月天心が消滅し残党狩りが始まった。
「道了逃げて!」
荒々しい足音が近付いてくる。
激しく争う物音が近付いてくる。
廃材が瓦解する耳障りな多重奏に掠れた悲鳴がまじわる。
金属の棒がコンクリ壁を擦るとき特有の尖鋭的な高音が鼓膜をひっかく。
何者かが複数で乗り込んできた。
その何者かを目視するより先に結論を下す。
敵だ。
廃材を積み重ね封鎖した出入り口を突破しアジトを嗅ぎ出し潜入したのは、月天心残党狩りに固執する少年らだ。
敗者をさらに追い詰め根絶やしにすることに嗜虐的な興奮を覚える連中が、月天心の残党を完全に駆逐し新たなる池袋のトップに成り代わろうと乗り込んできたのだ。
月天心の元首領とて例外ではなく真っ先に残党狩りの槍玉に上げられた。
道了の首には賞金が賭けられている。
勿論正規の賞金ではない、池袋界隈をうろつく台湾・中国双方の不良どもが酔狂でかけたものだ。
いまや道了は台湾系・中国系双方から追われる立場となった。
かつて池袋一の武闘派チームの首領として名を馳せ、台湾系スラムで生まれ育った貧しい少年たちの憧れのカリスマとして祭り上げられた身が、月天心の消滅と同時に一転追われる立場となった。
堕ちた英雄を待ち受けていたものは、敵と味方双方からの迫害。
否、今の道了に味方はいない。
かつての月天心のメンバーは殆どが狩られてしまった。
警察に逮捕されたメンバーはまだしも幸運なほうで、残党狩りと称し月天心の元メンバーを迫害し凄惨なリンチを加えるのがこの界隈で流行っているのだ。
離散したかつてのメンバーを呼び集め、月天心を再結成させる力は今の道了にはない。
「………」
上体を立てた拍子に腕に巻いた包帯がぱらりとほどける。
浅いまどろみから醒めた道了はぎこちなく首を傾げ、壁に沿って視線を巡らす。
無味乾燥な方形コンクリートの部屋、天井の一部には穴が穿たれそこから階上の様子が窺える。
天井が崩落した部分から、床に埋蔵されていた赤と青と黒のコードと故障したネオン管が複雑に絡み合い垂れ下がる。
青白い火花を散らし放電するネオン管が照明の代わりとなり、闇に沈んだ部屋の様子をぼんやり照らし出す。
青白い薄明かりに浮かび上がる壁一面を埋め尽くす卑猥なスラング、迷信深い老人が聞いたら卒倒しかねない台湾語の呪詛。
真っ赤なペンキで殴り書きされた猥褻な単語が埋め尽くす壁の隅に傾いだドアが取り付けられている。
ドアの隙間から異臭をのせ生ぬるい風が入ってくる。
生ゴミとドブの匂いがする湿った風だ。
かすかに大気中に沈殿する消毒液の匂いが鼻腔を突く。
よくよく暗闇に目を凝らしてみれば壁際によせた棚に茶褐色の硝子瓶が並び、マットレスの裂け目から綿とスプリングがとびだし使い物にならない状態のパイプベッドが二台埃を被っている。
道了が寝ているのはそのうちの一台、右側のベッドだ。
大分様相が変わっているが、この部屋には見覚えがある。
漠然たる既視感を覚え部屋を見渡す。
壁に面した机と向き合う形でおかれた丸椅子を見詰めるうちに、忘却の彼方から余韻を帯びて懐かしい声が響く。
『残念ながら手の施しようがない』
『ケチなヤブ医者が運営するチンケな診療所じゃどうしようもないよ』
『頭を開き破片をぬきとるのは難しい手術だし金がかかる。何よりワシみたいなしがない闇医者にそんな大掛かりな手術できっこない。……まあ刺さってる部位が部位だけにどんな天才外科医だって手こずるだろうがね』
『この子は頭に爆弾を抱えてる。どうせ長くは保たんさ』
含蓄深く教え諭す人物の姿をもとめ向き直るも、埃をかぶった椅子にはもう長らく人が座った形跡がない。
自分は以前たしかにここに来た。
しかしいつだったか思い出せない。
何年か前……おそらく子供の頃、道了がまだ月天心を結成する前だ。
正確な日時は特定できない、月天心結成より以前の記憶はなぜだかひどく色褪せ奇妙に虚構めいてだれかにむりやり押し付けられたような違和感ばかりがつきまとう。
月天心結成より前の記憶は殆どない。
気付いた時にはただひとり路上に立っていた。
ある日突然虚空から生み出されたように、荒廃した町をあてもなくさまよいあるいていたのだ。
わずかに残された月天心結成以前の記憶をひとつひとつ辿ってみる。
故意に捏造されたような少しも愛着が湧かない記憶。
不鮮明にぼやけた両親の顔、おそるおそる頭に触れる手、酒瓶が割れ砕ける音と怒鳴り声、遠く近く大地と大気を震わす爆撃の轟音……
断片的な映像がカシャカシャと脳裏を過ぎる。
人間なら当然両親がいたはずだ、物心つくまで自分を育て躾けた親がいるはずだ。
しかしその顔すら覚えてない、思い出せない。
『この子は頭に爆弾を抱えてる』
『成長するにしたがい障害がでる』
『あるいは感情が磨耗していくかもしれない』
『視神経に欠片が刺さって、そのまわりに腫瘍ができて脳を圧迫してるんだよ』
声が歪曲し鼓膜に跳ねる。
一体だれが喋ってるんだ?
