ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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二十四話

 『頭を冷やせ』
 サムライは決して僕に触れようとしなかった。
 全裸の僕を前にしても狼狽するばかりで、僕が望んだものを与えようとはしなかった。
 僕が望んだのは熱だ。
 嫌な記憶を洗い流し殺人行為で汚れた手を消毒する熱、処方箋としての快楽だ。
 僕はサムライを押し倒した。
 売春班で性欲を持て余した囚人の慰み者にされ体も心もぼろぼろになり接触嫌悪症が悪化したこの僕が、他人に触れられただけで嘔吐を催すほどに接触を嫌悪し体温を憎悪する僕が、事もあろうに自分からサムライを押し倒した。
 サムライを押し倒し馬乗りになり上着の裾をからげ、売春班で仕込まれた手管を反芻し、男性器に対し巧みな愛撫を施した。
 手淫の効果は如実に表れた。
 サムライの下半身は僕の導きにより間をおかず堅くなった。
 細心の指遣いで竿を擦る。
 熱く脈打つ肉の塊を掌に感じる。
 やんわりと指を閉じ、緩急つけて摩擦する。
 愛撫に応じ反応を示す性器を醒めた目で観察、ひどく自虐的かつ自嘲的な気分に陥る。
 サムライを貶めることは、転じて自分を責めることに繋がる。
 潔癖な彼はこんな不潔な行為毛頭望んでいないのに、以前の僕ならこんな行為汚らわしいと唾棄するのに、今の僕は男性の股間を布越しに愛撫し昂ぶらせる事に何ら抵抗を感じず、堕落の倦怠を感じさせるいかがわしい手つきでもって、淡々とそれをやってのける。
 勃起させるのは簡単だ。
 ただ擦ってやればいい。
 知識と技巧が折り合えば成果を出すのは容易だ。
 慎重な手つきでもって意地悪く技巧を凝らし、五本の指を独立させ竿を弄び律動的に前立腺を刺激、射精を誘発する快感を送り込む。
 サムライも男だ。
 布越しに漣立つような手つきでもって股間をまさぐれば、性器は鋳型に嵌め込まれたように固さを増し、掌に抵抗を伝える。
 ズボンの布地を押し上げる生理現象には逆らえない。
 修験者の如く禁欲的な見た目をしていても、現実に節制していても、一皮剥けば一人の雄であることに変わりない。
 
 人は易きに流れる生き物だ。
 堅苦しい程に真面目なサムライが内に秘めた欲望を煽るのに、背徳的な悦びが伴わないといえば嘘になる。
 快楽を堪え呻くサムライ、淫蕩に上気したその顔が劣情を煽り立てる。
 たとえそれが一時の自己嫌悪から逃れるためであっても、交接の快楽に身を委ね理性を飛ばしたいという代償欲求の逃避願望に過ぎなくても、僕はあの時たしかに彼に欲情していた。

 濡れてはりついた上着の下から透ける肌に
 僕のそれとはまるで違う荒削りな直線で構成された男性的な体に
 馬乗りになった僕を濡れ髪の向こうから心許なく見上げる瞳に

 サムライを自分の物にしたいとあの時ほど強く願った事はない。
 その為なら売春夫に戻っても構わない。

 サムライを汚したい。
 身も心も汚し尽くし僕と同じ底辺にひきずりおろしたい。
 僕と対等の友人でありたいなら君がここにおりてこい、誇りを挫かれ辛酸を舐め地を這う僕のもとにまでおりてこい。

 高みから見下ろすな、同情するな、そんな目で見るな。
 鈍感な君は気付かない。
 その優しさが僕をみじめにすると、その労りが僕をうちのめすと、包み込むような眼差しが反発を招くと。

 僕は汚れている。
 どうしようもなく汚れている。
 僕は親殺しの人殺しだ、もう後戻りできない所まできてしまった。売春班にいた時はまだよかった、一抹の希望があった、君の手をとり這い上がる事ができた。だがもう遅い。あの時と今では事情が違う、僕を取り巻く環境自体が変わってしまった。
 斉藤がやってきた。
 鍵屋崎夫妻殺害事件の真相を調べ、真実を明るみに出そうとした。
 発覚したところで誰をも幸せにしない真実を暴いて恵の将来を僕のこれまでをすべてをめちゃくちゃにしようとする男を、僕は処理した。簡単だった。実に簡単だった。あっけないくらいだった。

