ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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三十五話

 誰かが髪を掴んでいる。
 雑草を毟るように乱暴に鷲掴んで引きずっている。
 僕はされるがままそれに従う。
 抗議の声を上げようにも喉は枯れ、無遠慮な手を振りほどく気力体力は奪い去られた。
 瞼は鉛のように重い。
 脱力した瞼を叱咤し薄目を開ける。
 軸の歪曲した視界をランプの薄明が朧に満たす。
 足元が覚束ないのは地面が傾斜してるからだろうか?
 それとも僕自身が揺れているせいだろうか?
 体の芯がふやけて力が抜ける。
 猛烈な気だるさに襲われる。
 前髪が痛い。
 前髪を毟られる激痛に応じ僅かに視線を上げる。
 視界が曇っているのは眼鏡のレンズが汚れているからだと漸く気付く。
 眼鏡のレンズに白濁が粘着する。
 レンズだけじゃない、髪にも瞼にも鼻梁にも口元にも首筋にもべとつく白濁が絡む。
 緩慢に瞬きし、瞼を糊付けしたタンパク質のかたまりを引き剥がす。
 全身至る所に盛大に飛び散った大量の白濁を見下ろす。
 それらは既に温度が失せ冷たくなっている。
 関節に鈍痛が沈殿する。
 倦怠感が持続する。
 血管に溶かした鉛を流し込まれたように手足の動作が鈍くなる。
 疲労と衰弱の極み。僕の体で汚れてない箇所などどこにもない。毛先から爪先までどっぷり汚水に浸かっている。
 焼き鏝を押し付けられたように頭皮が疼く。
 水溜りに浸したズボンにじわじわと汚水が染みていく。
 均衡を失った体がぐらりと揺れるも、倒れこむ寸前に前髪を掴む手によって強制的に起こされる。
 「キーストアのケツ舐めてみるか。今なら俺の味がするだろうさ」
 レイジの顔をした男が朗々と声張り上げ挑発する。
 石室から漏れ出したランプの光が端正な横顔に映える。
 ランプの光によって酷薄な陰影をつけられた顔は壮絶に美しく、性別も人種も聖俗すらも超越し、 人心を掴んで放さぬ蠱惑のオーラを発する。
 映写機じみたランプの光が俳優じみて端正な男の顔を強調する。
 暴君と相対するようにして人影が突っ立っている。
 ランプの光が人影を暴く。
 「……サムライ……」
 震える唇からか細い声が漏れる。
 最前壁越しに会話を交わした男がそこにいた。
 凝然と立ち竦み、こちらを見据えている。
 ランプの光に暴かれた顔は戦慄に固まり、大きく見開かれた目に絶望が浮かぶ。
 孤独が人の形をとったようなその姿が胸を締め付ける。
 失意のどん底で立ち尽くすサムライへと手を伸ばしかけ、前髪を揺さぶられあえなく突っ伏す。
 喉の奥で悲鳴が凍る。前髪を蹂躙する痛みに奥歯を噛んで耐える。
 サムライは暴君に虐待される僕を驚愕の面差しで見詰める。
 僕のこの状態を見れば何があったか一目瞭然だ。

 見ないでくれ、サムライ。
 こんな僕を見ないでくれ。

 サムライの眼前にこんな姿を晒してる現実に対し耐えがたい恥辱を覚える。
 他の男の精液に塗れ服ははだけて素肌をさらした僕を見ないでくれ、そんな目で見ないでくれ、裏切り者を見るような目で見ないでくれ。
 脳裏で懇願が吹き荒れ喉が引き攣る。
 身の内を激情が席巻し体がかっと火照る。
 僕は、愚かだ。
 サムライへの未練を吹っ切ったつもりだったのに、壁の向こうから声が聞こえた途端に決意が無に帰し叫び返していた。
 僕の名を必死に呼んで回るサムライの姿が瞼裏に浮かび許しを乞う声の悲愴さを無視できず、固く凝り固まっていた彼への不信がゆるやかに解けていくのがわかった。
 固い床を蹴って遠ざかりまた近付く靴音が、水溜りを荒々しく蹴散らし方々の通路を走り抜ける靴音が、喉が枯れるほど僕を呼びもとめる声が、壁を隔てて届くあらゆる物音が焦燥に苛まれ狂わんばかりのサムライの心中を代弁した。
 壁に遮られ実際に会えないからこそ想いは募り、憧憬は渇望にまで高まった。
 壁を透視してサムライを見た。
 僕の痕跡をもとめ下水道を東奔西走するサムライを、恥も外聞も武士の意地もかなぐり捨て大声を上げ汗みずくで走り回る彼の姿を、はっきりと心に思い描いた。
 決別を誓ったはずの心が波立ち、胸が不穏にざわめき、全身の皮膚が壁向こうの声に応じて官能的にさざなみだった。
 壁越しに大気を震わせ余韻を帯びる声が刷毛のように肌を愛撫する。

 体がサムライを求めていた。
 鼓膜が、網膜が、鼻腔が。
 サムライの声を、姿を、匂いを、集めれば全体をなす断片を求めてやまなかった。

 壁を隔てすぐそこに迫った存在を知覚するやいなや、体と心が勝手に開かれてくのをどうすることもできない。

 サムライに一目会いたい。
 直接触れたい、直接訴えたい。

 忘れたのか鍵屋崎直、お前はもうサムライを断ち切ったはずだ、暴君に身を委ね快楽に淫し狂気に堕しサムライやロンを忘れ去ると決意したはずだ。
 だが気付けば叫んでいた、僕の名を呼び走り回る壁向こうのサムライに手を伸ばし溺れるものが藁をもすがる必死さで縋り付いた。
 サムライの声が楔となり心に穿たれ、激情に翻弄される心をしっかり押え付けた。
 彼の口から放たれる一言一句が狂気の瀬戸際にいた僕を現実に引きずり戻した、断崖から身を投じようとした僕を踏みとどめる命綱となった。

