ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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四十二話

 崩壊の序曲が鳴り響く。
 天井が壁が床が、広大な石室全体が腹に重低音を伴う震動を突き上げる。
 地面がぐらつき視界の軸がぶれる。
 激しくなる一方の揺れに翻弄され平衡感覚が狂う。
 小降りから集中豪雨へと落下の勢いを増す瓦礫が次々体に当たる。
 でっかいので直径十センチはあろうかという石片が途切れなく降り注ぎ頭といわず肩といわず腕といわず滅多打つ。
 全身至る所で火花が爆ぜる。
 天井と壁に亀裂が走り縦横斜めに深淵が穴開く。
 天が墜落し地が転覆する災害の前兆。
 天災か人災か今の段階じゃ判断付かねえがとにかく一刻を争う緊急事態にゃ違いねえ。
 内耳でけたたましく警鐘が鳴る。
 上下に揺れる視界に酔いながら拠り所を求め虚空を手探り、恐慌に駆られ右往左往する俺の行く手にうずたかく瓦礫が積もる。
 「ロン、逃げろ!」
 狭窄した意識に一筋声がさしこむ。
 サムライの声。
 瓦礫に遮られた視界にサムライが映りこむ。
 俺に向かい伸ばした手はしかし轟音たて墜落した石材に阻まれ、サムライの姿もかき消える。
 それでも顔を見れて声が聞けただけで気分は随分マシになった。
 希望は捨てない。
 生ある限りしぶとくしつこく食い下がってやる。
 頼り甲斐のある叱責に勇気を得て、腕を掲げ頭を守りながら、もう片方の腕を眼前の背中にむかい精一杯伸ばす。
 「なにぼさっと突っ立ってんだよ、逃げるぞレ、暴君!」
 思わずレイジの名を呼びそうになり、ぐっと喉が詰まる。
 慌てて言い直した俺の方を毒気をぬかれた緩慢な動作で振り向く。
 暴君と目が合う。
 放心した顔つきと虚ろな目。
 催眠術にでもかかってるみたいな意志の不在の顔。
 暴力衝動を持て余し人も物も無差別に破壊してきた激しさは今やなりを潜め、憑き物が落ちたような沈静がとってかわる。
 天と地が一斉に鳴動する中、暴君だけが異質な静寂を身に纏う。
 シャツの胸元に十字架がぶらさがる。
 俺が手ずから銀紙を巻いてやったみすぼらしい継ぎはぎの十字架がシャツの胸元でかすかに揺れる。暴君は何も言わない。心の内に闇を抱え沈黙している。まだ自分の殻に閉じこもってやがるのかよ、腰抜けめ。
 「お前、死にたいのかよっ!!」
 限界まで伸ばした指の先が暴君に届いた途端、しぶとく居残ってた一握りの恐怖さえ綺麗さっぱり消し飛んだ。
 猛然と弾けて爆ぜた憤怒が怯えとか躊躇いとかそういうくだらないもんを一切合財征服し、俺は俺自身の意志で長年付き纏っていた恐怖心を克服する。
 きっぱり決断する。
 暴君に対する躊躇いとか怯えとかいじけた気持ちとか、レイジと比較してどうのこうのとかいった溝を一切合財取っ払い、腹を割って向き合う決心を固める。