 馬鹿め。
 低脳が天才を謀ろうとした当然の報いだ。
 貴様如き凡人がこの僕を、この鍵屋崎直を試そうとした結果がこれだ。
 僕は斉藤を殺した。その事実が自責の楔を心臓に打ち込み、重く心に沈殿する。
 後悔などするものか。
 まだ汚れてない妹の代わりに、僕が汚れるのは当たり前じゃないか。
 長年無自覚に恵を苦しめ続けたこの僕が、恵の存在意義を奪い続けた僕が責を負うのが当たり前じゃないか。
 鍵屋崎優と由香利にとどめを刺したのは僕だ。致命傷は与えたのはこの僕だ。

 恵は悪くない。
 悪いのは、僕だ。

 暴いたところで誰も幸せにならない真実をさも得意げに暴き立てようとした斉藤に殺意が湧いた。  
 功名心?好奇心?自己満足?
 そんな俗悪なもののために恵が犠牲になる理由はない。
 恵の主治医として信頼を勝ち得ておきながら、恵を裏切った。
 俗悪な好奇心を満たしたくて事件を追及したと開き直ればいいのに、僕のため恵のためと偽善者ぶって言い逃れをした。

 死んで当然だ。
 四肢を切断されゴミのようにばらまかれるなど、まったく似合いの死に様だ。

 斉藤を処分してくれた暴君には感謝すべきだ。
 報酬として、抱かせてやってもいい。もとより汚れた体だ。他人の精液に塗れ酷使した肛門はだらしなく弛緩したこの貧相に痩せた体が、栄養不良で肋骨が浮くほどに痩せた生白い体が報酬にあたるなら出し惜しみせず抱かせてやる。

 シャワー室の一件の後、悪寒が走る体をひきずり房に戻った。
 房に帰ればサムライは既にベッドに横たわっていた。
 こちらに背中を向け不機嫌な沈黙を守る彼にかける言葉もなく、就寝時刻が来るまで互いに無言で過ごした。
 消灯ベルが鳴り響いた時は救われた心地がした。
 就寝の号令がかかった時は心底安堵した。
 極度の緊張から解放された体には鉛のような疲労が蟠り、靴を脱ぎベッドに身を横たえるたったそれだけの動作がひどく億劫だった。
 「……………っ………は……」
 靴を脱ぎ丁寧に揃える。
 毛布を捲り体を滑り込ませようとした途端眩暈に襲われ視界が歪む。
 額を支え苦痛が癒えるのを待つ。さっきから悪寒がやまない。
 風邪をひいたのかもしれない。
 冷水を浴びせられたまま暫く全裸で放心していたせいだ。
 上着越しの腕が鳥肌立つのがわかる。
 体がやけに熱っぽく、だるい。
 微熱があるのかもしれない。
 明日の強制労働に障ったらどうしようと危惧しつつ、かといって休めるわけがないと萎えかけた気力を叱咤する。
 風邪など抗生物質を打てばすぐ治る。
 が、今から医務室を訪ねたところで適切な処置を受けられるとも限らない。
 就寝時刻を過ぎてうろついてるのがばれれば看守にこっぴどくどやされる。
 のみならず、医務室に行ったところで薬を貰える確証はない。
 しかも医務室にいるのはプラシーボ効果任せの治療を主とする胡散臭い精神科医で……

 そうだ。
 斉藤は、もういないんだ。

 瞼の裏に鳶色の髪の男が現れ、一瞬で消え去る。
 斉藤は、いない。
 僕がこの手で殺した。
 彼はもう、この世にいないんだ。
 バラバラ死体となって下水道に遺棄された男になにを期待してるんだ、僕は?

