ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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四十話

 東京プリズンは歴史の節目を迎えた。
 その日の起床ベルはどこかいつもと違っていた。
 いつも同様の時刻に桁外れに大音量のベルが鳴り響き容赦なく鼓膜と大気を震わせるも、僕は毛布を跳ね除けベッドに上体を起こした直後から異状を察していた。
 いつもどおり鼓膜が破れんばかりにうるさく神経がささくれ立つベルには違いないが、今朝のそれは漠然と不吉な予兆を孕み刻々と迫り来る危険を告げている。
 警鐘。
 対岸の火事が此岸に燃え移ったように皮膚炙る焦燥感。
 空気に火薬の匂いが混ざっている気がする。
 勿論それは僕の錯覚だ、先入観に起因する嗅覚の異常だ。
 きな臭い危険の匂いが大気中に溶け広がり周囲に漂い出した錯覚におちいった原因が何か明確に指摘できないのがもどかしい。
 とにかく今日は何かが違う。
 昨日の続きの今日でもなく平凡な毎日の延長の今日ではない、運命の日なのだ。
 運命の日?
 何故そんな抽象的な発想が脳裏に閃いたのか僕自身困惑する。
 馬鹿な、僕は運命論者じゃない。運命など信じない。
 偶発的現象の連続に「運命」などというそれらしい名前をつけ責任を転じ自己決定の義務を怠るのは人間の尊厳を貶めるに等しい愚行だ。僕は運命という逃げ道を用意する人間を軽蔑する。運命という便利な言葉に逃避し全責任をなすりつけ諦観しすべてを許容する人間を激しく唾棄する。その時点で一切の義務と抵抗を放棄し、形のない目に見えないよって形而上学的に甚だ存在を疑問視される運命とやらに身を委ねきり、その実自分がこれ以上傷付きたくないただそれだけのための単なる逃避を「運命」などと美化する行為に極大の嫌悪を感じる。
 僕は断言する。
 運命など存在しない。
 運命は自己暗示と妄想の産物、信じたいものだけが信じる神と同じ種類の虚構だ。
 僕は神を信じない、故に運命も信じない。
 たとえ神への信仰や運命の許容に走ることによって甘美な恍惚感と諦観の安らぎを得られるとしてもそれを是としない。
 神に跪いてたまるか。
 運命に屈してたまるか。
 自然の摂理に逆らい生まれた人工の天才たる鍵屋崎直が、神や運命などという漠然としたものに屈するわけにはいかないのだ。
 僕の脳内には神や運命が存在する余地がない、従って僕の内部には神も運命も存在しない。脳味噌が隙間だらけの連中は神や運命の重しで頭が飛ばないよう押さえつけておくがいい、何故なら僕は天才だからその必要がないのだ。神も運命も隙間を好むものだ、空虚な洞を好んで忍び込みいつのまにか根を下ろし底深く巣食ってしまうものだ。そうなったらもう一生死ぬまで神や運命と付き合っていかねばならない、添い遂げねばならない。運命と心中するなど僕はごめんだ。神や運命などというまやかしに付け込まれぬため心に隙間を作らぬよう用心すべきだ。

 僕の心の隙間はサムライが埋めてくれる。  

今の僕にとっては彼はかけがえのない人物だ。
他のなにものにも代え難い人間だ。
言葉で言い尽くせないほど大切な人間というのは決して大袈裟な表現じゃない。彼の存在を隣に感じじかに彼に触れ存在を確かめることで大いなる安堵を覚える、彼に寄りかかることで誰かに支えられているという心強い実感がもてる、力強い抱擁や接吻をうければ時に愛情に溺れそうになる。生まれて初めて味わう庇護される安堵と心地よさからともすると脱け出したくないと思う自分がいる。ずっとこうしていたい、ずっと抱かれていたい、腕から流れ込む人肌のぬくもりと重ねた唇を介して伝わる熱にひたっていたい。触覚が他のすべての感覚を補い増大し触れ合った部位からサムライのすべてを貪欲に吸収し同化する。
 サムライの体液も呼気の熱さもすべて、一滴も一呼吸も漏らさず吸収し肌と粘膜は性感帯へ成り代わる。
 汚れた欲望か純粋な願望か判断の付かぬ疼きが体の奥底から込み上げてたまらずサムライに縋り付く。我に返ってから後悔する。僕は一体何をしている?だらしなくサムライに寄りかかり熱っぽく物欲しげな目で彼を仰ぎキスをねだっている?馬鹿な。理性はどこへやった、鍵屋崎直。サムライに欲情してるなどと断じて認めたくはない、認めたくはないが真実なのだから仕方ない。売春班の経験は今だ甚大なトラウマとして根強く残っている。数ヶ月が経過した今も生々しく鮮明な悪夢に苛まれる、売春班で強制的に客をとらされ慰み者にされた忌まわしい日々の記憶が寝ても覚めてもフラッシュバックし僕を苦しめるのだ。不快にがさついた手の感触も生温かい唇と蠢く舌の感触も口に含んだペニスの生肉の赤も青臭い苦味もすべてが厭わしい。僕にとって売春班を辛酸を舐めた日々は決して過去のものに成り得ない、いつまでたっても癒えない生々しい悪夢として今も厳然とそこに存在するのだ。コンドームもろくに装着せず挿入し乱暴に揺さぶり勝手に射精し満足する、僕の客はいずれも驚くべき自己本位な人間ばかりだった。身を引き裂く激痛と屈辱を伴う不潔で不快な性行為。僕は何度も何度も吐いた、夜中びっしょり寝汗をかいて悲鳴を上げて飛び起きた。僕はいまだ売春班の悪夢から逃れられず体は他人との接触を拒絶している。潔癖症だって完全に治ったわけじゃない。にも拘わらず僕はもうサムライへの欲望をごまかしきれない、サムライに欲情している事実を否定できないところまで追い詰められている。

