ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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三十四話

 隆々たる筋骨で鎧われた巨漢が怒髪天の咆哮をあげる。
 「ぎゃあああああああああああっああああああああああっああああああす!」
 たまぎる叫びを上げる巨漢の脇に侍るのは一方の頬傷以外瓜二つの囚人、残虐兄弟の異名をもつ強姦魔ユエとマオ。
 怒り狂う巨漢を挟み左右対称に展開した兄弟と対峙するのは、眉間に焦燥の皺を刻んだ仏頂面の男。
 片手に一振り木刀を下げている。
 年経りて飴色の艶を帯びた刀は強靭に反り、一切の贅美を排し、実戦のみで鍛え上げた峻烈な潔さを漂わせている。
 「どけ。お前らにかかずりあってる暇はない、俺には用がある」
 眼光鋭利な切れ長の目で薙ぎ払うように行く手を端倪、親指で鍔を支え木刀を斜に傾げ、鍛え抜かれた身振りで秘められし実力の片鱗を示威する。
 場が緊迫する。
 視線が衝突し、火花が散る。
 鞭のように引き締まった痩身に怒気を宿すサムライと、体積が増したかのように闘気を開放する凱とが5メートルを隔て対峙。
 二人のもつ気は対照的だ。
 サムライの闘志は身の内を静かに流れ、木刀にのせて解き放たれるまさにその瞬間に備え、極限まで練り撓められる。
 凱が満腔より放つ闘志は周囲のものすべてを薙ぎ払うような莫大な圧力をもち、有象無象を容赦なくねじ伏せにかかる。
 虎視眈々たがいを牽制しあう。
 両者とも一歩も引かぬ面構えと気迫でもって間合いを狭めにかかる。 
 殺気の底流を塞き止めるように立ち、サムライは動じない。
 脂染みた前髪の隙間から炯炯たる眼光を放ち、一分の隙なく木刀を構える。
 「無益な殺生は本意ではない。大人しく退くなら五体満足で帰してやる」
 伸びた前髪の隙間から凄惨な眼光を覗かせたサムライは、刃の如く酷薄な表情のままに、行く手を阻む一党に退散を命じる。
 しかし一党はそこを動かず居直るばかり、サムライの忠告を聞き入れ戦線から退く気配はない。
 ユエとマオはサムライの静かなる怒りに気圧され、若干腰が引け気味で顔にも緊張が漂う。
 対して凱の物腰は至って堂々たるものだ。
 蛮勇な大股で踏み構える姿は猛々しい迫力に溢れ、臆病者ならひと睨みで気死せんばかりに滾りたつ目つきが比類なき豪胆さを表す。
 襟ぐりから突き出た猪首に無残な傷痕がある。
 今を去ること一ヶ月前、道了との対決時に負った傷。
 ぎざぎざの破線を描き喉を横断する傷は見るも痛々しいながら、もとより厳つい醜貌と奇妙に調和し互いを引き立てあい、敗残者の不名誉の烙印がひとかたならぬ凄味を付与する健闘の勲章ともとれる。
 冒頭の雄叫びから一転、凱は不機嫌に口を結び沈黙を保つ。
 嚇怒をやどし爛々と煮え滾る目つきと赤黒く上気した顔、ふてぶてしくひん曲げた唇が、小心者なら失禁せんばかりの形相を作る。
 凱は怒り狂っている。
 全身の毛穴から蒸気が噴き上がる幻覚が見えるほどに身の内で溶岩が滾り立ちはらわたが沸騰する。
 触らぬ凱に祟りなしが囚人の間での暗黙の了解にして共通の認識。
 囚人はみな凱の逆鱗にふれるのをおそれ無難に迂回する。
 しかし今、迂回する道もまた左右対称に展開した残虐兄弟によって閉ざされた現状を打破するには実力行使しかない。
 「退かぬなら退かすまでだ」
 こんな所で足止めされてる場合ではない、直のもとに急がなければ。
 胸の内を暗雲が蚕食する。
 直の身に刻々と危機が迫っている。
 理屈ではない、直感として悟る。
 サムライの勘はこと危地に及んで外れた試しがない。
 サムライが離れ離れになった直を案じる時、直の身には必ずよからぬ事が起きていた。

 直がいない。
 ただそれだけでどうしてこんなにも胸が騒ぐのか。

 無事でいてくれ、直。
 どうかこの通りだ。

 シャツの下で心臓が鼓動を打つ。
 祈るような心地で木刀をとる。
 こうしているあいだにも取り返しの付かない事態に陥ってるかもしれない。
 自分のいない場所で目の届かない場所で直が危険に晒されてるかもしれない。
 
