡の泥、ひとりに右足ひとりに左足、最後のひとりに背中を押さえこまれて身動きできない僕、顎を伝ってコンクリートに滴り落ちる血の雫。
 「鍵屋崎になにをした?」
 サムライの声は冷えていた。
 聞く者を戦慄させる威圧的な声音、鋭く砥いだ猛禽の双眸。片手にさげた木刀の柄を握り締め、周囲に群れた少年らを睥睨する。
 「いろんなこと。なにから聞きたい?」
 ポケットに手を突っ込んだリョウがいたずらっぽく小首を傾げる。よく仕込まれた子リスのように愛らしい仕草。はずんだ声で問うたリョウがにこやかに僕を振り返り、靴後の付着した二の腕を蹴る。
 「!―っあ、」
 悲鳴を噛み殺す余裕はなかった。
 骨がへし折れたかとおもう衝撃に目が眩む。暴れないよう僕の両手足をコンクリートに固定した少年らがげらげらと笑っている、無抵抗の人間を心置きなく嬲ることで爽快感に酔うサディストの笑い声、目を炯炯と輝かせた陰湿な表情。
 「やめろ」
 サムライの声は決して大きくはないが、無視できない威圧感を伴って殷殷と響いた。
 下水道の天井に反響した声に全員が動きを止める。ふたたび痣めがけて足裏を振り下ろそうと高く膝を掲げたリョウが面白い見せ物に気をとられたようにそっと地面を踏む。乱れた呼吸を整え、二の腕の疼きをこらえて顔を上げる。朦朧とかすんだ目を凝らし、陽炎の如く歪む人影をとらえる。焦点が定まり、曖昧模糊とした人影の全体像が固まる。 
 今時日本人でも珍しい漆黒の髪を流し、日本人の典型ともいえる平たく特徴のない、しかし眼光だけは異様に鋭い、ある種の猛禽類を彷彿とさせる容貌。
 壁の冷光灯が投じる青白い光の中、サムライがしずかに口を開く。
 「用が在るのは俺だろう。鍵屋崎には手を出すな」
 その口調が一抹の焦燥にかられているように聞こえたのは気のせいだろうか。 
 「わかってるじゃねえか」
 下卑た笑みを満面に湛えた金髪の少年が仲間を率先して歩みだす。優位を誇示するが如くポケットに両手をかけ、威勢よく肩を怒らせたリーダー格に仲間が釘をさす。
 「ユアン、気をつけろ」
 「心配すんな、この前の二の舞にはならねえよ。こっちにゃ人質がいるんだ」
 ユアンという名の少年が確信をこめて断言、その言葉どおりに無防備にサムライの手前で立ち止まる。静謐。コンクリートの天井に結露した水滴が単調な旋律を奏でて水面を打ち、僕の顔の上にも降り落ちてくる。ほんのささやかな衣擦れの音まで反響して拡大される
 下水道という特異な空間における特殊な状況下で対峙するサムライと少年。
 一対一の均衡を崩したのは少年の背後からひょこりと顔を出したリョウだった。
 「自分がなんで呼び出されたか当然わかってるよね?」
 「無論」
 言葉短く答えたサムライが鋭い眼光で少年を、ついで、背後の少年三人を一瞥する。
 「ブラックワークの件だろう」
 「はいご名答」
 リョウが満足げに頷き、ユアンに目配せして引き下がる。続く説明を譲られたユアンが高圧的に一歩を踏み出す。
 「俺の顔は覚えてるよな?一昨日駐車場でお前に声をかけてすげなく袖にされた東棟のユアン、後ろにいるのがその仲間たちだ」
 「見覚えある」
 やはり短く答えたサムライが表情を変えずに付け加える。
 「その下品で卑しい面構えは一度見たら忘れられん」
 「!なっ……、」  
 短気に激昂した仲間が我を忘れて掴みかかろうとするのを「まあまあ」と片手で制し、余裕の笑みを顔にへばりつけたユアンが言う。
 「あの時はけんもほろろにふられちまったけど一日たちゃ気分もかわるだろ?今の正直なご意見を聞きたいね」
 ブラックワーク参戦を堂々と強要するのではなく、奥歯に物の挟まった言い回しでサムライの反応を探る陰湿な手口に不快感が募る。僕を人質にとられたサムライが断るわけがないと見越した上での台詞が耳に入り、胃のあたりにしこりを感じる。