 キスを、してくれればよかったのだ。

 あの時キスをしてくれればよかったのだ。
 ひとおもいに唇を奪ってくれればよかったのだ。
 サムライが行動に出たらこちらも対処することができた、この先の対策を立てることができたのに……結局体の火照りを癒せぬまま眠りについた。敏感な肌はシーツの感触すらまだるっこしい快感に昇華した。
 ろくに眠れぬまま朝を迎えた僕を待っていたのは、例の大音量のベルだった。
 「何事だ?」
 隣のベッドから衣擦れの音とともに気配が伝わる。
 まだ夜も明けきらぬ藍色の闇の中、隣のベッドに上体を起こした人影が緩慢に天井を仰ぐ。起きた直後だというのに切り替え早く眠気が消し飛んだ剣呑な双眸から鋭利な視線を放ち、ベッドに片膝立ったサムライは胡乱げにあたりを警戒する。
 研ぎ澄まされた第六感が即座に異常を感じ取ったものらしい。
 僕はサムライを無視し得体の知れぬ胸騒ぎに浮かされながら格子窓の向こうに凝視を注ぐ。
 等間隔に鉄格子を嵌めた矩形の窓のむこう、コンクリ打ち放しの殺伐とした廊下に囚人が群れている。
 わけもわからず興奮に浮かされ色めきだつ囚人らを看守が警棒を右から左へ振り誘導し整列させる。
 異常事態が起きている。
 恒例の点呼をとるにしては様子がおかしい、警棒を右から左へ大仰な動作で振りぬく看守の顔にも余裕が感じられず目つきが殺気走っている。東京プリズンで何か、僕の予想だにしない事態が今まさに起きつつある。
 先に動いたのはサムライだ。
 喧騒沸き立つ格子窓の向こうを鋭く一瞥するや否や木刀を引っ掴み猛然と飛び出す。
 たちどころに毛布を跳ね除けスニーカーをつっかけ一陣の疾風と化し房を突っ切る。
 鉄扉に至るまで二秒とかからない迅速な行動。
 咄嗟に木刀を掴んだのとは逆の手でノブを包むも、ふいに僕に背中を向け動きを止める。
 こちらに向けた背中に張り詰めた弦の如く緊張が漲る。
 上着越しに浮く肩甲骨が悲壮な決意を漂わせる。
 「案ずるな、直。お前には俺がいる」
 僕を落ち着かせようと胸中に渦巻く不安を押し殺し冷静沈着な声音を装う。僕はベッドに上体を起こした姿勢で硬直し手を伸ばせば届きそうな距離の背中を凝視する。
 サムライは意を決しノブを捻る。
 ノブがガチャリと音たて半転、軋み音を上げながら重厚な鉄扉が開く。
 分厚い鉄扉のむこうに視界が拓ける。
 雑音が膨らむ。鳥肌立つ戦慄。
 「僕も行く」
 サムライひとりで行かせてなるものか。
 毛布を跳ね除けスニーカーをはき廊下に歩み出たサムライを追う。
 廊下に転げだした僕を待ち受けていたのは、殺気立った喧騒。
 廊下全体が異様な雰囲気に呑み込まれている。
 活発な喋り声に下品な悪態が入り混じり至る所で喧嘩が始まり乱闘に発展するまでに看守が仲裁に入る。
 乱闘が勃発する寸前、尖った眼光ぶつけ激しく揉みあう囚人らのあいだに割って入った看守が哀れを誘う半泣きで喋り散らす。
 「おねがいだから喧嘩はやめてください皆さんおかんむりなのもわかりますがもっと冷静になって、ね、深呼吸深呼吸……」
 見覚えある顔。
 昨日展望台に安田を助けに駆け付けた若い看守だ。
 頼りない童顔を今にも泣きそうに崩し、無意味に手を上げ下げし激発寸前の囚人らを必死に宥めるも効果は薄く、当人らにはまったく相手にされてない。
 「引っ込んでろよはじめちゃん、俺らは朝早くからやかましいベルに叩き起こされて最高にむかついてるんだ。真ん中に入ると怪我するぜ。てめェの頭の中身が何色か知りたくなきゃ頭抱えて隅っこでぶるってろよ」
 「今日のベルは特に癇にさわるぜ、頭ン中金槌でガンガンやられてるようでさっきから頭痛がしっぱなしだ。おまけにいつまでたっても鳴り止まねーときた。おいおいこりゃどういうこったよはじめちゃん、お馬鹿な俺らにもとーぜん納得いく説明してくれるんだよなあ?」
 「ふざけたベルだぜ、どこで鳴ってやがんだちきしょう。スピーカー全部ぶっ壊して回ればちょっとは静かになるだろうさ。そうなりゃ話が早い、めェら鉄パイプもってこい一揆だ一揆!俺らの眠りを邪魔したあげく鼓膜をぶち破ろうとガンガンがなりたてるクソ憎たらしいスピーカーを木っ端微塵に分解してやらあ!」
 とても未成年とは思えない荒んだ顔つきの囚人らが制止に入った看守をよってたかって小突き回す。
 屈強な囚人らに玩具にされ頭や肩や尻を小突かれ既に半泣きの状態から号泣の準備に入りつつある看守だが、涙腺が決壊する寸前で凄まじい忍耐力を発揮し涙を押しとどめ、スピーカーを破壊して回ると徒党を組んで気勢を上げる連中に「お願いだからやめてください修理費いくらすると思ってるんですか、またお給料削減されちゃうじゃないですか!」と哀願する。
 「蒙古斑のとれねー坊やはママのおっぱい吸ってな!」
 うるさくつきまとう看守に業を煮やした一際屈強な囚人が思い切り腕を振りぬく。
 水平に薙ぎ払われた看守は勢いを殺せず床に転倒、ろくに受身もとれず無防備に床に這う姿が周囲の失笑を買う。
 肘でも強打して擦りむいたのか床に腹這いになった姿勢で痛そうに顔を顰める看守、野次馬ごった返す廊下のど真ん中で醜態を晒した彼に遠慮会釈ない揶揄と中傷とが浴びせられる。牛乳を吸った雑巾のように床にへばりついたままびくともしない看守に慎重に歩み寄る。
 打ち所が悪かったのか?
 ひょっとしたら脳震盪でも起こしたのかもしれない。
 「生きているなら返事をしろ」
 優しい言葉をかけるより先に生死を確認する。
 床に倒れ伏せた看守が「うぅ~ん」と寝ぼけた声を上げる。どうやら生きてはいるらしいと息を吐く。
 床に手を付き上体を起こした看守が小突かれぼろぼろになった風体で漫然と僕を見る。その間抜け面に何かがひっかかる。
 以前、昨日展望台で見かけるより以前に彼とこうして会った事があるような……既視感が記憶を刺激する。
 互いにまじまじと顔を凝視するうち数ヶ月前の記憶がありありと蘇る。
 売春班初日の夜、仕事を終えた僕が廊下で力尽き一歩も動けず蹲っている所に通りかかった看守が肩を貸してくれた。
 その看守はまだ学生でも通じそうな頼りない童顔に人のよさそうな表情を浮かべ甲斐甲斐しく歩行を補助してくれた。
 足腰の立たない僕が危なっかしくよろけるのを支え、気の遠くなるほど長い廊下を一緒に歩いてくれた。
 「君はあの時の……」
 絶句する。語尾が不自然に途切れる。
 どうして昨日気付かなかったのだと自分に呆れる。
 数ヶ月前と同じ顔同じ表情で彼はこちらを見詰めている。
 突然声をかけてきた僕に対する不審と不安の色を覗かせこちらの様子を窺うも、僕の顔を凝視するうちにやはり記憶が蘇ったらしくその顔に驚愕の波紋が広がる。
 「君はあの時の!」
 鸚鵡返しに言う。間抜けなやりとりに空気が弛緩する。
 僕は戸惑いを禁じ得ず妙な心地で名も知らぬ看守を見詰める。
 一言では表現できない複雑な心境だ。
 数ヶ月前たしかに彼には世話になった、彼がたまたま通りかかって肩を貸してくれなければ僕はあのまま廊下に行き倒れ朝まで放置され凍死するしかなかったのだ。
 下心の伴わぬ純粋な好意から僕を助けてくれた彼には感謝している……と、嘘でも言うべきだろうか。 
 だが僕にはプライドがある。
 売春班初日、足腰立たないほどに痛めつけられ廊下にへたりこんでいた事実はすみやかに抹消したい。
 目の前の看守は数ヶ月前、売春班の業務を終えた僕が廊下で行き倒れているところを目撃した証人だ。
 僕に同情し房まで送った張本人だ。
 彼と再び顔を合わせた事に喜びとも嫌悪ともつかぬ複雑な気持ちを抱くも、囚人に小突かれボロボロになった風体があまりにみじめで哀れを誘い、眼鏡のブリッジにふれ努めて冷静に言う。
 「いつまで廊下の中央に座り込んでいる。通行の邪魔だ」
 できるだけそっけなく吐き捨て、無造作に手を突き出す。
 看守が申し訳なさそうに会釈し、おそるおそる僕の手をとり重い腰を起こす。
 「ととっ」
 立ち上がる際にバランスを崩しかけ少しよろめく。
 看守を立ち上がらせてから素早く手を引っ込め神経質にズボンで拭う。他人に触れるのはまだ慣れない、他人と肌を接する行為に生理的嫌悪を感じる。突き放すように手を引っ込め改めて看守と向き合う。
 「借りは返したぞ」
 「へ?」
 ……どうやらこの看守は頭の血の巡りが悪いらしい。
 受け答えがいまひとつ要領を得ない。
 目を点にし当惑する看守、僕の言葉が何を意味するのかわからず首を傾げるさまに苛立ちが募る。
 「君、あの時の少年だよね。数ヶ月前廊下に座り込んでいた……よかった、ずっと心配してたんだよ。売春班がなくなってからも君がどうしてるかずっと気になって、でも僕はまだ入ったばっかで君の名前も房の番号も知らないし、東棟だけでも一万人近い囚人がいる中から再びさがしだすのは不可能だろうって最近じゃ諦めてたんだ!元気そうでよかった、本当に……」
 興奮し両手を広げ口早に捲くし立てる。
 僕との再会を単純に喜んでるらしく目が快活に輝き出し声が生き生きと弾む。本心から僕を心配していたというのは事実らしい。
 「そうか。僕は君ごときとるにたらない存在のことなど記憶の彼方に忘れ去っていた。たまたま偶然通りかかっただけの無個性で平凡な看守の偽善的行為など僕の内部ではまったくもって重要な位置を占めない、よって恩を着せたつもりになっているのなら思い上がるなと指摘する」
 「君の名前は?」
 「人の話を聞け」
 「僕の名前は鈴木はじめ、これでも一応看守なんだ。……見ればわかると思うけど」
 鈴木と名乗った看守は情けなさそうに苦笑し泥と足跡に塗れた制服を見下ろす。
 先刻の扱いからも容易に察せられるが、若く頼りない鈴木看守は囚人に舐められて格好の玩具となってるらしい。
 ロンといい彼といいお人よしは損をするのが東京プリズンの法則なのか?
 「逆に質問だ鈴木看守。この馬鹿げた騒ぎは何だ?僕の体内時計が正確なら起床ベルが鳴る時刻にはまだ十分ほど早いぞ」
 東京プリズンに来てから身に付いた規則正しい習慣、朝は五時に起床し顔を洗い食堂へ向かう日々の習慣は既に細胞ひとつひとつレベルにまで浸透している。
 僕が今朝のベルに違和感を覚えた原因もそこにある、つまりは外的要因で体内時計に誤差が生じたことによる不快感だ。
 囚人と看守が交わりがやがやと騒々しい廊下のただなか、僕の顔色をちらちら窺いつつ鈴木が喋る。
 「僕もよくわからないんだけど今日は朝一番で重大な発表があるらしくって……廊下に囚人を集めて合図があるまで大人しく並ばせておくようにって上から言われたんだ」
 「重大な発表?なんだそれは」
 鈴木がふるふると首を振る。末端の看守には発表の内容が伏せられているらしい。
 胸騒ぎがいよいよ本格化する。殺気立つ喧騒にも増して僕を不安にさせるのは、事件の前には必ずといっていいほど起こるこの胸騒ぎだ。理屈では説明できない嫌な予感がじわじわと染みてくる。予想外の時刻に鳴り響くベル、異常を悟り廊下に溢れ出す囚人、右から左へ警棒を振りぬき囚人を誘導する看守……
 空気が静電気を孕んでいるかのように肌を接する空間がちりちり燻る。
 負の因子を帯び帯電した空気の中、緊張に顔強張らせる囚人らを見渡し推理を練る。
 「前にも同じことがあった。忘れもしない但馬冬樹の所長就任演説の日、僕らは強制労働が始まる前に大音量のベルで叩き起こされた。明け方のベルは異変の前触れ、不吉な警鐘だ。但馬が来た時と同じ時間帯にベルが鳴ったということは……」
 その時だ。
 唐突にスピーカーの回線が入り、ブツ切れのノイズが混じる。 
 最前まであれだけ騒がしく各所で小突き合いが勃発し、罵声と怒声とがひっきりなしに飛び交っていた廊下がしんとする。
 水を打ったような静寂。首の後ろに氷の切っ先をつきつけられたような悪寒が走り、取っ組み合った囚人らが即座に動きを止める。
 不自然な姿勢で停止した囚人らが揃って斜め上方を仰ぎ見る。
 鞭打たれたような反応の速さ、食い入るような凝視。
 囚人らが一斉に顔をあげ固唾を呑んで凝視を注ぐ場所にはスピーカーが設置されている。音声はそこから漏れてくるのだ。

