ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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六話

 「ついに国連が動きだしたか」
 食卓につきアジを開きながら僕は言う。
 「東京プリズンの劣悪な環境と杜撰な実態が暴露され国際的非難を被るのは今まで放置し続けてきた日本政府だ。東京プリズンは国内における治外法権地区としてその存在を黙殺されてきたが、さすがに国連が動き出したとなると上もしかるべき対処をせねばならない。囚人に対する非人道的扱いの数々を改善せねば」
 「所長は本気か」
 サムライが陰鬱に呟く。
 あざやかな箸捌きで小骨を取り除くサムライを見るともなく眺めながら僕はアルミの椀を抱え殆ど味噌の味がしない味噌汁を啜る。
 ひどく水っぽい味噌汁を飲み下し対面のサムライに聞き返す。
 「核発電所のことか」
 「うむ」
 サムライが思慮深げに頷く。顰めた眉間に深い縦皺が刻まれる。
 峰のように峻厳な眉間と一文字に引き結んだ口元に憂慮が漂う。
 「所長が本気で核発電所を建てる気なら砂漠で立ち働くイエローワークの囚人が一番害を受ける。すなわちお前だ」
 「杞憂の語源を知っているか?」
 脈絡ない話題をふられサムライが箸を止める。
 頭から二つに開いたアジから僕へと視線を転じまじまじと顔を見る。
 「古代中国のどこかの国に杞という姓の男がいた。この男は病的な心配性で毎日上を見上げては空がおちてこないかと案じていた。そこから転じ杞憂とは心配しても詮ないことを憂い限られた人生を無為に浪費する意味となった」
 「俺が心配性だと?」
 「所長の妄言は今に始まったことじゃない。いちいち真に受けるのは馬鹿らしい。虚言症患者の誇大妄想だと聞き流すのが正しい対処法だ」
 サムライはまだ何か言いたげにちらちらこちらを見ているがもうとりあわず食事を続ける。
 周囲の囚人はといえば、一昨日行なわれた所長の発表に様々な反応を示している。
 「核発電所なんて冗談じゃねえここをヒロシマの二の舞にする気か!」と飯粒飛ばしいきりたつもの、「発電所なんて嘘でほんとは生物化学兵器の製造工場建てる気だろ上の魂胆はわかってるんだぜ」と疑心暗鬼に苛まれるもの、「だいたいハルの墓と発電所と何の関連性があるんだよ、こじつけもここまでくりゃ立派に誇大妄想の域だ」と皮肉な笑みを浮かべるもの、「発電はラムちゃん一人いりゃ十分だ、んなご大層なもん作るなんて金の無駄だ。無駄なもん作る金あるなら俺にくれ」とヨンイルの如くごねるもの……
 そのうち所長の妄言を真に受けて深刻に憂えているものはおよそ二割。
 扇動者の素質がある所長に乗せられ暴動手前まで興奮した連中も一日経て集団ヒステリー状態から醒めてしまえば発表の信憑性を疑い核発電所など建つわけないと楽観している。
 僕も同感だ。
 所長はあの通りヒステリックな性質だ。
 熱しやすく冷めやすい所長がどこまで本気で核発電所建設を考えているのかは不明だが、実際に核発電所ができあがるよりも疾患が認められ彼が病院送りになるほうが早い気がする。
 僕の予想では核発電所は工事に着手したものの完成を見ずに所長解任となり、あとには未完成のまま放置された廃墟が残る。

 東京プリズン上空にロシア軍籍のヘリが飛来したのは昨日のこと。
 あれから一日が経ち囚人も大分落ち着きを取り戻した。

 空からの来訪者にすわ何事かと色めきだった囚人らも一日経ていつも通りに強制労働が再開された為に、遅刻してペナルティを課されてはなるまいと食堂に大挙しおのおの食事に勤しんでいる。
 ヘリから降り立った軍人三名の来訪目的については虚実入り混じった様々な憶測が乱れ飛んでいるが、今のところ東京プリズンの実態調査に国連がロシア経由でさしむけた説が有力視されている。

