ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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三十九話

 「そんなことがあったのか」
 腕を組んだサムライが渋面を作る。
 噛み締めるように反駁したサムライをベッドに腰掛けた僕は無言で眺める。
 房に帰った僕を出迎えたのは強制労働を終えたサムライだった。
 僕は展望台の出来事を自分の身に起きたことは伏せて一部始終サムライに話した。
 話し終えると同時に一息つき、注意深くサムライの表情を窺う。
 床に胡坐を組んだサムライは厳しい面構えで黙り込む。
 声をかけるのすらためらう威圧感がその全身から放たれている。
 房の床の中央に胡坐をかいたサムライは日課の写経と読経に精を出すでもなく何事か一心に考えに耽っている。
 ベッドの下から硯と筆と文鎮と半紙の一式を取り出しもせず、瞑想に耽る武士の如く厳粛な沈黙を保つサムライから目をそらし、呟く。
 「暴君が安田にまで襲いかかるなど予測不能だった」
 重苦しい雰囲気が立ち込める。
 天井の中央に吊り下がった裸電球が不規則に点滅し視界の明度が変わる。
 胸中に湧き上がる不安を押し殺そうと努めるもうまくいかず、神経質に指を組み替え内心の動揺をなだめながら僕は続ける。
 「今のレイジはレイジじゃない。まさしく暴君、そう呼ぶしかない掟破りの存在だ。実際僕はこの目で見た、暴君の暴威と暴走を。今日一日で彼がなした暴挙は枚挙にいとまがない。三日前自分がロンに駆け寄るのを阻んだ道了の取り巻きに出会い頭に襲い掛かり拷問具の缶きりを用い語るも無残な暴行を加えた、それはもはや動かしがたい事実だ。廊下の至る所に血痕が穿たれ開け放たれた扉の向こうから苦しみもがく呻き声が漏れてきた。きわめつけは展望台でー……」
 ふいに言葉が途切れる。
 サムライが眼光鋭くこちらを一瞥する。
 サムライに不審を抱かせてはいけない、僕の身に起きたことを悟られてはいけない。
 固く目を閉じ展望台の出来事を回想する。

 瞼の裏を高速で過ぎ去る映像の断片。
 残照眩い黄昏の空を背景にサーシャを背後から抱きしめた暴君が残酷に手を動かしサーシャを容赦なく絶頂へと駆り立てる、しどけなく着崩れた軍服の狭間から白い胸板を曝け出したサーシャはもはや喘ぐしか能のないサバーカとなりはて弱々しく身悶えし暴君の愛撫に身を委ねる。 暴君は容赦なく嬉々としてサーシャを責め立てる。
 強く擦られ弱く握られ緩急つけてペニスを刺激されることによりクスリが回った全身を快楽の奔流に投じたサーシャは暴君の導きにより遂に大衆の眼前で精を放つ。
 皇帝の終焉、廃帝の末路。
 東棟の大衆が生唾飲んで見守る前で強制的に半裸に剥かれ射精するという醜態を晒したサーシャは、筆舌尽くしがたい屈辱に打ちひしがれ力なく膝を折った。

 僕は覚えている、あの時のサーシャの顔を。
 プライドの最後の一片までも剥ぎ取られた絶望の顔を。

 涙の枯れ果てた眼窩から虚ろな視線を漂わせるサーシャの変貌には僕自身動揺を禁じえなかった。暴君はどこまでも残虐にサーシャが唯一の拠り所としていたプライドを踏みにじった。
 黄色い猿どもと蔑む東の囚人の前で完膚なきまでに痛めつけられたサーシャは暴君の手招きに応じ従順に尻尾を振るサバーカと成り果てて彼の命令に従いコックバンドを咥えてとってくるまねまでした。

 暴君の欲望はそれだけでは留まらなかった。

 次に暴君が標的に定めたのは安田だった。
 相手が副所長といえどお構いなしに彼はその暴力性を遺憾なく発揮した。
 安田が看守を連れず展望台に赴いたのはあくまで冷静に当事者と話し合いをもつためだった。
 しかし暴君は安田の配慮を踏みにじった、話し合いを目的にひとり展望台に赴いた安田の甘さにつけこみ彼に襲いかかった。
 仰向けに寝転がった安田にのしかかりシャツを引き裂き貧弱な上半身を晒す、乱暴にボタンを毟られシャツを裂かれた安田は必死に抵抗するも腕力差は歴然、暴君はその膂力をもって安田をたやすく組み敷きシャツの内に秘められた肌を暴こうとした。

