ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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三十九話

 崩壊に瀕した伽藍に玲瓏と声が透る。
 『私はしびれ、砕き尽くされ、心の乱れのためにうめいています』
 心の在り処を示すように胸に手をあてる。
 崇敬の念すら感じさせる神聖な表情が目を奪う。
 甘く掠れた独特の響きをもつ声は、石造りの壁となだらかな円弧を描いてふくらむ天井とに増幅され殷々と響き渡る。
 前髪の隙間からちらつく隻眼は透徹した虚無を湛えている。
 聞く者の胸を打つ救済を乞う祈り。
 酩酊の境地で聖句を吟じる暴君の姿は、朽ちかけた伽藍を滅んだ聖堂に仕立て上げる。
 四囲には放射線状に通路が伸びている。
 俺と道了がひょっこり転がり出たここは、どうやら複数の通路が合流する交差点らしい。
 全方位に伸びた通路の奥にはいずれも闇がたれこめ見通しが利かない。
 暴君とサムライがどの道からやってきたのか判じかねる。あるいはそれぞれ違う道からやってきてここで偶然合流したのか?
 その可能性は低い。
 下水道は広い、俺のお粗末な頭じゃ把握できないほどに。
 道は紆余曲折こんがらがってる。どの道がどこに通じてるかさっぱり分からず文字通り暗中模索で進むっきゃない。おかげで俺と道了はぐるぐる余計な回り道をするはめになった。
 脇道からぽいと放り出されてみて初めてわかったが、結局のところ俺達は一日かけてこの周辺を堂々巡りをしてたらしい。
 途中何回か見覚えある壁の染みやネズミの死骸にぶち当たったからおかしいと思った。どうりで既視感が強く付き纏ったわけだ。
 こんなだだっ広い場所で別々の道を歩んできた人間がはちあわせするのは考えにくい。
 結論、暴君とサムライは一緒だった。
 暴君がおびきだしたかサムライが引っ張ってきたのかはわからない、けれども今ここに二人がいるのが偶然であるはずない。
 下水道は桁外れに広い。
 だだっ広い下水道を徘徊して精も根も尽き果てた頃にやってきた俺からすりゃ、たいして歩き回った様子もないのに当たり前みたくツラ突き合わせてる二人のが奇異に映る。
 二人はどうだか知らないが、俺がここに導かれたのは神様の思し召しの類の偶然だった。
 道了をおぶさって下水道を歩いてたらかすかな物音が聞こえた。
 最初は空耳を疑った。
 再び物音がした。
 現実だった。
 石造りの下水道では音がよく反響する。
 聴覚を研ぎ澄まし神経を張り巡らせ脇道に分け入る。
 壁に手をつき体を支え、ぴんと耳をそばたて異質な物音を拾い上げ、熟慮のすえに進むべき方向を決めた。
 場違いな物音だった。
 天井から雫が滴り落ちる音でもネズミが悪さする音でもない。
 その音はある時は甲高く爆ぜ、ある時は重く鈍く響き、暗闇で方向感覚を喪失しかけた俺の鼓膜に大気を介した波紋を伝えて誘った。
 固いものと固いものがぶつかる音。
 まるで誰かが戦っているような。
 理屈を超えた直感。
 行き着く先にあいつがいる。
 この音がレイジに辿り着く手がかりだったらどんなにいいだろうと俺は願い、願望を確信にすり替え自明の理に照らし、疲労に縺れる足で水溜りを蹴散らし進んだ。
 不審な金属音の正体を確かめる前から、俺はある種の直感に突き動かされ、頑迷な確信を胸に秘め、複雑に入り組んだ隘路を壁沿いに曲がりくねって進んだ。
 音が俺を導いた。
 目に見えない不思議な力が俺をとらえて放さなかった。
 いつかの鼻歌のように数々の障害をこえ俺のもとまで届いたそれは、レイジのSОSに聞こえた。
 単に聴覚が過敏になってたからごくかすかな物音を拾えたのかもしれない。
 闇に奪われた視覚を補おうと他の感覚が敏感になり、触覚や嗅覚が及ばない範囲、遠方の危険を察知することにかけては聴覚に頼りきっていたからたまたま物音に気付いたのかもしれない。
 行き倒れ寸前の俺に気まぐれな神様が投げ与えたツキ。
 このところの俺があんまり不幸続きなもんで死ぬ前に帳尻合わせをしたくなったのだろう。
 レイジが俺を呼んでると思ったらいてもたってもいられなくなった。
 足が突っ張るくらいなんだ、節々が痛むくらいなんだ、目が霞むくらいなんだ。
 腹の底から沸々と何かが湧いてきた。
 俺はしゃにむに歩いた。
 半ば壁にもたれるようにして、半ば道了の体重に押し潰され息も絶え絶えになりながら、こんなとこで挫けてたまるかよと意固地に念じ、萎えかけた足と気力を叱咤し、大気を震わせ肌にあたる音の方向をめざした。
 息を吸うたび肺が鳴る。
 噛み締めた歯の間から喘鳴まじりの吐息が漏れる。
 体力の限界だった。
 一日中歩き通しで体力は既に底を尽いていた。
 もちつもたれつどころか、自分の肩までの背しかねえ俺にずっしり凭れ歩く道了という重荷がさらに疲労を上乗せした。
 永遠に出口に辿り着けないかもという暗澹たる疑惑が、漠然たる不安を伴い胸を蝕む。
 俺はこの真っ暗な隘路で行き倒れて誰にも発見されず干からびて死んでゆく運命かもしれない。
 気力を剥ぎ取る諦念を追い払うのは大変だった。
 冗談じゃねえ、こんな所で死ぬのはごめんだ。死ぬなら地上に帰ってからだ。
 今ここで死んだら俺は何もできないまま、お袋と梅花の仇もとれずレイジも救えずじまいじゃねーか。そんな情けねえ死に様許さない、絶対に。俺自身が納得しねえ。道了と行き倒れ心中だけはごめんだ。俺は絶対に生きてここを出る。この下水道を、東京プリズンを。もっかいお天道様を拝むんだ。下水道で死んで黴だらけのミイラになるのはごめんだ、すねかじりのネズミどもにかりこりされるのはまっぴらだ。

