ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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十九話

 夕食の席はバラバラ殺人の話題で持ちきりだった。
 「ほられてたのか?」
 「調べようにも肝心の死体があれじゃな」
 「下半身も見つかんねーのか」
 「両足は見つかったぜ。一晩下水に漬かってぷかぷか浮いてたのを発見したんだ、何を隠そうこの俺様が。下水管の破れ目を直そうって工具箱もって梯子下りる時によ、下水をぷかぷか流れてく棒っきれを発見したんだ。なんだありゃって目を凝らして梯子おっこちるほどおったまげたぜ、人間の足じゃねーか!」
 「犬神家だなまさに。スケキヨだ」
 「だれだよスケキヨって」
 「けどよ、いくらなんでもバラバラはやりすぎじゃねーか。勢い余って殺しちまったのはわかるけどわざわざばらすなんざとても正気の沙汰とは思えねーよ、手間がかかるし面倒くせー。大体何の道具使ったんだよ。肉屋でもなし骨と肉断ち切る重労働がナイフであっさりできるわきゃねーだろが、チェーンソーか鋸が必須だぜ」 
 「犯人はよっぽど慣れたやつだな」
 「慣れたってなんにだよ。解体にか?バラバラ殺人のプロか?おえ」
 「バラバラ殺人の前科もちがあやしいんじゃねーか」
 「看守どもが今調べてるってよ。調書あさってバラバラ殺人の前科もちをリストアップしてるんだそうだ。けっ、ご苦労なこったぜ。囚人虐待死の調査もそんくらい熱心にやれってんだ、自分に都合の悪い事は権力で握り潰す腐ったインペータイシツめ!殺されたのが看守や医者の時だけけはりきりやがって、胸糞わりぃぜ」
 「インペータイシツとインポテンツって似てるな」
 「プリズンの医者も災難続きだよな。前のジジィは囚人にぐさっで入院、新しく来た医者は一ヶ月もたたねえうちに下水道でバラバラ。医務室に呪いかかってんじゃねーか?風邪こじらせて肺炎併発して死んだ患者の呪いとかカマ掘られまくって痔になってのたうちまわった患者の祟りとか」
 「痔の祟りとバラバラと何の関係があんだよ?痔の祟りで痔になるならわかるけど痔の祟りで手足バラバラはナンセンスだ」
 「飯食ってるときにでけー声で痔の話すんじゃねーよ食欲うせんだろが馬鹿!!」
 「そもそもなんでバラバラなんだよ、わざわざバラバラにする理由わかんねーよ。あれか、食うのか。筋固そうだけど」
 「どっか別の場所で殺して持ち運ぶためじゃねーか。下水道なら人目につかねーし時間稼ぎになるって思ったんだよきっと、イカレポンチの浅知恵で」
 「単に死体切り刻むのが大好きな変態の仕業だろ。犯人は南棟のモンタナだな、ほら知ってんだろ、二年前に起きた東麻布の連続猟奇事件。あれの犯人だよ。スラムのガキがかっさらわれてバラバラにされた事件の犯人さ。モンタナは好きなバンドの影響で黒魔術に傾倒してよ、悪魔礼賛の儀式だっつって攫ったガキをバラした血で魔法陣グルグル描いて、しかもバラしたガキの手でマスかいてるとこを警察に踏み込まれたってんだから正真正銘の異常者だよ。病気が再発したんだよ、バラバラバラモン屍好症。ムショにぶち込まれてからも誰かをバラしたくて辛抱たまんなかった、そんな所にひ弱な医者がやってきたもんだからこりゃあいいカモだって病気が疼いちまった」
 「屍姦されてたのか?」
 「わかんねーって言ってんだろ馬鹿」
 「だれが馬鹿だやんのか馬鹿」
 「てめぇもバラして煮込んでやろうか、脳から味噌搾ってやる」 
 無責任な憶測と詮索が乱れ飛ぶ。
 東京プリズンの囚人は刺激に飢えている。
 時間通りに起床し朝食を済ませ強制労働に向かい帰還し夕食を済ませ就寝、常に看守に監視され息苦しく抑圧された日々を過ごす彼らは憂さ晴らしを求めてやまない。
 斉藤殺害のニュースは日々の倦怠を払拭する衝撃的事件として関心を独占、食堂に会した囚人たちは競うようにして事件の真相を推理し、疑わしい根拠をあれやこれや虚実入り混じり列挙し犯人特定に熱を上げる。
 その顔はどれも興奮にぎらつき殺気だってさえいる。
 面識ある者もない者も関係なく斉藤の人となりを語り、死体回収作業に携わったブルーワークの囚人は死体発見現場の酸鼻な惨状を身振り手振りを用い鮮明に描き出し、犯人は北棟のだれそれだ否西棟のだれそれだと喧々囂々躍起になって持論を主張する。
 「よっしゃ、決めた!看守どもより先に肘から先を見付けてやる!」
 「面白そうだな、俺も行くぜ」
 「看守ども出し抜いて斉藤の膝から上見つけてやる!」
 向こうのテーブルで歓声が上がる。
 床を這い押し寄せるどよめき、快哉。
 机に足かけ拳を突き上げ息巻く囚人に仲間が追従、我も我もと参加を表明する。
 方々のテーブルで気勢を上げる囚人たちをよそに平静を装い箸を運ぶ。
 煮物を口に入れ機械的に顎を動かし咀嚼する。
 味がしない。
 わからない。
 苦労して飲み込む。
 何を食べても味がしない。
 美味い不味いの区別がつかない。
 焼き魚に箸を入れ切り開く。
 身をほぐして切り分け口に運ぶ。噛む。条件反射で唾液が分泌される。
 噛む、ひたすら噛む。
 一回、二回、三回。十回、十五回、二十回……三十回まで数えて嚥下。
 この行為には何の意味もない。
 五感から急速に現実感が褪せていく。
 食堂の喧騒がとるにたらない雑音として意識の外に追いやられる。
 ともすると自分の居る場所さえわからなくなる。
 体がここにないかのような奇妙な浮遊感と錯綜した現実感、意識が器を抜け出しはるかな高みから食堂全体を俯瞰しているような錯覚。
 手が、動いてる感じがしない。
 僕の意志を置き去りに勝手に手が動く。
 惰性的な動作でもって煮物を摘み口に運ぶ。
 周囲のテーブルでは囚人らが色めきだち事件の謎を声高に論議している。

