ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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十八話

 夜中に目を覚ますと今でも時折自分がどこにいるかわからなくなる。
 四隅に錆びた配管の走った低い天井。視界を圧迫するように頭上を塞いだ陰鬱な天井から壁に沿って視線をめぐらす。コンクリート打ち放しの殺風景な壁にはところどころどす黒い染みが浮き出している。壁の内部に埋め込まれた配水管から漏れた水が斑模様の痣にも見える暗色の染みを壁に浮き上がらせているのだ。
 痣。僕の体にあるのとそっくりな。
 そこまで考え、毛布下の右腕に目をやる。自覚した途端、右腕が鈍く疼いた。今日……否、正確には昨日になるだろうか。イエローワークの強制労働中、同じ班の人間に砂をどかすふりをしてシャベルをぶつけられた痕が青黒く痣になっている。東京プリズンにきてから痣と生傷が絶えない毎日で今では何とも思わないが最初の頃は辟易した。世田谷の実家にいた頃はほとんど怪我とは無縁の生活を送ってきた。自慢じゃないが僕の反射神経は鈍い、運動神経もそれに対応して鈍い。屋外での運動を好まず、父の研究助手から解放された後の余暇は書斎か自室で本を読み耽るのを日課にしていた僕の日常は知識の蓄積、教養の向上という一面では生産的であったが、活動的なものであったとは到底言いがたい。
 東京プリズンにきてからすべてが反転した。日常は非日常に、常識は非常識に。
 しかし東京プリズンにきてはや四ヶ月が経過しようとしている現在ではこの馬鹿げた非日常がすっかり驚くにも値しないほど日常化してしまっている。人間はどんなに過酷な状況にも柔軟に順応していける変化に即した生き物なのだという進化の定説をいまさらながら実感する。今では痣のある生活にも慣れた。間接を曲げるときに痛みに顔をしかめるぐらいで、この程度の怪我では医務室に行く気も起きない。たとえ行ったとて追い返されるのが目に見えている。医務室はいつも満員御礼の大混雑だ、しかも初期に負った右手薬指の怪我を包帯だけ巻いてあとは完全に放置しておくようないい加減さ。無事骨のヒビが完治したからよかったようなものの一歩間違えば右手が使い物にならなくなっていた。それはおおいに困る、右手が使えなければ本を読むのにも不自由する。
 胸にかぶさっていた毛布をどけ、上体を起こす。ベッドの背格子にもたれ、闇に沈んだ房を見回す。毛布をどける際、袖に包まれた右腕が鈍く疼いた。明日、いや今日の強制労働に障りそうだなと考えると憂鬱になる。今は何時だろう?房には時計がない、したがって時間がわからない。就寝時刻から逆算するに午前二時か三時、といったところだろうか。ずいぶん中途半端な時間に目覚めてしまった。体の底には疲労が澱のように沈殿され、節々を動かすのさえ億劫だ。二度寝しようにも目が妙に冴えてしまった、体に蓄積された疲労とは裏腹に左脳と右脳の思考活動が再開される。
 まったく、明日も強制労働だというのに迷惑な話だ。
 心の中で毒づき、顔でも洗って気分転換を図ろうと床に足裏をおろす。ひやりと吸い付くような石床の感触に頭が覚醒。腰を上げ、洗面台に歩く。わざわざ裸電球など点けなくてもこの狭苦しい房のどこになにがあるかは完璧に把握している、僕の記憶力は細部に至るまで完全に正確だ。暗闇の中を歩いて洗面台に辿り着き、蛇口を捻る。両てのひらに水を受けて顔を洗う。顔の皮膚が水を弾く感触が気持いい。生き返った気分で蛇口を締め、タオルをさがして空中に手をさまよわせてから自分の愚行に気付かされる。
 
 ここは世田谷の実家じゃない。洗面台の横に清潔なタオルが用意されてるわけもない。

 東京プリズンにきてから四ヶ月も経とうとしているのに未だに世田谷の家にいた頃のくせが抜けないなんて、と自分に呆れる。ここは僕の家じゃない、砂漠のど真ん中に建つ悪名高い東京少年刑務所……通称東京プリズンだ。勤勉でよく気がつく家政婦が常に清潔なタオルやシーツを用意してくれた世田谷の家じゃない、僕が戸籍上の両親と十五年余りを過ごしたあの息苦しい家じゃない。
 そうだ。ここには恵がいないんだ。
 僕の妹がいない、僕の恵がいない。その事実が手に掴みそこねた不在のタオルの形を借りて身に染みて、宙に浮いた手を拳にして握り締める。恵は今どうしてるだろう。
 『仙台はいいところか』
 『ああ』
 『空気はおいしいか』
 『ああ』
 『人はやさしいか』
 『ああ』
