ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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三十八話

 「通しませんよ」
 不安定な光が両雄の顔に奇怪な陰影をつける。   
 凱は射殺さんばかりの気迫でホセを睨みつける。
 舎弟の前で醜態は晒せないとばかり闘志荒ぶる二王立ちで踏み構え、自己流の拳闘の構えをとる。
 ランプの光が喉の傷を暴き立てる。
 『トップん中でいぢばん弱い南の隠者なんざ俺の拳で挽肉にじでやらあ』
 声を発するたびに瀕死のミミズのように傷が伸縮する。
 礫を擦り合わせるような濁声で脅す凱にも、隠者は表情を変えず動じない。
 下水道の中央に寛いだ姿勢で佇み、艶やかなバリトンの抑揚を紡ぐ。
 「我輩が四人のトップの内で最弱だと誰が決めました?」
 凱とはうってかわって穏やかな声が下水道に流れ鼓膜に浸透する。
 ホセは穏やかに続ける。
 出来の悪い生徒に算数の初歩を教える教師のように淡々と教え諭す。
 「もちろん根拠があっておっしゃってるのでしょうね。確かに我輩にはサーシャ君やヨンイル君ほど目立ちません。生憎彼らほど強烈な個性は持ち合わせてないのでね。しかしだからといって彼らに実力が劣ると思われるのは少々不本意です。たんなる印象で物を語るのは愚か者の所業です」
 『言うじゃねえが、七三巨根の分際で。だったら証明じでみろや』
 凱が皮肉に笑う。凶暴性を剥きだした野蛮な笑み。
 黄ばんだ歯を剥いてせせら笑う凱の正面、ランプの光を纏って闇から浮上したホセがあたかも宣誓するかの如く胸に手を翳す。
 浅黒い肌にランプの光がちらつく。
 ランプを反射し煌々と輝きを放つ眼鏡の奥で双眸が細まり、抑制した闘志が燻る。
 隠者の存在感が一気に膨らみ、下水道の壁に映る影までもが目覚めた怪物の如く大きさを増し蠢動する。
 影と闇の衣を幾重にも纏う隠者は、身の程知らずの挑戦者に対し、素顔を隠す眼鏡の奥から憐憫の目を向ける。
 「みくびってもらっては困りますね。いいでしょう、あなたがたに殺し合いの作法を教えてさしあげます」 
 迷宮に巣食う不死身の怪物のように威圧感と存在感が膨らむ。
 壁に映りこむ暗黒の影が本性を暗喩する。
 きっちり七三に分けた黒髪の下、聡明に秀でた額と分厚い眼鏡に隠された温和な目、常に絶やさぬ偽善の笑み。
 慇懃な物腰を装っていても全身が醸す邪悪なオーラは隠しきれない。
 囚人服に包まれた胸板は逞しい筋肉に鎧われている。
 どっしり安定感のある腰を筋金の筋肉を縒り合わせた下肢が支える。
 暴虐の限りを尽くす破壊の権化。
 ホセからは暴力の匂いがする。忌まわしいまでに強烈に匂う。

 ミノタウロス。
 ギリシャ神話に出てくる半人半牛の獣。
 醜い姿と人食いの業故に疎まれ迷宮の奥深く閉じ込められた怪物。
 無限に広がる迷宮を彷徨っては生贄を喰らうミノタウロスの姿が、眼前のホセに重なる。

 「我輩はラビリンスの番人」
 僕の心を読んだようにホセが含み笑う。
 「誰であろうが許可なくこの先に通しませんので、ご理解の程を」
 口調は丁寧に、物腰は丁重に。
 だがそれは慇懃無礼といったほうが正しい。
 相手に対する敬意などかけらも払わず一方的に宣告する。
 ラビリンスの番人を自称するホセに対し凱の怒りは暴発寸前、煮え滾った目で隠者をねめつける。
 ホセが怪しく笑う。
 レンズの向こうに狂気が渦巻く。
 犠牲者の断末魔を悦ぶ禍々しい怪物の笑み。
 生贄の柔肉に涎を流す飽食知らずの怪物の笑み。
 浅黒い肌と鮮烈な対照をなす白い歯が零し、梃子でも動かぬ雄牛の磐石さで踏み構え、敵がいつ挑みかかってきてもいいよう防御を万全に整える。

 ミノタウロスがここにいる。
 獣と人で割った畸形の魂をもてあまし、哀れな生贄を屠り去る事に執念を燃やす呪われし怪物がここにいる。
 飢え狂う怪物さながら嬉嬉として戦闘を待つホセと凱とを見比べ、考える。

 僕が今すべき事は何だ?