 僕もそれが一番ありそうだと考えている。

 行儀悪く卓に肘をつくものや猛然と飯をかきこむもの、いつもと様変わりせぬ忙しない朝の光景をあきれ顔で眺め回し僕は結論を述べる。
 「異常者の妄言を真に受けるほど僕は暇じゃないんだ。君と違って」
 「俺とて暇ではない」
 サムライが断固反論する。
 不機嫌も露わに箸を机上に叩き付けるサムライを上目遣いに一瞥、さりげないふうを装いアジの切り身を口に運ぶ。 
 「読経と写経と素振りの稽古が忙しいとでも?」
 「無論」
 「最近は残業続きで趣味にうちこむ時間もないな」
 「ああ」
 つられて頷いてしまってからはたと顔を上げ、さも心外だといわんばかりに眉根を寄せる。
 「撤回しろ。読経と写経はともかく剣の稽古まで趣味の範疇に含められては武士の立つ瀬がない」
 「サムライ、冷静に考えろ。今の日本に武士という職業が成り立つか?実益のない習慣は趣味の域を出ないぞ」
 一口ずつ咀嚼し嚥下するくりかえしのあいまに淡々と指摘すれば図星をつかれたサムライは一瞬言葉を失う。
 何やら真剣に考え込み始めたサムライに呆れるかたわら意地悪な気分を刺激されさらに畳みかける。
 「だいたい君は時代錯誤なんだ。普段の言動を観察していると一人称が拙者じゃないのが不思議なくらいだ。今が西暦何年かわかるかサムライ?武士はもうとっくに絶滅した、武士道は過去の遺物なんだ」
 「過去の遺物などではない。俺がいる」
 サムライがとりつくしまもない仏頂面で力強く断言する。皮肉めかした指摘に武士の誇りを傷付けられたらしく箸をおいて腕を組むさまに不機嫌が滲み出る。
 これぞ亭主関白といった態度で気難しく口元をひん曲げたサムライと向かい合い乾ききった沢庵を摘みながら僕は呟く。
 「頑固者め」 
 「俺はお前の体が心配なのだ。放射能汚染された砂漠でお前が働くことになりはしないかと気を揉んでいるのだ」
 「余計なお世話だ。僕の白血球の数まで心配するな」
 「何をそう怒っている?」
 無神経な一言が心をざわつかせる。
 箸の先に苛立ちが伝わり不覚にも沢庵を取りこぼしてしまう。
 水気が蒸発し茶褐色に褪色したいかにも不味そうな沢庵を箸で挟んで口の中に放り込み小気味よく音たてて咀嚼する。
 口の中に塩気が広がる。
 沢庵を咀嚼するのに集中し腹立ちを紛らわせようと努めるも我慢できず、口の中のものを嚥下してからきっとサムライを見る。
 「『怒っている』だと?この僕が、IQ180の天才たる鍵屋崎直が、貴様如き凡人と同じレベルで怒っているだと?」
 込み上げる怒りを抑制し一言一句区切って問いただす。
 乱暴に箸と椀をおき剣呑に目を細めサムライを睨みつける。
 眼鏡越しに尖った視線を突き刺されたサムライはといえば既に食事を終え、猛禽じみて獰猛な鋭さを帯びた双眸を胡乱な半眼にし探るようにこちらを眺めている。
 卓上の空気が張り詰める。
 周囲の喧噪をよそに僕とサムライが座る一隅だけに互いの出方をはかる沈黙が押し被さる。
 不機嫌な僕に難渋するサムライを見返すうち、への字に引き結んだその口元へ視線が吸い寄せられる。

 一週間前の事を思い出す。
 一昨日の情景が網膜に立ち現れる。

 湿った吐息まじりの唇の感触を追憶する。
 熱く柔らかい唇が僕のそれと重なった瞬間の胸の高鳴りと気分の高揚を思い出し今また体に変化が兆す。
 脈拍数が跳ね上がり心臓が早鐘を打ち始めにわかに落ち着きを失った僕はサムライからそそくさと視線を外し食堂を見回す。
 囚人で溢れかえった広い食堂を見渡し、特定の人物をさがす。
 猥雑な活況を呈した食堂にしかし目的の人物は見当たらない。
 視線を一巡させ戻ってきた僕にサムライが神妙に声をかける。
 「……ロンとレイジか」
 正面に座ったサムライが気遣わしげな色を面に湛える。
 内心を見抜かれた動揺をごまかそうと眼鏡のブリッジに指を添え表情を隠す。
 ここ最近こうして食堂を見回すのが癖になっている。
 隣にいないレイジとロンを追い求めひょっとしたらと淡い期待を抱くも二人の姿はどこにも見当たらず食事の時間にも房にこもっているらしい。
 ロンは道了とともに、レイジはサーシャとともに。

