ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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一話

 物心ついた頃から拳は傷だらけだった。

 少年は誰に教えられるでもなく拳の使い方を知っていた。
 何をどうすれば己が潜在的に秘めた力を爆発的に覚醒させ、拳の威力を最大限に発揮することができるか熟知していた。
 腋を締める角度、隙のない腕の構え、重心の調節の仕方、磐石に踏み構えた下半身と上半身の均衡の維持。
 それらすべてが誰に学ぶこともなく予め身に備わっていた。
 物心つく前からずっと人の争いを見てきたせいかもしれない。
 身近で勃発する殴り合いを観察し喧嘩の仕方を学び拳の使い方に習熟していたからかもしれない。
 物心つく頃より弱肉強食の掟の中で育った少年が、生き残る術を拳に賭けるのは必然にして自然の習いだ。
 少年は力の使い道を心得ていた。
 拳が何かを打ち砕くためにあるという真理をよく知り実践に移し、自分が生まれ持った唯一最大の武器として苛烈に磨き上げ、指の関節は針金を捩り合わせたようにより強靭に、手の甲はそれ自体が篭手のように固く分厚くなるようにと皮膚擦りむけ血が出るまでタイヤを殴り拳を強化した。

 人を殴るたび拳には傷が増えていく。
 それが強さを獲得していくあかしに思え誇らしかった。

 少年は絶えず敵を見出し果敢に挑み続けた。
 
 闘争は本能。
 挑戦は克己。
 闘うことと生きることは同義だ。
 闘わざるもの食うべからずがスラムの掟だ。
 強者のみが生き残り大人になることを許されるスラムでは、何より勝ち残り成り上がることが重視される。
 少年が欲したのは絶対的な力、だれもを屈服させることができる純粋な力、敵対する者を薙ぎ払い道を拓く容赦ない暴力。
 少年はいつも拳ひとつで逆境を打破してきた。
 全身傷だらけになりながら半死半生の体で立ち上がり、返り血と自分の血とで赤く染まった拳でひたすら敵を倒し続けた。  

 灼熱の太陽が照り輝くスラムでは、残飯あさりの野良犬が日がな一日縄張り争いの喧嘩をしている。

 まわりから見ればくだらなくとも当人らにとっては命がけの戦いだ。
 縄張りを譲ることは即ち死を意味する。
 定食屋の軒先に残飯が捨てられている。
 腐りかけで酸っぱい異臭を放つ鶏肉や汁気を含んでべとつくチキンライスや豆をあえて甘辛く煮たトルティーヤが捨てられているとあらば、育ち盛りで腹をすかせたストリートチルドレンらは目の色変えて争奪戦を繰り広げる。相手の髪を引っ張り顔面を引っ掻くくらいなら可愛いものだが、ある程度の年齢に達した少年らはもっと巧妙で狡猾な手を使うようになる。腰からナイフを抜き放ち相手を脅し引き下がらせるなどは序の口で、メリケンサックを嵌めた拳を鼻が折れるまで相手の顔面に叩き込むものやギャングのお下がりの銃を発砲するものさえいる。
 腐りかけの残飯をめぐる争いははてしなく続く。
 薄汚れた野良犬どもは口からしとどに涎を垂らし、いかにして相手を追い払い餌を独り占めにするかに知力を注ぐ。
 空腹を抱え残飯に群がるストリートチルドレンは後を絶たない。
 ならば一人でも減らすのだ、駆逐するのだ。
 少しでも自分の取り分が増えるよう頭を使い知略を巡らし暴力を行使する、それこそ誰に教えられることもなく学んだスラムでの生き方だ。
 物心ついた頃から天涯孤独だった。
 少年だけが特殊な境遇におかれていたわけではない。
 まわりには親のない子がうようよしていた。物心つく前に親に捨てられ路上をさまようことになった子供たち、しかし彼らはまだ幸いなほうだ。ギャングが牛耳るスラムには粗悪な覚醒剤がはびこっている。犯罪の温床と揶揄されるスラムの崩壊家庭では、酒を買う金欲しさに年端もゆかぬ娘に売春を強制する親や、覚醒剤中毒となり子供を虐待し逮捕される親が後を絶たない。酒とクスリで廃人と化した親の分まで必死に働き金を稼ぎ、年少の弟妹を養うものも決して少なくない。