 木刀に指が食い込み、みしりと鳴る。
 怖い。
 直を失うのが怖い。
 一刻も早く直のもとへ行きたい直の無事をこの目で確かめたい連れ戻したい。

 木刀を正眼に構える。
 左右に気を配り死角をなくす。
 木刀の切っ先を凱に擬し、磐石の安定感と臨機応変の瞬発力とが兼ねあう重心で踏み構える。

 「お前らの悪ふざけにかかわりあってるほど俺は暇ではない。レイジの居場所など知らん、勝手に捜せ」

 そっけなく指図すれば、凱を庇うようにして前に出た残虐兄弟が虚勢を張って野次をとばす。
 「随分つめてーじゃねーか、ダチのくせに」
 「ダチのくせに」
 ユエとマオがうりふたつの下卑た笑みを浮かべる。
 「レイジのこと心配じゃねーのかよ。のけもの四人でよく固まってたろ、食堂でも廊下でも図書室でもさ」
 「気心知れたダチのお前ならレイジの居場所についてなにか知ってるんじゃねーかと凱さんはお勘繰りだ」
 阿吽の呼吸でやりこめにかかるユエとマオを底光りする眸で睨み、苦渋の滲む顔つきで吐き捨てる。
 「くどい。あいつの居場所など知らん、わかればとっくに連れ戻している」
 「どうだかな」
 「お前は仲間思いだもんな。レイジの事庇ってんじゃねーか?」 
 「義に厚く仁に熱いサムライなら、追っ手のかかった仲間の為に心にもねえ嘘のひとつやふたつつくんじゃねーか」
 ユエとマオが満面に人の神経を逆撫でするいやらしい笑みを広げる。
 粘つく眼差しを注がれたサムライはといえば、弁を尽くし疑惑を払う暇を惜しむかのように眉をひそめ、質問を投げ返す。
 「……レイジに用があるのか?」
 『おおどもざあああ』
 地の底で轟き渡る溶岩の如き不気味な声が湧く。
 そちらに向き直る。
 これまで沈黙を守っていた凱が、隆々たる筋肉盛り上がる肩で残虐兄弟をおしのけるようにして歩を踏み出す。 
 分厚い筋肉に覆われた胸郭が上下し、喉元の傷が醜く引き攣る。
 『とっどとレイジの居場所吐いだほうが身のだめだぜ』
 不恰好に膨らんだ喉からざらつく声が放たれる。
 錆びた鋸を引くような濁声はその音量でもって大気をびりびり震わせる。
 喉を負傷した凱の言葉はひどく不明瞭で聞き取りづらい。
 その濁りが底知れぬ凄味を付与するのもまた事実。
 凱の恫喝を真っ向から受けてもサムライは動じず、訝しげに目を細める。
 怪訝な表情で見返すサムライを嚇怒に燃える目で睨みすえ、暴発寸前の怒りを押さえ込むように獰猛に唸る。

 『ごぢとら我慢の限界なんだよ。レイジのやづ、この俺ザマを無視して好き勝手しやがっで……俺は凱だ、東棟三位の実力者だ、中国人三百人の頂点に立つ男だ!これ以上蚊帳の外はごめんだ!俺との勝負が決着つかねーうぢにトンズラごくなんざ許ざねーぞ!東京プリズンに入ってからずっとあいつが目障りだった、俺の上にはレイジがいた、余裕の笑みでおちょくるあいつが目障りでしかだなかった……あいづの鼻っ柱くじいて東棟のトップになるのが俺の野望だ、ごのまま勝ち逃げされぢゃ困るんだよ!』

 凱はとめどなく猛り狂う。
 今の凱はレイジに裏切られた気持ちで一杯だ。
 好敵手にして永遠の目標たる男が消えたことで完全に狂乱に陥ってる。
 凱の狂態を醒めた目で観察、ペア戦決勝時での尋常ならざる取り乱しぶりを思い出す。
 片目を失い担架で運び出されたレイジに必死の形相で取り縋る凱、レイジの名を呼び衆人環視の中人工呼吸まで試みたのは、死亡による勝ち逃げを許したくない執念に尽きる。

 レイジの逃亡は、好敵手を自認する凱のプライドを容赦なく踏み躙った。
 凱は全身に怒気を漲らせサムライを睨む。

 『まだ決着はづいてねえ。俺が勝つまで勝負は続ける。レイジの首ねっごひっ掴まえてリングに引きずりだじでやる。正直に白状じろよ、サムライ。お前ならレイジの居場所知っでんだろ?知らないわぎゃねーよな、あんだけ仲良くじてるぐぜによ。気まぐれな王様だって親しいダチのひどりやふだりにゃ隠れ家打ち明げるはずだ』
 「生憎親しい友とは思われなかったらしい」
 挑発には乗らず淡々と返す。
 つれなくあしらわられ、凱が気色ばむ。
 「レイジの居場所など知らん、俺とて知りたいのが本音だ。そこをどけ、これ以上手間をとらせるな」
 「サムライのくせに生意気だ!」
 「東棟万年二位でレイジにかないっこねーくせに!」
 「だが、お前よりは強い」
 凱の両脇から罵声を浴びせる残虐兄弟を冷ややかに一瞥、誰の目にも明らかな真実をつきつければユエとマオが固まる。  
 「レイジの居場所を聞くために罠を仕掛けて待ち伏せしたのならあてがはずれて残念だな。今の俺には優先すべき用がある。かけがえのない友が俺を呼んでる。行かねば名が廃る」
 『相変わらずお熱いごっだな』
 サムライが急く目的を漠然と察したらしく凱が野卑に笑う。
 下卑た笑みを満面に滴らせた凱が横柄に顎をしゃくり、残虐兄弟を左右対称に配置させ道を塞ぐ。
 『あぐまでだんまり決め込むづもりなら力づくで吐がぜるまでだ』
 耳障りな濁音で述べる凱にサムライは歯噛みする。
 どうやら凱との衝突は避けられないらしいと諦念に達し、改めて木刀を構える。