 レイジが俺を呼んでる。
 手のかかる相棒が来てくれと叫んでる。
 諦めるもんか。
 もう一度レイジに会いたい。会って話したい。
 無事なツラ見て安心したい下手な鼻歌聴いて笑いたい手を握ってぬくもりを確かめたい。
 俺はまだあいつの相棒であることをやめてない。
 いくらあいつがもういいよって言ったって俺がうんと言わねえ。
 あいつが見捨てても俺が見限らなけりゃ絆は絶たれない、でっかく用なしの烙印おされてもしつこく付き纏ってやる。
 レイジの尻拭いは俺の仕事だ。あいつのケツを拭ってやるのも相棒の務めだ。他のだれにも渡したりするもんか、相棒を自認する俺以外のだれにもレイジのくそったれたケツ拭く資格を売り渡したりするもんか。

 願いは叶った。
 俺は一日ぶりに相棒と再会した。

 相棒は変わり果てていた。
 麦藁の髪の隙間から覗く隻眼は、荒みきった光を放ちぎらぎらと輝いている。
 暴君が気だるく首を振るのに合わせ前髪が流れ、眇めた隻眼が残光曳く。
 暴君は無傷に近い状態だった。
 四肢に軽いかすり傷と服の汚れが見られる程度で聖書を諳んじる余裕もあるくらいだ。
 どっこいサムライはそうはいかない。
 大胆不敵なまでに余裕を漂わせる暴君とは対照的に全身至る所が汚れ、打撲と裂傷を負っている。
 汗ひとつかいてない暴君に対しサムライは疲労困憊。
 辛うじて木刀を正眼に構えるも、汗に濡れそぼつ髪の隙間から覗く双眸は、心身ともに追い込まれた事を物語る鬼気迫る光を宿している。
 ここまで追い込まれたサムライは見たことねえ。
 サムライときたらいつだって無口無愛想で、俺とレイジが箸でつつきあってるのをスカしたツラして眺めてやがるのに今日はまったくその余裕がない。
 脇道からひょっこり出てきた俺と道了なんかまったくもって意に介さず、全身に抑えた気迫を漲らせ、正面の暴君をねめつけている。
 不用意に近付いたら凍傷をおいそうだ。
 「いい加減降参しろよ。四肢をばらばらに切り離されたいのかよ」
 暴君が舌なめずりせんばかりに挑発する。
 「降参するわけにはいかん。勝って帰ると直に約束した」
 「そのキーストアは今頃ホセのマグナムで粉みじんにされてる頃だ」
 暴君が甲高い声で嘲弄しサムライの顔が苦渋に歪む。
 木刀を隙なく構え間合いをとりつつあるサムライに、暴君は追い討ちをかける。
 「本当にここにいていいのか、お前」
 「どういう意味だ」
 サムライが胡乱に目を細める。
 暴君は見透かしたように含み笑う。
 「いるべき場所間違ってんじゃねーかって意味だよ」
 痛いところをつかれたようにサムライが押し黙る。
 苦悩の色濃く唇を噛み面伏せるサムライに対し暴君は悠揚と距離を詰める。
 狩りに赴く豹のようにしなやかな姿態は容赦なき獰猛さをも孕む。
 サムライは微動だにしない。
 その場に根が生えたように静止、一寸もブレず木刀を構えている。
 凄まじい集中力。
 瞬きすらせず暴君の動きを追い、一挙手一投足を監視し、周囲に神経を張り巡らせ死角からの攻撃に備える。
 指先がちりっとこげる。
 空気が帯電したような緊迫を孕む。
 うなじの産毛が燻る感覚が危地に臨み警戒を促す。
 道了を抱いたまま固唾を呑み二人を忙しく見比べる。
 俺の預かり知らない事情で対決してる二人に口出しも手出しもできないまま、傍観者に徹する無為な時間が過ぎる。
 透徹した闘志がちらつく苛烈な眼光と、いっそ無関心といっていいほど冷めた眼差しがぶつかる。
 「キーストアについてなくていいのか、お前。本当に俺を選んでよかったのかよ、やせがまんしちゃってさあ。本音じゃキーストアの事で頭が一杯なくせにかっこつけて、ダチを救うためとか口実作って、俺にぐちゃぐちゃのどろどろに犯されたキーストアひとりぼっち置き去りにして……あーあ、可哀想に。薄情なダチの背中見送ってどう思っただろうなキーストアは。裏切られたって思ったんじゃねーか?見捨てられたって思ったんじゃねーか?お前鬼畜だな、サムライ。今のキーストアが一番必要にしてるのが誰なのかちゃんとわかっていながら捨てておいていったんだろ。闇の底に封じ込められた友人を取り返す為ならどろどろにザーメンぶっかけられた相棒がどうなろうが知ったこっちゃないってか?」
 「な、………」
 勝ち誇った哄笑を上げる暴君に言葉を失う。
 耳に入った言葉を理解するのを脳が拒否する。
 誰が誰を犯してザーメンぶっかけたって?
 衝撃を受け、慄然と立ち竦む。
 脳裏で思考が空転する。
 暴君が、鍵屋崎を、犯した。
 嘘だろ。
 縋るように暴君を見る。
 たった今発した言葉を否定してほしくて、タチの悪い冗談だって笑い飛ばしてほしくて、憑かれたように物狂おしく見詰める。
 心臓の鼓動が速鳴る。ばくばくと弁が開閉し血の巡りが加速する。
 空気の塊が喉につかえる。
 違和感が喉を塞ぐ。
 暴君が鍵屋崎を犯した。そうか、だからサムライはあんなに怒ってるのか。
 でも何で?
 何で俺のダチが俺のダチを犯したりなんかしたんだ、うそだレイジがそんな事するはずないレイジがキーストアを犯るわけない、ふざけてからかうことはあっても本気で犯っちまうてそんなまさかありえねーよ、二人はダチで俺たち四人は仲間でレイジも鍵屋崎も俺にとっちゃ大事な存在で……  
 「マジ、かよ」
 表情筋が不規則に痙攣し、泣き笑いに似たふうに顔が歪む。 
 笑顔の基本的な作り方を忘れちまったように表情筋の動きがぎこちない。
 皮膚の突っ張りと筋肉の強張りに違和感を感じる。
 暴君がつまんなそうにこっちを見る。
 声を聞いて、初めてそこに俺がいることに気付いたみたいだ。
 関心を払わぬ一瞥に胸が疼く。
 俺が知ってるレイジじゃない、うりふたつの別人の目。
 レイジはもう俺をまともに見ちゃくれない、まともに目を合わせてもくれない。
 手のかかる相棒として、意地っ張りな同房者として、弱っちいくせに口ばっか達者な弟分として、「仕方ねえなあ」というふうなあの苦笑まじりのあったかい目を注いじゃくれないのだ。
 疼痛が胸を苛む。
 深く息を吸い、吐き、それを二回ばかり繰り返し漸く暴君に向き合う。
 ありったけの勇気を奮い起こし、引け腰を奮い立て、射抜くような眼差しで睨み据える。
 「鍵屋崎を犯ったって、それ本当かよ」
 「…………」
 「答えろよ」
 暴君は答えない。
 意味深な沈黙を飼い馴らしちらちらこっちを眺めてやがる。
 胸糞悪ぃツラ。人の不幸を糖蜜のように舐めて陶然とする。
 体の脇で拳を握り込みぶっとばしたい衝動を辛うじて堪える。

