ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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十九話

 蛍光灯が不規則に点滅する。
 延々と続く灰色の壁が距離感を狂わせる。
 神経症的に瞬く蛍光灯が頼りなく足元を照らす中、威風堂々と闊歩するのは場違いないでたちの青年だ。
 マニア垂涎のナチスの軍服を隙なく着こなし軍帽を被った姿は、あらゆる意味で近寄り難い。
 底の厚い革靴が床を叩く。
 尖った靴音が反響する。
 軍服の青年は厳しい表情を崩さず、ただ前だけを見据え歩いていた。
 優雅に足を繰り出す。
 肩に流した銀髪が不穏にさざめき、風を孕んで揺れる。
 薄氷の目の奥でちりちりと激情が燻る。
 異様に鋭い眼光とは裏腹に、頬骨の鋭さが目立つ痩せぎすの容貌は非人間的なまでに表情を欠き、色素の薄い瞳と髪と肌が相俟って氷から切り出されたように冷ややかな印象を与える。
 「酷寒」。その一言が青年の印象を決定付けていた。
 氷点下の空気を纏った青年は、粛然と廊下を歩く。
 顔半分は黒革の眼帯で覆われている。
 怜悧な顔の中、処女雪に落ちた一点の染みのようにそこだけ異彩を放つ黒革の眼帯が異様な凄味を付与する。
 己の歩みを妨げるものはこの世にないと信じて疑わぬ青年の背後、壁に穿たれた鉄扉が開け放たれ、物見高い野次馬が次々顔を覗かせる。廊下に溢れ出した囚人たちは好奇心を剥き出し歩み去る軍服の背に視線を投じる。
 「サーシャだ」
 「北の皇帝がなんだってこんなとこに?帰る家間違えたのか」
 「まさか。北のトップともあろうものが何の目的もなく東にくるもんか」
 「三十八度線を越えるにゃそれ相応の理由があるってな」
 「レイジにお礼参りか?こないだこてんぱんにやられたもんな」
 「待てよ、こてんぱんにしたのは暇面だろ?レイジを恨むのは筋違いだろが」
 「お前バカか。ナチスの軍服お仕着せされて浮かれ歩いてる誇大妄想狂のヤク中に理屈が通じるもんかよ。北の皇帝が東の王様にご執心だってのは前からの噂だ、今回じきじきに東棟に足をお運びになられたのは我らが王にご用事あそばされるからだろ」
 興奮の気配を孕んだ囁き声が飛び交う。
 通路に氾濫した囚人たちが落ち着きない眼で青年の行方を追う。
 格子窓の内から注がれる好奇の眼差しを意に介さず、はるばる国境を越えて敵地のただ中に踏み込んだ青年は一路目的地をめざす。
 「お前ら何びびってんだ?所長のペットに成り下がった廃帝相手によ」
 下卑た挑発に青年がぴくりと反応する。
 今しも鉄扉を開けて廊下に姿を現した到底未成年とは思えぬ面構えの囚人が、口笛でも吹きかねない調子で揶揄する。
 青年が立ち止まる。空気が豹変する。青年の纏う空気が一気に氷点下までさがるも、哀れ鈍感で無神経な囚人はまわりの変化を察することなく、彼の関心を引いた優越感に浸りながら続ける。
 「あの悪趣味な軍服も所長のお仕着せなんだろ。誇り高きロシア皇帝ともあろうものが情けねえ、すっかり肝っ玉ぬかれちまったな。所長のボディガードとして特別扱いされてるうちに権力者に媚び売るドМな快楽に目覚めちまったってか?こないだはレイジもまじえてさぞかしお楽しみだったんだろうなあ」
 だらしない姿勢で壁に寄りかかり、口元を嘲弄に歪めて罵詈雑言を浴びせる。