 ジ、ジ、ジ……耳障りなノイズが神経をやすりがける。
 死にかけの蝿の羽音に似て弱々しいノイズがやがて収束し、スピーカーの網目から神経質に尖りきった声が発される。

 『囚人諸君に告ぐ、囚人諸君に告ぐ。私は東京少年刑務所の所長にして最高権力者の但馬冬樹である。廊下にお集まりの諸君はさぞかし面食らっていることだろう。お察しのとおり起床ベルが鳴る時刻にはまだ若干早い、安眠妨害の無粋なベルに腹を立て看守に食って掛かるものもいるだろう』

 廊下の惨状を透視するかのような台詞が囚人の反感を煽る。 

 「わかってんならこんなふざけた時間にベル鳴らすんじゃねえ犬にさかるクソ所長が、愛犬失ったショックでとうとうイカレちまったのかよ!」
 「とっとと引退しろ!」
 「てめェなんざハルと一緒に骨壷に入ってりゃよかったんだ、そしたらあんた専用の廟でも作って祭ってやったのによ!」
 天井のスピーカーに向かいさかんに野次が飛ぶ。
 怒髪天を衝いた囚人らが怒りの矛先をスピーカーに転じ勢い任せに拳を突き上げ手当たり次第に物を投げ付ける。騒然とした廊下の中央、荒れ狂う囚人に揉みくちゃにされ目を回した鈴木がだらしなく僕によりかかる。
 「直!」
 振り返る。
 現状の偵察に赴いたサムライが取り急ぎ僕のもとへ帰ってくる。
 スピーカー越しの演説は続く。
 ただ淡々と、必要事項のみを述べる。
 『前おきはぬきだ。本日は諸君らに重大発表がある。諸君らの今後の生活に大きな影響を与える発表だ。東京少年刑務所の囚人ならば決して無関心ではいられない深刻な事態が発生したのだ。今日はその詳細を話すべく緊急に召集をかけた。一同至急中庭に来られたまえ』
 機械を介した声には疲労が澱んでいた。
 ハルを亡くしたショックは計り知れず、所長はいまだ立ち直れず医務室に通い詰めカウンセリングにかかっているという。
 だが僕は、その病み衰えた声の底から噴き出す毒々しい瘴気を感じた。 
 機械を介して金属的に響く所長の声は無気力に弱り果てているようでありながら、その実厭わしいほどの精力が地殻で沸騰するマグマの如く滾り立ち、常に理性の指針がブレているかのように音程が一定せず、沸々と迸る狂気が聞くものすべてを戦慄させた。
 暴動が一転鎮まる。
 廊下に詰め掛けた誰もが囚人看守問わずスピーカーから迸る狂気にあてられる。
 鼓膜を刺し貫く金属質の声は一方的に言いたいことだけ言って回線を断ち切った。
 閉じられた回線から再び音声が漏れ出ぬかと聴覚を研ぎ澄ますも、演説の余韻が大気に溶けて漂うだけで後には何も聞こえてこない。
 「………胡乱だな」
 所長の正気を訝しむふうにサムライが眉をひそめ腕を組む。
 沈黙したスピーカーを見詰める彼に寄り添い、詰問に近い口調で性急に疑問を述べ立てる。
 「重大発表とは何だ?所長は何を企んでいる?東京プリズンに持ち上がった一大事とは何だ、僕らはこれから……」
 「とりあえず中庭に行けばわかるんじゃないかな?」
 鈴木が小さく挙手し遠慮がちに口を挟む。
 声を発したことで今初めてその存在に気付いたとばかりサムライが当惑する。
 「彼のことは気にするな。広義では僕の知り合いと言えなくもないがどちらかといえば他人に近い」
 詳細は略し簡潔に紹介すれば釈然としない顔で、しかし一応は納得したというふうに頷いてみせる。武士に二言はない。好奇心に駆られ根掘り葉掘り詮索するのは武士にあるまじき軽佻浮薄と自重したらしい。
 周囲の囚人が看守の先導に従い従い不承不承移動を開始する。
 所長がもったいぶって告げた「重大発表」とやらに浅からぬ関心を示し中庭に向かいだす雑踏に紛れ、僕とサムライとついでに鈴木も中庭に出る。