 犯人は誰だ?
 どうして殺された?
 何故バラバラにされた?

 事件にまつわる数々の謎、様々な疑問が彼らを駆り立ててやまない。
 斉藤は一躍有名人となった。食堂に集った皆が皆今回の事件を噂している、共犯のように示し合わせ情報交換にいそしんでいる。
 何も東棟だけに限った事じゃない、今頃どこの棟の食堂も事件の噂で持ちきりだと容易に想像つく。
 東京プリズンで医者が死んだ。
 ただ死んだのではなく何者かによって殺された、四肢をばらばらにされるという極めて残虐な方法でもって。
 誰が殺した?
 誰が、誰が、誰が……混沌と渦巻く猜疑心、それを上回る露骨な好奇心。
 刑務所内で発生した前代未聞の殺人事件も囚人たちにとっては目新しい娯楽でしかなく、突如降って湧いた醜聞に群がるハイエナと化し、あらゆる手管を用いて興味本位の真相究明に乗り出す。
 斉藤の死をまるで楽しんでるかのような無邪気な無責任さでもって雑談のネタにする囚人たち、その顔はどれも後ろめたさと無縁に輝いている。
 斉藤の死を軽々しく扱う連中に吐き気を伴う嫌悪を覚える。
 箸が鈍り、止まる。
 「………もういい」
 辟易した表情で箸を置く。
 「もういいのか。酷い顔色だぞ」
 正面からの声に鈍重に顔を上げる。
 サムライが、いた。
 正面で箸を取り、いつも通りすっきり背筋を伸ばし食事をしている。
 食事を中断したサムライがわずかに気遣わしげな目を向けてくる。
 その顔に親身な労わりを見てとり急にやりきれなくなる。
 「食欲がない。房に帰る」
 そっけない返事を返しトレイを持ち席を立つ。
 ガタンと椅子が鳴る音さえ神経に障る。
 机と机の間、油でぎとつく通路を歩いて行列に並びカウンターにトレイを返却、踵を返す。
 視界の軸が歪む。
 軽い眩暈に襲われ体が傾ぐ。
 支えを欲して泳いだ手が机の端を掴む。
 机の端に縋って呼吸を整え何とか体勢を立て直す。
 食堂で倒れるわけにはいかない、こんな不衛生な床に倒れるなど冗談じゃない。
 よろめいた拍子にずれた眼鏡の位置を直し不安定な足取りで歩行を再開、雑踏に紛れて廊下に出る。
 振り返りはしなかった。
 サムライと目が合うことに漠然たる恐怖を感じた。
 否、サムライだけじゃない。食堂の誰と目が合うのも怖かった。
 皆が皆こちらを見ている、僕を監視している、一挙手一投足に粘着な凝視を注ぐ。

 本当は彼らもわかっているのだ。
 斉藤を殺した犯人が誰か、ばらばらにして遺棄した犯人が誰か。

 「犯人は、この僕だ」
 口に出して事実を確認、毒気の滲んだ自嘲の笑みが浮かぶ。
 僕と斉藤が一緒にいるところを多くの囚人が目撃してる。
 強制労働に向かう囚人でごった返す廊下のど真ん中、雑踏の流れに逆らい塞き止めるように立ち話をする僕と斉藤を多くの人間が目撃している。
 五体満足の斉藤と最後に接触したのはこの僕だ。
 怪しまれてしかるべしはこの僕、鍵屋崎直だ。
 なのに何故だれも名指ししない、犯人と糾弾しない?
 犯人は僕だ、僕が斉藤を殺したのに何故誰も面と向かってそれを言わない?
 気付いていながら泳がし反応を楽しんでいるのか、事件の真相がバレやしないかとびくびくする僕を影で笑っているのか?

 斉藤を殺したのは、僕だ。

 「………」
 無言でてのひらを見下ろす。
 椅子の脚が頭部に食い込むおぞましい感触を反芻、握り潰す。
 斉藤の頭部を椅子で殴打した時の衝撃と直後の映像がまざまざと蘇る。
 頭部から大量の血を流し倒れ臥す斉藤、血に染まる白衣、ぐったり弛緩した体、そして……
 『助けてやろうか?』
 だらけきった姿態で手すりに凭れる青年。
 手すりに肘をおいたその青年は細めた双眸に愉悦の光を宿し、薄っすらと笑みを刷いてこちらを眺めている。
 絶対的優位を誇示するように全身に余裕を匂わせ、干し藁の髪の隙間からすべてを見通す透徹した視線を放ち。

 斉藤を殺したのは、僕だ。
 ばらばらにして遺棄したのは、レイジだ。
 僕らは名実ともに共犯になったわけだ。
 もう引き返せない。
 墜ちるところまで墜ちるまでだ。