 鉛のようなしこりは胃袋から上へ上へと這いあがり、胸に苦汁が広がる。
 「なんで助けにくるんだ?」 
 気付けばそう聞いていた。責めるように、詰るように。そんなに大きな声を出したつもりはないが下水道という特殊な状況下では予想外に凍えて響いた。
 「俺の勝手だろう」
 サムライはそっけなかった。その口ぶりからは本心など窺い知れない、僕のことを怒っているのか軽蔑しているのか、それとも。
 「はいはい痴話喧嘩はおしまい」
 リョウが軽快に手を叩いて自分に注意を向ける。口をきくのを許してないぞとばかり後頭部の髪を手荒く掴まれて顔を伏せられる。黴臭く湿ったコンクリートの地面に頬の片面を密着させた不自由な体勢でサムライを仰ぐ。
 「で?どうなんだ」
 小刻みに息を吐きながらユアンが急かす。
 「くりかえすがお前にとっても悪い話じゃねえ、もう一度チャンスをやる、胸に手ぇあててようく考えてみろ。俺とお前が組めばブラックワーク一位だって狙える、東棟のサムライと言えば泣く子も黙る仙台十二人斬りの当事者で人間国宝の祖父を持つ最強の剣の使い手、他の棟の連中なんかお前が出るって聞いただけでちびって寝込んじまうよ。そしたら俺らは不戦勝でトントン拍子にアガリって寸法さ、名案だろうが。スカした面してても俺にはわかる、欲しい物がねえ人間なんていねえ。酒でも女でも薬でもブラックワークのトップになりゃ何でも思うがまま、地獄の強制労働からも解放されて暇な一日贅沢三昧できるんだぜ。レイジを見てみろよ、ブラックワークの試合日以外は図書室に入り浸ったりてめえの房で高鼾こいたりな優雅なご身分じゃねえか。羨ましくねえか、妬ましくねえか?自分もああなりてえと思ったことがただの一度もねえなんて言わせねえ」
 期待と興奮に目を爛々と輝かせたユアンが大股に間合いを詰め、唾のかかる距離で熱心にかき口説くがサムライは表情ひとつ、眉一筋動かさない。同じ表情を見たことがある。写経中、サムライが墨を擦っているときに小蝿にまとわりつかれたことがある。耳障りな羽音の唸りを上げる小蝿にもサムライは動じず、今と同じく表情ひとつ眉一筋動かさず完全な無反応を決めこんでいた。
 こんな無礼者の誘いなどはなから真面目に取り合う気がないと表明するかの如く、意固地なまでに。
 サムライの反応がおもわしくないことに苛立ちをおぼえたか焦燥をかきたてられたか、舌を噛みそうな早口でユアンがまくしたてる。
 「潔白なサムライだって一つや二つ欲があんだろ?欲しいもんはねえのか、食いたいもんはねえのか、したいことはねえのか」
 「ない」
 「信じらんねえな」
 ユアンが鼻で笑う。
 「老けた面してっけどお前まだ十代だろ?それとも何か、中身だけじゃなくて『下』の方も枯れちまってんのか」
 下卑た冗談に過剰反応した仲間が腹を抱えて爆笑する。下劣な笑みを満面に湛えたユアンが両手を広げて親愛の情を強調、サムライを歓迎する意志を表明する。
 「悪いことは言わねえ、俺と組め。サムライが用心棒になってくれんなら百人力の怖いもんなし、レイジにだって余裕で勝てる」
 「身の程を知れ」
 「なんだと?」
 哄笑が途絶え、ユアンが怒気もあらわに気色ばむ。木刀を小脇にさげ、冷気と湿気が充満した下水道に立ち尽くしたサムライは土中の蚯蚓を観察するような目でしばらくユアンを眺めていたが、やがて達観した意見を述べる。
 「お前のように口先だけの人間と俺が組んだところでレイジに勝利できるとは思えん。ましてや王座を奪えるわけがない、思い上がるのもいい加減にしろ。夢を見るのは個人の自由だが俺を巻きこむのはよせ、ひとに迷惑をかける夢は手前勝手な妄想でしかない」