 中庭には既に東西南北全棟の囚人が集結していた。
 見渡す限りコンクリ張りの中庭を全棟あわせ三万人もの囚人が占領するさまは壮観の一言に尽きる。
 肌の白いもの黄色いもの浅黒いもの、さまざまな人種と言語が入り交じり混沌の坩堝と化す中庭の正面にはいつかとおなじ演台とマイクが用意されている。
 朝早くから緊急集会を告げるベルで叩き起こされた囚人の中には腹立ちを隠せず不満を訴えるものもいたが、「重大発表」の内容になみなみならぬ関心を抱くものが全体の圧倒的多数を占める。
 囚人は好奇心旺盛な生き物だ。
 野次馬根性むき出しで我先にと中庭に詰めかけた囚人たちの間に割りこみ先へ進む。
 「はぐれるな」
 「子供扱いするな」
 「俺の手を握れ」
 先頭を歩くサムライが僕に手をさしのべる。
 その手をとろうとし、ためらう。
 昨日の出来事があざやかに蘇る。キスを迫る僕を拒むサムライ、至近距離で感じた息遣い、頬を包む手のぬくもり……
 「………君は僕の保護者か?不愉快だ」
 さっと手を退ける。
 サムライが妙な顔をするのを無視、努めて平静を装いも動揺が足に出て歩調が速まる。朝起きてサムライの顔を見たときから過剰に意識していることに気付き態度が硬化する。
 「お、おいてかないでくださいー!」行く手を阻む人ごみに邪魔されつつ必死に追いすがる鈴木を無視しサムライに並ぶ。
 サムライが戸惑いを隠せず僕の横顔に一瞥くれる。
 「何を怒ってる?」 
 「君の不甲斐なさだ」 
 「昨夜の事か」
 「それ以外に何がある」
 会話が途絶える。二人の間の空白を周囲の喧騒が埋める。
 「お前を大事にしたいと思うのが、そんなに悪い事か」
 己の足元を見詰めサムライが呟く。
 無味乾燥なコンクリートに己の心を投影しているのか、その顔はひどく厳しい。
 苦悩の色濃く俯く眉間が悲壮な陰影を刻む。
 サムライの横顔に目を奪われる。
 どこまでもひたむきな眼差しでサムライが言う。
 「愛しいからこそ大事にしたいと思う弱気を嗤うか」
 眼差しが揺れる。横顔が歪む。
 胸に悲哀を抉りこむ真摯な問いに僕は言葉を失う。
 周囲の喧騒が急激に遠のき潮騒の雑音と化し世界に僕と彼ふたりだけとなる。
 雑音から切り離された真空の世界で対峙し互いの目を見詰める。
 サムライの顔から、目から、唇から視線を放せない。
 彼が欲しいという欲求を抑えきれない。
 体の奥底から名伏しがたい衝動が突き上げ、口を開く。
 「君の発言は矛盾している。僕が好きなら何故キスしなかった、僕に恋愛感情なり性欲なりを抱いてるなら僕が許可した時点でキスすればよかったんだ。僕がいいと言ったんだからいいんだそれは、君がためらう必要なんかどこにもない、僕と君の間で合意が成立し了解がとれれば他人など関係ない。僕は他の誰でもなく君の気持ちが知りたいんだ、僕に対し抱いてる感情を知りたいんだ」

 なぜサムライは僕自身の許しを得てもキスしない?
 なぜそこまでかたくなに拒み続ける?

 無意識に詰め寄り挑むように目を見据える。
 逃げ場を塞ぐように正面に立ち疑問をぶつける。
 「僕が欲しくないのか?僕を欲しいとは思わないのか?」
 君が欲しいと思っているのは僕だけなのか?
 これはこの気持ちは僕の一方的なもので、サムライはそもそものはじめからして僕に欲情などしてないのか?
 黙然と佇んだサムライがゆっくり口を開く。
 どうすれば僕に気持ちが伝わるか傷つけずにすむか逡巡しつつ、ためらいがちに。 
 「俺はお前を、」
 「おやお二方ともお揃いで。今日は良い日和ですね」
 場違いに呑気な声が割って入る。 
 二人同時にそちらを振り向く。
 自然と二つに分かれた雑踏の中央を威風堂々たる大股でこちらにやってくるのはいかにも胡散臭い人物。
 きちんと七三に分けた光沢ある黒髪、聡明に秀でた額、目尻の垂れた柔和な双眸とに絶やさぬ微笑み。
 牛乳瓶底の伊達眼鏡が滑稽な印象を強調する浅黒い肌の男が、なれなれしく片手を挙げこちらに歩み寄る。
 南の隠者、ホセ。
 「何用だ?」
 サムライが木刀に手をかけ警戒する。
 油断なく双眸を光らせ牽制するもホセは全く意に介さず歩調を落とす気配もない。
 久しぶりに姿を見せた南の隠者は相変わらず上辺だけにこやかに真意の読めない笑みを湛えている。
 悠揚たる足取りでこちらに接近するや、不審な行動をとれば即座に切り捨てるといわんばかりに抑制した殺気を放つサムライの手前で立ち止まり、大袈裟に胸に手をあててみせる。
 「知らぬ間柄でもないというのに随分なご挨拶ですね。我輩傷付きました。これでも知り合いを見かけたら挨拶する最低限のデリカシーは備えているつもりですが」
 いたく傷心の素振りで嘆かわしげに首を振るさまが嘘くさい。
 「親しく挨拶を交わすほど友好的な関係だったか?」
 「ご冗談を。彼とはペア戦で一戦交えた仲です。同じリングに上がり正々堂々拳を交えたもの同士芽生える友情もあります」
 「うせろ下郎」
 今にも木刀を抜き放たんばかりに一歩を踏み出しサムライが吐き捨てる。
 とりつくしまもないあしらいにホセはおどけて首を竦めてみせるも、反省の色などかけらもなく嬉々として話を続ける。
 「今日は面白い見世物が拝めます。いやあ、お二人は運がよい。東京プリズンの歴史が劇的に変わる今日この日に直接その瞬間を目撃できるのですからツイてるとしかいいようがない。これはある意味ペア戦百人抜き達成以上の快挙、否、比べるのもおこがましいほどの歴史の転換点です。何せあちらはたかだか娯楽試合、こちらは国と国との思惑が水面下で衝突する政治的陰謀劇。前者が東京プリズン内部で行なわれる囚人しか知らぬイベントなら、こちらは世界規模で影響が波及するやもしれない歴史的事件です」
 饒舌に捲くし立てるホセの表情を観察し異変を悟る。
 今日のホセは様子がおかしい。
 いつもおかしいといえばそれまでだが今日は特に上機嫌で浮かれている、気分が高揚している。
 大袈裟な身振り手振りも朗々と張り上げる声も分厚いレンズの奥で精力旺盛に輝く目も、全身に力が漲り燃えているのがわかる。
 全棟三万人が馳せ参じた中庭の中央がまさしく世界の中心であるかのように恍惚と酔い痴れ、牛乳瓶底眼鏡の奥の目に熱狂に沸かせ、ホセは我こそ主役とばかり陶酔の面持ちで天に両手をさしのべ感嘆符を連呼する。
 「カルメンに会える日がまた一歩近付いた歓喜に我輩の胸ははち切れそうです。おお、うるわしのカルメン!これは愛するワイフに捧げる革命の序曲、ダンカイロが奏でる妙なる前奏曲です。我輩はもう何年もこの日を待ち侘びていました。東京プリズンが覆るこの日を、ダンカイロが表舞台に躍り出る記念すべき今日の良き日を……これでやっと、私の野望が現実となる……」
 最後は口の中だけで呟くにとどめ、すっと興奮を鎮めて僕とサムライをかわるがわる見る。
 最前の高揚とかけ離れ落ち着き払った物腰が底知れない不気味さを醸す。
 取り澄ました微笑みの奥、周到に練られた陰謀が満を持して動き出す。
 ホセの奥底で胎動していた陰謀が今はまだ非常に曖昧に、しかし現実に形をとり始める。
 背筋に悪寒が走る。
 あるいはそれは戦慄。
 完成形に近付いた陰謀をもはや隠しもせず匂わせながら、ホセは丁寧に会釈する。
 「ではこれにて失礼。余計なお世話ですが、この後何が起こっても決して取り乱さず事態を静観するのが賢明です。……取り乱して注意を引いたら最後銃殺されてもおかしくない。かの国の軍人は平気で人を射殺しますからね」
 「かの国?軍人?待てホセ、それはどういう……」
 謎めいたキーワードに好奇心を刺激されホセを追って雑踏に飛び込みかけた僕をサムライがおしとどめる。
 余裕を窺わせる悠長な動作で顔を上げ、僕とサムライとを意味深に見比べ眩く白い歯を零す。

