ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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四十話

 落下地点まで目測7メートル。
 深呼吸で腹腔に息をためスタートを切る。
 頭を低め風を切り地に接し手をのばす。
 腕の付け根が軋む。
 片腕が空を貫く。
 暴君はサムライを嬲るのに夢中で俺の接近に気付かない。
 夜行性の猫科の瞳は爛々と光って闇を見通すも、意表をつかれて反応が遅れる。
 慢心が生み出した隙に付け込み一気に反撃に転じる。
 加速して間合いにとびこむ。
 暴君が俺に気付く。
 サムライが物凄い剣幕で何かを叫ぶ。

 逃げろ?
 やめろ?
 無茶するな?

 ……そっちこそ、俺の性格知ってるくせに無茶言うな。
 風の弾幕を突破、片腕を思いっきり伸ばした姿勢で地に伏せる。
 腹が地面を擦り、摩擦熱で上着がこげる。
 腹這いの姿勢で地面を滑りながら目一杯腕を突き出し木刀をひったくる。
 届いた!
 木刀をはっしと掴む。
 固く頼もしい感触に会心の笑みが浮かぶ。
 起き上がる暇も惜しみ、腹這いの姿勢から素早く視線をめぐらしサムライを補足する。
 『借過一下!!』
 鋭い呼気吐き腕を振りぬき力一杯投擲。
 俺がぶん投げた木刀は切っ先を向けほぼ一直線にサムライのもとへ飛ぶ。
 猛然と迫り来る木刀を目にし、暴君の面に驚愕が走る。
 暴君が木刀に目を奪われナイフから注意が逸れた一瞬の隙に緩んだ手から逃げ出し、屈みこむ。
 蹂躙の痕も生々しい上着の裾が風を孕んで捲れる。
 拘束を脱し屈みこんだサムライが翳した手に、狙い定めたように木刀が滑り込む。
 目測に一寸の誤りもなく木刀を受け止めたサムライは迅速に次の行動に移る。
 動体視力の極限に迫る飛燕の居抜き。
 元の持ち主へと返った木刀は掌と一体化し、持ち主の意に添って電光石火で翻り、一陣の烈風を巻き起こす。
 木刀に闘気が流れ神経が通う。
 何の変哲もない一振りの木刀が肉を切らして骨を断つ神速の剣と化す。
 持ち主の手元に返った木刀は存分に本領を発揮する。
 木刀を腰だめに呼気を低める。
 カラスの濡れ羽色の髪が不穏にさざめく。
 眇めた目に生気が甦り、錬鉄の闘志が迸る。
 額に纏わる髪が身の内で奔騰する闘気に応じ捲れ上がり、風圧で上着がなびく。
 しどけなく皺ばむ服を翻し、再び手にした木刀を猛然と捌き振るう。
 捲れた前髪の下で峻厳な剣呑さを孕む双眸が漣立つ。
 火傷が目立つ首筋をさらし、木刀を手に甦ったサムライが獲物に襲いかかる猛禽の猛々しさで跳梁し、間合いを飛び越えて暴君に肉薄する。
 「ーっ、まだへばらねえのかよ!?」
 それまで余裕綽々に構えていた暴君の顔に初めて狼狽の色が浮かぶ。
 「無論」
 サムライは言下に断じ、真剣勝負に口数は無用とばかり苛烈な攻勢に転じる。
 一手をもって一手を制し、
 一進一退の攻防を演じる。
 風切る唸りを上げ縦横無尽に残像閃かせ木刀が交差する。
 暴君はナイフを掴み応戦に回る。
 木刀とナイフが一瞬を十に割った刹那に何合もかちあい、彗星の尾をひいて離れる。
 火花が飛散し、木刀が切り刻まれ、ナイフの刃が零れる。
 ナイフの刃が食い込むたび木刀に細かな傷が刻印され、体重の乗った一撃を防ぐたびにナイフの刃は欠けて劣化していく。

