ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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二十二話

 「上の人間どもに忘れ去られて久しき東京地下都市、またの名を九龍租界のばばがお相手いたそう」
 顔中皺くちゃにして歯抜けの笑顔を浮かべるお婆ちゃん。
 不浄な闇が支配する下水道のど真ん中、ちょろちょろと水が流れ一面をぬらす水路にて謎の人物と対峙。

 突如現れた得体の知れぬ老婆。
 漆黒の雨合羽をすっぽり被さった格好は絵本に出てくる邪悪な魔女みたい。
 大釜でぐつぐつ毒液煮込むのが似合いそう。
 暖炉にくべた大釜に蟇蛙やトカゲの目玉やネズミのしっぽ、ついで人骨をぽいぽい放り込むところが容易に目に浮かぶ。

 雨合羽に膝まで覆う長靴を一分の隙なく完全装備した老婆は、皺に埋もれ落ち窪んだ目に気安げな光を宿し、物珍しげに僕らを見つめる。
 しげしげと見詰められ居心地悪さを味わう。居丈高に顎を引き僕らをためつすがめつする目に悪戯っぽい稚気が閃く。
 底知れぬ目に射竦められ警戒心が頂点に達する。
 見た目はどこにでもいるおばあちゃんだけどこやつ侮れぬ。
 漠たる不安が胸に渦巻く。
 そもそも現状を顧みて異常さに戸惑う。
 ホセの依頼を受けビバリーにも内緒でこっそり下水道におりた僕は、ネズミに追い掛け回されスキンヘッドの人魚に誘惑される苦難の旅路の末に、謎の老婆と対面した。
 未知との遭遇。
 疲労困憊の体で下水道の奥に迷い込んだ僕を待ち受けていた出会いが吉と出るか凶とでるかわからない、けれども今それどころじゃない、冷静な思考力と公正な判断力を欠いた今の僕が考えることといったら一点に尽きる。
 「女の人に会うの何年ぶりだろ」
 事実驚愕を通り越し感動に近い心境だった。
 あんぐり口を開け目をまん丸くし立ち尽くす。
 今の僕はさぞかし間抜けヅラをしてることだろう。
 けど仕方ない、状況が状況だ。

 目の前に女がいる。
 賞味期限ぎりぎりだけど女に分類していいよね?
 生きて動いて喋る本物の女の人に会うのなんて何年ぶりだろう、わあすごい。

 現実感の希薄さが状況の滑稽さに拍車をかける。
 最初の驚きが去ってみると後に残るは無邪気な賛嘆、僕はただただ感心しじっくりと老婆を見返す。
 ぶっちゃけ房にダッチワイフを持ち込む囚人は少なくない。
 ひとり寝を嫌う連中は女の柔肌には遠く及ばぬ代用品としてビニールの人形を求める。
 この人形はすごく便利で看守の靴音が聞こえたら栓から空気を抜いて潰して隠してしまえばいい、一部の囚人はそうやって長い夜に慰めを見出す。
 目の前に女がいる。
 ためしに頬をつねってみればちゃんと痛い、てことはこれは現実だ。
 どんなに現実感が薄く虚構めいていても現実だ。
 現実を見ろ、僕。
 うん見てる、見てるって。
 混乱してるのかな、僕?
 そうかもしれない。
 自覚はないけどちょっとショックを受けて思考が混線してるのかも。
 大体なんでこんな所におばあちゃんがいるわけさ?
 老体に寒さは厳しいっしょ?
 しかもその格好は?
 疑問の洪水が殺到、濁流の如く理性を押し流す。

 えーと、とりあえず事実確認。
 ここは東京プリズン、砂漠のど真ん中にあるはずの刑務所。
 僕がネットサーフィンを介し仕入れた知識が正しければ東京アンダーグラウンド計画発端の地。でもそれは半世紀も前の話、地下に移民用の都市を造ろうって壮大な計画は突然の地震で潰え時の経過に従い忘れ去られた。
 東京プリズンの地下に人なんているわけないのだ、地下都市の名残りの通路は落盤で塞がれたんだから。
 当時工事中だった人間はすべて生き埋めにされたんだから地縛霊ならともかく生身の人間なんているわけ……