 サムライは僕の変調に気付かない。
 先刻の一件が原因か、目を合わせ沈黙に落ち込む気まずさ故にそっぽを向いている。
 不調を察した様子はないと確認、安堵の息を吐く。
 責任感の強い上に心配性のサムライは、僕の不調を知るや否や医務室に連れて行く。
 看守に見咎められる危険も顧みず、僕の様態を親身に慮り、肩を抱えて医務室に連れ込むに決まっている。
 もしくはそう、いつかのようにつきっきりで看病してくれるかもしれない。
 洗面台の蛇口で手ぬぐいを濡らし、絞り、僕の額に当てて冷ましてくれるかもしれない。
 一晩中傍らに付き添い僕の寝顔を覗き込みこまめに手ぬぐいを取り替えながら、シャワー室での行為を悔やみ、恥じ、呪い、彼一流の無骨さでもってたどたどしく詫びるはずだ。 

 『すまん、直』

 その声すら想像できた。
 眉間に寄った深い皺、悔恨の光をやどした目、一文字に引き結んだ口元までもが鮮明に思い描けた。
 だからこそ、知られたくない。
 今この状態で、彼の謝罪を聞くのは苦痛だ。これ以上みじめな境遇には耐え難い。
 裸電球が消える。
 視界が黒く塗り潰される。
 素早く毛布に包まりサムライに背を向ける。
 裸電球を消しに立ったサムライが暫くそこを動かず僕を凝視する気配を感じる。
 サムライが今どんな顔をしているか想像できる。
 憂鬱な顔に物言いたげな風情を漂わせ、手が届きそうで届かない僕の背中をむなしく見詰めているのが伝わってくる。
 口を開く。
 また、閉じる。 
 上着の下で心臓が汗をふく。
 目で見なくても気配でわかる。
 視覚を奪われた分鋭敏に研ぎ澄まされた感覚が、衣擦れの音ひとつ息遣いひとつからサムライの一挙手一投足を正確無比に写し取る。
 僕は無関心を決め込む。
 毛布に包まりそっけない背中を向け何も気付いてないふりで沈黙を通す。
 衣擦れの音はおろか息ひとつたてぬ異様な慎重さでもって寝たふりを演じ、サムライの注意が逸れるのを祈るような心地でひたすら待つ。
 「………寝たのか」
 無視する。
 問いかけの余韻が消えるのを待ち、なお立ち去りがたく房の中心にて僕を見つめていたサムライが、諦念の吐息をついてベッドに引き返していく。
 纏わり付く未練を吹っ切るかのような大股の足取りにあるかなしかの虚勢を感じ取る。
 結局サムライはそれ以上何も言わず、僕の扱いにくさに辟易したかのようにベッドに潜り込む。
 衣擦れの音が耳朶をくすぐる。
 静けさが房に満ちる。
 息を殺し壁と向き合う。
 裸電球が消えた房は真っ暗だ。
 壁の向こうからは鼾と歯軋りと不明瞭な寝言が聞こえてくる。
 寝相の悪い囚人が壁を蹴り付ける。
 瞬きもせず殺風景な壁を見詰める。
 数分経て暗闇に慣れた目が、向かい合う壁のひび割れと不気味な染みを捉える。
 目と鼻の先に迫った壁の染みはやけにリアルで、その抽象的な模様は混沌たる悪夢を喚起する。
 眼鏡をはずしてもこんなものに限ってよく見える。
 見たくないものほどよく見えるのが人間の性質だとしたら、随分と救いのない話だ。
 「…………………くだらない」
 口元が皮肉に歪む。
 卑屈な笑みが顔に浮かぶ。
 こんな感傷的な感想、僕らしくもない。
 大人しく毛布に包まっているにも拘わらず悪寒はおさまるどころか酷くなるばかりだ。
 体調の悪化が気分を滅入らせていると分析、毛布の中で手足を縮める。
 が、所詮は無駄な抵抗だ。
 手足を縮めたところで暖をとれるはずもなく、気休め程度の慰めしか得られない。
 自分で自分を抱く。
 華奢な肩と骨張った腕、いかにも薄っぺらい感触が心許ない。
 寒い。
 底冷えするようだ。
 このまま凍え死んでしまいそうだ。
 芯が冷えていくのに反し表面は熱をもち、熱湯と冷水に交互に漬けられるような責め苦が身を苛む。 

 『頭を冷やせ』
 突き放す声が蘇る。
 突きのける手の感触が蘇る。

 全身濡れそぼち僕を見下ろすサムライの顔、冷ややかな侮蔑を湛えた射抜くような眼差しを思い出す。
 サムライは僕を、拒絶した。
 徹底的に拒絶した。
 一番欲しい時に一番欲しいものをくれなかった男に、この上なにを期待する? 
 自分だけ綺麗で在ろうとする卑怯者の分際で、対等な友人を自負する欺瞞に視界が赤く染まるような憤怒に駆られる。