 ナイフが木刀を削る。
 木刀がナイフを受ける。
 攻撃、防御、追撃、回避、排撃、跳躍。

 最前線の攻防は予測不可能な速さで展開する。
 技と技とがせめぎあいぶつかりあう。
 木刀を取り戻したサムライは今度こそ一切容赦なく徹底して暴君を追い詰めにかかる。
 緩むどころか苛烈さを増す猛攻に息が切れ、焦燥に顔が歪む。
 『Sit』
 後方への跳躍と同時に暴君が舌を打つ。
 形勢が徐徐に逆転していく。
 さっきまでとは根本的な何かが確実に違う。
 それは気迫。それは殺気。直接肌に当たる何か。
 なくすものがない人間は強いとさっき俺は言ったが、木刀を手に暴威に挑むサムライの姿がその間違いを証明する。 

 なくすもののない人間の方が強いなんて、嘘だ。
 守るものがある人間の方が強いにきまってる。
 そうじゃなきゃ誰が、こんなに必死こいて戦ったりする?
 みっともなく見苦しく、恥も外聞もかなぐり捨て、それでもひたすらにむしゃぶり喰らい付いたりする?

 サムライには守りたいものがある。
 鍵屋崎がいて俺がいる。
 東京プリズンの日常がある。

 守るべきもののために。
 サムライがサムライであるすべてを賭けても負けるわけにはいかない、絶対に。

 武士の情けが最前までの太刀筋を鈍らせていた。
 しかし今完全に迷いを吹っ切ったサムライは、上段からの切り返しでもって肩を打擲し、暴君が後退した機を逃さず切り払って懐を抉り、十八年間鍛え上げた剣技の総決算の殺陣を演じる。
 岩をも砕く怒涛の激しさで打ち下ろされたかとおもいきや、流水の滑らかさで円月を描き、切り口もすっぱりと鮮烈に闇を刳り貫く。
 猛然と薙ぎ払う。
 轟然と叩き伏せる。
 翻り翻し、貫いて舞い上げて。
 奥義に次ぐ奥義を繰り出し、一振りごとに洗練され神の領域に達する技は、万能の暴君すら圧倒する。
 
 見せられて、魅せられる。
 修羅の気迫迸る一挙手一投足を瞼に焼きつける。

 切れの鋭い太刀筋に乗じ念仏が流れる。
 『観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄』
 透徹した眼差しを虚空に据え、機敏に撓る四肢に殺気を漲らせ、心頭滅却の呪文を紡ぐ。
 サムライの十八番の般若心経。
 殺伐とした剣戟の音と陰にこもった読経が不思議な調和を編んで流れ、円弧を描いてなだらかにふくらむ天井と重厚な石壁に豊饒な余韻を残す。
 『新しい歌を主に向かって唄え。喜びの叫びとともに、巧みに弦をかき鳴らせ』
 サムライが無心に口走る念仏と聖書の祈りが交錯する。
 半眼に峻険な光が宿る。
 暴君が薄く笑う。
 音に乗じ、韻を踏み。
 強靭なバネを備えた四肢が躍動し、凱歌を吟じて戦意を煽り立てる。
 『その柳の木に私たちは竪琴を掛けた』
 ナイフが木刀を穿つ。
 『舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色』
 木刀がナイフを弾く。
 『それは私達を捕らえ移した者たちがそこで私達に歌を求め、私達を苦しめる者たちが興を求めてシオンの歌をひとつ唄えといったからだ』
 ナイフが鮮やかに翻り猛烈な斬撃をかいくぐるも、サムライの脛を削ぎ落とさんとした刃は紙一重で地を穿ちとどまる。
 『受・想・行・識亦復如是』
 『私たちがどうして異国の地にあって主の歌を唄えようか』
 異国の歌。
 奇妙な果実。
 ストレンジフルーツ。
 『舎利子。是諸法空相』
 『エルサレムよ。もしも私がお前を忘れたら、私の右手がその巧みさを忘れるように』
 『不生不滅、不垢不浄、不増不減』
 祈りと祈りがぶつかる。
 祈りが祈りに打ち克つ。
 単語の羅列に言霊が吹き込まれ、腕の一振り一薙ぎに応じて脈々と息衝きはじめる。
 暴君は笑っている。
 けれどもその笑みに最前までの余裕はなく虚勢が塗りこまれている。
 不安定かつ不均衡な笑顔。
 目の端が神経質に痙攣し、口の端が不機嫌に引き攣る。
 悪魔的で破滅的な笑顔からはしかし、サムライに対する軽侮の色が拭い去られ、一種の感嘆めいたものすら浮かび始めている。
 対等な実力をもつ敵を認めた時の笑み。
 自分に比する挑戦者を迎え、心底から好戦的な昂ぶりに浮かされた時の。
 「なんだよ、やればできんじゃねーか。さっきまでのはなんだったんだ。俺の愛撫で余裕失ってたのは油断誘う演技かよ」
 藁色の髪がかかる瞳が鋭く光る。
 今にも獲物の喉笛に食いつかんとする豹の目。

