ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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二十六話

 発砲の直前、猛然と疾駆。
 スニーカーの底が抜けても構うもんかとばかりに勢い良く地を蹴って反動をつけ、肩も脱臼せんばかりに宙をかいて腕を突き出す。
 前に前にもっと前に、どうか届いてくれ、俺のこの短い腕が届いてくれ!
 抱擁に足りない短い腕が、レイジをおもいっきり抱きしめるには丈が足りなくて苦しい腕がこの際引っこ抜けても構うもんかと歯を食いしばり間接のぎりぎりまで伸ばす。 
 風を突き破ってもがいてもがいてもがきぬく。
 顔に手に体にあたり、髪と裾を逆撫でする風圧に抗いきる。
 脱臼の痛みを堪え精一杯伸ばした腕に固く柔らかい物があたる。

 掌に抵抗を感じる。
 そのまま両の掌で突き倒し一緒くたに縺れてすっ転ぶ。

 視界が反転、全身をしたたかに打ち付けて瞼の裏で火花が散る。
 衝撃はすぐ痛みに変じちりちりと全身至る所で燻る。
 衝突の衝撃で折り重なって突っ伏した俺とレイジの耳を、撞球の要領で周囲の壁にあてずっぽに跳ね返った大音響が聾する。

 乾いた銃声が爆ぜる。
 きな臭い硝煙の匂いがしけった空気に溶けて鼻腔を衝く。
 視界が赤く染まる。
 頬にぴちゃりと水滴がとぶ。
 妙に粘り気があるなまぬるい水滴。
 下水の飛沫かと思ったがちがう。

 もんどりうって転がった俺の眼前に、人影が立つ。

 いつのまに躍り出たか、全然気付かなかった。
 レイジを助けることで頭が一杯だった俺は、驚異的な機敏さでもってすぐ横をすりぬけた影を知覚できなかった。
 鍛え上げた脚のバネを駆使し、磨き抜いた反射神経の本領を発揮し、研ぎ澄ました動体視力でもって今しがた銃口から発射された弾道を目視。
 機械さながら正確無比な速さでもって俺の横を駆け抜けた男は、弾道を正確に掌握し、全体の状況を素早く把握し、物理的な力をもってしても弾道の変更は不可能と知るや、その前に立ち塞がったのだ。

 道了。

 道了はみずから銃弾の前に立った。
 銃口から発射された弾丸を妨げられないと悟るや、躊躇なくその身を盾に代えて晒した。

 弾丸は真っ直ぐレイジを狙っていた。
 いや、レイジを庇って突っ伏した俺を狙っていた。 

 一度放たれた弾丸の軌道を変えるのはいかに物理法則を覆す假面の膂力をもってしても不可能の領域、そして道了は弾丸を防ぐ最短の手段に出た。
 最善ではないが、最短には違いない判断。
 俺とレイジが一命を取りとめたのはそのおかげだ、道了が働かせた冷静な判断が俺たちを救ったのだ。
 道了は完璧に弾道を把握し、距離から割り出した衝撃の度合いを完全に予測し、勝負に出た。
 きっとそうだ。そうに決まってる。
 道了は痛みを感じない、感じないからこそこんなぶっとんだ真似ができた。
 致命傷の威力を秘めた弾丸の前に大胆に身を晒し、瞬きひとつせぬ冷静さを最後まで保ってられるわけない。

 それでも道了が俺を助けた事実は変わりない。
 道了は俺を庇った。
 俺を庇って、肩の肉をごっそり持ってかれた。

 「………っ、は………」

 上着の肩にじわじわ血が滲み出す。その鮮やかさが目を奪う。
 レイジに照準を合わせた弾丸は、土壇場で道了が邪魔に入らなきゃレイジと縺れて転がった俺の頭をふっ飛ばしていた。
 ちょうどレイジを覆い被さる格好で上になっていた俺は心底ぞっとする。
 「たおりゃん……お前……なんで……」
 トカレフの威力は強力で、3メートルと離れてない至近距離からまともに鉛弾を喰らった道了は大量に出血してる。
 鉛弾は道了の左肩の奥深くめりこんで、上着の肩のあたりがしとどに血を吸って不吉に変色し始めている。どうやら貫通しなかったらしい。
 骨が、砕けてるかもしれない。
 やばい状態だ。出血の量が半端ねえ。顔色は最悪。憔悴と苦痛とが入り混じった顔は朦朧として、焦点を失った視線は茫洋と虚空をさまよい、片腕をぶらりと脇に垂れ下げ立ち尽くすだけでめちゃくちゃ体力を消耗してるのがわかる。
 手で押さえた肩から絶え間なく血が迸る。
 傷は、深い。血は一向に止まる気配がない。

