ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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二十九話

 凱の乱入におったまげる。
 だってそうだろ?
 一週間前の惨劇はここにいる全員の脳裏に鮮やかに焼き付いてる。
 道了に挑戦した凱が夢破れ喉裂かれ担架にのせられ退場したのは記憶に新しい。
 漸く意識が回復したかと思えば手当たり次第に物ぶん投げて保健室をめちゃくちゃに破壊しまくりケダモノの咆哮を上げ、ド迫力で暴走してきた男に計り知れない畏怖を覚える。
 こいつ人間じゃねえ。
 ゴジラとゴリラのあいのこだ。  
 驚異的回復力と体力に絶句するしかない俺らをよそに、たった今道了を吹っ飛ばした凱本人はといえば、首に巻いた包帯を颯爽となびかせてユエと対峙する。壁際に座り込んだユエは目にした光景が信じられぬまませわしく目を瞬いていたが、脳細胞に現実が染み渡るにつれ眼前の巨漢が凱だとはっきり認識し縋り付くように叫ぶ。
 「凱さん……本当に凱さんなんスか?死んでなかったんスか!」
 語尾が嗚咽で濁る。
 ユエと対した凱は、分厚い唇を捻じ曲げふてぶてしい笑みを拵える。
 『地獄から追ん出されてきたんだよ』
 酷い声だ。聞くに堪えない醜くひび割れた声。もともと美声とは言い難い野太い濁声だったが、喉を裂かれ声帯を損傷した今の凱が発する肉声は、硝子で爪を研ぐような生理的嫌悪を掻き立てる音波を発する。
 喉に詰まった石ころががらがら擦れ合ってるみたいな不協和音。
 ずれた包帯から首元の傷痕が覗く。
 稲妻の形状をしたその傷痕は縫合してまもないもので一声発するだけでも多大な苦痛が伴うのが顰めた顔から見てとれる。
 「凱さん、凱さん、あのっ……俺、俺は……」
 首の傷痕に目を吸い寄せられたユエが泡食って言い募る。
 凱は何も言わない。場が緊迫する。凱が放つ闘気が空気を熱する。
 ユエが沈痛に俯く。
 凱の威圧に挫けて悄然とうなだれるも、ありったけの気力を振り絞りその場に踏み止まる。
 「……言い訳はしません。俺が凱さんを裏切ったのは事実だから」
 ユエの顔が苦渋に歪む。
 叱責と暴力を覚悟の上で面を伏せ、深呼吸する。
 「けど、これだけはわかってほしい。マオは俺に巻き込まれただけなんだ、俺にむりやり付き合わされただけであんたを裏切るつもりなんかこれっぽっちもなかったんだ。俺は今ここで殺されたって文句は言えねえ。けどマオだけは見逃してやってくれ、これまでどおりあんたのそばにいさせてやってくれ。マオは……立派な男だから、きっとあんたの役に立ってくれる」
 ユエは何度も深呼吸し消え入りそうな語尾を繋ぎ遺言を託す。

 敵を騙すにはまず味方から。

 凱の仇をとるためマオを連れ道了に寝返ったふりをしたユエだが、道了のほうが一枚も二枚も上手だった。
 道了はユエの目的を見抜いた上でマオにユエを殺させるという制裁を選んだ。血の繋がった兄弟同士で殺し合いを演じさせるのも道了にとっちゃ乙な余興にすぎない。種を明かせばユエは最初から最後まで道了のてのひらで踊らされていたのだ。馬鹿なユエ。道了を舐めてかかったからこんな目に遭うんだ。けれども今の俺はユエを嗤う気になれねえ。たとえ相手が腐れ外道の女の敵強姦魔だって凱への一途な忠誠心から危険を承知で道了の懐に潜りこみ復讐を遂げようとしたのは事実で、復讐が失敗し一転窮地に追い詰められたユエがせめてマオだけは救おうと身を賭してとった行動を責められはしない。
 ユエはユエなりに凱に忠義を尽くそうとしたのだ。
 結局仇は討てずじまいで弟まで危険な目に遭わせちまったけど、ユエがそうまでして凱の仇を討とうとしたのは事実で、どんな腐った人間にもひとかけらの人間らしさはあって、ユエの場合それは己が身にかえても凱の名誉を守るというひたむきな信念に起因してるのだ。
 腐れ外道の女の敵強姦魔でも凱への忠誠心は正真正銘まじりけない本物だと認めざるえない。凱と残虐兄弟のあいだには俺には計り知れない絆があった。同志。同胞。互いをそう呼べる関係。凱はユエとマオの親父代わり兄貴代わりで空腹のガキに饅頭を分け与えた度量の大きい恩人で二人を叱咤し鍛え上げた師だった。