 地縛霊?
 不吉な閃きに背筋が凍る。
 急速に汗が冷え、目に映る光景がおどろおどろしさを増す。

 「そんなまさか、ナンセンスだよ。お化けなんているわけないじゃんねえビバリー」
 微妙な半笑いで声をかけるも返答はない。
 そうだ忘れてたビバリーはいないんだ、今頃房でぐっすり眠り込んでるんだ懐にロザンナ抱いて、薄情者め。
 書置きひとつ残さず出てきた自分は棚に上げ役立たずのビバリーを罵る。
 肝心な時にいないんだから、もう。
 今この場にビバリーがいたらどんだけ救われただろう、「そっすよリョウさん幽霊なんているわけないじゃねっスか、この科学万能の時代に!電脳の申し子ビバリー・ヒルズがお約束しまス!」って能天気に笑い飛ばしてくれてそれだけで気分が軽くなる。
 ところがどっこいビバリーはいない。
 オカマとババアに挟み撃ちされ進退窮まった僕が頼れる人はどこにもない。 
 幽霊だったらどうしよう。
 いやそんなまさか幽霊なんているわけないじゃんと否定するも笑みが強張るのを隠し切れない。
 鳥肌立つのは肌寒いせいばかりじゃない。
 含みありげな笑みを浮かべる老婆に気圧され一歩二歩へっぴり腰で後退、暴走寸前の恐怖を必死に操縦。

 「まっさかあ、悪い冗談やめてよ。そりゃ生身の人間だって考えるより成仏できずにさまよってる地縛霊だってほうがよっぽどしっくりけどさ、この状況じゃ。明かりもろくに点いてない下水道の暗がり、ぴちゃんぴちゃんて水が滴る音が不気味に反響して、目の前には怪しさ大爆発の黒ずくめのおばあちゃんがいて……いくらなんでもさーお約束的なアイテム揃い過ぎて逆に胡散臭いよね、舞台装置整い過ぎてるのが作意を感じさせるってゆーか……それにそうだほら、幽霊って足がないよね?足がないのに足音するわけないよね?おばあちゃん出てきたときたしかに足音したもん聞いたもんこの耳で、ぴちゃんぴちゃんて水溜り弾く足音が!ほらやっぱ僕の勘違いだ怖がって損した、幽霊なんているわけないもんねいまどき、ビバリーの言ってたとおり!」

 じわじわ忍び寄り触手を伸ばし僕を絡めとろうとする恐怖と不安を吹っ飛ばすように声を張る。
 せいぜい虚勢を張って踏ん張ってみるけど足が震えてかっこ悪い。
 ああ、バレませんように。
 下水道のど真ん中に踏ん張りおばあちゃんに人さし指をつきつけ、「お化けなんてないさ」と宣言。哀しいかなこの状況じゃ説得力不足。
 下水道の奥の奥、袋小路に迷い込みすぎて現在地がさっぱり判らない。
 本道に設置されていた照明もここには一切見当たらず不気味な闇に包まれている。
 あたりに漂う黴臭い匂いに心細さが募る。
 行きはよいよい帰りは怖いって言うけどそれは違う、行きが怖けりゃ帰りは倍怖い。
 僕はすっかりパニックに陥っていた。
 正確には陥る寸前ってところ。
 自分を冷静に分析する余裕があるだけマシだが、だからって大丈夫ってわけじゃない。
 マジな話もうちょっとでちびっちゃいそうなのだ。
 膀胱が尿意でぱんぱんに張り詰める。
 くそ、タマが重い。
 周囲の壁に殷々と反響しむなしく吸い込まれる声が静寂を際立たせる。 
 漆黒の衣装をまとい闇に溶け込んだ老婆は、相変わらず沈黙を守り、瞳だけを炯炯と輝かせている。

 僅かに赤いぬめりを帯びた、目。
 僕を襲ったネズミの大群、血が結晶したような真紅の目が闇の中煌々と輝く。
 漸く気付いた、このおばあちゃんネズミと同じ目をしてる。
 僕を骨まで齧ろうとしたネズミさんたちとおんなじ目をしてる。
 ネズミの総大将?人の皮を被ったネズミ?
 まさか、お化けよりもっとナンセンスだって。
 でもそのありえない発想を否定できない自分に愕然とする、下水道の異様な雰囲気に毒され僕もおかしくなりかけてる、恐怖の水位がじわじわ上がって発狂寸前まで追い込まれる。