 青年は廊下の中央に静止したまま、ざわめく聴衆に毅然と背を向けていた。
 廊下に居合わせた誰もが彼の動向に注目し、一挙手一投足に緊張する。それもそのはず、彼は本来この場にいないはずの人間なのだ。彼がここにいるという事実が何を示すのか図りかねた聴衆が不安げに顔を見合わせる。
 壁に寄りかかった囚人が下劣な笑みを湛える。
 醜悪な顔に嗜虐の笑みを滴らせ舌なめずりし、囚人がここぞと身を乗り出す。
 「今日は何か、遠路はるばる国境こえてレイジに会いに来たのかよ。こないだの復讐か?お礼参りか?一週間前レイジにこてんぱんにされた恨みを晴らしにはるばる鞭携えてやってきたのかよ。執念深さに恐れ入るぜ」
 やめろと制止する友人をぞんざいに振り払い、青年に接近する。
 青年は微動だにせず佇立している。
 周囲の気温が急低下する。
 皮膚に霜が下りたような錯覚を抱く程に空気が冷え込む。
 場違いな闖入者に対する不審感を募らせ出来るかぎり距離をとる野次馬とは一線を画し、本来なら自分ごとき一介の囚人が口を利けるはずもない雲の上の相手へと図々しくなれなれしく忍び寄った囚人は、顔の皮膚を醜く引き攣らせ、不快を催させる卑屈な笑みを浮かべる。
 「ああ、悪ィ、間違えたぜ。お前がこてんぱんにされたのはレイジじゃないんだっけ」
 顔筋が神経症的に痙攣する。
 沈黙を守る青年のすぐ背後に迫った囚人は、うなじのきめ細かさを愛でるように目を細め、なれなれしくその肩を抱く。
 謝罪というにはあまりに誠意がこもってない不実な態度に、しかし青年は眉をひそめるでもなく冷厳たる無表情を保つ。
 口先だけで謝罪した囚人は青年が無反応なのをいい事にますます調子に乗り、はち切れんばかりに隆起した下半身を擦り付けてくる。
 青年の腰に股間が密着する。固い屹立を内腿に擦り付けるように怪しい動作を繰り返し、至近距離でその顔を覗き込む。 
 色の透けた睫毛に沈んだ薄氷の目が、世にも美しく冷酷な色を帯びる。
 青年の顔に初めて感情らしきものが表れる。
 無表情の仮面が割れて極大の嫌悪感が表出し、冷え冷えと澄んだ薄氷の目に驕れる怒りが発露する。
 「汚い手で触れるな、下郎めが」
 肩を這う手を汚物のように払い落とすが早いか、目にも止まらぬ早業で腰の得物を抜き取り、毒蛇の如く鋭い呼気とともに一閃する。
 瞬時に跳ね上がった手首の残像が視界を過ぎった時、囚人は悲鳴を上げて突っ伏していた。  
 鞭打たれた手が裂けてしとどに血が流れる。
 手を伝った血が床に滴る。
 戦々恐々床に跪いた囚人は、恐怖と激痛に青褪めた顔で上を仰ぐ。
 鞭を手にした青年が傲然とこちらを見下ろしている。
 気障ったらしく肩の埃を払い落とし、ツンと取り澄ました表情でこちらを見下ろしている。
 とるにたらない虫けらでも見下すように無関心に醒め切った瞳。
 「誰が誰に敗北したと言った?汚らわしいその口で。卑しいその舌で」
 「ひ、ひ、ひィ……!!」 
 嗚咽の尾を引く情けない悲鳴が上がる。
 恐怖のあまり過呼吸に陥った囚人の前に立ちはだかった青年が、白けた顔のままに無造作に半歩繰り出すのに応じ、尻餅付いた囚人が狂乱しあとじさる。
 しかし青年は容赦ない。
 暴威に気圧されて後退を余儀なくされた格下の囚人に対し、断罪するように言い放つ。
 「今一度言え。誰が誰に敗北したと?誇り高きロシア皇帝が何ゆえ敗北し屈辱を舐めたかしかと説明してもらではないか」