 ユエとマオのふたりにとって頼れる兄貴だった。
 大哥だった。

 「凱さん……対不起……」 
 マオを抱く腕に力がこもる。
 「俺、何もできなかった。凱さんの仇をとろうってひとりで気張って空回ってこのざまだ。俺は凱さんを離れちゃ何もできねえ情けない男だって自分で証明しちまったんだ。けっ、ざまあねえ!巷で恐れられた残虐兄弟の兄貴が聞いて呆れるぜ。俺は凱さんの後ろ盾がなきゃ台湾のクソ犬一匹ぶっ殺せねえ腰抜けだったんだ。腰も膝もチンコも立たねえふにゃけたタマなしだったんだよ。それが調子乗ってこのざまだ、また凱さんに恥かかせちまった。みじめな生き恥さらすよかひと思いに去勢されたほうがマシだ。兄貴失格の上に子分失格の烙印捺されてどの面下げて凱さんの前に出りゃいいかわかんねーよ!」
 熱い涙を滂沱と滴らせ己の股間に拳を叩き込む。
 股間から脳天を貫く筆舌尽くしがたい激痛。
 己の股間を殴るという奇行に走ったユエが食い縛った奥歯の間からくぐもった苦鳴を漏らし海老反りになる。極限まで剥いた眼球に毛細血管が浮かび、股間を両手で押さえ棒のように横倒しになり、半開きの口から白濁した泡を噴いて半死の醜態を露呈する。
 「ひぐっ、ひっ……痛てえ……」
 自業自得の苦しみに悶絶するユエに周囲の連中が白けた目を注ぐ。
 だがユエはおさまらない。
 弟を虐待する道了の暴挙を許したことで絶大な無力感と屈辱感と敗北感に打ちひしがれ、この程度の痛み苦しみではまだ足りない、弟が味わった壮絶なる苦痛は穴埋めできないと弱々しく震える拳で股間を殴る。 見てるこっちまで股間を覆いたくなる光景。
 ユエは塩辛い涙を噛み締め自分が犯した女の数だけ強姦魔の商売道具に罰を与え続ける。そうすることによって己に報いを与えるように、引っ込みのつかなくなった拳で何度も股間を殴り付けては筆舌尽くしがたい激痛に身悶える。
 「まだだ、まだまだだ。俺に犯られた女の痛みはこんなもんじゃねえ、マオと凱さんの痛み苦しみはこんなもんじゃねえ、まだ足りないまだ駄目だ………!」
 ユエがズボンに手をかけ下着ごと一気に引きずりおろす。
 萎えた性器と貧相な腿とを露出し壁を背にして立ち、開き直って啖呵を切る。
 「さあ、ばっさり殺ってくれ!今日でコイツともお別れだ!勃たねえ強姦魔なんざただのクズだ、コイツをばっさり処分してくれ!俺はもうコイツをぶらさげてる資格がねえ、道了を倒せずマオを守れず凱さんに尽くせなかった俺が一人前の男を名乗れるわけがねえ。俺にはタマなしのクズがお似合いだ。さあ、凱さん……」
 諦念の面持ちで目を閉じる。
 鳥肌だった太股と萎縮しきった性器を見比べ、凱は気難しく黙り込む。
 ユエは息を荒くしその時を待つ。
 今にも腰が抜けて座り込んじまいそうなのを壁に寄りかかることで辛うじて堪え、なけなしの気力で体を支える。
 「……ユエ。歯あ食い縛れ」
 一糸纏わぬ下半身を公開するユエに、凱が低く命令する。 
 ユエが顎を引く。
 言われた通り奥歯を食い縛り来たるべき痛みに備える。
 玉を蹴り潰される痛みを予期し瞑目するユエに凱が肉薄する。
 体の脇で拳を固める。
 服が裂けるほどに上腕二頭筋が隆起し拳に力が篭もる。
 玉潰れ竿引っこ抜かれる激痛に怯え顔面蒼白となり、しかし凱から逃げることはせずズボンを掴む手に間接が強張るほど力を込め、間延びした喘鳴をもらし続けるユエに近付きしな呼気低く腕を振りかぶる。
 「!!っ、」
 特大の砲弾の如き鉄拳が顔面に炸裂。
 頬げたを全力で殴り飛ばされユエが五メートル錐揉み状に吹っ飛ぶ。
 背中から床に転倒したユエは殴られた衝撃で脳震盪を起こしすぐには起き上がれず床でもがく。
 凱はユエを殴り飛ばした格好のまま、床に無防備に寝転がったマオと同じく顔面鼻血まみれのユエを見比べる。
 凱のパンチ力は凄まじく、もろに顔面に受けたユエは歯を三本ほど失うはめになった。歯の欠けた口を開けっ放しにしたユエが呆然と仰ぎ見る前で凱は不気味な静けさを保っていたが、血糊の付着した手の甲を壁面にあてがい、ぐっと手首を捻る。
 誰もが凱の行動に呆気にとられる。
 真剣極まりない面持ちで壁面と向き合った凱は、べっとりと血濡れたこぶしを右へ左へ上へ下と勢い良く滑らし攻撃的な筆跡で漢字を書いていく。
 豪快な動作で腕を薙ぎ払い、文を結ぶ。