うるさい、耳障りだ。
片手で頭を支え起こしふらつく足取りで降り立つ。
硝子の破片と廃材ととぐろを巻いたコードが埋め尽くす床の惨状にも顔色ひとつ変えず、右手で頭を支え左手を壁に添えゆっくり慎重に歩きだす。
一歩踏み出すごとに嗚咽が高まる。
うるさい、うるさい、うるさい……
「いい加減出てこい道了、これ以上手間とらせんならこっちにも考えがあんぞ!」
「きゃあっ」
服が裂ける甲高い音に続く性急な衣擦れの音、一音階高まった梅花の悲鳴が、この部屋に至る廊下の半ばで何が行なわれているかありあり想像させる。
激しく揉み合う気配とともに伝わってくる囚われの身の恐怖と焦燥が梅花が今現在おかれた状況を何より切実に代弁する。
「お前の女をマワして捨ててやる!」
「お前のような死にぞこないが女を満足させられるわきゃねーよな道了、こないだの抗争で命が助かったのが奇跡なんだよ、とっととおっ死んでりゃよかったものをさあ……ッたくしぶてーったらありゃしねえ、お前が大人しくおっ死んでりゃ今頃池袋は俺らの天下だったのによ」
「漸く居所を突き止めたぜ、まさかこんな地下に隠れ潜んでたあな……さすがに警察も気付くまいってか?アイツらこの辺の地理にゃてんで疎いからなあ、大昔の地下街のあとに池袋最凶最悪とうたわれたチームのボスが潜伏してるなんざ考えもしなかったんだろうさ」
「穴ぐら生活のご感想をぜひ聞きたいね」
「おい、あんま無駄口叩くな。十年前に毒ガス騒ぎが起きて住民全員立ち退かされたいわくつきの場所だぜ」
「マジかよ?」
「前にここに住んでた奴から聞いたんだ、間違いねえよ。……畜生、念のためにマスクしてくるんだったな。ほら、変な匂いすんだろ?」
「お前の屁だろ」
「そンならとっととやることやって上に帰らねーとな。長居は無用だ」
「だとさ。聞いたかよバカ女、騒げば騒ぐぶんガス吸って寿命が縮むんだから大人しくその口閉じとけ。っと、喘ぎ声は別ね」
「声あげなきゃつまんねーよ」
「お、こいつ顔はぱっとしねーけど脱いだら案外イケてるぜ」
廊下の向こうで哄笑が弾ける。
頬を張る音が連続し啜り泣きが徐徐に弱まっていく。
廊下に転がされ必死に抵抗する梅花の上に欲情に鼻息荒くした少年がのしかかり乱暴に乳房を鷲掴む映像が目に浮かぶ。
梅花の悲鳴が聞こえる。
半狂乱の体を見よじり己にのしかかる少年を振りほどきにかかるも往復で頬を張られ痛ましい嗚咽を漏らす、道了の脳裏でその映像がくっきりと結実する。
道了は迅速に行動を開始する。
靴の爪先が固い物にあたる。
視線をおろせば鉄パイプにぶつかる。
中腰の姿勢に屈み鉄パイプを手にとるや感触をたしかめるように五指を開閉、ついで壁の上方に設けられた通風孔を見る。
等間隔に鉄格子の嵌まった通風孔に顔を近付ける。
埃っぽい暗闇が道了を出迎える。
道了の決断は早い。
頭上30センチの通風孔におもむろに手を伸ばすや鉄格子を掴み軽く力を込める。
腕の筋肉に微電流が走る。
掌中の鉄格子がギシリと音をたて錆が剥落、顔におちかかる。
道了が無造作に捻っただけでもとより錆びていた鉄格子はあっけなくはずれ、人ひとりが辛うじて身を捻じ込める隙間ができる。
「道了、逃げて、逃げて!」
「うるせーんだよこのアマっ、売女は売女らしく男に組み敷かれて喘いでろ!」
「服も下着もぜんぶ剥いじまえよ」
「ははっ、こいつ見かけによらず陰毛濃いぜ。見ろよ、ねっとり指に絡みついてくらあ」
「やだ、やめ、やっ……ひあっひうひあ、」
下劣な嘲笑が嗚咽をかき消す。
軽く床を蹴り直上に跳躍、強靭なバネを駆使し猫のような身ごなしで通風孔に滑り込む。
音もたてず通風孔に滑り込み、腹這いで暗渠を進む。
長年封鎖されていた通風孔の中は薄暗く埃が沈殿している。
道了は鉄パイプを体の脇に引き付け、潜伏に慣れた傭兵の如く通風孔の中を這い進み、物音が聞こえる方角へ接近する。
物音が次第に大きくなる。
やがて乏しい明かりが鉄格子の隙間から射しこんでくる。
等間隔に並んだ鉄格子が正面に現れる。
鉄格子を嵌めた窓の向こうには細長い廊下が伸び、数人の少年たちが一人の女によってたかって群がっている。
最初に目が捉えたのは、足。
しどけなく捲れたスカートから伸びた足がしきりと床を床を掻き毟り、その足を一人の少年がむりやり押さえ付け舌を這わせていく。