 『自分がなにをしてるかわかってるのか?』
 僕の正気を疑う声、苛烈な叱責。

 わかっているとも。
 僕は狂ってなどない、完全に冷静だ。
 サムライにシャワーを浴びせ押し倒した時も完全に冷静だった、自分が何をしてるかちゃんとわかっていた。
 シャワーを向けた瞬間のサムライの眼を思い出す。
 愕然とした顔。
 常軌を逸した僕の行動に戸惑い、正気を呼び起こそうとする必死な声。
 自分が何をしてるかくらいわかっている。
 僕を誰だと思っている、IQ180の天才鍵屋崎直だ。
 そうだ認めよう、僕はサムライを犯そうとした。
 シャワー室で彼を襲い衣服を剥ぎ性器をまさぐり、発情した獣のように交接しようとした。
 それの何が悪い? 
 「抱いてくれ」と頼めばよかったのか?
 この僕が?
 IQ180の天才たるこの僕が、人に頭を下げた事などないこの僕が、「抱いてくれ」と自ら頭を下げて頼めばよかったのか?
 何故そんな事を頼まねばならない。
 受動態に徹するのは僕の流儀じゃない、主導権は僕が握ってしかるべしだ。
 あれ以外にどういうやりかたを選べばよかったのだ。
 僕は切迫していた。
 もうどうにもならないところまで追い詰められていた。
 ああする以外にどうすればよかった、泣いて縋って「抱いてくれ」と乞えばよかったのか、しがみ付いて想いを吐露しどうか抱いてくれと喚き散らせばよかったのか?
 僕のプライドがそんな無様な行為を許すとでも?

 卑屈に希うよりも、傲慢に命じた方がましだ。
 同情されるより、憎悪されたほうがずっとましだ。

 「……………………ふ………」

 体が熱い。
 頭が熱い。
 毛穴から大量の汗が噴き出てシーツをぐっしょりぬらす。
 沸騰する狂気を鎮める術をもたぬ僕は、皮膚の下で波立つ熱にただひたすら耐えるしかない。
 固く閉じた瞼の裏側を様々な人間の顔が過ぎる。
 恵、安田、斉藤、レイジ、ロン……サムライ。

 僕は、これからどうしたらいい?

 斉藤を殺したのは、僕だ。
 今日中に行う予定だった尋問は、上の都合で明日に持ち越された。
 詳細は知らないが安田の配慮が働いたためだろう。
 強制労働で疲労した僕に更なる負担をかけるのを避け、明日改めて尋問を行うと看守を通じ打信された。
 安田なりに僕の体調を気遣ってるらしい。
 確かに体調は思わしくない。
 ここ最近貧血の頻度も増している。
 健康体ならまだしも、心身ともに憔悴した現在の状態で尋問を受けるのは正直辛い。  
 しかし副所長の好意を単純に受け取っていいものか?
 死刑執行期限が明日に延びただけだと思えば、人道的配慮を装った生殺しの判断を呪いたくもなる。
 斉藤を殺した事実はじきにばれる。
 図書室を出た直後の消息が途絶えている点から、真っ先に疑われるのはこの僕だ。
 図書室を出たと裏付ける根拠が僕の証言に拠る現状は、極めて不利といっていい。

 安田は僕を疑っている。
 疑っているからこそ、尋問を延期したのかもしれない。
 他の囚人とひとまとめにせず、たっぷり時間をとって尋問するつもりだ。
 微に入り細を穿ち繰り返し証言させ、容赦なく矛盾点を追及し真相を暴きだすつもりだ。