 心臓に負荷がかかり動悸が速鳴る。
 全身の血が逆流する戦慄。
 レイジは意気揚々と死体の始末を請け負った。
 自分に任せておけば何も心配はないと、自分はプロだから万事ソツなくやってのけると宣言した。
 僕は、レイジを頼った。
 天才のプライドも虚勢もすべて擲ち暴君に膝を屈した。
 事件を隠蔽するため、僕が斉藤を殺した事実を隠蔽するため、ひいては鍵屋崎夫妻殺害事件の真実を永久に葬り去るために暴君の奴隷に成り下がったのだ。
 『忘れるなよキーストア。俺もお前も人殺しだ』
 忘れるものか。忘れられるものか。
 あの時刻まれた烙印は皮膚にめり込み今や完全に僕と同化した。
 書架に寄りかかった僕の上着を乱暴に剥ぎ、大胆に晒した背中に血の十字架を施しレイジはそう言った。
 忘れるものか。
 僕はあの日を境に暴君に絶対服従を誓う奴隷となった、暴君を共犯に引き込んだ見返りになにもかもを提供すると約束した。
 暴君がこの体がほしいというならくれてやる、すでに汚れきった体と引き換えに恵の尊厳と名誉が守れるなら僕などどうなってもいい。
 斉藤をばらばらにして遺棄したのはレイジだ、レイジ以外にいない。
 しかしあくまでレイジの罪状は死体遺棄に尽きる、殺人を犯したのはこの僕だ。

 斉藤を殺したのは、僕だ。

 明確な殺意を抱き椅子を振り上げ頭部を強打したのはこの僕、斉藤が死ぬきっかけを作ったのはこの僕だ。すぐ医務室に運べば助かったかもしれないのに見殺しにした、僕のせいで斉藤は死んだ。
 僕がこの手で斉藤を殺した。
 覚えているあの感触を、椅子の脚が頭部を殴打した時の突き上げる衝撃を、鈍い音たて床にもんどり打つ斉藤を、風圧に広がる白衣を。
 鮮烈なフラッシュバック。
 気分がますます悪化する。
 食堂の喧騒から一刻も早く遠ざかりたい一心で足を引きずるように廊下を歩く。
 閉じた瞼の裏側で映像が爆ぜる。
 床に倒れ臥す斉藤、血染めの白衣、青ざめた顔。
 『助けてやろうか?』
 良心を麻痺させる蠱惑的な声。
 甘く掠れた独特の響きは麻薬に似て抗い難い作用を及ぼす。
 酩酊感を惹起する甘い声に誘われるがまま暴君のあとに付いていき……

 書架に手を付く。
 乱暴に上着を毟られる。
 外気に晒された背中がひやりと粟立つ。
 うなじを吐息が湿らす。
 獣の交尾に似た体位で背に覆い被さったレイジが肩甲骨に人さし指を押し当てー……

 『You are a slave of the rage.
  You can‘t get away from my hand』

 これ以上は思い出したくない。
 思い出したら平静を保てなくなる。
 強く強く目を瞑り回想を遮断する。
 呼吸が荒い、動悸が荒い。
 レイジは、暴君は今どこにいる?
 東京プリズンのどこかに潜伏しているのは確実、だがその足取りは杳として知れない。ロンがいる医務室に訪れた形跡はない。
 看守は血眼で暴君を捜している。
 捕まれば詮議にかけられ独居房に監禁される、否、もしかしたらそれ以上の厳罰に処される。僕は、レイジに逃げ切ってほしいのか?まだ彼に望みをかけているのか、あれだけの暴挙を目の当たりにしても期待を捨てきれないのか。 

 『俺がとんできて守る』
 瞼の裏に静かな決意を湛えた顔が浮かぶ。
 「嘘を吐け、間に合わなかったじゃないか」
 昨日、別れ際のサムライの台詞がむなしく響く。

 もう手遅れだ、何もかも。

 だが心のどこかで安堵している、サムライがあの時あの場にいなくてよかったと感謝さえしている。
 サムライが図書室にいなくてよかった。
 斉藤を殺すところを見られずにすんでよかった。
 凶行の後に続く情景を、暴君の奴隷と成り果て十字の烙印を施される場面を見られずにすんでよかった。
 今日はサムライの顔を見れなかった。
 サムライの目を正視できず顔を伏せてばかりいた。
 僕の身に起きた一連の出来事は勿論伏せている、ロンと一緒にレイジに犯されかけたなどと明かせるはずもない。明かす気など毛頭ない。
 しかしサムライは持ち前の勘のよさで僅かな変化を嗅ぎ取ったらしく、何か物言いたげな気遣わしげな顔でちらちらとこちらを見やる。
 朝からずっとサムライの視線を感じていた。
 声をかけようかどうしようか逡巡する気配を察しながら気付かぬふりで無視を決め込んだ。
 声をかけるタイミングを図りあぐね、食事中さえ二言三言発しただけで口を噤んでしまい、己の不甲斐なさを恥じるように煩悶の皺を刻む。
 サムライが僕を心配しているのはわかる。わかるからこそいたたまれなかった。
 僕は逃げた。
 サムライが口を開くのを恐れ、内心の動揺を見抜かれるのに怯え、犯人が僕だと嗅ぎ当てられる前に食堂を出た。
 周囲は敵ばかりだ。
 すれ違う囚人皆にあいつが斉藤を殺したんだと陰口を叩かれてるような被害妄想に苛まれ心の休まる暇がない。
 常に見張られている緊張感が持続し神経がささくれだつ。
 誰もいない所に行きたい、人の視線を遮断できる所に行きたい。
 すぐ思いついたのは房だ。
 しかし房も安全とは言いがたい、鉄扉の上部は格子窓が穿たれ誰でも気軽に覗き込める。どこへ行けば逃げ切れる?
 焦燥に駆られ周囲を見回す。
 足は自然と房から遠のきあてどなく廊下をさまよう。 
 サムライと顔を合わせるのは気鬱だ。房には帰りたくない。
 だがどこへ?
 図書室は却下。あそこには絶対近寄りたくない、行けば思い出してしまう。いかに床の血痕が跡形なく拭われ椅子が元通りに直されていようとも至る所に記憶の残像が焼き付いている。
 行き場を失った。
 帰る場所はない。
 僕は独りだ。
 どこをどう歩いたのかも覚えてない、ただ衝動の赴くまま延々と続く廊下を歩いて歩いて歩いて歩き続け不毛な堂々巡りのはてにそこへ辿り着いた。