 そして。
 止めに入った僕まで無差別に毒牙にかけようとした。

 「………っ………」
 暴君の愛撫で感じてしまった自分が恥ずかしい。
 快楽を仕込まれた体に憎悪すら覚える。
 恥辱に唇を噛み上着越しに二の腕を抱く。
 安田はおろかこの僕にまで強姦未遂を働くとは今のレイジは正気じゃない、完全に狂気に侵され自制をなくしている。
 欲情の火照りを帯びた唇が首筋を辿り唾液の筋をなする。
 しなやかにのたうつ褐色の手が上着をはだけ中に侵入する。
 体にまだ暴君の唇と手の感触が残っていて不快極まりない。
 唇が触れた箇所を手荒く擦る。
 首筋が赤く染まる。
 擦った皮膚がひりひり痛み始める。
 一刻も早くシャワーを浴び不快な感触を洗い流したい衝動に駆られるもサムライに怪しまれるのが嫌で立ち上がるのをためらう。
 第一シャワーは二日に一回と規則で決められている、僕は昨日シャワーを浴びたばかりだから明日になるまで我慢しなければ……

 「直」
 ハッと顔を上げる。
 サムライとまともに目が合う。
 胡坐を正座にかえて体ごとこちらに向き直ったサムライが、真剣極まりない顔でひたと僕を見据える。
 緊張を孕んで強張る顔になみなみならぬ決意が表出する。
 切れ長の双眸に沈痛な光を宿しサムライが深々頭を垂れる。
 「不甲斐なくてすまん」
 格式張った所作で床に手を付き上体を完全に折り畳む。
 おもむろに床に額を擦りつけたサムライに面食らう。
 サムライはそれから数秒間その姿勢を保ち精一杯の誠意を示す。
 「お前の一大事にまた俺は間に合わなかった。己の不明を恥じるばかりだ」
 顔を伏せたままサムライが呟いた言葉に動悸が速まる。
 まさかサムライは僕の身に起きたことを知っているのか?
 危惧を抱きサムライを注視する。
 サムライは面目ないとかたくなに顔を伏せたまま、自責の念に揉まれた胸中を苦しげに吐露する。
 「一歩間違えばお前にも危害が及んでいた。責任感の強いお前なら俺がそばにいなくともレイジを止めようとしたことだろう。自ら用心棒を名乗っておきながらお前の窮地に立ちあえなかった己が不甲斐ない」
 そういうことか。
 思い過ごしと判明し安堵に胸撫で下ろす。
 サムライは僕がレイジに襲われたことを知らず、自分が知らないところで僕を危険な目に遭わせた不明を恥じているらしい。
 まったく、責任感が強いのはどちらだと呆れる。
 尊大に顎を引き高飛車に足を組み替え、謝罪に動じない取り澄ました態度でどこまでも真面目一途なサムライを揶揄する。
 「君が不甲斐ないのは知っているから今さら謝らなくてもいい」
 「これはけじめだ」
 不甲斐ないのは否定しないか。
 度を越して頑固なサムライに呆れ溜め息をつく。
 「二十四時間僕にはりついてるわけにもいくまい。排泄時も背後で目を光らせ監視されてるとなれば僕こそ落ち着かない」
 「用を足す時は後ろを向いている」
 「そういう問題じゃない」
 どこまでも信念を譲らないサムライとの議論に徒労を感じる。
 鼻梁にずれた眼鏡の位置をせわしく直し頑固一徹のサムライを宥めにかかる。