 サムライとレイジは迷宮の奥へ消えた。
 二人の姿は闇に溶け込んで既に消滅し追う事はかなわない。
 狂おしい願望が身を苛む。
 今すぐサムライを追いたい、追いかけたい。
 彼らを追いかけて戦いを未然に防がねば。
 僕はこれ以上サムライが傷付くのを望んでいない、僕を助けにきたサムライが僕の為に傷付くのを望んでいない。
 いくらサムライとはいえ本気を出した暴君相手に苦戦確実、勝利は困難だろう。
 暴君の強さは異常だ。真実人間離れしている。
 最悪殺されてしまうかもしれない。
 だがそれでも、僕はサムライを行かせた。
 信念の強さと意志の固さに負け、むざむざ行かせてしまった。
 レイジを友と断じた高潔な意志に打たれ、二人の邪魔をしてはなるまいとの思考が邪魔をし、足が痺れてしまった。
 逡巡してるうちに二人との距離は開き、遂には消えてしまった。
 今、行く手には隠者が立ち塞がっている。
 ミノタウロスに匹敵する凶暴な存在感を全身から放ち、招かれざる侵入者を迎えうつ。
 サムライとレイジを追うにはホセを倒すか隙をつくかしかない。
 だが、現状としてそれは不可能だ。
 ホセは強い。僕が及びもつかないほどに。
 ホセには死角が存在しない。こうして膠着状態を維持していても、眼鏡の奥から鋭い視線を配り、敵の動きを呪縛する。
 現状を打破せぬ限り追跡は不可能だが、眼前には未曾有の障害にして巨大な堤防が存在する。
 「………………」
 僕にホセは倒せない。
 ホセを倒さぬ限りサムライは追えない。
 ここは一本道だ。
 ホセを回避する抜け道は存在しない。
 焦燥が身を焼く。
 僕がこうしている間もサムライに危機が迫っている、既に戦闘が始まって暴君に弄ばれてるかもしれない。
 サムライの無事を祈る。侵食する絶望を振り払い、心の底から祈る。

 『それもまた、友の務めだ』

 去り際の言葉がよみがえる。
 シャツの胸元を掴み大きく深呼吸し、苦渋の決断をくだす。

 「僕は、僕の務めをはたす」
 いつまでもうずくまって無事を祈っていても始まらない。
 彼は必ず帰ってくると言った。ならその言葉を信用するしかない。
 彼と交わした約束を信じるしかない。
 サムライは死なないと信じる。
 必ず生きて戻ってくると愚直なまでにひたむきに信じ貫く。
 それこそサムライが今一番僕に望むことだ。
 暴君に弄ばれた僕をしかし彼は拒絶しなかった。
 毛先から爪先まで精液に塗れた僕に対し、怒りこそすれ蔑みはしなかった。
 サムライとの繋がりは完全に絶たれてない。
 僕の裏切りをもサムライは受け止めた。そして今、暴君の狂気をも身を挺し受け止めようとしている。

 僕は、僕のすべきことをする。
 僕にできることをする。

 サムライが身を挺し闇の底からレイジを救い出そうとしているように、僕にも救える人間がいる。
 サムライと対等な友人であり続ける為に、その資格を失わぬ為に、僕は漸く行動をおこす。