スカートが腿の付け根まで捲れ、肉付きの良い足が天井へと伸びる。
ひどく扇情的な光景にもなんら反応を示さず、闇の中で銀と金の瞳を冷徹に光らせ、道了はじっと機を窺う。
捲れたスカートから剥き出しとなった太股に黒い痣を見つける。
あれは梅花だ。
梅花の足だ。
「やめっ、お願いやめ、変なところさわらないでお願いだから……道了お願い逃げて私のことはいいから逃げてちょうだい、あなたまだ怪我が全快してないんだから捕まったらおしまいよ他の仲間と同じようにリンチで殺されてしまうわ、お願い道了逃げてあなたまでいなくなっちゃったら私、わたし……」
「ぎゃあぎゃあうるせえ女だな!」
いつまでたっても抵抗衰えず道了の名を呼び続ける梅花に激怒し、今しも梅花にのしかかり下着を剥ぎ取ろうとしていた少年が拳を掲げる。
勢い良く振り上げられた拳を前に、梅花の声色が激変する。
「おなかは殴らないで!」
それまでの弱々しい嗚咽とは違う毅然とした叱責。
断固譲れぬものを持った凛々しい声音。
その一瞬、鉄格子の向こうの少年らが膠着する。
「なん、だよいきなり……」
慰み者として軽んじていた女に面と向かって叱責をうけ、主犯格の少年が気圧される。
少年らがたじろぐ気配が空気を介し伝わってくると同時に、通風孔の中で息を潜めていた道了は行動に出る。
体の脇に引き付けた鉄パイプを勢いをつけ鉄格子の隙間から放擲する。
「うあっ!?」
「なんだこりゃ!?」
鉄格子の隙間から滑り出た鉄パイプはけたたましく床に落下、数秒間だけその場の全員の注意を引き付ける。
道了にはその数秒で十分だった。
床に落下した鉄パイプが動きを止めぬうちに鉄格子を拳で殴打、長い歳月を経て酸化した鉄格子は一撃で根元からへし折れ赤錆の剥片をまきちらし床を打つ。
指輪で補強した拳で鉄格子を叩き折り、颯爽と通風孔から躍り出る。
顔の前で腕を交差させ猫のように身を丸め中空で一回転、靴裏と床が接する音も涼やかに俊敏に着地。
顔の前からゆっくりと腕を払う。
ネオン菅の光に浮かび上がる精巧な人形じみた顔の中、金と銀の瞳が妖しい光を放つ。
「こけおどしだ」
あたりを威圧する眼光、あたりを払う威風。
冷え冷えと殺気を吹かせて廊下に降り立つや、半裸に剥かれた梅花をつまらなそうに一瞥、依然梅花に跨ったままの少年へ視線を転じる。
突如天から降ってきた道了に驚愕し、口を閉じ忘れた間抜け面の少年に静かに告げる。
「目障りだ」
しなやかに足を一閃、首を刈る。
「っぶふっ!?」
少年が、飛ぶ。比喩ではなく文字通り飛ぶ。
道了が無造作に放った蹴りを首に食らった少年はその衝撃で壁に激突、まだ生きていたネオン菅もろともに凄まじい音たて崩れ落ちる。
優雅に弧を描いた足を引き戻し、壁にめりこみ沈黙した少年にはもはや一瞥もくれず、道了は威厳を帯びて立つ。
「道了……!」
「俺の玩具を横取りするな」
梅花の目に涙が溢れる。
乳房を庇い座り込む梅花、そのまわりに真新しい包帯と脱脂綿が累々と転がっている。
少し離れた場所に落ちた袋からはミネラルウォーターのボトルと上の市場で買ったとおぼしきパック入りの惣菜が覗く。
周囲の惨状から察するに、替えの包帯と食糧を上にとりにいった際に残党狩りの不良どもに目をつけられたものらしい。
梅花はひどい有り様だった。
顔は何回も殴られ痛々しく腫れ上がり、切れた唇の端に血が滲んでいる。
体の奥底で不快なものが蠢く。
「梅花に手を上げていいのは俺だけだ」
あるいはそれは、道了自身すら自覚しない怒り。
独占欲。
「汚い手で人の女にさわるな」
「うあああああああああああぁああああああああああああ!」
次の瞬間、仲間を瞬殺され暴発した少年らが一斉に襲い掛かる。
口々に唾飛ばし奇声を発し、あるものは懐からサバイバルナイフを抜き放ちあるものはスタンガンを構えあるものはブラスナックルを拳に嵌め、無防備に立ち尽くす道了めがけ怒涛を打つ。
「やめて!!!」
梅花が血相替えて叫ぶのを無視、かつて月天心の首領として君臨した男を誅しみずからが次代の王となるべく野望を抱いた少年らが殺意を滾らせ得物を振るう。
道了は依然無防備に立ち尽くしたまま、体温の伴わぬ金と銀の瞳で少年たち一人一人の動向を読む。
機械のように正確に敵の動きを捉え得物の軌道を予測し、最小限の動きをもってその軌道から脱することでなんなく危機から逃れる。
「蝿が」