 シャワー室。

 「…………今日はシャワー日だったな」
 忘れていた。
 昨日まではあんなに心待ちにしていたのに。
 今日は二日に一度のシャワー日だ。
 強制労働終了後、夕飯前に汗と汚れを洗い流したい囚人が競って殺到するシャワー室も今は静まり返っている。
 本来まだ食事中、夕飯前にシャワーを浴びてさっぱりするものと夕食後充実してからシャワーを浴びるものとに囚人は二分されこの時間帯は不人気だ。
 扉の前で気配を窺うも誰もいないらしくシャワーの音も聞こえない。
 ノブを握り、慎重にドアを押す。
 シャワー室のドアは厚い合板で出来ており、開けた途端に湯気で眼鏡が曇る。
 注意深くあたりを見回し、誰もいないのを確認してからロッカーに接近する。
 眼鏡を外しきちんと弦を折り畳む。
 上着の裾に手をかけ一息に脱ぐ。
 肋骨の浮いた脆弱な上半身を外気に晒す。
 上着を畳んでからズボンに手をかけこれも脱ぎ、きちんと畳んで脱衣籠に入れる。
 裸眼はなんとなく落ち着かない。
 裸にも増して無防備で不安を煽る。
 慎重な足取りでタイルを踏み、衝立で仕切られたシャワーブースに入る。
 フックからシャワーをとる。
 右回しで温度を調節、コックを捻る。
 胸の位置に翳したシャワーから適温の湯が降り注ぐ。
 生き返るようだ。
 すべて洗い流してしまいたい。
 僕の体に触れたレイジの感触、僕を裸に剥いて背中に烙印を施した指の感触を捨て去ってしまいたい。
 サムライの感触だけ覚えていたい、それ以外の男が触れた記憶などすべてシャワーの湯と一緒に洗い流してしまえ。
 シャワーを握る手に力がこもる。
 強く目を閉じシャワーをかける。
 熱い湯が体の表面を愛撫し垢と汗と汚れとを表皮を剥くように洗い流していく。
 自分が汚れているとの強迫観念に駆られ性急に肌を擦る。
 擦った肌が赤く腫れる。
 全身を入念に洗う。
 足の指の間に溜まった砂をこそぎおとし、筋肉が未発達な細い太股に石鹸を泡立てた手を這わせ、幅の狭い腰から脇腹にかけて泡でぬめる手で円を描くようになで上げる。
 忘れろ、忘れてしまえ。
 『いい加減素直になれよ親殺し。上の口と違って下の口は正直だ、悦んでぎゅうぎゅう締め付けてきやがる。指三本でも足りねえってひくついてるぜ。入れてほしけりゃ泣いて頼めよ。それともこのまま指だけでイかしてほしいか』
 忘れろ。
 『細い足。女みてえ。言われた通り股開けよ、がくがく腰振れよ。中で出したもんはあとで掻き出してやるよ、シャワー使ってな。それともまた吊ってほしいか、ぎちぎちに縛ってほしいか?そうか、縛られるのが好きだったんだな。気付かなくて悪かったよ。お望みどおり縛ってやるよ……』
 忘れてしまえ。
 売春班の忌まわしい体験も、レイジのキスも、すべて。
 僕の体内に注がれた汚い精液と一緒に一滴残らず掻き出し洗い流してしまえ。
 汗でぬめる手のおぞましい感触も内臓を圧しむりやり押し入ってくる熱塊に体がふたつに引き裂かれる激痛も
 『理不尽に痛めつけられたものの涙は必ず贖われねばならない。それが医師としての僕の信条でね』
 何故ここにきた、斉藤。
 何故僕に構う。
 構いさえしなければ、死なずにすんだものを。
 価値もない僕の涙を、贖おうとしたばかりに。
 「馬鹿な男だ」
 本当に馬鹿な男だ。自ら死にに来たようなものだ。
 斉藤の死は無意味だ。
 彼の死は僕の内部に何ももたらさなかった。
 水滴が伝う喉がひくつく。
 喉の奥で笑いが泡立つ。
 排水溝が詰まったような、嗚咽にも似て卑屈にくぐもった笑い。
 痙攣の発作じみた不規則な笑いが長く尾を引く。
 狂気を発したように俯き笑いながら、屈折した思いを吐露する。
 「馬鹿な男だ。真実を求め真実に殺され満足か斉藤、誰も幸せにしない真実など暴き立てるからこうなるんだ、自分で死期を早めたも同然だ。同情などするか。後悔などしない。偽善者ぶって冤罪を立証しようとした結果がこれだ、このざまだ。恵を傷付ける人間は死んで当然だ。恵の担当医として接してきたくせに事件の真相を暴きたてこの上さらに恵を不幸にするなど最大の裏切りだ、貴様のような偽善者は死んで当然だ、恵を不幸にする人間などこの世から一人残らず駆除してやる。僕は恵を守る、そう決めたんだ。それだけが僕の存在意義だ。恵を守るためなら良心の呵責なく人を殺す、それで恵の幸せが保証されるなら………」
 恵。僕の妹。彼女を守るためなら何だってする。
 両親を殺したように、他人も殺す。
 できる、できるはずだ。
 僕は既に人殺しだ、二人殺した人間が三人目を殺せない道理はない。
 後悔は、ない。
 後悔なんてするもんか。
 手をきつく握りこむ。
 壁を打つ。
 一度、二度、三度。
 斉藤を殴った感触が消え去れと願い壁を殴る自罰行為に走る。
 鈍重な殴打音が鼓膜にこびりつく。
 シャワーの音がブースにこもり反響する。
 壁を殴打する音が次第に弱くなり腕からふいに力が抜ける。
 「………………っ………………」
 壁に手を付き体を支える。
 膝が萎える。
 壁に縋り付く事で辛うじて体を支える僕の耳に、水滴を弾き飛ばし駆け寄る足音が届く。