 暴君が鍵屋崎を犯したのが真実なら?
 まさか。真実なわけない。

 サムライを挑発するための嘘だ、口からでまかせだ。

 本当にそうか?

 自問は煩悶を呼ぶ。
 暴君はイカレてる。
 躊躇せず容赦なく逆らうやつには暴力をふるう。
 瞼にはサーシャの末路が鮮烈に焼き付いてる。
 暴君がサーシャにした事は決して忘れちゃない。
 けれども、いくらイカれた暴君だって鍵屋崎にんな酷いまねするわけない。
 鍵屋崎は俺のダチだ。
 俺達のダチだ。
 身も心もぼろぼろになりながら一緒に地獄を乗り越えたかけがえのない仲間だ。
 くさいこと言ってる自覚はあるけど、掛け値なしの本音を撤回したりするもんか。
 体の脇でしっかり拳を握り込み、せめて気持ちだけでも張り合おうと傲然と顎を引く。
 怖気付いてないと証明しようといきりたち、少しでも自分をでっかく見せようと足腰を踏ん張り、力む。

 まけるもんか。
 わけもわからねえうちに屈服するもんか。

 本当は、怖い。
 認めるのは癪だが、怖い。
 怖くて怖くて今にもちびっちまいそうだ。
 暴君と張り合うには色んなもんが足りないとわかってる、度量とかオーラとかそういった目に見えずびんびん肌で感じる類の物が今の俺には絶対的に不足してる。
 だからって、暴君をほったからしてケツまくる気は毛頭ない。
 今ここで俺が見放したら、こいつは本当にひとりぼっちになっちまう。
 それだけはやっちゃ駄目だ。
 またこいつに背中を向けて拒絶して、そうしたらこいつは本当にひとりぼっちになっちまう。暴君の中に残ってるレイジの欠片まで完全に消滅しちまう。

 断固として顔を上げ、クソ度胸を張る。
 二本の足で踏ん張り、今にも腰砕けに座り込みそうな頼りねえ体を支える。

 闇がじわじわと這い寄ってくる。
 気管に貼り付いて呼吸ができなくなりそうな、べっとり濃厚な闇。
 怪物の息吹を感じる邪悪な闇。
 空間に介在する悪意をはっきり認識する。
 艶消しされた暗黒があたりを覆うも、もとより闇に生を受けた暴君は母なる故郷に帰ってきたかのようにリラックスしてる。
 優雅な所作であたりを見回し闇を呼吸する暴君を見据え、精一杯凄みを持たせて口を開く。

 「なんでだよ」

 腑から搾り出した声は、ひどく掠れていた。
 俺の声じゃないみたいだ。
 サムライがこっちを見る。
 肩に担いだままの道了がじっと横顔を見る。
 二人はあえて無視し、暴君だけを挑むように見据えて一気にぶちまける。

 「なんでだよ。鍵屋崎は、ダチだろ。俺たちのダチだろ。たしかに理屈ばっかこねるスカしたやつで苦労知らずの日本人で最高にむかつくけど、あいつに低脳呼ばわりされたら最高に腹立つしあのスカした眼鏡砕いちまいてえっておもうけど、でも、ダチだろ?仲間だろ?一緒にさんざ地獄を見てきたじゃねえか、修羅場をのりこえてきたじゃねーか。忘れたとは言わせねーぞ、お前だってさんざ鍵屋崎に助けられてるだろが。図書室じゃ漫画読んでる鍵屋崎にしつこくちょっかいかけてキレられたし、お前がまじめに謝らず笑ってごまかすもんだから鍵屋崎のヤツますます頭にきて、図書室立ち入り禁止令出されかけたこと忘れちまったのかよ?毎日食堂で飯食ったろ、馬鹿話で盛り上がったろ。鍵屋崎の方にまで飯粒とばして怒鳴られて、飯時にもかかわらずお前が下ネタとばすもんだからあぶらぎったゴキブリでも見るような目えされて、それでもお前は性懲りなく……」
 「だれの話してんだ?」