 『食事はおいしいか』
 『ああ』
 『恵は元気にしてると思うか』
 『ああ』
 あの時サムライは力強く請け負ってくれた。武士に二言はない。嘘をつかないサムライが絶対だと保証してくれたのだから檻の中で恵の消息を知る術のない僕はそれを信じるしかない。仙台のことは仙台で生まれ育ったサムライがいちばんよく知っている。サムライがいいところだと言うならいいところなのだろう、恵はたぶん、健康面では支障なく過ごしていることだろう。そう自己暗示をかけて自分を安心させるしか今の僕には術がない。
 タオルがないから、仕方なく囚人服の裾で顔を拭う。衣類の裾で顔を拭くのは正直抵抗があったが、タオルがないなら身につけてるもので代用するしかない。メガネを拭くときも同様だ。シャツで顔を拭ってからふとサムライは熟睡してるだろうかと気になり、隣のベッドに目を転じる。僕のベッドの反対側、壁に密着するように置かれているのは廃品寸前のパイプベッド。5メートルもない距離を隔てた対岸のベッドに寝ている人物の気配に耳をそばだてるが、洗面台からは少し離れてるせいか衣擦れの音ひとつしない。あまりに静かなので就寝中に心停止してるんじゃないかと不安になり、足音をひそめてサムライのベッドに歩み寄る。
 そっと顔を覗きこむ。
 暗闇に目を凝らす。
 ……どうやら生きてはいるようだ。この男ときたら起きているときも寝ているときも殆ど物音をたてない、寝息さえじっと耳をそばだてなければ聞き取れないほどだ。少し安心し、自分のベッドに引き返そうとしたが、サムライの寝顔をじっくり観察する機会もそうはないと思い直してその場にたたずむ。観察対象のモルモットが無意識領域でどんな夢を見ているか気にならないと言えば嘘になる。
 暗順応を起こした目にサムライの寝顔が映る。眉一筋動かさない仏のような寝顔……仏のような?突飛な連想に我知らず苦笑する。彫りの浅い、日本人特有ののっぺりした顔だちのサムライの容貌を形容するなら確かに彫像というより仏に近いが、言うにこと欠いて「仏のような」なんて僕も斬新な比喩をつかったものだ。どんなに穏やかな寝顔をしていても、サムライは僕よりはるかに多く人を殺してるのに。
 「………殺してるんだよな?」
 知らず、語尾が疑問形になった。
 わざわざ聞く人もない疑問を口にだして確かめたのは自分でも半信半疑だったからだ。東京プリズンに来た初日、凱とその取り巻き連中に強姦されかけたときに聞かされた話を思い出す。人間国宝の祖父を持つサムライはある日突然道場の神棚に飾られていた伝家の宝刀をひっ掴み、実の父親を含む同胞十二人を残忍に斬り殺した。とても正気の沙汰とは思えない、尋常じゃない。凱は空恐ろしげにそう口にした、サムライは気が狂っていると、異常者だと。僕と同じ、他者からの理解を拒む親殺しだと。
 でも、そこにはなんらかの理由があったはずだ。
 今ならわかる。確信できる。サムライは理由なく他者を惨殺するような手合いじゃない、流血に快感を見出し殺戮に酔いしれ、人を殺したことを逆に誇るような見下げ果てた手合いじゃない。凱はなんと言った?サムライがここに護送される間際に呟いた台詞―
 『俺はただ、力量を試したかっただけだ』   
 はたして本意だろうか、どうにも解せない。剣の道に身を捧げたサムライなら考えられなくもないが、なぜ純粋に力量を試すためだけにおのれの父親を含む十二人もの罪なき人間を殺害しなければならない?サムライは自分の力量を他者の上に立つことで証明して楽観するような安い男じゃないはずだが……買いかぶりすぎだろうか。
 どれくらいサムライの寝顔を眺めていたのだろう。
 つりこまれるようにサムライの寝顔を覗いていると就寝中も眉間に皺がよっていることに気付いた。単純な発見。熟睡している人間はだれしも無防備になるというがサムライも例外ではないらしい、彫刻刀で彫りこまれたような不動の皺を除けば覚醒時の近寄り難い殺気は霧散している。
 新たな発見に満足し、自分のベッドに引き返そうとした僕の背後で、声。
 「?」
 耳を澄ます。振り返る。
 背後のベッドに横臥したサムライの唇がかすかに動き、なにかを不明瞭に呟く。寝言か?何を言ってるのだろうと興味をおぼえて耳を近づけた僕の腕がぐいと引かれる。
 「!」
 毛布から突き出たサムライの手に手首を掴まれ、強い力で引き寄せられ、バランスを崩す。床に膝をついた前傾姿勢にならざるをえない僕の眼前、ベッドに横たわったサムライの顔に淡い変化がおきる。
 淡すぎて見過ごしてしまいそうな表情の波紋―……これは。
 苦悩?焦慮?