 「ちがっ、あれはちが、嘘、そう嘘だよ!お前の気を引こうとして適当言っただけだよ、誓ってばかにしたわけじゃねえ、所長のペットに成り下がった元皇帝をおちょくってどさくさ紛れにケツ揉もうなんざ考えてねーよ、全部お前の誤解っ……」
 風切る音が弁明を遮る。
 再び鞭を振り上げる。囚人が反射的に頭を抱え込む。狙い澄まして振り上げられたとおぼしき鞭はしかし、囚人の股をかすめ勢い良く床で跳ねた。
 威嚇。牽制。脅し。
 身の程の違いを弁えさせるための。身分の差を体に叩き込む為の。
 「私は敗北などしてはいない」
 ひび割れた声が迸る。
 沸々と込み上げる激情に支配された青年が鞭をとる。
 柄が軋む程に握り締めた鞭をおもむろに振り上げ、いずれも身の程知らずな囚人に触れるか触れないかの神業的な距離に掠らせ、畏敬の念を煽り立てる。
 「私はサーシャ。凍土に包まれし北の帝国を治める誇り高きロシア皇帝にして、いずれ王を廃して極東の監獄に君臨する選ばれし者。その私が高貴なる私がなにゆえ卑しい雑種風情に敗北を喫さねばならぬ、黄色い肌の異国人に惨敗して疵をおわねばならぬ、プライドを砕かれねばならぬ?私の好敵手は東の王ただひとり、それ以外は本気を出すに及ばぬ雑魚ばかりだ!!」
 唾とばし捲くし立てるうちに興奮してきたのか、白い頬があざやかに紅潮する。
 怒りに駆られたサーシャが縦横無尽に鞭を振るい混乱を招く。
 壁に床に天井に跳ね返った鞭が無軌道に虚空を走り、聴衆を巻き添えにする。 
 「とくわかったかこの下郎め、私は決して敗北者ではない、そのようなものではない!私は今でも誇り高きロシア皇帝たる矜持を失わず北棟に君臨し、レイジは皇帝に寵愛される犬として私に組み敷かれ夜毎よがり狂い……」
 「妄想の中でだろ」
 眼光炯炯、鬼気迫る形相で鞭を振るうサーシャの狂気に水をさしたのは場違いにのんびりした声。
 突如割って入った声の主は、サーシャの遥か前方にいた。
 今にも寿命が尽きそうな感覚で瞬く蛍光灯の下、平坦な通路の真ん中に一人の青年が立っている。
 「一応断っとくけど全然よがり狂ってねえから、俺。全部お前の妄想だよ」
 「会いたかったぞ、東の王」
 何事もなかったようにあっさりと鞭を腰にさし、足元にへたりこんだ囚人を無視し、軍靴の音も高らかに王のもとへと歩み寄る。
 「今日は何だ。デートのお誘い?それとも所長の呼び出し?パシリが板についてきたじゃんか。飼い主の言う事よく聞くけなげな犬だね」
 十メートル五メートルと距離が縮まる。点滅する蛍光灯の下、サーシャと向き合った青年が冗談めかして肩を竦める。
 サーシャは動じない。
 青年の戯言を鼻で笑い飛ばし、靴の踵を揃えて立ち止まる。
 薄氷の目から敵意を乗せた視線が放たれる。
 硝子の目が悪戯な笑みを含む。
 探り合うような視線を交わし、しばし沈黙する。
 「私は犬ではない。犬は貴様だ。思いあがるな」
 「へーへー。んで用件は?」
 「ここでは話せない」
 サーシャが優雅に踵を返す。ついてこいの意思表示。
 確認もとらずに来た道を戻る背中に一瞥くれレイジはため息を吐くも、その顔にはまんざらでもない笑みが宿っている。
 北と東のトップが遭遇した状況下でありながら何とも緊迫感に欠ける会話に毒気をぬかれ、囚人たちはただ北の皇帝と東の王を見送るしかない。