 隙のない正眼の構え。
 油断ない目つきで動向をさぐり、慎重に間合いを詰める。
 凱もまた腰を低め拳闘の構えをとる。

 レイジの逃亡に一番腹を立てているのは凱だ、とサムライは理解する。
 東棟第三位の実力者として中国人の代表を名乗る凱は、執心するレイジにまるきり存在を忘れ去られ、筆舌尽くしがたい恥辱を被ったのだ。
 傷付けられたプライドを修復するため、失墜した名誉を挽回するため、凱はどうあってもレイジの居場所をつきとめ再戦を挑むつもりだ。
 そして、レイジの居場所を知りうる数少ない手がかりとしてサムライに目をつけた。

 タイミングが悪い。

 木刀に意識を集中、切っ先に戦意を傾注しようと努めるもなかなか雑念を払拭できない。
 集中力が散る。
 剣を握ればたちどころに鬼と化し修羅と化すサムライらしくもなく心が千々に乱れる。
 直、直。
 どうしている、直。
 お前の顔が見れない、声が聞こえない、触れられない。
 たったそれだけの事で俺はもう常の冷静さを保てられなくなる。
 今朝声をかけておくべきだったのだ。
 否、昨晩のうちに問いただすべきだったのだ。
 見てみぬふりをした俺にこそ非があり咎がある。
 俺の卑劣さが直を苦しめ追い詰めたのだとしたら、俺は……
 遠い昔に死んだ女の優しい面影が脳裏を過ぎる。
 力及ばず守りきれなかった女の面影が直のそれと重なり、心臓が強く鼓動を打つ。

 俺はまた、選択を間違えたのか?
 過ちを犯したのか?

 疑問は疑惑に変じ、あとからあとから湧いてきてはサムライを渦中に飲み込もうとする。
 サムライは剣を握る。
 正眼に構えた木刀の切っ先を小揺るぎもせず凱に擬し、武士にあるまじき気の迷いを抑圧せんとする。
 士気を鼓舞するサムライの正面、剥き出しの憎悪にぎらつく顔に人よりは獣に近い好戦的な笑みを湛える。
 『レイジは俺の獲物だ。他のやづに渡じでなるもんが。あいづを殺るのは俺だ。一番乗りでじどめでやるんだ。あどがらわいででだ假面なんぞに横取りざれてだまっかよ』
 空気が撓む。
 どちらが先に動くが予想できない。
 目を配り気を配り相手の隙をさぐる。
 相手が隙を晒した途端に付け込もうと水面下で鍔迫り合いが繰り広げられ、空気が帯電したように殺気を帯びる。

 木刀の切っ先を上げる。
 拳を強く握り込む。

 火花散る視線の鍔迫り合いの末、先に行動をおこしたのはー……
 
 衝撃が襲う。

 「「ひぶえっ!?」」
 残虐兄弟が声を揃え悲鳴を上げる。
 建物を突き上げるような衝撃が一同に降りかかり、彼らが今いる廊下全体を揺さぶる。
 床が壁が天井が揺れる。重力が増したように押さえ付けられ、かと思えば浮揚感に包まれて足裏が滑る。 
 「じ、地震!?おっかねーよあんちゃん、潰されちまうよ!」
 「大丈夫だ弟よ、あんちゃんが守ってやる!」
 『どうあ!?』
 突如として床から天井に至るまで走った衝撃の威力は絶大で、さしもの凱もバランスを崩しあわや転びかける。
 ひしと抱き合う残虐兄弟と足を縺れさせ慌てる凱をよそに、サムライはむしろ地震を好機と見なし、突破口を開く。
 「ふっ!」
 口から気合を発し、頭を屈めた低姿勢で一直線に疾走。
 凱めがけ一陣の疾風の如く疾駆、横薙ぎに払った木刀で地を這うようにして凱の足首に痛恨の一撃。 
 『!?!痛だあああああああああああっあああっああ!!!』
 足払いをかけられた凱は濛々と誇りを舞い上げ派手に転倒する。
 サムライは速度を緩めず凱を飛び越し疾走する。
 「ああっ、サムライがいっちまう!」
 「追え、追うんだ弟よ!あん畜生逃がすもんか俺らの凱さんにひでーことしやがって、捕まえてぎったんぎったんにしてやる!」
 「けどけど凱さんはどうする、倒れたまんま放っとく?」
 「凱さん大丈夫っすか凱さん、起きてください凱さんー!」
 背中に浴びせられる罵声を追い風にサムライは猛然と走る。
 ぺちぺちと何かを叩く音がする。
 残虐兄弟が凱の頬をひっぱたいて必死に起こそうとしてるらしい。
 サムライにうしろを顧みる余裕はない、事態は急を要するのだ。
 頭に血が上った凱をまともに相手したらきりがない。
 卑劣なだまし討ちに内心忸怩たるものを感じないでないが、直の身の安全と武士の矜持を秤にかければ、どちらが重いかは明白。
 「俺の手は、直を守るためにある」
 直を守れぬ手などいらぬ。
 飾りなら切り落としてしまえ。
 苦りきった口調でひとりごち、さらに速度を上げる。
 ふと前方に影を捉える。
 何やら殺気だった看守の集団がこちらにやってくる。