 「あるいは僕を犯人と断定する証拠を揃えているか、だ」
 まったくご苦労な事だ。
 今も下水道に潜り右往左往している死体回収班を思い、口元に苦い笑みがちらつく。
 いかに綺麗に拭き清めたとはいえルミノール反応が出れば一発で殺害現場が特定される、その他にもまだ見落とした証拠が残っているかもしれない。
 安田は僕を疑っている。
 疑いながら泳がせている。
 どうせ逃げられないのだからと高をくくりプレッシャーをかけじわじわと追い詰めているのだ。明日中に自白を引き出せればしめたもの?見回りの看守を捕まえ「僕が犯人だ」と告白しろと?
 寛大なる副所長が与えてくれた猶予を、しかし僕は真っ向からはねつける。
 自白などするものか。
 そんなことしたらすべてがおしまいだ。
 斉藤を殺した事が発覚すれば当然理由を問われる、恵を危険に晒すいかなる言動も慎まねば。
 一番いいのはこのままばれないことだ、ばれずにこのまま……

 『副所長も君のことを心配している。漠然とだが、君が誰かを庇っていると勘付いている節がある。安田くんはああ見えて警察上層部にコネがあるエリート中のエリートだ、ある程度の確証さえ揃えば再捜査の圧力をかけるのも不可能じゃない』

 あんなことを言わなければ

 『僕はこう思う。加害者を擁護するわけじゃない、しかしその加害者に以前被害者が酷いことをしたしたらどうだろう?人間の尊厳を踏み躙るような非道な行いをしておきながら反省も謝罪もなく酷く傷付いた被害者が燃え上がる復讐心に駆られ加害者に転じたとしたら、はたして彼は……または彼女は加害者か被害者か?真に非難されるべきはどちらだ?』

 あんなことさえ言わなければ

 『加害者と被害者の線引きはどの辺り?』

 僕は、
 僕は。
 どちらだ?
 被害者なのか、加害者なのか?

 落ち着いた物腰で座した医者が瞼裏に浮かぶ。
 もう二度、彼の五体満足な姿を見る事はないのだ。 

 僕は人殺しだ。
 人殺しだ人殺しだ人殺しだ最低の人間だ鍵屋崎優と由香利を斉藤を殺した恵を守るためという建前で言い訳でその実自分の為に、自己満足のために彼らの命を摘み取り人生を奪い去ったエゴの権化だ。鍵屋崎夫妻はともかく斉藤に何の恨みがある個人的な恨みは何もない彼は僕によくしてくれた認めたくはないがそれは事実だどうしようもなく事実だ、恵の近況を手紙に書き知らせてくれた相談に乗ってくれた励ましてくれた、あの胡散臭い鳶色の若作りはあの離婚暦のある軽薄な男は精一杯の誠意でもって僕に接してくれた理解ある大人で、理解できない事柄を真摯にを理解しようと努める姿勢には敬意といかぬまでも好感が持てた。 

 なのに。

 『僕はね、人を殺すのと人の心を殺すのは同等の罪だと思う』

 やめろ。
 僕を、恵を、僕達を、理解しようとするな。
 理解など、しないでくれ。
 恵が味わった十年間の苦しみを僕が味わった十五年間の葛藤を簡単に理解しないでくれ理解者など気取らないでくれ。
 その言葉をもっと早くくれていたら、恵は狂わずにすんだ。

 「…………っ…………………」
 やり場のない憤りが身の内を席巻する。 
 後悔など、しない。するものか。
 だがそれなら皮膚を食い破り溢れださんとするこの感情はなんだ、沸々と込み上げ迸る悲哀と鬱屈に満ち満ちたこの感情は?
 きつく歯を食いしばり嗚咽とも苦鳴ともつかぬ声を殺す。
 体が小刻みに震えだす。
 衝動的な発作に駆られ、無造作に毛布を払う。
 全身に悪寒が走る。
 房は氷室のようだ。
 枕元に手を這わせ眼鏡を掴む。
 震える手で眼鏡をかけ、視界の軸を定める。
 スニーカーを履く。
 覚束ない足取りで房を横切る。
 一年以上暮らし目を瞑っていても歩ける狭苦しい房が、何故かこの時はよそよそしい空気に満ちていた。
 獣じみて荒い息を吐きながら、一歩、また一歩と足を引きずり隣のベッドに向かう。 
 たった5メートルが気の遠くなるような距離だった。
 実際に眩暈を感じた。
 今ここで膝を屈し倒れこんでしまえばどれだけらくかと心揺れる誘惑に抗い萎えた足を引きずり、漸くベッドの脇に辿り着く。
 