 「残業ならばしかたない。安田の配慮でせっかくブルーワークに戻れたというのにまたサボったりしたら今度こそ永久にレッドワークから脱け出せないぞ。レッドワークならまだいいが最悪ブラックワークの死体処理班に回されることになる」
 「安田には感謝している」
 「安田は公正な男だからな」
 公正な判断が仇になる場合も少なくないが。
 自嘲の笑みを口の端に含んだ僕をサムライがうろんげに見詰める。
 本心まで見透かされそうな透徹した視線に居心地悪くなる。
 間をもたせようと眼鏡の弦をしごき予防線を張る。
 「今日の残業は随分長引いたな。下水道で何かあったのか」
 本心を言えばサムライの残業の内容になど興味はないが、他に適当な話題が見つからなかったのだからしかたがない。
 世間話の延長で質問すれば、思いもよらぬ重々しさでサムライが呟く。
 「……現在下水道で行方不明者が続出しているのだ」
 「行方不明者?」
 配管が故障して水漏れの事故でも起きたのかと予想していた僕は、予想外の返答に少なからず驚く。
 下水道で行方不明者が出ているなど初耳だ。
 真偽不確かな疑念の眼差しでサムライを見れば、当の本人はいささかも動揺することなく泰然と落ち着き払って続ける。
 「東西南北全棟からここ最近何名かの囚人が消息を絶った。もとより東京プリズンではリンチによる死亡者や行方不明者が多いため看守もそれほど深刻には考えていなかったのだが、消えた囚人たちがいずれも下水道におりた痕跡が発見されたとあれば話は別だ」
 「全員下水道で消えたというのか?」
 「中の一人の私物が下水道で見つかった。失踪者が下水道におりるところを見た目撃者も出てきた。事態を重く見た看守はブルーワークの囚人に捜索隊を組ませ消えた囚人の行方を追い始めた。俺もまた失踪者をかりだすため時間外業務を請け負ったのだ」
 考えてみれば奇妙な話だ、下水道でばかり人が消えるというのは。
 サムライが苦りきった顔で嘆息する。
 「看守の中には消えた囚人どもが集団脱走を企てたのではないかと怪しむ向きもある、だからこそ躍起になって行方を追うのだが……どうにも解せぬ、いまだにひとりも見つからぬとは」 
 「待てサムライ、君は今東西南北全棟から失踪者がでていると言ったな。東棟からも誰か消えているのか」
 ごくささやかな好奇心に端を発し質問すれば、サムライが耳目を憚るように四囲に鋭く視線を馳せその名を口にする。    
 「リョウだ」
 驚き、困惑。
 僕の表情を目の端で捉えたサムライが顔を引き締める。
 たしかにここ数日間リョウの姿を見なかった。
 同じイエローワークでも僕は砂漠での過酷な肉体労働を担当しリョウは温室でのどかに水撒きをする待遇の差があり、そもそも行き先が違うのだから同じバスに乗り合わせなくても不思議はないとこれまでは気にも留めてなかったがまさかリョウが下水道で消息を絶った行方不明者の中に含まれているとは……
 不吉な胸騒ぎが芽生える。
 サムライの口から知人が消息を絶ったと告げられた衝撃は強く、僕は一瞬言葉を失う。