 傷口をおおう指が血にぬれそぼち、点々と床に垂れる。
 道了の指を伝って床に滴り落ちた血は禍々しく赤く、下水道の澱んだ悪臭に鉄錆びた匂いがまじりあう。
 青白い蛍光灯の光を反射し、血溜まりがぬめる。
 粘ついた光沢をはなつ血だまりにあらたな雫が没し、波紋を広げる。
 弾丸の埋まった肩を押さえ、今にもぶっ倒れそうな疲労困憊の様子で立ち尽くす道了に、我知らず手を伸ばす。

 「お前、肩……」
 「いつまで抱きついてんだよ」
 
 邪険に薙ぎ払われる。
 「!?っ、」
 不意打ちだった。
 レイジが突然跳ね起き、俺はひとたまりもなく落下して床を転がる。
 かぶりを振って泥を払い、肘を付いて起き上がる。
 俺の視線の先でゆっくりとレイジが立ち上がる。
 俺に背中を向けたまま落ち着き払った仕草で膝を払い、屈めた膝をしなやかに伸ばす。
 悠揚たる気風に満ちた身振りは野生動物の品を備え、権勢を誇示する不敵な笑顔には怯惰の翳りなど一点もなく、泥に塗れた干し藁の髪を梳く手つきさえもたとえようなく優雅。
 緩慢かつ怠惰な手つきでさっと前髪を梳きながら、唇の端を野卑に捲り、獣性の滾る犬歯を剥く。
 「グラマー美女の騎乗位はダイナミックな乳揺れが拝めて大歓迎だけど、やせっぽちのちびに上から見下ろされんのは感じよくねーな。いったんのったんなら気分出して腰使えよ」
 前髪を梳く手の影になった表情の邪悪さにうちのめされる。

 レイジは、暴君のままだった。
 俺を見る目はどこまでも冷たい。

 容赦なく俺を振り落とした暴君は、そのまましばらく乱れた髪を捌くのに熱中していたが、ふとまわりの人間に気付いて手を放す。
 「これはこれは、予想外の飛び入り参加ですね」
 場違いにのどかな声に振り返る。
 それまでどこ引っ込んでいたのか、完全に存在感を消し傍観者に徹し全体の状況を把握していたホセが、満を持して暴君に歩み寄る。
 俺には唐突に闇から湧いて出たように見えた。
 黒縁眼鏡の奥、出会っただれもを油断させる柔和な垂れ目をますます細め、散歩でもするような足取りでこっちにやってくる。
 けれども見逃さない、糸のように細めた双眸が孕む針の眼光を。
 細めた目の奥から放たれる眼差しは剣呑に尖りきり、招かれざる闖入者を洗礼する。
 純粋な恐怖が襲う。
 獰悪な肉食獣と対峙したが如く、行く手を薙ぎ払う威圧が後退を迫る。
 ホセはゆっくりとこっちにやってくる。
 ゆっくりと、だが確実に。
 下水道の闇をも喰らう災厄の塊の存在感を発し、顔にはあるかなしかの偽善の笑みを浮かべ、万人を陥穽に落とし込む聖人君子の仮面を被ったままに暴君のもとへやってくる。