 耳を澄ます。
 規則正しい寝息が聞こえてくる。

 サムライは寝ていた。
 身動ぎひとつせず仰臥し、胸まで毛布で覆っていた。
 闇に浮かび上がるその顔は酷く厳かで、侵しがたい静謐を湛えている。 
 「君のせいだ」
 サムライの寝顔を憑かれたように凝視する。
 就寝中も恐ろしく姿勢のよい男だ。
 ごくかすかな寝息が聞き取れなければ死体と勘違いしたかもしれない。
 緩く瞼を閉ざした面持ちは眉間の皺がないせいか若干若返って見える。
 闇に埋没し、気配を消し、じっとサムライを見詰める。
 音もなく忍び寄る闇に紛れ、自我が侵食されるに任せ、銃口のように空虚な目で漠然と寝顔を見詰める。
 サムライは僕の注視にも気付かず無防備に眠り込んでいる。
 無理もない、ブルーワークの囚人は激務を極めているのだ。
 下水道で消息を絶った囚人の捜索に加え本日は死体回収作業も課されたのだ、顔色ひとつとっても疲労の嵩み具合は著しい。
 枕元に立ち、無言で寝顔を見詰める。
 顔の造作ひとつひとつを辿り、鋭く尖った喉仏と精悍な首筋に誘われ、指先を伸ばす。
 指先が喉仏に触れる。
 喉仏の頂点から下方へ、ゆるやかに指を滑らす。
 「なぜ僕を抱かなかった?機能不全でもあるまい」
 邪悪な揶揄が笑声に篭もる。
 爪の先を立てるようにして喉仏を縦断する。身の内で凶暴な衝動が疼く。
 ベッドの脇に片膝つき、唇が触れる至近距離で覗き込む。
 「僕を抱かなかった事を後悔させてやる」
 早鐘を打つのをやめた心臓が、規則正しい鼓動を再開する。
 目を閉じれば冷え冷えした虚無が広がる。
 意図して理性を消し去る必要さえなかった。
 冷徹に殺意を研ぎ澄まし、どこまでも平坦な心境を保ち指先に全神経を集中する。
 指先に他人の皮膚を、ぬめりつく汗を、血管の脈動を感じる。
 今度はもう少し強く喉仏を押してみる。
 呼吸を妨げられる苦しさにかすかに眉間に皺がよるも、それだけだ。
 起きる気配はない。
 次はもっと大胆になる。
 五指を広げ、喉仏の上あたりに添える。
 「素直に僕を抱けばよかったんだ。ずっとそうしたかったんだろう」
 解剖学的な正確さで気道の位置をさぐる。
 首の上で戯れに指を滑らせ反応を見るも、サムライは瞼を開けない。死んだように眠っている。
 本当に殺してしまおうか。
 「僕が気付かないとでも思っていたのか。気付いていたとも、以前から。僕にふれる君の手つきで、僕を見る君の目つきで」
 心はひどく冷静だった。
 透徹した理性が行動の一部始終を監視していた。
 僕が紡ぐ言葉は穏やかな抑揚をもち、これまでにないほど親しげにサムライに語りかけている。

 殺してしまえ。
 三人殺すも四人殺すも同じだ。
 この男を殺せば、解放される。
 つまらないしがらみから解放され、自由になる。

 狂気が付け入る隙もない自明の理だ。
 サムライがいるから僕は苦しむ羽目になる。
 彼にふさわしい友人でありたいばかりに苦しんでいる。
 この男が消えれば、悩む必要もなくなる。
 この男さえ消えれば

 「用済みのモルモットはどうなるか知ってるか」

 簡単だ。
 少し力を込めればそれで済む。
 熟睡してる今なら抵抗の恐れもない。
 殺してしまえ。殺してしまえ。
 秘密を守り真実を隠すために邪魔な者はすべて葬り去れ。
 僕ならできる。
 IQ180の天才たる僕なら、国家の威信を賭け生み出された人工の天才児たる僕なら、目的のために手段を選ばず邪魔者を処分できるはずだ。

 心を許したのが過ちだった。
 唇を許したのが過ちだった。
 友人など要らなかったのだ、最初から。
 誰かに依存しなければ生きていけない惰弱な人間に成り下がるのをあれほど唾棄していたはずが今ではこのザマだ。
 拒絶を前提にした関係がどれだけ空虚なものか
 汚物のように見下されて初めて知った。
 停滞した関係は何も生まない。
 閉塞感で窒息しそうだ。