 『没事兄』
 気にするな。

 お世辞にも上手いとは言えない字で壁面一杯に殴り書きされたのは、あまりに率直すぎるユエへの伝言。
 不器用で不恰好で武骨で、でも心だけは十分に篭もった、何とも凱らしい字。
 「凱さん……俺を、許してくれるんすか」
 床を這いずって凱に縋ったユエがぱくぱくと血まみれの口を開閉する。凱は何も言わない。頷きもしない。相変わらずの仏頂面で壁と睨めっこしてる。顔半分を腫らしたユエが凱の足首に縋り付く。凱はそちらを一瞥もせず、肩を怒らせて壁と対峙する。
 「こんな俺でもまだ、そばにおいてくれるんスか……?凱さんのこと裏切って台湾人のところなんかに走ったのに、『気にするな』って言ってくれるんすか」
 語尾が嗚咽に溶ける。
 それ以上言葉が続かず泣き伏せるも、凱の足首を掴む手だけはそのままにもう決して放すものかと力を込める。
 ユエの顔がぐしゃぐしゃに歪む。
 顔の部品が中央に寄り集まった滑稽な顔。
 鼻の穴から血を垂れ流し懸命に凱にかじりつき、濁りに濁った声で切々と訴える。
 「俺、まだ凱さんの弟分でいていいんスか?凱さんの舎弟の残虐兄弟て名乗っていいんスか?」
 答える代わりに凱は行動に出る。
 ユエとマオの体が同時に浮かび上がる。
 両肩にユエとマオを担ぎ上げ、男臭く優しい笑みを浮かべる。
 『好的可以』
 ОKだ。
 了解を得た途端、緊張が解けたユエはすぅっと眠りに落ちる。
 残虐兄弟を担いだ凱は、肩にかかる二人分の体重を受け止めてなお堂々としてる。
 「凱……お前なんでここに?斉藤に止められたんじゃ」
 残虐兄弟を背負い、勇猛果敢に仁王立つ凱に問う。
 凱が振り向きざま何かを殴り倒す真似をする。
 その行動ですべてを悟る。
 「殴り倒してきたのかよ……」
 「鎮静剤を注射しようとした斉藤に暴行を働いて脱走するとは重傷人とは思えぬ体力だな」
 鍵屋崎が呆れる。凱は誇らしげに胸を張る。
 ……いや、褒めてるんじゃねえし。
 「……なるほど、予めマオの盗み見に気付いていたか。不自由な体を押してここへ駆け付けたのはマオとユエを救うためか。義理堅さでは君といい勝負だな、サムライ。遅れてくるところもそっくりだ」
 鍵屋崎が含みありげに笑んで傍らのサムライを見る。
 サムライは腕を組んだまま無言で流す。
 ここに来る途中の出来事を思い出す。

 道了の房を訪ねたら不在だった。
 道了の行く先なんてとんと心当たりがなかった。
 肩透かしを食った俺とレイジは、しかし道了の捜索を諦め切れず手がかりを求め医務室に足を向けた。医務室には凱が入院してる。凱のまわりにはいまだ凱に付き従う仲間がいる。そいつらなら道了の居所に関して何か知ってるんじゃないかと思った。
 根拠はない、ただの勘だ。
 中国人は執念深い。
 受けた屈辱は倍返しで晴らさねば気が済まない人種だ。
 頭と仰いでいた凱が仇敵の台湾人に、しかも入所して一ヶ月そこらの新入りにあっさり負かされたのだ。血気盛んな手合いが復讐を企てぬとも限らない。凱の仲間を頼るのは癪だが背に腹はかえられない。
 凱の仲間なら道了の居所を掴んでるんじゃないかと予感し医務室に寄った俺を出迎えたのは、意外な人物……サムライだった。

 何故サムライがここに?
 鍵屋崎はどうした?