 「直?」
 驚きに打たれ顔を上げる。
 「………サムライ?」
 湯気に曇る衝立の向こうに人影が立つ。
 どうしてここに?
 喉まで出かけた問いを苦労して飲み下す。
 「………様子が変だから、その、気になって追ってきたのだ」 
 いつものサムライらしからぬためらいがちな声。
 どことなく言い訳がましい響きも帯びていた。
 次第に目が慣れて衝立の向こうに立つサムライの姿をはっきり捉える。
 サムライは裸足でズボンを膝まで捲り上げていた。
 尖った踝と古傷だらけの脛を露出した姿がやけに新鮮に映る。
 ぬれタイルを踏みしめ仁王立つサムライを空洞の如く虚ろな視線で見返し、問う。
 「つけてきたのか」
 「人聞き悪い事を言うな、呼び止めるきっかけが掴めなかったのだ」
 なにも威張ることではないことを威張り、サムライが渋面を作る。
 尾行に気付かないとは注意力散漫にも程があると失態を呪う。
 衝立を隔てて立ったサムライは一層気遣わしげな眼差しで僕を見つめ、口を開く。
 「今日のお前は朝からおかしい。ろくに口も利かず呼びかけても上の空、食事にも手を付けん。毒舌にも張りがない」
 細めた目に痛ましげな色が宿る。
 「………斉藤の死が原因か」
 「生理だ」
 「は?」
 無表情にサムライと対峙する。
 空白の顔から理解に苦しむといった渋面となり、五秒後に漸く憤懣やるかたないといった仏頂面に変じたサムライがきっぱり言い切る。
 「その手の冗談は好かん」
 「冗談とわかって何よりだ。君がいかに女性の体の仕組みに疎いとしても、男に生理が起きる驚異を真に受けるほど世間知らずでなくて安心した」
 苦虫を噛み潰すサムライをそっけなく突き放す。
 気まずい沈黙が訪れる。
 沈黙を破ったのはサムライだ。
 「………斉藤と何かあったのか」
 コックを締めて湯を止める。
 ホースを持って体ごと向き直る。
 サムライは少し逡巡してから意を決し核心をつく。
 「昨日斉藤が大事な話があると言ってお前を迎えに来た。その後何があったか俺は一切聞かされていない。生きている斉藤に最後に会ったのは直、多分お前だ。斉藤の身になにがおきたか、知ってるのではないか」
 「僕が斉藤の死に関わってると?」
 無表情に徹しサムライを見詰める。
 凝視にたじろいだサムライに一瞬葛藤の表情が覗く。 
 「斉藤となにがあった」
 「プライバシーの詮索は感心しない。僕と斉藤が持った個人的な話し合いまで君に明かす義務はない」
 「ごまかすな」
 語気を強め一歩を詰める。
 「昨日俺が帰ったときからずっとお前の様子はおかしかった。斉藤となにがあったか聞こうと思いながらも胸に秘めていたが、もう我慢できない。斉藤は死んだ。ばらばらに切り刻まれ殺された。なにがあったんだ、直。五体満足の斉藤と最後に会ったのはおそらくお前だ、生きている斉藤と最後に言葉を交わしたのも。変死の事情について知らないとは言わせん」
 低めた声に気迫が篭もる。
 据えた双眸が苛烈な光を放つ。
 底知れぬ凄味を含んだ顔つきに気圧され、思わずあとじさる。
 「答えてくれ、直。関係ないならないと言ってくれ。斉藤とは本当になんでもないと、ごく個人的な事柄を話しただけで終わったとそう請け負ってくれ。別れた後の斉藤の消息は一切知らんと、事実ならそう言ってくれ」
 縋るように切迫した調子で強要するサムライを虚ろに見返す。
 無言を守る僕に焦れてサムライが唇を噛む。
 「………斉藤失踪当時、居残っていた囚人に事情聴取を行うそうだ。食堂で小耳に挟んだ。居残っていた人間の中に犯人がいると上は疑っている。特に直、お前は危険な立場におかれてるんだ。お前は斉藤と話した最後の人間、斉藤の消息を知る唯一の手がかりだ。今日中にも召喚され尋問が行われるぞ。副所長が立ち会うなら最低限の安全は確保されるが、正直所長のもとにお前を行かせるなど反吐が出る」
 「なら行かせなければいい」
 サムライが息を呑む。
 言葉を失うサムライに一気に畳み掛ける。
 「どうした、できないのか。普段あれだけ僕を守るとか偉そうなことを言っておいて、いざ僕が連れて行かれるとなれば何も出来ず指をくわえて見ているだけか。見損なったな。そんなに僕と斉藤の間に起きた事が気になるならいっそ行かせなければよかった、間に割り込んで木刀で追い払えばよかった、昨日そうしなかったくせに今さら用心棒面をしても遅い、もう全部手遅れだ」
 世界中を敵に回し孤立したような気分で苛立ちをぶつける。
 サムライは殊勝らしく罵倒を受け止める。
 反論も否定もせず悄然と項垂れ、不当な攻撃と辛辣な毒舌を耐え忍ぶ。
 苦悩に歪むその顔が嗜虐心に火をつける。
 僕が図書室で尋問を受けていた時、僕が椅子を振り上げ斉藤を殴り倒した時、レイジに唇を噛み切られその血で背中に烙印を施された時一体どこでなにをしていた?
 僕を守ると誓ったくせに、何度も何度も何度も誓ったくせに僕が一番そばにいてほしい時にどこにいた?
 どこにもいなかった。
