ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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二十六話

 「だれや」
 本棚の裏から誰何の声が飛ぶ。隠者は落ち着き払って名乗る。
 「我輩です。ホセです」
 「証拠は?」
 「証拠といわれましても。声で判断していただくしか」
 「信用できん」
 困惑するホセに声の主は無茶な要求をつきつける。
 「ホンマのホンマにホセやったらジョジョの奇妙な冒険の歴代主人公順番に言うてみい」
 山に川と答える安直さとは対極の合言葉。
 あまりにマニアックな注文にも、眼鏡の弦に手をやったホセは淀みなく答える。
 「第一部ジョナサン・ジョースター、第二部ジョセフ・ジョースター、第三部空条承太郎、第四部東方仗助、第五部ジョルノ・ジョバァーナ、第六部空条徐倫。すべての因縁の発端となる外伝ともとれる第七部の主人公は下半身不随の元騎手・ジョニィ・ジョースターですね」
 「正解」
 感嘆の口笛。
 口笛を合図に鈍重な動きで書架が滑り始める。
 よく見れば足元の床にはレールが敷かれていて、巨大な書架が錆びた軋み音を上げながらそのレール上を滑っていく。
 濛々と埃を舞い上げ洞窟の入り口が暴かれる。
 人ひとり通れるだけの幅の入り口の奥は闇に沈んで見通しが利かない。
 怪物の口腔にも似た闇が蟠る通路へと、ホセは怖じたふうもなく一歩を踏み出す。
 背後で再び入り口が閉じ始める。
 光が消失する。闇に呑まれる。物珍しげにあたりを見回し、ホセは感想を述べる。
 「なかなか快適な隠れ家ですね」
 「お褒め頂き光栄やな」
 横幅3メートルもない通路。左右には切り立った崖の如く垂直に書架が聳える。閉所恐怖症もしくは暗所恐怖症なら耐え難い環境だ。幸いホセにはどちらの傾向もなく、この世でおそれるものはただひとつときている。
 「カルメンの抱擁で窒息するならともかく、本棚で圧死はご遠慮したいですね」
 一際濃く闇が凝ったそこは、前後左右を完全に書架に閉じられた行き止まりだった。
 行き止まりの書架に背中を凭せ、片膝立て蹲っていたのは、額にゴーグルをかけた少年。
 針のようにツンツンに立たせた髪、どうにも憎めぬ稚気が閃く吊り目がちの目、精悍な顔立ち。
 通路の奥にうずくまっていた少年が、ホセを仰いで人懐こく笑う。
 「待っとったで、隠者」
 「お待たせしましたね、道化」
 笑うと尖った犬歯が覗き、やんちゃな悪ガキめいた印象が強くなる。
 初見でこの少年の本性を見抜くのは難しい。
 くしゃっと顔を崩して笑うさまは人を疑うことを知らず無防備だが、それこそこの少年が数多持つ一面に過ぎない。
 道化は仮面を代え巧みに配役を演じ分ける。今この瞬間も少年が本心から笑っているか疑問が残る。
 ……否、勘ぐりすぎか。
 ホセは我知らず苦笑する。
 自分はともかくヨンイルに策略は似合わない。
 ヨンイルの掴み所なさは計算尽くの演技ではなく気まぐれに拠るものだと結論、行儀悪く片膝立て本を読み耽るヨンイルに訊ねる。
 「何を読んでらっしゃるので?」
 「内緒」
 ホセの質問を機に本を閉じ、尻をはたいて立ち上がる。
 書庫の奥にて隠者と道化が対峙する。
 ヨンイルは本棚を背にし、ホセはその正面を塞ぐ。
 ホセが放つ威圧感にもヨンイルは動じず、同じく食えない笑みを返す。
 「ここなら他に人目もないし安全安心や。聞きたいことずばっと聞けるやろ」
 「参りましたね。なんでもお見通しですか」
 ホセがわざとらしく頭を掻く。
 「ヨンイル君に内密の話があると言われた時は不審におもいましたが、あの時点ですでに我輩の考えを見抜いていたのですね。いやはや炯眼です。龍の眼力は伊達じゃない」
 「先手必勝。敵に塩を送るって諺にもあるやろ」
 立てた片膝に腕を乗せ、おもむろに身を乗り出す。