瞬きせぬ目に倦怠の色を映し、嘲るように呟く。
「いつまでも調子のってんじゃねえ負け犬が!!」
もっとも体格の良い少年が道了の懐にとびこみブラスナックルを嵌めた拳を振り上げ罵倒を浴びせる。
「お前はもう過去の人だ、地上に帰ったところでどこにもお前の居場所なんざねえんだよ!月天心は中国人との抗争に敗れて潰れた、生き残ったメンバーもちりぢりになってサツにびくびくしながら暮らしてる!今更お前が帰ってきたところでだあれも喜ばないんだよ、お前の時代はとうに終わっちまったんだよ!」
「災難だったな道了。でも同情はしねえぜ、ざまーみろだ。厄介者の半々なんぞを物好きにも招き入れるからこんなことになるんだよ。上じゃその噂でもちきりだぜ、池袋最凶最悪の月天心のリーダーが半々のガキに裏切られてチームもろとも自滅したってな!」
半々のガキ。
ロン。
癖の強い黒髪と三白眼をもつ少年が脳裏に浮かぶ。
「よりにもよって中国人の血引くガキに爆弾もたせるなんざどうかしてるぜ、巷に名高い月天心のリーダーもヤキが回っちまったって街の連中が言ってるよ!聞いた話じゃ月天心の連中はお前含めてみんなそいつに辛く当たってそうじゃんか、だからだよだからさ、可哀想な半々はお前ら全員に仕返ししてやろうとわざと爆発のタイミングがずれた手榴弾を懐に入れ持ち込んだんだ、味方も敵もぜんぶ後腐れなく肉片にしちまうためにさ!」
「お前はそんくらい恨まれてたんだよ道了、かつての仲間に本気で殺したいほど憎まれてたんだ、お情けで仲間にいれてやった半々に恨まれて今じゃこのザマだ、残党狩りの的にされて女と一緒に逃げ回る日々だ!」
「ざまーみろ、お前は最初からスカしてて気に入らなかったんだよ!」
「お前が消えたあとは俺たちが池袋シメてやっから壊れたお人形さんは大人しくねんねしな!」
容赦ない嘲笑を浴びせる少年らに囲まれ、道了は呆然と自問する。
ロンが俺を裏切った?
「違う!!」
道了を一瞬の放心から現実に引き戻したのは、悲痛な叫び。
声がした方を見る。腰砕けに座り込んだ梅花が引き裂かれた胸元を庇い、憤怒の形相で少年たちを睨む。
激情に目を潤ませ頬を紅潮させた梅花は、その瞬間ハッとするほど美しかった。
「でたらめ言わないで、ロンはそんなことしないわ、あんたたちがロンの何を知ってるっていうのよ!?何も知らないくせに勝手なこと言わないで、ロンはあんたたちが言うような最低の奴じゃないんだから、喧嘩っ早くて生キズが絶えなくて心配させてばっかりで、でもすっごくお人よしで、口が悪いけど優しくて、私が泣いてたら何も言わず肩にジャンパーかけてくれて……美人が台無しだって言ってくれたの、そんなに泣いたらお化けみたいに目が腫れて美人が台無しになっちまうって言ってくれたのよ私に、ロンが言ってくれるまでだれからも美人だなんて褒められなかったのに、涙と鼻水と鼻血でぐちゃぐちゃで、おまけに痣だらけのお化けみたいな私の顔をまっすぐに見て、美人だってそう言ってくれたのよ!!」
梅花は叫ぶ。
伝えきれなかった想いを込め、もう会うこともないロンに溢れんばかりの愛情と哀切を込め、声振り絞り叫ぶ。
「あんないい子ほかにいないわ、あんな優しくてかっこいい子どこさがしたっていないわよ、ロンが月天心を潰したなんてでたらめもいいとこだわ!」
必死にロンを弁護しながら痛みを堪えるように顔を歪め、荒い呼吸の狭間から掠れた声を搾り出す。
「だって、だって、月天心を潰したのは……」
見開かれた目に恐怖が凝結する。全身を戦慄かせた梅花の異常を悟り道了が眉根を寄せる。
その隙をつき先頭の少年が風切る唸りを上げ鉄パイプを振りかぶる。
猛然と振り抜いた鉄パイプが残像を曳き、道了の眉間に影を落とす。
道了の頭蓋骨が陥没する光景を幻視し、梅花が口元を覆う。
しかし実際にはそうはならなかった。
「っあ!?」
思い切り腕振り下ろした少年だが、鉄パイプはむなしく空を切り床を穿つ。
自重に振り回された鉄パイプが床を削るのに愕然とした少年は、突如眼前から消失した道了をさがし血走った目を右に左へ移ろわせる。
最前までたしかにいた、目の前にいた。
しかし今はいない、消えてしまった。
一体どこにー……
「ここだ」
耳の裏側に吐息がふれる。
機械じみて平板な声音が死刑を宣告する。
振り向きざま少年の額に拳が炸裂、額が割れて血が迸る。