 「お久しぶりですね、ロン君。こんな所でお会いするとは夢にも思いませんでした。はるばるレイジ君を追ってきた?いやはや我輩感服つかまつりました、運命の悪戯によって引き裂かれても会わんとする熱い友情に涙を禁じえません。ですがロン君、君も無茶ですねえ。一歩間違えば自分が撃たれていましたよ?幸いと申していいものやら、君の代わりにもう一人のお友達が犠牲になってくれましたが……」
 「こんなやつダチじゃねえ」
 即座に否定する。
 ホセが意味深な笑みを深める。
 「おや、そうなんですか?ならばなぜこんな時間に下水道に?我輩てっきりふたり手に手を取り合って脱走を図ったのかと思いましたよ。仲良し同士でまんまと東京プリズンから逃げおおせるため、都心に繋がると噂の旧下水道を利用したのではないかとね。おや、その顔は図星ですか?参りましたね、適当言ってるだけなのに……まあまあ、そう怒らないで。ペア戦では師弟関係を結んだ仲ではないですか」
 反吐がでるほどむかつく顔でホセが笑い、眼鏡の弦をくいと持ち上げ角度を微調整。 
 瓶底眼鏡の奥の目は相変わらず笑ってない。
 笑ってるふりをしてても笑ってない。
 口元を弧の形に矯正、顔筋を完璧に制御し鉄壁の笑顔で武装したつもりでも、目の表情ばっかりは偽れない。
 目は口ほどにものを言うってのは本当だ。
 現にホセの目は表情を裏切り真実を物語っている、刻々と変わる動静を読んで状況を有利に運ぶために休まず画策している。
 「ペア戦じゃ世話んなったよ。あこぎなしごきにも感謝してる。お前が血も涙もねえ鬼コーチだったおかげで、凱に勝てた」
 油断なくホセの顔色をうかがう。
 そうしながらも胸の痛みをおさえきれない。
 俺が凱に勝てたのはホセのしごきのおかげだ、猛特訓の成果だ。
 俺はちゃんと覚えてる、今だってちゃんと覚えてる。
 俺をリングに送り出す直前、さんざん使い込んだグローブを手渡して健闘を祈ったホセを。
 手に嵌め込んだグローブの感触を、グローブの上から俺の手をにぎって叱咤激励したホセを覚えてる。
 ともすれば理性が感情に押し流されそうになる。
 俺はまだ、心のどこかでしつこくホセを信じたがってる。俺にグローブを渡して笑ったホセを、金網の向こうからじっと見守ってくれたホセを、ぴっぴっぴっと笛吹いて俺にグラウンド何十周もさせたホセを、心のどこかでまだ信じ続けているのだ。

 ホセがそんなに悪いやつのわけない。
 何かの間違いだ、きっと。
 レイジを売り渡そうとしたのだって、きっとワケがあるんだ。

 俺はお人よしだ。救いがたいお人よしだ。
 自分でもちゃんとわかってる、自分のことは自分が一番よくわかってる。
 だから今現にホセの裏切りの現場を目の当たりにしても、堰を切って押し寄せた猛特訓の日々の記憶にもみくちゃにされて、ひょっとしたら勘繰りすぎじゃねーか、笑顔の裏の裏を読みすぎて疑心暗鬼に陥ってるだけじゃねーかと心がぐらつく。

 くそっ、騙されるな。 
 これが隠者の手管だ。わかってるだろ、俺だって。
 一度はレイジを暗殺者に仕立て上げて所長のもとに送り込もうとした男だぞ、いい加減甘ったれた期待を捨てて現実を見ろ。

 目を閉じ心を決め、ひたとホセを直視。
 一言一句、噛み砕くように言う。

 「たしかにお前には世話になった。お前とはずっと、仲良くやってきたかった。けどな、レイジに手を出したとあっちゃ話は別だ」
 「盗み聞きは感心しませんね」 
 喉の奥でくぐもった笑いをたてる。
 くつくつと肩が揺れる。
 何がそんなにおかしいのかと激発しかけ、寸でで押しとどめる。
 「……レイジは返してもらう」
 「そう上手くいくでしょうか?まわりを見回して御覧なさい」
 大胆に腕を薙ぎ払いぐるりを示し、よそよそしい距離をおいてちらばった面々を順々に見やる。
 「ご覧の通り、今の時間帯は誰もいません。惨劇にはうってつけの刻限です。不思議に思いませんか、ロン君。いくら上の人間が部外者の殺害事件を隠蔽したいからといって、発見から丸一日たたぬうちに捜索を打ち切るのはいくらなんでも早すぎる。所詮死体だから構わない?なるほど、それも一理ありますが……」
 「私が人払いしたんだ」
 得々とした語りをさえぎり、凛と冷えた声が響き渡る。
 揃ってそっちを向く。

 軍人が、いた。
 最前レイジに銃口を向けた軍人は、誤って闖入者を撃った事実にも顔色ひとつかず、氷のような冷静沈着さを保つ。
 肩を押さえ立ち尽くす道了を一瞥、レイジに見劣りせぬ落ち着き払った動作で銃を懐にしまう。ただ、それだけ。
 弁解も謝罪もせず、即座に駆け寄って具合を尋ねたりせず。
 手当てをするでも医務室に運ぶでもなく、まるでここの囚人には血を分けた一人を除いて憐憫をたれる価値などないといった酷薄なまでの関心のなさで、精確さを期して補足する。

