ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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二十二話

 地下停留場に煌煌と灯りが照る。
 照明の直射を避け、中腰の姿勢で壁伝いに進む。
 人工灯に照らされた停留場を横切り、マンホールの傍らにしゃがみこむ。
 床に片膝付き、蓋をこじ開ける。
 ゴトリと音が鳴り、円盤がわずかに持ち上がる。
 額に汗してマンホールの蓋をずらし、ぽっかり口を開けた暗渠を覗き込む。
 「……浸水してないよね?」
 下は暗くてよく見えない。轟々とかすかに音がする。地下を流れる水の音だ。
 ここんとこ雨が降ってないから浸水のおそれはないはずだけど、いざ下におりた途端に洪水に巻き込まれたりしたらたまらない。
 萎縮する心を奮い立たせ、ぎゅっと梯子を掴む。
 「!っ、」
 梯子に触れた途端指の皮が糊付けされるような冷たさに驚き、反射的に手を引く。
 下水道と地上を繋ぐ唯一の架け橋たる梯子の表面は露に濡れていた。
 手のひらを開閉し、改めて梯子を握る。今度は引っ込めなかった。
 手のひらが霜焼けになりそうなのを我慢し、しっかりと梯子を掴み体を支え後ろ向きに下りていく。 
 梯子を二段ほど下りたところで前屈みの姿勢で頭上に腕を伸ばし、外した時よりも更に苦労してマンホールの蓋を被せる。
 完全に閉めたら視界が真っ暗になるし二度と地上に戻れない可能性もあるから明かりとりの隙間をあけておく。
 蓋の隙間から射し込む一条の灯りが乏しい光源となり危なっかしい手元足元を照らす。
 壁に沿って固定された鉄梯子にはびっしりと水滴が付着している。
 滑らないよう用心して一段ずつ足をおろす。
 キシキシと不吉な音たて梯子が軋む。
 自重を支えるだけの耐久性も危ぶまれる劣化具合。梯子のてっぺんから真っ逆さまに落っこちて頭をかち割るなんて最期はぞっとしない。
 一箇所に体重をかけないよう調整し素早く梯子を降りていく。
 冷たいを通り越して手が痛い。梯子にかけた指が霜焼けになりそうにひりつく。
 身軽に梯子を下りながら僕は呟く。
 「どうか浸水してませんよーに」
 白い息を吐きながら祈る。
 下方に灯る青白い光がだんだん近付いてくる。
 下水道の気温は低い。
 一段梯子を降りるごとに体感気温が一度下がってく。
 あたりは暗くてよく見えない。視界が利かないぶん耳が鋭敏になる。
 ちょろちょろと水が流れる。
 轟々とかすかな唸りが聞こえる。
 雫が滴る単調な音が静寂に波紋を投じる。
 遥か下方、下水道の壁に取り付けられた冷光灯が息も絶え絶えに点滅する。
 梯子が軋む。鼓動が跳ねる。脊髄に氷柱を突っ込まれたような悪寒が走る。
 緊張。恐怖。回想。
 あれはまだ鍵屋崎が入所したての頃、サムライの過去をネタに下水道に呼び出してヤキ入れようとしてあわや大惨事に巻き込まれかけた。あの時濁流に巻き込まれたユアンはまだ見つかってない。
 毛細血管の如く無数に枝分かれして複雑怪奇に入り組む下水道のどこかにネズミに食い散らかされた腐乱死体がひっかかってるはずだけど、できるならこのまま永遠に見つからないで欲しい。僕の心の平安のために。 
 独特の黴臭い匂いが鼻腔を突く。
 澱んだ水と湿気った壁が発する腐臭。
 梯子を一段おりるごとにその匂いは濃く蟠っていく。
 頭上の明かりが遠ざかる。結露した梯子から指を引き剥がす。
 テープで保護した靴底が床を踏む。
 梯子を伝って地下深い下水道に降り立つ。
 無事下に辿り着けたことに安堵、深呼吸してあたりを見回す。
 等間隔に設置された冷光灯が青白く無機質な光を投じる。
 通路の横には緩やかに水が流れている。殆ど動きのない穏やかな流れだ。
 最近雨が降ってないから水量も少ない。
 これならユアンの二の舞になる危険はないと楽観する。
 「ラッキー。こん位の水量なら楽勝だね」
 手のひらに息を吹きかけ、擦る。真っ暗い下水道にひとりぼっちの状況下でどうしようもなく心細くなる。
 かぶりを振って弱気を払い、上着の裾をからげて地図をとりだす。 
 「うーん」
 手の中にはホセから借り受けた地図。複雑怪奇に入り組んだ地下通路が記された地図を穴の開く程見詰め首を傾げる。
 さて、どっちに進もう?