鉄パイプの自重に振り回され前のめりに姿勢を崩した少年とすれ違いざま体を入れ替え、死角をとった道了が拳を見舞う。
額に走った激痛に少年は絶叫、目に流れ込んだ血のせいで視界が煙りぶざまによろめく敵に道了は追い討ちをかける。
少年が狂乱しめちゃくちゃに振り回す鉄パイプの下をスッとくぐりぬけるや、がら空きの鳩尾に拳を叩き込む。
「くっそおおおおおおお、舐めんじゃねええええ!」
怒り心頭、残り二人がナイフとスタンガンを掲げ迫り来る。
道了はこれを余裕で待ち構える。
廊下のど真ん中に立ち、特に構えをとるでもない抑制した動きで敵の攻撃を受け流す。
「月天心はとっくに潰れちまった、お前の味方はもうどこにもいねーんだよ!」
「サツから逃げ隠れして地下に潜ったところで捕まるのは時間の問題だ、ならせめて俺たちの踏み台になれよ!」
かたやスタンガンの出力を最大に上げかたや大ぶりのサバイバルナイフを突き出し急所を狙う。
右から左から正面から交互にまたは同時に突き込まれるえげつない攻撃を道了はいささかたりとも動じず平然と受け流す。
明かりはネオン菅のみという薄暗さに加え、廃材とゴミに覆われた通路は起伏にとんで動きにくく、初めて足を踏み入れた少年らは地の利にうとく苦戦せざるをえない。
一方道了は廃材に蹴躓くことなく、間一髪というきわどいところでスッと重心を操作し凶器をかわし、動きを最小限に抑えているせいか依然その顔に疲労の色はない。
道了が右に左にずれるのに合わせ、銀と金の瞳が玲瓏と残光を曳く。
能面じみて端正な顔に淡白な表情をのせ、腕に絡み付く包帯をはためかせ、二人して自分に襲い掛かる少年らを翻弄する。
道了が低い声で呟く。
「蝿だ。まるで蝿だ。羽音がうるさく耳障りだ、ちらちら俺の目の前をとぶんじゃない」
挑発に乗った少年が猛り狂った怒号とともにナイフを振り上げた刹那その懐にもぐりこむ。
大仰な動作で腕を振り上げた少年は、ほんの一瞬の隙に信じられぬ瞬発力を発揮し道了が肉薄したことに愕然とするも時すでに遅し。
道了の腕が伸び、無造作に肩を掴む。
少年はいざナイフを振り下ろそうとしたがそれも間に合わない、道了が一瞬のうちに肉薄したため思考が硬直し判断が遅れる。
そして道了は言った。
恐怖と焦燥に歪む少年の顔を冷ややかに見つめ、酷薄に目を光らせ。
假面の異名に違わぬ凍結した顔で。
「はずれろ」
ごぎん。
「ひぎゃあああああああああああああああああああっ!!?」
一瞬の早業。
肩がはずれ腕の関節が不自然に伸びる。
使い物にならなくなった腕からナイフが落下、床にあたり澄んだ音を奏でるのをすかさず蹴り飛ばし、問答無用で少年の胸ぐらを掴み腰に捻りを加える。
流すように少年を背負い、そのまま一気に投げ飛ばす。
轟音、振動。
「消えろ。蝿め。目障りだ。うるさい」
衝撃に廊下が揺れる。壁に振動が走りネオン菅が不規則に明滅する。
「ひぅ、ひっ、ひっ、ひっ……おひぇのはにゃがあ……はにゃがめりこんしまっは……」
歯の欠けた口と折れた鼻から大量の血を垂れ流す少年の横から次なる刺客がとびだす。
「沈め人形!!」
ネオンの光を弾きブラスナックルが輝く。
まともに食らえれば鼻骨が粉砕される一撃を、道了はぎりぎりまで引き付けてからふいとかわす。
円滑な動作で顎を斜角に傾げれば、今まさに頬げたに叩き込まれんとした拳は目測を誤りむなしく虚空を穿つ。
体勢を立て直す暇も与えず冷ややかな囁きが耳朶を打つ。
「足元をよく見ろ」
視界の端を掠めたのは、硝子の瞳もつ人形の顔。
次の瞬間、ブラスナックルを嵌めた少年はがくんと膝を折る。
「っお、っあがああああああああっあああああああああああ!!!」
何が起こったのかわからず動転する。
わかるのはただ太股を鋭く尖った鉄パイプが貫いているということ、鉄パイプの刺さった部位からじわじわと血が染み出しふくらはぎを伝うー……
「足元を見ろ。注意がおろそかだ」
道了が嘲りを含んだ目で少年を突き刺す。
自分の身に何が起きたか察し戦慄に打たれる。
大きく腕を振り被ったまさにその瞬間に道了の足が動き、鉄パイプを器用に跳ね上げ膝裏から貫通させたのだ。
膝裏から太股に抜けた鉄パイプが赤黒い血に染まる。
血にぬれそぼる足をひきずり逃走をはかるもその場に転倒、少年が凄まじい声あげめちゃくちゃに身悶えるたびブラスナックルが床を擦って筋を付ける。