 ひややかにはねつけられ、目を剥く。
 暴君は耳をほじり欠伸をする。至ってのんきなものだ。

 「鍵屋崎と仲良かったって、そりゃ誰だ。あいつが漫画読んでるの邪魔して顰蹙買ったのは誰だ、飯時に下ネタとばして不興を買った馬鹿は誰だよ、今ここに連れて来いよ。無理だよな、もういないんだから。消されちまったんだから。他でもねえこの俺に」
 「お前……」
 言葉が喉につかえる。
 ふやけた足裏にひたひたと絶望が染みる。
 ポケットに手を突っ込んだ暴君は、鼻歌でも唄わんばかりに上機嫌に嘯く。
 「キーストアはよかったぜ。抱き心地上々だった。さっすが売春班上がりだけあって高度なテク仕込まれてたよ。勘違いすんな、あっちが抱いてくれって泣いて縋り付いて来たから抱いてやったまでだ。俺は別にどうでもよかったんだ。けど、体の火照りをもてあまして泣き付いてきたダチをむげに突き放すのも可哀想だろ?だからさ、特別に相手してやったんだ。元ダチのよしみでな。別に男にゃ不都合してなかった。滅多に手に入らねえ銀髪の獲物も転がってたし」
 鍵屋崎を犯した事実を暴露しながら、暴君の様子はどこまでも陽気で、声は楽しげな抑揚を持つ。 
 罪悪感のかけらも窺わせぬ口ぶりはいっそ潔い。
 表情は晴れ晴れしてる。
 爽快と評していい。
 善悪も倫理も良心の呵責も全部まとめてうっちゃって、欲望に忠実な本性を曝け出した暴君に圧倒される。
 暴君が鍵屋崎を犯った。
 その事実が脳裏に浸透してくにつれ、今まで俺が信じてきたものが足元からガラガラ崩れていくのを感じる。
 拠って立つ地面の底が抜けたようなとほうもない虚脱感が襲う。
 その虚脱感が絶望という名だと、その時の俺は理解しない。
 「なんだよ、物欲しげな顔しやがって」
 声に促され、鈍重に顔を上げる。
 体の脇で握り込んだ拳はいつのまにか弛み、ほどけ、だらりと垂れ下がっている。振り下ろす先を見失ったように。
 体の脇に手を垂らし、虚脱しきって暴君を仰ぐ。
 視線だけ上げて表情をうかがう俺に対し、暴君は悪戯っぽくほくそ笑む。
 香ばしい匂いがする麦藁の髪の下、黒革の眼帯に守られてない方、残る隻眼が誘惑の光をはなつ。
 「一緒に抱いてほしかったのか?」
 「この野郎………っ」
 口をついてでたのは驚くほど陳腐な台詞。こんな時じゃなかったら自分でも笑っちまうくらいお約束の罵り文句。

 馬鹿だ、俺。
 こんな時だってのに、こんな言葉しか思い付かないなんて。

 鍵屋崎に馬鹿にされてもしかたない、低脳呼ばわりされてもしかたない。
 ただでさえ語彙に乏しい俺は、怒りのあまり頭に血が上って、感情が暴走して、顔や手足が勝手にひくひく引き攣って、喉まで痙攣するせいで声はみっともなく掠れて、震えて。
 頭に血が上って、冷静に物事考えられず、無理で、めちゃくちゃで。
 こんな時だってのに、言わなきゃいけない言葉が喉にひっかかって出てこない。
 怒りのあまり呼吸を忘れる。呼吸ってどうやるんだっけ?いつも当たり前にやってたことができなくなる、自覚した途端にむずかしくなる。
 声が、出てこねえ。
 罵詈雑言浴びせたいのに、それができねえ。

 ただ悔しくて。
 哀しくて。

 暴君が鍵屋崎に手を出した事が、めちゃくちゃ理不尽で、やりきれなくて。
 「ふざ、けんな………いくら鍵屋崎がいいって言っても、お前がそんなことすんの、ちがうだろ……鍵屋崎はダチで……お前も、ダチで。なんでそんな事するんだよ。巻き込むんだよ。俺がお前の事好きなの知ってるくせに、お前が好きで好きでたまんなくって、死ぬほど好きってこういうこと言うのかなってお前の笑顔とか寝顔とか見るたび一人で苦しくなってんのに。離れ離れになってからはお前がそばにいた頃のこと思い出して、息もできねーくらい苦しい思いしてんのに、肝心のお前はっ…………」
 名ふしがたい衝動に駆り立てられ、足音荒く暴君に詰め寄る。
 脳裏でさまざまな思念が荒れ狂う。
 鍵屋崎のツラが浮かび、胸を締め付ける。
 道了の腕が肩から滑り落ちるのがわかったが、そのまま捨て置く。
 床に膝を折った道了は見もせず、震える拳を握り込み、いつでも殴りかかる準備を整え暴君に迫る。
 灼熱が身を焼く。
 マグマのような感情が腹腔と脳天を貫き噴き上げる。
 血の巡りが速くなる。
 全身の血が沸騰せんばかりに滾っているのがわかる。
 目の前に暴君がいる、レイジの顔をしたちがう男がいる。
 その事実が、現実が、どうしようもなく俺を打ちのめす。
 どうあがいても覆せない現実に押し潰される。
 鍵屋崎を犯した相手に対し猛烈な怒りを抱くと同時に、裏切られた衝撃に竦み、底なしの絶望に呑まれて消えそうな自分を否定できない。

 俺が消える。
 跡形もなく消えちまう。
 ああ。
 レイジもこんな気持ちだったのか。
 闇に食われるって、こんな感じなのか。

 「うぜーガキ。房に帰って自慰でもしてろ」
 露骨に鼻白み、手を振って俺を追い立てる。
 闇が意識を蝕む。視野が狭窄する。それでも俺は歩みとめない。立ち止まれば闇に捕まり手遅れになる。
 少しでも歩調をおとせば四肢に纏わり付く闇が何重にも塗り重ねられいよいよ剥がれなくなる。
 レイジはいつもこんな恐怖と戦ってたのか。
 だれにも何も言わず心配かけず、気丈に笑って虚勢を張って。俺にも打ち明けず。
 弱みを晒すのをかっこ悪いと嫌って、自嘲して。
 いよいよ後戻りできなくなる瀬戸際までかっこ付け通しで。
 巻き込みたくないから遠ざけて、なんでもないふりをして。平気なツラして、笑って。