 一体東京プリズンで何が起きている?
 下水道で失踪者が続出する現状は何を意味する?

 頭を回転させ推論を組み立てようとこころみるも情報不足で仮定を導き出せずもどかしくなる。
 リョウの身を案じているわけではない。
 リョウにはこれまでさんざん酷い目に遭わされてきたのだから仮にリョウが消えたところで痛快に思いこそすれ心配などするはずない、だがしかし……
 「リョウが行方不明になってるなんて全然知らなかった」
 「消えて日が浅いからまだ噂が広まってないのだ。リョウはお前が来る前からの外泊の常習犯だからな」
 「ならば何故リョウが下水道で消えたとわかる、根拠はどこに?」
 僕の追究にサムライはしばし熟考し慎重に考えを述べる。
 「……同房のビバリーがそれらしきことを言っている。なんでもリョウが消える直前地下のことを探っていたらしい」
 「地下?」
 「東京プリズンの地下には地震で開発を中断された都市の廃墟があるらしい。失踪前のリョウは何故だかその事を執拗にさぐっていた、ビバリーの助けを借りて二十一世紀初頭に持ち上がったその……東京……なんと言ったか、東京あん、あん、安打……」
 「東京アンダーグラウンド計画?」
 慣れない横文字にどもりまくるのを見かねて指摘すれば、サムライが大仰に咳払いする。
 「それを熱心に調べていたそうだ。……真偽が定かでないにしても砂漠の地下に廃墟があるというのはかなり知れ渡った風聞で、以前にも噂を真に受けた囚人が抜け道をさがし下水道におりる例が後を絶たなかったらしい。老朽化した壁が崩れて生き埋めになったり増量した水に溺れるなど事故が多発してからは興味本位に下水道におりるものもめっきり減ったのだが」
 サムライが意味深に言葉を切る。
 思考に没頭するサムライの横顔から意を汲む。
 「リョウが下水道におりたということはもしかして…開発半ばで頓挫した東京アンダーグラウンド計画の遺物の通路と地下迷宮の如く複雑に枝分かれした下水道がどこかで繋がっている可能性があると?」
 にわかに知的好奇心がもたげてくる。
 東京アンダーグラウンド計画は僕も小耳に挟んだことがある。
 僕が生まれるはるか昔、二十一世紀初頭頃に持ち上がった新都市造成計画。
 政情不安に揺れる中国・台湾・韓国、紛争が勃発する東南アジアなど近隣諸地域から大量の難民が流れ込んだことにより東京の人口は爆発的に膨れ上がった。
 ただでさえ人口過密状態で居住面積がごく限られた東京に大挙して難民が流れ込んだため、国連の一員であり世界有数の資本主義国であり最低限の人道的配慮とやらを視野に入れた当時の政府は、東京の地下に都市を作り外国人を移住させる計画を立ち上げた。
 しかし、予測不能の事態が起きる。
 二十一世紀初頭に始動したその新都市計画は、同時期に相次いだ地震によりあえなく頓挫した。
 開発途中で投げ出された都市は作業員ともども土砂に埋もれ朽ち果てる運命を辿ることとなる。
 八十年以上が経過した今は都市伝説としてのみ存在を語り継がれるものの、日本人がまだこの国における多数派だった時期にそういう計画があったのは事実らしい。
 「そもそも東京プリズン地下に発達した下水道は新都市の要となるべく建設されたものだからな。本来は下水道ではなく地下を網羅し都心に繋がる道路だったという噂もあるくらいだ」
 「どうりで下水道にしては道幅が広いはずだ。下水道というよりトンネルに近い構造をしていたから妙に思っていたんだ」
 サムライの発言に共感をこめ頷く。
 以前リョウに誘われて下水道におりた時も違和感を感じたのだ。
 下水道にしては道幅が広く照明の位置も高く、どことなくトンネルに似た印象を抱いたのは間違いじゃなかったのだ。
 ……待て、そうなると下水道で多くの囚人が消息を絶った事実は看過できない重大な意味をもつ。
 東京プリズン地下の下水道が八十年前に開発半ばで遺棄された道路だとすれば、数ある通路のどれか一本が生き残り都心に通じている可能性も……

 脱出路。
 脳裏に閃光が爆ぜる。

 「リョウは脱獄に成功したのか?」
 喉が異常に渇く。
 この仮説が正しければ下水道に消えたきり姿の見えない囚人らのうち何名かは脱獄に成功したのかもしれない、都心に抜ける通路を見出し東京プリズンを永遠に去ったのかもしれない。
 馬鹿な。
 馬鹿げている。
 そんなわけがないと理性が否定する。
 第一下水道は長大で複雑に込み入っていて、旧通路から脱獄を企てた囚人を待ち受けるのは道に迷って飢え死ぬか凍え死ぬかどちらにしろ悲惨な末路だ。
 その他問題点は多々ある。
 徒歩で都心をめざすには最低三日分の食料がいる、そんな大量の食料をどこからどうやって調達する、仮に調達できたとしてもそんな大荷物を背負ってはたして体力が尽きる前に目的地に辿り着けるか?
 氷点下の気温に粗末な囚人服の上下で耐えられるか? 
 増水や崩落などの不測の事態不慮の事故にはどう対処する?
 様々な疑問が脳裏を駆け巡るも、リョウが脱獄したかもしれないという疑惑が次第に現実味を増していく。

 仮にリョウが脱獄に成功したのだとしたら、
 僕だって。
 僕にだって、できるのではないか?
 リョウ如き低能にできることが、IQ180の天才にできないはずがないじゃないか。