 「殺処分だ」

 こんな想い知らなかった。
 知りたくなかった。
 手に入らないならいっそ、殺して独占してしまいたい。
 自分の内にこんな激しい感情が眠っていたなんて、知りたくなかった。

 極限に至る明晰さが意識を研ぎ澄ます。
 サムライに対する歪んだ願望を意識、ゆっくりと指に力を込める。
 視界に暗闇がのしかかる。
 四囲の壁が迫ってくるような錯覚が襲う。
 周囲から潮が引くように音が消える。
 蓋を被せたように雑音が消滅、特殊な磁場が作用したように異様な静寂が充満する。

 「性欲処理できないモルモットなど要らない。君など最初からただのモルモットだ、友人などと思い上がるな。そうだ、第一印象から最悪だった。出会った時から威圧的で無愛想で僕に対し一片の経緯すら払わない君を、あの時からずっと憎んでいた。僕は天才だ、君達低脳とは次元が違う生き物なんだ。君とこれまで付き合ってきた目的はデータの採取に尽きる、従って君の存在は僕の中でなんら重要な地位を占めてない」

 言葉静かに断言、右手に左手を添える。
 サムライの首を絞める。
 静かに慎重に、次第に力を込めて圧迫の度合いを強めていく。
 体重をかけ首を絞める。
 気道を圧迫される苦痛にサムライの顔が歪む。

 それがどうした?
 モルモットの苦しみなど知った事か、こんな男慈悲をかけるに値しない。
 残酷な衝動に駆られるがまま、嗜虐に酔う快感さえ覚えつつさらに力を込める。
 両手で固定した首を締め上げる。

 「っ………ぐぅ……」
 呼吸を妨げられる苦しみにサムライが仰け反り喘ぐ。
 だが手は止まらない。
 無意識に苦しみ喘ぐサムライを醒めた目で観察しつつ、解剖学的な正確さで押さえた気道を両手で締め上げる。 

 何も感じない。
 麻痺したように感じない。

 サムライと過ごした歳月を振り返り感傷に囚われる事なく、淡々と行為を継続する。
 理性と知性が手に手を取り合い、この男を処分せよと命じる。
 用済みのモルモットを処分せよと囁く。
 僕はそもそもの初めからこういう人間だった。
 こういうふうに作られた人間だった。
 感情に左右される事なく目的を遂げられるように情動値を控えめに、合理的思考を司る脳部位を活性化させた人工の天才だ。

 「……もう少しで忘れるところだった。僕ともあろうものが、迂闊だった」

 唇が歪む。
 表情筋を不自然に矯正、奇妙に歪んだ笑みの残像を炙り出す。

 「僕が鍵屋崎直であることを、忘れるところだった」

 僕は鍵屋崎直だ。
 IQ180の世界最高の頭脳をもつ人工の天才だ。
 友達など要らない。
 理解者など要らない。
 もっと早く目を覚ますべきだった。
 天才と凡人は相容れないと、気付くべきだったのだ。 
 
 僕は人殺しだ。
 三人殺すも四人殺すも同じだ。

 四人目は、君だ。
 君を殺して、僕は僕になる。
 本来の鍵屋崎直に戻る。
 
 「……っ……くは、ぁぐ………」

 『加害者と被害者の線引きはどの辺り?』
 加害者と被害者の境界線は曖昧だ。
 被害者は加害者にもなりえ、
 加害者は被害者に転じる。
 僕の手は加害者の手、僕の目は被害者の目だ。
 殺人行為を正当化するつもりは毛頭ない。
 僕は、不条理に満ちたエゴを剥き出して彼を殺す。
 一抹の躊躇なく、解剖学的知識にもとづく正確さで気道を塞ぎ喉に指が食い込むおぞましさにも耐えて息の音を止めてみせる。
 彼は被害者として処分される。
 それが望み得る限りの最良の結末だ。
 最良の裁量だ。