 静かな気迫を込めた目でホセを睨み、単刀直入に切り出す。
 「まだるっこしい腹の探り合いは性にあわん。ホセ、お前の目的は何や?お前が兵隊使って俺の身辺さぐっとるのはとっくに気付いとった。西の連中やって阿呆やない。西に紛れ込んだ南のスパイにはちぃとばかしきっつい灸を据えさせてもろたで」
 ヨンイルの笑顔が常ならぬ獰猛さを帯びる。
 細めた目の奥に闘志が燻る。
 道化の服の下には龍が棲み付いている。
 宿主の怒りに呼応し気炎を吐く龍を幻視し、やんわりとホセが宥める。
 「そんなにぴりぴりしないで。獲って食いやしませんよ」   
 「逆に獲って食いたい気分や」
 「龍に消化されるのはぞっとしませんね」
 「お前の肉は筋張っとってまずそうやな。指輪は吐き出したるさかい安心せえ」
 ホセの左手の指輪に一瞥なげ、ヨンイルが不敵に笑む。
 二人の間に殺気が交流する。
 ヨンイルがホセを警戒するのは当然だ。
 この一週間というもの、ホセは人知れず西棟に刺客を送り続けていた。
 道化の身辺を探らせ道化の所持する「ある物」の情報を集めるため刺客を放った目論見はしかし勘の鋭いヨンイルに見破られ、道化じきじきの申し出で本日の会談が行なわれることになったのだ。
 迂遠な腹の探りあいは性に合わない。直接対決で腹の内を晒しあったほうが互いにすっきりする。
 ヨンイルの考えは大体そんなところだ。ホセはこの提案を快諾し、護衛も連れず単身呼び出しに応じた。
 ヨンイルは事前に伝えた通りの場所で待っていた。
 図書室の二階奥、襖を立てるように移動式書架を巡らした通路の行き止まりにひっそり潜伏していた。
 招きに応じて指定の場所に堂々赴いたホセは、何ら疚しいところはないといったふうに落ち着き払っている。
 視線がぶつかる。火花が散る。不可視の龍がうねるが如く龍がさざめく。殺気が膨張し衝突し相殺する。
 仮面じみた笑みを貼り付けたホセの正面、片膝立て座り込むヨンイルが一層笑みを広げる。
 最前までの人懐こさを吹き消した、脅迫の笑顔。
 「あんま舐めた真似しくさっとるとヤキ入れるで、ホセ」
 口元は笑っているが目は真剣極まりない。
 口調こそやんわりと言ったが、声の底に潜む怒りの気配は偽りようがない。
 釘をさされたホセはといえば、反省の色もなく嘆かわしげに首を振ってみせる。
 「とんでもない。西と事を構えるつもりは毛頭ありません。現在の平和を乱すのは我輩とて心苦しい」
 「じゃあなんで俺のまわりをさぐっとるんや?」
 さも心外とばかり大袈裟に首を振るホセを睨み付け、ヨンイルが静かに問う。もっとも、聞くまでもなく心当たりはある。ヨンイルのまわりを南のスパイが嗅ぎまわりだしたのは一週間前、ヨンイルとレイジが所長室に呼び出され東棟で暴動が起こったあの日以降だ。
 一週間前自分の身に起きた出来事を回想し、ヨンイルは露骨に顔を顰める。
 「ホセ、お前いったい何を企んどる?」
 「企んでるとは人聞きの悪い、誠実が服を着て歩いてる我輩にむかって」
 「お前の目当ては俺の拾い物やろ」
 ホセの軽口を遮りヨンイルが断言する。ホセが口を噤む。沈黙は肯定の証。確信を強めたヨンイルは勢いを得て続ける。
 「一週間前、俺はバスジャックの件で所長に呼び出しを食った。安田のジープに乗り込んだレイジも一緒に。あん時は正直びびったで、ホンマ。犬を掘り掘られる変態と名高い所長に呼び出されたんや、どないなあくどい仕打ちが待ってるか思うて心底びびりまくったわ。せやけど事態は俺の予想に反した方向に転がってった」
 淡々と語りながら本のページをめくる。ホセは黙っている。一言一句逃すものかと真剣な顔つきと非常な集中力でもってヨンイルの語りを静聴している。ヨンイルは本のページをめくりながら一週間前の出来事を回想する。
 視聴覚ホールでの集会後、レイジとともに所長に呼び出された。