 「サーシャってば過激ィ。衆人環視の中で王様デートを誘うなんざ見上げた行動力だ。遠路はるばる国境越えて東棟までやってきたんだ、キスとハグで盛大に歓迎してやる」
 皮肉な笑みがよく似合う野生と甘さを黄金率で配分した顔。
 豹のようにセクシーな体つき。
 光加減で金に透ける明るい茶髪はまだ結ぶのは苦しいが、襟足に届くほどに伸びている。
 しかし何より目立つのは右目の無残な傷痕だ。
 眼帯の封印を解いて外気に晒した傷痕は酷く痛々しく、残る左目が硝子じみて綺麗な色合いをしているだけに一層悲惨さが際立つ。
 彼の名はレイジ。
 サーシャがこの度危険を犯して東棟を訪れた目的であり、サーシャが永遠の好敵手と自認する男だ。
 何度痛い目に遭っても懲りない様子で軽口を叩くレイジに、サーシャは不快感を隠しもせず渋面を作る。 
 「相変わらずよく動く舌だ。残る左目ごと切り裂いてしまいたい。戯言はいい、お前はただ私に従っていればいい」
 「サーシャ」
 「なんだ」
 「膀胱へいき?」
 その一言に場が凍結する。
 サーシャが硬直、しばし間をおいて機械仕掛けのぎこちなさで振り返る。
 「なんだと?」
 怒りを孕んだ銀髪がざわりと膨らむ。
 千匹の白蛇が蠢くが如く髪を逆立たせ、凄まじい剣幕で体ごと向き直ったサーシャを平然と受け流し、沸々と込み上げる笑いを懸命に噛み殺し、あえて真面目くさった顔と態度で進路方向を指さす。
 「そっちトイレだぜ」
 「…………」
 率先して歩いていたサーシャが唐突に立ち止まる。
 廊下の真ん中に立ち竦んだまま前進も後退もできず追い詰められたサーシャをあっけなく通り越し、レイジが先頭に立つ。
 「話し合いにゃちょうどいい場所がある。案内するよ。夕日が綺麗なデートスポットだ」 
 「弱味を握ったつもりか?頭にのるな。私は誓って方向音痴ではない、ただそう、王が治める東の地に来るのはこれが初めてなせいで地理がわからなかったのだ。それが証拠に私は一路お前の房をめざしていた、お前が無防備に垂れ流す動物的フェロモンを辿って道を急いでいたのだ。皇帝自ら腰を上げ迎えに来てやった事に感謝しろ、サバーカめ」
 「あーはいはい、そういうことにしといてやるよ面倒くさいから」
 恩着せがましく弁明するサーシャを適当にあしらいつつ、勝手知ったる道を歩いて階段の踊り場に立つ。

 壁に穿たれた吹き抜けの窓を身軽に跨ぎ越すレイジにサーシャも続く。

 展望台には人けがなかった。
 黄昏の空に残照が眩しい。

 コンクリ造りの展望台の向こうには延々と砂漠が広がっている。 
 視界の遥か彼方に地平線が横たわる雄大な光景に感銘を受けた様子もなく、真意の読めない沈黙を守り続けるサーシャをちらりと見やり、レイジが口火を切る。
 「で?話ってのは」
 砂塵まじりの風が髪を嬲る。
 サーシャは取り合わず眼前に拓けた眺望にしばし見入っていたが、軍服の懐をまさぐって何かを取り出す。
 不意にサーシャの手が撓る。
 反射的に翳した手に眼帯が飛び込む。
 無造作に投げ渡された眼帯を怪訝な表情でためつすがめつするレイジに視線を戻し、サーシャがそっけなく付け足す。
 「お前の眼帯だ」
 「わざわざ忘れ物届けにきたのか、一週間もたってから。ホント妙な所で律儀だね」
 呆れ半分に感心され、サーシャがさも心外げに顔を顰める。
 「忘れたのかレイジよ、その眼帯は渡り廊下の死闘の折にお前に奪われたものだ。それが手元にあると苦い敗北の味がよみがえり夜毎私を苦しめるのだ。サバーカの傷痕を覆った眼帯など目にするのも汚らわしく厭わしい、即刻引き取ってもらおう」