 灼熱の太陽が照り輝くメキシコシティで少年は生まれた。
 人口二千万人を擁するかつての大都市は、二十一世紀初頭に世界を襲った大恐慌の波により暴力と犯罪が横行する背徳のソドムと化した。
 高層ビルが輝かしく建ち並ぶ都心の片隅では、泥水を啜り残飯をあさり底辺を這い蹲って生きるものたちがいる。
 不景気の煽りをうけ大量の失業者が生まれ多くの家庭が崩壊した。 
 路上にはストリートチルドレンが溢れ、そのストリートチルドレンをギャングが飼い、犯罪の手先としてこき使う。
 路上にばらまかれた空薬莢拾いをし遊んだ子供たちは一定の年齢に達するとギャングに目を付けられ、男の子は銃の運び屋やクスリの密売人として、女の子は娼婦として身の処し方を仕込まれた。

 だが中には例外がいた。
 闘うことでしか生きられない、生まれながらの闘犬がいた。

 親兄弟の顔も知らず夢中で拳を振るい続けた少年は、ある時裏社会の人間にスカウトされた。
 自分たちの組織で働いてみないか、と。少年に声をかけたのは裏社会を牛耳る組織の幹部であり、週末に行う賭けボクシングで莫大な収益を上げていた男だ。
 少年は十二歳だった。
 十二歳になったばかりだった。
 来る日も来る日もスラムの片隅で人を殴りある時はやりすぎが祟り殴り殺し死体を量産していた。
 しかし少年は逮捕される事なく野放しだった。
 殴り殺した相手がケチなギャングの使い走りだったり住居不定のストリートチルドレンだったりした為に、腐敗しきった警察は本腰を入れて調べる気にならず、それ故少年を放置し続けたのだ。まさか警察も十二歳の少年が素手で人を殴り殺したとは思わなかったらしい。ギャングの使い走りもストリートチルドレンもヘマをやらかし仲間内のリンチで殺されたに違いないと思い込み、深入りして自分たちまで睨まれてはたまらないとろくに捜査をしなかったらしい。

 少年は拳の振るいどころを得た。
 思う存分力を出しきり拳を振るう口実を得た。

 弱冠十二歳で賭けボクシングのリングに立った少年は来る日も来る日も過酷な訓練を受け減量に挑み脂肪を燃やし、成長途上の体を研ぎ澄ました筋肉で鎧った。
 少年は向かうところ敵なしだった。
 類稀なる格闘センスと反射神経と筋金の筋肉で鎧われた逞しい肉体、壁をも砕く威力を秘めた拳が彼の武器だ。

 組織は彼の才能に目を付けた。
 スラムの片隅で無差別に拳を振るい己に仇なすものを倒し続けた少年に力を行使する場所を与え、存分に力を解放し頂点を極めることを課した。
 少年は闘犬として買われ一生組織で飼い殺される宿命だった。