 答えずにはいられなかった。
 応じずにいられなかった。
 どこまでも誠実な謝罪に、どこまでも切実な訴えに、叫び返さずにはいられなかった。 

 苦しかった。
 辛かった。
 わかってほしかった。
 この思いをずっと分かち合いたかった。
 他の誰でもない他ならぬ彼と共有したかった。

 僕が感じている苦悩や焦燥や渇望や欲望が、彼への親しみ以上の激しい感情が、自分でも制御できず恐怖を感じるほどの炎のような激情が、たちまちのうちに僕を焼き尽くし鍵屋崎直を別のものに変えた。
 僕は僕でありながら僕でなくなった。
 サムライの対等な友人をめざしていた鍵屋崎直は、一人の傲慢な天才としてまわりを見下していた鍵屋崎直は、サムライを前にしてただの直になった。彼の直になった。プライドより欲望を優先し感情より理性を優先する僕はもうそれまでの僕ではない、サムライへの想いが僕を変えた、あらゆる虚勢を剥ぎ取って本能を丸裸にした。

 会いたかった。
 気がくるうほどに。

 目の前にサムライがいる。
 黙ってこちらを見詰めている。
 ひたひたと狂気が満ちる音がする。
 あれほど会いたかった男が目の前にいるというのに、しかし駆け寄ることは許されず、またその体力もない。
 そればかりか、サムライを前にして凄まじい羞恥と絶望と自己嫌悪に苛まれている。
 浅ましい姿を見ないでくれと心が裂けて悲鳴を上げる。
 暴君に陵辱されボロ布同然となった姿を見られる事に理性が消し飛ぶほどの自責と恥辱を覚える。
 絶えず心を踏み付けられているようだ。
 あれほど会いたかった男が目の前にいるというのにいざとなったらサムライの目を見る勇気がない、まともに顔を見る自信がない。
 自信?
 そんなもの根こそぎ挫けてしまった。
 今の僕に懺悔以外のなにができる。
 全身白濁にまみれ外通路に引きずり出された僕に、髪は乱れ眼鏡はずれ服ははだけ、大胆に暴かれた素肌に暴力の痕跡を散りばめた今の僕に、サムライの目をまっすぐ見詰める資格はない。

 僕の視線は彼を汚す。
 僕の視線は彼を冒す。
 サムライと向き合うのは苦痛だ。

 僕に向けるまなざしに軽蔑が混じっていたら憎悪や怒りよりなお悪い。
 彼の目を見詰め返しその奥に軽蔑や侮蔑を探り当てるのが怖い、裏切り者を見る目が怖い、僕の罪を思い知らせる目が怖い。
 顔を上げる決心がつかない。
 顔を上げたら後悔する。
 サムライと対峙するのが怖い、現実と直面するのが怖い、僕を取り巻く世界の全てに冷ややかな悪意を感じる。
 世界を敵に回したような壮絶な孤独感と絶望感が骨身に染み渡る。
 大気中に漂う悪意に伝染する。
 ランプの光が壁と床と天井に不気味な模様を描く。
 陰鬱な沈黙が場に君臨する。
 下水道をも領土と化した暴君は片手に僕を吊るし、恍惚と酔いしれた笑みを浮かべる。
 傷口に塩をすり込むような笑み。