 『Good-bye my friend, See you again. 』
 暴君の口を借りてレイジが喋った言葉が救いがたい悲哀を帯びて胸に迫る。

 レイジは暴君の口を借り僕に別れを告げた。
 あれ以来レイジは表に浮上せず暴君が降臨している。
 いつまたレイジに会えるのかわからない、もしかしたら永遠に会えないかもしれない。
 レイジは完全に暴君の支配に屈し二度と浮かび上がることなくやがてその残滓すら消滅してしまうかもしれない。 
 朝礼時の暴君が網膜で像を結ぶ。
 暴君は嬉々としてサーシャの前髪を掴み傅かせ大群衆の前でフェラチオを強要した。以前のレイジなら考えられない陰湿で残忍な行為だ。暴君は捕えた獲物のプライドを踏み躙ることで性的快感に酔い痴れ今や薬を用いた調教で完全にサーシャを奴隷にし朝な夕なと嬲っている。
 朝礼時に見たサーシャはすっかり窶れ果て眼窩が落ち窪み死相すら呈していた。
 このままでは暴君に抱き潰され衰弱死する日も遠くない。
 暴君の暴走を止められなかった自責の念が苦く胸を苛む。
 サーシャに同情したのではない、僕はただ僕の友人があんな振る舞いをするのを見ていられなかったのだ。ロンを失った辛さから暴君に精神を明け渡したレイジを直視できず反射的に体が動いたのだ。

 レイジは今も苦しんでいる。
 ロンもきっと苦しんでいる。
 二人の友人として、僕に今何ができる?

 「……ロンはちゃんと食べているだろうか」
 一週間前のあの日以来ロンは道了の房に軟禁されている。
 サムライを伴い何度も様子を見にいこうとしたが道了の房の前には常に見張りの看守か囚人が立っていて僕とサムライを荒々しく追い返した。
 強行突破も考えたが、母の死を告げられ幼児退行するほどのショックを受けたロンにこの上刺激を与えたくない躊躇があり今だ有効な手が打てずにいる。

 ロンは元気にしているだろうか?
 道了に酷いことをされてないだろうか?

 「ただでさえ背が低いのだからカルシウムを摂取して骨密度を上げる必要がある。成長期に食事を抜くなど信じられない愚行だ」
 「ロンが心配か」
 「静かすぎて落ち着かないだけだ」
 レイジとロンがいないだけで食事の席は通夜のように味けなく辛気くさい。
 のみならずサムライと二人きり、顔突き合わせて食事をしているとどうしても唇にばかり目がいき雑念が頭を巡り頬に赤みがきざして動悸が高まり妙にそわそわし、努めて平静を装い箸を握りなおした拍子に片手の椀が不安定に傾いで汁を零したりと数々の奇行を演じばつが悪くなる一方だ。
 普段の僕なら絶対ありえない無様なミスを連発し滑稽な失敗を繰り返し赤面ものの醜態を晒すうちますますサムライの視線や仕草に神経過敏となり、視界に唇が入らぬよう終始俯きがちに食事をするはめになる。
 「直」
 突如名を呼ばれ指の隙間から箸がすべる。
 「誤解だ、君の唇など見ていない。水分の少ない割に柔らかな唇だったとか口角が下がり気味だから強面に見えるんだとか上唇と下唇の厚みのバランスが絶妙で美しいとか観察してたわけじゃないと主張する」
 指からすべりおちた箸が乾いた音たて机で跳ねる。
 「………熱でもあるのか?」
 「生憎平熱だ。脳が炎症を起こしたら一大事だ。それで何だ、何か用があるから声をかけたんだろう」
 怪訝な表情のサムライに威儀を正し向き合う。サムライはあたりを見回してから軽く咳払いしそっと自分の頬に触れる。
 男らしく節くれだった指が頬に触れるさまに見惚れる。
 「………頬に飯粒がついている」
 サムライが発した一言で現実に戻る。
 僕としたことが迂闊だった、虚心で食事するあまり頬に付いた飯粒に気付かなかったとはなんたる失態天才にあるまじき失敗だ。
 「当たり前だ、米の主成分はでんぷんなのだから皮膚に癒着したところで何ら不思議な現象ではない。澱粉を水中に懸濁し加熱すると澱粉粒は吸水して次第に膨張する、加熱を続けると最終的には粒子が崩壊し溶解する。この現象を糊化という。僕の顔の表面で行なわれたのは米の糊化でありそもそも米は粒子の形状とその大きさから微細な凹凸に付着し平滑面とする効果が大きくすりつぶして接着剤としても使用される」
 恥辱に打ちひしがれ名誉を挽回せんと早口で知識を披瀝する。
 その間ずっと正面から注がれる視線を感じていた。
 視線を感じた頬が徐徐に熱をもつのが体温の変化でわかる。

 何をしてるんだ僕は?

 脳裏に疑問が結ぶも一度堰を切った饒舌は止まらず僕は焦燥に駆り立てられるがまま聞かれてもない知識を捲くし立てこの場の微妙な空気を払拭せんとする、しかし喋れば喋るほどに醜態を露呈する悪循環に嵌まりこみ動揺が加速する。

 一体何をしているんだ僕は?