 とって食われる。

 「………ひっ………」
 喉の奥で悲鳴が泡立つ。
 神経が痺れ、棒のように手足が突っ張っる。
 スニーカーの踵が水溜りに突っ込み盛大に飛沫がはぜる。
 足元に触手を伸ばす水すら恐怖の対象になる。
 漸くわかった、老婆の正体が。
 ネズミ人間だ。
 そういえばどことなくネズミに似ている、目の前のおばあちゃんはネズミが人間に化けた仮の姿なんだ。ビバリーがネットで視聴してた映画にそんなのあったもん。
 人間の姿でえものに近付き油断させ食べちゃうつもりなんだ。
 くそっ、むざむざ食べられてたまるかっての!
 ネズミの餌食になるなんて冗談じゃない、生きて地上に帰るってママに誓ったんだ、もう一度ママに会うまで諦めてたまるもんか!
 ああでも足が動かないよ、絶体絶命万事休すだよ。
 大ピンチ。
 足の震えが全身に広がる。
 呼吸がぜいぜいと荒くなる。
 喘息の発作でもおこしかけたように不規則に間延びした息をし、どうにか老婆から距離をおこうとあとじさるも、水溜りにスニーカーが突っ込む音さえ恐怖を高める効果音となる現状じゃままならない。

 どうする、僕。
 水路は狭くて逃げ場がない。
 なお悪いことに帰り道がわからない。

 身を翻したとたん老婆の手が伸びてとっ掴まえられそうで踵を返す踏ん切りがつかない。
 全身の毛穴から噴き出す冷や汗にまみれ慄然と立ち竦む僕の隣、さっきから沈黙を守っていた貞子が、顔に手をあてる。
 スキンヘッドが似合ういかつい顔が歪み、ムンクの如き楕円に口が開き、戦慄き、そしてー……… 
 極限まで目をひん剥く。

 「きゃあーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ、女!!!!」

 見た目を裏切る超高音域、殺人的超音波がその口から迸る。
 恐怖の絶頂で貞子は絶叫した。
 恥らう乙女のごとく頬に手をあて、ミロのヴィーナスの姿態で腰をくねらせ、楕円の口から凄まじい絶叫を放った。
 悲鳴を上げる時も裏声を作るのを忘れないのはさすが、ニューハーフの面目躍如といったところ。
 なんて呑気に考えられるまでに思考力が回復したのは、至近距離で超音波に貫かれひりひり麻痺した鼓膜が、正常な機能を取り戻す頃。
 貞子の絶叫には度肝を抜かれた。
 ちびりかけたおしっこも思わず引っ込むというものだ。
 貞子の絶叫があんまりにもアレで恐怖も吹っ飛んだか、なんだか毒気をぬかれた僕は、一応突っ込んどく。
 「………ねえ、本人目の前にして失礼だよ」
 「あ、あら私としたがそうね、失念してたわ。どんな状況と場合でも相手に対する礼儀は大切よね。じゃ改めて」
 貞子が深呼吸する。
 鉄板を仕込んだように鍛え抜かれた胸板が上下し、喉仏が隆起。
 バキュームの吸引力であたりの空気すべてを吸い込んだせいで真空状態が出現、酸欠に喘ぐ僕をよそに絶叫し直す。