 所長は規則を破ったレイジとヨンイルに厳罰を下すと高らかに宣言し、自らそれを実践しようとした。 
 ヨンイルは思い出す、収監時の顔見せ以降はじめて足を踏み入れた所長室の様子を。
 至る所に愛犬ハルの写真が飾られた落ち着かない内装。
 対面式に配置された豪奢なソファーと艶光りする本棚、鏡のような光沢を放つ床。
 部屋のいちばん奥には書類に埋もれた重厚な机があり、革張りの椅子に所長が腰掛けていた。
 いやみたらしく足を組んだ所長が、爬虫類じみて陰湿な目で自分とレイジとを執拗に見比べる。
 そして、おもむろに口を開く。
 「『脱げ』て命じられたときは貞操の危機を感じたで」
 あの時は確かに肝を冷やした。
 開口一番所長は「服を脱げ」と命令した。レイジと並び立ったヨンイルは命令に抵抗を感じ大いにうろたえた。
 「服を脱ぐのは別にええ。全裸をさらすのも別にええ、慣れとるしな。せやけどその先はお断り。何が哀しゅうて犬に掘り掘られるのが趣味の変態中年にべたべたさわられなあかんねん、気色わるうてかなわんわ。レイジは慣れとるらしくてしれっとしてたけど俺はあかんわ、もう全身にさぶいぼでたわ。もっかいどころかなんべんでも言うけど三次元はお断りなんや、二次元にしか勃たへんのがオタクのプライドなんや。ピノコやラムちゃんやキューティハニーやうさぎちゃんにべたべたされるのは大歓迎やしハーレム万歳最高やけどむりくり二次元に当てはめるとしたら碇ゲンドウとかそのへんの所長にヤらしいことされるなんてぜったい耐えられへん、全裸の綾波が押し寄せてくるなら喜んで溶かされるけどゲンドウはあかんありえへん、そない人類補完計画ぜったい認めん!!」
 上着越しに鳥肌立った二の腕を抱き、ちぎれんばかりに首を振る。
 「人類補完計画はいいですから現在進行中の話を補完させてください」
 ヨンイルは二の腕をさすりながら話を続ける。
 「俺がどうしたかて?そりゃ脱いだで嫌々渋々仕方なく、ごっつ嫌やったけど仕方ないやんか、俺が逆らったせいでやっぱ直ちゃん連れてくるとかになったら悔やんでも悔やみきれんし、んならさっさと済ませてきっぱり忘れてもうたほうがなんぼかマシやろ。な?」
 「君の覚悟には頭が下がります」
 ホセが実際に頭を下げる。
 大きく深呼吸し冷静さを吸い込み、湧き上がる嫌悪を必死に抑えながらヨンイルは捲くし立てる。
 「俺は一気に服を脱いだ。ええいもうどうにでもなりさらせて気分やった。全裸になるぐらいどうってことないっちゅーねん、五十嵐にはもっとすごいことされとるしな。五万人に視姦された体やしな。せやけど不測の事態が起きた。俺がズボンに手をかけパンツと一緒に引き摺り下ろした時、尻ポケットに突っ込んどったもんがおっこちたんや。ポロッて」
 一呼吸おき、真剣な顔でホセと向き合う。
 「それ見て所長の目の色が変わった」
 「『それ』はどこで手に入れたんですか?」
 「バスを盗んで砂漠に出た時、より詳しゅう言うならバスがひっくりかえって運転席から投げ出された時。実を言うとな、俺が事故ったんはレイジに弾撃ち込まれたのだけが理由やないんやで」
 ヨンイルが自分の目を指さし唾飛ばし訴える。
 「バスの前方におっこちとった何かがピカッと光ったんや。お天道様の光に反射したんや。弾丸が撃ち込まれる一秒二秒前やったかな……ほんのちょっとの差やったけど。反射の光がうわ眩しって手が滑って、続けざまに弾丸ぶちこまれて、気付いたら視界がぐるんて回っとった。凄まじい衝撃がきた。あ、こら死ぬかもて思た。意識が途切れた。次に目え覚めた時、フロントガラスは粉々に砕けとった。バスはものの見事に正面の砂漠に突っ込んどった。で、俺の顔の横にちょうどいいあんばいに『例のもん』が転がっとったわけや」
 「出来すぎた話ですね」
 「偶然はおそろしな」
 ヨンイルの語尾を受け取り、眼鏡のブリッジを中指で支えたホセが明晰に推論を組み立てる。