 いついかなるときも冷静沈着に合理的思考をもって事態に対処する天才がたかが頬に付いた飯粒ひとつごときで取り乱すなどらしくない、まったくもって危機的状況だ。
 頬に飯粒が付いているとサムライに指摘されただけで何故これほどまでに慌てているのか自身に当惑する。
 気が動転し饒舌さを増す僕を黙って見つめていたサムライが、ふいに身を乗り出しこちらに手を伸ばす。
 「っ!?」
 予告なく伸ばされた手から反射的に身を引こうとするも、遅い。
 拒む暇もなくサムライの指先が頬に触れ熱が散り咲く。
 ほんの一瞬サムライが触れた箇所がジンと熱を帯びる。
 それはちょうど唇の横あたりで昨夜僕の唇を丁寧になぞった乾いた指の感触をまざまざと反芻し頭が真っ白になる。
 思わず椅子から腰を浮かせる。席を立ったはずみに肘がぶつかりアルミの椀が床に落下、騒々しく甲高い音をたてる。
 周囲の囚人が「なんだ」「なんだ」と話をやめこちらを注視する。
 好奇の眼差しを注ぐ囚人らの存在にも増して僕を動転させたサムライはといえば、ふいと指を引っ込めるや、卓に両手を付いた不自然な体勢で硬直する僕をしげしげと眺める。
 「米をとっただけだ」
 僕の動転ぶりに自分のほうが驚いたといわんばかりのあっけらかんとした口吻が脱力を誘う。
 改めてサムライの指先を見れば最前まで僕の頬に付着していたと思しき飯粒が移っていた。
 脱力のあまり椅子に崩れ落ちた僕をさらなる衝撃が襲う。
 サムライが何ら抵抗なくたった今僕からとった飯粒を口に含んだのだ。  
 「な、」
 思わず抗議の声を上げるもサムライは至って平然としている。
 ……堂々と開き直られると逆にこちらが恥ずかしくなる。
 片手で頬を包み呆然とする僕に周囲の囚人がわざわざ椅子から身を乗り出し冷やかしを浴びせる。
 「朝っぱらから見せ付けてくれんじゃねーか親殺し」
 「頬っぺにくっついたおまんまとってもらってよかったでちゅねー」
 「人目もはばからずいちゃついてんじゃねーよバカップル」
 「お前らをダシにすりゃクソ不味い味噌汁も砂吐くほど甘くなるってな」
 「砂ぬき忘れたあさりのおつけじゃねーか、それ」
 食堂の至る所で下卑た哄笑が弾ける。
 卓に手を付き前傾姿勢で恥辱に耐えるも深呼吸で怒りを鎮め、荒々しく椅子に座り直すや床に転がった椀を素早く拾い上げる。
 馬鹿を相手にするのは時間の無駄だ。
 手の甲で執拗に頬を擦り指の感触を払拭、涼しげな顔で正面に座る男めがけ冷ややかな侮蔑の眼差しを注ぐ。
 「唇は許したが飯粒まで許した覚えはないぞ」
 まったく油断も隙もない。
 サムライを警戒し椅子に座ったまま慎重に距離をとる。
 今しも身を乗り出し僕の頬に触れたサムライはといえば、僕が不機嫌な理由が皆目見当つかぬ鈍感ぶりを発揮し眉間に困惑を塗りこめる。
 「顔に飯粒を付けたまま出歩いたほうがマシとは奇特な性癖だ。わけがわからん」
 「鈍感もここまでくると罪悪だな」
 少なからぬ反感と苛立ちを込め本音を吐露する。
 僕にはサムライがわからない。
 一週間前は凱が見ている前で僕の唇を奪い、一昨日は二人きりの房で僕から誘いを受けたというのにかたくなに拒み、今朝はといえば囚人が一堂に会する食堂で平然と僕の頬に付いていた飯粒をとり口に含んだ。
 どこまで天然でどこまで計算なのか判断に苦しむ。
 まさかわざと鈍感な素振りを装い僕をからかいこの状況を楽しんでいるわけでは……
 頭を振って疑惑を追い払う。
 まさか。サムライがそんな器用な男じゃない男は一年以上付き合ってきた僕が一番よくわかっている。
 サムライはサムライだ、それ以上でも以下でもない。
 彼がどれほど生真面目で不器用な男か、愚直なほど真っ当な生き方しかできない人間か、常に身近で彼を見守りともに危地を潜り抜けてきた僕は痛感している。
 サムライが東京プリズンに来ることになった理由だってもとはといえば彼自身の愚直さが原因なのだ。
 欺瞞に逃げることを是とせず、保身に走ることを矜持の高さゆえ拒否し、辱められた末に自害した女の仇を討つためにあえて修羅の道を選んだのだ。