 週末の夜に催される賭けボクシングの試合は、低賃金の労働者にとって最大の娯楽である。 
 地下のリングに上がるのは後ろ暗い過去をもつ前科者ばかり、その大半は傷害事件を起こし表舞台を追われたボクサー崩れ。
 彼らの大半は賭けボクシングの元締めの組織に多額の負債を背負わされ、借金を返済するために強制的にリングに上がらされていた。 
 賭けボクシングが普通のボクシングと違うのは敗者の生死を問わない点だ。
 賭けボクシングにテンカウントのルールは存在しない。
 敗者が再起不能になるか死亡するかしない限り試合は続行される。
 リングから逃げることは決して許されない。
 万一試合を放棄しロープをくぐり逃走をはかれば、組織に恥をかかせた代償を命をもって支払わねばならない。
 試合会場には背広の懐に銃を忍ばせた見張りが数人紛れ込んでいる。万一選手が不審な行動をとればすぐにでも始末できるようにとの措置だ。
 もともと裏社会が取り仕切る非合法な試合なのだからして、試合中に死者がでても表沙汰になることなく処理される。
 少年は優秀な闘犬だった。
 己を飼う組織に利益をもたらすため服従の鎖に繋がれ躍起になって拳を振るい続けた。
 飼い主の手に噛み付くことなく従順に、鞭打たれても痛みを感じない愚鈍な犬の如く、白熱のスポットライトがあたる檻の中で闘い続けた。
 時に行き過ぎて相手を殴り殺したとしても罪悪感はかけらもなかった。
 時に力の加減を忘れ既に倒れた相手にむかい拳を振るい続け、その顔が醜く変形し倍ほども腫れ上がっても後悔はなかった。
 少年は生まれながらの闘犬だった。
 「メスティーソ・スンダーロ!」
 「メスティーソ・スンダーロ!」
 「いけっ、やれっ、お前には今夜の飲み代全部注ぎ込んだ!お前が敗けたら俺は破産だ、なんでもいいから勝ってくれ!」
 「俺たちに天国を見せてくれ!」
 熱狂の坩堝と化した試合会場で観客が叫ぶ。
 メスティーソ・スンダーロはスペイン語で混血の戦士を意味する。
 十二歳で初めてリングに立った少年に与えられたリングネームでもあった。
 親の顔も名前も知らぬが、自分がインディオの血を濃く引いてることは肌の色で明白。荒々しい情熱を示す浅黒い肌と彫り深い顔だちは南米先住民たるインディオの特徴だ。十六世紀、スペインから来た侵略者が現地のインディオに略奪と暴行を働き、大規模な強姦をおこないインディオの女性たちに子を孕ませた。南米には今もインディオと白人の血を引く子孫が多くいる。
 少年もまたインディオの血を受け継ぐ一人だった。
 リングネームの「メスティーソ・スンダーロ」はそこからきた。
 メスティーソ・スンダーロの異名をもつ少年はデビュー当時から快進撃を続け連勝記録を塗り替え、六年が経った今では最年少王者の栄冠にもっとも近い場所にまで上り詰めた。
 死者が出ることさえ少なくない非道な試合を、最年少の少年が拳を頼みに勝ち上がる姿に観客は惜しみない喝采を送った。
 メスティーソ・スンダーロは十八歳のその日まで情けを知らぬ闘犬として生きた。
 賭けボクシングの元締めの組織のもとで鎖に繋がれ、己が唯一誇れる拳を生きる手段として見世物の闘犬に徹してきた。

 夢もなく希望もなく、メスティーソ・スンダーロはただひたすらに闘い続けた。
 闘争に理由や目的はない。
 闘争に理由や目的を求めるのは間違いだ、闘争それ自体が至上の目的なのだ。
 己の肉体を鍛え上げ拳を磨きたゆまず強さを希求する。
 メスティーソ・スンダーロはただ闘うためにのみ生まれ生かされる不敗の戦士だった。