 「私は取引を呑んだ。私怨で銃を向けるなど軍人にあるまじき行為と判っている。だが、サーシャに取り返しの付かない損害をもたらした男をむざむざ放置するのは兄としての自負が許さない。帝国の臣たる矜持が皇帝の仇をとれと命じたんだ」
 「あんた頭おかしいのか?」
 兄弟揃っていかれてやがる。
 一見まともな兄貴まで帝国の臣だの皇帝の仇だの言い出すんだから始末におえねえ。
 それともロシア人ってな皆こうなのか?サーシャしか知り合いがいねえから判断に困る。
 「…………そうだな。私は多分くるっている。ずっとむかしから、あの日から。冬枯れのモスクワ広場で彼に会い、霜焼けだらけの手に接吻し、主従の誓いを立てたあの日から」

 軍人の目がどこか遠くを見るように泳ぐ。
 儚く焦点をぼかした目を虚空に向け、追憶に浸るように立ち尽くす軍人は、サーシャのそれとはまた違う狂気に包まれていた。

 「……下水道設備を見学したいと申し出て許可を得た。私達と揉めるなと厳命されてるらしく、看守の対応は素直なものだった。つまらぬ諍いが原因で国際問題に発展してはたまらないと保身に走る所長のもと、私達は事実上放任されている。殺人事件の噂は既に耳に入っている。事件現場への侵入は何をおいても阻止すべきだが、下水道への立ち入りを拒んだこと逆にいらぬ詮索を招きはしないか微妙な心理が働き、私一人ならばという条件でうやむやのうちに探索を許された。ただし範囲を限定して」 
 「我輩の助力あってこそです。昼間のうちに前もって根回ししておいたのです。本当は監視役の看守が二名ほどつきそう予定でしたが、賄賂を用立てて丁重にお頼みしたら、こころよく役目を譲ってくださいました」

 ホセがそつなく相槌をうつ。
 隠者と利害の一致を見る共犯関係を結んだ事に対し忸怩たるものを噛み締め、軍人の顔がほんのわずか歪む。

 「………いかれてるよ、お前。弟が狂人なら兄貴も狂人か?たしかにレイジはサーシャにひどいことしたけど、それだっておあいこだろ。そりゃクスリで骨までぼろぼろにしたのはやりすぎだとおもうけど、サーシャだってさんざんレイジをナイフで嬲ってサバーカ呼ばわりしてクスリに漬け込んで……」
 「だまりたまえ」

 俺の反論は一蹴される。
 下水道のど真ん中、青白い照明を浴びて生まれ持った肌の白さを内から発光せんばかりに際立たせた軍人が、長い睫毛を伏せる。

 「………サーシャは廃人と化した。おそらくは、一生あのままだ。手をにぎり呼びかけても反応しない、瞼も動かさない。別れた時は、あんなに痩せてなかった。今では骨が浮くほど手が枯れた。銀髪の輝きは褪せ、肌はがさがさに傷み、唇はひび割れて………食べ物を受け付けないから点滴で栄養を注入している。排泄物の始末は私が請け負った。私は毎晩サーシャを脱がせ、裸にし、新旧の傷痕がのこる体を隅々まで拭き清める。サーシャは従順に従う。一切逆らうことなくされるがままだ。私はサーシャの腕を持ち上げ、脇の下を拭う。体を裏返して適温の湯にひたしたタオルを膝裏におき、そうして丁寧に垢をこそぎおとす。昔の思い出を語りながら……」

 きつく目を閉じ、悔恨の滲んだ顔を振る。

 「………遅かった。遅すぎた。なにもかも手遅れだ。私の到来はサーシャの精神崩壊を繰り上げる役にしか立たなかった。また約束を守れなかった。またしてもサーシャを、陛下を裏切ってしまった。冬枯れの広場の誓いを守れなかった。ならばせめて」