 寝ている時まで仏頂面のサムライにはじめて表情の変化が起きる。息をするのも忘れ、サムライの表情の揺らぎに見入る。薄い唇が開かれ、また、閉ざされる。二音節の単語を呟いた気がしたが生憎小さすぎて聞こえなかった。脱力し、サムライの手をふりほどこうと指に力をこめる。……無理だ。もう一度、僕の手首をがっちり握り締めた手の甲に爪を立てて開かせようとするが失敗。一本一本指を引きはがしにかかるがサムライの握力は想像以上に強く、びくともしない。
 コイツ、痩せてるくせに握力が強すぎる。
 さすが幼少期から真剣を握って修行してきたわけじゃないなと半ば感心したが、ふといやな予感に襲われる。このままサムライが手を離してくれなければ僕は床に膝をついたこの体勢で夜を明かすしかない。毛布も羽織らず、床にすわりっぱなしという背骨に負担のかかる体勢でまんじりともせず朝を迎えるなんて……
 明日も強制労働が控えているというのに冗談じゃない、なぜサムライのせいで僕まで睡眠不足にならなければならない?最悪風邪をひいてしまうではないか。
 こうなったらなんとしても手を引き抜こうとなりふりかまわず手首を振って身をよじってみるが、駄目だ。サムライを叩き起こすしかないのだろうか?はげしく息を切らしながら忌々しげにサムライを睨みつけ、ハッとする。
 サムライの手首にうっすら残る赤い濠……独居房に送られた折の、手錠の痕。
 だいぶ癒えて薄くなってきたが、まだ完全には消えてない。僕の手紙を燃やしたタジマを殴り、その罰としてサムライが独居房送りになったことを思い出す。 
 むきになってサムライの指を引きはがそうとしていた手から力が抜けてゆく。
 誤解しないでほしい、べつにサムライの安眠に配慮したからでもサムライの怪我を案じたからでもない。ただ、自然に手がはずれるまで待とうと発想を転換しただけだ。サムライも朝まで僕の手を握ってるつもりはないだろう、そのうち寝返りを打つかどうかして自然と手を離してくれるはずだ。
 ………待てよ、僕は潔癖症だ。人に触られるのも人に触るのも不快でしょうがなかったはずなのに、なんで。
 不可思議な心境の変化に戸惑いつつ、よく寝入っているサムライの顔を見下ろす。僕の気なんて知らずにかすかな寝息をたてるサムライ、その眉間の皺が深まり、乾いた唇が薄く開く。
 「……………」
 「え?」
 声がした。
 声、というより呟き、というほうが正しいだろうか。サムライが何かを呟いた。小さすぎてはっきりとは聞き取れなかったが、吐息に紛れそうにかすかな声でたしかに何かを言った。
 手首を掴んだ握力が強まる。
 手首に走った痛みに「いい加減にしろ」と抗議の声をあげ、こうなったら枕を引き抜いてでもサムライを起こそうと決心する。
 サムライの睡眠時間より僕の睡眠時間のほうが大事だ。
 そう優先順位をつけ、サムライが頭を載せた枕を一気に引き抜こうと前傾姿勢をとった僕は、至近距離からまともにサムライの顔を覗きこんで絶句する。
 眉間に刻まれた苦悩の皺、憂いに閉ざされた瞼、色を失った唇ー……
 そして、縋るように手首を掴んでくる骨ばった手。
 うなされている?