 『ォおォおおおおおおおおおおォォおおおおおおおっおおおおおおおおお!!』  
 凱の雄叫びが死闘の幕開けを告げる。

 たった今火蓋を切って落とされた戦いに背を向け、ランプの光が漏れ出る隙間から石室にとって返す。
 室内に転がり込み、セメント袋が積み上げられた片隅へと直行する。
 セメント袋の上に軍人が倒れている。自白剤を打たれてからずっと放置されていた軍人だ。 気絶した軍人の腋の下に肩をあてがい抱き上げる。
 「大丈夫か?」
 返事はない。
 念のため右瞼の下をめくり瞳孔の収縮度合いを確かめる……どうやら死んでないようだと安堵。自白剤の後遺症でぐったりした軍人に肩を貸し出口へ急ぐ。
 軍人の足が床を擦る音が耳障りだ。
 重い。
 歯を食い縛り肩と背にめりこむ他人の体重に耐える。
 「サ……シャ、サ………シャ」
 深々顔を伏せた軍人が不明瞭にくぐもったうわ言を呟く。
 銀の紗のかかった表情は朦朧として、既にして廃人の兆候を示している。
 「弟の夢を見てるのか?気楽なものだな」
 弛緩した口元から糸引き涎が垂れ僕の服に粘着する。
 軍人を引き剥がし捨てたくなるのを堪え苦労して曳航する。
 戸外では激しい戦闘が繰り広げられているらしい。
 濁った怒号が炸裂、続く鈍い地響きは勢い余って壁に激突した音か。
 肉を打つ鈍い音が耳底にこびりつく。
 ホセにとっては東棟三位の実力を誇る凱もぱんぱんに膨らんだ砂袋でしかない。
 凱が喉震わす奇声を発し、不屈の闘志を燃やしてホセに何度目かの挑戦をする。
 大きく腕を振り抜き、絶大な威力のブローを放った凱の思惑は見事に外れる。
 いやらしい笑顔でホセが嘯く。
 「力は大したものですが切れが足りない。拳の持ち腐れですね。非常に惜しい」
 凱が体重を乗せて放った拳を完璧に読み、瞬前軌道上から脱するや、脇に引き付けた拳を固める。
 『ぐっ………!巨根の分際でなめだ口ぎいでんじゃねえっ、化けの皮かっ剥いでイチモツよかどす黒え本性ざらじでやる!!』
 余裕めかした口ぶりで欠点を指摘され、凱は激昂する。
 ホセの批評が的を射ていたのがなおさら怒りを煽ったらしい。
 鈍重な体躯には見合わぬ素早さで瞬時に反転、あたれば内臓破裂間違いなしの豪速の拳を放つ。
 風切る唸りを上げ鳩尾を狙い来る拳を冷静に眺め、鋭い呼気絞り腹腔を撓める。
 ホセの腹が起伏した次の瞬間、動体視力の極限に迫るスピードで放たれた拳が凱のそれと激突。
 「「凱さん!!」」
 残虐兄弟が叫ぶ。
 ホセと凱は一歩も譲らず対峙、ガキリと重たい音たて噛み合わさった拳が互いの力を相殺し虚空で静止。
 拳に全力を賭す凱とホセとの間で空間が軋み、撓む。 
 数呼吸の永遠の末、均衡が破れる。
 「「凱さああああああああああぁああああああああぁん!!?」」
 凱の拳が砕け、猛烈な勢いで血が噴き出す。
 残虐兄弟の悲鳴が下水道を駆け抜ける。
 血まみれの拳を翳しなおも踏みとどまる凱だが、意地で耐え忍ぶ間にも甲の破壊は進行し、力の暴走により皮膚が裂け毛細血管がぶちぶちとちぎれ、目を覆わんばかりに悲惨な様相を呈していく。
 遂に凱が膝を折る。
 砕けた拳を懐に抱え込み崩れ落ちた凱を、無傷の拳の隠者が静かに見下ろす。
 「チェックメイトです。その手ではもう戦えないでしょう」
 軍人をおぶさった僕は、眼前の光景に唖然とする。  
 『ぐあ、うあ、あがっ…………あがぁあああああああっ、あっ、あ!!』