 「アぁあああああああああああああぁあああああああああああああぁあああッッ!!!」

 下水道に轟き渡る怒号。
 水溜りを蹴散らし残像ひいて肉薄、迅雷の速度で木刀を振り下ろす。
 間近に迫った暴君の額を断ち割らんと振り下ろされた木刀はしかし手ごたえなく残像を股下まで両断、その時には既に身をかわし横に逃れた暴君が容赦なく嘲笑を浴びせる。
 「先を越されてキレたのかよ?わっかりやすい男」
 返す刀で一閃、体重の乗った刺突が頬を掠め髪をちぎる。
 頬をかすめ壁を穿つ木刀にも微動だにせず暴君は余裕の笑み、飄々と軽口を叩く。
 「お前がぐずぐずしてっから俺が先にヤッちまったんだ。我慢はソンだっていい教訓になったろ」 
 干し藁の髪が舞い上がり無残な傷痕と物騒な光をためた隻眼が覗く。
 サムライの顔に怒気が爆ぜる。
 怒りに紅潮したその顔は悲痛に歪み、噛み締めた奥歯が軋る。
 上から下へ断ち割る太刀筋は瀑布の如く、片足を踏み構え薙ぎ払う動作は鋭利な烈風を生じ、残像を切り捨てるやいなや素早く移動する本体を追尾し飛燕の如く刀を翻す。
 神懸った反応速度、常人離れした切れの反射神経。
 幅の狭い下水道では動きが制限されるも、その不利を補って余りある程サムライの技量は優れている。
 腕の振り幅から重心の移動の仕方まで完璧に統制がとれている。
 無駄な動きは一切ない。
 極限まで無駄を削ぎ落とし余計な動作を刈り込み心技体の三拍子が揃った最大限の効力を発揮する。
 払い抜け。
 走り込み、敵の胴をなぎつつ駆け抜ける。
 竜尾返し。
 敵に駆け寄って打ちおろし、そこからさらに変化して切り上げる連続技。
 小転。
 素早い入り身で敵の懐にもぐりこんで攻撃を加える。
 一気に間合いを詰め逆さに切り上げる。
 合わせ打ち、切り返し、巻き打ち、骨砕き。
 攻撃によって生み出した死角から何度も攻撃を加える。
 憤激に駆り立てられてながらも攻撃は正確無比、動体視力の極限に迫る電光石火の剣技が冴えに冴え渡る。
 剣圧に髪が舞い裾がなびく。
 木刀の切っ先が暴君を狙う。
 己の喉もとを狙い迫り来た切っ先をしかし暴君は壁に背中を預けしゃがみ回避、地を這うような足払いをかける。
 サムライは事前に読み後方に跳躍。
 暴君が横薙ぎに放った蹴りは水溜りの水面をしぶかせるだけに終わり、宙に跳ねた飛沫がランプの光を受け燦然ときらめく。
 「キーストアを抱けなくて残念だったなサムライ。あんなに熱上げてたのにな。俺を恨むのは筋違いだぜ、うらむんならお前を裏切って俺に走ったコイツを恨めよ」
 暴君が無造作に顎をしゃくり僕を示す。
 空気が氷点下まで冷え込む。
 「……どういうことだ?」
 暴君の追撃を警戒、木刀を水平に翳し牽制しサムライが低く尋ねる。
 片膝付いたサムライの怪訝な問いに、暴君は口の端を吊り上げ応じる。
 「キーストアは俺を選んだんだ。俺とお前を天秤にかけて俺を選んだんだよ。いつまでもぐずぐず煮えきらねえお前に愛想尽かして抱いてほしいってむしゃぶりついてきたんだ。それとも何か、俺が無理強いしたとでも勘違いしてんのか?そりゃちょっとキーストアに甘すぎんな。いいか?この売春班上がりの淫売はな、自分からめちゃくちゃにしてほしいって頼み込んできたんだ。押せども引けどもてんで応じねえお前にうんざりしてよ」
 「俺のセックスアピールも罪作りだぜ」と暴君が嗤う。 
 「お前に聞かせてやるよサムライ、コイツがどんなに淫乱か、どんなふうにして俺を誘惑したか」 
 「やめろ」
 僕の制止を無視、暴君は嬉嬉として話し始める。
 「コイツは俺の奴隷だ。何でも俺の言う事を聞く素敵な奴隷だ。お前を忘れるためならなんだってするって言った。銃を舐めろっていやそのとおりにした、喉の奥深くまで突っ込んで涎でぐちょぐちょにした、目はとろんとして口半開きですっげーエロかった。お次はいよいよ本番フェラだ。もう待ちきれねえって感じの物欲しげな目でこっちを見てたな。優しい俺は可哀想な奴隷の願いを叶えてやった、コイツが今ほしがってるもんをくれてやった。あの時の顔ときたら傑作だぜ、コイツときたら目の色かえて俺のペニスにむしゃぶりついて、窒息しちまうんじゃねーかってくらい口一杯頬張って、俺が前髪掴んでがくがく揺するたびに口ん中で舌がびくんとなって、喉がひくんて動いて、それがまた最ッ高に気持ちよくてさあ……」
 狂気に憑かれた饒舌さで僕の痴態を暴き立てる暴君に対し、あたりは水を打ったように静まり返る。
 暴君の声だけが暗闇に殷々と響き渡る。
 サムライは凝然と暴君の言葉に耳を傾けている。
 片手に下げた木刀の先が水溜りに浸かるのも気付かず、思い詰めた眼差しで闇を凝視する。
 「嘘だ」
 「だとよキーストア。よっぽど信頼されてるらしいな、お前。男を咥え込んで悦ぶ淫売の分際で」
 「直を侮辱するのはやめろ」
 「真実を明かしたまでだ」
 言葉の応酬に重圧がます。サムライがこちらに一瞥くれる。
 何故なにも反論しないと訝しんでいる。
 サムライの視線を避けうなだれる。
 水溜りに膝をつき、汚水に染まるズボンを見下ろす。
 僕は俯く。俯いて水溜りを覗き込む。水溜りに映り込んだ顔は酷く情けない。
 鼻梁にずれた眼鏡越しに虚ろな眼差しがこちらを見返す。
 シャツの胸元が荒く浅く上下する。
 喘息の発作でもおこしたように呼吸が苦しくなる。
 何か、何か言わなければ。
 気ばかり急いて頭が回らない、肝心の言葉が出てこない。
 喉元で悲鳴が絡む。何度も繰り返し唾を嚥下する。固く目を閉じ心を落ち着かせる。
 毛穴からじわじわと闇がしみこむ。
 気管に貯水した闇の水位がひたひた上がり溺れかける。
 「レイジの言う通りだ」
 みっともなく掠れた声を搾る。
 基本的な声の出し方を忘れたように、喉が不自然に引き攣る。
 ともすれば萎えそうな気力を叱咤し、声帯に本来の機能が回復するのを待ち、たどたどしく続ける。
 「何から何まで彼の言うとおりだ。僕は、自分からここに来た。ホセの案内で、ここに……暴君が潜伏している場所に来た。自分からすすんで彼に抱かれようとした。彼を、誘った。彼の命令に従い銃をしゃぶった、下品な音をたて唾液を捏ね無我夢中一心不乱にしゃぶった、男の物をしゃぶるように丁寧にすみずみまで喉の奥まで咥え込んであまりの苦しさにむせかえった。僕は自分から股間に手を伸ばした、彼がほしいと言った、気持ちよくなりたいと言った。僕をぐちゃぐちゃにしてほしかった。何も考えられなくなるくらい、わけがわからなくなるくらい、ぐちゃぐちゃに抱いてほしかった」
 サムライの顔から表情が消えていく。
 驚愕、絶望、怒り、哀しみ。
 そんな手垢のついた言葉では表現しきれない。
 サムライはじっとこちらを見詰める。
 瞬きさえ忘れた表情は固く強張り、見開かれた目は暗く虚ろで、最前まで満腔に漲っていた覇気が嘘のように失せている。
 絶望を上回る絶望が、失望を上回る失望が、あらゆる感情を麻痺させる。
 僕の口から漏れる言葉が信じがたいとばかり、否、信じたくないといった様子で愕然と立ち尽くす。
 「僕は、君を裏切った。他の男に体をふれさせないという約束を破った」
 沈黙が僕を追い詰め、懺悔に代わる独白を強いる。
 水溜りに突っ伏した僕は、ランプの光を受けて立ち尽くすサムライにむかい、真実を包み隠さず物語る。
 「しかた、ないじゃないか。僕に、どうしろというんだ。僕は不安なのに、唇だけじゃ物足りないのに、なのに君は唇以外に頑として触れようとしない。僕が唇だけで満たされると思ったか、子供騙しの触れ合いで満ち足りるほど子供だとでも思ったか、そんな訳がない、僕はもう男を知っている、何十人もの男を知っている、キスでは決して得られない快楽の味を知っている。気付けば君に欲情していた、君の姿を目で追っていた、君の手と唇が体に触れるところを想像していた。頭が勝手に、体が勝手に」