 『Adios』
 アディオス。
 スペイン語の別れの言葉。

 流暢なスペイン語で別れを告げたホセが優雅に身を翻し去っていく。
 引き戻された僕の目の前でホセが雑踏に紛れあっさり消失する。
 あとにはただ無国籍の喧騒が空間を埋めるのみ。
 一体ホセは何を企んでいる、何を知っている?
 脳裏に疑問が増殖する。
 ダンカイロとはビゼー作オペラ「カルメン」に出てくる密輸商人の名前だがそれがホセの陰謀と何の関わりをもつ?
 去り際の爽やかな笑顔が瞼裏に蘇る。
 ホセは言った、スペイン語でアディオスと。
 「スペイン語でもっとも有名な別れの挨拶『Adios』だが、現地ではこれはあまり良い印象をもたれない。何故ならこれは『あなたとはもう会わない』という絶縁の意味にもとれるからだ。……ホセはわざとこの言葉を使ったのか?僕らと会うことはこの先二度とないと暗に含めて?」
 「考えすぎだ」
 そうは思えない。別れ際のホセはかすかな同情を含んだ目で僕を見た。まるで不吉な運命を予言する隠者の如く……
 ホセはこの先、東京プリズンで何が起きるか知っている?
 込み上げる不安に苛まれた僕は、サムライの呟きに素早く顔を上げる。 
 「見ろ」
 サムライが正面に顎をしゃくる。
 中庭の正面に設えられた演台に看守を伴い歩いてくるのは、三つ揃いの高級スーツを身に付けた中年男性。
 針金のような痩身と奇妙にぎくしゃくとした動きが病的な印象を与える男は、両脇の看守に支えられ演台の下に辿り着く。
 「所長だ」
 「しばらく見ないあいだに随分痩せたな。あれでは針金を通り越し爪楊枝だ」
 実際力を込めれば今にもへし折れてしまいそうな印象だ。
 三つ揃いの高級スーツで身を固めていても、げっそりこけた頬と病み衰えた顔から漂う死臭は隠し切れない。
 所長はしばらく見ないあいだに十歳は老け込んでいた。
 銀縁眼鏡の奥で嗜虐の光を湛え、舐めるように囚人ひとりひとりを見渡していた双眸は陰惨に荒み、やつれきった顔と丸めた背からはまったくもって覇気が感じられない。
 ふと所長が大事そうに胸に抱いてるものに目を留める。
 白くなめらかな陶器の壷……
 「骨壷だと?」
 馬鹿な、所長は本気で気が違ってるのか?
 改めて正気を疑う囚人一同の前に、所長は一段一段タラップを踏みしめ大儀そうに姿を現す。胸には後生大事に骨壷を抱えている。
 所長がいとおしげに骨壷の表面をなでる。
 生前のハルの毛並みを慈しむのとまったく同じ動作で壷を愛撫し、呟く。
 「ハル……骨となってもまだ、こんなにもお前を愛している……」
 眼鏡の奥の双眸が恍惚とぬれる。弛緩した口元から犬歯が覗く。
 うっとりと骨壷に頬ずりする所長の異常さに囚人がひく。
 骨壷を抱え壇上に立った所長が、中庭を見回し深呼吸する。
 「諸君、朝早くからご苦労。重大発表がある」
 第一声を放つ。
 「先日私の愛犬ハルが誘拐され非業の死を遂げた。犯人はこの中にいる。しかし、名は問わない。この場で自首をすすめたところで素直に聞き入れるとも思えない。ハルは聞き分けの良い犬だった。私の命令ならなんでも素直に聞き従ったが、君たち知能と忠誠心でハルに劣る発情した家畜どもに人語が通じるなどと甘い考えはもはや通用しない。君たちが人語を解するならば私がハルの失踪を告げた時点でリアクションがあったはずだ、犯人は酌量の余地があるうちに大人しく名乗りでてハルを返したはずだ。しかしそれをしなかった、ハルの無事を祈り帰りを待つ私の説得を聞き入れずとうとう哀れなハルを殴り殺してしまったのだ!」
 所長が涙声で叫び膝をつく。
 骨壷をひしと抱きかかえ泣き崩れる所長、哀れを誘う嗚咽が地を這うように低く流れる。
 発狂せんばかりに激しく身をよじり声にならぬ呪詛を吐く所長の醜態に、囚人はおろか看守までもが鼻白む。
 「朝っぱらから叩き起こされて中庭に集められたと思えばハルの追悼式典かよ?やってらんねー」
 「所長のことだから骨壷に添い寝してみじめったらしくハルを思い出してるんだろうさ」
 「本物の変態だな」
 「ハルの骨を粉にして呑んでこれで私と一心同体だとかやってそうだ」
 「斬新な健康法だな。効き目あンのか」
 「カルシウムは補給できそうじゃんか」
 口さがない囚人たちが演台に崩れ落ちる所長に失笑を浴びせる。
 顰蹙を買った所長はしばらく嗚咽まじりに腕の中の骨壷に何事か語りかけていたが、妄想のハルに受け答えするかのように首肯し、マイクのつまみを回しボリュームを最大に上げる。

  『静粛に!!!!!!!』
 
 「ーっ!?」
 容赦なく鼓膜を刺し貫く金属音にたまらず耳を覆う。
 所長の様子は尋常ではない。
 肩を浅く上下させ不規則に呼吸し、狂気にぎらぎらと光る目であたりを睥睨する。
 『私はハルの仇をとると決めた。必ずやこの中からハルを殺した犯人を見つけ出し処分する、ハルがうけたのと同じかいやその億兆倍の苦しみを味あわせ嬲り殺してやると心に決めた。ハルは私のすべてだった、我が最高の伴侶にして忠実な愛犬にして半身の親友だった。ハルは私を心から信頼しきり私もまた心からハルに愛情を注いだ、私とハルとは身も心もひとつに繋がった最高の伴侶だった。私とハルとは主従の関係を超越し種族の壁をも乗り越えた純愛を育んでいたのだ……貴様ら愚かな家畜どもには決してわかるまい、この高尚な愛が!身も心も捧げ尽くしたパートナーに先立たれる絶望が、むなしさが!!』
 失意のどん底を這い回り絶望の味を噛み締め、今や完全に狂気の虜と化した所長が大量の唾飛ばし叫ぶ。 
 『……どれだけあがいたところでハルは戻ってこない』
 声が突如消沈する。狂気が癒えて理性を取り戻したかに見える沈静ぶりで所長は淡々と言う。
 『私は心の底からハルを愛していた。しかしハルはもう戻ってこない、できることは限られている。私はハルが生きた証を残そう。ハルはここで死んだ。この砂漠の監獄で何者かに殴り殺され非業の死を遂げた。ここが終焉の地ならば、パートナーの私にはそれを永久に形に残し記憶にとどめよう』
 再度優しい手つきで骨壷をなで、尊大に顎引きあたりを威圧する。
 『砂漠にハルの墓を作る』
 は?
 「砂漠に犬の墓?……何言ってんだ、頭おかしいんじゃねーか」
 「人間サマだってポイポイ穴に放り込まれてるってのに、犬畜生ごときのためにわざわざ墓なんて作ってられっかよ」
 その発言は囚人の猛烈な反発を招きブーイングが爆発する。
 しかし周囲の反応の悪さなどまったくもって意に介さず、夢うつつの境地で所長は続ける。
 『ハルの墓は巨大でなければいけない。永遠に人々の記憶に残る偉大なものでなければならない。ハルの一生と悲劇の死を印象付けるため、墳墓を建てる』
 所長は言った。