 ユアンの肩越しにサムライと目が合う。真剣のような意志を宿した目。 
 「ついでに鍵屋崎も、巻き込むのはよせ」
 下水道に殷殷と響いた声、その余韻が闇に滅するのを待たずにユアンの顔が歪む。顔を朱に染めたユアンが間接が白く強張るほどに五指を握り締めて拳を作り、押し出すように呟く。
 「そうかよ。それが返事か」
 霜が降りそうに冷えこんだ下水道に裸足にスニーカーをつっかけただけの格好で現れたサムライは、しかし、寒さに震えることも身を縮めることもなく、だれにも恥じることなくまっすぐに背筋をのばして立っている。
 おのれにさえ一点も恥じることなく。
 その瞬間に理解した。
 『サムライは絶対に助けにくる』
 リョウは何度もそう言った、確信をこめて強調した。あれは真実だったのだ、現にサムライはこうして助けに来た。監視塔の時のように我が身をかえりみずに僕を助けに来たのだ、こんな寒い下水道まで。
 かってに手紙を盗み読もうとした僕を。
 「おい」
 思考に囚われていた僕の肩が背後の少年に掴まれる。肩におもいきり爪を立てられ、苦痛に顔をしかめる。気付けば目の前にリョウがいた。ひょいと屈みこんだリョウが片手をさしのべ、水に濡れそぼった髪をやさしく撫でる。
 「かわいそうに。メガネくん、サムライに見捨てられたね」
 「……?」
 「リョウ」
 一歩も譲らずにサムライと対峙していた少年が背中越しに声をかけ、ぞんざいに命じる。
 「そいつ殺していいぜ」
 「だってさ」
 頭頂部に重ね置かれたてのひらに縦方向の力が加えられる。まずい。顎に力をこめて抗おうとしたが無駄だった、相手は三人、いやリョウを含めて四人がかり。対してこちらは一人、力の差は歴然としている。膂力で対抗できるはずがない。またあの苦しみを味わうのか、水の中でもがき苦しみながら死んでゆくのかという恐怖が体の芯まで染みこんでゆく。頭に酸素が回らず筋道だった思考が紡げず、水を掻いて掻きむしって無力に沈み、喉に逆流してくる大量の水に溺れ―
 死の恐怖を中和するために、むかし医学書で呼んだ溺死に関する記述を口の中で呟く。 
 「溺死の定義。体外より気道を通じて侵入した液体により、気道内腔が閉塞されて起こる死。溺水 (吸引した液体) による窒息。死の機序、溺水の吸引。吐血・喀血の気道内吸引による窒息は溺死と言わない。溺水:淡水 (河川、側溝)、海水、便槽の汚水など。浅い水でも溺死可能。死体の外部所見は水中に長く留まるために生じるもの。非特異的。死斑:弱く部位も不定(水中で体位が変動するため)。他には皮膚角化層の膨化やしわなどが挙げられ死後2~4時間で手掌全体に発現し1~2日で手袋状に剥離し……」
 「なにぶつぶつ呟いてんの」
 ふしぎそうな顔で僕を覗きこんだリョウが安心させるように笑う。
 「大丈夫、何日か経った溺死体は顔がふやけて誰だかわかんないから。プライド高いメガネくんは死顔見られるの嫌でしょう?すぐには見つからないよう下水道の奥に流しといてあげるから」
 毛並みの良い愛玩犬にするように僕の髪を梳きながらリョウが声たてて笑う。執拗に髪を撫でる手つきにもまして僕を戦慄させたのはその笑顔―……皆から愛される子役の笑顔。
 「なんで笑えるんだ?」
 恐怖を圧するほどの疑問が湧きあがる。リョウは今から僕を殺そうとしている、水に沈めて窒息させようとしている。にも関わらず、楽しげに笑っている。両親を殺害するとき僕はこんな顔をしてなかった、鍵屋崎優の胸にナイフを刺す瞬間、雨滴が伝う窓ガラスに映った顔はただただ必死で……恐怖と嫌悪、そして怒りが綯い交ぜになった、人間が最も動物に近くなった瞬間の本能剥き出しの表情。
 理解できない、わからない。何故リョウはこの状況下で笑えるんだ? 