 今日もまたメスティーソ・スンダーロは拳を振るう、不屈の闘志を燃やし猛り狂い凶暴な咆哮を上げる。
 自分の存在理由を拳で代弁し前に立つ挑戦者を容赦なく屈服させる。
 割れ砕けた顔面をしとどに血に染め撃沈した挑戦者を見下ろすその顔にもまた返り血が跳ねる。
 しかしメスティーソ・スンダーロは勝利の余韻に酔うことなく、強靭な胸板に汗を光らせ、疲労の色濃く荒い息を吐いている。
 「殺せ!」
 「殺せ!」
 「殴り殺せ!」
 「情け容赦なく殺っちまえ殺しちまえお上に虐げられてる俺たちの分まで目にもの見せてやってくれ、一体何のためにお前に大金払ってると思ってるんだ、それもこれも大暴れするお前を見てスッとしてーからさ!お前がそうやって血まみれで挑戦者をぐちゃぐちゃに殴り潰すとこ見るとこの一週間の嫌なこと全部忘れられる、女房の小言もガキの泣き声もツケを払えとうるさくせっつく飲み屋の親父の犬のクソ面もみんなみーんな綺麗さっぱり水に流せる!まったくお前はすごいやつだよ、夢も希望もねえどん底の街に舞いおりたインディオの勇者の血を継ぐ最強の戦士だよ!」
 「さあ殺しちまえひと思いに遠慮はいらねえ嬲り殺せ、頭蓋骨を砕いて顔すり潰してぎったんぎたんにしちまえ、生意気な挑戦者を細切れの肉片にしちまえ!人肉食いのインディオならできるだろそん位よ、俺たちはそれが暴走が楽しみで毎週ここに来てるんだ、お上の摘発もなんのその地下に足を運んでギャングが元締めの賭けボクシングなんぞに興じてるんだよ!」
 「殺せ!殺せ!殺せ!」
 「殺せ!殺せ!殺せ!」
 「殺せ!殺せ!殺せ!」
 「俺たちの分まで思う存分殴り殺せ!」
 「どうせ相手はプロ崩れのならず者、前科持ちの悪党さ。リングのど真ん中で脚光浴びながら死ねるんなら本望ってなもんさ」
 「殺せ!殺せ!俺たちが見ている前で、俺たちの分まで!」
 「金で買った分だけ夢を見せてくれ!」
 鞣革のように黒々と分厚い皮膚に覆われた肉体労働者が酒焼けした野太い声で喚きたてる。
 既にほろ酔い加減の赤ら顔で酒瓶を振り回すもの、景気良く札束をばらまくもの……口角泡をとばしリングに罵声を浴びせる野卑な労働者たちには一瞥もくれずメスティーソ・スンダーロはただ目の前の対戦者のみに意識の焦点を絞る。
 三重のロープで覆われたリングの床は汗と血と吐寫物とでぬかるんでいる。これまで何人何十人の挑戦者が血反吐を吐き苦しみもがき担架で運ばれていったか既に記憶にない。そのうち何人がリングに復帰したか……これは自信をもっていえる、ゼロだ。敗者復活戦などという恩情はこの世界には存在しない。敗北は即ち死を意味する。リングで惨めな負け犬姿を晒したら最後、組織に繋がれ闘犬として共食いを強制された男は私刑によって葬り去られる。

 もとより金で買われた身、担保に入れた命だ。
 コーラの王冠よりも軽くガム一枚よりも安い命がどれだけ使い捨てられようとも、安値で大量に仕入れた側が心を痛めることはない。
 商品価値のなくなった選手に用はない、客を呼べない曲芸犬をむざむざ生かしておく義理はない。
 客を幻滅させた代償は命をもって贖え。
 死にたくなければあがけ、闘え、死力を尽くしどん底から這い上がれ。
 