 いつも一緒にいる鍵屋崎がいないことに不審を抱き質問しようとした矢先、レイジが突然走り出す。
 おいてけぼりを食らった俺を無視し、サムライが二番手に続く。
 『どうしたんだよレイジ、いきなり走り出して……』
 わけもわからぬまま漠然たる不安に突き動かされ駆け出した俺に、レイジは自分の耳を指さし早口で説明する。
 『あっちだ。あっちから声がした。俺の地獄耳がキーストアの声を拾ったんだ。キーストアだけじゃねえ、他にも人がいる。ワン・ツー・スリー……』
 口の中で推定人数を数えながら軽快な足取りで駆けるレイジ、その横顔が剃刀の鋭さを帯びる。
 『……ビンゴ。喜べロン、もうすぐおめあての人物に会えるぜ』
 言葉とは裏腹に剣呑な口調。
 サムライが無言で速度を上げる。
 レイジに追いつき追い越し先頭に立つ。
 鍵屋崎が危機に直面してると知り、道了という名の人の形をした脅威が鍵屋崎と相対してると知り、矢も盾もたまらず一陣の疾風と化し駆け抜ける。真剣な横顔と気合迸る眼光から鍵屋崎を心配してる様子が伝わってくる。

 俺たちはレイジの地獄耳を頼りにここへ辿り着いた。
 惨劇の現場に殴り込んだ。

 鍵屋崎は無事だった。けれども無事じゃないやつらもいた。
 凱の元子分、残虐兄弟のユエとマオ。
 何が起こったのかすぐには理解できなかった。
 なんだって凱を裏切り道了に与したはずの残虐兄弟が血まみれで倒れてるんだ?仲間割れ?……いや、残虐兄弟に限ってまさかそんな。兄弟喧嘩に刃物を持ち出すなんざ論外だ。的外れもいいところだ。残虐兄弟は女を犯すことが三度の飯より好きだと豪語してはばからない腐れ外道だが、真実互いを思いやってるのは俺の目から見ても明白だった。

 なんでこんなことになったんだ。

 俺の疑問はユエがとった行動が解決した。
 道了の注意が逸れた隙にユエはナイフを手に取り走った、道了の注意が俺に向いてる隙に弟と凱の仇をとろうと無防備な背中を狙った。
 道了の背中めがけナイフを振り下ろすユエの目に憎しみが爆ぜる。

 その目を見て腑に落ちた。

 これは道了がやった。
 道了がマオを蹴飛ばし殴りさんざんに嬲り者にし、助かりたいならナイフを取れと兄弟をけしかけたのだ。いかにも道了のやりそうなことだ、いかにも道了の好みそうな反吐の出る結末だ。悪趣味だ。悪趣味すぎる。人の心を弄ぶことにかけちゃ道了は天才的だ。相手がされたらいちばん嫌な事をさぐりだし弱味を暴き出し金と銀の邪眼で催眠をかけ、どこまでも冷徹に周到に相手を追い詰めていく。

 類稀なる精神操作術。
 道了は残虐兄弟に殺し合いをさせた。
 残虐兄弟が互いにいがみあい殺し合うよう仕向けたのだ。

 その行為に単なる暇潰し以上の意味はなく、仮に残虐兄弟が共倒れしようが片方生き残ろうが、悪趣味な遊戯がどのような結末を迎えたところで人形の退屈は癒されない。
 精巧な人形は人形遊びを好む。
 道了にとっての他人は人形にすぎない。
 ちょっと乱暴に扱えば間接が壊れ手足が逆方向に向く人形だ。代えはいくらでもある。壊れたら取り替えればいい、今度はなるべく長もちする新品を手に入れればいい。だから道了は他人に愛着を抱かない、いずれ飽きて壊してしまう人形に愛着を持ったところで意味がない。
 人形遊びに興じる人形、それが道了の本質だ。