 真っ直ぐ目をみる。
 抉り込むように視線を叩きつける。
 持てる意志のすべてを視線に込めて全霊でぶつける。

 眼力とここ一番のクソ度胸なら誰にも負けねえ。
 ここ一番の肝心な時に逃げてたまるか。
 ダチ一人力づくで取り戻せないようで何が相棒だ。

 暴君の胸ぐらを掴み勢いに乗じ引き寄せる。
 遠慮手加減一切なし、がくんと襟が締まって咳き込もうが窒息しようがお構いなし知ったこっちゃねえ。
 おもいっきり引っ張られて暴君がよろめき、半ば俺に凭れる格好になる。
 長身の暴君が頭三つ分は小せえ俺と顔つきつける姿はなんだか滑稽で笑える。
 笑えるってことは、俺はまだ冷静なわけだ。
 客観性を失ってないからな、なんて鍵屋崎みたいな屁理屈こねて動揺をごまかす。
 暴君はぼんやり俺を見る。
 間近に迫った俺を認識してるのかしてないのか焦点も曖昧で、その眼差しは俺をひどく不安にさせる。
 相変わらず綺麗な瞳だ。
 魂ごと吸い込まれそうだ。
 レイジの顔の中で一番魅力的な部位、ペア戦でサーシャに抉られて残りひとつになっちまった目が、瞬きも忘れて無感動にこっちを見詰めてやがる。
 瓦礫が降る。
 天と地が底擦れの重低音を伴い連動、大いなる不可視の力が蹂躙し攪拌し破壊の混沌を生み出す。
 瓦礫の上に瓦礫が堆積し地を覆う。
 祈りが絶えた聖堂は無機質な瓦礫に埋め尽くされ殺伐と塗り替えられる。
 騒音の中の静寂。
 寂寞。
 地鳴りが耳鳴りを連れてくる。
 スニーカーの靴裏で地面を掴んで何とか踏みとどまる。
 暴君は俺に胸ぐら掴まれたままぼうっとしてやがる。
 暴君かレイジか、そのどっちともつかねえ男がのろのろ口を開く。
 「……真っ暗だ。ずっと光を見てねえ。いつこっから出られるんだ?何も聞こえないんだ。耳が変になっちまった。体中の穴という穴から闇が染みこんでくるんだよ。内側から蝕まれてくんだ。ずっと音が鳴ってる。耳の底で音がするんだ。どくん、どくん、どくんて。心臓の音が」
 「暴君、お前………」
 「教えてくれよ。いつになったらこっから出られるんだ。ノックのしすぎで手が痺れちまった。扉は固くて重くて俺一人の力じゃとても開かねー。なあ、なんで誰も答えてくれないんだ。返事してくれないんだ」
 子供返りした暴君に狼狽する。
 胸ぐら掴まれた不自然な体勢ですっかり上体を預けきった暴君が、顔に垂れ落ちる麦藁の髪の隙間から茫洋とした視線を放る。
 「マリアはどこ?」
 
 子供時代のレイジと邂逅する。
 歳月を隔て、時空を隔て、レイジの傷そのものと対面する。
 孤独。絶望。飢餓。

 レイジの抱え込んだ膨大な闇が一挙に押し寄せて俺を絡めとろうとする。
 愕然とする。
 まともに向かい合って初めて思い知らされたレイジの闇の深さに、その傷の生々しさに言葉を失う。暴君を生み出すに至ったレイジの闇はあまりに深くて、正直俺の手においきれない。
 ならどうだ?
 諦めたらラクなのか、割り切れるのか、それで一生レイジを失っちまってもいいのかよ。
 違うだろ。そうじゃねえだろ。
 自分に喝を入れ、断崖絶壁で踏みとどまる。
 迫りくる闇を逃げずに見据える。
 生唾を嚥下、芯から勇気を奮い立たせる。
 闇の中に臆さず手を突っ込んでレイジを捜す。闇に分け入る。
 闇が体を這う。
 じきに境目がわからなくなる。
 レイジがかつて体験した恐怖と絶望を分かち合い、一歩ずつじりじりと焼け付くような焦燥に苛まれながら着実に歩み寄る。
 降り注ぐ瓦礫の中、暴君の眼前に立つ。
 「目ん玉かっぴろげてよく見ろ」
 握り込んだ拳に息を吹きかける。
 暴君が声に反応し緩やかに顔を上げる。
 麦藁の前髪が流れて眼帯と隻眼が覗く。
 放心した表情。
 俺を通り越してどこか別の場所を誰かを見てるような顔。
 無視されて辛いとか哀しいとかの次元じゃない。
 確かにそれもある、それは否定できない。
 けれども俺は、何より腹立たしい。
 レイジがこれまで過ごしてきた歳月と俺と出会ってからの年月を秤にかけて、後者が勝つことはないにしろ前者とつりあうくらいには等価だろうと自負していたのに、これじゃまるで俺と出会ってからの年月がまるまる無に帰しちまったみてえじゃねえか。
 俺とお前が過ごした年月はそんなに薄っぺらく安っぽいもんだったのか、吹けば飛ぶような軽いもんだったのか?
 俺を初めて抱いた晩にお前が言ったことは嘘っぱちだったのか、これまで生きてきた十八年と俺と出会ってからの一年とちょっとが等価だってのはデタラメだったのかよ?