 木刀を握り締め警戒する。
 呼び止められれば万事休す。

 強行突破もやむなしと意を決し、飛燕の如き俊敏さで再び足払いをかける準備に入ったサムライだが、予想に反し前方から現れた看守の一群はサムライを見もせずすれちがう。
 「南棟に仕掛けられた爆弾が爆発したんだとさ、こっちまで揺れが伝わってきたんだからたいしたもんだぜ!」
 「完全にとちくるってるぜ南の野郎ども、あっちこっちに爆弾仕掛けやがって……東京プリズンを瓦礫に返すつもりかよ」
 「瓦礫のバリケードで通せんぼか?」
 「爆弾処理で看守が分散すればそんだけ連中にとっての脅威が減るし……」
 「くそったれが、どっから爆弾なんか仕入れたんだよ!西棟のヨンイルか、二千人殺した爆弾魔のあいつか?」
 「出所吐かせんのは首謀者ひとり残らずとっ捕まえて騒ぎをおさめてからだ。さっきパクった囚人が不穏な事もらしてただ、今度の暴動は南だけじゃねえ、東と西と北も関わってるって……東西南北全棟で同時多発的に暴動おこして俺らを混乱させる気だ!」
 「確実に死人がでるぜ」
 「こないだの暴動なんかメじゃねーよ」

 爆弾。
 そうか、今の揺れはそれが原因か。

 どうやら大変な事態が出来したらしい。
 前回の暴動でも前々回の暴動でも、棟内に爆弾が仕掛けられそれが本当に爆発するような事はありえなかった。
 東棟まで揺れが伝わってくる程の衝撃だ、南棟では既に死傷者がでてるかもしれない。

 東京プリズンで何が起きてる?

 脳裏に疑問が過ぎる。
 胸の内を不安が占める。

 秩序が根底から覆されようとしている予感に戦慄を禁じ得ない。
 これまでの暴動とは何かが根本的に違う。
 囚人とてまるきり馬鹿ではない、棟内に爆弾を仕掛けたら巻き添えになるとわかっている。
 にも関わらず爆発はおきた。
 これは何を意味する?
 すべての事実が黒幕の存在を示唆する。
 仮に今回の暴動が東西南北全棟に根を張り巡らせた黒幕の指示により行われたのだとしたら、命令系統が整った手駒はそれを実行する。
 死傷者がでようが建物の一部が崩落しようが、忠実に任務を遂行する。
 「まさか………」
 ペア戦終了後、深夜の図書室であいまみえた男の底知れぬ笑みがよみがえる。
 回想の中で黒き隠者が笑う。
 謎めいた台詞を口にし、これから起こる災いの数々を暗に匂わせ、東京プリズンの終末を告げる。
 「お前の仕業か?」
 南棟で発生した暴動はやがて東西北に広がる。
 爆弾が仕掛けられているのが南棟だけとは限らない、だからこそ看守がああも焦っているのだ。
 内通者がいるなら各棟に爆弾が仕掛けられている可能性が高い。
 「…………っ」
 直が爆発に巻き込まれ瓦礫の下敷きになったら?
 最悪の想像に顔が歪む。
 サムライは走る、ただ走る。
 不可視の手を伸ばし自分を掴み取ろうとする不安から逃れ、ただ直の無事だけを一心に念じ、逸る心で走り続ける。
 走りながら考える、直が行きそうな場所を。
 いまだに砂漠にいるとは考えにくい、夜になれば気温が低下し人が生き残れる環境ではなくなる。
 砂漠に居残る囚人がいないように看守が持ち場を回ってチェックする為、バスに乗り遅れた可能性は却下。
 バスに乗って帰ってきたと仮定する。
 帰棟した囚人はまずその足で房に向かい、体の汚れをおとすのが日課。
 しかし直は帰らなかった。
 よって今も砂漠の砂に塗れた格好のままだ。
 図書室に行けばいやがおうにも目立ち噂が立つはずだがそれもない。
 他に直が行きそうな場所を数えあげる。展望台、中庭……
 レイジの房は現在看守が見張っている。

 ヨンイルはどうだ?

 「…………まさか。道化のもとへ行くとは思えん」
 口にした言葉がたんなる気休めにすぎないと自分でも十分わかっている。
 直とヨンイルは仲が良い。
 サムライと顔を合わす気まずさから直がヨンイルを頼るのは十分ありえることだ。
 だが、とサムライは渋面で反駁する。
 だが、直とヨンイルが一緒に居るとは考えたくない。
 直が他の男のところにいると考えただけで嫉妬に狂いそうになる。
 西棟に乗り込むか否か逡巡する。
 直がヨンイルの房に匿われているとは考えたくないが、しかし……
 心が惑う。
 そうあってほしくない気持ちが強く疼く。
 直は前に一度ヨンイルのもとへ行った。
 静流を拒みきれぬ優柔不断なサムライに愛想を尽かし、ヨンイルを頼った。
 直とヨンイルが一晩ともに過ごした事を考えると、不甲斐ない己を呪い、やりきれなくなる。