 ユエとマオだけじゃない。
 梅花とお袋も。

 道了にとって梅花は人形にすぎなかった。
 あるじの命に絶対服従の奴隷人形。
 道了は粗暴なガキが人形を扱うように梅花を気まぐれに遇し虐げた。

 嬲り者。
 ストレス発散の道具。

 梅花が壊れたところで別に構わない。
 道了にゃきっと梅花の体に赤い血が流れてるのが見えなくて、梅花をどんだけ傷付け悲鳴を上げさせたところで生身の人間をいたぶってる実感が湧かず、どんどん行為がエスカレートしていったのだ。
 梅花。
 可哀想な女。
 俺に唯一優しくしてくれた女。
 初恋の女。初体験の女。
 俺は梅花が殴られるたびたまらない気持ちになった。
 切れた唇に赤い血を滲ませた梅花を直視するに耐えかね何度も何度も叫んだ、どうしてあんな男がいいんだと、どうして俺をえらんでくれないんだと、俺ならお前を殴ったり蹴ったりしない髪むしったり鼻を折ったり無理やり犯したりしない、絶対幸せにしてやると突き上げる怒りに任せて叫んだ。

 無駄だった。
 全部無駄だった。

 梅花はただ微笑んだ。
 寂しげに微笑んで『謝謝』と言い『対不起』と付け加えた。
 ありがとう、ごめんね。
 謝謝と対不起はいつも背中合わせで俺が望んだ言葉は一度たりとも貰えなかった。ありがとうなんて言うな、救われる気なんかこれっぽっちもねえくせに。俺の手をとる気なんざさらさらねえくせに。ごめんなさいなんて言うな、何もできない俺に。惚れた女を力づくで救い出す度胸もねえ俺に。
  
 梅花。
 お前今、どうしてるんだ。

 「……梅花とお袋の話を聞かせろ」
 体の脇でこぶしを握り込み衝撃に備える。
 鈍りがちな足を引きずり壁際の道了のもとへ赴く。
 糸が縺れ絡まった操り人形のごとく壁際に座り込んだ道了の瞼がぴくりと痙攣し、金と銀の眼球がぐるりと回る。
 こきりと首を右に傾げる。お次は左。
 間接に不備はないか確かめるように奇妙にぎこちなく機械的な動作で首を左右に傾げ、躯体の性能を確かめるように緩慢に立ち上がる。
 膝が伸び下半身が固定され腰が立ち上半身が起き上がる。
 人形が再び駆動しはじめる。
 沈黙の重圧。
 眼鏡越しの双眸を胡乱げに細める鍵屋崎、木刀に手をかけ牽制するサムライ、ごく薄く口元に笑みを刷くレイジ。
 残虐兄弟を両肩に担いだ凱が、巌の如き巨体にはち切れんばかりの闘志を漲らせる。 
 残虐兄弟に対する非道な仕打ちをまざまざ見せ付けられた道了側の囚人どもが、隠し切れぬ怯えを目に宿しあとじさる。
 「ひっ……」
 氷点下の殺気にぶるった囚人には目もくれず、正面きって道了と対峙する。
 道了は埃まみれの風体を気にする様子もなく、相変わらずの無表情を保つ。

 無機質で無感動な人形の瞳。
 俺の言葉が奥底に届く事は決してないと絶望させる瞳。

 「道了、あの時言ったことは本当か」
 それでも諦めず食い下がる。
 一週間前の真相を確かめるため、虚実入り混じった言動から一粒の真実をすくうため、緊張に汗ばむこぶしを固く固く握り締め、かつて俺を迎え入れた人形の王に挑む。