 深呼吸し、腰だめに構えた拳を振るう。
 もともと手加減できるほど器用じゃねえ、当たって砕けろが信条だ。

 顔面に渾身の一撃を叩き込む。
 衝撃が伝わる。
 頬げた吹っ飛ばされた暴君はあっけなく横とびによろめき、もんどり打って転がる。
 地面を覆う瓦礫の上に身を投げ出した暴君に向かい、俺は叫ぶ。
 
 「俺はお前のお袋じゃねえっ、お前の相棒のロンだっっ!!」

 頬を腫らした暴君がこっちを見る。
 緩慢に一回瞬きをする。その目に焦点が戻る。
 掴み所ない表情に感情の一片が浮かぶ。
 堆積した瓦礫の上に情けなく尻餅付いた暴君のどまん前に立ちはだかり、続けざまに叫ぶ。
 声も枯れよと怒鳴り散らす。
 全身の血が沸騰して、体中熱くて熱くて火を噴きそうで、込み上げる怒りをそのまま暴君にぶち撒ける。

 「俺は、お前の、相棒の、ロンだ!わかったかこのぐうたら尻軽野郎、俺はお前のお袋代わりでもなんでもねーよ、そんなご大層な役目つとまりっこねーよ!マザコンも大概にしやがれ十八にもなって気色わりいんだよ、口を開けばマリアマリアってじゃあ俺はなんだよ、この一年とちょっとずっとそばにいて辛いこと苦しい事全部一緒に乗り越えてきた俺の立場はどうなんだよ!そりゃ俺はマリアにかなわねーけど、マリアの代わりなんかできっこねーけど、英語で書いてある聖書なんて読めねーしもしそれがマリアの条件なら鍵屋崎のがよっぽど向いてるってわかってるけど、でも、俺は!!!」

 ああそうさ認めてやる、認めてやるよ。
 俺は鍵屋崎に嫉妬してた。
 レイジと対等に話せるあいつを羨んでた。
 俺も鍵屋崎みてえになりたいと思った。
 あいつくらい頭がよくて弁が立てばレイジと対等になれるのかと思った。
 レイジに馬鹿にされることなく、守られっぱなしの立場に甘んじることなく、普通のダチみたく貸し借り作らずやってけるのかと思ってた。
 レイジも鍵屋崎には何でも話せるみたいだった。
 俺の前では妙にかっこつけてるレイジが、鍵屋崎にだけ腹の底まで明かしてるのが正直気に食わなかった。
 二人の間には俺が割って入れない何かがあった。
 何か、絆みたいなもの。類友の連帯感ともいうべきものが。
 結局俺はどんなにあがいたところでレイジに追い付けずいつまでたっても対等扱いされない足手まといで、それが無性に哀しくて情けなくて悔しかった。

 だけど。
 俺にだって、鍵屋崎に負けないもんがある。
 自称天才の鍵屋崎がどんなにあがいても決しても持ち得ないものを、俺は持ってる。

 「お前を好きな気持ちは、誰にも負けねえ!!!」

 くっせえ台詞。自分でも笑っちまう。素面じゃとても言えねーっつの。
 でも、本音だ。掛け値なしの真実だ。
 俺が持ってる譲れないもんの中で一等上等なのがこれだ、この気持ちだ。
 レイジの事を考えるだけで胸が熱くなる。
 鼓動が急ぐ。顔が火照る。
 レイジが好きだ、大好きだ。その気持ちだけがどん底の俺を支えてくれた。
 凱に小突き回された俺を売春班に落とされた俺をペア戦で笑いものにされた俺を道了に犯された俺を、いつも、いつだって支えてくれた。
 狂っちまったほうがいっそマシな生き地獄で俺が狂わずやってこれたのはレイジのおかげだ、レイジがいたからだ。