 「君はいつもそうだ、僕を守ると誓ったくせに肝心な時にいない。君に僕と斉藤の関係を詮索する権利などない、なぜなら君はあの時あの場にいなかった、僕を突き放してひとりでさっさと行ってしまったんだから。わかったら消えろ、君の顔など金輪際見たくもない。見ての通りシャワーの途中なんだ、人に全裸を見られながら平然とシャワーを浴びれるほど僕の神経は図太くない」
 再びコックを捻り湯を出す。
 シャワーから迸る湯を首筋にかける。
 サムライが歯痒げな顔をする。
 視界の端に進退窮まり立ち尽くすサムライを無視、首の後ろを片手で支え喉仰け反らせ露出を強調、シャワーを浴びる。
 水滴が体を伝う。
 熱い湯が肌に染み入り筋肉をほぐす。
 「見せる」ことを主眼においた洗練された身振りで片腕を上げる。
 脇の下から踵にかけて体の線に沿った流れができる。
 単調な水音が沈黙を埋める。
 視界の端のサムライをよそに努めて平静を装い、ゆっくり時間をかけ体の表裏を洗う。
 「本当の事を話してくれ」 
 シャワーの水音を遮り声がする。 
 胡乱にそちらを向く。
 湯気で曇った視界にぼんやりと人影が映り込む。
 いつのまにか衝立ににじり寄ったサムライが酷く思い詰めた顔で念を押す。
 「さもなくばお前を守りきれん」
 「力づくで聞き出してみたらどうだ。得意だろう」
 まだ僕を守るつもりでいるらしいサムライに反感をもつ。
 サムライが一歩踏み出す。
 衝立代わりのドアが押され軋み音をあげ、開く。
 半ばブースに身を乗り入れたサムライが、悲壮な覚悟に厳しく引き締まった面持ちで最後の説得を試みる。
 「じきに看守が迎えに来る。それまでに本当の事を話してくれ。お前がいやだというなら看守に引渡したりせん、だから……」
 「近寄るな」
 我知らず鋭く制す。
 サムライが立ち止まる。
 サムライに背を見せ壁と向き合い、淡々と言う。
 「ただで見せるほど僕の体は安くない、売春班ではそれなりに行列ができたんだからな。知っているかサムライ、僕の鎖骨は形がいいんだそうだ。腰幅の狭さがいやがうえにも痛ましさを引き立てるとサディスティックな看守が涎をたらしていた。男を誘う腰だそうだ。後背位で仰け反った時に出来る背中の窪みがいやらしいと評判で、その噂が出回ってから客がバックを好むようになった。正常位より負担が減るからこちらとしては歓迎だが……」
 自虐の笑みを浮かべるのと手首が掴まれるのは同時。
 「直っ!」
 耳を劈く叱声。
 憤激に駆り立てられたサムライが僕の手首を掴みむりやり振り向かせる。
 荒々しい力に蹂躙され体が強張る。
 手首に痛みを感じる。
 僕の手首を掴み顔の横に固定したサムライが前屈みの姿勢で顔を覗き込む。 
 「自分を貶めるような事を言うな。そんなお前は見たくない」
 真剣な目に圧倒される。
 僕以上に痛みを堪えているような苦しげな表情が視界を占める。
 サムライは、優しい。
 自分への侮辱は耐え忍んでも、僕への侮辱は許さない。
 鼓動を感じる距離に胸が接する。
 シャワーの水音が空虚に響く。
 狭いシャワーブースにふたりきり、サムライの力強い腕に掴まれた僕は、冷静に尋ねる。
 一切の感情が剥ぎ取られた氷点下の声で。
 「どんな僕なら気に入るんだ」
 「何?」
 怪訝な表情のサムライ、当惑に流され握力が緩んだ一瞬の隙にすかさずシャワーを向ける。
 顔面にシャワーの放射を受けたサムライがたまらずあとじさり足を滑らせる。
 ぬれタイルに尻餅ついたサムライを、湯を放出するシャワー片手に傲然と見下ろす。
 「守られてばかりの僕なら気に入るのか」
 力で劣るものは守られて当然と思う傲慢が屈辱を煽る。
 それが弱者のプライドを踏み躙り優位を誇示する行為とも知らず無邪気に無神経に「守る」を連発、僕を守るためなら喜んで犠牲になるどこまでも自己本位な男を激しく憎む。
 その当たり前を成し遂げられなかった彼に、罰を加える。
 名伏しがたい衝動に駆られるがままコックを捻り放出の勢いを強くしたシャワーを向ける。
 サムライを壁際に追い詰め容赦なくシャワーで攻撃、湯責めの屈辱を味あわせる。
 何が何だかわからぬままシャワーを照準されたサムライの全身を激しく迸る大量の湯がぬらしていく。
 「何の真似だ直、ふざけるのも大概に………」
 動転の抗議を一蹴、頭といわず肩といわず息をも継がせず集中攻撃。
 今やサムライの体で濡れてない箇所はどこもない。
 大量の湯を被った全身から濛々と白い湯気が上がる。
 額に貼り付いた濡れ髪から滝のように雫が流れ、大量の湯を吸った服はぐっしょり吸いついて肌を透かす。
 透けた服から浮かび上がる火傷の痕、筋肉の陰影を強調する濡れた服から垣間見える傷痕が妙に悩ましい。
 僕とはまるで違う男の体、しなやかに筋肉の発達した体が湯気の中でもがく様に魅せられる。
 「シャワーをどけろ、直!悪ふざけはいい加減にしろ、こんななりでは房に帰れん!」
 今だ勢い良く湯が迸り出るシャワーを放る。
 床で跳ねたシャワーが甲高い音をたてる。
 足元で跳ねたシャワーにサムライの注意が奪われた一瞬の隙に行動に出る。
 「なっ……!?」
 壁際に追い詰められ逃げ場をなくしたサムライの肩を掴んで押し倒す。