 梅花。お袋。
 頼む、生きててくれ。

 優しく微笑む梅花とつんけんしたお袋を思い返し、衝動的に一歩を詰める。 
 「ふたりを殺したって、本当なのか」
 頼む、嘘だと言ってくれ。
 心が悲鳴を上げる。
 胸がぎりぎりと締め上げられる。
 答えを聞きたい気持ちと聞きたくない気持ちが激しくせめぎあい磁力が同等の葛藤を生む。
 脳裏を巡るさまざまな思い出。
 お袋。
 優しくしてくれたことなんか滅多になかった。
 憎い男の血を継ぐガキを憂さ晴らしに虐待し、客がくるたび屋外にほっぽりだすとんでもない尻軽女だった。けれどもとうとう嫌いになりきれなかった。今もそうだ。今でも俺は母親離れできない甘ったれたガキのまま、いつかいつの日かお袋が振り向いてくれることを心の底で期待してる。
 梅花。
 いつも優しくしてくれた。
 青痣だらけの顔で寂しげに笑ってた。
 火照った柔肌としっとりぬれた睫毛と潤んだ目、熱い唇の感触。俺を呼ぶ声。取り立てて美人でも醜女でもなかった。特筆すべきところなどどこもない十人並みの容貌だった。けれども俺の目にはどんな女より魅力的に映った、どんな美人よりも生傷と痣を絶やさずそれでも笑ってる梅花が綺麗に見えた。
 今でもそうだ。
 梅花はこれまで俺が出会った中でいちばんの美人だ。
 見た目なんか問題じゃない、梅花ほど心が綺麗な女は世の中にそうそういない。

 二人がいないなんてうそだ。
 俺が愛した女がふたりとももうこの世にいないなんて嘘だ。

 「嘘だろ?なあ、嘘だよな?」
 二歩、三歩と間合いを詰める。
 道了は動かない。
 微動だにせず俺を待つあいだもその表情は微塵も揺るがず沈黙を守り続ける。
 四歩、五歩。
 目の前に道了がいる。手を伸ばせば届く距離に。
 道了の肘を掴む。
 手加減などはなからしない。
 無抵抗の道了の肘を容赦なく揺さぶり、叫ぶ。

 「いくらお前だってそんな無茶なことしないよな、俺を哀しませるためだけにお袋と梅花を血祭りにあげたりしないよな、二人を殺したりしないよな?何とか言えよ道了、どうなんだよ。だってあんまりじゃねえかそんなのって、お袋はたしかにいい母親じゃなかったけど意味なく殺されるほど悪い女でもなかった、だって俺をなぐさめてくれたんだ、頭をなでてくれたんだよ!梅花だってそうだ、いっつも俺をなぐさめてくれた、嫌われ者の半々で月天心にも居場所がなくてチームの連中に小突き回されてぼろぼろになった俺に『大丈夫?』って声かけてくれたんだ、怪我の心配してくれたんだ!畜生いい女じゃねえかよ、あんないい女世界のどこ探したっていやしねえよ。心があったかくて、すっげえあったかくて、俺は今でもあいつが……」
 あいつが。

 『ロン』 

 好きだ。大好きだ。畜生悪いかよ、一度振られた女を好きでい続けて悪いかよ、片思いし続けて悪いかよ。
 今の俺にはレイジがいる、レイジっていう最高の相棒がいる。
 だけど梅花は別格だ。
 俺が生まれて初めて好きになった女なんだ、お袋以外に初めて守りたいと思った女なんだ。
 今でも特別な女なんだ。

 『………我愛弥。我愛弥、我愛弥、我愛弥』
 『殴られたら痛いよ。蹴られるのはやだよ。そんなことされたら怖くて怖くて、ああ、こんな人には絶対近寄れないもう今度こそおしまいだって心から思う。でも、駄目なの。もし私がいなくなったらこの人どうなるんだろうって考えると別れられなくなるの。そんな顔しないで。わかってるよ、バカだって』
 『私はひとりぼっちが怖い。だからどんなにひどくされてもあの人のそばから離れられない。逃げ場はないけどそれでいい。逃げ道用意して人を好きになるなんて卑怯だよ』
 
 梅花は自分から逃げ道を断って道了に殉じた。
 梅花。
 お前、それで本当に幸せだったのかよ?