 とりあえずは真っ直ぐ進むべきと結論、ズボンに突っ込んでいた懐中電灯をとりだしスイッチを入れる。
 強い明かりが闇を丸く刳り貫く。冷光灯にも勝る懐中電灯の明かりが不安を打ち消してくれる。
 懐中電灯を片手に握り、もう片方の手に地図を持ち、前を向いて歩き出す。
 滑り止めを施したスニーカーで水溜りを突っ切りながら、愚痴る。 
 「あーあ、ツイてない。ほんとなら今頃ベッドに潜ってママの手作りホットケーキにシロップたっぷりかけてかぶりつく夢を見てる頃なのに。それでママは僕のお鼻のてっぺんをちょんてつついて、『まあ食いしん坊なんだからリョウちゃんは、程ほどにしとかないとおなか壊すわよ』って優しく叱ってくれるんだ。ママのホットケーキ食べたいなあ」
 名残惜しげに地上を仰ぐ。
 蓋の隙間から僅かに射し込む光が遠ざかりやがて光源は壁の冷光灯だけとなる。その冷光灯も大半は割られて役立たない状態だ。
 「僕の勘が正しけりゃ下水道のどっかが旧世代の地下道に繋がってるはずなんだ。もともと砂漠の地下にこんだけの規模の下水道を作るのは大変だ、旧世代の遺産を活用しない手はないってね。砂漠の穴から直接下りるよか下水道伝いに探索したほうがよっぽど現実的だし生き埋めになる心配もない。やっぱ冴えてるね、僕。気分はいっぱしの冒険家ってやつ?」
 ぱしゃぱしゃと軽快に音たて水溜りに突っ込む。
 準備万端、滑り止めを施したスニーカーなら苔でぬめる地面ですっ転ぶこともない。スニーカーのゴム底にはぐるりと布製のガムテープを巻き付けてある。詳しい原理はさっぱりわからないけど、こうしておけば地面とテープの摩擦係数がどーとかで滑り止めの役目を果たしてくれるらしい。
 ま、威張って言うことじゃない。全部ビバリーの受け売りだ。ビバリーが見せてくれたサバイバル知識を集めたサイトに靴にガムテープを巻く滑り止めの方法が載ってたのだ。
 右に左に地図を傾げて眉をしかめる。
 ホセから渡された地図はかなり古いものであちこち傷んで色褪せてる。
 この地図に書いてあることが事実なら東京プリズンの地下は全長何十キロにもわたり大迷宮化してることになる。
 しげしげと地図を見詰め、独りごちる。
 「東京アンダーグラウンド、か」

 今日の夕方、強制労働を終えた後。
 作戦決行前に房に立ち寄れば、今日も今日とてロザンナといちゃついてたビバリーが訝しげに探りをいれてきた。
 『リョウさん、本気でホセの依頼をうけるんスか?』
 僕の行き当たりばったりさを非難されたように思えてちょっと気分を害す。
 『そうだよ。悪い?命と引き換えだもん、しかたないじゃん』
 膝に抱っこしたテディべアの腕を掴み、上げ下げして開き直る。
 『ホセの言うこと聞かなきゃ明日から東京プリズンで生きてけない。キョーハク罪だよ、これは。早いとこ依頼をこなさなきゃホセに頭蓋骨砕かれて脳味噌はみでちゃうし、どんなに無茶な依頼だって頑張って達成しなきゃ二度と娑婆にでれなくなる』