 「サンキュ。これないと落ち着かなくてさ」
 凝った装飾の眼帯をいじり、レイジは不敵に笑む。
 有り難く眼帯を受け取り、器用に顔にかけ右目を覆い隠す。
 褐色の肌に馴染む黒い眼帯が、右目を損なってもなお褪せることない不敵な笑みと野蛮さを増した美貌を際立たせる。
 黒い眼帯が褐色の肌にしっくり馴染むさまを見届け、あるべきものがあるべき場所におさまった満足感にサーシャが相好を崩す。
 「よく似合うぞ、サバーカ」
 「俺たちお揃いだな」
 折から強い風が吹き、上着の裾をはためかせる。 
 展望台に立った二人のまわりで風が渦を巻き空へと還る。
 「……何故敗けた、東の王ともあろうものが」
 唐突にサーシャが呟く。
 独り言に似た響きの声に、レイジは疑問の目を向ける。
 「とぼけるな。一週間前の事だ。暴動の混乱に合わせお前は檻から解き放たれそして敗けた、あの場に居合わせた私がこの目で見届けた。わからない。理解しがたい。お前ほどの男がなぜ名もない囚人に遅れをとった?調教疲れが敗因か?まさか、そんなはずはない。確かにあの日お前とヨンイルと安田の三人は所長室に呼ばれ長時間拘束された、しかし実際は……」
 含みを持たせて言葉を切り、探るようにレイジを見る。
 陰険な目でねめつけられたレイジはといえば、風が髪をなぶるままに茜色に暮れる空を眺めている。
 「所長室で行なわれたのは尋問だ。『ただの』尋問だ。性的な責め苦が必要とあらばそれを実行するのに躊躇はないが、とにかくあの日行なわれたのはお前たち三人に対する尋問のみだった。所長はヨンイルの漏らした情報にひどく執着していた。お前とヨンイルと安田の三人は規則に反した罪状で所長室に呼び出された。が、処罰される直前に不測の事態が起きた。それは……」
 「ヨンイルの拾い物」
 レイジがあっさりと返し、サーシャは一瞬鼻白むも気を取り直して続ける。
 「そうだ。所長はヨンイルの拾い物に大いに興味を示し一昼夜を尋問に費やした。なのに何故敗けたのだレイジ、機械仕掛けの木偶人形を倒せず殺せず失笑を買うはめになったのだ?お前が敗北するなどありえない絶対にそんなことは断じて認めない、お前は東京プリズンで唯一私に比肩しうる実力の持ち主だ。私はこう見えてお前の実力を高く評価している、お前以外に私の好敵手たりえるものはいないと思っている」
 口調に尋常ならざる熱が篭もる。徐徐に開かれる薄氷の目が狂気に濡れる。
 皇帝は怒っていた。
 おのれが唯一無二の好敵手と認める男が入所して一ヶ月足らずの名もなき囚人と均衡した立ち回りを演じ、結果としてその実力を不当に侮られてしまったのだ。
 平静でいられるはずが、ない。
 「なぜ手を抜いた、レイジ」
 レイジの胸ぐらを掴み無理矢理こちらを向かせ詰問する。
 レイジはばつ悪げに黙り込んだままサーシャの問いにも答えない。
 その態度がますます火に油を注ぐ。
 レイジの胸ぐらを手荒く揺さぶり至近距離に顔を寄せる。
 額がぶつかり痛みが爆ぜる。
 皇帝が怒号する。
 やり場のない怒りが突き上げるに任せ、振り絞るように叫ぶ。