 苦しかった。
 とても。

 いつからキスだけでは物足りなくなった。
 前はそれだけ満たされていたのに。
 唇が触れ合えば、心も満たされたはずなのに。
 いつしかそれだけでは物足りなくなった。
 唇では火照りを冷ませなくなった。 
 体が疼いて疼いてしかたなかった。
 もっと激しい愛撫がほしいと、もっと激しい抱擁がほしいと、体が求めてやまなかった。
 彼とひとつになりたかった。押さえ付けてほしかった。もっと深く繋がりたかった。表面の触れ合いでは決して手に入らないものがほしかった。
 サムライに欲望を感じていた自分を否定できない。
 サムライに欲情していたのは事実だ。
 売春班で何十人もの男に犯されるうちに快楽に目覚めた僕は、知らず知らずのうちにサムライにもそれを求めていた。
 サムライの事が好きだからこそ、身も心も完全に独占したかった。
 僕の中に入れて独占したかった。
 僕の中に閉じ込めて煮殺してしまいたかった。

 「僕は、汚い。想像の中で君を汚し、今また君を汚そうとしている」
 自分の胸を抉るように奥から言葉を掴み出す。

 僕はサムライにどうしてほしいんだ?
 突き放してほしいのか、受け入れてほしいのか?

 「君が抱いてくれないから、レイジを……暴君を身代わりにした。どうだ、全部話したぞ。軽蔑するか?こんな裏切り者を友人にした自分を呪うか?さあ、近くに寄って唾を吐いてみろ。僕は君を裏切った、あれだけ約束したのに君を裏切って暴君のところにきた、暴君に身も心も売り渡して奴隷となった!失望したか?絶望したか?僕がこんな人間で辟易したか、君の想像通りの人間じゃなくて悪かったな、でもこれが僕だ、これが僕なんだ、この汚れきった僕こそ僕なんだ。目を逸らすな、見ろ。おちぶれはてた天才の末路を」

 顔が卑屈に歪む。
 自虐の笑みが浮かぶ。

 吐く息が白く溶ける。
 全身に広がる震えを押さえ込もうと二の腕を抱きしめる。
 だが震えは止まず激しさをますばかり。
 水溜りの真ん中に蹲る僕のもとへ甲高い靴音が近付く。
 「コイツはもう俺のもんだ」
 暴君が傍らに立ち僕を見下ろす。
 僕の顎を掴みむりやり前を向かせ、白濁の絡む前髪を愛しげに梳く。
 「お前は過去の男だよ、サムライ。コイツの一番辛い時にそばにいてやれなかった男がいまさらしゃしゃりでてくんな」
 サムライの顔に苦渋が滲む。
 僕にかける言葉を失ったかのように立ち竦むサムライを挑発的に見返し、暴君は背後に回る。
 僕の背にのしかかるやズボンに手をかけ、うっそりと笑む。
 「折角だ、ギャラリー多い方が楽しいよな。コイツが目の前で俺にヤられるとこ見せてやる。そうすりゃさすがに踏ん切り付くだろ?」  
 暴君の手がじらすようにズボンを脱がしていく。半ば剥きだしの臀部にひやりと外気がふれる。 
 水溜りに突っ伏した僕の視線の先、木刀を握る手が震える。
 「直に触るな」
 サムライの声は酷く冷たい。
 鞭のように引き締まった痩身からあたりを薙ぎ払う殺気がすさぶ。
 眼光が威圧を増す。
 表情が刃物の如く鋭くなる。
 怒り狂っていることを証立てるようにまとう空気が豹変する。
 圧縮した殺気が極大の威圧を伴い解き放たれ、無秩序に散らばった水溜りを不吉にさざめかせ、暴君めがけ殺到する。
 己めがけ撃ち込まれる殺気の塊にも余裕の笑みを消さず、恥辱を煽る緩慢さで手を進め、弛んだズボンをずりさげていく。
 「キーストアがヤられるとこぼーっと突っ立って見てんのか?いい趣味だな、お前。なんなら3Pするか。上の口と下の口どっちがいいか選べよ」
 汗ばむ手を握り込む。
 ズボンが捲れて臀部が露になる。
 暴君は舐めるように僕の尻を見て双丘に手を這わせ、そして……
 
 『随分づまんねー男になりざがっだな』
 錆びた鋸を引く濁声が割り込む。
 
 凱がいた。
 それまで存在を忘れていた凱が、サムライを押しのけるようにして堂々と歩を踏み出す。
 爛々と嚇怒に燃える双眸と赤らむ顔、ふてぶてしく曲がった唇はまさしく悪鬼の形相。
 襟ぐりから突き出た猪首に大胆な傷痕が走る。
 道了が靴に仕込んだ刃で切り裂かれた名残りだ。
 喉はふさがっても声帯は今だ完治してないらしく、発する声はひどく濁って聞き取り辛い。
 凱は残虐兄弟を従え通路の真ん中に立つ。
 臆病者なら気死せんばかりの憤怒の形相。
 