 「きゃあーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ、化け物!!!」
 「もっと失礼だよ!?」

 突っ込み疲れしそう。
 生物学上は一応ぎりぎり女性に向かって失礼な言動連発の貞子を諌めれば、背後で飄げた笑いが弾ける。 
 殷々と壁に反響し、闊達な余韻を帯びる笑い声につられ振り向く。
 おばあちゃんがそっくり返って笑っていた。
 それ以上反り返ると腰を痛めるか入れ歯が飛び出すよとこっちが心配になるくらい大げさな笑い方。
 面食らう僕と頬に手をあてぶりっこする隣の貞子をよそに、おばあちゃんはひとしきり笑い転げる。
 「ひゃっひゃっひゃっ、化け物とは言ってくれるわい口の利き方を知らぬガキどもが!まあ化け物でも違いはないわの、長年闇に紛れ地下で暮らしておれば人よりも化け物に近付くが道理よ。なかなか見る目があるガキじゃて」
 「ちょっとおばあさんガキガキって失礼よ、麗しの乙女にむかって。私はね、貞子っていうの。貞淑な子と書いて貞子」
 「そっちのガキは?」
 貞子は無視ですか。
 突然水を向けられ戸惑う僕を愉快げに眺めやり、じれずに答えを待つ。
 「………リョウ」
 「日本人の名前じゃの」
 「パパが日本人だからね。よく知らないけど」
 あっさり開き直る。
 なんだか急にばかばかしくなった。
 貞子に会ってから調子狂わされてばっかでいい加減疲れていたしヤケになってもいた。
 もうどにでもなれ。
 とりあえずネズミ人間じゃないみたいだし。
 得体は知れないけど、足が生えてるなら人間と断じていい。
 貞子の悲鳴で図らずもいつものペースを取り戻し、腰に手をあて前傾。
 かわいこぶりっこ詰問のポーズ。
 「で、おばあちゃんは何者?なんでこんなところにいるの?一応ここ刑務所の下なんだけど」
 僕と貞子をたっぷり見比べ束の間思案に沈む。
 やがて口を開く。
 「ワシの台詞じゃよ。おぬしらこそなんでこんなところにおる」
 ぎくり。痛い所つかれた。 
 動揺もあらわに押し黙る僕をよそに、貞子が胸の前でひしと指を組む。
 「おお、神よ!救い主を遣わし給うたことを感謝します!」
 何?
 目配せで口裏を合わせるよう合図、感激に目を潤ませ口からでまかせを並べ立てる。
 「私とリョウちゃんはね、ブルーワークの囚人なの。あ、ブルーワークってのは下水道で色々お仕事する係の囚人の総称。配管の水漏れを修理したり網にかかったゴミをすくったりするのが主な仕事ね。私たちもごたぶんにもれずいつものように下水道で働いてたんだけど、哀しいことに私の美貌を妬む囚人たちの罠にかかって地上に帰還する前にマンホール閉じられちゃってね。しかたないからこうして出口をもとめ彷徨い歩いてるわけ」
 「美貌を妬まれのあたり苦しくない?」
 「美はいつだって罪作りよ」
 完璧演技に酔った貞子が哀しげに目を伏せる。手ごわいオカマだ。 
 貞子迫真の演技による苦しい言い訳をどうとったか、老婆はふやけた口をなむなむと動かし何かを咀嚼していたが、ふいに顔を上げる。
 「そりゃあ災難じゃったの」
 「え、信じちゃうの?」
 「私も若い頃は周囲のおなごに美貌を妬まれたものよ。気持ちはわかるぞい、辛かったの」
 痴呆が始まってるんですかおばあちゃん。認知障害ですか。
 親身な同情をこめた口ぶりで慰められ、偽の涙を湛えていた貞子がわっと泣き崩れる。
 正確には上体を前に倒し泣き崩れるふりをしながら、こっそり耳打ち。
 『案外いいひとね、このおばあちゃん』
 『あー………もうそれでいいよ』
 疲れた。
 なんかすごい疲れた。
 うんざりと相槌打つ僕の耳に、颯爽たる衣擦れの音が届く。
 音に反応し向き直れば、雨合羽の裾を翻し老婆が歩き出したところだ。
 「ついてこい。いつまでもこんな所におっては風邪をひく」
 有無を言わさぬ口調で厳命され、貞子と顔を見合す。
 『どうする?』
 『いきましょ。下水道で消えた駒の手がかりが掴めるかも』
 貞子の顔が引き締まる。
 不承不承僕も頷く。
 あんま気乗りしないけどしかたない、ひとりで帰れる自信もないし。
 真っ暗な下水道にひとりぼっちにされるより得体の知れぬオカマとおばあちゃんについてったほうがまだマシだ。
 保身を最優先に判断、貞子を伴い歩き出す。
 明かりがないにもかかわらず老婆の足取りには一切の迷いがない、複雑に入り組んだ道順もすべて頭に入ってるらしい。
 軽快に先行く老婆の背中を追いながら、固唾を呑んで尋ねる。
 「どこ行くの?」
 「ワシの家じゃよ」
 「どこにあんの」
 「この奥じゃ」