 俺が今ここにいるのはレイジのせいだ。
 だからレイジ、責任をとれよ。
 俺を生かした責任をとれよ。

 お前がくれた希望はちゃんと、今もこの胸で息づいてる。
 手を当てれば力強い鼓動と溢れる熱を感じる。
 ああいいさ、言ってやる。
 お前がわかるまでいくらでも言ってやる。
 お前がめちゃくちゃ好きだって真っ暗な下水道で叫んで叫んで叫び続けて、死神だって追っ払ってやる。

 半ばヤケになる。
 自暴自棄に駆られ、瓦礫の上に仰向けた暴君に盛大に唾を飛ばして怒鳴る。
 声と感情が爆発する。
 自分自身をばらばらに引き裂くように、
 胸の奥から掴み取った真実を投げ付ける。 

 「俺がこれまでここで生きてこれたのはお前がいたからだ、リンチとレイプと足の引っ張り合いが日常茶飯事のくそったれた東京プリズンでそれでも何とかやってこれたのはお前がいたからだ、認めるのは癪だが事実だからしかたねえお前は命の恩人だ、それ以上に最高のダチだ、生まれて初めて出来た大事な大事な友達だ!!誰にも渡すか、譲るもんか!!お前を譲ったら俺は俺でなくなっちまう、お前のことなんかどうでもいいって言える俺はもう俺じゃねえ、お前は俺が俺であり続けるために欠かせねえ大事なダチなんだよ、ずっとひとりぼっちだった俺をひとりじゃなくしてくれたいくら感謝したってしたりねえ相棒なんだよ!!」
 「何が言いたいんだよ」
 後ろ手ついて上体を起こした暴君が言う。
 揺れはますます激しくなる。
 天地が鳴動し、降りしきる瓦礫が視界を遮る。
 地面はもはや平らじゃない。
 きわどい角度に傾斜し、靴裏が滑る。
 足腰を踏ん張り、その場に留まる。
 麦藁の髪のはざまから覗く隻眼に剣呑な光が宿る。
 敵愾心を剥き出し威圧にかかる暴君を平然と見返し、瓦礫を避けもせずに進む。
 頭に肩に腕に石片が当たり、痛みを感じる。
 全身至る所で爆ぜる痛みを堪え、努めて平気なふうを装い、暴君の前で立ち止まる。

 「レイジが俺のダチになってくれたように、今度は俺がダチになってやる」

 無造作に手を差し出す。
 暴君が信じられないものでも見たように俺の顔と手を見比べる。

 「ひとりにしねえって約束する」

 瓦礫に打たれる痛みがなんだ。
 好きなやつと離れ離れになる痛みに比べたら屁みてえなもんだ。
 地鳴りと一緒に盛大に降り注ぐ瓦礫をものともせず今だ起き上がる気配のない暴君と向き合う。
 天井に縦横斜めに亀裂が走り、崩壊が加速する。
 ふいに暴君の顔が歪む。
 絶望と希望が交錯する不思議な表情を、俺はこの先一生忘れない。
 人間の底を覗いたような、色んなもんが交じり合った表情だった。
 俺はじっと待つ。
 急かしも促しもせず、ただ突っ立って手をさしのべる。
 暴君の胸で十字架が揺れる。
 俺が手ずから銀紙を巻いた安っぽい十字架に無意識に手をやるやいなや、暴君の顔が安らぎ、初めて皮肉じゃない笑みが浮かぶ。