 「昔話をしようか」
 僕の髪を梳きながらリョウがささやく。
 「僕が東京プリズンに来る前に何をしてたか。
 僕はきみみたいに育ちのいい日本人じゃない、生まれたときからパパとママが揃った環境でぬくぬく育ったわけじゃない。僕にはママしかいなかった。でもそれで十分だった、僕にはママだけで十分だったんだ。キレイでやさしくて最高のママだった。13か4で僕を産んだんだっけ?パパは誰だかわかんない、たぶん日本人だと思うけど違うかも。証拠はどこにもない。笑える話だけどね、ママも覚えてないんだって。その頃は娼婦をはじめたばっかりで、ろくに避妊もさせてもらえず、わけもわからずいろんな男に抱かれてたから」
 生温かく湿った吐息が耳朶にふれ、むずがゆい感覚を生み出す。
 「僕が見よう見真似でウリを始めたのは六歳のとき。その頃がいちばん悲惨な時期だった。僕のママってさ、やっぱりジャンキーだったの。十代んとき知り合った客がクスリの売人やっててそいつに無理矢理クスリ漬けにされたんだ。たぶんママに逃げられるのが怖かったんだろうね、そんな心配しなくてもママが男を捨てるはずないのにさ。ママってマリアさまみたいに優しいからどんなに暴力的でヤク中で屑な最低男でも見捨てることができないんだよね。で、別れ時を逃してズルズル……まあそれはともかく、物心ついたときにはママはヤク中だし部屋にはドラッグの白い粉と注射器が転がってるし……最初はね、砂糖とまちがえたんだ」
 「砂糖?」
 「うん、砂糖。ぼく甘い物が好きだからさ、覚醒剤の白い粉と砂糖まちがえたの。で、指ですくってなめてみたら全然甘くないし。でもそのうち妙に癖になってやめらんなくなって、気付いたらヤク中になってた。ママも粉の量が減ってるのに気付いたんだろうね、慌てて僕の手の届かない箪笥の引き出しに注射器をしまったけど残念、遅かった」
 リョウが軽くポケットを叩く。
 例の針金がしまわれたポケット。歯茎がまた疼きだす。

 「禁断症状って言うのかな?クスリがキレると正気じゃなくなるんだよね、人間て。ママにクスリを隠された僕は死に物狂いだった、死に物狂いで鍵付きの引き出しを開けようとした。で、ママがアパートを留守にしてるあいだ何時間もねばったんだ。クスリが欲しい一心で椅子にのぼって、ヘアピンで鍵穴ガチャガチャやってね。ぼくが鍵開けの技術習得したのはつまりそういうワケ。
 でもさ、ママに内緒でクスリやるにもお金要るじゃん?だから小遣い稼ぎに体売り始めたんだ、最初はママにも内緒で。そのうちバレたけどね。あのときは泣かれたなあ、『リョウちゃんどうしてそんなに悪い子になっちゃったの』って。ひどいよね、ママの子供だからこうなったんじゃん。ま、ママはあんまりいい顔しなかったけど僕はウリを続けたよ。実際稼ぎよかったんだ、小さい男の子が好きな変態客意外と多かったし、そういう奴って金払いイイからどうかするとママより月の稼ぎが多かった。
 知ってる?ペドフィリアって日本人に多いんだよ。あとは裕福な欧米人、普通のセックス目当てで女買うのに飽きた金持ちは小さい女の子や男の子にたまらなく欲情するらしいから。でもね、いいことばっかりじゃなかった。ペドフィリアの変態客のなかにはとんでもない奴もいた。今でもよく覚えてる、僕が9歳のときの客。国籍持ちのアメリカ人だったんだけどコイツがとんでもないサドでさ、殴りながらじゃないと興奮しないんだって、性的に。
 ヤッてる最中何度もおなか殴られた。
 あんまり力いっぱい殴られてシーツに吐いたら『これ取り替えさせるのにまたチップ払わなきゃならないだろ!』でまた殴られる。何度も何度も気を失いかけながら必死に顔を守った、大事な商売道具だから、ママに心配かけたくないから。途中で気を失ったからあとのことは覚えてない。気付いたら朝になってた、客はいなかった。ヨロヨロしながらシャワールームに行ったら洗面台の鏡に裸の僕が映った。で、青痣だらけのおなかの上になんて殴り書きされてたと思う?油性マジックで」

 なにかに憑かれたように饒舌に話し続けていたリョウの顔が歪み、腹の中で悪魔を飼い殺した憎悪の形相に変化する。
 「『You kill me!Your perfect bimbo!』メガネくん、翻訳してよ」
 乱暴に髪を揺すられ強要される。仕方なく、口を開く。
 「You kill meは直接の意味ではとらない、これは米英俗語の言い回しだ……きみは傑作だ、なんておもしろい奴なんだ、という感嘆表現。きわめて面白い人物や愉快な人に向かって言う言葉だ。Your perfect bimboは……」
 虚ろに説明する。言い澱んだのは翻訳に詰まったからではない、意味が完全にわかってしまったから躊躇したのだ。続きを催促するように髪を掴む手に力が加わる。頭皮から髪が毟られる激痛に舌がひとりでに動き出す。
 「bimboはスラングで娼婦の蔑称だ。若い女、身持ちの悪い女、ふしだらな女、尻軽女、売女。二義的な意味はおどけた人、道化者。それにperfectがつくということは、」