 酸素を欲し喘ぐサムライを冷ややかに見下ろす。
 半ばのしかかるようにして馬乗りになり、右手に左手を重ね力一杯締め上げる。
 酸欠の苦しみに口を開け、無意識ながらも首を振り抵抗を示し、薄っすらと目を開ける。 
 不安定に虚空をさまよっていた視線が中心に据えられ、僕の顔をまともに捉える。
 それでも手の力は緩めない。
 あと少し、もう少しだ。もう少しで僕は僕に戻る、鍵屋崎直に戻る。
 サムライのこめかみがひくつく。喉の血管がはち切れそうに膨張する。
 シーツを蹴り苦しみもがくサムライの口から、酷く掠れて聞き取りにくい声が漏れる。
 「な、お………」
 「誰だそれは」 
 額がぶつかる距離に顔を寄せる。
 愛撫するように手を滑らせ、栓をさらにきつくする。
 サムライと目が合う。
 サムライの目に映り込んだ僕は、一切の感情を排した無表情を晒していた。
 自暴自棄でも諦念でもない。
 冷ややかに醒め切った目と白けた表情の取り合わせは、初歩的な質問に退屈する傲慢な天才のそれ。

 「僕の名前は、すぐるだ」

 視界の端を影が過ぎる。
 シーツに投げ出されたサムライの腕が視界を過ぎり、唐突に僕の顔の横へ翳される。
 何をする気かと訝しみ動きを追う。
 僕に組み敷かれたサムライは脂汗に塗れた苦悶の形相で、苦痛の光が瞬く双眸を眇め、息も絶え絶えに僕の顔の横に手を翳す。 

 ぶつのか?
 突き飛ばすのか?
 シャワー室でしたように、むりやり力づくで引き剥がすのか?
 
 サムライがじっとこちらを見る。
 相変わらず首を絞められながら、しかし目は閉じず一心に僕を見つめ、苦しげな息の狭間から掠れた声を絞り出す。

 「冷えて、ないか」

 「………………え?」
 無骨に節くれだった手がひたりと頬を包み込む。
 一瞬、思考が停止する。
 サムライの行動に目を疑う。
 自分が今まさに死に瀕してる時に、サムライは無理をして手を伸ばし、僕の頬を包み込んだ。
 片手で僕の頬を包み込み、苦痛の光が瞬く双眸に真摯な気遣いを映じ、冷え切った頬を暖めようと余力を尽くし指を動かす。

 腕から力が抜ける。
 気道が解放されると同時になめらかに瞼がおち、頬に触れた手もまた力なく垂れる。
 
 頬から指も離れてもなお、僕は動けなかった。
 サムライにのしかかった体勢のまま鬱血のあとも生々しい首を見下ろし、放心する。

 その一言で
 たった一言で、

 僕は、君の直にもどってしまった。

 おそらく意識は覚醒してなかったはずだ。
 首の違和感に薄っすらと目を開け、たまたま捉えたのが僕で、頭で考えるより先に手が動いたのだろう。
 サムライはずっと後悔していた。
 シャワー室で僕を突き飛ばしたことを、冷水を浴びせ掛けたことを、そのまま立ち去った事を、夢の中でまで悔やみ続けていた。
 目が覚めて真っ先に、僕の心配をした。
 理屈も利害も抜きで氷点下の外気に晒され冷え切った僕の頬に手を添え、苦しげな息の隙間から、命乞いでも謝罪でもない一言を搾り出した。  
 
 「卑怯だ」
 卑怯だぞ、サムライ。
 もう少しで君を殺せたのに。
 君ともどもに破滅できたのに。

 体が砂になるような虚脱感に襲われ、惰性的な動作でサムライの上から下りる。
 再びの眠りを妨げぬよう細心の注意を払い、衣擦れの音ひとつたてぬ慎重さで床を踏みしめる。 

 首の痣を晒し仰臥するサムライと向き合い、荒れ狂う激情をなけなしの理性の力で抑制し、虚勢の笑みを浮かべる。
 闇に包まれた房の隅、時が経つのも忘れて立ち尽くし、どこまでも思い通りにならない男に精一杯の皮肉をぶつける。
 
 「あくまで僕ひとりを破滅させる気か。
 まったく、友人甲斐のない男だ」

 この時僕は、彼と心中しようとしたのかもしれない。
 彼を殺して道連れにしようとしたのかもしれない。

 その事に気付くのは、ずっと後だ。
 本当に取り返しがつかなくなってからだ。

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少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050218195604 | 編集
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