 「ジーザス」 

 ああ、こんな笑い方もできるんだな。
 天使とまではいかなくても、吸い込まれそうに綺麗な笑み。
 俺の愚かさを憐れむような。
 
 「ロン、危ない!!」 

 刹那、現実に叩き戻される。
 横っ面を張られたようにハッとして声の方を向けば、サムライが今しも木刀で瓦礫を振り払い、鬼気迫る形相でこっちに駆けてこようとしてる。
 血相変えたサムライが追い付くより早く、視界が翳る。
 上を見る。
 天井の一部が崩落、轟音たて巨大な石塊が落下。
 俺の体格をはるかに上回る石塊、まともに喰らったら即死は免れない。
 恐怖がぶり返し体が凍り付く。
 逃げなければと理性でわかっていても四肢が言うことを聞かねえ、強情に突っ張ってびくともしねえ。
 頭と神経が断ち切れ空白が訪れる。
 くそっ、動け足!
 懸命に檄をとばす、手足を叱咤する。
 巨大な瓦礫が頭上を圧しすぐそこまで迫る。
 視界に急接近する瓦礫を瞬きもせず見据える俺を、だれかが呼ぶ。

 「ロン!」

 道了。
 道了がいた。俺の背後にまで迫っていた。

 血染めの体をひきずり、瓦礫の山を踏み越え、無事な方の腕を俺へと伸ばし掴まえようとしている。
 その瞬間の道了の顔が、鮮烈に目に焼き付く。
 假面のあだ名も消し飛ぶ必死な形相。
 焦慮に苛まれ苦痛に歪み辛酸を舐め、人間性の極限を炙りだすような悲壮感を湛えた、思い詰めた表情。
 道了でもこんな顔できるんだ。假面のあだ名形無しじゃねえーか。
 人間味溢れる切実な表情と切迫した眼差しは、道了の存在感を生々しく肉付ける。
 人形みたく取り澄ました無表情はどこへやら感情の核を剥き出し、ひりつくような焦燥と渇望を湛えている。
 道了の手が何を意味するかわかった。
 俺の知らねえまともな道了がそこにいた。
 感情回路の焼き切れたお人形さんがいつのまにか一端の人間にもどっていた。
 束の間、道了に見惚れる。
 最初に出会った時の光景が鮮烈に甦る。
 あの時もこうして道了は手を伸ばした。
 途方にくれたように立ち尽くしていたガキの面影がありありとよみがえり、目の前の男に重なる。
 過去と現在が交錯し、一抹の感傷が芽生える。
 あの時道了がかけてくれた言葉が、触れた手の冷たさとオッドアイの透徹した光が、運命的な必然を伴ってよみがえる。

 チン、イン。
 脳の奥で鈴が鳴るように言葉が弾ける。

 道了と出会ってからこれまで起きた事すべてが一瞬に凝縮される。
 道了と出会ってから体験した全ての事柄を、その一瞬で反芻する。

 反射的に、道了の求めに応じようとする。
 あれこれ考えるより先に体が動き、道了の手を掴もうとする。

 その時
 熱く、柔らかい塊が、俺を後ろから包み込む。

 「行くな」

 俺をがんじがらめにする。
 いつのまに忍び寄っていたのか全然気付かなかった。
 そいつは俺の背中に密着し、俺を後ろから抱きすくめ、うなじに顔を埋めて熱い息を吹きかける。

 一方的に縋りつくんじゃない。
 傷だらけになるのを承知で俺を抱いて、守り抜こうとする腕。
 死に物狂いで縋りついたりしなくてもこうしてそばにいるとわかったから
 言葉にできない大事な想いを伝えるためにただ、抱きしめる。