 少年は闘うことだけを考えリングに身を投じ、人を死に至らしめる凶器の拳を振るい続けた。 
 幼い頃から人を殴ってきた。
 何度も何度も、それこそ数え切れないくらいに。
 残飯をめぐる争いに端を発し因縁を付けられ殴り返し報復にやってきた年長の少年らに片っ端から地を舐めさせ憂さ晴らしに自分を殴ろうとした警官を返り討ちにし、それでもまだ飽き足らず腕の筋肉が焼き切れるまで拳が砕けるその時まではと行為を目的化し殴り続けた。
 少年の体には勇猛なるインディオの血が流れている。
 虐げられしインディオの血と残虐を好む侵略者の血は互いを屈服させんと常に身の内でせめぎあい熱き血潮を沸かし、父祖の代から継いだ因業が少年を闘争へと駆り立てる。
 物心ついた時から誰に教わらずとも拳の使い方を心得ていたのは侵略者に抗した父祖の勇敢さが魂に刻印されていたから、世代を越え脈々と受け継がれる戦士の血がいかに闘うべきかを示唆したからだ。
 今宵もまた投光機が照らす地下のリングで死闘が行なわれる。
 メスティーソ・スンダーロは裸の上半身を汗で照り光らせ軽快にフットワークを踏む。
 右、左、右、左、右、左。
 規則正しく重心を移し脳天から脊髄を貫く中心線の均衡を保つ。
 鉄条を縒り合わせたような筋肉がライトの光を弾き返し隈取りの効果を添えあたりを威圧する。
 古代の闘技場を模した階段状の客席は見渡す限り客で埋め尽くされている。
 客席に取り巻かれたすり鉢状の底にはリングが設置され、そのリングの上で選手が対峙する。
 遠近感の狂うすり鉢の底、天から降り注ぐ強烈なライトが白く焦がす視界の中、すでにして疲労困憊の男がじりじりとあとじさる。 
 メスティーソ・スンダーロは静かに相手を追い詰める。
 体の脇にだらりと無防備に両手を垂れ下げ、大股に一歩を踏み出す。
 裸の上半身は筋肉が隈なく発達し、崖の如く屹立する腹筋と堂々たる胸板が蛮勇尊ぶ男性性を誇示する。
 メスティーソ・スンダーロは闘争の権化と化し、屈強な肉体から気炎を立ち上らせ、百獣の王に似た剣呑な緩慢さで相手を追い詰めていく。
 「ひっ、ひっ、ひっ……」
 一歩、また一歩と距離が縮まる。
 過呼吸に陥ったかのように不規則に間延びした息を吐き、男はちぎれんばかりに首を振る。 
 青いグローブを胸の前で交差させ激しく首振る男をよそに、眼前にまで迫ったメスティーソ・スンダーロが促す。
 「構えをとりなさい。試合続行です」
 「く、来るな……お願いだからころ、殺さないでくれっ……」
 うなじにかかるほどに伸びた波打つ黒髪が体の動きに合わせ揺れ、長めの前髪の奥から瘴気噴く双眸が覗く。
 インディオの蛮勇を示す浅黒い肌に汗を滴らせ、スペイン人の情熱を示す黒髪を体の動きに合わせ揺らし、血と汗のぬかるみを踏み越えて混血の戦士がやってくる。
 「殺せ!殺せ!」  
 「殺せ!殺せ!」
 「勝ち残るのはどちらか一方生き残るのもどちらか一方それがここの流儀だ、勝者には浴びるほどテキーラ飲ましてやるが敗者はテキーラ浴びせて火ィ付けて人間トーチカの出来上がりだ、さあさ人間トーチカがぼぅぼぅ燃えるところを見せてくれ!!」
 「また今度も俺の勝ちだ俺の勝ちだ、家じゃかかあと十歳を頭に六人の子供が待ってるが知ったこっちゃねえ、稼いだ分だけ賭けて儲けて倍にすりゃ俺は酒で潤いかかあの股も潤ういいこと尽くしだ、だからお前にゃどうしても勝ってもらわにゃ困るんだよ!」