 老婆が顎をしゃくった水路の奥には黒暗暗たる闇が立ち込めている。
 だけ。
 猛烈な不安に苛まれ、さらに疑問点を追及する。

 「あのさ、さっきも聞いたけどおばあちゃん何でここにいたの?この上に刑務所があるの知ってるよね。東京プリズンて言うの。日本で悪いことしたやつの殆どが入れられる場所、ただし二十歳以下に限るけどね。怖いよ?物騒だよ?危険だよ?頭の上に不発弾のっけてるようなもんだよ?いつ爆発するかわかんなくてひやひやもんだよ?刑務所のまわりはぺんぺん草もはえない砂漠がずうっと広がってて、一番近い新宿スラムまでだってジープで半日かかる距離。天然の密室、陸の孤島。推理小説でよくあるっしょ?殺人事件の舞台にぴったりなアレ。おばあちゃんみたいな一般人が来れるような場所じゃないんだけど……」
 一般人かどうかはとりあえず留保。
 それを差し引いても、よぼよぼのおばあちゃんが散歩がてらの気軽さでぶらりと現れるにはそぐわない環境だ。
 僕の問いかけに老婆はひょっひょっと肩を揺らし答える。
 「ワシはの、ここに住んどるんじゃよ」
 住んでる?
 意外すぎる答えに絶句、愕然。
 改めてあたりを見回す。

 明かりひとつない闇、黴と苔に覆われた壁、水浸しの床。
 東京プリズン地下に広がる下水道の奥の奥、囚人はおろか看守さえ存在を知らないような旧来の通路。
 湿気でむしむしした隋道の息苦しさとうっかり頭をぶつけそうな天井の圧迫感は、房をも軽く上回る。