 軍人が笑う。

 「陛下を害した男を処罰せねば、臣下として立つ瀬がない」
 「まーだ主従ごっこを続ける気か?好きだねあんたも」

 侮蔑を隠しもしない痛快な笑いが大気を震わす。
 一同そちらを向く。
 音痴な笑い声の主は暴君。
 頭の後ろで手を組んだだらけきったポーズのまま、躁的な笑い声を発している。 
 「陛下を守れなかった罪を償いたならしのごの言わずに自分が死ねよ。こめかみに銃つきつけてバン、だ。そしたららくになるぜ、近親相姦の誘惑から解放されて」
 「え?」
 どういうことだ?不審に思い、レイジと軍人を見比べる。
 レイジに嘲笑されてもいっかな冷静さをくずさず、博愛的と評していい寛大な態度でもって軍人が述べる。
 「それはできない」  
 「やっぱ自分の身が可愛いってか?」
 すげなく提案を却下されたレイジがさも楽しげに眉を跳ね上げる。
 一呼吸おいて返ってきたのは、おもわぬ返答。
 氷点下まで冷え込んだ下水道にて、白い息を吐きながら立ち尽くした軍人が断言。
 「私が死ねばサーシャを世話する人間がいなくなる」

 サーシャの兄貴は狂ってる。
 だが、サーシャをおもう心だけは本物だ。
 おそらくは軍人の地位を捨て、残りの人生をサーシャの世話に費やすつもりだろうと、達観した口ぶりから察せられた。 
 一抹の未練も躊躇もない、受難に献身をもって報いる潔さ。

 「陛下を守る臣はもう私しかいない。私はサーシャを連れて故国に帰り、残りの一生を彼に捧げる。彼の望むすべてを献上する」
 「なんにもわかってねーな、お前。教えてやれよホセ、クスリ抜きの拷問中にサーシャが口走ったうわごとを」
 暴君が笑いを噛み殺し顎をしゃくる。
 ホセは道化た笑顔で応じる。
 軍人が訝しげに眉をひそめ、レイジとホセを等分に見比べる。
 代表して前に出たホセが、相手の察しの悪さを哀れむように憫笑をちらつかせる。
 「貴方とサーシャ君の間にあったこと、すべて聞きましたよ。サーシャ君が一部始終を話してくれた。薬抜きの苦しみに耐えるには、人生における最も辛い記憶をむしかえし怒りを燃え立たせるのが一番効果的だったのです」
 「どうだか。自白剤使ったんじゃねーか?」
 「毒をもって毒を制すといいますし」
 眼鏡の弦を押し上げとぼける。悪びれた様子はまったくない。
 心臓を鷲掴みにされたが如く軍人の顔が強張る。
 表情の変化を読んでホセがさらに笑みを深める。
 「サーシャ君にとってあなたは兄にして恩人、臣下にして庇護者だった。サーシャ君はもともとサーカスで養われた孤児だった。早くに母を亡くしたサーシャ君は団長の暴虐に耐えながら、やんごとない血筋であるとの夢想に固執し不幸な境遇を慰めていた。公女の母をもちながら不遇に貶められた自分をいつの日か王家の使いが迎えに来ると信じ、絶対の庇護者たる理想の家臣を思い描いた」