 瀕死のけだものじみた嗚咽を上げ悶絶する凱をよそに、隠者が取り澄ましてこちらに向き直る。
 「やあ直くん。我輩がちょっと目を離したすきにおいたはいけませんよ。君一人逃げる分にはどうぞご勝手にですが、大事な人質まで持っていかれてはたまりません。我輩カルメンに叱られてしまいます。それはここにおいていきなさい」
 落ち着き払って指示するも、従わないとみるやその表情が若干険しさをます。
 緩慢な動作で眼鏡を取り外す。光が揺れる横顔が哀愁が帯びる。
 レンズに飛んだ返り血を服の裾で拭い、再びかけ直す。 
 新たに眼鏡をかけ直した顔は、以前にも増して感情を欠いて無表情だ。
 軍人を背負い慎重に距離をとる。
 ホセは無造作に距離を詰める。
 足元では凱がのたうちまわる。
 ユエもマオも凱の悲劇を目の当たりにし女々しく泣きべそをかいている。
 阿鼻叫喚の地獄絵図と評すべき凄惨な光景に足が竦み肝が冷える。
 だが、ここで立ち止まるわけにはいかない。
 第一、ホセの言う通りにするのはプライドが許さない。
 「生憎僕は、自分より知能が上の人間の命令しか聞けない体質でな」
 ずりおちかけた軍人を抱え直し、しっかりした声音で宣言。
 隠者がすっと目を細める。
 路傍の石ころを見る程度の関心しかなかった目が、虫けらを見下すそれへと変化する。
 軍人を抱き上げ、その腕を首の後ろに通して支える。
 銀髪に隠れた表情は見えず、弛緩した口元からは涎と一緒に幼児的に舌足らずなロシア語が垂れている。
 「君の目的は分からないが、話から推理するに、彼は重要な計画の駒らしい。野望を達成するために必要不可欠な人材だ。だから自白剤を使ってまで情報を引き出そうとした。彼をこのまま放置しておけば、焦れた君がさらなる強硬手段に訴えかねない」
 「よくご存知ですね」 
 人間を道具扱いする罪悪感など微塵もなく、優秀な回答を褒めるように寛恕と微笑む。
 反吐が出る。
 徹底して人を駒と見る隠者に胸のむかつきをおさえ、続ける。
 「彼は地上に連れて帰り、部下に引き渡す。非人道的な手段で拷問されるとわかっていながらみすみす見殺しにはできない」 
 「自白剤で廃人状態の彼を地上に連れ帰ったら疑われるのは君ですよ」
 「構わない」
 「いつからそんなに思いやり深い人間になったのですか?似合いませんよ」
 「友人に感化されてな。考えてもみろ、世界から低脳が絶滅し天才だけが生き残ったら全員天才が普通の状態になる。天才イコール凡人の方程式が成立する。そうなれば僕が天才であっても誰も称賛しない、社会通念に照らし合わせてそれが退屈なほど当たり前の状態だからだ。よって少数の天才を引き立てる為に、精力的に繁殖を続ける大多数の低脳には生き残ってもらわねば」 
 ホセの挑発に皮肉で応酬する。
 「………仕方がありません。話し合いで解決できないなら、少々乱暴な手段に訴えるしかないようです」
 ホセが嘆かわしげに首を振る。
 殺気が伝染しちりっ、と指先がこげる。
 ホセが無造作に一歩を踏み出す。
 一歩、また一歩。着実に距離が縮み間合いが狭まる。
 全身から闘志が立ち上る。
 遠近感が狂い、ホセが恐ろしく巨大に見える。
 ホセがだらりと垂らした両手を凝視する。今はまだ平手に開かれたままだが、あの拳で殴られてはひとたまりもない。固唾を呑んで引き下がる。ホセが追う。水溜りが弾ける。
 追い詰められる。