 「こんな所に住んでるだって?まっさかあ、姥捨てプールじゃあるまいし」
 信じられず笑う僕の視線の先、老婆がぴたりと止まる。
 後続の僕らも自然と停止。
 闇にも増して重苦しい沈黙が押し被さり、ひしひしと僕の失言を責める。  
 「あ、えと………ご、ごめんね?悪気はなかったんだよ?僕の笑顔に免じて許しておねがい」
 えくぼも可愛らしい母性本能直撃の笑みを湛えてみせるも、母性本能が枯渇したらしい老婆にはまったく効かない。
 必殺のお願いが通じず困りきった僕の肩にぽんと手が置かれる。
 見上げれば貞子がいた。
 僕と目を合わせるなり小さく首を振り、任せておけと首肯する。
 「おばあさん」
 猫なで声で呼びかける。
 老婆がどんよりと振り向く。
 ヘドロのように淀んだ目の不気味さに引く僕の隣、貞子は物分りいい笑みを浮かべる。  
 「わかるわよ、その気持ち。私も社会からサベツされ不遇をかこつ身ですもの。すべて生まれ持った美しさが原因とはいえ、周囲に妬まれ陥れられ気付けばこんな所に流れ着いてしまったわ。だからって誰も恨んだりしない、そんな事をしたら心が汚れてしまうもの。私は私の美を常に完璧にしておくために心をぴかぴかに磨きぬくの。今はもうほかの女に走った彼も憎くない。彼が恐れるのも当然、だってこんなにも美しすぎるんですもの」
 水溜りに映りこんだ自分を見下ろし、悩ましげに吐息をつく。
 「美しさは罪。私の美貌に引け目を感じてどこにでもいるつまらない女に走るのも当然よね、きっとプレッシャーに負けたのよ、私に釣り合う男でい続けるプレッシャーに。匕首を向けたとき、彼は言ったわ。私の愛は重荷だって、私に抱きしめられるたび寿命が縮んだって」
 「縮むだろうね。本気で抱きしめたら肋骨折れるっしょ、軽く二・三本」
 「結局彼は自分可愛さに私を捨てたの。長年尽くし続けたこの私を、ニューハーフクラブで働きながら貢ぎ続けたこの私を、壊れたお釜でも捨てに行くような気軽さでもってぽいって、ぽいって………!」
 「そりゃオカマだしね」
 貞子の顔が屈辱と怒りに歪む。
 蘇る憤怒に顔を紅潮させ、どこからか取り出したハンカチをぎりぎり噛み締める。
 「物にだって百年たったら魂がやどって付喪神になる、いわんやお釜は、よ!あンのたまなし野郎さんざん人を弄んで捨てやがって許さねえ、今度会ったらケツに拳突っ込んでじゃんけんポンて野球拳してやらあ」
 途中から地声ですよ貞子さん。
 ハンカチをぎりぎり噛みながら自分を振った男への恨みつらみをぶちまける貞子を老婆はじっと見詰めていたが、やがてその顔に変化がおきる。
 すなわち満面の笑み。
 「おぬしも辛酸を舐めたんじゃの」
 わかるぞいその気持ちといわんばかりに感慨深く頷く。
 目がちょっと潤んでるのは気のせい?……だと思いたい。
 貞子と老婆が真摯に見つめあう。
 坊主対老婆の図。
 傍から見ればこれほど奇妙な光景もない、というか蚊帳の外だね僕。
 足元をちょろちょろ水が流れる下水道にて、僕を挟んで向き合い、ふてぶてしくも清清しい同志の笑みを交わす。
 戦友と書いてともと呼ぶ、そんな感じのなまぬるーい空気がただよう。
 感傷にぬれ光る目で微笑ましく貞子を見守りながら、老婆がおもむろに口を開く。
 「ワシはまだまだ現役じゃ。壊れた釜と一緒くたにしないでほしいの」
 決裂。
 ぴしりと空気にひびが入る音が聞こえた。
 いや、冗談じゃなく。
 凍りつく貞子をその場に残し歩みを再開、老齢らしからぬ健脚ですたすた去っていく老婆を慌てて追う。  
 「上げておとすなんて高度なテクだねおばあちゃん、見直したよ」
 「だてに租界の長老を名乗ってないわ」
 小走りに駆けつつ心からの称賛を送れば、ひょっひょっひょっと老婆が笑う。
 その言葉で冒頭に立ち返り、まず真っ先に聞くべきだったことを思い出す。
 「ずっと気になってたんだけどその租界って何なの?九龍租界とか東京地下都市とか意味わかんないんだけど……」
 「じきにわかる」
 ためらいがちに切り出すもあっさり一蹴、しかたなく後についていく。
 「ひどいわひどいわ乙女の純情踏み躙って馬鹿にして、こんな因業ババアねずみに骨まで齧られちゃえばいいのよすかすかで美味しくないだろうけど!オカマオカマって馬鹿にして、私はれっきとしたニューハーフよ!?そりゃあまだとってないけど心は完全に女、ホセ様に忠誠と操を捧げる南のスパイ貞子とは何を隠そうこの私、去勢ライセンスをもつ隠者公認の女スパイとはこの……」
 貞子の滔々たる独り語りを聞き流しながらおばあちゃんについていくうち、漠然たる違和感を感じ取る。
 ぴすぴす小鼻を蠢かし匂いを嗅ぐ。
 そして気付く。
 黴と苔の異臭が立ち込めていた空気に、違う匂いが混じり始める。  
 煮炊きをする匂い。
 「ごはん?」
 ご飯の匂いに空腹を意識する。
 老婆が意味深にほくそえむ。
 次第に周囲の景色が変わり始める。
 黴と苔に覆われ朽ちた壁に人の手が加えられ、足元を這う水流は格段に少なくなり、殆ど歩行の妨げにならない程度に改善される。
 複雑怪奇に入り組んだ暗渠を長い長い時間をかけ歩き通し、ようやく老婆が立ち止まる。
 途中道が傾斜していたのに気付いた。
 注意しなければ気付かないほどゆるやかに、だが確実に、道は下へ下へと傾いでいた。
 今僕がいるあたりはきっと下水道の最深部、地上から何十メートル、ことによると何百、いや何キロ離れてるか想像できない。
 おもむろに停止した老婆の肩越しに正面を見やり、貞子ともども驚きに見張る。
 でんと壁が立ち塞がっていた。
 「ここまできて行き止まり!?無駄骨じゃん、ばっかみたい!」
 非難の声を発する僕を一顧だにせず、中腰に屈んだ老婆が作業を開始する。
 「疲れたーもう歩けないーもう貞子でいいからおんぶー」 
 「リョウちゃんてば甘えん坊さんね。私におぶわれたら最後巴投げでポジション変更レッツゴーよ?」
 挑発的に上唇を舐める貞子にびびる僕のやりとりを背中で聞き流し、雨合羽のポケットから何かを取り出す。
 興味を引かれしわしわの手元に注目。
 片膝付いた老婆の手中にあるものを見て「あっ」と声をあげかける。