 テキーラをがぶ飲みし顔を上気させた労働者がリングに殺到しロープを掴んで揺すりだす。
 力任せにロープを揺さぶりがなり立てる観客にも増して挑戦者を畏怖させるのは、メスティーサ・スンダーロが全身から放つ闘気。
 体格ではこちらが勝っている。
 こちらのほうが一回りも年が上だ。
 傷害事件をおこしプロ資格を剥奪されるまでとはいえ正規のコーチに付き特訓し実際に試合を経験したこちらの技量が勝っているはずなのに、メスティーソ・スンダーロが一歩また一歩近付くごとに膨れ上がる威圧感は何だ?
 「右?左?」
 メスティーソ・スンダーロが無表情に問う。
 一瞬何の事か理解できなかった。
 利き腕を聞かれているのだと気付いたのはしばらくのちだ。
 「あ…………」
 背中でロープが撓む。
 遂に逃げ場を失った男は救いを求めあたりを見回すもリング周辺には興奮した客が詰めかけ出入り口は銃を持った見張りが固めている、不審な行動を見せれば背中から撃たれて終わりだ。
 冷や汗がこめかみを伝う。
 リングを下りた時点で敗北が決定し組織に消されるなら、いっそー……。
 挑戦者が両拳を前に掲げ防御の構えをとる。
 漸く試合再開の意志を見せた挑戦者と向かい合い、メスティーソ・スンダーロはひとりごちる。
 「お利口ですね」
 刹那、挑戦者は目を疑う。
 その一瞬、目の錯覚かと疑うほんの一刹那、メスティーソ・スンダーロの表情に変化が起きる。
 緩やかに波打つ前髪の奥で双眸が火を噴く。 
 「っぐぅ、ふ!?」
 獣性滾る笑みを剥き出し強靭な足で床を蹴る。
 助走をつけ肉薄するや鳩尾に拳を叩き込む。
 鉄球が激突したかと錯覚する衝撃に胃袋を攪拌され反吐をぶちまける挑戦者の正面、中腰の姿勢から伸び上がるように顎に一撃、垂直に突き上げる打力の作用でマウスピースがはずれ唾液の糸引き転々と床で跳ねる。
 メスティーソ・スンダーロの猛攻はとどまるところをしらない。
 アッパーカットで下顎を支える蹄鉄型の骨が割れた挑戦者があとじさるのにつけこみ、左拳に闘志を注ぎ込む。
 腕の筋肉が膨れ上がる。
 鉄条を縒り合わせたような腕に血管が浮き立ち、水平に伸ばした腕全体から不可視のオーラが昇華する。
 両の拳に殺意を込め、汗ばむ額に波打つ黒髪をはりつかせ、メスティーソ・スンダーロは酷薄に笑む。
 「私は両利きです」
 剃刀めいて鋭利な笑みを閃かせ白い歯を零し、次の瞬間両方の拳を唸りを上げ振りぬく。 
 咄嗟に挑戦者がガードする、体前に両腕を立て猛攻を防ごうとするも唸りを上げ襲来した拳が着弾の衝撃で骨をへし折る。
 「ぐあっあああああああああっつああああああああ!!!」
 馬鹿な、おかしい、グローブを嵌めているのに……どうして?
 激痛が理性を食い荒らし生理的な涙を滲ませる挑戦者、片腕は間接がひとつ増えぶらぶらと揺れている。
 グローブを嵌めても拳の威力はおさえきれず、渾身の一撃を腕で受け止めた結果粉砕骨折しもはや完全にボクサー生命を絶たれた挑戦者は、恐怖と混乱のさなか余裕をもって自分に歩み来る男を追い払おうと無事な方の腕をめちゃくちゃに振り回す。
 錯乱した挑戦者が歯茎をむき出しメスティーソ・スンダーロに襲いかかる。
 眼球が零れんばかりに血走った目をひん剥き、弛緩した口の端に唾液の泡をため、死に瀕した人間特有の狂態で反撃に転じる。
 息継ぐ間もなく猛然と拳を繰り出し弾幕を張る。
 決死の猛反撃を最小限の動きと最短の歩幅でもってかわしながら、メスティーソ・スンダーロは漠然と考えていた。
 