「ば、馬鹿な……こっちは四人もいるってのに、お前は大怪我してろくに動けねえはずなのに、こんな圧倒的なのって……」
最後に残された少年が息を呑む。
周囲には累々と仲間が倒れている。
最初四人いた少年たちは今や最後の一人を残すのみとなった。
震える手にスタンガンを握り、数の原理をものともせぬ圧倒的実力差におののく少年と対峙し、道了はうっそり問う。
「コンクリートの味を知りたいか」
凍結した双眸に氷塊を沈めるように狂気が閃く。
腕に巻いた包帯がぱらりとほどけ宙に垂れる。
かつて假面の名で呼ばれ畏怖された男が、抵抗勢力の残党を根絶やしにせんと冷え冷えと靴音を響かせ迫り来る。
「人間じゃねえ……完っ全にいかれてやがる……」
追い詰められた少年の喉がぐびりと音をたてる。
「知っている」
道了は無表情に応じる。
「くそっ、くそっ、くそっ……あともうちょっとで池袋のトップに立てるってのにこんなとこで終わってたまっかよ、お前の首を持って帰りゃ俺は晴れて池袋のトップになれるんだ、あの假面を超える英雄として認められるんだよ!なあいいだろ道了代わってくれよお前はもうさんざん美味しい思いしたんだからそろそろ退いたっていいだろなあ、始まりがありゃ終わりもあるのが物事の道理ってもんさ、いくらお前が老いねえ衰えねえ永遠の人形だっていついつまでも月天心のトップ張り続けるなあ無茶なんだよ!!」
「月天心は俺が作ったチームだ。横取りは許さない」
「わかんねーお人形さんだなあ、月天心はもうねーんだよ、お前が拾った半々のせいで仲間もろともつぶれちまったんだよ!」
いつはてるともない会話に業を煮やし、窮地に陥った少年が腕薙ぎ払う。
掌中のスタンガンがばちりと爆ぜる。
出力を最大に上げたスタンガンを体前に掲げ、しとどに脂汗に塗れた顔に醜い笑みを浮かべ、少年は言う。
「感電死しな。電池仕掛けの人形にゃあふさわしい最期だろ」
転瞬、疾駆。
凶器のスタンガンで行く手を薙ぎ払い全力疾走する少年が目指すはよけもせず構えもせずただただ無防備に立ち尽くす道了。
廃材を踏み砕き大股に走る少年、行く手を薙ぎ払わんと無軌道に振り回すスタンガンから火花が爆ぜー……
「踊れ」
能面じみた無表情を毫ほども崩さず、道了がえもいえず優雅な動作で腕を振り上げる。
その手が壁のネオン菅を掴み躊躇なく叩き落とす。
「!?ぎゃあ、」
勢い良く床に落下したネオン菅が断線し放電現象が起こる。
道了まであと3メートルの距離にまで迫った少年の足元に稲妻が走り、スタンガンが暴発。
持ち主はひとたまりもない。
「道了、火が!」
スタンガンから散った火花が廃材に燃え移り、昏倒した少年たちの衣服までもが延焼する。
道了は感情を映さぬ瞳で、死屍累々と倒れ伏す少年らとちりちりと火にくべられる自身の包帯を見比べる。
「なにしてるのよ道了逃げるのよ、はやくしないと煙が回っちゃうわ!」
廊下は阿鼻叫喚の惨状を呈する。
体を蝕む熱で目覚めた少年らが狂乱の体で炎をはたきおとしにかかるも既に遅く、髪にも服にも燃え移ってしまっている。
「なんだよこれあちぃよあちぃよなんで俺が燃えてんだよ嘘だろ嘘!?」
「畜生消えねえよ何だよこの火こっちくんじゃねえよ、あちぃよ、だれか、だれかぁ……」
半死半生這いずる少年たちを生き物の如く炎が覆っていく。
肉の焦げる悪臭と黒煙が充満する廊下に立ち尽くす道了のもとへ、破れた胸元を庇った梅花が必死の形相で駆けてくる。
「走って!」
もはや身なりを気にする余裕もなく髪振り乱し駆けてきた梅花が、いつになくしっかりした声で急きたてる。
道了は虚ろな目で炎を見詰める。
現実に廊下が炎に包まれつつあるというのに火の熱さも何も感じず、目の前で炎に呑まれていく少年らの哀願にも反応を示さず、廃材を糧に轟々と燃え上がり天井を舐めるまでに成長した炎をただじっと見詰めるばかり。
「梅花」
「何!?」
語気鋭く聞き返す。
道了の包帯に燃え移った火をはたきとおし、黒焦げの包帯を苛立たしげに振り捨て、道了を助けようと一心不乱にー……
「………あれは何色だ?」
梅花の顔が絶望に凍る。
「色なんてどうだっていいじゃない!!」
道了は相変わらず炎を見つめている。
轟々と唸りを上げ火勢を増し天井を舐め尽くす炎と向き合い、
炎に炙られながら微動だにせず、