 献身の代償に払われるものを期待しての行為じゃなく
 それ自体が救済。
 再生。

 「渡さねーよ」   

 声が聞こえる。
 懐かしい声だ。
 ずっとずっと聞きたくてたまらなかった声が、直接中に注がれる。
 砂漠のように乾いた体のすみずみに染みこんでいく。
 振り向かなくてもわかる。誰がそこにいるか、わかる。
 匂いで声で触り心地で、五感を全開にして存在を受け入れる。
 ずっと会いたかった。
 会いたくて会いたくて気が狂いそうだった。
 実際気が狂う一歩手前までいった。
 追い詰めて、追い詰められて、長い長い追いかけっこのはてにようやく腕の中にとびこめた。
 体に回された腕の強さは記憶の中そのままで、懐かしい匂いが俺を包み込んで、目と鼻の奥がツンとする。

 やっと会えた。

 「待たせたな」
 「待たせすぎだっつの」

 もう一度会えた。

 胸の前で腕が交差する。
 麦藁のおくれ毛が頬に纏わり、背中に十字架が当たる。
 長袖に包まれた腕がぎゅっと俺を抱擁する。
 二度と放さないと宣言し、腕の囲いに独占する。
 振り向かない。振り向けない。
 こんな情けねえ面見せられねえ。
 今にも涙腺が決壊して鼻水と涙を一緒くたに垂れ流しそうだ。
 ぎゅっと目を瞑り、涙腺を引き締める。胸の前に回された腕に身を預け、言葉に尽くしがたい安らぎに浸る。触れ合った場所からひとつに溶けていくような安心感と多幸感が、現実を束の間忘れさせる。
 涙の膜が張った目をうっすら開ける。
 最後に見たのは、とられることない手をむなしく伸ばした道了の姿。
 鳴動する石室のど真ん中に立ち尽くし、初めて会った時と同じように途方にくれてこっちを見詰めてる。
 轟音、衝撃。
 体が木っ端微塵になったような錯覚。
 何が起きたのかわからない。
 反転、暗転。
 だれかが咄嗟に俺を庇う。
 強く胸に押し付けられ、あやうく窒息しかける。
 道了の姿が視界から消える。
 厚い塊に阻まれ、塗り込められる。
 鼓膜が破裂したかと思った。
 何?何がおきた?
 石が、降ってきた。特大のが。
 隕石みたいに墜落した。
 即死の二字が脳裏を過ぎる。
 ところが俺は生きている。
 なんで?崩落した天井に押しつぶされたんじゃねーのかよ。
 あちこちべたべた触って自分が生きてる事を確かめほっとする。
 両手の指を一本ずつ折り曲げちゃんと動くことを確認、意を決し瞼をひっぺがす。
 「無事、なのか」
 今生きてることが信じられない。
 一体全体なにがどうなってんだ?
 天井が怒涛を打って崩落したのはわかった。
 崩落した天井の一部が俺の頭上に落下したのもわかる、直前まで意識があった。
 だけど、それから?それからどうしたんだ?
 誰かが俺にのしかかったのを覚えてる。
 顔を押し付けた胸の野生的な汗の匂いを、力強い鼓動を覚えている。
 結果として、こうして俺はここにいる。生き残っている。
 あちこち擦り傷だらけで服もぼろぼろで、髪も顔も汚れ放題の酷い有様だけどぴんしゃんしてる。
 あたりは異様な静けさに包まれている。
 生者の気配が途絶え、廃墟にふさわしい荒涼たる闇が漂っている。
 俺は狭くて暗い場所にいた。
 瓦礫と瓦礫とが寄りかかって出来た僅かな隙間に身を潜めていた。
 前にもこれと似たようなことがあった。
 積年の仇敵たる中国系チームとの抗争中、手榴弾片手に隠れ潜んだ廃車場の穴ぐらが甦る。
 あの時と同じだ。なにもかもうりふたつだ。
 耳を聾する轟音も木っ端微塵になったような衝撃もその後に訪れたしんと冴えた静寂も何もかも、あまりにあの時の状況と似すぎている。
 「嘘、だろ。冗談だろ」
 情けなく語尾が震える。
 掌に破片が食い込み、血が滴る。  
 「また俺ひとり、生き残っちまったのか」
 服の内側がざらつく。
 砂利を食んだ口の中もざらつく。
 両手を付き上体を起こしかけ、誰かが背中におっかぶさってるのに気付く。
 「!!っ、」
 上体を起こした拍子にあっけなく腕がずりおちる。
 鈍い音をたて崩れ落ちたそいつに慌てて駆け寄る。
 嘘だ。
 信じたくねえ。
 脳裏でぐるぐる否定の言葉が回る。
 その場にしゃがみこみ、倒れた男を覗き込む。
 灰色に曇った髪が顔を覆い、表情を隠す。
 瞼は緩やかに閉ざされている。
 安らかな寝顔。
 けれどもその格好は悲惨の一語に尽きる。
 自ら盾となって俺を庇ったせいで服はあちこち裂けて素肌をさらし、頭が切れて血が流れている。血。こめかみを垂直に伝う、血。男は無防備に寝ている。無造作に手足を投げ出し、ずれた眼帯の下からざっくり走った傷の端っこを覗かせ、もう片方の目は閉じ、ぴくりともせず横たわっている。