 隠者の笑みは殆ど底なしの様相を呈し始める。
 悪意を具現した闇が蠢動する。
 闇そのもののホセが告解のしるしを授ける黒い神父の如く鷹揚に微笑む。 
 
 「粉雪まう冬枯れの広場で二人は出会った。馬車から降りたあなたを一目見るなりサーシャ君は魅了された。その洗練されし尽くした物腰に、美しい容姿に、上流階級のアクセントを有する流暢な言葉遣いに……アルセニー・ニコラエヴィッチ・アベリツェフという一個人に魅了された」
 「やめろ」
 ホセはやめない。
 制止をふりきり、嬉嬉として続ける。
 「夢が現実になったサーシャ君は有頂天でした。そう、最初のうちは。けれども時の流れは残酷だ、彼はもう夢見る子供ではいられなくなった、現実と向き合わねばならなくなった。幼い皇帝として臣下に甘える月日は過ぎ、彼は一人の少年となった。男性の機能をもつ少年に」
 「やめろ」
 「皮肉にも彼は気付いてしまった。無二の臣下として甘え信頼していた男に対する感情の正体に、その核に!いみじくもその思いを自覚した途端、彼は子供ではいられなくなった。けれどもあなたはサーシャ君の想いに目を閉じ、忠実なる臣下として仕え続けた。サーシャ君なりに頑張ったのでしょう。貴方が欲する陛下であろうとして欲望を押さえ込み、罪のないごっこ遊びにふけり、見捨てられないようにとけなげな演技を続け……」
 「黙れ」
 声が軋む。
 軍人の顔が悲痛に歪む。
 無意識に懐をさぐりトカレフをとりだすや、ホセに照準を合わせる。
 「黙れと言っている」
 「貴方からしてみれば、サーシャ君は可愛い弟だった。それ以上でも以下でもない。その行き違いが悲劇を生んだ」
 場が緊迫する。
 肌をなでる空気が極限まで張り詰める。
 銃口を向けられてもなおホセは饒舌に捲くし立てる。
 言い残しがないようにと強迫観念に駆られ、眼鏡の奥の目を爛々と輝かせ、顔全体に弾けんばかりの狂喜を湛え、ますます興にのって核心に入る。
 忌まわしいほどに目を放せぬ強烈な毒気を発散し、完全に役になりきってホセがうそぶく。
 「貴方の昇進祝いの日だ。貴方はサーシャ君をアパートに招きふたりでささやかな祝杯をあげた。酔いが回る頃、体の異変に気付いた」
 「言うな」
 「体に力が入らない。手足はくったりと萎れたままだ。愚かな貴方は仕込まれた薬に気付かずワインを飲み干し、サーシャ君の手中に堕ちた」
 「君ごときが、それを語るな」
 「意識は醒めていた。貴方は自分の身におきてることがはっきりとわかったはず、自分を抱きかかえベッドに運ぶの誰かわかったはず、服を剥いて裸にしたのが誰かこの上なく明瞭にわかったはず。シーツに溺れた貴方にのしかかり、首筋に唇を這わせ、淫蕩に火照る烙印を施し」
 「辺境の囚人の分際で、千里眼の賢者を気取るな」
 「いとおしげに前髪を梳き、頬を包み、胸板でじゃれ、一転した強引さで押し入ってきたのはー……」
 「やめろ」
 朗々と声を張り上げる。
 饒舌な語りに陶酔し、禁を犯した罪人を糾弾する。
 「近親相姦の大罪を犯したのは!!」

 銃声が響いた。

 「レイジっ!?」 

 二発目は暴発に近い。
 ホセの語りを遮ろうと引き金に指をかけ示威行為に出た軍人の手に蹴りが炸裂、高々と銃が跳ね上がる。
 俺も軍人もすっかりホセの演説に引き込まれて、暴君の消失に気付くのが遅れた。 

 「!っ、」
 再び暴君が出現したのは、軍人の真ん前。
 奇襲に狼狽した軍人が応戦の構えをとるも暴君の対応が上回り、地に落下する前に銃を掴もうと前のめりに屈んだ隙に付け込み、両手でその髪を掴む。
 乱暴に髪を掴まれ、力づくであおむかされる。
 喉仏をさらしてあおむけた軍人の歪む顔を覗き込み、耳孔に吐息をねじ込み、蠱惑するかのように囁く。

 挑発の弧を描いた唇が異国の音を発する。
 流暢なロシア語。
 『Куй железо, пока горячо.』
 風圧に膨らんだ前髪の奥、狂気滾りたつ邪眼が暴かれ、人を畏怖せしめる眼光を放つ。

 髪を掴む手にぐっと力を込める。
 自分の身になにがおきるか予期した軍人の顔面に逃れる暇を与えず膝蹴りが炸裂。
 膝頭と顔面とが出会い、また離れる。
 ひしゃげた鼻の穴からどろりと血が垂れる。
 顔面に膝蹴りを食らって鼻血を噴いた軍人がよろめき、軍服が朱に染まる。
 暴君に髪を掴まれぶら下げられ、降参を証立てるように項垂れた軍人の目はまだ死んでない。
 冷静に反逆の機を窺っている。
 俺は見た、トカレフを奪われた軍人の手が動くのを。
 鎌首もたげた蛇のように俊敏に跳ね上がったその手が、暴君の上着の胸元をひったくるのを。
 「気を付けろ!」
 思わず叫んでいた。
 警戒を促された暴君が虚を衝かれこっちを見る。ばかやろう、こっち見てどうすんだよ!!
 逆転劇は一瞬だった。
 俺に注意を奪われた暴君の胸元に手をかけ布を巻き取り掴んだかとおもいきや、鮮やかに体を入れ替え敵の足を蹴り払い自重を泳がせ、腰に捻りを加え投げ飛ばす。
 背負い投げが見事に決まる。
 背中からしたたかに叩き付けられダメージを受ける暴君、内臓を攪拌する衝撃に激しく咳き込む敵をよそに、今度こそ地面におちたトカレフを拾い上げ……
 「チェックメイトです」
 不浄な闇から湧き出た隠者が、優位を誇示して絶望的宣告を下す。
 奇襲はフェイクだった。
 暴君は油断をさそうおとりにすぎなかった。
 下水道には至る所に死角が存在する。
 照明の大半は割れて視界が悪く、そこかしこに濃厚な闇がわだかまっている。
 割れた照明が作り出す闇を迷彩に迂回、下水道の地理を熟知しているからこそ出来る芸当で暴君と応戦中の背後に回りこんだホセが耳元で囁き、軍人が振り返りー……
 