いつまでもいつまでもいつまでもー……
見えざる赤に魅入られたように。
「私、なの」
か細く震える声。
「…………………」
何を言っているのか理解できず、胡乱げにそちらを向く。
梅花が、いた。
火の手の回り始めた廊下に立ち尽くし、煤けた手で皺が寄るほどスカートを握り締めかたくなに俯いている。
「ロンのせいじゃないわ。私が原因なの」
「何のことだ」
悄然とうなだれる梅花の足元に炎が忍び寄る。
邪悪な舌をのばし梅花をとらえようとする炎を醒めた目で眺め、そっけなく促す。
「何のことだ?」
「月天心壊滅の原因」
轟々と炎が唸りをあげる。
廃材を糧に面積を広げ犠牲者を飲み込み、今や壁をこがし天井を舐めるほどに巨大化した炎に横顔を染め、梅花は搾り出すように続ける。
「用意していた武器の中に不良品の手榴弾をまぜたの。月天心が中国人とぶつかるって聞いて、皆があちこちからかき集めた武器の中にこっそり例の手榴弾をまぜたの。誰の手に渡るかはわからなかった。見た目は他の手榴弾とどこも変わらないんだもの、わかるわけないじゃない。ロンは関係ないわ、ロンは本当に知らなかったの、ロンは何も悪くないの。全部私一人でやったことよ。
ロンと道了だけは無事ですむと思ったの。
確かに不良品の手榴弾だけど威力がどの程度か予測できなくて、素手で十分強い道了は手榴弾使わないし、ロンはロンで飛び道具は卑怯だから使いたくないって言ってたし……道了とロンだけは大した怪我もなく生き残ると思ったの、二人とも立場こそ違えど月天心内で孤立していたから爆発の時も他の面子とは違う場所にいると思ったのよ」
廃材が瓦解する音が空疎に轟く。
酸素を取り込み飽食を知らぬ怪物の如く膨らむ炎が、瓦解の余韻をもまた覆い尽くし一面を焦土と化す。
「月天心の連中も中国人も、みんな死ねばいいのにって思った」
梅花の顔が苦渋に歪む。
痛みを堪えるように下唇を噛み、激しくかぶりを振る。
「道了とロン以外死んじゃえばいいって思った、月天心なんかなくなっちゃえばいいのにって。月天心がなくなれば道了はいつも私と一緒にいてくれる、戦いで傷付かずにすむ。ずっと不安だった、いつか道了が死んじゃうんじゃないかって。中国人とか台湾人とかつまんないことでいがみあって馬鹿みたい、静かに暮らしたくてわざわざ日本まで逃げてきたのにどうしてそこでまた争うのよ、どっちの国が偉いとか強いとかどうだっていいじゃない、たんに暴れる口実が欲しいだけじゃないの。ずっと怖かった、びくびくしてた。明日にも道了がだれかに刺されて死んじゃうんじゃないかって一晩中眠れなかった。月天心なんか解散すればいい。そしたら道了は怪我しなくてすむ、つまんない抗争に巻き込まれて死なずにすむもの」
『お前、可哀想だな』
懐かしい声が鼓膜の裏に響く。
癖の強い黒髪と三白眼の少年の顔が脳裏で結像する。
ロン。
お情けで月天心に入れてやった半々。
不良品の手榴弾を投げて相手チームともども月天心を壊滅させたガキ。
違う。
犯人はロンじゃない。
犯人はー……
そこまで考えた時、道了の足は勝手に動き出していた。
廃材を踏み砕き大股に歩き、梅花が顔を上げるのを待たず鞭の如く腕を振りかぶる。
甲高く乾いた音が炸裂、手に痺れが走る。
したたかに頬をぶたれた梅花が鋭い悲鳴を上げ、体を支える芯が溶け崩れたようにその場に崩れ落ちる。
「お前がやったのか」
しどけなく膝を崩し廃材の山に座り込んだ梅花に問う。
生気の失せた人形のように頬を庇い、朦朧と視線をさまよわせる梅花にロンの面影が重なる。
ロン。
自分に怯えることなく声をかけた初めての存在。
自分を可哀想と言った初めての存在。
失ってみて初めて気付いた、特別な存在。
「ロンに罪を着せたのか」
「違う!!!!!」
その一瞬、梅花の目に理性の光が点る。
自分を冷ややかに見下ろす道了の視線を気丈に跳ね返し、涙で潤んだ目に一途な決意を映し、いつも道了にされるがままやりたい放題殴られ蹴られ痣だらけになっていた女が、これまで抑えに抑えてきた感情を一気に爆発させ、自分を束縛する不可視の糸をひきちぎり自由を得んと暴れだす。
人形が、人間になる。
「ロンは私に優しくしてくれた、イイ女だって言ってくれた、好きだって言ってくれた!月天心の連中は私をマゾの雌犬呼ばわりする最低な奴ばかりでもロンは違った泣いてる私を慰めてくれた!