 ナイフが翻る。
 一条の光線が闇を刻む。
 暴君は身のまわりにあるものすべてを武器にする。
 ナイフが光り、切っ先が迫る。
 心臓を狙う。

 「サムライっ!!」
 叫ぶ、声をからして。
 喉を絞って。
 俺の声がびりびり鼓膜を打つ。
 迫り来る切っ先に微動せず目を据えたまま、サムライは静かに呟く。
 汗に塗れた前髪の奥、止水の双眸が透徹した信念を映す。
 「俺の心臓は、既に直に捧げている。お前には触れさせん」 
 声音静かに断言し、衣擦れの音さえたてず、すっと腕を伸ばす。
 「南無三」
 空を撫でるように掲げられた腕が、暴君の腕を掴み、懐に招じ入れる。
 心臓の真上でひたりと切っ先が止まる。
 サムライは暴君の腕を掴み、心臓の間際で止める。

 その右手は、巧みさを忘れる。

 「聞け、レイジ」
 『Who are you?』
 ナイフの切っ先は上着の胸に触れたまま接着されたように動かない。
 もう少し力を加えれば皮膚を破り胸を抉る。
 サムライの胸にナイフを突きつけたまま、膂力が拮抗し身動きとれぬ暴君が片眉を上げる。神経を逆なでする態度。
 サムライは苦渋に満ちた顔つきで押し黙る。
 手に力がこもる。
 こめかみを一筋汗が伝う。
 手首を締め上げられても皮肉な笑みはなお絶やさず、卑屈に喉を鳴らす。
 「さっさとその手をはなせよ。殺してから犯してやっから。それが望みなんだろ」
 「聞くんだ。こんな事をして何が楽しい。こんな事をして何になる」
 「しゃらくせえ繰言。反吐が出る」
 「本当に忘れてしまったのか?俺と組んで百人抜きに挑んだことも、殴りあったことも、全部忘れてしまったというのか」
 「そうだよ」
 「レイジ」
 「憎しみは消えたんだ」
 暴君の顔が奇妙に歪む。
 あえて分類するなら憫笑に一番近い表情。
 愛憎半ばする片割れを哀れみ悼むような、上辺は笑みを装いながらも苦悩を底に沈めた表情。
 「だからもう憎まなくていいんだよ、あいつを。消えちまったんだから永遠に」
 毒の滲んだ調子で吐き捨てる暴君の横顔が、暗がりに紛れ、救いがたい悲哀を帯びているように見えるのは気のせいだろうか。 
 救いがたい孤独と贖罪の十字架を背負って。
 レイジの身代わりにすべての苦しみを引き受けて。
 誰からも理解されず忌み嫌われて、レイジの奥底にずっとずっと封じられ続けてきた暴君の哀しみが、俺の孤独と共鳴する。
 凍てつく石室に立ち尽くし、サムライの胸にナイフを擬し、ひとりぼっちの暴君は仰け反りかえるようにして哄笑する。
 「今度こそ、俺は自由だ。憎しみから自由になったんだ。ざまーみろ、これが報いだ。今まで俺にばっか辛いことおっかぶせて知らんぷり決め込んで、自分ばっか美味しいとこどり決め込んできた当然の罰だよ」