 『東棟の王様どもあろう男が随分ゲスな真似しでんじゃねーが、平和主義者気取りのお前らじくもねえ。皆から好がれるやざじい王様が目標だっだんじゃねーのか?それが道のど真ん中でダチのケツひん剥くだあまるぎりケダモノと一緒じゃねーか。今のお前がやっでることは他の連中とどっこも変わんねえ、東京プリズンにうじゃうじゃいるレイプした女の数を競うゲスどもとどっこも変わんねえ。やいレイジ、天下の王様がいつがらそんな安い男に成り下がった?ロンにふられだのがそんなにショックなのが』

 今にも掴みかからんばかりの剣幕で怒号を畳み掛け、返答次第では撲殺も辞さないと腰を落とし拳を掲げる。
 両脇の残虐兄弟は足が震えている。凱がいなければとっくに逃げ出しているところだ。
 暴君の存在感は異様だ。
 それは実体ある影のように下水道全体を覆い生ある者すべてを食い尽くす。
 暴君を前にして正気を保つのは難しい。
 残虐兄弟をこの場に留まらせているのはただひとつ、命の恩人にして永遠の憧れたる凱への忠誠心に尽きる。 
 沈黙を守る暴君に焦れて凱が一歩を踏み出す。
 一歩、また一歩と間合いが縮まる。
 怖いもの知らずの大股で鼻息荒く突き進みがてら、気合を入れて肩の筋肉を固くする。
 シャツの胸元がはち切れんばかりに膨張する。
 威風あたりを払う尊大な大股で水溜りに踏み込む。
 氾濫した水溜りには一瞥もくれず、濡れるのも構わずのし歩く凱の姿は、ズボンに滴る雫もたちどころに蒸発させる闘志に燃える。 

 『なんどが言えよレイジ。假面にロンをとられたのがそんなにショックなのがって聞いでんだ』

 先刻から暴君がサムライのみを相手にしていたのが不満なのか、ただでさえ剣呑な三白眼が心胆寒からしめる凄味を孕む。
 敵の眼中にさえ入らなかった事実は凱の矜持を踏みにじり、火に油を注ぐ。

 『こちどら夕飯もそこそこにはるばるお前に会いに来だってのにがっかりさぜんじゃねーよ。強きを挫き弱きを助ける東棟の王様はどこいっぢまったんだよ?俺はな、レイジ、こごに入った初めッからお前に目え付けてたんだ。お前におちょくられで一昨日こいって吐かれた時から寝でも覚めてもお前のごとだけ考え出たんだ、お前に勝つことだけ考えできたんだよ。お前のそのおキレイなツラを拳ですり潰す日を夢見て、もう二度と軽口たたげねーように舌を引っご抜いてちょちょ結びにする日の為だけに、他のヤツらを死ぬほどぶん殴って鍛えできたんだ』

 喉の傷がねじれる。 
 握り込んだ拳にいきりたった健が浮かび上がる。

 『勝ぢ逃げは許ざねーぞ、レイジ。こごらでいっぢょ決着付けようや、俺どお前の因縁に』

 凱の形相は凄まじいの一言に尽きる。
 額とこめかみには血管が青く脈打ち、極限までひん剥いた双眸は爛々と血走り、唇を捻じ曲げるのに合わせて喉の傷がみみずのようにのたうつ。

 『お前がこの上腐りきっだ真似するなら俺がこの手で引導渡してやる。お前に失望させられんのだきゃごめんだ。こちとら東京プリズンにぶち込まれてからずっとお前を倒す事だけ考えて鍛えできたんだ、ライバルと見込んだ男がそこらのゲスと似たり寄ったりのクズに成り下がるのを見せ付けられんのは正直こだえる。お前はずっど、ずっど王様でいなぎゃだめなんだよ。俺が見込んだ男が、東京プリズンで唯一見込んだ王様が、ダチをボロ雑巾のように弄んで捨でるような最低野郎だって事になっだら面子にかかわるんだよ』

 凱が全体重かけ水溜りに踏み込むたびさながら瀑布のように水柱が立つ。
 荒々しく水溜りをぶち撒け飛沫を被り、恐れるものなしといった大股で乗り込みつつ、眇めた目に一抹の感傷を過ぎらせる。
 険悪な形相には似つかわしくない、憐れむような目。