 どこにいるんだ、直。

 心が錯綜する。
 直を求めて迷走する。

 狂おしい渇望に苛まれ、ひたすら駆ける。
 心の中で直を呼ぶ。何度も、何度も。返事を期待して。
 サムライは下へ下へと向かう。
 知らず知らずのうちに直の痕跡を辿り反芻し、直が強制労働に発ち、バスから降りて最初に踏んだ地をめざす。
 長時間走り続けてさすがに息が上がり始める。
 全身から汗がふきだし服をぬらす。
 産道のように狭苦しい通路を走り抜ければ、視界が一気に広がる。
 壁に穿たれた矩形の出入り口に立ち、広大な地下停留場を見渡す。
 地下停留場は無人だ。ブラックワークの娯楽試合が催される週末ならいざ知らず、平日のこの時間帯に出歩くものは皆無。
 見回りの看守も暴動を鎮圧に南棟にむかうものと他棟に警告にむかうものとに分かれたらしく、人気の絶えた地下停留場には静寂がたゆたっている。
 嵐の前の静けさ。
 激動の予兆を孕んだ水面下の静寂にも怖じることなく、名伏しがたい衝動に憑かれて中央へ走り出す。
 走りながら夢中で叫ぶ。

 「直、どこにいる!いるなら返事をしろ!」

 自分がどう見えるかなど構ってられない。
 恥も外聞も武士の見栄もかなぐり捨て乱心したかのように直の名を呼んで回る。
 焦燥と不安に駆り立てられ自制の箍がはずれ、コンクリ打ち放しの停留場を文字通り東奔西走し、服が砂利で汚れるのも厭わず這い蹲って何十台も並んだバスの下を覗き込み、等間隔に穿たれたマンホールに向かい片端から呼びかけ反応を待ち、血走った目で痕跡をさぐりもとめる。
 サムライの呼び声は高い天井と周囲の壁に跳ね返り韻韻と反響する。

 やはりいないのか?

 名を叫べども反応は一切なく、こだまを吸い込んで虚空の静寂が深まるばかり。 
 木刀を片手にあてどもなく走り回るサムライの姿は鬼気迫り、汗で濡れそぼつ髪がかかる顔には、ひりつくような苦痛の色が浮かぶ。
 「直…………」
 絶望に打ちひしがれそうな膝を気力のみで支える。 
 「俺の勘もあてにならないものだな」
 直を求めてここにきた。勘に従いここにきた。
 しかし実際は地下停留場を隅々まで捜しても直の姿は見当たらず痕跡ひとつ見つからない。
 地下停留場にいないなら、どこだ?
 図書室か、展望台か、誰かの房か、それとも……
 顎先を伝う汗を拭き、踵を返そうとした刹那。

 「…………?」

 足がマンホールを踏んでいる事に気付く。
 何かがサムライを引き止める。強い磁力でもって関心をひく。
 己が踏んだマンホールをじっくりためつすがめつする。

 「………足跡か」
 円盤に靴跡が刻まれている。
 それ自体は何の不思議もない現象だ。
 地下停留場には多くの囚人が行き来する。
 蓋にスニーカーの靴跡がついてても何らふしぎはないのだが、脳の奥で違和感が疼く。
 何かがおかしい。
 そっと指を添え、靴跡の溝をなぞる。
 人さし指で刷きとった砂を一瞥、神妙に呟く。
 「妙だ」
 腰を浮かせあたりを見回す。
 このマンホール周辺に靴跡が集中している。
 おのおのサイズが違うために一目で別人の靴跡だとわかる。
 地下停留場を行き来する囚人のものならこんなふうに特定のマンホールに集中しないはず。
 問題のマンホールは隅の目立たない場所にあり囚人が頻繁に行きかうとは考えにくいが、人通りの少なさと反比例し、本来ばらけているはずの靴跡が妙に密集している。
 しかもその集まり方が不自然だ。
 迂回の仕方や停止の位置に一定の規則を感じさせるのだ。
 あまりに密度が高く重点的に散らばった靴跡は入念な検証を暗示する。
 複数の人間がこのマンホールから出入りした形跡がある。

 ブルーワークの囚人?
 否、それはない。
 ならば靴跡に砂が残留しているのは変だ。

 下水道が持ち場の囚人は砂漠に出る必然がなく、よって砂は残留しない。
 確たる意図の上に重なり合った靴跡を検分し、決定的な証拠を入手。
 マンホール周辺に集中する靴跡の中に、スニーカーと明らかに形状の異なるものがひとつふたつ混じっている。
 東京プリズンの囚人は全員既製のスニーカーを支給される。
 例外はブラックワーク上位の特権階級に限られる。 

 たとえばレイジ。
 たとえばホセ。

 靴跡が意味するところを悟り、顔が緊張に強張る。
 「………レイジが連れ去ったのか」
 間違いない。
 目的地への最短距離となるこのマンホールを複数の人間がくぐったのだ。
 「いた!あそこ!」
 「でかしたな弟よ、即確保だ!」
 闖入者が静寂を破る。
 地下停留場に響き渡った声の正体は残虐兄弟ユエとマオ。
 遅れを取とかえさんと全速力でサムライを追ってきたらしくふたりとも息を切らしている。