 奇跡が絶えた石室のど真ん中に仁王立ち、孤高の暴君が叫ぶ。
 「あいつは自分の名前を嫌ってた。憎しみなんて名前いやだとさ。ないほうがマシだとさ。俺は名前さえもらえなかったってのに」
 今もって「暴君」としか呼ばれず、それ以外の名前を持たない男が、本来自分に与えられるはずの全てを奪い去った片割れを糾弾する。
 麦藁の髪に隠れた隻眼が波立つ。
 唇の端がふてぶてしくねじれ、自暴自棄の笑みを刻む。 
 憎悪の波動迸る野蛮な笑みを剥きだし、ナイフに映った顔に冷淡な一瞥をくれる。
 「マリアが犯された時もそうだ。俺はずっと、ずっとマリアが犯されるのを見てた。目の前でマリアがベッドに押さえ込まれるのを、獣じみた男どもに組み敷かれてよってたかって慰み者にされるのを、床に這い蹲って叫びながら見てたんだよ。代わりばんこに股ぐらにペニスぶち込まれるとこを。マリアに十字架をかけてもらうのは、ほんとは俺だったんだ。途中で俺の中に逃げ込んだ腰抜けじゃなく、最後まで何もできず見守り続けた俺へのご褒美だったんだよ」
 ナイフに写し取られたレイジによく似た別人の顔に、仮初の慈愛を託し微笑みかける。
 笑顔の下で暴君は泣いている。
 愛を乞うては裏切られ、その度に慟哭してきた。
 可哀想だ。
 「あの十字架は、俺がもらうはずだったんだよ」
 たったひとつ貰えたかもしれないものさえ貰えなくて
 それにいまだに拘り続けて
 おんなじところから動けなくなってるこいつが可哀想だ。
 「マリアが俺に、くれるはずだったんだよ。頑張ったご褒美に。逃げなかったご褒美に」   
 暴君が子供っぽく笑み崩れる。
 俺にはそれが、今にも泣き崩れそうに見える。
 「がんばったろ、俺」
 暴君は顔をくしゃくしゃにして笑う。
 その笑みが、俺を見る時のレイジと重なる。
 泣いてる俺に屈んで十字架をかけてくれたレイジに、キスをしてくれたレイジに、くしゃくしゃと頭をかきまわしてくれたレイジと面影がひとつに溶け合う。

 二人の境界線が曖昧になる。
 レイジと暴君が一人の人間になる。
 レイジの中に暴君が、暴君の中にレイジがいる。
 暴君の中にレイジを見出す。

 暴君は哀しくて苦しくて叫んでいる。
 報われなくてあがいている。
 ずっと愛してもらいたかった、名前がほしかった。
 マリアに、母親に、レイジに、存在を認めてほしかった。
 ここにいていいよと、
 お前が生まれてきたのは間違いじゃないよと言ってほしかった。

 レイジには俺が言ってやった。
 何度も何度もしつこいぐらい、そこれこそ耳タコなくらいに。

 暴君は?
 生まれてこのかた一度も、誰にも言ってもらえなかったのか?