 「君はそれを持ち帰った。誰にも告げずこっそり自分の物にしてしまった。しかしそれを見た所長はおおいにうろたえた。君が何も知らず持ち帰った物は所長の探し物の手がかりとなる、野望の布石かつ推測の確証となる。ヨンイル君、君がバスで走り抜けたところはイエローワークの管轄区域外に該当する。遠征手段のない囚人はもとより看守すら立ち入ることない禁足の辺境です」
 「残り時間はぜんぶ俺の尋問に費やされた。なんでお前がこれをもってるどこで拾った近くに人影はなかったかどうなんだ答えろ……物凄い剣幕やった。俺の肩を掴んで力任せに揺さぶって興奮のあまり殴る蹴る、看守に言うてバケツ一杯に水もってこさせて頭からぶっかける、革靴で踏み付ける、鞭でしばく……おかげで一週間たってもまだ傷が疼く」
 服の上から腕をさすり痛そうに顔を顰める。
 直がヨンイルは無傷だと誤解したのは、どぎつい色の刺青が擦り傷を塗り込めていたからだ。
 ヨンイル自身もまた直を心配させるのいやさに虚勢を張り、怪我を気取られないよう飄々と振る舞っていた。
 「怪我を押してまでお友達のピンチに駆け付けるとは感心感心」
 「直ちゃんが危険な目に遭うとるのに放っておけん。……サムライばっかええかっこさせるのも癪やし」
 嘲りを滲ませたホセの揶揄に噛み付くように抗弁し、不満げに唇を尖らせる。
 直が危機にあると知った途端、体が勝手に動いていた。
 足が勝手に走り出していた。
 全身を苛む傷の痛みにも増して焦燥に駆り立てられた。
 何故かは自分でもわからない。わからないことにしておく。
 やや強引に物思いを打ち切り、ゴーグルに触れ気を取り直す。
 「話は結局うやむやになってもた。ハルの死骸が見つかってからちゅーもの所長は完璧廃人化、一週間ぶっとおしでカウンセラーの世話になりっぱでとてもやないけど尋問どころやない。そんかしホセ、お前の息のかかった連中が動きだしよった。俺のまわりをこそこそ嗅ぎ回って隙あらば『拾い物』横取りしようとしとる。あたりやろ?」
 挑発的な問いには応えず、ホセは感心した口ぶりで呟く。
 「……よくもまあ所長から『例の物』を取り返せましたね」 
 「暴動発生の報せが入ってごたごたしとったんや。可愛いハルの身に万一のことがあったんやないかて所長は泡噴いて取り乱すし看守どもは所長取り押さえるのにいっぱいいっぱいやし、どさくさまぎれに取り返したったんや。ま、さんざんいたぶられて頭にきとったさかいちょっとした仕返しや」
 頭の後ろで手を組んだヨンイルがあっけらかんと笑い飛ばす。
 閉塞した通路に場違いに陽気な笑いが弾ける。
 笑いの余韻が消滅するのを待ちホセが慎重に足を踏み出し、ヨンイルとの距離を詰める。
 一歩距離が縮むごとに威圧感が増大する。
 牛乳瓶底眼鏡の分厚いレンズを不気味に光らせ、真意を読ませぬ無表情を装い、自分より遥かに体格に恵まれた男が接近してくる。
 一歩一歩確実に距離を詰めてくるホセを迎え撃ち、ヨンイルが口を開く。
 「いい加減吐きさらせ。お前も狙っとるんやろ、『あれ』を」
 「本日我輩をここに呼んだのは、『例の物』を渡してくださるからだと思っていましたが」
 「『例の物』がなにか知っとるんか?」
 ホセの表情が微妙に強張る。
 靴音が止む。静寂の帳が落ちる。
 ヨンイルは心底不思議そうな顔をする。
 「わからんなあ。お前も所長も何でそないあれを欲しがるんや?あれを手に入れてどないする気や」
 「ヨンイル君、君が持ってるそれはことによると地下迷宮の鍵となる貴重なアイテムかもしれないのですよ。君が持っていても何の役に立たないが我輩が持てばおおいに役立つ、ならばそれは我輩が手にするべきだ。大人しくこちらに渡してくれれば以後君のまわりを嗅ぎまわらないと誓います」
 穏やかだか有無を言わせぬ口調でホセが強要する。
 一旦停止した歩みが再開され、1メートルと離れてない場所までホセが来る。
 「断ったら?」
 「なに?」