 不意を突かれ押し倒されたサムライの顔に衝撃が走る。
 自分の目に映るものが信じがたいといった驚愕の面持ち。
 「暴れるな、人が来る」
 サムライが足を動かすたび下半身に振動が伝わる。
 僕は全裸だ。
 絡み合って床に倒れたせいでちょうど裸の股間が膝に接している。
 じっとり湿った膝が股間を擦るたびじれったい性感が生じ、体の奥が疼く。
 「……何を考えてるんだ」
 ぬれタイルに押し倒されたサムライが呆然と呟く。
 シャワーの水音が沈黙を埋める。
 「本当はこうしたかったんだろう。わざわざシャワー室にきておきながら、何もしたくないわけがないじゃないか。劣情剥き出しの至近距離で僕の裸を視姦しておきながらいまさら聖人ぶるのか、君は。それとも何か、キスはいいのにそれ以外の体の接触は駄目だと?舐めるように僕の裸を見ておきながら自分だけは潔癖と言い張るつもりか」
 苛立ちが憎しみに変わる。
 僕を守ると誓いながら守れないこの男を、僕の唇を奪いさんざんに惑わせておきながら許可すれば拒む男を、僕は心の奥底でずっと憎んでいた。
 自分だけ潔癖を貫き通すその態度が僕の劣等感を刺激してやまないと何故気付かないのだ、この男は。
 どうしてこんなにも鈍感で残酷なのだ、彼は。
 必死に抑圧してきた不満が奔騰、身の内で激情が荒れ狂う。
 僕の事が心配なら何故あの時ついてこなかった、止めてくれなかった?
 君がいればもしかしたら凶行を思いとどまったかもしれない、斉藤を殺さずにすんだかもしれない、暴君と契約せずにすんだかもしれない。
 何故あの時一緒に来てくれなかった?
 なぜ僕をひとりにした?
 友達なら、どうして止めてくれなかった。
 『斉藤がいるだろう』
 別れ際の言葉が僕を責め苛む。 
 胸の内でどす黒い憎しみが滾り立つ。
 肩を掴む手に力を込める。
 肩に指が食い込む痛みに顔を顰めるサムライにのしかかり、もう片方の手で露骨に股間をまさぐる。
 「これでも欲情してないと言い張る気か」
 「やめ、ろ………自分のしてる事がわかってるのか?」
 「わかっているとも。騎乗位だ」
 ズボンの上から股間を揉みしだかれる恥辱にサムライが呻く。
 濡れ髪が額に貼り付いて別人のようだ。
 薄っすら上気した目尻が倒錯的な色香を醸す。
 快楽を堪えて呻くサムライの表情を舐めるように見、慎重に腰をずらす。
 「…………っ…………くっ…………」
 「服の上からでも感じるだろう」
 手が執拗さと残酷さを増す。
 緩急つけて竿をしごく。
 売春班で仕込まれたテクニックを駆使し技巧を凝らした手淫を行う。
 血が滲むほど唇を噛み呻きを殺すサムライ、極限の恥辱に歪むその顔に気分が高揚する。力づくで突きのけることもできるのにそうしないのは僕を気遣ってだ。
 こんな時まで手加減してくれるとは本当に優しい男だなと苦笑する。 
 その優しさが枷になる。
 「声を出していいぞ」
 手を伸ばしコックを捻る。
 床に放置されたシャワーから大量の湯が迸る。
 声をかき消すようにとの配慮に感謝どころか非難の眼差しを向けサムライが言う。
 「正気の沙汰ではない」
 「勃起しながら言うことか」
 勝ち誇った声で指摘する。
 てのひらで脈打つ熱の塊を感じる。
 満足感に浸りながら掌を上下させる。
 サムライが苦しげに首を振る。
 「………やめろ………これではまるで……」
 「売春夫か」
 挑発の媚態でそれに応じる。
 サムライの上着の裾に手をかけ、劣情を煽る緩慢な動作で捲り上げる。
 濡れた上着の下から研鑽した筋肉をまとう逞しい体が現れる。
 一切の脂肪を削ぎ落とした禁欲的な体を幾筋も流れを作り水滴が伝う。
 僕とはまるで違う、鍛え抜かれた男の体。
 僕のそれはとはまるで違う水を弾く硬い筋肉と荒削りな体の線。
 至る所に穿たれた新旧大小の傷痕をひとつひとつ指でなぞる。
 胸板の傷、脇腹の傷、腕の付け根の傷……
 様々な形状の傷痕を指先で辿り、その来歴を想像する。
 「僕を庇ってできたものだな」
 精悍な首筋に指を滑らす。
 僕を助けに溶鋼炉に現れたサムライ、燃え盛る火の粉を被った壮絶な姿を思い出す。
 首筋の火傷の上に口をつける。
 唇で愛撫するように火傷をなぞり、放す。
 かすかに塩辛いのは汗が溶けたせいだ。
 サムライの体に刻まれた無数の傷痕、そのひとつひとつに思い出がある。
 傷痕の半分は苗のためにできたもの、もう半分は僕のためにできたものだ。
 なら、半分はぼくのものだ。
 半分は僕の好きにしてもいい。
 「下半分で十分だ」
 含み笑う僕に、組み敷かれても威厳を失わぬサムライが毅然と命じる。
 「上から下りろ」
 「生殺しは辛いだろう」
 股間に手を置く。
 性器は先ほどより硬さを増している。 
 十分使い物に足る状態に仕上がった。
 売春班で強制的に学ばされたテクニックは衰えてなかったらしいと皮肉な思いになる。
 今にも張ち切れそうな布張りの股間をさすり耳朶で吐息に交えて囁く。
 「僕は売春班の売春夫だ。タジマさえ音を上げた淫売だ。友人なら性処理に付き合え」
 