 「…………っ…………」
 指の関節が白く強張るほど手を握り込む。
 やり場のない感情が沸騰し胸が騒ぐ。
 リョウに出来た事が僕にできないはずがない。
 食料の確保、防寒対策、看守の監視をかいくぐり時間を稼ぐ方法。
 クリアすべき課題は多いがそれさえ克服すれば現実に八十年待たずにここを出ることが可能なのだ、今すぐにでも恵に会えるのだ、最愛の妹を抱きしめられるのだ。
 名伏しがたい衝動が僕を揺さぶる。
 これまで不可能だと諦めていたことが鮮明に現実味を帯び絶望に狭窄した視野が一気に拓け光明が照らす。
 今頃リョウはどこでどうしている?
 溺愛する母の胸に飛び込み感動の再会を果たしている頃か?
 脱獄を企てた全員が成功するとは限らない、失敗する率のほうが高いとわかりきっている。
 それでも何十分の一、何百分の一、何千分の一でも可能性があるなら賭けてみたい。 
 可能性を信じたい。
 恵に会いたい。
 僕にはIQ180の頭脳という最大の武器がある、心強い味方がいる。
 僕ならきっと下水道で迷わず脱出路を見出し都心に抜ける事ができる。
 恵との再会も夢じゃない。
 『おにいちゃん』
 恵がまたあの笑顔を向けてくれるとは限らない。
 生涯笑いかけてくれなくてもいい。
 僕はただ、恵に会いたい。 
 僕が生きているあいだに、
 もう一度。

 「直?」

 「!」
 体に電流を通された気がした。
 過敏に顔を上げる。
 床に座したサムライが心配げに僕を覗き込んでいる。
 唐突に黙り込んだ僕の態度に不審を抱いたものらしい。
 僕が貧血でも起こしたものと誤解したのか、ふらりと傾げばすぐ支えられるといわんばかりに片膝立て身を乗り出すサムライを見詰め返す。
 脇においた木刀を素早く引っ掴み、猛禽の如く鋭利な双眸に憂慮の色を湛えたサムライを呆然と見詰めるうちに、脱獄の可能性をあらゆる角度から検討していた脳裏に一抹の躊躇が兆す。

 サムライは?
 サムライはどうする?

 脱獄の企てを夢中で空想していた一瞬、完全にサムライの存在を失念していた。
 サムライだけじゃない。
 レイジも、ロンも。
 漫画の素晴らしさをともに語り合うヨンイル、ワンフーやルーツァイをはじめとした売春班の面々。
 東京プリズンで出会った仲間たち、これまで僕を支えてくれた彼らの事を念頭から忘却していたのだ。
 「………………」
 彼らの事を忘れていた衝撃と罪悪感にも増して僕を打ちすえたのは、単純にして冷徹な問い。
 サムライはどうする?
 自分ひとりでここを出るつもりか?
 サムライと別れて?
 仲間を捨てて?
 自分ひとり逃げ出すのか?
 何も告げずに彼らのもとを去るのか?
 
 「あ………」
 絶望に頭を抱え込む。
 虚しく開いた口から無意味な呻きが零れる。
 僕は、どうかしていた。
 自分ひとりでここから逃げ出せるわけがない。
 以前の僕ならいざ知らず今の僕はサムライを残していけない。
 レイジやロン、ヨンイルや売春班の面々を見捨てていけない。
 生涯かけて僕を守ると誓った男と共に戦ってきた仲間を捨ててのうのうと妹に会いにいけるはずがない。

 サムライと一緒なら?