 『東京プリズンに核発電所を建てる』
 ハルの墓碑を兼ねて砂漠の真ん中に核発電所を建てると、
 ハルの死を忘れぬために。

 次の瞬間、天地がひっくり返るような暴動が起きた。
 所長の一言がもたらした衝撃は絶大だった。ハルの墓を作ると聞いたときは小馬鹿にした薄笑いで受け流した囚人どもが、体に害を及ぼし発ガン率を高める核発電所が身近にできると知った途端目の色かえて轟々と非難を浴びせ始める。 
 「寝言は寝て言え!核発電所ってなんだよおい囚人の許可もとらず勝手に決めんじゃねーよ、万一事故があったら真っ先に放射能浴びんの誰だと思ってんだよ、放射能が漏れて被爆したらてめえ責任とってくれるのかよ!?」
 「チェルノブイリの二の舞だ……頭の毛が抜けて二目とつかぬ容姿になっちまったらどうすんだ、娑婆の恋人だって見分けがつかねーよ!」
 「大体発電所とハルの墓となんの関係があんだよ、全く別もんじゃねーかごっちゃにすんなよパラノイア!」
 発電所を建てるという決定に激怒した囚人らが抗議の声を発し波打つように演台に押し寄せる。
 極端に沸点が低い囚人どもが演台に駆け上り所長を殴り倒そうとして逆によってたかって看守に止められる、しかしそれでも看守の警棒で殴打されコンクリートを舐める囚人を飛び越え演台に向かう囚人が後を絶たず中庭は大混乱を極める。
 「「退陣!退陣!」」
 「「辞職!辞職!」」
 「俺たちをハルにも劣る家畜と罵り人権を踏み躙るイカレ所長に退陣を要求する!」
 「てめえも今骨壷に入ってる犬と一緒に死んでりゃよかったんだ、そしたら骨壷ン中で末永く一緒に暮らせたのによ!」
 「いっそ今ここでハルの後追い自殺しちまえ、そしたら俺らに迷惑かかることなく発電所の話も立ち消えになる!」
 「骨壷を抱いて翔べ、そして死ね!高さ三メートルの演台から気合で飛び降り自殺しろ!」
 罵声と野次とが叫喚の渦を成す中、僕は事態の推移についていけず呆然とするしかない。
 「東京プリズンに発電所を建てるだって?馬鹿な、とても常識を兼ね備えた正気の人間の発想とは思えない。所長は精神分裂病になってしまったのか?あの支離滅裂な言動はそうとしか思えない」
 「狂っている」
 独白する僕の隣でサムライが苦々しく呟く。
 狂っている。
 所長も看守も囚人もこの場に居合わせた人間全員が……否、東京プリズン全体が狂気に侵されつつあるのを肌で感じる。
 所長の一方的な決定に反発した囚人の大群が凄味ある怒声を発し一丸となって駆けて行く。
 力づくで所長を引きずり下ろし殴り殺そうとでもいうのか、その目はおそろしく血走り殺気立っている。所長の警護に配置された看守が壁を築き、凄まじい勢いでやってくる囚人らを片っ端から警棒で叩き伏せていく。
 看守と囚人の間で取っ組み合いが始まりやがてそれは大規模な暴動に発展し、東西南北あわせて三万人もの囚人が集結した中庭はもはや収拾つかない状況を呈する。
 「俺から離れるな」
 押し流されてきた囚人が僕にぶつかる。
 サムライが僕の手首を掴み自分の方に引き寄せしっかり抱きしめる。身を挺し僕を守るサムライ、力強い抱擁に安堵を覚えるも束の間、視界の端を過ぎる光景に息を呑む。
 「レイジ………」
 思わず名を呟く。
 僕に腕を回したままそちらに視線を流したサムライの顔が強張る。
 そこにいたのはレイジ……否、暴君。
 偶然にも僕の10メートル斜め後方に位置していた暴君は、荒れ狂う人ごみを涼しげに眺め、本人は全く冷静に、余裕を窺わせる笑みさえ浮かべ周囲の状況を把握する。
 いきりたつ人ごみが暴君が放つ威風に気圧されし彼を避けて通る。 
 暴君を中心に直径1メートルだけぽっかり空いた奇妙な空間が出現する。
 台風の中心は異様に静かだというが、暴君を中心としたほんの数平方メートル範囲だけが周りの騒動とは無縁に緊迫した静けさを保っている。
 暴君の足元に座り込む人影……ちらつく銀髪。
 サーシャ。
 暴君は今朝の集会に見せびらかすようにサーシャを連れてきた、戦利品を披露しに来たのだ。
 捕虜を伴い中庭に現れた暴君はしかし、所長の演説に取り乱すでも怒り狂うでもなく、相変わらずにやにやと浮ついた笑みを湛えている。
 褐色の手が銀髪にかかる。
 サーシャの耳元で暴君が何かを囁く。
 この距離では聞き取れないが、瞬間サーシャの形相が豹変する。
 固く強張った顔を恥辱に赤く染め、次の瞬間にはまた青くなり、暴君の足元に跪いたサーシャが身を引き裂く葛藤に苦しみ表情を歪める。
 「やれ」
 暴君がぞんざいに顎をしゃくる。
 主人の命令は絶対。
 暴君の足元に慇懃に跪いたサーシャは逡巡をかなぐり捨てるように固く固く目を閉じ、意を決し暴君のズボンを脱がしにかかる。
 目を疑う光景。
 屈辱に震える手で下着ごとズボンを下ろすや、しどけなく縺れた銀髪の奥の瞳に躊躇の色を浮かべ、慈悲を乞うように悲痛な顔で一途に暴君を仰ぎ見る。
 「レイジ……頼む、許してくれ……ここには北の人間もいる、北の皇帝として君臨した私の家臣がいる。房に帰ったらお前の言う通りにする、だから今この場は見逃してくれ……」
 「ご褒美はいいのか」
 暴君が酷薄に目を細めポケットから透明な袋をとりだす。
 褐色の指先に摘んだ袋には白い粉末が密閉されている。
 サーシャが喉から手が出るほど欲している覚醒剤の粉。
 その袋をサーシャの眉間に翳し勝ち誇った笑みを湛える。
 征服者の愉悦に酔い痴れた微笑は、かつてサーシャが浮かべたものとよく似ていたがその本質は明確に異なっている。
 レイジの笑みは上辺だけ。
 顔の皮膚を剥がせばそこには何もなく虚無が広がっている、そう思わせる空虚な笑み。
 しかしだからこそ、人を破滅させる悪魔にも似て美しい笑み。
 「俺に逆らう気か、サーシャ。お前はサバーカだ、クスリ欲しさに悦んでケツ振り俺のつまさきをしゃぶるサバーカになったんだろ。だったら絶対服従の証拠見せてみろ。昨日のパフォーマンスだけじゃまだ足りねーとさ、まわりの囚人どもは。大衆は貪欲だ。東の暴君の犬に成り下がったからにゃとことん芸を仕込んで皆にも見せてやると決めたんだ。どうしたサーシャ、目がイッちまってるぜ?そろそろ限界だろ、こいつが欲しいだろ?昨日の夜から一粒も与えてないんだから欲しくて欲しくてたまんねーよな、もうそれっきゃ考えらんねーよな。だったら……」
 熱に浮かされたように饒舌に捲くし立て、暴君が片手でサーシャの頭を押さえ込む。
 むりやり暴君の股間へ押さえ込まれ、赤黒く怒張したペニスを顔にこすりつけられたサーシャが屈辱に呻く。