 闇が気道を塞ぐ。
 体内で闇の水位が上がる。
 行く手を薙ぎ払い、体を前に押し出し、得体の知れない何かに溺れかけながら泳ぐ。
 かつてレイジがいた孤独の闇を、かつてレイジがそうしたようにたった一人で泳ぎきろうと試みる。 

 無理だった。
 決意はあっというまに崩壊した。

 レイジをかつて襲い俺を今蝕む闇はあまりに深く濃く、第二の皮膚として冷え冷えと存在全体を覆い、とても一人で泳ぎきる自信がない。

 レイジはこんなところにいたのか。
 こんなところにいるのか。
 こんな寒くて真っ暗で、からっぽの場所にいるのか。
 かつてレイジが閉じ込められた闇の姿をそこに見る。
 この闇はあの闇と繋がってる。
 ガキの頃のレイジが膝抱えて蹲ってる糞尿垂れ流しのあの闇と底の方で繋がってるんだ、きっと。

 ほら、鼻歌が聞こえる。
 レイジの音痴な鼻歌が、甘く掠れたストレンジ・フルーツが。
 ストレンジ・フルーツはレイジの十八番だ。この音を辿っていけばきっとレイジに出会えると幻想に縋る。

 真っ暗闇を歩き通せばあいつに会える。
 出口で待っててくれる。
 弛緩した足取りでふらふら歩く俺を、横手から鋭く制す声。

 「下がっていろ」
 「え?」
 脳天から間抜けな声を発した俺の肩が突然強い力で引かれ、乱暴に倒される。
 入れ替わりに走り出す長身痩躯の影……サムライ。
 後ろに転んだ俺は見向きもせず、飛燕の如き敏捷な身ごなしで肉薄するや木刀を一閃振り下ろす。
 体重を乗せた強烈な打ち込み。
 まともに受けたら骨がへし折れる。
 「不意打ちたあ卑怯だな。天下のサムライも嫉妬に狂えばただの人ってか」
 飄々と声がする。微塵もダメージを受けてない様子で暴君が顔を出す。
 サムライが勢い振り下ろした木刀は目標をかすめ地を穿ち、軌道上から間一髪脱した暴君は、熟練の奇術師じみた手つきで長袖の内側に仕込んだナイフをとりだす。
 木刀対ナイフ、普通に考えりゃこれで互角だ。
 木刀と素手じゃいかにも分が悪い。
 だがしかし、暴君には物理的な常識が通用しない。
 暴君は身の回りにあるものすべてを武器にして戦う。
 本来の用途で使うなら何ら害のないもの、たとえば栓抜きも缶切りもひとたびヤツの手にかかれば軽視しかねる殺傷力を備えた凶器に早変わりする。 
 手ごたえなく地を穿った木刀を素早く構え直し、苦りきったサムライが吐き捨てる。
 「……休むと言った覚えはない、お前が勝手に中断して話を始めたのだ。気まぐれに付き合うつもりはない」
 「疲れてたから休ませてやったんだよ。弱ったお前で遊んでもつまんねーからな」
 「情けは無用だ。俺は疲れとらん」
 頑として否定するサムライに猫科の姿態ですりより、吐息が絡む距離で悩ましく笑う。
 キスを迫る仕草で顔を近付け、不敵に挑発。
 「その割にゃ息が荒いぜ。今もほら、ぜいはあ言ってる。あんま顔近付けんなよ、ヒゲがあたって痛いじゃねーか」
 暴君の顔に浮かぶ酷薄な笑みを、劣勢に回りつつあるサムライは歯痒げに睨み付ける。
 栓抜きや缶切りでさえ恐るべき凶器に変える暴君が、近接戦闘に特化したナイフを手にしたら?

 その実力は、遺憾なく発揮される。
 それどころか、相乗効果で何十倍にも膨れ上がる。

 腐るほどレイジの戦いぶりに接し磨いた経験則が、残酷なまでに明解に勝負の行方を告げる。
 サムライは強い、それは事実だ。
 だがそれはサムライ単体の話、レイジと比較したら数段引けをとる。
 レイジは身の回りにあるものすべてを武器に変える戦闘の天才、対するサムライは剣の達人。
 木刀をもってして立ち向かうサムライなど、身の回りにあるものすべてを臨機応変武器に変える才能の持ち主にはとるにたらない相手だ。
 刀に頼らねば真価を発揮できない剣の達人がえてして戦闘の達人と限らぬように、生まれながらの暗殺者として育成されあらゆる禁じ手が無効なレイジ相手では、愚直なまでに剣術に拘るサムライの方が圧倒的に不利。
 両者の間に横たわるのは絶対的で致命的な実力差、信念の相違。
 勝つためなら手段を選ばぬ暴君と、武士の誇りを重んじ刀に賭して戦う侍とでは、勝敗は非を見るより明らか。

 なくすものがない人間の方が強いのは道理。
 剣に縛られ勝つための方法を狭量に選んでいる限り、サムライは勝てない。
 武士たる己にこだわり続ける侍の意志が、無意識に敗因を作る。