 「………暴君………、」
 呼びかけが哀調を帯びる。
 同情をはねつけるように暴君が先手を打つ。
 「お前が救いたがってるダチはあくまでレイジであって俺じゃない。俺はレイジを抹殺しようとしてる悪者だろ。レイジの面の皮かぶったゲスな悪党だろ。悪しき偽者は滅び去る運命だってそう言いたいんだろ。ははっ、口に出さなくても目がそう言ってるぜ。レイジは笑顔がとびきり素敵なお前のダチで、下ネタもいかしてて、バスケも抜群に上手くて。人殺しだけがとりえの俺と違って、最高に明るく楽しいヤツだもんな。みんなあいつが好きになる、夢中になる。マリアも、マイケルも、お前も。キーストアも、ヨンイルも。サーシャだって。みんなみんな、あいつが大好きなんだ」

 深沈とたゆたう静寂の中、暴君の虚無なる声だけが連綿と流れる。

 『He is Rage.』

 サムライの胸の真ん中にナイフを当てた暴君が、もう片方の手でそっと眼帯にふれ、片割れがそこにいるかのように語りかける。

 長く優雅な睫毛が揺れる。
 高い鼻梁が繊細な翳りを含む。
 眼帯に覆われてない方の目が崇高な光を宿す。
 
 『Who am I?』
 
 眼帯に指をのせ、わずかに小首を傾げてみせる。

 『I‘m a Lonesome.I‘m a Loveless.』

 名無しの暴君が闇に腕をさしのべ愛を乞う。
 狂おしい渇望に苛まれた表情が胸に迫る。

 愛の反対は無関心だ。 
 無関心は、憎しみよりなおむごい。
 長く優雅な睫毛の下、残る隻眼に隠しきれない悲哀を覗かせた暴君の下へ、自然に足が向かう。
 ポケットの中、じっとり汗ばむ手で十字架を握りこむ。
 つま先で足場をさぐる。
 暴君に警戒されぬよう息を殺し一歩ずつ慎重に進む。
 掌に十字架が食い込む。
 熱を持ったように手が疼く。
 石室のど真ん中、緊迫した沈黙に包まれて暴君とサムライが対峙する。
 サムライは暴君を凝視する。
 その目からは最前までの殺気が綺麗に拭い去られ、どこまでも深い哀しみの色だけがある。
 沈痛な面差しのサムライと狂気に冒された暴君のもとへ、疲労で鈍った足をひきずり歩み寄る。
 息を殺し、物音を立てず、細心の注意を払い暴君の背後に歩み寄る。
 孤独の烙印が焼き付いた背中に胸が痛む。
 シャツ越しに薄く火傷の十字架が透けて見える。
 ゆっくりとポケットから手を抜く。
 心臓が壊れそうに速鳴る。
 掌の十字架に切実な祈りと願いをこめる。
 レイジと過ごした日々の楽しい事苦しい事辛い事、食堂での馬鹿騒ぎ、房でのじゃれあい、図書室での与太話。
 そういった全部をひとつひとつ思い返し十字架に注ぎ込む。
 体温が十字架に移り、じんわり熱を持つ。
 神様を信じない俺でも、十字架を持っているだけで励まされる。
 この十字架は、今の俺の拠り所だ。
 信仰を持たない俺が縋れるのはレイジとの思い出で、思い出の中のレイジは必ず十字架をぶらさげていて、折にふれキスをして、だからこれは遠く隔てられた俺たちを繋ぐものだ。

 手の中にレイジがいる。
 十字架が熱く脈打つ。

 『しぶてえやつだな、ほんと……さすが俺だ、簡単に喰われちゃくれねーってか』

 頭を押さえ暴君がしぶとく笑う。

 『また裏切るつもりか。俺を無視して王様に呼びかけるつもりかよ。いいぜ、呼びかけてみろよ。レイジレイジってしつこく名前を呼んでみな。もっともさっきから何度呼びかけたところで反応ねーってこたそろそろ暗闇に呑まれて消えちまったんじゃねーかな。まあ試すだけならたタダだ、神様に祈りゃあ利くかもしれないぜ。なんたって俺は生まれつきの悪魔だからな、アーメンて十字切って暗闇追っ払ってみな』