 死んだように。
 死?

 「マジかよ、おい」
 口元が引き攣り、不自然な笑みを刻む。
 震える手をあてがい、冷え切った頬を包み込む。
 体温も、何も感じない。頬はひんやりと冷たい。
 魅入られたようにその顔を覗き込む。
 額と頬が切れて血が滲んでいる。
 手足の皮膚もあちこち切れて服にぽつぽつと染みができている。
 胸に耳をくっつける。
 駄目だ、俺の心臓の音がうるさすぎて何も聞こえやしねえ。
 嘘だろこんな、だってなんで、せっかく……
 男は微動だにしない。
 瓦礫の棺の中、夢見るような表情で瞼を閉じたまま、もう永遠に戻ってこない予感がする。
 もう二度と、目を開けない予感がする。
 「悪い冗談やめろよ。嫌いなんだよ、こういうの」
 起きろ。起きろよ。頼むから起きてくれって。
 漠然たる不安が心を蝕む。
 恐怖の種子が芽吹いて膨れ上がる。
 肩に手をかけぎこちなく揺するも反応なし、ますますもって動転する。

 どうすりゃいい?
 俺が、俺のせいで。
 俺を庇って、また。
 性懲りもなく。

 「ふざけんなよ」
 さんざん待たせたあげく、これかよ。
 抱き逃げなんて許さねーからな。
 腹の底から沸々と怒りが湧いてくる。
 女々しい迷いを吹っ切り、男の上に覆い被さる。
 顔の横に手を付き、おもいきって身を乗り出す。
 顔に顔を近付ける。
 なにも疚しいことじゃない、れっきとした人工呼吸だと自分に言い聞かせ冷静であろうと努めるも上手くいかず心臓がばくばく鳴る。
 睫毛が絡まる距離で顔の造作ひとつひとつを観察する。
 ずれた眼帯から覗く傷跡に愛しさをかきたてられ、胸が一杯になる。
 冷え冷えした頬に手を添える。
 音たて生唾を嚥下し、唇を重ねる。