 暴君はナイフを手にし、殺戮に狂喜する笑みを浮かべ戦意を高揚させる。
 「さっくりいってやろうか。男前が上がるぜ」
 死刑宣告を放つとともに地を蹴り肉薄、獰悪な形状のサバイバルナイフを鋭い呼気吐き振り下ろす。
 サムライは間一髪先制攻撃を避けるも、後退した拍子に脇が空き、死角を作る。
 気付いた時は遅かった。
 失態を返上する間も与えられず続けざまにナイフが飛来、縦横無尽に残光曳き、銀弧描く鋭利な残像を紆余曲折と交錯させ闇を薙ぎ払う。
 サムライは猛禽の眼光でナイフの軌道を読み、完璧に把握した上で機敏に逃れる。
 ナイフの軌道上から僅かに身をそらしかわし、体力の消耗を最低限に抑え、最小限の動きによって凶器を回避する。
 鍛え上げた動体視力が鋭利に閃き翻るナイフの軌道を捉える。
 暴君は猛然とナイフを振るう。
 相手が弱みを見せたら即座に付け込みとどめをさそうと、ある時は脇を絞め直線でナイフを突き込み、ある時は右足を軸に猛然と反転し頭上を襲う。
 サムライは臨機応変、ナイフの軌道に応じ木刀を掲げ、寝かせ、甲高く硬質な音たて刃を弾く。
 眉間に水平に翳した木刀でもってナイフを食い止めるや腹腔に力をため押し返し、己の脇腹を狙い来たナイフは峰で受け流し、徹底抗戦を試みる。

 サムライの敗色は濃厚だ。

 俺がここに来た時点で既にぼろぼろの状態だったが、今はもっと顔色が悪い。息が切れて苦しげだ。
 木刀を持って立ち回るサムライは必然動きを制限される。
 自重に加え、木刀の重みも操作する必要に迫られる。
 暴君は一切物理的な拘束を受けず存分にナイフをふるう。
 無軌道とも思える鬼気迫るナイフ捌きで着実にサムライを追い詰め、嬲るようにして服の端や髪を切り裂く。
 「っ………、」
 暴君は手を緩めず、一見無軌道に思える柔軟な攻撃で周到にサムライを追い込む。
 サムライは木刀でもって飛来するナイフを片端から弾き返し抗戦するも、これではきりがない。
 暴君のナイフさばきはサーカス育ちのサーシャほど洗練されてないにしろ、厄介さではそれを上回る。
 サーシャの攻撃が獲物を執拗に追尾する狡猾な蛇なら暴君の攻撃は一撃必殺に賭ける豹の爪、牙。暴君はあたかも己の爪であるかのような自在さでナイフを振るい、獲物を屠る。
 十中八九フェイク、だがその中に本物が混じってる。
 本気の一撃がそれとなく紛れ込んでるのからたちが悪い。
 単調な攻撃で油断を誘い、相手が疲れてきた隙を突いて本命を放つ。
 「さっきまでの勢いはどうしたよ。早いとこ俺をひんひん言わせてみろよ。守りと逃げに徹するだけじゃ勝てねーぜ」
 防御に徹するサムライを猛烈な攻勢に回った暴君が嘲笑う。
 サムライの顔に苦渋が滲む。
 苛烈な剣技が炸裂する。
 合わせ打ち、切り返し、巻き打ち、骨砕き。
 連続で繰り出される攻撃をしかし暴君は軽快なステップと鮮やかな身ごなしで翻弄する。
 交互の足に重心を移し、すっと体を入れ替え木刀の切っ先をそらす。
 大胆に間合いに踏み込み頭を低め弧を描く木刀をかいくぐる。

 甲高い音が爆ぜる。
 暴君が振るうナイフが木刀に鑢をかけて表皮を剥く。

 サムライの顔面めがけ振るわれたナイフは咄嗟に立てた木刀にせき止められ芯を噛む。
 木刀とナイフが互いに圧力かけ合い拮抗する中、暴君とサムライは危うい均衡を維持して正対する。
 「強情だな。苦しいならはやいとこ降参しちまえよ、今なら天国にイかせてやる」
 「極楽浄土に未練はない。直の隣が俺の場所だ」
 「そうかよ。妬けるぜ」
 生殺与奪の権を握る暴君が邪悪な笑みを浮かべる。
 「だったらキーストアと一緒に地獄に送ってやる」
 刹那、挑発を受けたサムライの眼光が凄愴に燃え上がる。
 「直に手を出すのは許さん」 
 千々に乱れた黒髪の奥、半ば塞がりかけた双眸が切迫した光を放つ。
 木刀を握り込み、萎えかけた膝を叱咤して立ち上がったサムライを暴君は軽薄な口笛でねぎらう。
 悠然と腕を組み迎えうつかつての友に対し、木刀に縋って立ち上がったサムライは息も絶え絶えに啖呵を切る。
 「金輪際直に手を出すな。直を傷付けるならたとえお前とて容赦せん」
 底冷えする凄みを帯びた顔つきで暴君を睨む。
 殺意が沸騰する真剣な面持ち。
 あるいはそれは懇願にも聞こえた。
 憔悴の色激しく乱れた黒髪をしどけなく額に貼り付かせたサムライの言葉を、暴君は鼻で一蹴する。はなからまともに取り合う気はないようだ。
 「俺を殺らねえ限りキーストアは解放されねえぜ。なんたって共犯だからな」
 「共犯?」
 サムライが眉をひそめる。
 怪訝な表情のサムライを露骨に馬鹿にした表情で見下し、暴君は噛み含めるように言う。
 「お前は勘違いしてんだよサムライ、鍵屋崎の本性を。あいつはお前が思ってるよりずっとしたたかでおっかないやつだぜ。なんであいつがホセについてのこのこ下水道にやってきたと思う?断る事もできたのにそれをせず、のこのこ命令に従ったと思ってるんだ?本当に気付いてないのかよ、お前。だとしたら手に負えねえ鈍感だな。いいか、サムライ。お前が今必死で守ろうとしてる鍵屋崎はな、お前にも話せねー秘密を抱え込んでるんだよ」
 「秘密とはなんだ」
 「馬鹿かお前。誘導尋問にのって大事な脅迫材料ふいにするか」
 「直は、お前に脅迫されてるのか」
 「あいつの方から奴隷にしてくれって俺のペニスくわえこんできたんだ。売春班で真性マゾに目覚めてちまったんじゃねえか?可哀想に」
 鍵屋崎を口汚く罵倒し嘲笑する暴君に対し、猛烈な怒りが膨れ上がる。 
 サムライが自制の箍を締めて平静を保とうとしてるのはわかるが、限界だ。
 鍵屋崎を侮辱された憤りはサムライの心を乱し、構えた木刀にも反映する。
 焦燥と苦痛と疲労と悔恨と憤怒。
 葛藤せめぎあう表情は暗澹たる翳りと凄愴の気を孕み、ただでさえ厳しいサムライの顔を切っ先まで張り詰めた刃の如く剣呑に見せる。
 怒り心頭に発したサムライに暴君はせせら笑いを浴びせナイフを傾げる。
 「相棒の発情周期くらいコントロールしとけよ。所構わずさかって男のもんくわえ込むなんざ動物と一緒だぜ、お前の躾が悪いんじゃねーか」」
 裂帛の咆哮を上げ、猛然と地を蹴る。
 飛燕の如き俊敏さで瞬く間に肉薄、抜き打ち胴を薙ぎ払う。
 まともに喰らえば骨が砕けて内臓破裂の一撃。
 だが、手ごたえはない。
 サムライが放った渾身の一撃はむなしく宙を薙ぎ切り、残像の弧を描く。
 瞬前、暴君の姿が消失。
 目標を見失った木刀が虚空を通過するのに合わせ、予想外の場所から声が届く。
 「バックに気を付けろ」
 上からだ。
 「「!!」」
 弾かれたように頭上を仰ぐ。
 レイジはいた。上だ。
 サムライのちょうど真上に位置する虚空だ。
 瞬前姿が消えたと思ったのは、動体視力さえ追い付かぬ俊敏さで跳躍し、上空に逃れていたからだ。足腰の強靭なバネを駆使し、最小限の反動で最大限の跳躍を演じた暴君は、闇をも射抜く隻眼で下界を俯瞰しがてらナイフを引き付ける。