 老婆の手に翳されたのは四角いカード。
 おそらくマイクロチップの類。

 剃刀の如くカードを一閃、スリットにさしこむ。
 よくよく注意しなければ気付かない位置に在ったスリットにカードを通すや否や壁が振動、真ん中に切れ目が走る。
 空気を攪拌する無機質な音に合わせ扉がふたつに割れていく。
 「ローターみたい。極力音が小さくできる最新型で最大3キロまで遠隔操作可能」 
 「リョウちゃんてば見かけによらず過激なこと言うのね」
 貞子がぎょっとする。
 「いちばん身近なたとえをあげたまでさ」
 初めて一本とった爽快感に溜飲を下げる僕の目の前で完全に扉が開ききり、カードを懐にしまった老婆が慣れた足取りで先に進む。
 先頭に立つ老婆を慌てて追いかける。
 「すごーい、アリババみたい!この先に油で煮殺された盗賊の死体があったりしないかな?」
 無邪気な歓声を上げる僕をよそに壁を仰ぎ見た貞子が唸る。
 「表面はコンクリートで偽装してたけど断面は機械。老朽化の具合から察するに五十年近く前のもの、角膜照合が浸透した今でも磁気カードが使われてるってことは………」
 興奮に喉が渇く。
 沸騰せんばかりに心臓が高鳴る。 
 すごいすごいすごい、東京プリズンの地下にこんな仕掛けがあったなんて全然知らなかった!ビバリーに教えてあげたら喜ぶだろうな。 
 ビバリーの驚く顔を思い描き笑みを零すも、ふいに不安がきざす。

 東京プリズン地下に人知れず存在する秘密の扉、
 その鍵を握る老婆。
 貞子は少なくとも半世紀は前のものだと扉を判断した。半世紀前といえば東京アンダーグラウンド計画始動の時期とちょうど一致する。

 まさかこのおばあちゃんが、東京アンダーグラウンド計画に関わってたりして?
 ホセはそれを見越して僕と貞子をさしむけた?
 隠者の手の内で踊らされる居心地の悪さに辟易する僕を、玲瓏たる声が現実に引き戻す。

 「光あれ」
 闇に光が射す。
 視界が急に明るくなる。

 「!っ」
 「きゃっ!?」
 暗闇に慣れた目には強すぎる刺激に腕を翳し顔を庇う。
 目が慣れるのを待ち腕を下げ、眼前に広がる光景に愕然。

 「歓迎光臨。九龍租界にようこそ」
 老いてなおおかしがたい威厳を帯びた声が朗々と響き渡る。 

 目の前にだだっ広い空間があった。
 ただ広いだけじゃなく人が住んでいた。それも多くの人が。
 竪穴式住居とでも言うのか、僕達が放り出されたそこは上から見下ろすと円筒形の空間だ。
 ぐるりの壁にはベランダが張り巡らされベランダからは縦横無尽にロープが張られおびただしい洗濯物が干されている。
 何階層に及ぶのか、何世帯が住んでるのか正確には把握できない。
 周囲の壁には継ぎ足しに継ぎ足しを重ね増殖した家屋が犇めき合い上下の階を梯子が繋いでいる。
 蜂の巣の断面のような構造のアパートにはひとつひとつ軒先が設けられ上階から降り注ぐゴミや配管の水漏れを防ぐ。
 カクカクと折れ曲がる梯子をよじのぼりそれぞれの家を行き来する住民たちの姿を捉える。
 なお驚くべきことに、頭上には回廊があった。
 「租界名物空中楼閣じゃよ」
 僕の視線を追って頭上を仰いだ老婆が得意げに言う。
 頭上で立体的に交差する大小の橋。
 何十本何百本という数の橋が幾何学的に交差し接続し、住民の行き来を助ける「道」の役割を担っている。
 五本の橋が接続する要衝にはちょっとした市が立ち沢山の人で賑わってる。
 屋台の軒に逆さ吊りにされた鶏と豚の燻製、蒸篭に特盛り湯気だつ饅頭、ハサミで掴み取りの惣菜。
 飴屋には子供が群がり大盛況、甲高く上がり調子の中国語が飛び交い英語がまじりマレーシアあたりの言葉にロシア語がごちゃまぜでああもうなにがなんだかわからない!