 僕が知るサムライはそういう男だ。
 誰より誇り高くあり、生来の不器用さ故に己を偽ることができず、徹頭徹尾率直な生き方しかできない男。
 そんな彼を、好ましく思う。

 「……やはり斉藤に話を通してみるべきか」
 「は?」
 「レイジとロンの事だ」
 聞いていなかったのかとサムライが渋面を作る。
 飯粒一つ残さず綺麗にたいらげたトレイを脇にどけたサムライが重々しく腕を組み提案する。
 「俺とて二人が心配だ。むなしく手をこまねいているしかない現状は業腹の極みだ。……が、ロンが本当に子供返りしているなら正直素人の手には余る。しかるべき医者にかかり適切な治療を施すべきだ。レイジにしても今のまま放置しておくのは我慢ならん。再び朝礼の時のような事が起これば俺とて剣をとらざるえない」
 憤然たる口吻で言い切り、苦渋に満ちた顔で俯く。
 眉間と口元に滲むは深い悔恨の念、暴君の暴走を事前に止められなかった不甲斐ない己に対する純粋な怒り。
 サムライもまた暴君の非道な振る舞いに忸怩たるものを感じ、レイジの友人として苦悩していたのだ。
 サーシャに対する数々の残酷な仕打ちに義憤を覚え、道了の房に閉じこもったまま一週間も顔を見せないロンを親身に案じるサムライと向かい合い、食事を終えた僕はしずかにトレイをどかす。

 卓上に肘を付き両手を組み合わせ思考を纏める。

 一週間前別れ際にロンが見せた心許ない表情、夕日に染まる展望台で嬉々としてサーシャを嬲る暴君、そして昨日また繰り返された光景を順に辿り事象の断片を整理し解決案を導こうとする。
 凄まじい速さで思考を働かせながら伏目がちに呟く。
 「レイジは完全に消えたわけじゃない。暴君の奥底に意志が封印されているだけでその自我は依然として生き残っている」
 ちらりと意味深にサムライを見上げる。サムライは僕の推論に真剣に耳を傾けている。
 小さく息を吐き上体を起こし、一回目を閉じてまた開く。
 物を考える時の癖で眼鏡の弦をいじくりながら、ひとまず私情を排し客観的な視点に立って暴君とレイジの関係性を分析する。

 「暴君とはそもそもレイジの憎しみを肩代わりする擬似人格として生まれた。レイジは幼少時より母から虐待を受けてきた。暴君が萌芽したのはおそらくその頃だ。物心ついた時からレイジの中には暴君がいた、明るい笑みを絶やさず無邪気に母を慕うレイジの憎しみを肩代わりする影の側面として時にその片鱗を覗かせながら深層意識に潜在していた。暴君の存在が表面化したのは東京プリズンに来てからだ。僕が東京プリズンに来るずっと前、レイジがここに来たばかりの頃にサーシャの背中を切り刻んだ逸話があるが、あれをやったのはおそらく暴君だ。この頃レイジの精神は暴君に偏りながらも何とか均衡を保っていた」
 「一人二役を演じていたわけか」
 「そうだ。もとよりレイジは抜群のバランス感覚の持ち主だ、破壊願望と暴力衝動の権化たる暴君ともその時期は何とか兼ね合うことができた。暗黒面に引きずり込まれることなく瀬戸際で耐えていたレイジだが、もしあのまま行けば完全に暴君化する事態は避けがたかっただろう」

 思案顔で頷くサムライを上目遣いに窺いつつ、人さし指で唇をなぞる。

 「僕は暴君を一種の多重人格の症状だと考える。虐待を受けた子供に多く見られる兆候は現実との乖離だ。もっとも愛するもの、本来自分を庇護してくれるべき親から虐待を受けた子供はその辛さから逃避するためにもう一人の自分と呼ぶべき存在を作り出す。これが多重人格の始まりだ。虐待されてるのは自分ではなく他の子供だと暗示をかけることで人格を分裂させ、痛み苦しみ憎しみなどを肩代わりする負の自我を生み出してしまうのだ」

 母から貰った十字架に口づけるレイジを回想する。
 敬虔な気持ちに打たれ祈りを捧げる横顔は透明な神聖さを帯び、母から贈られた十字架かどれだけ大事なものか、レイジがどれほどマリアを慕っているかが如実に伝わってきた。

 愛が深ければまた、憎しみも深い。

 レイジと暴君は紛れもなく同一人物だ。
 しかしそれはあくまで表面上の問題だ。

 「これまではロンが暴君の抑止力となってきた。しかし一週間前、母の死を知ったショックで幼児退行を引き起こしたロンはレイジを離れ道了に付いていってしまった。ロンを失ったレイジは酷くダメージを受けみずからその精神を暴君に明け渡してしまった」