 『今のお前を見たらロンが哀じむ』

 醜悪な顔を歪め鬱屈を吐露する凱を、暴君は小首を傾げ見返す。
 そして言う。
 凱の存在意義を根本から覆す一言を、心底不思議そうな顔で。

 「だれだっけ、お前」
 『ごあぁああああああああああああああああああぁああああああああああっああああ!!!』

 全身の毛を逆立て吠え猛る獣の如く、濁りに濁った絶叫が轟く。
 暴君まで残り五メートルの距離に迫った凱が猛然と疾駆、体重を乗せた鉄拳を放つ。
 腰に捻りを咥え豪速で振り抜いた拳の威力は絶大、当たれば顔面陥没は不可避。
 しかし暴君は軽薄な笑みを浮かべ、拳の軌道を予め読み受け流す。
 標的を逸した拳は暴君の壁向こうの壁を穿ち、床から天井に至る全体を振動させる。
 暴君の背後の壁に拳が陥没、大小の亀裂が生じる。
 濛々たる粉塵立ち込める中、傷痕も痛々しい喉を膨らませ咆哮を上げ、コンクリートの剥片纏う拳を豪速で振り上げる。
 『俺の拳にびびって逃げ出すたあ東棟の王様もとうどうヤキがまわったらじいな!!安心じろ、鼻っ柱挫いて全部の歯あ引っこ抜いたあとは全身の間接ふたっつずつ増やして色狂いの油地獄にたたぎこんでやるよ!!』
 「蝿の卵が孵って蛆が這ってるのが見えそうに鈍い拳」
 欠伸を噛み殺す表情で暴君が嘯き、つまらなそうに目を動かし凱が繰り出す拳を片端から避ける。
 頭を低め鮮やかに反転、腰をしなやかに捻り身をかわす。
 四肢のバネが自在に伸縮、鍛え上げたダンサーのようにスピードと優雅さが同居する柔軟な動作を可能とする。
 「諦めろ。あいつはもうどこにもいないんだよ、この俺が乗っ取っちまったからさ」
 おのれの胸に親指をつきつけ暴君が宣言すれば、渾身の拳がどれも不発に終わり、憤懣やるかたなく滾りたった凱が唾を吐く。
 『レイジのツラしながらレイジじゃねえ?ふざけやがっで、この俺様が断言するがお前はレイジだ、レイジ以外の何者でもねえ!その干し藁みてーな髪も硝子みてーに透き通ったお目めも高い鼻もにやけた口元も全部レイジのもんじゃねーか、今さら別人名乗っでトンズラここうなんざやりぐちがしゃらぐせーんだよ!!』
 「凱さん頑張れ!」
 「王様ぶっ倒したら今度こそ東棟は凱さんの天下だ!」
 「凱さんが東京プリズンで一番強い男だって証明されるんだ!」
 「ついていきますどこまでも!」
 「「加油!加油!加油!」」
 「「凱大哥加油!!」」
 残虐兄弟が拳を握り声を揃え声援を飛ばす。
 「人気者だな」
 凱を応援する残虐兄弟をちらりと一瞥、小馬鹿にするように唇の端を捲る暴君に向かい、凱が憎憎しげに笑う。
 『やいでんのか』
 「何?」
 『だれにも応援してもらえなぐて寂しいのが。ご覧の通り俺には味方がいる、俺の勝利を信じで疑わねえ可愛い舎弟がふたりもいる。お前はどうだ、王様。お前の勝ちを望む人間がこの場にいるか、味方になってぐれる人間がひとりでもいるか?よーくまわりを見回してみろよ。鍵屋崎もサムライもお前に手え貸す気は毛頭ねえどさ、とっとと俺にヤられちまえと顔に書いである、ひとりぼっちのお前の味方はこの下水道に誰もいねーんだよ!!』
 その言葉は、はからずも暴君の深いところを抉る。
 凱にとっては単なる挑発に過ぎない言葉が、受身に徹する暴君に本気を出させるための発破に過ぎない罵倒が、戦局をひっくり返す。
 「……凱だっけ?」
 暴君が微笑む。
 ランプの光に照り映えるその笑みは不安定な揺らぎを帯び、狂気を孕んだ危うい陰影を強調する。
 「うぜーよ、お前」
 暴君が反撃に出る。
 奇声を発し突っ込んだ凱の眼前からその姿が消失、次の瞬間ー……
 凱がもんどりうって吹っ飛び、3メートル離れた壁に激突。
 鋭利な弧を描きこめかみに打ち込まれた蹴りの威力は絶大、直接脳を揺さぶられた凱は平衡感覚が麻痺し、派手な音たて水溜りに尻餅付く。
 「「凱さんっ!?」
 「随分派手にはしゃいでるじゃないですか、レイジ君。我輩も仲間に入れてくださいよ」
 水溜りに尻をついた凱に駆け寄る残虐兄弟、支えあう三人を冷ややかに見下ろす暴君のもとへ影が忍び寄る。 
 それまで石室の内で沈黙を守っていた隠者の姿が、ランプの薄明のもと晒される。
 「…………お前が黒幕か」
 肩をぬくもりが包む。
 見せかけの親密さでレイジに寄り添うホセを見咎め、争いの混乱に乗じ僕の背後に回ったサムライが低く呟く。
 濃密に漂う欺瞞の気配、利益が一致した共犯者の結束。
 奇妙な連帯感を漂わせ寄り添う二人を油断ない目つきで見比べ、殺伐と乾いた声で問う。
 「直を連れ去り何を企んでいる。吐け」  
 「人聞き悪いですね、そちらの方からレイジ君に身を売り渡したというのに。我輩はただレイジ君のもとへ欲求不満を解消する肉奴隷を配達しただけです。いわば善意の使者です。もろ手を広げ喜ばれこそすれ非難される謂れはございませんが」
 聖人面で微笑み、眼鏡の位置を直す。
 サムライは僕の肩に手を添え支える。肩から流れ込むぬくもりが唯一の拠り所だ。
 僕を支えるようにして傍らに片膝付いたサムライは、ホセから暴君に目を転じ、細めた双眸に悲痛な色を閃かせる。
 「………レイジ。本当に、かわってしまったのか。お前はもうお前じゃないのか」
 ひどく苦しげな声を絞る。木刀を握る手に力が篭もる。
 内面の葛藤を表すように顔が引き歪み、暴君を射抜く視線にそれまでの敵意とはちがう感情が混じる。
 至近距離の僕にはサムライの苦悩が手に取るようにわかる。
 レイジの変貌を今だ受け止めきれず、目の前の男の中に面影の断片をさがそうとしている。
 怒りと焦りと哀しみとそれら全部が混沌と入り混じった複雑な感情を持て余し、やりきれなさに駆られて訴える。
 「俺の事が、直の事がわからぬのか。ともに修羅場をくぐった友の顔を見忘れたか」
 「お前の事なんて知らねーよ、なれなれしく呼ぶな。レイジなんてやつはもうこの世にいないんだからさ」
 サムライの話などはなから聞く気がないといった風体で耳の穴をほじりながら肩を竦める。
 暴君の気のない態度にも挫けず、サムライは濡れ髪から雫を滴らせ、万感の想いを込めた眼差しを彼に注ぐ。
 髪から滴る雫を払う暇も惜しみ、挑むように暴君を見据え口を開く。  