 盛大に吐寫物を撒き散らす。

 「ぐがあっ、」
 振り返った軍人の鳩尾に、固い固い甲で鎧った拳が抉り込むように叩き込まれる。
 動体視力の極限に迫る豪速で振り抜かれた拳は砲弾の威力を備え 胃袋をしこたま叩き、深刻なダメージを与える。
 拳が胃袋を穿孔する。
 口の端から粘ついた唾液の糸引き、鼻血がこびりついた驚愕の相を壮絶な苦痛に歪め、軍人が戦慄く。
 「………ぁ……がっ……なぜ、わたしを………」
 「カルメンの為です」
 腹にめりこんだ拳をぐりっと捻る。
 胃袋をねじ切る痛みに眼球が反転、軍人が倒れ込んできたのを余裕で支える。
 鼻血と吐寫物で綺麗な顔を汚し、自分の腕の中に倒れこんで来た軍人を一瞥、満足げに微笑したホセがいとも易々とその体を両腕に抱え上げる。
 「良い眠りを。覚めた後には少々ハードな予定が控えてますので。では行きましょう、レイジ君」
 「待てよ、どこ行くんだよ!?待てよレイジ、行くなよ、ようやく会えたってのに……お前それでいいのかよ、ホセに手駒扱いされちゃ王様の名が廃るんじゃねーのかよ、王様のプライドはどこやっちまったんだよ!?」

 ホセが顎をしゃくり、レイジを伴い歩き出す。
 先行するホセに続こうとした暴君がふいに立ち止まる。
 振り返る。
 視線が衝突。
 耐寒を強いる氷室で暴君と対峙。
 暴君が、笑う。
 「こいつが欲しいなら追いかけてこいよ」
 内側の虜囚たるレイジを意識、自分の胸を親指でつく。
 俺に向けた顔は、追いかけっこにうつつをぬかすガキさながら無邪気なもんだ。
 いっそ晴れ晴れと俺を仰ぎ、白い息を吐いて誘う。
 
 「俺をつかまえてみろ」

 上等だ。
 うけてたとうじゃねーか、挑戦を。
 「首ねっこひっつかまえて引きずり戻してやんよ」 
 あっさりと身を翻し闇に歩を進める暴君、距離が開き始めた背中を追って駆け出しかけ…


 「…………行くな」 

 足が止まる。
 視界の端に道了が入る。
 暴君を追って駆け出そうとした俺を呼びとめ、喘鳴に紛れてかき消えそうなか細い言葉を紡ぐ。
 
 「…………もどってこい」

 レイジが行っちまう。
 暴君が行っちまう。
 迷ってるひまはない。
 行け、行くんだ。
 道了なんか放っとけ。こんなやつどこで野たれ死んだって知るか、関係ねえ。
 最後の最後に俺を庇って死ぬなんていい気味だ、ざまーみろ。
 お袋と梅花が味わった苦しみの十分の一でも噛み締めて地獄におちやがれ。

 ぐずぐず悩んでるあいだにもどんどん距離は引き離されて、暴君とホセは遠ざかっていく。
 下水道の奥の奥、照明の光が完全に絶えた空々漠漠たる暗闇の深部に消えようとしている。