 レイジは脆い。
 強く儚く、脆い。

 ペア戦の時もそうだった。百人抜きの目標を掲げ死闘に臨むレイジを支えていたロンが暴君の表面化により恐慌を来たした時、絶望に苛まれたレイジは対戦相手を正視に耐えぬ残虐なやり方で血祭りに上げなお暴走し会場を混乱に陥れた。
 今再びロンを失ったレイジは、完全に暴君に乗っ取られてしまった。
 もはや聖書の言葉すら光をもたらすことない暗黒の深淵へ沈み込んでしまった。
 「……レイジを救えるのはロンだけなのに、肝心のロンがあの状態ではどうしようもない」
 固く指を握り締めて声を搾り出す。
 ロンもレイジも気がかりだ。
 道了の房に閉じこもってからというものロンは食堂はおろか強制労働にも姿を見せず完全に音沙汰を絶っている。どうやら道了が看守に賄賂を渡し黙認させているらしい。
 ロンが今どうしているか、道了に酷いことをされてないかと暗澹たる気持ちが胸裏に渦巻く。
 悲観したところでどうしようもないと己を叱咤するも、幼児同然の思考力しかもたぬロンが道了に犯される場面を思い浮かべるたび吐き気に襲われ自分の無力がやりきれなくなる。
 かといって道了の房を押し破ったところで、幼児化して最初に見た道了を保護者と誤認したロンが僕らの言うことをすんなり聞くとも思えない。
 ロンにショックを与えるような救出法はできるだけ避けたい、事態をややこしくするだけだ。
 「物理的な障害もある。道了の房の前は常に看守か囚人が見張っている、強行突破の際には見張りとぶつかる事態は避けられない。再び騒ぎを起こせば処分されるのはこちらだ、看守は道了から賄賂を貰ってるからな」
 僕ひとりならまだいい、しかしサムライは。
 続きは口には出さずにとどめるも表情の変化でサムライに伝わってしまったようだ。
 「………心配性はどちらだ」
 猛禽じみた双眸が柔和に凪いで光を溜める。
 いつも頑なに引き結んだ口元がかすかに綻ぶ。
 サムライがごくたまに見せる笑顔はひどく人間臭く素朴な温かみが滲んでいる。包容力溢れんばかりの笑みを直視するのが気恥ずかしく俯き、語気強く続ける。
 「君は以前にも独居房を経験している。友人を三回も独居房送りにしては天才の名誉が傷付く」
 サムライを三度もあんな場所に送りたくはない。
 あんな薄暗くじめじめとした悪臭充満する汚物溜めに、大事な友人を三度も送り込んでなるものか。 
 「三度目はなしだ。君がいいと言っても僕が絶対に認めない」
 一度目は僕を庇い二度目も僕を庇い、三度目はロンを庇って独居房送りの罰をあまんじて受けようとするサムライに対し前もって釘をさす。
 一度目と二度目で正気を保てたのが不思議なくらいなのだ。 
 どんなに大胆な囚人でも丸一日閉じ込められれば発狂に至るとまことしやかに囁かれる独居房で、後ろ手に手錠を嵌められたサムライが蒸れた臭気発する糞尿のぬかるみの中を芋虫の如く這い残飯に顔を突っ込むさまを思い浮かべ胸が悪くなる。
 「俺とて独居房はごめん被る。お前に独り寝などさせられん」
 不意打ちだった。
 組んだ手がほどけて乗せていた顎がおちる。
 「俺が留守をすると不埒な輩が押し入ってきそうでおちおち夢も見られん」
 「……僕の睡眠に配慮してくれるなら君はいないほうが有難いが」
 紛らわしい口を縫い合わせたい。
 脱力の吐息をつく僕になぜかしら複雑な顔を向けサムライが勧める。
 「斉藤は精神科医だ。門外漢の俺があれこれ口を挟むより奴の方が役に立つ。斉藤と面識があるならもう一度話を聞いてきてはどうだ」
 言葉とは裏腹に気乗りしない様子だった。
 声にも覇気がなく顔には憂鬱な翳りがさしている。
 サムライの態度に不審を抱きつぶさに表情を窺う。
 サムライは膝の上で拳を固め口元を引き結び沈痛に押し黙っている。込み上げる怒りを何とか飲み下し辛うじて衝動を抑制しているかのような眉間の皺が痛切な心中を物語る。目元と口端をひくひく痙攣させ、あらん限りの自制心を振り絞り最大限の譲歩を示したとばかりのその態度をいぶかしみ最大の疑問点を突く。
 「どうして斉藤を避ける?」
 「避けてなどおらん」
 間髪いれず答えるサムライに疑念が募る。
 否定が早すぎてわざとらしい。
 「僕が斉藤と会ってる時も自分は中まで付き合わず廊下で待っていたじゃないか」
 「消毒液の匂いが鼻につくのだ」
 しかしその顔は「本当に鼻につくものは違う」とでも言わんばかりに刺々しい苛立ちを滲ませている。とりつくしまもない態度に徒労の吐息をつく。
 サムライの苛立ちの理由がわからぬ僕は困惑するしかない。
 全身から抑制した怒気をたゆたわせ剣呑な眼光で虚空を睨むサムライの方へ若干身を乗り出し、辛抱強く懐柔にかかる。
 「以前にも話したが斉藤とは恵の件で文通していただけで実際に会ったのは一週間前が初めてだ。僕と彼とは特別親しい間柄ではない」
 「随分と話が弾んでいたようだが。俺を廊下に待たせておいて」
 「だから不機嫌なのか?」
 「そうではない」
 サムライがもどかしげに反駁する。
 言いたいことが上手く言えず歯痒いといった顔に焦りが生じる。
 語彙が豊富な僕とは違い普段から無口なサムライは自分の気持ちの核の部分を伝えあぐね四苦八苦、妙にそわそわと落ち着かない素振りで視線をさまよわせ弁解がましい口調で訥々と捲くし立てる。
 「俺はただお前と斉藤が話をするなら席を外したほうが無難だと判断しただけだ。俺はお前のように頭が良くないし斉藤のような専門家でもない、込み入った話をされてもさっぱり理解できん。どのみち俺がいても邪魔になるだけだ、話してわかったことは房に帰ってから教えてくれえればいい」
 「斉藤が嫌いなのか?」
 単刀直入に核心をつく。
 図星をつかれサムライが黙り込む。
 卓上に不均衡な沈黙が流れる。
 サムライは膝を掴み悄然とうなだれる。
 自分から斉藤との話し合いを提案しておきながら頑なに同席を拒む理由がこれで判明した。しかしサムライがろくに話したこともない人間を単なる印象だけで毛嫌いする狭量な男とも思えない。
 サムライが斉藤を敵視する心当たりがなく、僕は首を捻る。