 「……ほんの数ヶ月前の話だ。俺達は売春班送りになった直とロンを救うため、二人手を組んでペア戦出場を決めた。お前はロンのため、俺は直のため。だがそれだけじゃない。ロンは俺の友人でもある、直はお前の友人でもある。売春班に送り込まれた二人を取り戻すために、元の日常をとりもどすために、おれたちはたがいがたがいのために戦った。四人が四人のために戦った。誰一人欠けてもだめだった、四人がひとつになって試合に挑む必要があった。ところがペア戦前夜、俺は足首を捻挫した。その事を黙って試合に出た俺を、お前は責めた。胸ぐらを掴み、物凄い勢いで罵った。俺を腰抜けと嘲った。なぜ痛いくせに無茶するのかと、なぜ自分にまかせないのかと、いつも飄々と構えているお前らしくもなく掴みかかった」

 淡々とした語り口に記憶がよみがえる。
 地下停留場に通じる控えの廊下で掴み合うサムライとレイジ、なぜ怪我の事を黙っていたと詰問するレイジに憮然とした沈黙を貫くサムライ。
 
 『右手怪我してんならさっさと俺と交替すりゃいいだろが、なに意地張って一人で戦ってんだよ時代遅れのサムライ気取りが!!なんだよこの包帯は、痛いなら無茶すんなよ二度と剣握れなくなったらどうすんだよ!?』
 『大事はない』
 『嘘つけ、試合中額にびっしり脂汗浮かべてたのはどこのだれだ?木刀振るたびに辛そうな顔して痛み堪えてたのは?俺も鍵屋崎もロンもちゃんとこの目で見てんだよ、いまさら言い逃れできるわきゃねえだろ。刀振れないんなら交替しろよ、後は俺に任せろよ。万一お前がリングで負けたらその時点で100人抜き実現不可能で俺たちの敗北決定するんだぜ、ロンと鍵屋崎を助け出せなくなるんだぜ!?お前が無理して手首痛めて何の得があるんだよ、負けちまったら全部おしまいだろうが!!』

 「耳に痛い正論だった」
 俯きがちに苦笑する。
 当時の事を思い出してるらしく、伏せた双眸が追憶の光に濡れる。
 「あんなにあせったお前を見たのは初めてだった」 
 「だからなんだよ?」
 緩慢な動作で正面に向き直り、不快げに顔を顰めサムライを見下す。
 サムライは淡々と続ける。
 しんと冷えた床に跪き、僕の肩に手をおき、そうすることによって自分をも支えるように続ける。

 「覚えているか。直が攫われた時、お前はロンとともに助けに来た。はるばる砂漠を乗り越えて焼却炉にまでやってきた。満身創痍の俺が直をおぶって焼却炉から出てきた時、真っ先に迎えてくれたのはお前だ。いつもどおりの笑みで、いつもどおりの気楽な風情で、実にあっけらかんと声をかけてくれた。お前はいつもそうだ。深刻ぶってまわりを暗くするより茶化して明るくする方を選ぶ。ペア戦の時もあの時も、お前は常に俺達をひっぱってくれた。俺達四人の中心にお前がいた。お前が要だった。お前は俺たちを叱咤し、からかい、洒落のめし、士気を維持してくれた。俺はお前に感謝している。100人抜きが達成できたのもお前がいたからこそだ。お前の助力なしでは100人抜きは成し遂げられなかった。認めるのは悔しいが俺一人では直を助け出せなかった」

 言葉を切り、一呼吸おいて深々頭を垂れる。

 「感謝している」

 凛と伸びた背筋を丸め、僕の肩に手をかけ縋ったまま、言葉では語りきれぬ感謝の念を伝えようと誠実に礼をする。

 「俺はお前に救われていた。いや、ちがう、俺だけではない。俺達皆がお前の明るさに救われていた」

 ねっとりたゆたう闇にランプの光が濃淡を持たせる。 
 石室から漏れ出づる光が床を掃く中、沈痛な面差しでサムライは物語る。

 「お前とは長い付き合いだ。ロンより直よりもっと長い。お前のいい加減さにうんざりすることもあったが、心のどこかで憧れていた。俺はつまらん男だ。口数少なく愛想がない。人といても話が弾まん。……今だから恥を忍んで告白するが、お前みたいに気楽にやれたらどれだけいいかと羨むこともあった。お前は人を惹き付ける。どうしようもなく惹き付ける。お前の強さ明るさを、人をふりまわす奔放な振る舞いを、一方ではけしからんと眉をひそめながら一方では好ましく思っていた。お前は俺にないものを持っていたから」
 「つまんねー話」
 「お前は俺の友だ、レイジ」

 サムライが断固として言う。

 「キーストアにフェラさせたのに?キーストアの口にペニス突っ込んでぐちゃぐちゃにあらしまくった俺が、こいつの髪と顔にザーメンぶちまけた俺が、まだお前のダチだっていうのかよ。馬鹿かお前。よく見ろよ。キーストアをぐちゃぐちゃにしたのはどこの誰だ、目の前にいるこの俺だ、俺がキーストアに上向かせて口開けさせてペニスを突っ込んだんだよ、キーストアがえずこうがお構いなしにな。そんな俺がダチだって?ふざけんな、ダチがこんな事するかっての」
 「だが友だ」
 「………わかんねーやつだな。またキーストアを犯してやろうか」

 残忍に眇めた目が野蛮な光を孕む。
 干し藁の髪の隙間から鋭い眼光を放ちサムライを牽制するも、サムライは落ち着き払った態度を崩さず僕を庇う。
 ランプが仄白く照らす横顔は消耗激しく、しかし断固たる表情を浮かべている。
 乱れ髪の間から猛禽の眼光を放ち、ぬれた服越しに肩甲骨の形が浮き出る背に僕を庇い、肺腑を絞るように言葉を紡ぐ。