 『まだ勝負はおわっでねえぜ』
 「!」

 迫り来るホセの背後、死臭じみた瘴気を発しゆらりと影が立ち上がる。
 凱だ。
 砕けた拳からぼたぼた血を滴らせ、苦痛と憤怒に歪んだ醜悪な形相で、己に背を向けた敵を荒い息の狭間から呼び止める。
 拳が使い物にならない状態にも拘わらず、不屈の闘志を礎に執念深く立ち上がった凱に、ホセもさすがに呆れる。
 「しぶとい人ですね。残念ながら我輩も多忙な身、いつまでも児戯に付き合ってる暇はございません。君もそろそろ帰ったほうが……」
 『殺!!』
 凱が顎をしゃくる。
 それを合図に、隅に控えていた残虐兄弟が決死の覚悟で飛び出す。
 「凱さんをばかにすんな巨根!」
 「凱さんが拳が砕けたくらいでへばるようなヘタレだと思ったか!」 
 「凱さんは絶対勝つ!」
 「馬鹿力でもアレのでっかさでもお前に負けてねーって証明してやる!」
 水溜りを蹴散らし猛然と走り寄った残虐兄弟が無謀にもホセにとびつく。
 それぞれホセの両腕にしがみつきその場に固定し、二人して凱をけしかける。
 「さあ凱さん、思う存分気が済むまでやっちゃってください!」
 「絶対凱さんが勝つって信じてるから、凱さんのためなら王様だって隠者だって体を張って足止めすっから」
 失禁寸前の己を鼓舞するようにマオが叫びユエが怒鳴り、凱を焚き付ける。
 隠者の巨腕を残虐兄弟が充血した顔で引っ張る図はひどく滑稽でありながら、なりふり構わぬ二人の気迫が伝わってくる。 
 『とっとど行げよ、親殺し。目障りでしょうがねえ』
 凱が邪険に唾を吐く。
 ホセの腕にひしとしがみついた残虐兄弟が、今だ棒立ちの僕に向かい、口々に叫び立てる。
 「凱さんの言う事聞けよ親殺し!」
 「てめえがいちゃ邪魔なんだよ!」
 「凱さんがおもいっきり戦えねーんだよ!」
 「巻き添え食って死にてーのかよ!」
 「死にたくなきゃとっとと行けよ、凱さんの心意気ムダにすんなくそったれ!」
 残虐兄弟の顔がくしゃりと歪む。
 「てめーにゃ弟が助けられたからな」
 とユエ。
 「くそったれの親殺しが相手でも、一旦作った貸しは返しとかねーとな」
 とマオ。
 不思議と爽快な表情のユエと不敵な笑みのマオ、足腰震える程怯えているくせに虚勢を張る二人に被せ、凱がとどめと大喝する。
 『舎弟二人が世話んなっだ借りだ!!俺が巨根を相手にじてるあいだにどこへなりども行っぢまえ!!』 
 「凱………」
 必至の形相でホセにしがみつく残虐兄弟と、鮮血に染まる拳で構えをとる凱とを見比べ、眼鏡のブリッジに手をやる。
 「最低三分は有言実行したまえ」
 「ぬかせ、親殺し」
 「三十分は余裕だぜ」
 焦燥に炙られながら毒吐く残虐兄弟に背を向ける。
 背後で怒号が炸裂、残虐兄弟が悲鳴を上げる。
 だが、振り向かない。今振り向けば彼らの意に背く事になる。
 この場は彼らに任せ一刻も早く遠くへ逃げるべきだ。
 優先順位のはき違えは自滅を招く。
 背後で炸裂する物騒な物音と阿鼻叫喚から帰り道の模索に努めて意識を向ける。
 行きの道を反芻、十メートルほど真っ直ぐ戻って右折する。
 あたりは暗闇に包まれている。
 壁の照明はほぼ全滅、勘を頼りに進むしかない。
 足元に点在する水溜りを蹴散らし道なき道をいく。
 通路を曲がるごとに騒音が遠くなり、やがて消える。
 凱は、残虐兄弟は無事なのか?
 暴君とともに消えたサムライは?
 僕には彼らの無事を祈るしかない。改めて自分の無力が歯痒くなる。
 自己嫌悪に沈むのは後回しだ。
 とりあえず地上に出なければ、僕が背負った男だけでも地上に返さねば……
 「う………」
 背負った軍人が意識を取り戻し、低く呻く。
 「起きたか」
 僕の肩に凭れ、軍人は緩慢な動作であたりを見回す。
 銀の紗が掛かった心許ない視線が虚空をさまよう。
 目覚めたはいいが意識は混濁し、自分がいる場所さえよくわかってないようだ。
 「………ここは………どこだ………真っ暗だ……」
 「ここは東京プリズン地下の下水道だ。貴方はホセとレイジに監禁され、自白剤を打たれた。意識が混濁してるのはそのせいだ」
 「そうか……自白剤を………体の調子が変なのは、そのせいか………」