 「渡さん言うたらどないする?」
 ヨンイルが犬歯を剥く。ホセはにこやかに切り返す。
 「ご冗談を。大人になりましょうヨンイルくん。例の物さえ渡してくれれば君にも西棟にも手出しはしません。これは取り引きです」
 「なあホセ、ジャイアンて知っとるか。ドラえもんて漫画にでてくる音痴なガキ大将なんやけど、そいつが実にええこと言うんや。日本漫画史上に残る名台詞ってやつや。一回しか言わんから耳の穴かっぽじてよぉ聞けよ」
 胸が接する距離に居るホセを見上げ、すぅと肺に息をためる。
 体格では遥かに劣るホセを相手に微塵もたじろがず一歩も引かず、身の内に龍を飼う少年は朗々と宣言する。
 「『俺の物は俺の物、お前の物は俺の物』」
 衝撃が、来た。
 胸ぐらを掴まれた体が一瞬浮き、次の瞬間には凄まじい衝撃が背中に突き上げ拡散する。
 胸ぐら掴まれ背中から書架に叩き付けられたヨンイルは内蔵を攪拌する衝撃に激しく咳き込む。
 ヨンイルの胸ぐらをねじ切るように締め上げるホセはもはや上辺だけの笑みなど浮かべていない。完全な無表情だ。
 「……我輩の親切がおわかりになりませんかヨンイル君。非常に残念です。西のトップともあろうものがつまらない我を張り南との関係を悪化させるとは、道化を慕う囚人たちがさぞかし嘆くでしょうね」
 「自分が納得できんことに首振るほど物分りようないんや。頑固はじっちゃん譲りでな」
 窒息の苦しみに喘ぎながらヨンイルが反論する。
 腕の筋肉が怒りに隆起し、胸ぐら締める手に力が篭もる。
 ホセは素手で人を殺すことができる。
 道化の命は隠者に握られたも同然だ。
 息の通り道を塞がれる苦痛に顔を歪め酸素を欲し四肢をばたつかせるヨンイル、無駄な抵抗を嘲笑うよう吊り上げたその体に隅々まで視線を走らせる。必死に暴れたせいであられもなく裾が捲れ引き締まった腹筋と臍が覗き、全身に巻き付く龍の刺青の一部が外気に晒される。
 「っ、く、は……あっ」
 ヨンイルの顔が充血の赤を通り越し青褪めてくる。
 ホセのこぶしに爪を立てこじ開けようとあがくも指に力が入らず皮膚を浅く抉るにとどまる。
 背を弓なりに仰け反らせたヨンイルにのしかかり、熱い吐息で顔面をなぶる。
 「君が今ここにいることは誰も知らない。したがって誰も助けにこない、目撃者はいない。喉を絞められては声も出せず助けも呼べない」
 ヨンイルが激しく首振りホセの拳に縋り付く。激しく暴れたせいで襟刳りが肩から外れ鎖骨が露出する。
 健康的に日焼けした肌に絡み付く龍がいやに艶めかしい。
 ヨンイルが身を捩るごとに龍もまた呼応し蛇腹を波打たせる。
 薄っすらと涙の膜が張った双眸、酸素を欲して喘ぐ唇、ひくつく喉仏。
 苦しみもがくヨンイルを冷徹に観察しつつ、抑揚を欠いた脅迫を紡ぐ。
 「死にたいですか、ヨンイル君。我輩ならこんな所で死ぬのはごめんですね。死ぬならワイフの胸の中か膝の上に限ります」
 「は、なさんかいホセ……洒落にならんでこんなんっ……はっ、あふ、あっ、あ」
 額に夥しい脂汗が滲む。
 見開いた眦から涙が溢れる。
 乱れた襟刳りと裾から日焼けした肌が覗き、瀕死の龍がのたうつ。
 よく見れば服をはだけたそこかしこに治りきらない傷痕がある。
 一週間前、所長と所長に命令された看守により施された体罰のあと。
 片手でヨンイルの首を締め上げ、もう一方の手を瘡蓋の張った傷痕に這わせ、軽く爪を立てる。
 「!痛っ、」
 ヨンイルが小さく呻く。
 爪先で圧力を加えればぷちんと弾ける感触と音がし、瘡蓋が剥がれて血の玉が盛り上がる。
 瘡蓋を剥がし傷口を抉れば新しい血が流れる。
 しなやかに引き締まった腹筋を一筋血が伝うさまが劣情を刺激する。
 傷口から溢れた血を手にとり指で伸ばす。
 腹筋に血の道筋が引かれる。
 こうすると龍の鱗が剥がれて血を滴らせているようだ。 
 せめてもの抵抗に勢い良く足を蹴り上げるも、脛を強打されてもびくともしないホセを前に、足の振り幅が次第に狭まっていく。