 遠ざかる背中が胸を締め付ける。
 いつかとおなじ光景が決断を迫る。  
 
 覚悟を決める。
 心を決める。

 「再見は言わねえ」
 肩から失血し、命の危機に瀕しつつある道了に背中を向け、せいぜい冷たく聞こえるようにと願いながら吐き捨てる。
 「あばよ、道了」
 
 金輪際、間違ったりはしない。
 本当に大事なものを、見失ったりしない。 

 隠者の導きにより迷宮の闇に呑み込まれた暴君を追い、靴裏に全身全霊をこめ、蹴り付ける。
 反動で浮遊感に包まれた体が風を切って前に出るのを引き戻す力がある。
 「行かせない」
 ぎょっとする。
 肩から手をはずした道了が、俺の背中によりかかり腰を抱き寄せる。
 「お前は、俺のそばにいろ」
 癇癪が爆発する。
 視線の先では距離が空きとうとう暴君の姿が闇に覆われて見えなくなり、響いてくるのは靴音だけでやがてそれも小さくなり、ようやっと会えたのにまた見失っちまうのか、行っちまうのかと激情に割れた咆哮を上げる。
 「放せ、放せよっ……お前にかかずりあってるひまねーんだよこっちは、たった一人の相棒がいっちまうんだよ、胡散臭い隠者と連れ立って暗闇の奥に消えちまうんだよ!許せっかよそんなの、俺をさしおいてホセを選ぶなんてあの野郎許さねえ、襟首ひっかんで引っ張り戻してきっちりヤキいれてやる、誰がお前の本当の相棒か思い知らせてやるっっ!!」
 道了は怯まず抱擁は緩まず、俺を抱き抱えたまま強制的にひきずっていく。
 俺を拘束し持ち運ぶのに両手を使ってるせいで外気に晒された傷口から大量の血が滴り、その雫が俺の瞼の上にあたり、頬をぬらし、しまいには上着の中にまで滑り込んで臍の窪みにたまる。
 わけもわからず道了の足を蹴飛ばし拳を振り回す、相手が怪我人だって事も忘れてむちゃくちゃに暴れまくる。
 ぶん回した拳が顎を掠っても、脛をしたたかに蹴り上げられても文句ひとついわず、暴君が消えた方向とは見当違いの水路に俺を引きずり込み、膝まで達した水をかきわけ蹴散らし、瀕死の息でただひたすらに突き進んでいく。
 靴裏が水底と擦れてかたっぽのスニーカーが脱げる。
 さかしまに浮かんだスニーカーを取りに戻るのも許さず、片手で肩を支え、もう片方の手を膝裏にくぐらせて俺を横抱きに抱え、道了は一心不乱に突き進む。
 見上げた横顔には憔悴の色が刻まれ、目の下にはどす黒い隈が出来、噛み縛る歯の間から漏れる喘鳴はどんどん間隔を狭めていく。

 盛大に水を跳ね散らかし、膝まで濡れそぼって水路に分け入る道了の腕の中、俺はただ恐怖で頭が一杯でレイジはもう見えなくて不安で怖くて不安で、レイジの所に戻りたくて戻してほしくてでも戻ったところでレイジはいなくて、どうしていいかわかんないから上に下に右に左に斜めに横に無軌道に拳をぶん回し、道了の体の至る所を殴り付けて奇声を発する。

 「はなせよ、はなせってば!畜生なんだって言う事きかねーんだ、なんだって俺の好きにさせてくれないんだよ!?俺が好きなのはレイジだ、お前じゃない、お前にさわられんだけで虫唾が走る!さんざん抱かせてやったんだからもういいだろうが、もう許してくれよ、解放してくれよ、俺をレイジのところに行かせてくれよ!レイジ、俺の声が聞こえてるか?いい加減へそ曲げんのやめて戻ってこいよ、俺だってひとりぼっちは寂しいんだよ、こんな恥ずかしいこと言わせんじゃねーよ!ホセ、いるか?お前なに考えてんだ、サーシャの兄貴さらってなにしようってんだ、これ以上お前の陰謀とやらに東京プリズンを巻き込むんじゃねーよこの色黒メガネ!!」

 「俺がここにきたのは、お前を生かすためだ」

 耳朶に呟きがふれる。
 上を向いた拍子に道了と目が合う。
 肩から流れ出た血は服を染め、水面に垂れた雫は薄赤く溶け広がり、たとえ痛みはなくても脂汗を絞る消耗は本物で。
 道了の体は、刻々と蝕まれている。
 もう一度強く抱きしめ、血の飛沫が勇猛な隈取りを施した顔に透徹した意志を湛え、狭苦しい水路に篭もる声で宣言する。

 「俺の手で生かすためだ」

 尖った顎を伝った血が一滴、十字架におちた。

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少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050217045403 | 編集
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