 滑降に従いナイフがぎらりと光る。

 タン、と軽快な音がする。
 猫科特有のしなやかさでサムライの背後に着地するや、後ろに目が付いてるかのような正確さで反転と同時にナイフを擬す。
 ナイフの切っ先が頚動脈をつつく。
 完全に不意を打たれた形のサムライは後ろをとられもはや動けず、頚動脈にあたる冷え冷えと硬質な刃に息を呑む。
 頚動脈に擬されたナイフに戦慄した一瞬の隙に無造作な蹴りを放ち、手中の木刀を遠方に投擲。
 サムライの首筋にナイフを擬した暴君が、短く刈った後ろ髪を戯れにいじくる。
 「火傷のあとが色っぽい」
 サムライの後ろ髪を摘み、おとす。首筋には生々しい火傷の痕が残っている。
 焼け爛れた皮膚を愛でるように指を這わせ、舌をつけて汗を啜る。
 「勝ったら好きにしていいって言ったよな」
 サムライが無念そうに目を閉じる。
 悄然とうなだれたサムライの背中に密着し、ナイフを頚動脈にあてがったまま、その髪をぐいと掴んで乱暴に仰け反らせる。
 大きく仰け反ったサムライの顔を覗き込み、上着の裾にナイフを噛ませ、手首を返して切り裂いていく。
 「俺の奴隷になれよ。そしたら俺と鍵屋崎がヤってるとこにまぜってたのしめるぜ、逆も可だ」
 布の裂ける音がやけに大きく響く。暴君はじれったいほど緩慢にナイフの刃を生地に噛ませ、上着を切り裂いていく。
 斜めに裂けた服の下からあられもなく素肌が覗く。
 至る所に古傷が穿たれた裸身が端切れと化した服の下から覗き、劣情を煽り立てる。 
 「俺に触るな」
 「ケツにぶちこんでやるよ」
 「お前の奴隷に成り下がるくらいなら、舌を噛んで死ぬ」
 「んな面倒なことしなくてもちょっと首動かせばすぐ死ねる」
 ナイフが簾のように上着を裂き、露出した肌をなめる。
 端切れと化した服を纏うサムライの顔が極限の恥辱に歪む。
 褐色の手が体を這う。
 体前に回りこみ、上着の裂け目を押し広げて肌を貪り始める。
 脇腹の裂け目から忍び込んだ手が腹筋の峡谷を這い回る。
 「そうか、わかった。鍵屋崎を抱きたくなかったのは、本当は抱かれる方が好きだからだな。お前は男を抱くより抱かれるほうがすきなんだ、だから鍵屋崎を抱くのは気がすすまなかったんだ。気付かなくて悪かったな、サムライ。まさかお前みてーにむさくるしい男がそっち希望なんて思わなくってさ、性的に自由奔放な俺もまだまだ偏見に縛られてるみてーだ」 
 腹筋の屹立を執拗に這い回っていた手が、性感帯をさぐりながら上へ上へと緩慢に移動を始める。
 端切れと化した服の下で淫靡に手が蠢く。
 発情した蛇じみた艶めかしさで胸板に手が伸び、突起を摘む。
 「…………………っ、………」
 「感じんのか?」
 指の腹で突起を潰し、転がし、捻る。
 乳首を刺激される恥辱にサムライは呻くも、少しでも抵抗すれば頚動脈に擬されたナイフが容赦なく致命傷を与えるのは明白。
 屈辱に歪むサムライの顔を目の端で堪能しつつ、唾で湿した指で乳首をいじくり、反応を引き出すのに熱中する。
 爪を立て痛みを与えた直後に揉みほぐし、最初は窄まっていた突起を辛抱強く勃ち上げていく。
 「見ろよ。上着にくっきりと乳首の形浮いてんのがわかるだろ。男のくせに男にいじらせてこりこりに勃起させて、お前マゾの素質あるな」
 「はな、れろ………こんなことをして、何の意味が………」
 喘ぎ声を噛み殺し反駁するサムライに冷めた一瞥をくれ、奔放に言い放つ。 
 「意味なんかねーさ。楽しいからやるんだ」 
 端切れと化した服を纏うサムライの背にぴたり密着し、首筋にナイフを擬し、もう片方の手を体前に回し、濃厚に愛撫する。
 服の裂け目を押し広げて滑り込んだ手が腹筋を揉み、臍のくぼみをいじり、腰にそって上がり、胸板で円を描く。
 胸板をなでまわる手の気色悪さにサムライが吐き気を堪え俯くのを許さず、ナイフでぐいと顎を押し上げる。
 サムライは焦燥に焼かれ渇望に狂わんばかりに床の木刀を見詰める。
 木刀さえ取り戻せば逆転は可能。
 だが、サムライは動けない。
 暴君がぴたり密着し、頚動脈にナイフを擬して動きを阻んでいる。
 今動けるのは、俺だ。
 閃光のように思念が閃く。
 サムライと木刀を見比べ、間合いを測る。
 暴君はサムライを相手するのに夢中で俺にはまったく注意を払ってない。
 やるなら今だ。
 暴君の不意を衝くんだ。
 ダチが今まさに犯されようとしてる時にむざむざ手をこまねいて見てられっか。
 サムライと目が合う。
 俺がやろうとしてることを察し、サムライに緊張が走る。
 危険だ、やめろと目で訴える。警告。
 言われなくてもわかってる、こいつが危険な賭けだってことくらい。
 だから?いちかばちかやってみる価値はある。俺には親父譲りのツキがある。
 暴君とサムライが真っ最中に偶然ここに放り出されたのがツキなら、もう一回くらいおまけしてくれたっていいはずだ。