 「直にしたことは許せん。だが、お前は友だ。かつてともに戦った男、おなじ修羅場をくぐりぬけた男だ。お前には恩がある。お前は俺を助けてくれた、俺の目を覚まさせてくれた。直が売春班に配属されて一週間後だ。お前は俺の房を訪ね、俺を殴った。おもいきり。痛かった、とても。骨身に染みるほど。お前は言った、俺が腰抜けだと、卑怯者だと。友達を見殺しにする気かと。お前がそう言ったから迷いを吹っ切り扉を開けることができた、一番大事な事を見失わずにいられた、ぎりぎり直の窮地に間に合う事ができたのだ」

 サムライの手が僕の肩から滑り落ち、そのまま水溜りに突っ伏す。

 「お前のおかげだ、レイジ。お前はまだ消えてない、直をキーストアと呼ぶのがその証拠だ。頼む、戻ってきてくれ。戻ってこなくば殴ることもできん」

 水溜りに両手を付きひれ伏すサムライを暴君は冷めきった無表情で見下ろしていたが、ふいに唇が動く。

 『私の敵は退くとき、つまずき、あなたの前でついえ去ります』

 干し藁の髪をなびかせ暴君が颯爽と歩み出す。
 ランプの光に包まれたその姿は神々しく威厳を持ち、唯我独尊の悪魔のような邪悪な翳りをも眦の淵に秘める。
 『あなたが私の正しい訴えを支持し、義の審判者として王座に着かれるからです。あなたは国々をお叱りになり、悪者を滅ぼし、彼らの名をとこしえに消し去られました。敵は絶え果てて永遠の廃墟。あなたが根こそぎにされた町々、その記憶さえ消え失せました』
 水溜りのただ中に立ち、呟く。
 「……どいつもこいつもレイジレイジってしつっけーんだよ」 
 暴君がホセを振り返る。
 「ホセ、ここを頼む」
 「どこへ行くんですか?」
 「こいつとふたりっきりで話があるんだ」
 水溜りに突っ伏したサムライを親指の腹で示し、体ごと向き直る。
 「邪魔が入らねーところで決着つけようぜ、サムライ。万一勝てばキーストアは返してやる。負けたら、そうだな……」 
 サムライが木刀を掴み立ち上がる。 
 幽鬼じみた瘴気を纏い立ち上がったサムライと正対し、その顎を掴み上向きに固定する。
 褐色の指がいやらしく顎先を這う。
 サムライの首筋の残る火傷をためつすがめつし、三日月形の瞳に愉悦を滲ませた暴君がご機嫌に喉を鳴らす。
 「俺の奴隷になれよ」
 「承知した」
 サムライは請け負う。
 『待で、勝負はまだ終わっぢゃねーぞ!?俺をほうっぽってサムライを選ぶのが、ふざげんなごの野郎、ぜっかく苦労して暗くて臭え下水道にまでもぐったってのにまたお預けがよ!』 
 サムライを伴い踵を返す暴君に食い下がる凱だが、まだダメージが完全に回復してないらしく、残虐兄弟に脇を支えられふらつく姿が心許ない。
 暴君の背を追ってしゃにむに駆け出そうとした凱の行く手を、闇に溶け込むような人影が阻む。
 「通しませんよ」
 壁に模様を描くランプの光が隠者の顔に邪悪な陰影をつける。   
 眼鏡の奥の目に奸智の光を孕ませ、策士然とした佇まいで狡猾な笑みを湛える隠者に向かい、満面朱に染めた凱が吠え猛る。
 『どげ隠者、男同士の勝負を邪魔ずるんじゃねえっ!!巨根は目障りだ、引っ込んでろ!!』
 「下品な方ですね。事前にご忠告しておきますと、今ならまだ五体満足で帰してあげますよ」
 「うるさい巨根!」
 「引っ込め巨根!」
 「やれやれ……後悔しても知りませんよ」
 凱一党を阻止する形で通路の真ん中に立ち塞がったホセが、穏やかな笑みを絶やさず拳を構える。
 「三分で済ませます」
 『ほざけ巨根がぁああああああああああぁ、お前の自慢のイチモツ根元からぽきんと折ってケツにぶっさじでやる!!』
 自信に満ちた宣言を皮切りに、凱と残虐兄弟が怒涛を打ってとびかかる。
 「待て、行くな!」
 その時になり漸く金縛りが解ける。 
 放心状態から覚めた僕は暴君とサムライを追って走り出す、靴が水溜りに突っ込み飛沫を跳ね上げ顔にかかる。
 闇に手を伸ばしかき分けサムライを追う、追いすがる。
 「サムライを連れて行くな暴君、君の奴隷は僕だけで十分だ、僕を好きにできればそれで満足だろう!?この上なにを望む、なぜ無駄な血を流す!行くなサムライ戻って来い、帰って来い、行くな……」
 僕をおいていくな。
 いかないでくれ。
 「直」
 僕に背を向けたままサムライが言う。  
 決して僕の方は見ず、ただ前だけを見据え、ぎりっと木刀を握り締める。
 「しばし待て。レイジを叩き起こしてくる」
 眦を決し戦いに挑むサムライにもはやかける言葉もなく慄然と立ち竦む僕を、夥しい闇の触手が絡めとる。
 足に腕に胴に触手が絡んで引き戻す。
 体中の穴という穴から闇が忍び込み気管をふさぎ呼吸が苦しくなる。
 限界まで伸ばした手の先、闇に溺れてもがく僕のはるか彼方に遠ざかりながら、ぬばたまの闇にも染まず端然と背筋を律した男が断言する。
 「それもまた、友の務めだ」


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