 「まわりを見回してご覧なさい。君は実に愚かだ。愚かとしか言いようがない。自らを戦闘に不利な状況に追い込んだ愚を呪いなさい。自ら能力を封じる空間に逃げ込んだ無知を恥じなさい。周囲を書架に塞がれた狭苦しい通路では得意の体術が生かせず反撃の術もない、よって我輩に思うがまま嬲り殺される運命です。さあ、どうします?」
 何度となく蹴り上げた足が虚しく空を蹴る。抵抗が急速に弱まっていく。
 ホセは冷静そのものの無表情でヨンイルの苦悶を眺める。
 首に回した指にじわりと力を込める。
 指が沈み気道を圧迫する。
 ヨンイルの体が陸揚げされた魚のように不規則に痙攣、弓なりに背が仰け反る。
 背後は書架、正面にはホセ。逃げ場はない。背中は本棚に密着し胸はホセと密着している。
 ホセはヨンイルの蹴りを足を割るように膝をめりこますことで封じる。
 ホセの膝が内腿を擦り股間にあたる。ヨンイルが仰け反るたび体が上下し膝に震えが伝わる。
 「あっ、ふ、ひぐぃぎ……っ」
 書架とホセとに挟み撃ちにされ逃げ場のないヨンイルは、どうにかホセの手をこじ開けようと無心に引っ掻いていたが、その抵抗が無駄だと知るや湿った目でホセを仰ぎ何かを伝えようとする。
 ヨンイルが何を伝えようとしているのか気になり、少しだけ握力を緩め口元に耳を近づける。
 ひどく掠れて聞き取りづらい声が荒い息の狭間から吐き出される。
 「ワイフの浮気相手もこうやって殺したんか?」
 ヨンイルは確かにそう言った。
 脂汗の浮いた顔に闘志を剥き出した凄絶な笑みを浮かべ、ホセを挑発した。
 ホセの手から力が抜ける。その一瞬を見計らいヨンイルの手が上に伸びる。
 「!!?っ、」
 頭上に大量の本が雪崩落ちる。
 本の雪崩に直撃されたホセが堪らず床に伏せる。
 濛々と立つ埃が視界を白く閉ざす。
 大量の本に埋もれたホセが漸く這い出した時、ヨンイルは書架に背中を預けずり落ちていた。首まわりには赤黒く内出血のあとが残っている。
 首を押さえ体を折り苦しげに咳き込みながら、ヨンイルが笑う。
 「はっ、はっ、は………ははっ、落本注意や」
 力なくへたりこんだヨンイルが上を指さす。
 つられて頭上を仰いだホセは、ちょうどヨンイルの真上にあたる書架の段に、斜めに傾いだ本が並んでいたのに気付く。
 隣に寄りかかることで危うい均衡を維持していた大量の本が、ヨンイルが半ばの一冊を抜いた事により脆くも崩落したのだ。
 「ドミノ倒しや。俺が何も仕掛けんとお前と二人きりになるて思うたか?」
 首まわりの痛々しい痣をさすりながらの言葉に、さすがのホセも降参したと肩を竦めるしかない。
 「そないに欲しいんか、アレが」
 レンズに付着した埃を拭いながらあっさりとホセが頷く。
 「ええ、欲しいですとも」
 「なあ、ずっと聞きたかったんやけど」
 漸く咳がおさまった。
 まだ痛む喉をさすりながら、痺れた舌を叱咤して疑問を紡ぐ。
 「お前の野望ってなんや?お前、東京プリズンで一体何をしようとしとるんや」
 レンズを綺麗に拭い眼鏡をかける。
 改めてヨンイルに向き直り、優雅に腕を掲げて左手薬指の指輪に唇を落とす。
 軽く触れるだけの接吻。
 表面の疵さえ愛しむように繊細に唇を這わせ、呟く。
 「革命ですよ」
 ヨンイルが眉根を寄せる。
 怪訝な表情で更に突っ込もうとしたヨンイルが言葉を発するのを待たず、ホセは優雅に身を翻す。
 そのまま数歩歩き、一身に脚光を浴びた舞台俳優の如く芝居がかった素振りで腕を広げてみせる。
 最愛の妻の幻影を抱くように腕を広げたホセは、唖然と座り込んだヨンイルに背中を見せ、大きく頷く。
 「よろしい、了解しました。君がその気なら我輩も容赦しません。これからも西にスパイを送り二十四時間監視し続けるからそのつもりで。君が寝ぼけて毛布をはだける時も全裸となりシャワーを浴びる時も漫画を読みながら自慰にふけるときも我輩が常にそばにいることをお忘れなく。自慢じゃありませんが我輩ストーキングは得意です。必ずや『鍵』の在り処を突き止めカルメンに捧ぐ革命を成し遂げましょう」