 『レイジの行方をじる手がかりを逃がずがよおっっ!!』

 矩形の出入り口に巨大な影が姿を現す。
 照明の明かりに暴き出されたその顔はぎらぎらと嚇怒に燃え盛り、凶暴極まる闘志を剥きだしている。
 凱。
 「!ちっ、」
 思わず舌を打つ。
 サムライの行動は迅速だ。
 いまだ出入り口に立つ一党に背を向けるやいなや、マンホールを両手で抱えてずらす。
 「逃げた!」
 「ヨーイドンで追うんだ弟よ!」
 「どっちが先につかまえるか競争だ!」
 「ヨーイド、ンを言い終えねーうちにフライングはずりーぞ!」
 頭上で飛び交う声と殺気立つ足音をよそに、木刀を小脇に抱えたサムライは素早く梯子を伝い下りていく。
 黴臭く湿った風が下方より吹き付ける。
 最後の三段を残し飛び降り、水溜りを弾かせ見事に着地。
 はるか頭上を仰げば残虐兄弟が先を競い梯子を奪い合ってるところだ。
 サムライは走り出す。
 木刀を一閃、あざやかに露払いして陰惨な暗渠を駆け抜ける。
 ブルーワークの囚人が引けた下水道は至って静かなものだ。その静寂が今、凱たちの乱入により破られようとしている。
 背後で罵声が飛び交い足音が入り乱れる。 
 『下水道に隠れるなんで袋のネズミもおなじだっでわがんねーのが!』
 割れんばかりの恫喝が轟き、周囲の壁に跳ね返って鼓膜を打擲。
 「袋のネズミこと下水のサムライだねあんちゃん!」
 「ああまで必死こいて逃げるってこたあ大当たりだな、レイジの居場所知ってるに違いねえ。やましいところがなきゃ逃げたりしねーだろ普通。案外下水道に隠れひそんでるんじゃねーか、王様。灯台もと暮らしってやつさ」
 「死体をばらまいたところにゃいないと見せかけてずっと潜伏してたのか……さっすが王様、冴えてんな!」
 「ばかっ、凱さんの前で褒めんな!」
 はるか背後で悲鳴が尾を引く。
 凱に思い切り蹴飛ばされたらしいマオが水路に落下、水音が上がる。
 サムライは振り向かない。
 数少ない照明を頼りに靴跡を見分けようとして不可能と判断、歯噛みする。
 直がここにいる。おそらくレイジも一緒だ。
 足跡の重なり具合から推察するに、少なくとも他に二人の人間がいる。
 敵か味方かわからぬ人間が直とともにいる危険を思い、よく響く声を張り上げる。

 「直、どこにいる!俺の声が聞こえるなら返事をしろ、声を上げて居場所を知らせてくれ!よく聞け、上は今大変な事になっている。南棟で暴動がおきた、看守は事態の収拾にかかりきりだ。お前もまさか、それに関わっているのではないだろうな。危険な目にあわされてるのではないだろうな?」

 直の姿を求め果てなき暗渠をさまよう。
 複雑に入り組んだ道から道へと息を切らし走り回り、虚空に耳を澄まし闇を手探り、必死の形相で返事を乞う。

 「なんとか言え、直」
 顔が歪む。
 「答えろ、レイジ」
 喉が掠れ、声が萎む。

 照明が裏寂しく点滅する通路をひた走るうちにサムライは大きく本道を逸れ、ブルーワークの持ち場から離れた袋小路の奥へと迷い込んでいたが、本人はそれに気付きもしない。
 脇目もふらず足を棒にして駆け続けても収穫が得られず、心労は嵩む一方。

 無意識に直を求む。
 全身全霊で求む。

 直の匂いを声を手触りを感覚を全開放し手繰り寄せようとするも、どれだけ叫べど返事は返らず沈黙が深まるばかりで献身は報われない。

 汗にぬれた瞼を固く閉じる。
 脳裏に懐かしい顔を思い浮かべる。
 干し藁の髪と硝子の瞳をもつ青年の顔。

 「…………一緒にいるなら、直を守ってくれ」
 一縷の希望に縋り、呟く。 
 サムライは走る。
 千里にも体感されるうねった暗渠を走って走って走りぬけ、直の匂いと声と手触りを五感とそれに付随する六番目の感覚で反芻し、見えざる痕跡を掴み、勘が命じるがままに闇に包まれた道を進む。
 二十メートル背後で騒ぎが勃発する。
 「サムライめーっけ!」
 「よくやった弟よ、一時は見失っちまったかとあせったがめちゃくちゃ走りまくってるうちに出会えたぜ!」
 残虐兄弟が無邪気に快哉を叫び、これ以上引き離されてなるものかと腰の得物を引き抜く。
 「亀甲縛りにしてやる!!」
 ユエが鞭をふるう。  
 ユエが振りかざした鞭は蛇のように鎌首をもたげ、甲高い音たて床で跳ねる。
 飛距離及ばずサムライにこそ届かなかったが、第二撃第三撃と腕撓らせ手首を返し連続で繰り出す。
 風切る唸りをあげ飛来した鞭をサムライは後頭部に目が付いているような正確さで避ける。
 『やりがだがなまぬるいんだよ!』
 惜しくも標的を逸し歯噛みするユエから鞭をひったくり、先頭に飛び出た凱が大きく腕を振りかぶる。
 『ぎっだんぎっだんに締め上げでやるぁ!!』
 巻き舌の恫喝を放ち、狙い定めて鞭を放つ。
 凱が一閃した鞭は毒蛇の如く邪悪な威嚇音を発し、俊敏な弧を描いてサムライの肩を打擲。
 「!っ………」
 激痛に顔が歪み脂汗が滲む。
 鞭が掠めた上着が破り取られ素肌が外気にふれる。
 『肩チラ見せで挑発たあなかなか憎い演出してぐれるじゃんか、ええっ、サムライよおおお!?その服全部びりびりに引き裂いて素っ裸にされだくなきゃおとなじくレイジの居場所吐きやがれっでんだ!!』
 「こんな寒いとこで裸になったら風邪ひいちゃうね、あんちゃん!」
 「かちんこちんちんこで大惨事だ!」
 勝ち誇った哄笑が大気を打って暗渠に響き渡る。
 残虐兄弟が追従して笑う。
 熱をもって疼く肩を庇い、息継ぐまもなく放たれる追撃を紙一重で避け、水溜りを跳ねかしよろばい歩きながらサムライは絶叫する。 