 「教えろよ道了、梅花とお袋に何したんだよ!?」

 感情が爆発する。
 爪が食い込む感触が指と手に伝わる。
 
 『愛してる。愛してる。愛してる』

 掴んだ肘を一筋血が伝う。
 体の奥底で衝動が膨れ上がる。
 道了は肘に爪が食い込む痛みに顔を顰めるでもなく、情動の凍えた目で俺の観察を続ける。
 
 『私をひとりにしないで』
 『いかないで』
 『捨てないで』 

 梅花の声がお袋の声と溶け混じり肘を掴む力が増し骨が軋み、傷口から血が流れる。

 赤イ、
 赤イ血。

 道了の腕を伝う赤い血が指を染め手をぬらし、一片残らず理性が蒸発し、壊れても構うものかと力任せに揺する。

 梅花。
 お袋。

 ああ、どうか。

 「俺を生んだ女と俺が惚れた女に何しやがったんだてめえふたりに手え出したら承知しねえぞ、お袋と梅花は幸せになんなきゃ駄目なんだよ今まで苦労したぶん目一杯これでもかってほど幸せになんなきゃだめなんだよ、俺がそう言ってんだからそうならなきゃ嘘なんだよ、梅花とお袋が幸せになれねえ世界なんてもうどうしようもなく何かが壊れて間違ってるんだよ、可哀想な女が一生死ぬまで可哀想でい続けなきゃなんねえ世界なんて絶対間違ってる、だってそうだろそうだよな、愛して愛されないのも願って報われないのも祈って救われないのもお断りだ、もしお前が愛さず与えず救わずお袋と梅花を殺したってんなら俺はお前をっ!!!」
 
 どうか無事でー……
  
 「香華の内腿にはほくろがあった」

 手が止まる。
 耳を疑う。

 香華。
 お袋の本名。
 何故道了が知っている?
 何故ゴミのように呼び捨てに?

 道了は続ける。
 淡々と続ける。
 「内腿にほくろがひとつ、右耳の裏にほくろがひとつ。恥骨に近いあたりに古い火傷のあとがあった。煙草か……線香で焼かれたあとだ。香華がいちばん感じる部位はうなじだ。うなじを甘噛みするといい声で鳴いた。年増の割に感度のいい女だ」
 道了は過去形で語る。
 その口調がほんのわずか嘲りを含み、金と銀の瞳が不可知の輝きを放つ。
 能面じみて冷徹な無表情に揺らぎが生じ、あまりに淡すぎて何を核とするか読み取れぬ感情が双眸に閃く。

 道了が発した言葉がぐるぐると脳裏を回る。

 お袋の内腿のほくろ『ひとつ』右耳の裏にも『ほくろが』そうだった、思い出した、お袋には確かに道了が言ったとおりの部位にほくろがあった、下腹部の火傷も覚えてる。ずっと昔まだ俺が指しゃぶりしてたガキの頃夏の暑い日お袋が下着姿で涼んで『火傷が』下着がめくれ『線香の』 
 『いちばん感じる部位はうなじだ』なぜそんなことを『甘噛みするといい声で鳴く』客しか知らない『年増の割に感度がいい』実際抱いた客しかー……

 抱いた?
 お袋を?
 
 抱いて、

 「それからどうした?」
 どうしたんだよ。
 答えは薄っすらと予期していた。
 しかし聞かずにはいられなかった。
 聞きたくない聞きたくない聞いたらおかしくなってしまう今度こそ狂ってしまう、俺はもうこれ以上最悪のことを知りたくない、これ以上絶望したくない!
 だけど聞かずにはいられない、お袋をどうしたか直接本人に問い詰めずにいられない。
 ひょっとしたら俺の予想は外れてるんじゃないか、最悪の事態は回避されたんじゃないか、これは全部道了のでまかせでほくろと痣と火傷の位置もあてずっぽうのまぐれあたりで全部俺を脅かすためのでたらめで……

 動転した俺の眼前、懐に手をさしいれた道了が指先に何かを摘む。
 「首の骨を折って殺した」

 嘘だ。

 心が現実を否定する。脳が現実を拒否する。 
 道了が懐からゆっくりと優雅な所作で手を抜き、俺の眼前に白くて四角い物をつきつける。
 見覚えのある牌。字の掠れ具合も思い出そのままだ。
 懐かしさと切なさ、それらを蚕食し膨れ上がるどす黒い不安。
 この牌は見覚えある。
 いつだったかあれはそうガキの頃、根性曲がりの客に煙草で焼かれた俺が泣き喚いてるとベッドから抜け出たお袋がこれを拾い上げ
 手入れを欠かさぬ綺麗な指先で摘み上げ

 『せっかくかっこいい名前もらったんだからそれにふさわしい男になりなさい。龍』

 思い出の中の笑顔が急速に薄れていく。

 「こんなふうに」
 道了が指先に力を込める。
 指に挟み込んだ牌に圧力がかかりプラスチックにひびが入る不吉な音、思い出の牌が俺の目の前で軋み歪みそして

 文字通り、粉砕された。
 俺の心と一緒に、跡形もなく。

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