 唐突に、本当に唐突に、あまりに都合よい考えが濃霧を払ってさしこんでくる。
 「どうした?気分が悪いのか」
 睫毛がふれる距離にサムライの顔が迫る。
 息を詰めサムライの顔を凝視する。
 サムライに脱獄の計画を明かし二人で逃げ出すならどうだ?
 レイジとロンにも話そう、ヨンイルにもついでに。
 残していくのが不安なら一緒に来ればいいんだ。
 サムライ、僕と一緒に逃げてくれ。
 震える口で願いを述べようとして思いとどまる。
 本当に成功するのか?
 僕は一時的な衝動に流され非現実的な望みを口走ろうとしてるんじゃないか。
 リョウが脱獄したかもしれないという空想に刺激され外への未練がぶりかえし僕自身が頭の中で捏ね回した妄想にサムライを巻き込み破滅させようとしてるのでは?
 脱獄が成功するとは限らない。
 僕か彼か、それとも全員が死ぬかもしれない。
 生と死の二択を迫る危険な考えを軽々しく口にできるわけがない。
 レイジとロンが大変なこの時期に「もしかしたら」を接尾語とするそんな楽観的な考えは口にするのさえ憚られる。
 僕は馬鹿だ。
 どうかしている。
 目の前に希望がちらついたとたん自制心を失って縋り付きたくなるなんて、冷静な判断力を欠いて結論を急ぐなんて、ここで得たすべてを捨てて恵のもとへ走るなどと短絡的に即断して。
 目の前の彼となら外でもなんとかやっていける気がして。
 恵に拒絶された僕の居場所はもうここしかないというのに、勘違いをして。
 「…………直?」
 サムライが思い遣り深く僕の頬を包み込む。
 頬を包む手から一途な労わりの念と人肌のぬくもりが伝わってくる。 僕はサムライの手に頬を預けたままその顔を細部までじっくりと観察する。
 肉の薄い一重瞼の奥に深沈と鎮座する黒い双瞳、すっきり筋が通った鼻梁と試練に挑むが如く引き結んだ口元。
 垢染みた上着から伸びた首筋には赤く爛れた火傷の跡が残っている。 
 溶鉱炉の上に吊るされた僕を守るため命を賭し戦った名残りの烙印。
 喉仏の形すら端正な首に見惚れる。
 知らず知らずのうちに引き込まれ身を乗り出す。
 唇が目前に迫る。

 三日前、サムライは僕にキスをした。
 唇の感触は三日間去らず、夜毎僕を苛んだ。

 売春班では吐くほど不快だった行為がサムライが相手だと嫌ではないどころか一種の快感さえ伴うと知ったのはごく最近だ。
 快感というと語弊がある。
 唇を介して僕の中に流れ込んできたのはサムライの脈動とぬくもり、だれかに守られているという実感、恍惚とした安堵……
 いずれも快感と呼ぶにはあまりに儚く微温的な感触だが、快か不快かと二択で問われれば間違いなく快で、唇が触れ合った瞬間にまず湧き上がったのは彼と一体化した喜びで。
 彼をより近くに感じられる喜びが僕の中に息衝いていたのを否定できない。
 ためらいがちに指を伸ばし頬にふれる。
 サムライが当惑する。
 物問いたげに震える唇に視線をやり、静かに問う。
 「なんで僕にキスしたんだ?」
 抵抗感なくその言葉が滑り出た。
 本当はずっと聞きたかったのだ、サムライの本心が気になっていたのだ。
 聞くなら今しかないとの狂おしい衝動に突き動かされ本人を前に直接問えば、サムライが動揺もあらわに顔を背ける。
 「お前にならいレイジとロンを取り返す誓いを立てたまでだ。しかし生粋の日本男児が十字架に接吻するなどはしたない、だからお前に…」
 「僕は十字架の代わりか?僕の唇は無機物のように冷たく味気ないという嫌味か?」
 「違う」
 断固として否定し、気迫の篭もる目で真っ直ぐ僕を見据える。
 「接吻したかったからしたまでだ。納得したか」
 「不条理だ。説明をもとむ」
 鋭く切り返せばサムライが心底困惑したといったふうに眉を顰める。
 弱りきった風情のサムライを突き放し返答を待つ。
 姿勢よく床に座したサムライは揃えた膝の上に拳をおき暫時躊躇するも、僕の追及から逃れられないと覚悟を決めるや深呼吸で胸郭を上下させ、居直りも甚だしくふてぶてしい鉄面皮で噛み砕くように断言する。
 「………お前が愛しいからだ」
 葛藤と煩悶の末に漸く決心し本音を吐露したサムライは、最前の発言に大いに恥じ入った様子で面を伏せる。
 ベッドに腰掛けた僕は、揃えた膝に手をつき今にも消え入りたそうに小さくなるサムライを眺めながら人さし指で唇をなぞる。
 サムライの唇の感触は三日経ってもまだ去らない。
 サムライの感触を反芻し、唇のふちをなぞりながら独白する。
 「僕が拒まなかったのも同じ理由だ」
 サムライが驚いたようにこちらを見る。
 惑う指を唇に添え物思いに沈む。
 三日前どうしてサムライはキスしたのか、どうして僕は拒まなかったのかずっと考えていた。
 唇の感触を反芻し妙に体が火照って眠れない夜に考えに考え続け漸く結論に達した。
 サムライが触れてから僕の唇は体で一番敏感な性感帯に成り代わり淫蕩な微熱を孕み、こうしてゆっくりと指をふれ下唇の膨らみを辿るとかすかにむず痒い官能のさざなみが立ち、自慰に似た後ろめたさとともに快楽とも安らぎともつかぬまどろみの心地よさにひたることができる。
 売春班では肌に唇がふれるだけで虫唾が走った。
 レイジに後ろから抱きしめられ首筋を貪られた時には嫌悪感が爆発した。
 サムライだけが例外だった。
 サムライの唇だけが、僕を気持ちよくしてくれる。
 どんな激しい愛撫や行為より、ただ触れ合うだけのキスが僕の体を熱くする。
 