 ビバリーは難しい顔で腕組みして唸っていた。ビバリーはビバリーなりに真剣に僕の身を案じてるらしい。友情に感謝。僕はビバリーの肩に凭れ掛かるようにしてその耳元に囁く。
 『んでさ、ビバリーにお願いがあるの』
 『ロザンナはあげません』
 『持ち運びに手間どる嫁はいらないから。そもそも機械と人間のあいだに愛情生まれないから』
 『失敬な、僕とロザンナの絆を否定するっスか!?僕とロザンナのあいだに芽生えた種族の壁を越えた禁断愛をリョウさんご存知っしょ!?』
 『はいはい、変態の寝言。君はもうロザンナと子作りしてなよ、感電死上等なら止めないからさ。んなことよりさ』
 『んなこととはなんスかんなこととは、僕とロザンナのフォーリンピュアラブを!!』
 あーもうるさいめんどうくさい。
 むきになって食い下がるビバリーを両手を挙げて制し、ツンと取り澄ましたロザンナに意味深な視線を送る。
 『天才ハッカーとして巷を騒がせた電脳ビバリーにちょちょいと調べてほしいことがあるんだけど』
 『調べてほしいこと?』
 ビバリーがきょとんとする。あっけにとられたビバリーを上目遣いに見上げ、もったいぶって付け加える。
 『東京プリズンの地下に何があるか』
 ビバリーの行動は早かった。口では文句を垂れつつも根っからお人よしなビバリーが僕のお願いを断るわけない。どんな厳重な防壁も鼻歌まじりに突破して回線をショートさせ世界中にウィルスばらまき、最新鋭の警備を誇るCIAのデータベースにすららくらく侵入した前科持ちの天才ハッカーは、傍らにしゃがみこんだ僕の前であざやかに指を舞わせ打鍵して軽快な音楽を紡ぐ。
 無心にキーと戯れるビバリーは今にも口笛吹きかねないほどご機嫌な様子で、ものの一秒とかからずお目当てのサイトを立ち上げる。
 興味を覚えて身を乗り出す。
 液晶画面に映し出されたサイトの入り口には、黒地に白抜きのゴシック体で中央にでかでか『TOKYO UNDERGROUND』とタイトルが刳り抜かれてる。
 『東京アンダーグラウンド?』
 僕の疑問をよそにビバリーが滑らかにマウスを操作する。
 タイトルをクリックすると画面が切り替わり、インデックスが表示される。 
 『有名な都市伝説っスよ』
 ビバリーに促されインデックスを読む。
 東京地下都市の噂、都心を網羅する旧地下鉄図、政府の陰謀……どうやらこのサイトは東京の地下に関する虚実入り混じる情報を集めたデータベースとして機能してるらしい。ざっと見た感じ資料は充実してる。
 ビバリーの案内に従って上から下へと流れる文章を読み進める。
 『リョウさんだって聞いたことぐらいあるっしょ?今を遡ること70年前、西暦2010年頃。アジアの難民流入で人口増加した東京の地下に都市を作ろうという計画が持ち上がった。通称東京アンダーグラウンド計画、って見事にそのまんまっスね。まあそれはおいといて、当時の都知事主導で立案されたこの計画はとんとん拍子に国会で承認され善は急げと実行に移されたんス』