 あの鉄面皮のサムライが、悪い夢を見てうなされているというのか?
 瞬時には理解しがたい不測の事態に、あるいはサムライ以上に動転した僕はその場に膝立ちになり硬直する。心臓の動悸が速まり粘液質の汗が全身に噴き出す。現在進行形で理解できないことがおきている。サムライはいつなにがおきても巌のように動じない、般若心境を読むときだって眉一筋動かさない男だったはずなのにー
 「………………え」
 乾いた唇が開き、かすれた声で呟く。
 ひきこまれるようにサムライの口に耳を近づける。次第に高鳴りつつある心臓の鼓動に邪魔されないよう聴覚を研ぎ澄ませ、次なる一言に全神経を集中させる。
 眉間の皺がひときわ深く刻まれ、今度ははっきりした声で―……

 「なえ」 

 苗?
 「……苗。名詞。芽が出て少し育った移植用の(草木)植物。狭義では発芽してから田に植えるまでの稲をさす。数え方、一本・一束」
 苗といえばそれしか思い浮かばない。いや、待てよ。いつか見た、サムライが小箱に秘匿していた手紙の文面に記載されていた一文を連想する。
 『芽吹かない苗』
 意味不明な、謎めいた言葉。なにを意味するのかさっぱりわからない、暗示的な一文。
 サムライが今口にした「なえ」とあの「苗」は同じものをさすのだろうか?……わからない。芽吹かない苗の意味するものが。順当に考えればあの手紙は外でサムライの帰りを待つ人間から届いたものだ、その人間が「芽吹かない苗」という一文を手紙にしたためた。以上の条件から導き出される仮説は……サムライがここに入る前にどこかに植えてきた苗を甲斐甲斐しく世話してる人間からの相談の手紙?苗が発育不良で育たなくて悩んでいるのだろうか?サムライのことだ、盆栽の栽培など年不相応に渋い趣味を有していても不思議ではない。ひとを殺して東京プリズン送致が決定するまえに大事にしていた盆栽の世話を信頼できる人間に託した、という可能性はあるだろうか?
 などと推理を働かせながらサムライの顔を見下ろしてるうちに、唇がひとりでに動く。
 「僕の名前は『なお』だ」
 『なえ』じゃなくて『なお』だ。
 なぜ今改めてこんなことを強調するのか自分で自分がわからないー……ただ、一字を変えれば僕の名前になるなと気付き、言ってみただけだ。いつも「鍵屋崎」と呼び捨てにしてるサムライが下の名前を覚えてるかどうか疑問になった、というのもあるが。
 すっと手が離れた。 
 あれほど強く僕の手首を握り締めていた指から力が抜け、枯れ葉のようにゆるやかに毛布の上に落ちる。まるで人違いだったといわんばかりに。
 なんなんだ一体。
 とはいえ、手首の拘束が解けて助かったのは事実だ。床から立ち上がり、ベッドにとって返そうとした僕の足元を頭部に触覚を生やした黒い影がささっとよこぎる。
 「うわっ!?」
 奴だ!