 衝撃。

 一瞬宙に跳ねた体がタイルに叩き付けられる。   
 「げぼっ、がほっ………!」
 タイルに体を強打し咳き込む僕の背後で立ち上がる気配。
 サムライがいた。濡れそぼつ上着を手に愕然と僕を見下ろしている。
 見知らぬ他人を見るようなその目が、自分から仕掛けた行為に挫折した僕のプライドをずたずたにする。
 やめろ、そんな目で見るな。
 軽蔑の眼差しで見るな。
 自制心が弾け、やり場のない憤りに駆られて絶叫する。

 「君は友人じゃない、単なる性処理の道具だ!キスから先に進まない道具などいらない!」
  
 タイル張りのシャワー室に殷々と余韻が反響する。 
 タイル張りの床に手を付き項垂れる僕の横を通り、ホースを拾う。
 キュッキュッと小気味よくコックを捻る音がし、次の瞬間。
 「………!?っは、…………」
 勢い良く放射された冷水が頭を打つ。
 気管に入った水に咳き込む僕を見下ろし、サムライが冷淡に言い放つ。
 「頭を冷やせ」
 冷たい水が肌の火照りを急激に冷ましていく。
 湯とまじわった水が一緒に排水溝に流れ込む。
 サムライがホースを投げ捨て迅速に身を翻す。
 もはや一抹の躊躇も未練もない断固たる足取りでシャワー室を横切るサムライをよそに、僕は床に手を付いたまま、顔を上げる気力も尽きて項垂れる。
 タイルに広げた五指をシャワーから流れ出る水がすすぐ。
 冷水を浴びせられた体から急速に体温が失せていく。

 サムライは行ってしまった。 
 これこそ僕の望んだ事だ。
 彼とはもう一緒にいられない。一緒にいていいはずがない。
 斉藤を殺しレイジに身を売ったこの僕が、薄汚い人殺しの裏切り者が、ぬくぬくと彼のそばにいられるわけがないではないか。

 「は、ははっ。図星をつかれたから逆上したんじゃないか。本当は僕を抱きたいくせに、抱きたくて抱きたくてたまらないくせに傷付けるのがいやだと拒み続けた結果がこれだ、このざまだ!そうだ、君がいつまでたっても認めないから僕から誘いをかけてやったんだ。売春班仕込みのテクニックの感想はどうだサムライ、これが僕の得たものだ、東京プリズンで得たものだ!まだだ、まだまだ他にもあるぞ、たくさんある!売春班で仕込まれたのはこれだけじゃない、こんなのまだ序の口だ、正常位も後背位も座位も跪いてのフェラチオも喉の奥を突くイマラチオも君が知らない事を僕はまだまだ知ってる、無知な君にも教えてやろうとしたんだ親愛の証に、それのどこが悪い!?」

 喉から絶叫が迸る。
 サムライは、もういない。
 床に手を伸ばしシャワーを持ち、頭上に翳す。
 勢い良く放出される冷水に打たれ、深々項垂れる。

 「………………っ……………………」

 全部全部流れてしまえ。
 鍵屋崎優と由香利と斉藤の血の汚れも、体内に注がれた汚れた精液も、全部全部流れ出て排水溝に吸い込まれてしまえ。
 冷たい水がせめて体を浄めてくれるように祈り両手で上体を支える。
 髪の間を流れた水滴が鼻梁に沿い下り合流、顎先から滴る。
 貪欲に快楽をねだる体の火照りと疼きを慰めるため冷水に身を浸し、水滴を五指に握りこむ。
 握りこんだそばから指の隙間から抜け出る水滴を恨めしげにタイルに叩き付け、それでも癒されぬ火照りと疼き、浅ましい昂ぶりに苛まれ目を閉じる。

 どうして抱いてくれないんだ、サムライ。 
 こんなにも求めているのに。

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