 「それだけ口が利けるなら大丈夫だ。地上に帰り、早急に適切な処置を受ければ大事には至らない。廃人化を免れてよかったな」 
 「これでも、薬物に対する、訓練は、している……軍での必須教練だ……」
 軍人がたどたどしく呟く。
 自白剤の後遺症のせいか呂律は怪しく、発音はひどく聞き取り辛い。
 「君は、だれだ。どうして私を助ける」
 「僕は天才だ」
 相手が面食らう。どうやら説明不足だったようだと眼鏡のブリッジを押さえ補足する。
 「……僕はレイジの友人だ。レイジの居場所を問うたら石室に案内され、昏睡状態の貴方と出会った。放っておくわけにもいくまい」
 「レイジの……あの男の友人か」
 声に苦いものがこもる。
 軍人の顔が苦渋に歪み、アイスブルーの目に悲痛な漣が走る。
 「貴方はなぜあそこにいた。下水道などと場違いな場所に単身いた。他の軍人はどうした、一緒じゃないのか。安田はこの事を知ってるのか。もし地上で誘拐されたのなら今頃大騒ぎになってるはずだが、今だに囚人らが知らずにいるということは、自発的に下水道におりた事実を示す。一体こんな場所に何の用が……」
 「軍人には守秘義務がある」
 「命の恩人にも明かせない秘密か?」
 嫌味のつもりを真に受け、軍人が唇を噛む。
 受難に耐える表情の高潔さが神々しい威光をまとう。
 陰鬱な隘路に重苦しい沈黙が落ちる。
 守秘義務とやらに忠実に口を閉ざす軍人をよそに息を切らし通路を進む。
 あたりは漆黒の闇に包まれている。
 軍人が語らぬ限り、それ以上核心には触れない。
 第一に優先すべきは地上への帰還だ。
 食指をそそられないと言えば嘘になるが、無駄話で体力を浪費するのは好ましくない。
 スニーカーが水溜りに突っ込み、飛沫がとぶ。
 軍人は半ば僕に寄りかかるようにして足をひきずっている。
 たまには自分の足で歩けと怒鳴りたくなるのを自制心を総動員し堪える。
 軍人の体調が悪化しているのは一目瞭然だ。
 一足ごとに息が切れ汗の量が増し顔面は紙のように白くなっていく。
 銀糸が纏い付く薄氷の目は朦朧と弛み、現実から乖離している。
 僕の体調も最悪だ。昨夜の一件が原因で風邪をひいてしまったようだ。
 付け加え暴君に乱暴され、節々が痛む。
 微熱を帯びて気だるい体を引きずり、茹だる頭をもたげて一歩ずつ進む。
 「………サーシャを傷付けた男に、私の手で制裁を下したかった」
 ふいに軍人が呟く。
 足は止めずそちらを見る。
 「サーシャを嬲り者にした男に、この手で復讐したかった。サーシャはもう目を開けない、自力で起き上がれない、私を認識しない。漸く再会が叶ったというのにもう全部手遅れだった。サーシャの体は肌も骨も内臓も全ての組織が薬に蝕まれている。余命はもって数年、二十歳を迎えずに死ぬかもしれない」
 荒れ狂う激情を抑圧した独白。
 銀髪に隠れた顔に浮かんだ表情は、自責の念に苛まれ、激しく歪んでいる。 
 「漸く迎えにこれたのに………」
 変わり果てた弟の姿に絶望し、失意のどん底をのたうちまわった痕跡を顔に刻んだ軍人に、言おうか言うまいか悩んだ挙句静かに告げる。
 「サーシャはどのみち手遅れだった」
 軍人が顔を上げる。
 物狂おしい凝視を避け、眼鏡の弦に触れる。
 逡巡を吹っ切るのに五秒ほどかかる。だが、今ここで真実を告げないのはかえって残酷だ。のみならず誤解を助長する恐れがある。
 深呼吸で決断し、弦から手を下ろす。
 努めて感情を面に出さず軍人と向き合い、以前からサーシャを観察して知り得た事実を掻い摘んで説明する。
 「僕が東京プリズンに来た時点でサーシャは既に薬物中毒の末期症状を呈していた。あそこまで症状が進行すれば回復は不可能だ。あの時点でサーシャの骨も内臓もぼろぼろだった。その後サーシャはホセに薬抜きを受け一時的に回復したかに見えた。しかしあくまで一時的な現象にすぎなかった。回復したのは見た目だけだ。いかに肌艶毛艶がよくなろうと内臓が再起不能であるのに変わりない。暴君が薬を使った調教を断行しようがしまいが、どのみちサーシャの寿命は残りわずかだった」
 あんな短期間で重度の薬物中毒を克服できるわけがない。 