 『Lets  play.』
 奉仕の時間だ。

 残酷な宣告に従いサーシャが弱々しくレイジのものに舌を這わす。
 着崩れた軍服のボタンは掛け違い隙間から淫らに白い肌が覗く。
 サーシャが身動きするたび銀髪がさらさら流れる。
 サーシャは地面に跪いた体勢から暴君の股間に顔を埋め、屹立したペニスの根元に手を添え緩急つけてしごきつつ、唾液を捏ねる音も淫猥に舌を絡め口に含んで吸引する。
 東西南北の囚人が一堂に会す中庭の中心でフェラチオを強要されるサーシャが正視に耐えず思わず駆け出そうとした僕をサムライが引き止める。
 「……もう限界だ。あまりの醜悪さに吐き気がする」
 「俺とて同感だ。しかし今注意を引くのはまずい、お前まで巻き添えになり独居房送りになるぞ」
 あたりを見回せば我を忘れ所長に挑みかかった数十名の囚人がよってたかって看守に引きずり倒され手錠をかけられ連行されていく。
 だれもがぴりぴり殺気立ったこの状況で目を引く行動をとれば警棒が飛んでくるか独居房送りになるのは明白。
 しかしサーシャを見殺しにするのは耐え難い、これ以上群集に埋もれ残酷な見世物を傍観し続けるのは我慢できない。
 サーシャが強いられている行為は僕が売春班で無理強いされた行為と全く同じ、唯々諾々と暴君の足元に跪きぬれた唇でペニスを咥えるサーシャの姿に皇帝の威厳と面影はなくその落差が痛ましい。
 しかしそれ以上に僕が我慢できないのはサーシャにフェラチオを強要しているのはレイジと同じ顔をした男だということ、僕の友人と全く同じ顔の別人だという現実だ。
 「ふあ、ふぐっ……レイジよ、はやくそれを……この哀れで見苦しいサバーカめに褒美をくれ……んく、ふっ……私は皇帝だ、誇り高きロシアを象徴する偉大なる皇帝だ……こんなぶざまな醜態を大衆の前に曝け出すくらいなら死んだほうがマシだ……」
 「舌遣いに興がのってきたじゃねーか」
 レイジがあからさまに嘲り力を込めサーシャの頭を押さえ込む。
 深々首をうなだれ面を伏せたサーシャが嗚咽とも苦鳴ともつかぬくぐもり声を漏らす。
 妖艶に赤い舌がくちゃりと唾液の糸引きペニスに絡む。
 サーシャは口では嫌がりつつも無心に奉仕に没頭する、口と手を使いペニスをしごきますます角度を急に勃ち上がらせ舌で唾液を塗りてらてらと輝かせる。
 ぐちゃぐちゃに乱れた銀髪が痩せこけた顔を縁取る。
 顔に纏わりつくおくれ毛を振り払う余力もなくレイジのペニスをしゃぶるサーシャの後ろにひとりの囚人が歩み寄る。
 背後から伸びた手がサーシャの脇に滑り込む。
 「なっ………!?」
 サーシャの顔に戦慄が走る。
 僕もまた、サーシャの背後に立つ人物に驚きを禁じえない。
 数ヶ月前、僕とロンが監視塔に捕らわれた時ロシア人ではないからとサーシャに酷く暴行を受けた混血の少年がいた。
 「ツァーウーラーツァーウーラ、皇帝陛下万歳祖国ロシア万歳サーシャ様万歳ツァーウーラ……」
 「無礼者めが、汚らしい雑種の分際でなれなれしく私の体にさわるな!私を誰だと思っている、ロマノフの血を受け継ぐ正統なる皇位継承者アレクサンドル・二コラエヴィッチ・アベリツェフ……ひあぐ!?」
 電気の鞭で打たれたようにサーシャが大きく仰け反る。
 脇から滑り込んだ手が上着の裾をたくしあげ無遠慮に素肌をまさぐる。
 大衆が生唾呑み見守る中、かつての皇帝の背後に回りこみ欲情に息を荒げ囚人が呟く。
 「あんたは偉大なる北の皇帝として恐怖をもって俺たちの上に君臨し続けた。ナイフの腕じゃだれもあんたに勝てなかった、みんながあんたに心酔しあんたの妄想に付き合って第二ロシア帝国建国を志した。けどな、今のあんたはどうだ?北の連中は皆がっかりしてる、幻滅だって陰口叩いてる。北じゃあんなに威張りくさって気に入らないことがあるたびナイフ投げまくってたあんたが自ら望んで東の犬に成り下がったと聞いたときゃ仰天したぜ。北の連中は皆あんたに騙されたんだ、てめェのこと皇帝だって嘯いて第二ロシア帝国の野望を熱に浮かされ語ったお前に人生狂わされたんだよ!!」
 北で人間扱いされなかった恨みを込め憎憎しげにサーシャを罵る。
 背後から毟り取るように上着を捲り大胆に肌を露出させ、野次馬に見せつけるようにいやらしく乳首を転がす。
 乳首をきつくつねられ苦痛と恥辱に喘ぐサーシャを冷ややかに見下ろし、レイジは顎をしゃくる。
 「国民に反逆される気分はどうだ?サーシャ」
 レイジが顎をしゃくった方角を一瞥、サーシャが打ちのめされる。少し離れた場所で事態を静観をしていたのはかつての北の仲間……サーシャを偉大なる皇帝と仰ぎ監視塔の事件にも加わった北の囚人たち。しかし今サーシャに注ぐ眼差しは侮蔑を孕んだ冷ややかなものだ。 
 一片の敬意も忠誠心もなく突き放すようにサーシャを眺め、北の囚人らが聞こえよがしに悪態をつく。
 「いいザマだな皇帝陛下。俺たちの前でびんびんに勃った乳首を披露する気分はどうだ?」
 「いつも威張りくさってやりたい放題やってたツケが回ってきたんだ、いい気味だ」
 「あんたの時代は終わったんだ、北に帰ってきてもあんたの居場所はねーよ。東の犬に成り下がった北の面汚しを温かく出迎えるほどこちとら腑抜けちゃいないんでね」
 「皇帝の時代は終わった。あんたはもうおしまいだよサーシャ、クスリ漬けの性奴隷は暴君の下で喘いでるのがお似合いだぜ」
 「まったく、これがどっちじゃサバーカわかりゃしねえ」
 毒々しい悪意に満ちた哄笑が爆ぜる。中庭で服を剥かれ一糸纏わぬ上半身と勃起した乳首を晒したのみならず、レイジにフェラチオを強要され口元を唾液でべとつかせた廃帝の末路に大いに幻滅し、北の囚人らが一斉に罵声を飛ばす。かつてサーシャを皇帝と呼び忠実な家臣として仕えた名残りは微塵もなく、サーシャは今や完全に帰る場所と仲間を失い孤独となった。
 「あんたにゃ随分世話になったな皇帝サマ。混血だ雑種だロシアの面汚しだとさんざん馬鹿にして足蹴にしてくれたっけな、俺はあんたにサバーカ扱いをうけ蹴り転がされながらいつか復讐してやるとそればかり夢見て北での辛い日々を耐え抜いたんだ。あんたのその取り澄ました顔をぐちゃぐちゃにしてやりたくて、北の連中の目の前であんたを引ん剥いて犯しまくるのだけを支えに生きてきたんだ」
 獣じみて荒い気遣いのはざまから興奮に掠れた声を吐き出し、混血の少年が裸の胸をまさぐる。サーシャの乳首をいじくりまわすのに飽きた少年は下腹へと手を進めズボンの中に潜りこませる。
 「やめ、ろ……卑しいサバーカの分際で皇帝に逆らうとは愚か者め、ナイフの餌食になりたいか!?」
 咄嗟に虚勢を張るも効果はなく、混血の少年は陰険にニヤつきながらサーシャの股間をまさぐりはじめる。
 「口がお留守になってるぜ」
 「んぐぅふ、」
 暴君がサーシャの前髪を掴み乱暴に顔を起こす。
 むりやり顔を上げさせられたサーシャが悲鳴の口を開いた口にすかさずペニスを突っ込む。
 前から後ろから二人がかりで責め立てられ、口腔を生臭い肉塊で満たされ満足に呼吸もできず窒息の苦しみに喘ぎつつ、うっすらと涙の膜が張った目に暴君の酷薄な笑みを映しけなげに奉仕を継続する。
 「俺のペニスもなめなめしてくれよサーシャ」
 「レイジが終わったら今までの恩返しに北の囚人全員をしゃぶってまわるんだよな」
 「顎外れるまでしゃぶらせてやっから一滴残らず飲み干せよ」
 「股間にシャブ塗って待ってっからさー」
 取り囲む囚人らが一斉に囃し立てる。
 暴君はサーシャの前髪を掴み喉突き破らんばかりに勢い良く腰を突き入れ、混血の囚人は背後から手を回しサーシャの股間をくちゃくちゃと揉む。前から後ろから責め立てられる快感に溺れ朦朧と虚空に視線を泳がすサーシャ、虚ろに呆けたその顔に我慢も限界に達する。

 これ以上見てられない。

 サムライを振りきり反射的に駆け出す僕の視線の先、サーシャの前髪を掴んだ暴君の顔が蕩け一度二度と痙攣する。
 寸前にペニスを引き抜き仰向いたサーシャの顔面に白濁をかける。サーシャの顔から白濁が滴る。髪も顔も服も白濁に塗れ変わり果てたサーシャの背にのしかかり混血の囚人がズボンを毟り取るーー……
 「やめろっ!!」
 暴君はただ笑いながらそれを見ている。
 壊れた人形の如く無気力に地面に転がったサーシャ、そのズボンを引き剥がそうと手をかける囚人を。
 行く手を塞ぐ囚人を押しのけ突き飛ばしわずかな隙間に身を割り込ませ少しでも前に出ようとあがく。

 暴君には僕の声が届かないのか?
 暴君の中で眠りについたレイジにも?