 触れるだけのキス。

 互いのぬくもりを確かめるためだけの。
 形のないものを分かち合うための。

 『ロン』
 お前の声が聞きたい。
 『天国を見せてやるよ』
 天国を見るのはお前と一緒の時だけで十分だ。
 抜け駆けはなしだぜ、王様。

 沈黙が流れ、数秒が経過する。
 触れ合った唇を介し体温を注ぎ込む。
 俺の命を半分、分けてやる。
 有り難く受け取れ。
 お前がこれまで俺を生かしてくれたように、今度は俺がお前を生かす。
 触れ合った唇がじんわりと熱をもつ。
 瞼を縫い閉じた睫毛がかすかに震え、色素の薄い先端が頬をくすぐる。
 男が薄く目を開ける。
 まどろみをたゆたっていた目が俺を捉え、顔全体にゆったりと笑みが広がっていく。
 俺がよく知るお調子者の、最高にクレイジーな笑み。
 「……………お前の唇、甘い」
 「鳳梨酥の味だ」
 皮肉な笑みで軽口に報いる。
 緩慢に二回瞬きをする。
 顔の上半分を覆っていた麦藁の髪が流れ、硝子じみて色素の薄い隻眼が暴かれる。 
 擦り傷だらけの顔に笑みを湛えた男は、見渡す限り瓦礫を敷き詰めた地面に怠惰に寝転がったまま、茫洋と虚空を眺める。
 「………思い出したよ」
 「なにを」
 額に片腕をおき、片目を細める。
 「あいつが生まれた時のこと」
 傍らに座り込み、その言葉に意識を傾ける。
 一言一句逃さないと決心し、息を詰め、固唾を呑み、全身を耳にする。
 瓦礫の荒野に寝転がった男は、虚空に視線を放ったまま、たどたどしい口ぶりで話し始める。

 「真っ暗だった。俺、そこに閉じ込められてたんだ。ずっとずっと、気が遠くなるくらい何日も。さびしかった。ひもじかった。壁と床と天井しかなかった。あとは闇、闇ばっかり。排泄物の悪臭が咽かえるように立ち込めてて、その匂いに耐えられなくて何度も吐いた。吐いて吐いて胃がからっぽになるまで吐いて、しまいにゃ何もでてこなくなった。俺はずっとそこにいた。鎖つきの家畜みたいに放り込まれてた。冷たいコンクリートの独房。寄りかかるもんは壁しかなくて、それでもないよりマシだから、隅っこで膝抱えて。ずっと闇を見てた。死と隣り合わせで」
 「ああ」
 「怖いとか寂しいとか、そんな当たり前の感情は最初の二三日で擦り切れちまった。一週間経つころには何も感じなくなった、感情の残り滓だけで生きてたんだ。でもさ俺、やっぱり怖かったんだ。消えてなかったんだよ、恐怖。俺の中の人間らしい部分。一週間も闇の中で家畜同然の暮らしをしてたのにさ、俺、まだ、俺のままだった。ひとりぼっちで寂しいって、暗闇が怖いって思ってた。ふしぎだよな、とっくに擦り切れてなくなっちまったと思ってたのに。だから俺、ひとりじゃないって思い込もうとしたんだ。だれかがすぐそばにいるって思い込もうとしたんだ。守ってくれるだれかが、話し相手になってくれる誰かがそばにいるって思い込んだから、狂気の一歩手前で踏みとどまれたんだ。姿も考えた。俺とそっくり同じ顔しておんなじ声でしゃべる、双子の兄貴みたいなもん。弟じゃなかったのはそっちのが頼りになりそうだったから。俺にそっくりで、俺より強くて。俺の分まで代わりに怒ってくれる。闇に隠れて姿は見えないけど、そいつがついててくれるなら大丈夫だって」
 「そうか」
 褐色の指が十字架をまさぐる。
 懺悔の色が面におりる。
 「忘れてたよ、すっかり。薄情だな」
 「そうかもな」
 「あんなに頼りにしてたのに」
 「そうだな」
 「ずっと一緒だったのに」
 「そうだな」
 「俺の中にいたのに」
 「今もいるよ」

 甘く掠れた独特の響きの声が、それ自体哀切な歌のような抑揚で流れる。
 男の右胸に手をおき、小さく呟く。

 「今もいる。ここに」

 人はひとりじゃ生きていけない。
 だからふたりになろうとする。
 かけがえのないもうひとりを求める。

 俺のもうひとりは見つかった。
 今ここにいる。
 ふたりがひとつになって、ここにいる。

 両目の位置を片腕で隠し仰向けた男の右胸に手を添え、最後の一言を告げる。
 『再見、暴君』

 暴君には最初から名前があった。
 憎しみから分かれて生まれた暴君は憎しみに還り、そして俺はこう呼ぶ。

 「おかえり、レイジ」
 「ただいま、ロン」

 片腕を取り除き、レイジがとびきりの笑顔を見せた。

少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050201014851 | 編集
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