 彼と離れたくない。
 ずっと一緒にいたい。

 彼をもっとそばに感じたい。
 もっとそばにいると安心させてほしい。

 馬鹿な。
 僕はいつからこんな反吐が出るほど甘い感傷を抱くようになった、サムライとは対等な友人でいたかったのにいつから不純物が混じるようになった、いつから彼に対し欲望を抱くようになった?
 売春班に助けにきて押し倒された時からか、ホセとの密会を終えた深夜の図書室でむりやり唇を奪われてからか、別れを決意し去ろうとした僕を踊り場で引きとめ抱擁した時か、溶鉱炉の上に吊るされた僕を我が身をかえりみず救出に来たときか、それとも、それともー……

 わからない。
 きっかけは数限りなくあった。
 その数限りない積み重ねがいつしかサムライを友人以上の存在として意識させるようになった。 

 僕は僕の中で目覚めた欲望から必死に目を逸らし続けた。
 不感症の僕がサムライに性的な感情を抱くはずはずはないと自己暗示をかけ衝動を律し、サムライに欲情するもう一人の自分を否定し続けたのだ。
 かつて売春班でおぞましい経験を重ねた僕は、サムライに欲情するもう一人の自分を決して認めるわけにはいかなかった。
 売春班での経験によって性行為が不快で不潔なものでしかないと体と心に刷り込まれた僕が、他ならぬ対等な友人として接してきた男に性的な衝動を抱き始めているなど、友人以上の存在として過剰に意識し始めているなどとは断じて認めるわけにはいかなかった。

 熱く湿った吐息が耳朶にかかる。
 『サムライに抱いてもらえなくて寂しいだろ?慰めてやるよ』
 暴君が背にのしかかり囁く。 

 まだ耳朶に残る暴君の囁きと感触を振り払いたい一心でベッドから身を乗り出し、挑むようにサムライと向き合う。
 「サムライ」
 この気持ちが友情かそれ以上か確かめたい。
 もう一度試してみたい。
 呼びかけに打たれたサムライが訝しげにこちらを見る。
 固く指を組み腹の奥底で暴れる衝動を抑えながら、今にも萎えそうな気力を精一杯奮い立たせて頼む。
 「もう一度キスしてくれ」
 声も顔もできる限り平静を装って切り出したのだがうまくいったかどうかは甚だ疑わしい。 
 固く組んだ手がじっとり汗ばむ。
 極度の緊張と興奮に心臓が蒸発しそうなほど高鳴る。
 今すぐ前言を取り消したい衝動と最後までこの目で見届けたい欲求とが同じ引力でせめぎあい激烈な葛藤と焦燥を生む。
 頬に血が上るのが体温の変化でわかる。
 異常な熱意と興味を込め一心にサムライを見詰め続ける、サムライがどう出るか脳内で予測し揺るがぬ凝視を注ぐ。
 サムライは僕の一途な視線を受け止め、逡巡の色を湛えた目を一回閉じ、次に開いた時にはもう意を決していた。
 「……本当にいいのか?」
 勘繰り深く念を押すサムライに苛立ち、声を荒げる。
 「くどい。僕がいいというんだからいいんだ、さっさとやれ。これは単なる臨床実験だ。僕は純粋な知的好奇心から君にキスしろと命令したんだ、君のキスによって僕の内面にいかなる変化がもたらされるかを実地に検証してデータを採りたいだけだ、低能の浅知恵で邪推しないでくれ。僕は君に対し何らやましい感情など抱かない、君にキスされて嬉しいだの気持ちよいだの思うはずがない、不感症の僕が性的に反応するなど何かの間違いだと証明してみせる」
 焦燥に駆り立てられた早口で弁明し、こちらを見詰めるサムライの妙に気負った顔つきに気付いて黙り込む。
 もどかしく下唇を噛む僕の頬に骨張った手を添え、伏せた双眸に真摯な色を映じサムライが囁く。
 「あまり強く噛むと唇が傷つく」
 「僕の唇が甘いなどと思われたくないからわざと鉄分を含ませるんだ」
 心臓が爆発しそうに高鳴る。全身の血が沸騰する。
 ごくかすかな衣擦れの音に紛れサムライの息遣いを感じる。
 再び唇が被さるその瞬間を期し心の準備をする。
 優しく頬に添えた指一本一本から血のぬくもりと若干の遠慮、歯痒い程の気遣いが伝わってくる。
 ……焦らさず早くしてほしい、これ以上保ちそうにない。
 これ以上焦らされたら自制心が振りきれてしまう。
 裸電球が消耗していく音さえ聞こえる静寂の中、淫靡な熱を伴った視線が顔の輪郭を辿り、僕の顔の部品をひとつずつ丹念に精査していく。
 サムライが動く。
 衣擦れの音が静寂をかきみだす。
 仰向けた僕の顔に裸電球の光熱を遮り影が覆い被さる。
 顔の前で空気が動き湿った吐息がかかり熱く柔らかい唇が僕のそれと重なりー……