 ともすると絶望に打ちのめされ立ち止まりそうになる自分を叱咤し、一秒でも早くサーシャのもとへ向かおうと足をくりだし…
 空の彼方に出現した、針の先ほどの点に気付く。
 「何?」
 顔を上げた拍子に空の彼方に浮かぶ点が視界に入る。
 漸く夜が明け始め、東の空が最初は淡く次第に神々しくあたりを照らし始める。太陽が昇ると同時に光満ちる東の空に現れた点は次第に大きさを増し、接近に伴い徐徐に明確な形をとり始める。
 東の空の彼方から急激に近付いてくる謎の飛行物体に囚人らが驚きの声を上げる。
 「なんだありゃ」
 「こっちに近付いてくるぜ」
 「待て、変な音しねーか?」
 興奮に沸き立つ囚人らの鼓膜を蜂の羽音に似た低い振動が震わす。
 朝焼けの光満ちる神々しい空の彼方からこちらをさし飛んでくる異影は次第に巨大化し今やはっきりとその全貌を現す。 

 ヘリコプター。

 風切り旋回するプロペラを頂点に冠した流線形の機体はひどく洗練されている。僕らのちょうど頭上、中庭の全体を俯瞰する位置に滞空するヘリコプターの側面にはスライド式のドアが付き白・青・赤を三等分に配色した国旗が刷られていた。

 白、青、赤。
 白は高貴と率直の白ロシア人を、青は名誉と純潔性の小ロシア人を、赤は愛と勇気の大ロシア人を示すロシア連邦の国旗。

 スラブ三色と呼ばれるロシア連邦の国旗を機体の側面に掲げたヘリコプターは、よく見れば四人乗りに改良されたロシア軍正式採用「黒い鮫」ー……ブラックシャーク。蜂の羽音と錯覚したのは高速回転するプロペラの唸り。
 突如上空に出現したロシア軍籍のヘリコプターに囚人たちは取り乱す、わけもわからず空を指さし興奮の叫びをあげ色めきだつ。
 僕は空を見上げたまま慄然と立ち竦む。朝から続いていた胸騒ぎの正体がこれではっきりした。
 現実に海を越え飛来した一機のヘリコプターが、東京プリズンの秩序を根底から乱そうとしている。
 東京プリズンに新たな問題を持ち込もうとしている。
 「ホセはこの事をさしていたのか」
 隣にやってきたサムライと並び空を仰いでいるうちに、演台から下りた所長と看守とが足音も慌しく血相替えてこちらにやってくる。疑問符を浮かべた顔を一瞥、ヘリコプターの襲来は彼らにとっても不測の事態だったのだと直感する。
 息せき切って駆けて来た所長と看守一同の前でヘリコプターが着陸態勢に入る。
 機体が慎重に滑空し、僕らが固唾を呑んで見守る前で次第に高度を下げていく。プロペラの唸りが鼓膜を突き破らんばかりに高まる。
 プロペラが大気の層を突破する爆音が耳を聾し鼓膜を痺れさせる。
 砂利まじりの烈風が体を打ちすえ前列の囚人らがたまらず顔を覆う。
 「一体何事だこれは、聞いてない聞いてないぞ、私はハルの追悼式典を粛然と執り行うと同時に発電所を建てる発表をするために集会を開いたのに空から馬鹿げた機体が降ってくるなどと全く予想の範疇外の出来事だ!どうなってるんだこれは、一体何が起きているんだ安田くん!?」
 動揺もあらわにヒステリックに叫ぶ所長の隣、オールバックが風で乱されぬようさりげなく押さえ副所長が返答する。
 「私もわかりません。少なくとも政府から視察の連絡は受けていません、こんな常識はずれの時間帯にヘリコプターが飛んでくるなど前代未聞です」
 「黒い鮫」の名称に相応しく、近くで見ると畏怖を禁じ得ぬ威容を誇るヘリコプターが風圧であたりを払い、底部から音もなく車輪を出す。
 人も砂利も風圧で等しく薙ぎ払いヘリコプターが着陸する。
 濛々と砂埃を舞わせ人が掃けた中庭の中心に着陸した機体のドアが滑るように開き、東西南北あわせて三万人もの囚人と看守とが極度の緊張と興奮を保ち凝視を注ぐ中、あざやかなロシアンブルーの軍服に身を包んだ青年将校が姿を現す。
 靴音も高らかにエリート軍人らしく律動的な歩調で歩み出たのは、さらさらと流れる銀髪に薄氷の瞳の取り合わせが神秘的な美形だった。
 えもいわれぬ出自の高貴さを感じさせる目鼻立ちと洗練された物腰はだれかを思い起こさせる。

 初対面にもかかわらず強烈な既視感を覚える。
 だれかに似ている。

 下士官を伴いヘリから降り立った青年将校は、生まれながらに貴族の品を備えたしかし嫌味にならない仕草であたりを見回す。
 あたりに濛々と立ち込めた砂埃が幾条もたなびきつつ晴れていく。
 厳粛な静寂に支配された中庭に降り立った青年将校は、自分を取り囲む看守と囚人らを等分に見比べていたが、とある一点で視線が静止する。
 『………Александр』
 唇が震え、言葉を紡ぐ。
 アレクサンドル、と僕の耳には聞こえた。
 青年将校の視線を辿り振り向けばそこにはサーシャがいた。
 亡霊でも見たかのように極限まで目を見開いたその表情は、僕がこれまで見た中でもっとも悲痛な顔だった。
 戦慄、驚愕、動揺……
 混沌と入り交じる感情に翻弄され慄然と目を見開くサーシャ、腰砕けに地面に座り込んだその姿はあまりにもひどい。
 生まれたての太陽の光を受け燦然と輝く銀髪はぐちゃぐちゃに縺れて乱れ顔を縁取り、顔面には白濁が飛び散っている。胸まで捲れた軍服は皺くちゃでその下からは唇と手で揉みしだかれ赤い烙印を施された裸体が露出する。
 陵辱の痕跡も生々しく、軍服を淫らにはだけて呆然と座り込むサーシャのもとへ靴音も高らかに将校が歩み寄る。
 「いやだ……寄るな、来るな、近付くな……今更何をしにきたもう遅いすべて手遅れだ!こんな私を見るな、頼むから見ないでくれ、こんな惨めでぶざまな私を見ないでくれ……もはや私の威厳は失墜した私は王座を追われ犬に成り下がった。私はロマノフの血を継ぐ偉大なる皇帝などではない、サーカスの淫売が股から産み落とした薄汚い私生児にすぎなかったのだ!そうだ本当はわかっていたずっと昔からわかっていたのだ、私は最初からサバーカに身を堕とし男のものをしゃぶり尻を犯され飼い殺しにされる運命だったのだ!!」
 狂乱を来たしたサーシャが頭を抱え激しく首振り絶叫する、少しでも青年から距離をとろうとしてあとじさり服の裾を踏みつけ転倒する。
 恐怖がこびりついた必死な形相で無意味な奇声を発し自分を拒み続けるサーシャに青年は悠然と近付いていく。
 一歩、また一歩と距離が縮まる。
 硬質な靴音だけを響かせ、相変わらず薄笑いを浮かべたレイジの横をサッと通過しサーシャの正面で立ち止まる。
 「来るな、来るな、来ないでくれ……こんな私を見ないでくれ。あなたにだけはこんな姿を見られたくなかった、こんなぶざまなところを見られたくなかった。男の慰み者にされ顔と体は白濁に塗れペニスは浅ましく勃起し服はしどけなく着崩れたこんな私を見ないでくれ、どうかどうか……私は誇り高くも奢り高きロシア皇帝サーシャ、北の囚人どもにトップとして仰がれ傅かれる偉大なる指導者、だれもが私を敬い羨み従順なサバーカとして私に尽くす、そうだ私こそがロシアを支配しゆくゆくは世界を総べる選ばれし存在なのだ!」
 尻で地面を這いずり掠れた声でサーシャが喚き散らす。
 弛緩した口元から白濁した泡を飛ばし、狂気と絶望に蚕食された目は燃え尽きる寸前の蝋燭の如く異様な輝きを放つ。
 「私は選ばれし人間なのだ、ロシアで最も偉く賢い皇帝なのだ、誰もが私を褒め称え万歳と唱和する。ほら聞こえるだろうツァー・ウーラツァー・ウーラ、ツァー・ウーラ・ハラショー・サーシャ……」
 妄想に取り憑かれうわ言を口走るサーシャの前にごく自然な動作で跪き、将校が儚く微笑む。
 「漸くお会いできましたね」
 今にも泣き出しそうな微笑み。
 限りない愛情が滲む笑み。 
 そして青年は言った。
 ツァー・ウーラ・ツァー・ウーラと自分を褒め称える言葉を口走り栄光の追憶に身をひたすサーシャに優雅に手をさしのべて。

 「お迎えにあがりました、陛下」

 その時はじめて気付く。
 青年はサーシャにうりふたつといっていいほど容姿が似通っていた。
 兄弟で通じるほどに。


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少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050314205448 | 編集
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