 物心ついた頃から拳は傷だらけだった。
 人を殴るたびに拳に傷が増えていく。
 それが強さを獲得していくあかしに思え誇らしかった。


 今でも?


 脳裏に一抹の疑問がさし、動きが鈍る。
 それが仇になった。
 「!?っぐ、」 
 骨と肉がぶつかる鈍い音が脳天まで突き抜ける。
 視界の右半分がぐにゃりと歪曲する。
 挑戦者が盲目的に振り回す拳が右頬を直撃したのだ。
 右頬を殴られ均衡を崩した隙に左脇腹に痛恨の一撃を食らう。
 これが助かる最後のチャンスと踏んだ挑戦者が自分の持てる力と技量を総動員しがむしゃらに形勢逆転を狙う。
 へし折れた片腕をかばうようにぎこちない動きで、しかしプロの資格は伊達ではないと思わせる正確無比な打撃を鳩尾に脇腹に覚えている限りの人体の急所に叩き込む。
 「生き残るのは俺だ勝ち上がるのは俺だ俺はチャンプになるんだ、そうしたらこんな薄暗い地下のリングともおさらばしてもう一回プロとしてやり直すんだ、再出発するんだ!組織がそう約束してくれた、俺が賭けボクシングのチャンプになったら借金全額ちゃらにしてくれるって言ったんだ、だからこの試合絶対負けるわけにはいかないんだ、俺の復帰を待ちわびてるファンや俺のこと心配してくれる女のためにも……」
 目をぎらぎら輝かせ狂気走ったうわ言を唾と一緒にまき散らす挑戦者に魅入られる。
 挑戦者の顔は既に腫瘍に目鼻をつけたような有り様だがいまだ闘志は衰えず必死に戦っている、勝利を諦めず無謀を承知で拳を振るい続けている。
 血膿に溶け崩れた醜悪な肉塊と化す挑戦者の顔を見つめ、ついでグローブに包まれた自分の手を見下ろす。

 自分がしたかったことは、はたしてこんなことか? 
 分厚いグローブ越しに人を殴るうちに生身の感触すら忘れ去ってしまった。
 手を包むグローブがもどかしい。
 素手でおもいきり殴りたい。
 これまでリングに沈めてきた対戦相手の血をしとどに吸ってどす黒くぬれ光るグローブを脱ぎ捨て、本物の拳でぶつかりあいたい。
 汗で不快に蒸れたグローブなど不要だ。
 自分にはこの拳がある。
 グローブ越しに人を殴って得られる快感は求めたものと程遠く欲求不満が募るばかり、グローブを嵌めた拳で人を殴っても力を持てあますばかりで歯痒い。
 自分ははたして進化を続けていると言えるのか、高みに上り詰めているといえるのか。
 グローブを嵌め人を殴ったところで拳は傷つかず強く成り得る実感も湧かないのに……

 「メスティーソ・スンダーロ!」
 「メスティーソ・スンダーロ!」
 「もたもたしてるんじゃねえ、俺の賭け金パアにする気か!?」
 「そんなプロ崩れに手間どるなんざお前らしくねえぜ混血の戦士、生まれながらの闘犬、拳をふるうっきゃ価値のねえ拳奴!俺の人生はお前にかかってるんだ、今夜の試合でお前が勝ってくれなきゃ俺は破産で一家全員路頭に迷うんだ、なあ頼むよメスティーソ・スンダーロご自慢の拳でそいつの頭蓋骨砕いて脳漿ぶちまけてくれ、そうすりゃ俺りゃあ女房子供の待つ家に大手振って凱旋できんのさ!」 
 「ここにいる全員お前に期待してる、お前の強さに心底ほれ込んでるんだよ!」
 「俺たちを裏切るなよメスティーソ・スンダーロ!」
 「賭けた分倍にして返してくれよ!」

 爆発的な歓声で我に返る。

 試合中物思いに耽っていたメスティーソ・スンダーロの右頬を高速の拳が掠め皮膚を削りとる。
 摩擦熱で皮膚が焼け焦げた頬を外気に晒し、首を目にもとまらぬ速さで左右に傾げ連続で打ち込まれる拳をかわす。
 脳内麻薬が過剰分泌される。
 血中のアドレナリン濃度が濃くなる。 
 父祖から受け継ぐインディオの血が戦いの興奮に沸き立ち、四肢の動きに合わせ引き絞った筋肉が躍動する。残像を引きあらゆる角度から打ち込まれる拳をかわし、かわしきれないものはあえて受けてたち、顔や肩や胸板に擦り剥けた傷をこさえ怒涛の勢いで奮迅する。
 挑戦者が悲鳴の形に口を開き声なき声で絶叫、笛と化した喉の震えに音が付与されるのを待たず全速力で左腕を振りぬく。
 腕が伸びる。
 腰の位置から捻りを加え放たれた鉄球の砲弾の如く大気の膜を貫通、空中で急激に加速し相手の顔に着弾する。
 肉が潰れる鈍い音とともに超重量級の衝撃が炸裂、威力を凝縮した拳の直撃をまともに受けぐしゃりと顔が陥没、挑戦者が吹っ飛ぶ。
 闘気を噴出し加速した拳は着弾と同時に頬骨と鼻骨を粉砕し、顔の右半面を完全に砕かれた挑戦者はその時点で意識をなくしリングに倒れこむ。