 大音量のベルが轟き渡る。

 「!!?-っ、」
 咄嗟に目を開けた僕の正面で中腰の姿勢で硬直するサムライ。
 僕らふたりが気まずく見つめあう間も大音量のベルは鳴りやまず鉄扉を隔てた廊下で怒鳴り声が炸裂する。 
 「お楽しみの時間は終わりだ囚人ども、みんないい子でねんねする消灯時間に騒いでる奴は警棒でぶちのめして永遠におねんねさせてやる!」
 「床でマスかいてるやつもエロ本回覧してるガキどもも母ちゃん思い出してしくしく泣いてるタマなしも三秒以内にベッドに戻りな、さもねーと怖いお仕置きが待ってるぜ!」
 東棟を巡回中の看守が威勢よく濁声を張り上げては警棒を振り回し、手近な扉や壁を力一杯殴打する。
 消灯時間が来た。
 消灯ベルに急き立てられた囚人どもが自慰を中断しズボンを引き上げ猥褻な本をベッド下に放り込み慌しく走り回る気配がする。
 殺気立つ足音とけたたましい嬌声に看守の哄笑が相交じり静けさの前の狂騒が廊下に吹き荒れる。
 扉を隔てたこちら側だけが周囲の騒音と切り離された重苦しい沈黙に包まれる。
 「………明日も早い。お前も寝たほうがいい」
 サムライが迅速に背中を向ける。
 どこかせかせかとわざとらしい様子で自分のベッドに戻っていくサムライを見送り、ベッドに取り残された僕は吐き捨てる。   
 「逃げるのか、意気地なしめ」 
 「何とでも言え。俺はもう寝る」
 立ち去り際裸電球を消し反対側のベッドに身を横たえる。
 一方的に会話を打ち切ったサムライに憤慨するも、ベルで理性を叩き起こされた僕は既に寝る準備に入ったサムライを呼び戻すのも気が引け、安堵と物足りなさとが相半ばする複雑な気持ちで毛布に潜り込む。
 靴音高く看守が去り、最前までの喧騒が嘘のように物音が途絶える。
 壁の方を向いて横たわるサムライと同じく、僕も壁を向く。
 不甲斐ないサムライへの苛立ちと腹立ち、未遂に終わった物足りなさと安堵とが入り混じる矛盾を抱え無意識に唇の膨らみをなぞる。
 ごく軽く指でなぞっただけで曖昧なむず痒さが生じるほど過敏になった唇がさらなる刺激を欲し疼き始める。
 切なく疼き始めた唇をなぞり、やり場のない怒りと苛立ちを吐き出す。
 「……僕の許可なく唇を奪うくせに、僕が許可したら逆らうとは不条理だ」
 癒されぬまま放置されたせいで渇きを増し脈打つ唇を持て余し、背中合わせの男への苛立ちと友情を越えた何かに物狂おしく苛まれ、僕はぎゅっと目を閉じた。 

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少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050315010356 | 編集
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