 「九龍租界とはよく言ったものね。なき九龍城の光景にそっくり」
 感嘆の吐息をつく貞子に老婆が何か言いかけたその時、

 『東太后!』

 高層アパートの出口からひとりの女の子が姿を現す。
 まだ若い。せいぜい17か8ってところ。
 これといって特徴のない目鼻立ち、ブスでも美人でもない十人並みの顔だち。
 地味に尽きる第一印象に何故かママの面影が重なる。

 僕を抱っこしていい子いい子してくれたママ
 殴られ騙されても決して男を恨まず、顔の怪我を心配する僕を「リョウちゃんはいい子ね」と抱きしめてくれた。
 
 顔は全然似てないけど雰囲気が似てる。
 女の子は間違っても転ばぬよう一歩一歩慎重な足取りでこっちにやってくる。
 ゆったりしたワンピースに包んだおなかを抱え、大儀そうに歩いてくる様子で察する。
 妊婦さん。
 「これ、無理をするんじゃないよ。出迎えはいいから横になっとれ」
 「まだ一週間も先です。どこも悪くないのに寝てばかりいちゃ悪いわ、ただでさえお世話になってるのに……」 
 「火傷が治ったばかりなのに何を言うかね。あかんぼってのはいつすぽんと股からでてくるかわかんないんだよ、経験者が言うんだから間違いないさね」
 女の子の背を押し追い返そうとする老婆、けれども女の子は僕と貞子に興味を示し遠慮がちに尋ねる。
 「この人たちは?」
 「上の刑務所の連中。迷子になってたから仕方なく連れて来てやったのさ、放っとけばワニの餌食か遭難の二択だからね」
 刹那、女の子の顔色が劇的に変わる。
 避ける暇もない早業だった。
 「上の、刑務所の人?あなたたち、東京プリズンにいるの?」
 女の子が僕の肩を掴む。
 華奢な手に力を込め縋りつき、思い詰めた眼差しを向ける。
 先刻までの気丈な笑みは拭い去られたように消え、力任せに僕を揺さぶり始める。
 「あの人の事教えて、あの子がどうしてるか教えて。あの人が元気でやってるかあの子が今どうしてるか教えてちょうだい、お願いだから……っ」
 「ちょ、まっ、揺さぶんないで酔うよ酔う、てかあんま刺激すると膀胱が…」
 視界が上下に揺れる。
 女の子の顔が至近距離に迫る。
 真っ赤に泣きぬれた目が視界一杯を占めた次の瞬間、ふわりといい匂いが鼻腔を包み、柔らかな腕が背中に回される。
 豊満な胸におもいっきり顔を押し付けられあわや窒息しかける。
 突然の抱擁に面食らうも、数ヶ月ぶりに接触した女の子の体の柔らかさに不覚にも勃起しかけ、やべ、妊婦相手に勃つなんて変態じゃん必死に身をよじり抜け出そうとするも無理、女の子はぎゅうぎゅうと僕を抱きしめ放そうとしない。
 あ、今蹴った!
 ママを守ろうとする赤ん坊に感心、じたばたもがいて3センチ距離をとる。
 大きく膨らんだおなかからできるだけ身を放し、別の意味で膨らんだ股間を庇うようにしてじたばたする僕の耳に、予想外の名前が飛びこむ。
 「道了の事、おしえて」 
 え?
 ここで聞くと思ってなかった名前に抵抗をやめる。
 抵抗が緩んだ僕をおもいっきり抱きしめ、昔ママがそうしたみたいにくしゃくしゃの赤毛に顔を埋め、女の子が言う。
 「ロンの事、教えて」
 今度こそ、本当に驚く。
 寂しげな顔に透徹した決意を映し、縋るように一途な眼差しで凝視を注ぐ女の子に向かい、やっとのことで返す。
 「道了とロンを知ってるの?!」
 愛しげにおなかに手を添え、まだ見ぬ子に捧げる子守唄のように優しく告げる。
 「道了はこの子のー………」

 深呼吸で目を閉じる。 
 その言葉を口にするのに怯えに似たためらいを覚え
 瞼を上げた双眸に冴えた意志をやどし
 現実に立ち向かうしなやかな物腰で
 誇りをもって宣言する。

 「父親よ」

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少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050220052122 | 編集
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