 『聞いたことある。外人がわんさかやってきて都市機能がパンクしかけたから、人が住む余地のない地上のかわりに地下に街を作ろうとしたんだよね』
 僕が生まれるずっと前の話だから詳しく知らない。
 今じゃすっかり都市伝説化した感がある。
 二十世紀初頭、この国には政情不安の周辺諸国から大挙して難民がやってきた。あとからあとから藁にも縋る思いで新天地を求めくる密航者たちを追い出すに追い出せず対応に苦慮した政府は、いっそこの邪魔者たちをまとめて地下に押し込めちゃおうと決定した。
 急を要した都市増設計画は、けれども志半ばで頓挫した。
 『地震がおきたんだよね、でっかい地震が』
 膝を崩してなげやりに言った僕をちらりと見やり、ビバリーが頷く。
 『工事は滞りなく進んだっス。けれどもあの地震で台無しになった。マグニチュード7.2、こりゃもう凄い揺れっス。地面が割れてビルは倒れて火災は起きて人が死にます。もちろん地下に潜ってた連中も無事では済まず大半が生き埋めになり、東京アンダーグラウンド計画は白紙に戻った。地震で壊滅的被害を受けた国庫には都市を作るのに回す予算がなかった。ところでリョウさん、面白い噂があるんスけど』
 ビバリーがマウスをクリックし、当時の工事現場を撮った写真を開く。
 『最初に工事が始められたのはどこだと思います?』
 クレーンで吊り下げられた大量の土砂。ヘルメットを被った作業員が両手を挙げ指示をだし、大型のドリルが地盤を掘削しトンネルを作る。
 泡と消えた東京アンダーグラウンド計画が遺したもの。
 文字通り土中に葬り去られた歴史を今に伝える数十点の写真。
 画面を埋めるそれらを見ながら適当に思いつきを述べる。
 『さーね。わかんないよそんなの。えーと、こことか?』
 『こんぐらっちゅれいしょん!』
 『へ?』
 ビバリーがにやりと笑い、自分の横の床を平手で叩く。
 『大正解っス。土を掘り地盤を削り都市を作ろうとした計画のはじまりの地、ツワモノどもが夢の跡。その上に東京プリズンが建ってるんスよ』
 『マジで?』 
 仰天し目を見張る。ビバリーはしたり顔で説明を続ける。
 『噂の域はでないスけど。なにせもう七十年も前のことだし、当時の資料は殆ど地震のどさくさで消失しちゃったし……けどね、説得力はあるんスよ。だいたい不思議に思いません?なんで東京プリズンが建ってるこの場所だけ大規模な地殻変動が起きて砂漠化しちゃったのか、一度も疑問に思ったことありません?』
 まさか。
 膝の上のテディべアをぎゅっと抱きしめ、思わせ振りなビバリーを仰ぐ。
 『すべては東京プリズンの地下から始まった』
 『そしてホセは、東京プリズンの地下をさぐっている』
 ビバリーの語尾を継ぎ、独白するように呟く。
 テディべアに顔を埋め思考に没頭する。
 もしデータベースに掲載された情報とビバリーの推測が真実なら、東京プリズンの地下にはホセが欲しくて欲しくてたまらない重大な秘密が隠されてる事になる。
 秘密。
 秘密ってなに?