 直の無事を祈り
 直の安否を気遣い
 一刻も早く直のもとに行きたいと願い。 

 疲労に霞む目を凝らし、脂汗が滴る顔に苦痛の色を浮かべ、しつこく纏わり付く闇をかき分け、その名を呼ぶ。

 「直、直……答えてくれ、直ッ!!」
 「ここだ、サムライ。ここにいる」
 
 声が、した。
 意外なほど近くで。
  
 すぐそばで。

 「…………直?」
 幻聴かと思った。 
 壁から声が聞こえような錯覚を受けたからだ。
 サムライは顔を上げ、闇に響いた声を頼りにふらつき歩を進める。 
 水溜りに突っ込み飛沫でズボンをぬらし、脂汗に塗れた壮絶な形相に一縷の希望に縋る切迫した色を湛え、さらに濃く深い闇の蟠る方へ赴く。
 「そこに、いるのか」
 直が呼んだ。
 呼びかけに応じてくれた。
 木刀を引きずり歩くサムライの胸の内を純粋な喜びが満たす。
 壁に向かって一歩ずつ辛抱強く歩きながら、熱に浮かされたように呟く。
 「待っていろ、今助けにいく。お前に言いたい事が山ほどある。話さなければいけないことが」
 うやむやのままに捨て置けない。
 抱きたくても抱けない自分の矛盾が直を苦しめ追い詰めたのだとしたら、もう逃げるわけにはいかない。
 直に真実を話す。
 何故抱けないのか、その理由を話す。 

 失うのが怖くて抱けないと
 自分は武士である前に一人の臆病な男だと

 これまで黙り通した恥を、告白する。

 「……ずっと見て見ぬふりをしてきた。お前の気持ちを知りながら知らないふりをしてきた」

 ばしゃんと水溜りに突っ込む。
 シャワー室で触れた肌の熱さを思い出す。
 首を絞める指を思い出す。

 「……俺は、卑怯者だ。ずっと己を偽ってきた。俺は、人を好きになるのが怖い。抱くのが怖い。俺が抱いた人間は皆死ぬ。苗も静流もそうだ。俺はきっと殺してしまう、好きになった人間を殺してしまう」

 俺は夢を見ているのだろうか。
 壁に向かって歩きながらサムライは自身に問う。
 しかし一度堰を切って溢れ出した言葉の奔流はやまず、心の奥底に秘め続けた情念が言霊に昇華する。

 意識が霞む。
 目が霞む。
 ばしゃり、ばしゃりと無造作な足取りで水溜りに分け入る。
 踏み割られた水面が波立ち、そこに映り込んだサムライの顔が歪む。
 脳裏に面影が錯綜する。
 優しく微笑む苗と妖しく笑う静流、同じ帯刀の血を分かつ二人の面影が去来する。

 二人の面影が闇に呑まれ消滅したあと、今は亡き二人よりもさらに生き生きと鮮明に現れたのは、直の顔。

 喪失をおそれるあまり臆病になっていた。
 どう接していいかわからなかった。
 禁忌の境目がわからず、直に触れるときはいつもうしろめたさを味わった。

 「お前を抱くには、俺の手はあまりに血に汚れている」

 こんな穢れた手で直を抱けるか。
 愛しいお前を抱けるか。
 自分は汚いと卑下しながら、その誇り高さ故に今も潔癖であり続けるお前を抱けるものか。
 壁にことりと額を預け縋り付く。
 「お前は綺麗だ」

 愛しい人の分身であるかのように壁に凭れかかり、痛切な心情を吐露する。  

 「売春班で何人何十人の慰み者にされても変わらず綺麗なままだ。俺にはそれがわかる。お前の心がその高潔さを失わない限り汚くなりようがない。お前は自分が汚いと卑下するが、俺はそうは思わない。よく聞け、直。お前は汚くなどない。汚れてなどいない。ただ、脆いだけだ。身も心もどうしようもなく脆いだけだ」

 雫滴る足で水溜りを蹴散らす。
 ひとつひとつ言葉を選び、たどたどしく語りかける。
 贖えぬものを贖おうとするかのように誠意をこめ、不屈の精神力で抑圧し続けた欲望の正体をさらけだす。

 「お前を汚すのが怖かった。お前を壊すのがおそろしかった。お前はあまりにも脆すぎて、どうやって抱けばいいかわからなかった。俺の手は人を抱くのに向いてない。人を斬るための手だ。ただその為だけに鍛え続けた手だ。節くれだって醜い。皮が厚くてみっともない。掌は傷だらけだ。この手がお前にふれるところを思えば、苦しくて息もできなくなる。俺はきっと、お前を壊す。いまだに売春班の悪夢に怯え続けるお前を壊してしまう。ひとたび押し倒せば加減がきかなくなる、俺はただの男にもどってしまう、汚い欲望を注いで押し付けて地獄にひきずりこんでしまう。俺の中に流れる業深き人殺しの血がお前を喰らう」