 「もういい」
 玩具に飽きたようなあっけなさで僕の髪を手放したリョウが白けた顔で吐き捨てる。
 「そういうコトだよ」
 そういうことか。
 ようやくわかった、何故リョウがひとの苦痛や恐怖に歓喜するのか、苦痛に歪む顔に欲情するのか。幼少期の貧困と過酷な体験、母親への過剰な依存。それら全てが起因してリョウの加虐的指向に拍車をかけているのだ。
 被害者は容易に加害者に転じる。
 弱者はさらなる弱者の出現で強者に生まれ変わる。
 自分が過去に体験した苦痛や屈辱を倍にして誰かに返すことでしか貶められた自尊心を修復することができない人間。
 「なんて醜悪なんだ」
 「?」
 怪訝な顔のリョウがもっとよく聞き取ろうと僕の口元に顔を近づけるのを見計らい、毅然と顎を上げる。
 「改めて言わせてもらうがリョウ、きみは最低の人間だ。きみが過去に体験した過酷な出来事は僕の体験したことじゃないからその痛みはわからない、わかったふりをすること自体思い上がりだろう。だからはっきり言わせてもらう、僕にはきみが理解できない、きみの苦痛も屈辱も過去もきみだけのものだ、きみの所有物だ、プライドがあるなら簡単にひとにわからせたりする物じゃない。きみが本当に復讐したいのは僕か?違うだろう、きみを貶めたその男だろう、きみを心ない物のように扱った客たちだろう。きみは復讐の対象を僕に転化して嬲ることで私怨を晴らそうとしている卑劣な人間だ、卑怯な手を使って自尊心を回復させようとしている愚劣な人間だ、自分より弱く無力な状態の人間、無抵抗な人間にしか暴力を行使することができない腰抜けだ」
 なんてわかりやすいんだ、なんて底の浅い、なんて短絡的で単純明快な。
 リョウはサムライじゃない、リョウが考えていることは全部読める。
 だからこう言える。水滴が付着した眼鏡越しにリョウをきっかりと見据えて。
 「恥を知れ」 
 同じことをサムライに言われた。だから言われた側の人間の気持ちと次にとる行動は予測できる。
 リョウがにっこりとほほえむ。
 「死ねよ」 
 死の宣告がささやかれた次の瞬間には視界はもう闇に閉ざされていた。いや、闇ではない。正確には水の壁だ。水音。水圧に肺が押し潰され二酸化酸素の塊がぼこぼこと音をたてて口からあふれだす。泡の濁音、薄れゆく意識、狭まりつつある視界。後ろ手に両手を押さえられているために水中で口を塞ぐこともできない、唇を噛み締めて空気が漏れるのを防ごうとしても肺から汲み上げられた二酸化炭素の塊が喉につかえ、失敗。
 十秒、二十秒、三十秒……。
 意識を保っていられるのが奇跡だがこの場合地獄を長引かせるだけだ、早く気を失ったほうがラクに―――――

 「やめろ!!」
 
 サムライの声を聞いた気がした。
 水の中まで声が聞こえるはずがない。きっと幻聴だ、聴覚が混乱してるにちがいない。
 後ろ髪を掴まれ、乱暴に顔を引き起こされる。
 胃袋を吐き戻す勢いで咳き込む。拡散しかけていた意識が一点に引き絞られる。助かった。何故?安堵より疑問が膨れ上がる。はげしく咳き込みながら顔を上げる。僕らから少し離れた場所に立ち尽くしたサムライの様子がおかしい。何事か深刻に考えこむように顔を伏せ、思案げな手つきで木刀の柄を握りなおしたかと思えばきっぱりと顔を上げる。
 「…………どうすればいい?」
 サムライの口から出た言葉に耳を疑う。
 「なにを、」
 言ってるんだ、と続けることはできなかった。前髪から雫を滴らせた僕をさえぎるようにサムライが続ける。
 「どうすれば、鍵屋崎を放してくれるんだ」
 一言一言が喉につかえているかのような苦しげな言い方だった。絶句した僕をよそにユアンと少年らが素早く耳打ち、それに同意したリョウが頷く。皆の後押しを得たユアンが再びサムライの前に立ち、腰に手をついて命じる。
 「木刀をよこせ」
 サムライは少しもためらわなかった。
 言われるがままに腰の木刀をユアンの足もとに放る。コンクリートの床をすべって足もとに到達した木刀を無造作に蹴り、さらに遠方へと移動させる。完全にサムライの手が届かない遠方へと木刀を退けたユアンがたちの悪い企み顔で仲間をかえりみる。僕の背中を押さえこんだ少年らが「行け行け」「言っちまえ」と口早にけしかける。
 サムライに向き直ったユアンが居丈高に腕を組み、傲然と言い放つ。
 「土下座しろ」
 馬鹿な。
 僕の為に、僕なんかの為に、サムライが土下座するわけないじゃないか。


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少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20060313055218 | 編集
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