 『臭い物に蓋』 
 手早くマウスを操作して窓を閉じ、ビバリーがらしくもなく醒めた目で発光する画面を眺める。
 画面の光を受け青白く染まるビバリーの横顔がいつもより大人びて見え、一瞬ホセに重なり、僕は言葉をなくす。
 『東京プリズンは巨大な漬物石なんスよ、リョウさん』
 ビバリーは重々しく断言した。

 「漬物石、か。たとえにしてもあんまりじゃない、それ?」
 房での出来事を回想しながらビバリーに突っ込みを入れるも、返事がないのは薄ら寒い。いや、返事があったらホラーだけどさ。
 上着越しに二の腕をこする。
 下水道は寒い。
 気温は氷点下に近い。おまけに湿度が高くじめじめしてる。
 今頃毛布に包まってぐっすり眠ってるビバリーを思い浮かべ理不尽さを覚える。
 幸せそうな寝顔を蹴っぽってやりたい。
 毛布を引っぺがして蹴落としてやりたい。
 就寝時刻を過ぎてビバリーが完全に寝入った頃合にこっそり房を脱け出してきた僕は、ひとりうろうろと下水道を探索しながらもベッドへの未練が断ち切れない。ビバリーは僕が下水道にいることも知らない。何も告げずに出てきたんだから当たり前。
 ビバリーがついてくるとまた話がややこしくなる。
 足手まといはいらない。僕ひとりのほうが何かと都合がよい。
 「……怖くないモンね。お化けなんかいないもんね」
 別に怖くはない。怖がってなんかない。お化けにびびってお漏らしするような甘えん坊の子供じゃないんだから、僕は。闇に紛れて生きる妖怪人間は架空の存在で実際はいやしないんだから。いや、闇に隠れて生きるだっけ?あれ?……まあどっちもでいいや。何くだらないことで悩んでるんだ僕。ヤキが回ったな。
 とりとめのない思考で不安と恐怖をごまかす。
 懐中電灯を持つ手に必要以上の力が篭もる。  
 吐く息が白く溶ける。壁に靴音が反響する。
 地下深くの下水道にひとりぼっち。万一ワニに襲われても助けてくれる人はいない、大声で叫んだって聞こえるわけない。
 絶望的閉塞状況。
 ブルーワーク担当の囚人がマンホールの蓋を開けて下りてくるのは朝になってから、まだ六時間以上先のこと。
 発見される前に凍え死ぬ可能性が高い。
 「……ビバリー起こしとくんだったな」
 ワニに食い散らかされるのも行き倒れるのもごめんだ。
 くそ、ビバリーに行き先告げとくんだった。朝になっても僕が戻ってこなかったら看守に知らせてとか助けに来てくれとか言っておけば安心して行き倒れることができたのに……いやいや、行き倒れちゃ駄目だ。てか、ビバリーが助けに来てくれるとも限らないしさ。トラブルメイカーの同房者にいい加減愛想尽かして放置プレイ決め込むとかそっちのがよっぽどありそうだ。
 「ビバリーのひとでなし。そんなにロザンナが大事?ロザンナを選ぶの?僕を捨ててロザンナをとるの?そんなにロザンナが好きならロザンナと結婚して初夜に感電死しちゃえ。早漏漏電感電死。ぷっ、最高に笑えるオチ。ロザンナと抱き合ったまま黒こげ死体になれるなら本望っしょ?機械と人間、種族の壁を越えた真実の愛とやらをぼくに見せてよ」
 今この場にいないビバリーに発破をかけることで挫けそうな心を何とか奮い立たす。
 懐中電灯で足元を照らす。水溜りが光を反射する。
 脇道に逸れることなく下水道を真っ直ぐ進む。
 いい加減足も疲れてきた。引き返したほうが無難かな、という考えがちらりと脳裏をかすめる。
 「よし、冒険終了っと」
 立ち止まりポケットをさぐる。ちびた白墨で壁に印をつける。
 こうして目印をつけておけば一旦終えた地点から探索を再開できる。ヘンゼルとグレーテルの知恵。道しるべに蒔いたパン屑がネズミの餌になるのは哀しいから、壁の目の高さに白墨で横棒を引く。
 明日はこれを目印に探索を始めればいい。
 「……長期戦になりそうだなあ」
 うんざりと肩を落とし壁に寄りかかる。
 ホセにキョーハクされてしぶしぶ下水道に潜ってみたものの初日の収穫はゼロ。睡眠時間が大幅に削られただけだった。
 壁に背中を凭せてしゃがみこむ。ひどい徒労を感じてうなだれる。
 ぽつんと雫が滴りおちる。
 暗い水面に波紋が生じる。
 大口開けて欠伸する。
 眠気に襲われて目を閉じる。
 雫の滴る音が聞こえる。子守唄に似た安心感を与える単調な旋律。
 ぽたぽた、ぽたぽた、ちゅーちゅー……
 ちゅーちゅー?