 腹の底から声を発し、朗々と謳い上げる。
 それきり二度と振り向かず、大股にその場を歩み去る。
 闇に溶けて姿が見えなくなった頃、漸く正気に戻ったヨンイルが書架に手をつき立ち上がる。
 「ちょい待てホセ、どうやって本棚どかすねん。俺がハンドル回さな入り口開かん……」
 盛大な破砕音。
 本棚が陥没する音、板が裂ける音、大量の本が床に落下する音。
 信じられないことにホセは素手で本棚に穴を穿ったらしく、裂けた板の隙間から幾条も光が射し込んでくる。
 光射す面積は大胆に板を剥がす音とともに急激に広がっていき、大して時間もかけず人ひとり悠に通れる穴が出現する。
 光の中にホセが立ち、こちらを振り返る。
 「失礼。出口がないので作らせていただきましたよ」
 「失礼すぎや先に言えや俺の隠れ家が隠れ家やのうなったやんけ、釘とトンカチ持たせてバカボンのパパスタイルで修繕させるで阿呆っ!!」
 半泣きで抗議するヨンイルに一礼し、ささくれた木片が飛び出す穴を跨ぎこす。
 ヨンイルはしばらく恨みがましい半眼でホセを見送っていたが、ホセの背中が完全に視界から消えると同時に長く息を吐き、床一面を埋め尽くす本を見下ろす。
 床を埋め尽くす大量の本に紛れ、辞書ほどの厚さのある本を拾い上げる。
 丁寧に埃を払いページをめくる。
 その本こそホセが現れた時よりヨンイルが持っていた本、前屈みに凝視していた本である。
 「拾い物を渡さへん理由?そんなん決まっとるやんか」  
 背後の書架に寄りかかりページをめくる。
 ホセに締め上げられた首はまだひりひり痛む。ホセの指跡は赤黒く内出血し、さっきより一層鮮明さを増している。首の痣をさらしたまま西棟へ帰れば自分の身を案じる連中に何があったのかと質問攻めにされるのはわかりきっている。
 腹筋もひりひりする。
 瘡蓋を剥がされた箇所が刻印のように熱く疼き、顔を顰める。
 「漫画でよくあるやろ?一回やってみたかったんや、これ」
 ページをめくる手がとまる。
 手元の本に目を落とし、ヨンイルがしてやったりとほくそえむ。
 その本はしかし他ならぬヨンイル自身の手によりごっそりページを刳り貫かれており、矩形に刳り貫かれたそのスペースにはプラスチックの機械が嵌まり込んでいた。
 用途はわからない。
 見た目は携帯に似ているがそれにしては嵩張るしボタンが少ない。
 「しっかしなんやろな、これ。見れば見るほどけったいななりしとる。AとBと十字と……乾電池で動くんならやっぱ機械やろな。どないして動かすんやろ。何かボタン押すんか?どれ押すんや?どっかにスイッチあるんか?スイッチ押したら画面に何や映るんか?オンオフて書いてある横のがスイッチか。ポチっとな」
 べたべたと指紋を付けながら逆さにし裏返しあちこち触れてみるも、肝心の電池が切れているらしく画面は点かず音もしない。
 手荒く上下に振ってみる。反応なし。どうやら完全に壊れているらしい。砂漠に落ちていたことを考えるに内部に砂が入って壊れたのかもしれない。
 機械の故障を直す知識は残念ながらヨンイルにはない。
 あるとすれば……
 「ビバビバビバリーか」
 凄腕ハッカーとして知られる東棟の黒人少年を脳裏に思い浮かべ、ヨンイルは近いうちに彼に会いに行く決心を固めた。 

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少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050328075520 | 編集
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