 みずからを悪魔と称する男が挑発する。
 今ならわかる。
 目の前の男は、それしか名乗る名前を思い付けなかった。
 誰もそれ以外の名前をくれなかったから。

 『さあ、俺に縋り付いて懇願しろ。どうかあいつを返してくださいって、あいつがいなきゃ生きてけねーって涙と鼻水ながして哀れっぽく訴えてみろよ。好きなんだろ?愛してるんだろ?じゃあ俺を殺せよ、俺を殺してあいつを取り戻せよ。あいつを取り返すには俺を殺すっきゃねーってお前もわかってんだろ?頭をガツンやりゃ案外復活するかもしれないぜ、肉体も一緒に死んじまったら傑作だけど』

 暴君の背中が眼前に迫る。
 シャツ越しに透ける火傷が艶かしい。
 指の隙間からしゃらりと鎖が流れ落ちる。

 そして、俺は。
 スニーカーで爪先立ち、暴君の首に後ろから十字架をかける。 

 「………暴君」

 暴君は振り向かない。
 自分が何をされたか理解できず、前を向いたまま硬直している。
 硬直した暴君の背から身を放し、背中と向き合う。

 「今までずっとレイジを守ってくれて謝謝。お前がいてくれてよかった。レイジとマリアに代わって礼を言う。百万回礼を言う」

 おそるおそる手を伸ばし、シャツ越しの背中に触れる。
 背中に手をおき、十字架の火傷をさする。
 上から下へ丁寧に、何回も手を滑らせる。

 『謝謝。謝謝。辛苦了』

 罪人の烙印じみた火傷の痕を労り、コツンと額を預けて項垂れる。

 「辛かったな。苦しかったな。頑張ってくれて、ありがとうな。その十字架はお前に返す。お前が持ってるのが一番いいもんだから」

 こいつがいなきゃレイジもいなかった。
 俺にはこいつを憎めない。

 シャツの背中に顔を埋め、ひなたの藁床の匂いを吸い込む。
 熱い吐息がシャツを湿らす。

 「ほら」

 ポケットに手を突っ込みくしゃくしゃの銀紙をとりだす。
 鳳梨酥を包んでいた銀紙。
 華奢な金鎖を引っ張り十字架をこっちに持ってくる。
 道端に捨てずポケットん中に突っ込んでおいた、ほのかに甘い匂いが染みついたそれを、暴君がぶらさげた十字架に苦労して巻き付ける。
 半ばこちらを向きかけ硬直した暴君は、俺の手に十字架を預けたままで、俺は不器用なりに一生懸命、拙いのは先刻承知でめっきが剥げた十字架をこねくりまわし何重にも銀紙を巻き補強する。
 表面の傷が銀紙に覆われ見えなくなる。
 あちこち傷んだ十字架にちぐはぐに銀紙を巻き、何とか形を整え見栄えをよくしようと努める。

 お前を抱きしめるのに足りない腕も、十字架には届く。

 へこみが目立たないよう均し。
 ひしゃげた先端は特に念入りに包んで補修し。

 ようやく出来上がったのは、金と銀の継ぎはぎの安っぽい十字架。
 決して相容れない二つの色が交わった、
 笑っちまうくらい陳腐でお粗末な、
 手作りの十字架。
 ただひたすらに安っぽくて、みすぼらしくて。
 ところどころ汗で撓みくしゃくしゃに波打ち、試行錯誤の痕跡が窺える銀十字から手を引っ込める。

 今の俺にできる限界の。
 俺がしてやれる限界の。

 十八年間報われなかった名無しの相棒への、精一杯の贈り物。

 泣きたいような笑いたいような、腹の底から込み上げる感情を必死に堪え、心の底からの本音を告げる。

 『我認識你眞好』
 お前に会えてよかった。

 銀と金の継ぎはぎの十字架をぶら下げた暴君がこっちを振り向き、何か言いたげに口を開くー……

 凄まじい轟音に衝撃が続き、天井が瓦解したのはその瞬間だった。

少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050203224547 | 編集
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