 「!」
 はっと目を開ける。弾かれたように立ち上がる。
 拍子に懐中電灯があらぬ方向に転がり、水柱を立て水路に沈む。
 慌てて手を伸ばし懐中電灯を拾い上げようとして、そのはずみにポケットから白墨が零れ落ちる。
 地面で跳ねた白墨が甲高く澄んだ音をたてる。
 どっちを拾おうか迷った足元をすばしっこく影が過ぎる。
 危なく声をあげそうになった。
 「ねず、み?」
 歯の間から息を漏らす。
 懐中電灯の光を受けた目が鮮紅色に輝く。体毛は滑らかに白い。
 東京プリズンでも滅多に見かけないアルビノのネズミだ。
 好奇心が恐怖に打ち克つ。
 いそいそとしゃがみこみ、ズボンの尻ポケットから銀紙の捲れたハーシーのチョコを抜く。
 チョコレートの角をぱきんと折ってネズミの鼻先にぶらさげる。
 「ちゅーちゅー」
 鳴き声を口真似して怖くないよー怖くないよーとアピールする。ネズミが怯んだようにあとじさる。
 ネズミを餌付けしようとしたのは下心こみの出来心。
 アルビノのネズミは珍しいから高く売れると内心舌なめずりし、可愛い可愛いネズミさんに小首を傾げて話しかける。
 「怖くないよー怖くないよー痛いことしないよー。赤いお目めの可愛いネズミさん、僕と一緒にこないかい?下水道育ちの君に広い世界を見せたげる。東京プリズンにはね、色んな人がいるの。物好きでも変態でも呼び方は何でもいい。君のような可愛いミッキーをペットとして飼い慣らすのが唯一の娯楽っていう変わり者の知り合いがいてね、文字通り毛色の変わった君はたかーーーーく売れるんだ。大丈夫安心して、そいつは君の首に紐をつけて肩や頭にのせたり芸を仕込んだり口の中にいれて涎まみれにして可愛がってくれるから……あ」
 逃げた。目がドルになってたのかな、僕。
 その瞬間僕の脳裏からはホセの依頼もビバリーの寝顔もきれいさっぱり吹っ飛んで「ネズミを捕まえろ」が他のすべてを押しのけてダントツ最優先事項となった。
 簡単に言うと、金に目が眩んだ。
 「全身真っ白で赤い目のネズミなんてすごく珍しいから高値で売れるよ。こら逃げるなって、僕も君も光のささない穴ぐらで暮らす隣人同士っしょ!?あ、人じゃないか。まあいいや細かいことは。とにかく君にとっても悪い話じゃないはず、もうじめじめ黴臭い下水道で共食いしたり時々流されてくる死体を齧ったりしなくてすむんだから、三食ハーシー三昧の美味しい生活が君を待ってるよスチュアート・リトル!!」
 右に左に跳ね回る尻尾を追って脇道にそれる。
 突然視界が暗くなる。
 どうやら冷光灯が設置されてるのは幅広の本道だけらしく、人一人が申し訳程度の面積っきゃない脇道は一寸先も見えない暗闇に包まれる。
 肩で壁を擦りながら横幅一メートル足らずの細道を進む。
 次第に息が荒くなる。
 眠気は数万光年彼方に吹っ飛んでいた。
 踝まで水路に浸かりながらばしゃばしゃ勢い良く水を跳ね散らかす。
 深夜の下水道でネズミと追いかけっこなんていっそ笑い出したいくらいスラップスティックな状況だけど、残念ながら僕は本気だ。
 何の収穫も得られなかった初調査の腹いせに、スチュアート・リトルを生贄に捧げてやる。
 そう決心し三メートル前方をひた走るネズミに手を伸ばす。捕まえようとしたそばからネズミは僕の手をすりぬけ大きく弧を描いて壁を走る。