 「わからないな。斉藤は確かに笑顔が胡散臭く三十路を過ぎてると思えないほど若々しく白衣も板についてない。現在は不在の医師に代わり外科医も兼任しているが正直そちらのほうは杜撰極まれりで骨折した患者に『痛み止めの薬だよ』と角砂糖を与えたとか、しかもその角砂糖を呑んで骨折が完治したとか、そもそもなぜ薬で骨折が治る医学的に不可能な奇跡の所業だそれはと突っ込みたくなるような荒業を駆使しているともっぱら評判だが、カウンセリングの腕に関してはこの僕も一目おくほどで『カラマーゾフの兄弟』を熟読している点からもわかるとおり本の趣味は悪くないぞ」

 けなしているのか褒めているのかわからない論旨になってしまったが、これでも一応弁護しているのだ。
 しかしサムライの表情は晴れぬばかりが次第に暗く沈みいかめしさをましていく。特に後半「僕も一目おくほど」の部分にさしかかってから明らかに表情が険しくなり眉間の皺が際立った。
 「第一印象で判断するのはよくない。君も斉藤と話してみればわかる」
 「断る。砂糖を薬を偽り患者を欺くヤブ医者に好感がもてるか。からまーぞふだか何だか知らぬが異国の文学にかぶれているのも気に食わぬ」
 「ドストエフスキーを馬鹿にするなら受けて立つぞ」 
 不穏な雲行きから逃れるようにサムライがトレイを持ち席を立つ。
 逃げる気か?
 文豪ドストエフスキーの代表作カラマーゾフの兄弟を馬鹿にしておきながら分が悪くなった途端に戦線離脱か?
 サムライを追いトレイを持ち立ち上がる。
 カウンターにトレイを返却し終えたサムライが雑踏に紛れ込もうと背中を向けるのに追いすがり肩を掴んで振り返らせる。
 「待て、斉藤を敵視する理由を聞いてないぞ」
 「医者が嫌いなのだ」
 「ヤブ医者とは仲良く将棋を打ってたじゃないか」
 「あれは珍しく馬が合ったのだ。将棋を嗜んでいたからな」
 「斉藤だって将棋をするかもしれないじゃないか」
 サムライが針のように目を細め、肩を掴んだ僕の手をやや乱暴に振り払うや大股に歩き出す。
 「将棋の心得があっても奴とは仲良くできん」
 肩越しに投げ掛けられた言葉に呆然とする。
 どうしてそこまで頑なになる?
 カウンターにトレイを返却し雑踏をかきわけ慌ててサムライを追う。一足先に廊下に出たサムライは階下へ向かっていた。ブルーワークの囚人は基本的に地下停留場のマンホールから下水道に下りる仕組みになっている。
 地下停留場へと向かう囚人の大群に紛れサムライとつかずはなれず歩きながら僕は懲りずに食い下がる。  
 「斉藤の意見を仰ぐのは僕も賛成だ。ロンとレイジの処遇について彼なら適切なアドバイスをくれる。もちろん君も一緒だ、サムライ。提案者が同行するのは義務であり責任だ」
 「途中まで共に行く。しかし医務室の前までだ。直接話し合うのはお前ひとりで十分。俺は用心棒の務めを果たすのみ」
 「医務室の中には危険がないとでも?突如地震が起きて僕が棚の下敷きになったらどうする?」
 「俺がとんできて守る」
 「扉を開けて駆け付けるまでの致命的ロスを考慮に入れろ。さらには地震でドアが傾ぎ開けられない場合を考えろ」
 「その時は……」
 「なんだ?」
 歩調を落としサムライが言い澱む。
 サムライの隣に並び有無を言わさず横顔を凝視する。
 僕の視線に先を促されたサムライが渋々といった感じで付け足す。