 だろ、神様?

 思い詰めた目で何かを訴えるサムライから視線を引き剥がし、暴君の顔色をうかがう。
 慎重に半歩踏み出す。
 暴君は気付かない。サムライの首筋に顔を埋め肉体を貪るのに夢中で、俺が今から行動を起こそうとしてるのに気付かない。
 固唾を呑んで足を踏み出す。
 木刀の落下地点に標準を合わせ腰を低め、全速力で駆け出す準備を……
 ふいに誰かが肘を掴む。
 「行くな」 
 声がする。振り返る。
 道了がいた。
 床に膝をついた道了が、俺の肘を掴んで引き止める。
 「行くな。死ぬぞ」
 胸郭が浅く上下する。顔色は蝋のように白く生気を失ってる。
 意識を保っているのが奇跡のような状態で、道了は俺を引きとめにかかる。
 床に膝を付いた姿勢から片腕をのばし、俺の肘を引っ張る。
 その力はよわよわしく、振り払うのは簡単だ。
 だからこそ、迷う。
 その手をはねつけるのをためらう。
 「今行けば、とばっちりをくう。今の俺では、助けられない」
 喘鳴に紛れて聞き取りにくい言葉を吐き出し、急激に濁り始めた目で俺を仰ぐ。
 朦朧とした表情が不安を煽る。道了の衰弱は激しい。
 ろくな治療もしないまま汚い端切れだけ巻いて放置しっぱなしの銃創からは、今も血と一緒に生命が漏れ出している。
 血糊でべとつく手が肘を掴む。
 ありったけの力を込めて、瀕死の道了が搾り出した精一杯の力で。 
 「行くな、ロン。ここにいろ。俺のそばにいろ」
 命令よりも嘆願に近い言葉が、相変わらず無感動に零れる。
 よわよわしい力でもって俺の肘に縋り付いた道了が、垂れた前髪の隙間から茫洋と視線をさまよわせる。
 虚ろな目に一抹の悲哀に似て切迫した何かをやどし、今にも消え入りそうな声でくりかえす。
 「行かないでくれ」
 「………そうはいくか」
 肘に絡む五指を強引に引き剥がし、拘束の手を振り解く。
 「月天心にいた頃たあちがうんだ。ダチを見殺しにするほど、俺はくさっちゃいねえ」 
 瞼に浮かぶ凄惨な光景。
 俺が投げた手榴弾がもとで沢山の人間が死んだ、肉片と化してちぎれとんだ。
 酸鼻を極めた戦場の惨状を反芻、かつて月天心でともに過ごした仲間の顔をひとつひとつ想起し、逡巡を断ち切る。
 半々の俺には居場所がなかった。
 月天心でもいつも肩身の狭い思いを味わってた。
 ダチと呼べるヤツは一人もいず、心を許せる相手は梅花しかいなかった。
 深呼吸し、昔の俺に別れを告げる。
 薄暗い廃工場の片隅、仲間の輪からはずれひとりぼっちで膝を抱え込んでた俺に声をかける。

 「今行かなきゃ、きっと死ぬまで後悔する。自分の手で仲間を殺すのも、ダチがダチと殺しあう現場を指くわえて見てんのもごめんだ。レイジも、サムライも、鍵屋崎も。あいつらみんな俺のダチだ。ずっとひとりぼっちだった俺がようやく手に入れた大事な仲間だ。あいつらがいなくなったら、俺はまたひとりになっちまう。つまはじきにされていじけて膝抱え込んでる半々のガキにもどっちまう。さんざん世話んなったダチに借りひとつ返せないんじゃ、せっかくお袋が付けてくれた龍の名が廃る」

 俺は龍。
 お袋の形見の名前に恥じないように生きる。

 うじうじ後悔するのはがらじゃない。
 ぐずぐず泣き言こぼすのもがらじゃない。
 後先考えずに突っ走るのが俺の長所で短所だと、俺が一番俺らしくある方法だと、今ではちゃんとわかっている。

 目を閉じて覚悟を決める。
 決断と目を見開き、すべてを賭けて挑むように真っ直ぐ前だけを見据える。
 幾重にも重なる闇を通り越してレイジが見える。
 糞尿垂れ流しの暗闇の隅っこで膝を抱えて蹲ったガキが、音痴な鼻歌で俺を呼んでいる。
 ガキのまま成長を止めた心が、迎えに来てくれとねだってる。

 「今いくぞ、レイジ。待ってろよ。ぜってーそこから引っ張り出してやるからな」

 そして俺は走り出す。
 ポケットの中の十字架を痛いほど握り締め。
 憎しみの名前しか貰えなかった相棒を取り返す為の、最終決戦の舞台へと。


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少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050204224547 | 編集
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