 しぶといやつめ。 
 壁に手をつき呼吸を整える。チチッと鳴き声がする。畜生、ネズミの分際で僕を嘲笑ってやがる。憎たらしいスチュアート・リトルめ。
 チチッと鳴き声がする。
 一匹、二匹、三匹。鳴き声は次第に重なり増えていく。
 「え?」
 得体の知れない不安に駆られて顔を上げる。
 チチッ、チチッ、チチチチッ。
 水路のあちこちにネズミがいる。
 闇に溶け込むようにこちらを窺うネズミの大群に声をなくす。
 なに、これ。
 仲間のピンチを嗅ぎ付けて水路に合流したネズミが体積を増し大群となり、不気味な赤い目でこっちを見る。
 不気味な赤い目。
 ネズミの大半はアルビノだった。
 そのうち何割かは奇形だった。
 しっぽが二股に分かれたネズミや足が多いネズミや目が片方膿んで白濁したネズミや、とにかくそんな奇形のネズミばかりが何十匹何百匹と馳せ集まり堤防を成し水路をふさいでるのだ。
 「ひっ……」
 ネズミがキィキィと軋むような威嚇音を発する。
 湿り気を含んだ闇の中、何対もの赤い目が朧な光を発する。
 食われる。
 本気でそう思った。こんだけの数のネズミ相手に人間ひとりがかなうわけない。
 ああ、調子に乗った僕が馬鹿でした。
 さよならママ、ビバリー。
 ぎゅっと目を閉じお別れを言う相手を思い浮かべる。
 銀縁眼鏡をかけた憎たらしい顔が瞼の裏を過ぎ去る。
 鍵屋崎?
 ちょっと待て、なんでアイツが浮かんでくるの。死んでも死にきれないじゃんか。
 『ネズミは雑食性だ。体重30キロ代の君など跡形も残らないだろうな』
 鍵屋崎が例の如く取り澄ました顔で追い討ちをかける。余計なお世話だっての。
 皮肉にも現実逃避の想像の中の鍵屋崎が僕に冷静さを取り戻させてくれた。
 放心してる場合じゃない、現実を見ろ、しっかりしろ。
 深呼吸して目を見開く。
 目を閉じる前と何ひとつ変わらない光景が現実としてそこにあった。
 一体これだけの数のネズミがどこから湧き出てきたのか疑問を感じる。どっかに抜け穴でもあるのだろうか?……いや、そんな事は今どうでもいい。
 食われる前に逃げろ。 
 僕が死んだらママが泣く。多分、ビバリーも泣く。それが嫌なら逃げろと頭の片隅で理性が囁く。
 逃げる?どうやって?
 背中を見せたらやられる。逃げようと身を翻した途端にネズミの大群が襲い掛かってくる。
 くそ、全部ホセのせいだ。あいつが地下を探ってこいとか命じるから僕はネズミに齧られるはめになったんだと責任転嫁して全力で呪う。本当なら今ここにいるのはホセのはずネズミに囲まれるのはホセのはずネズミに齧られるのも食べられるのも水路でふやけるのもホセのはずなのに何でぼくがこんな目に、ママ助けてよママ助けて曽根崎さん助けてビバリー助けてだれか、この際鍵屋崎でも文句言わないから!!
 恐怖が暴走する。頭が混乱する。
 全身の毛穴が開いて冷や汗が噴き出す。 
 何対もの赤い目がじっと無感動にこちらを窺ってる。
 瞬きもしない赤い目が何対も何対も何対もー……
 「ひあ、ひあ、ひっ………くるなああああああああああああああああっ!!」
 食われる。
 食われる食われる食われる僕の手足の指も鼻の頭も頬の皮も内蔵もネズミに食い散らかされて水路にぶちまけられる、そんなのは嫌だ、絶対に嫌だ!