 悲鳴をあげ、後ろ向きに尻餅をついた拍子に背後のベッドに肘がぶつかりガチャンと音が鳴る。
 毛布がばさりと床に落ち、剃刀のような風が頬を掠めた。
 何が起きたのか一瞬理解できなかった。
 理解できたのは裸電球の笠が捻られ、仄暗い光が房を満たしてからだ。裸電球の光に暴かれたのは殺風景な房の全容。黒々と水性の染みが浮き出たコンクリートの壁、ひんやりと冷たい床、天井を走る錆びた配管から滴る汚水―……その汚水を肩に受けながら微動だにせず佇んでいるのは長身痩躯、一見年齢不詳の男。
 サムライ。
 床に尻餅ついた僕の顔面に隙ない構えで木刀をつきつけるサムライ。最前まで熟睡していたというのに、猛禽の如く剣呑に輝く眼光からは今や完全に眠気が払拭されている。全身に殺気を漲らせて仁王立ちしたサムライ、僕の鼻先に擬されていた木刀の切っ先が音もなくすべり顎を縦断、喉仏に達する。
 生唾を嚥下した喉仏にひやりとした木の感触を感じつつ、床に後ろ手をついた間抜けな体勢でサムライを仰ぐ。
 重苦しい沈黙を破ったのは揺るぎない、低い声。
 「何をしていた」
 「……顔を洗っていた」
 「洗面台はあちらだ」
 木刀は喉仏に擬したまま、無造作に顎をしゃくり洗面台を示す。サムライの顎が流れた方角を目で追い、正面に向き直る。
 「木刀を引け。これで三回目だぞ、僕に木刀を向けるのは」
 初対面のとき、首を吊ろうとしたとき。今晩で三回目だ。
 その一言でようやく木刀を引いたサムライだが目にはまだ一抹の疑念が宿っている。僕の行動を探るような疑り深い眼差しに嫌気がさし、床に手をついて立ち上がる。
 「悲鳴がしたが」
 「幻聴じゃないか?僕にはなにも聞こえなかったが」
 誰がゴキブリを見て悲鳴をあげたなんて言えるか。
 背中に注がれる視線を無視し、わざと挑発的な口調で返す。
 「般若心経の唱えすぎで聴覚までおかしくなったようだな。念仏の幻聴が聞こえ出したら耳鼻科では間に合わない、精神科に行け。最もこの刑務所にはカウンセラーがいないから無理だろうが」
 「お前の声ではなかったか?」
 「どこにそんな根拠がある?」
 これ以上要らぬ詮索を招くまえにベッドに帰って寝入ったふりをしようと踵を返しかけ、ふと立ち止まる。サムライの寝顔が脳裏によみがえる。僕の手を掴んだ骨ばった指、眉間に寄った苦悩の皺、乾いた唇から発せられた言葉は―……
 「サムライ、『なえ』とはなんだ?」
 刹那、サムライの顔色が変わった。
 いついかなる時も本心を悟らせない鉄面皮を保ち、寡黙を貫いて存在感を消した男が、その言葉を出した途端怖じたように狼狽する。右手にさげた木刀の切っ先が内心の動揺を反映するかの如く揺れ、嵐の前の波紋のように名伏しがたい激情が面に生じ、切れ長の双眸に複雑な色が過ぎる。
 だが、それも一瞬のこと。
 肩の力を抜いたサムライは僕に背を向けてベッドに戻るや、さらなる追及を拒絶するが如く断固たる口調で言う。
 「お前の知ったことではない」
 厳然と拒絶する背中にかける言葉を失う。ベッド下に木刀を投げこみ、毛布をたくしあげ、横たわる。僕に背中を向けてベッドに横たわったサムライはそれきり何も言わず、これ以上会話を続ける気もないと沈黙の内に意思表示する。
 人に聞きたくもない寝言を聞かせておいて、あんまりな態度に憤慨する。
 大股にベッドに戻り、毛布にくるまり目を閉じる。サムライのほうは振り向かずに壁と向き合う。こんな偏屈で偏狭な男とはもう一切会話したくない、頼まれたって願い下げだ。なんなんだ、わけがわからない。自分の方から人の手を掴んでおいて用がなくなれば何の未練もなく……べつにサムライに手を握っていて欲しかったわけじゃないが。断っておくが同性に手を握られて喜ぶ変態的な趣味はない、断じてない。
 朝起きたらちゃんと手を洗っておこう。
 そう決意し頭から毛布をかぶろうとし、顔だけ出して素早くあたりを見回す。床にも壁にも天井にもゴキブリの姿は見当たらない。深く安堵し、裸電球を点けっぱなしでいたことに気付く。舌打ちし、裸電球の笠を捻る。消灯。闇の帳が降りた隣のベッド、こちらに背中を向けて寝入った……もしくは寝入ったふりをしている男を睨み、嫌味を言う。
 「寝言で般若心境を唱えだすなよ。辛気くさい念仏を聞けば眠りも浅くなる」
 サムライは答えない。僕を無視するなんて何様の気だ?
 べつにサムライが答えてくれずともちっとも寂しくはない、ただ猛烈に腹が立っただけだ。

 モルモットに指を噛まれた気分だ。 

少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20060325053038 | 編集
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