 メスティーソ・スンダーロの勝利。

 暫定チャンプの劇的勝利を目の当たりにし熱狂する周囲をよそに、たった今敵をリングに沈めたばかりのメスティーソ・スンダーロは早くも戦闘の余韻からさめて虚しさを禁じえずにいた。
 ひとつ試合を終えるごとに、一人敵を屠り去るごとに、茫漠たる虚無が魂を蝕んでいく。
 昔は拳に傷が増えるたび、またひとつ自分が強くなったと体感でき誇らしかった。
 今は虚しさばかりが先に立つ。
 返り血に塗れどす黒くぬれ光るグローブを見下ろしても、痛覚を根こそぎ奪い去られたように何も感じない。
 客の歓声もリングに横たわる敵も一身に注がれる強烈なライトも身の内に巣食う虚無を駆逐してはくれない、渇望を癒しはしない。
 
 自分が求めた強さとは勝利とは、はたしてこんなくだらないものだったのだろうか。

 少年は優秀な闘犬だった。
 時に行き過ぎて相手を殴り殺しても罪悪感はかけらもなく、また後悔もない。
 ただ、虚しい。
 自分の全力を受け止めてくれる相手がいないことが、拳に全身全霊を賭し己がもてるすべてを吐き出し殴り合える好敵手といまだ出会えぬことが、とても虚しい。

 白熱の奔流が視界を灼き尽くす。
 栄光なき勝利に醒めきり、リング中央に無防備に立ち尽くすメスティーソ・スンダーロは、その瞬間だれかに呼ばれた気がして振り返る。
 客席の最後列、出入り口付近の支柱に凭れて見慣れぬ若い女が立っている。

 カルメン。

 絶世の美女と評すべき黒い肌の女に、自然とその名を連想する。
 
 その唇、
 その官能。

 身の内を衝撃が貫く。
 周囲の喧噪が遠ざかり色褪せ最後列の女しか目に入らなくなる。
 完全に色と音が失せた世界にふたりきり、毒花そのもののスーツに身を包む黒い肌の女神が蠱惑的に微笑む。

 『広い世界を見たくはない?』

 実際には声を発してない。
 否、発したかもしれないが聞こえない。
 歓声に沸き返る会場で距離を隔て会話が成立するはずはない。
 しかし彼は彼女の唇の動きを読み、言葉に音が宿る前から正確に意味を理解した。

 『私はカルメン。ドン・ホセのファム・ファタール。あなたをこの檻から連れ出しにきたわ』

 耳朶を孔雀の羽でくすぐるような極彩色の官能を呼び起こす声。
 実際には聞こえるはずもないその声が、直接彼の中に響き漣を立てる。
 観覧席の中央に設けられた石の階段を絶世の美女が下りてくる。
 女豹のように優美に腰くねらせリングの脇に降り立つや、豊かな黒髪に縁取られた顔を微笑ませ、血と汗にまみれた彼に一抹の躊躇なく手をさしのべる。

 『行きましょうドン・ホセ。あなたは今日から私の伍長さんよ』

 メスティーソ・スンダーロと呼ばれた少年は、カルメンのみに忠誠を尽くすドン・ホセに生まれ変わった。 


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少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050313151308 | 編集
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