 背中を見せたら殺られる。
 なら前に進むのみ。
 突然大声を上げたのに驚いたのかいきなり突っ込んできたのにびびったのか、狂乱したネズミたちが縦横無尽に入り乱れ殺気立った鳴き声が耳を突き刺す。
 頭が真っ白になる。
 僕は逃げる、がむしゃらに逃げる。
 一歩でも少しでもネズミの群れを引き離そうと今出せる全速力で水路を奥へ奥へと突き進む。
 壁を手探りしてひたすら水路の奥へ奥へネズミの群れが追ってこない袋小路へと逃げ延びた末、狭隘な水路を抜けて見たこともない場所に放り出された。
 「はあ、はあ、はっ……」
 心臓が蒸発しそうに早鐘を打つ。壁に凭れてあたりを見回す。
 本道からどれくらい逸れてるか見当もつかない。
 地図を広げたところで現在地がどこかも判らない。
 照明の類は一切ない。天井は異様に低い。
 閉塞感と圧迫感に息が詰まる。
 マンホールから下りた場所を心臓の大動脈とするなら、僕が今いる所は右手の小指の毛細血管の終点近く。勿論これはたとえだけど、本道と何キロ離れてるか想像すればどうしたって気が滅入る。
 「……やばい。完全に迷った」
 踏んだり蹴ったりの悔しさと心細さのあまり視界がぼやけてくる。
 地図なんてもう役に立たない。
 これも全部人食いねずみとホセのせいだ。 
 怒り任せに壁を蹴る。靴裏に震動が伝わる。
 「ホセのチンコなんかネズミに齧られちまえ!!」
 下水道に殷殷と叫びが響く。
 呪詛の余韻が大気に溶けてたゆたう中、唐突に音楽が流れ出す。
 「え?」
 懐かしいメロディ。郷愁をかきたてる情緒的旋律。
 下水道にはひどく場違いな歌声がどこからかかすかに聞こえてくる。
 何だっけ、この曲。むかし聞いた覚えがある。
 そうだ、確かビバリーがパソコンからダウンロードした……
 「……I was dancin' with my darlin' to the Tennessee Waltz
……」
 思わず声に出して続きを辿る。
 何?これ。
 ネズミに囲まれた時感じた恐怖と同じかそれ以上の戦慄に打たれる。
 だってここには僕しかいないのに下水道には僕しかいないはずなのに何で突然音楽が聞こえてくるのそれも大昔の歌手の持ち歌、待っておかしいって絶対、何、僕の目に見えない場所でいったいなにが起きてるの?

 誰?
 誰かいるの?

 ひとりでに音楽が流れ出すわけがない。
 僕に隠れて音楽を流す「誰か」がいるはずだ。
 大きく胸を喘がせ息を吸い、周囲に目を走らせる。
 恐怖と好奇心が綱引きする。
 そして僕の場合、いつだって好奇心が打ち克つ。
 怖い、知らん振りしたい、頭を抱え込んで何も見なかった聞かなかったふりをしたい。その一方音楽を流してる人間の正体を突き止めたいという願望が膨れ上がり、音楽に引き寄せられるがままふらふら歩き出す。 
 「……ドゥキャットイットバット、ドゥバットイットキャット、ドゥキャットイットバット……」
 口の中でおまじないの文句を唱える。
 猫は蝙蝠を食うか蝙蝠は猫を食うか猫は蝙蝠を……蝙蝠とネズミは似てる。連想が恐怖を呼び起こす。
 壁に寄りかかるようにして一歩ずつ慎重に前に進む。
 古き良き時代を忍ばせる豊潤な歌声が余韻嫋々と響き渡る。
 下水道の奥の奥、ブルーワーク担当の囚人すら存在を知らない袋小路に迷い込んだ僕は、生きて地上に出られる確率がどれだけ低いかなんて考えもしなかった。
 まだ、この時点では。

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