 「……斉藤が守ってくれるだろう」
 「僕は君に守って欲しいんだ、サムライ」
 サムライが驚きに打たれて顔を上げる。
 サムライの視線を挑むように受けて深呼吸、一歩二歩と間合いを詰める。
 「いいか、二度言わせるなよ」 
 正面に立ちサムライを見据える。
 今度は逃げることも目をそらすこともなく唇を見詰める。
 一昨日から過剰に意識していた唇を間近で凝視、一週間前に触れたその感触をまざまざ反芻し不思議な恍惚を呼び起こす。

 この唇が僕に触れた。
 触れた箇所からもどかしい熱が伝わってきた。

 サムライの唇は全然不快ではなくむしろ不思議な心地よさをもたらした。確かに守られているという実感、心を許した人間に対しのみ感じる親密な愛情が重なり合った唇から流れ込み全身の骨が溶け入るような甘美な恍惚感に溺れた。
 雑踏行き交う廊下の真ん中で立ち止まりサムライと見つめ合う。
 強制労働の現場へと急ぐ囚人らに追い越されるがままにサムライと対峙し、無造作に手を伸ばしひったくるように胸ぐらを掴む。
 疑問の色を乗せた視線をまっすぐ受け止め、宣言。
 「僕に触れていいのは世界で君だけだ」
 たじろぐ気配が伝わってくるも構うものかと開き直り、胸ぐらを掴んだ手をぐいと手前に引く。
 均衡が傾ぎ、前のめりにたたらを踏んだサムライの唇を素早く奪う。
 ほんの一瞬掠めるだけのキス。
 「僕の唇を奪う特権を持ち得て誇りに思え」
 そっけなくサムライを突き放す。
 一瞬だけ掠めた唇の感触は幻のようでいて、そうでない証拠に誠実な熱を伴っていた。  
 上着の下で心臓が早鐘を打つ。
 注意深く周囲を窺い今のキスが誰にも気付かれなかったことを確かめ安堵する。
 予め通行人の死角になるよう計算し素早く実行したのだから当たり前、天才の計算に狂いはない。
 動悸の高鳴りを持て余し赤みがさした頬を悟られぬよう力を込めて唇を拭う。
 サムライはしばし呆然としていたが、緩慢な動作で唇に人さし指をやり縁沿いになぞり、何か言おうと口を開きかけ……
 「朝早くから不純同性交友とはね。まずいところを見ちゃったな」
 場違いに呑気な声が届いたのは、その時。
 何事か言葉を発しようとしたサムライを遮り、廊下の奥から現れた白衣の医者が片手を挙げてこちらにやってくる。
 鳶色の髪を真ん中で分けた軽薄な髪形、常に穏和な笑みを絶やさぬ若々しい風貌。
 一点の染み汚れもない白衣を颯爽と翻し足取り軽くこちらにやってくる男の姿に驚くも、サムライがすかさず立ち位置を移動し僕を背に庇う格好で睨みを利かせる。
 サムライの非友好的な視線を苦にせず靴音響かせて歩いてきた白衣の男は、サムライの肩越しに一瞥くれ、意味深に微笑みかける。
 後ろ暗いものを隠し持つ共犯者めいた笑顔。
 「今見たことは副所長に言わずにおくよ。心臓に悪いからね」
 噂をすれば斉藤だ。 


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少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050308220907 | 編集
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