 暴君が直接手を下さなくてもサーシャは必ず薬物に手を出していた。
 フラッシュバックを伴う禁断症状に苦しむあまり、薬物の使用を再開していたはずだ。
 サーシャの肌艶毛艶が急に良くなったのは恐らく異なる薬物の効果だ。
 他ならぬサーシャ自身に、薬と完全に手を切り、厚生したと思い込ませるための隠者の陰謀だ。
 策士を自認する隠者は毒をもって毒を制す荒業を断行し、周囲の目はおろかサーシャ自身の目までもごまかしたのだ。
 「嘘だ」
 あくまで現実を否認する軍人を冷ややかに見詰める。
 「これは僕の想像だが、サーシャはロシアにいた時から薬を使っていたんじゃないか」
 図星だったようだ。
 固く強張った軍人の顔は直視に忍びなく、しかし目を逸らすのは卑怯だと己を戒め、努めて冷静を装い続ける。
 「昨今ロシアで出回っている覚せい剤は質の悪いものだ。その粗悪な覚せい剤を当時から使用していたのなら、サーシャは既に………」
 「私は」
 僕の言葉を強い調子で遮り、葛藤に歪んだ形相で心情を吐露する。
 「私は、サーシャを愛していた。弟として、人間として。サーシャを守るのが私の使命であり、慈しむのが喜びだった。サーシャは私を慕ってくれた。私もサーシャを愛した。私達は本当に仲の良い兄弟だった。だが、ある時からおかしくなった。私が軍に入り、サーシャが人殺しのナイフを手にした時に歯車が狂いだした。サーシャは……あの子は、人殺しの罪悪感から逃れるために父から卸された薬を使い始めた。実の父から報酬と一緒に渡された良心を麻痺させる薬を。父にとってサーシャは飼い殺しの暗殺者で、使い捨ての道具に過ぎなかった」
 朦朧とした目で虚空を見詰める。
 その目が何を見ているのか窺い知るすべはない。
 幼少の頃の幸福な思い出か、サーカスのテントを背景に佇むサーシャの姿か。
 暗く寒い下水道から逃れ、海の向こうの故郷へと思いを馳せ、サーシャとよく似た面影をやどす軍人は訥々と続ける。
 「初めて人を殺した時サーシャはたった十一歳だった。父はたった十一歳のサーシャに報酬として覚せい剤を渡した。それを知った私は父に抗議し、家を継がずに軍に入った。私は何度もサーシャに薬をやめさせようとした。だが、出来なかった。薬を取り上げた翌日、サーシャは自殺未遂を図った。私が誕生日祝いに贈ったナイフで手首を切った。幸い発見が早く大事には至らなかったが、それ以来私は、むりやり薬をやめさせようとはしなくなった。サーシャが生き残るには薬に頼り良心を殺すしかなかったから。覚せい剤は妄想を助長した。そしてサーシャは………」
 目を閉じる。 
 「神よ、私はどうすればよかったのだ。サーシャを連れてどこかへ逃げればよかったのか。父が差し向ける追っ手を巻いて逃げ通す勇気が私にはなかった。私の卑劣さがサーシャを追い詰めたのなら、神よ、何故私を罰しない?何故サーシャだけを破滅させる?何故二人一緒に罰してくれない?」
 呂律の回らぬ舌で神に縋り、呪い、怨嗟の声を上げる。
 悲哀が結晶したアイスブルーの目はどこまでも澄んで美しく、銀のおくれ毛が纏わり付く憔悴した美貌が退廃を引き立てる。  
 弟の幻影を追いかけるように足を踏み出し、勢い良く水溜りに踏み込んだ軍人の背を、冷徹な声が鞭打つ。  
 「逃がしませんよ」
 衝撃が襲う。
 「!?っ、」
 激突の衝撃に吹っ飛び、軍人と縺れ転げた僕の目に、戦慄の光景が飛び込む。
 僕の背中めがけ投擲されたのは、顔面が無残に腫れあがった残虐兄弟の片割れ……頬傷がないからマオの方。
 昏倒したマオを軽々投げ飛ばした張本人が、迷宮の奥深くから闇を従え悠々歩み出る。
 闇の触手を四肢に纏いて迫り来る男が、べったり血糊が付着したレンズの奥、嗜虐の予感に爛々と目を光らせる。
 「聞き分けのない人質には少々痛いお仕置きが必要ですが、公平を期して君たちのご意見も伺いたいところですね」

 ミノタウロスが生贄を屠りにくる。 

少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050205165404 | 編集
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