ロンに罪を着せるつもりなんか誓ってこれっぽっちもなかった、けど本当のこと言い出す勇気もなかった、警察に捕まるより道了と引き離されることのほうがずっとずっと怖かった!
勝手なこと言ってるってわかってる、それでも道了とずっと一緒にいたかったの。好きだから、愛してるから、殴られても蹴られてもビール瓶ぶつけられても嫌いになれなくて自分でもマゾの雌犬だと思うでもどうしようもないの止まらないの好きなの好きなんだよ、私のこと守るって言ってくれたロンより道了が好きなんだよ、道了が私をさわるときの感じとか遠くを見てるときの横顔とか殆ど唇を動かさないお人形みたいな喋り方とか低い声とか好きで好きでたまらないんだよ、体の細胞全部で道了が好きなんだよ!!」
白と黒と灰色で構成された単調な世界が焼け爛れていく。
上映を終えたフィルムが自動的に巻き取られていくように、
ポジとネガがめまぐるしく交錯する。
黒と灰色のグラデーションによって立体的に表現される炎が梅花の顔を白と黒の明暗でかっきりと浮き彫りにする。
綺麗だ。
色がなくても十分に。
轟々と耳鳴りがする。
それが耳鳴りではなく炎の唸りだと気付くのに数秒がかかる。
炎の舌が這う壁を背にし、泣き笑いに似た哀切な顔で梅花が呟く。
「ごめんなさい、ロン」
そっと下腹部に手を回す。
いとおしげな動作で丸みをおびた下腹部をさすり、薄っすらと微笑む。
「ごめんなさい、道了。……あなたを縛りつけようとした罰ね、これは」
梅花が深呼吸し、凛とした居住まいで道了を見る。
数ヶ月前と比べ丸みをおびはじめた下腹部に優しく手を添え、腕から伝わる胎動を慈しみ、愛した男へ嘘偽りない心情を語る。
「私が好きなのは道了。
假面じゃない。
月天心があるかぎり道了は假面をやめられない。
私が好きなのはとても寂しい目をした普通の人間、鉄のような無表情で人を殴り殺す人形じゃない。
道了が好き。
月天心にとられたくない。
だから私はー……」
これだけ一緒にいてどうして気付かなかったのだろう、梅花の腹が膨れていることに。
梅花が妊娠していることに。
梅花は月天心を潰そうとした。
月天心さえなくなれば自分のもとに道了が戻ってくると信じ、
月天心がなくなれば道了が死と隣り合わせの刹那的な生き方をしなくなると期待し、
月天心がなくなれば、新しく生まれてくる命が月天心に代わり得るのではと期待し。
すべてはただ、男に愛されたいがための行為。
「………馬鹿な女だ」
梅花はロンに罪を着せた。
ロンに罪を着せ砂漠のはての刑務所に送り込んだ。
何より道了が作り上げた月天心を潰した張本人は梅花だ。
こんな女、生きている価値がない。
勢いを増し荒れ狂う炎が壁と天井と床を席巻する。
貪欲に育つ炎に巻かれ、梅花の頭を掴む。
少し指に力を込めればそれで終わりだ。
頭蓋骨を砕かれ梅花は死ぬ。
手をかけた姿勢で停止する道了の背後で炎が燃え盛る。
殺せ。
こんな女殺してしまえ。
俺からロンを奪い月天心を奪った女に図々しく生き永らえる価値などない、頭を砕いて殺してしまえ。
炎に巻かれた廃材が盛大に雪崩おち、大量の火の粉がすさぶ。
冥府の底から湧き起こるような業火の唸りの他は静まり返った廊下にて、炎の照り返しを受け妖美な陰影に隈取られた梅花の顔を覗き込み、頭にかけた手にぐっと力を込める。
頭蓋骨の軋みが手に伝わる。
仰け反る梅花にのしかかり、苦鳴を漏らす唇の付近に顔を寄せる。
無慈悲な輝きを放つ銀と金の瞳に苦しみ歪む梅花の顔を映し、
梅花の手の火傷に気付いても顔色ひとつ変えず、
その火傷が我が身をかえりみず道了を助けようとしてできたものだと知っていながら指の力はいささかたりとも緩めず。
『我不愛你』
お前なんて愛してない、と。