 苗のように。
 静流のように。
 肉だけでは飽き足らず魂までも貪り喰らう。

 言葉を切る。
 凍結した沈黙がのしかかる。
 壁に拳をあてがい額を預け、罪過の重荷を一身に背負い目を閉じる。 

 「俺は人殺しだ」
 「僕も人殺しだ」

 壁の向こうから打てば響くように声が応じる。

 「俺はお前を汚す。抱けばきっと殺してしまう」
 「そうならないよう守ればいい」

 開眼する。
 放心した顔つきで壁を凝視するサムライの耳に、その声は届く。
 君はその程度の男なのかと叱咤し、鼓舞する声。

 「どうした、僕を守りきる自信もないのか?一度抱いた人間を最後まで守りぬく自信もないのか?君はその程度の覚悟で僕を愛してると言ったのか、僕の相棒を名乗っていたのか?なんだ、僕の誘いを拒んだのはそんなつまらない理由か。そんなつまらない、他愛もない、くだらない理由か。自分が抱いた人間は必ず死ぬ。なんだそれは、非科学的にも程があるぞ。知ってるかサムライ、迷信とは二度重なった偶然の呼び名だ。僕に死なれたくないなら君が守ればいい、どうしてそんな当たり前のことがわからない、苗と静流が君の力及ばず死んだというなら今度こそ何ふりかまわず守り抜けばいい。後悔したことを後悔したくないなら君が君であるすべてを賭けてこの僕を、君とおなじ人殺しで殺しても死なない程しぶとい鍵屋崎直を守り抜けばいいんだ」

 壁向こうの直がどんな顔をしてるのかどんな状況におかれてるか不明だが、サムライは全身を耳にしてその声を受け止める。
 全身で直の存在を呼吸する。
 分厚い壁の向こうから篭もった声がする。
 壁に隔てられたせいで小さくくぐもり、しかし芯の通った声が、縋るように一途に訴えかける。

 「君と一緒に汚れたいんだ、サムライ」

 鈍い音が鳴る。
 誰かが内側から壁に凭れかかる。
 おそらく今サムライがそうしているように額を預け拳をあてがい、壁を挟んで対になる。 
 壁を隔てて重なり合う額と手から幻の熱と鼓動が流れ込み、輪郭を被せ直と一体化する。
 
 直が愛しい。 
 ああ、
 抱きたい。
 くるおしいほどに。

 「抱いて、いいのか」
 脳裏に浮かんだ苗と静流の面影を見送り、喉の奥から掠れた声を搾る。
 直を抱きたい。
 抱きたくて抱きたくて気が狂う。
 直が腕の中にいない現実が不安でたまらない、直に会いたくて抱きしめたくてたまらない。

 本当はずっとそうしたかった。
 直のぬくもりを腕の中に感じ、安心したかった。
 直は今確かに生きていると肌を合わせて確かめたかったのだ。
 ひとつになりたかった。

 壁に額をつけ項垂れたサムライの耳に、震える声が届く。
 「抱いてくれ」
 それは承認。あるいは嘆願。
 壁越しの懺悔にして求愛。

 サムライが手をついた位置に手を添え、額をつけた箇所に額をあて、しどけなく寄りかかる直の姿を透視する。
 少しでもサムライを近く感じようとするかのように、気配を捉えようとするかのように。
 サムライは壁を抱擁する。
 少しでも直のぬくもりを感じたくて無骨な壁に肌を重ねる。

 直が五指を開いた位置に五指を添え
 頬を預けた位置に頬を寄せ
 内なる感覚が集中する眉間を合わせ
 冷え切った体をひたりと密着させる。

 壁を挟んで心が通う。
 石戸を貫く想いが通う。

 「壊れても構わない」

 壁が擦れる重低音が轟き、サムライの眼前の壁がゆっくりと回転を始める。
 隙間から漏れ出したランプの光が目を射る。
 眩さに目を細めたサムライと背後に迫った凱一党の前で壁が半転、隠し部屋の全貌が暴かれる。  
 傾いだ壁の間から悠然と歩み出た男が、ランプの光にその素顔を晒し、歓迎の意を表し笑みを湛える。

 『Welcome to a party.Please enjoy it.』 

 暴君が片手に何かをぶらさげている。
 ランプの光が暴君が片手に吊り下げたものを暴く。

 「アぁあああああああああああああぁあああああああああああああぁあああッッ!!!」
 その正体は、髪を掴まれ強引に引きずり出された半裸の直。
 眼鏡にも鼻梁にも口の端にも白濁が付着し、陵辱の跡を示すように服は乱れて暴かれた肌に淫らな痣が生じ、頭髪を掴まれ引きずり出された直が、サムライにむかい何かを叫ぶ。
 だが、聞こえない。
 髪は精液に塗れ眼鏡のレンズまでも白濁に染まり、弛緩した口の端からだらしなく汁をたらす直の姿は理性を霧散させるに十分で、サムライはここが剣技を生かしきれぬ幅の狭い下水道だという事も忘れ、視界が真紅に染まる憤激に駆られ木刀を振りかざす。
 壁から漏れ出すランプの光に硝子じみた隻眼をさらし、暴君はうっそり笑む。
 「キーストアのケツ舐めてみるか。今なら俺の味がするだろうさ」
 舌なめずりせんばかりの表情だった。 


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少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050208043802 | 編集
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