 「お前はいつからそれ程腑抜けになったのだ、勝負を始める前から諦める腑抜けの負け犬に成り下がったのだ?あの猫がすべての原因か、あの猫がお前を誑かし戦意を失わせたのか?なるほど子猫と戯れるには鋭い牙も爪も邪魔だ、ならば抜いてしまえ折ってしまえ子猫を傷つけぬ為にと自ら身を守る武器を捨てたのか!?今のお前は東の王を名乗るにふさわしくないただの腰抜けの腑抜けだ、誇り高き皇帝の好敵手たりえぬ牙のない豹だ、今のお前は私に鞭打たれ哀しく吠えるサバーカが似合いだ!!」
 上着を掴む手が小刻みに震える。
 「……あんなお前など、見たくはなかった」
 銀髪に遮られた隻眼に悲痛な光が過ぎる。
 苦渋に顔を歪め、俯く。俯いた拍子に垂れた前髪が表情を隠す。
 展望台に静謐が降り積もる。
 口汚い罵倒を浴びてなお平然と開き直っていたレイジが、自嘲とも侮蔑ともつかぬ苦い笑みを吐く。
 「ナチスの軍服着て浮かれ歩く所長のペットに言われたかねーな」
 「お前は変わった」
 「悪いか」
 「弱くなった」
 「悪いかよ?」
 壊れた人形じみた動きで顔を上げたサーシャを出迎えたのは、返り血のような朱に染まる鮮烈な笑顔。
 「実力を出さなかったのは、猫に嫌われるのをおそれたからか。暴君に体を譲り渡して勝つよりも、猫の寵愛を失うのをおそれ嘆いたのか」
 「サーシャ。お前、俺を何だと思ってる?」
 レイジが矛先をそらすように肩を竦める。
 砂漠の彼方に沈みゆく夕日に目を細め、厳かに宣言する。
 「俺は戦闘のプロだ」
 ただありのままの事実を述べただけといったそっけない口調に伴うのは、過酷な訓練が裏付ける絶大な自信。
 眩い残照が目に染みてサーシャもまた顔を顰める。
 展望台の突端に立ったレイジは、端正な横顔を夕日に晒してひどく淡々と核心を抉る。
 「道了は喧嘩のプロだ。路上と戦場じゃ勝手が違う。銃弾飛び交う戦場と酒瓶の欠片が散らばった路上じゃ必然戦い方も違ってくる。道了は強い。王様も認める強さだ。俺もそれなりに本気出して殺りあったけどとうとう勝てなかったのがその証拠だ」
 風に舞い上がる髪を押さえ、レイジが悪戯っぽくサーシャを見て、試すように訊く。
 「サーシャ、お前に聞くぜ。ナイフと鞭とどっちが性に合ってる?」
 「全知全能の皇帝はナイフも鞭も比類なく使いこなす。無礼な問いは不敬罪に問うぞ」
 「たとえだよ、たとえ。素直に白状しろよ」
 呆れ顔のレイジに促され、サーシャは不承不承腰の得物に手を添える。その胸の内を複雑な表情が雄弁に物語る。
 展望台の突端に並んで立つ二人を微妙な沈黙が包むのも束の間、観念したようにサーシャがかぶりを振る。
 「ナイフに決まっている」
 どこか苦々しく吐き捨てたサーシャの横顔を愉快げに見やり、喉の奥で笑いを泡立てたレイジが不意に笑顔を消し真顔になる。
 風に吹き乱れる前髪の下、薄茶の隻眼が危険な光を孕んで細まる。
 「いいか?路上の流儀と戦場の流儀は違うんだ。俺はなるほど人殺しのプロだが、道了は人体破壊のプロだ。道了は顔色ひとつ変えず眉もひそめることなく、哀れな犠牲者の手足の関節をひとつずつ外して悲鳴を聞くことができる人種だ。イカレてるんだよ、ここが。どうしようもなく」
 レイジが自分のこめかみをつつく。サーシャは黙ってレイジの言葉に耳を傾けていた。
 こめかみを突いた指を下ろし、レイジは意味深に含み笑う。
 「たとえばサーシャ、お前は鞭も器用に使いこなすけどご自慢のナイフがなけりゃ本領発揮とはいかない。それとおんなじだ。俺の特技は一撃で標的を仕留めること、即座に致命傷を与えること、苦しむ暇もなく迅速で短絡な死を与えること。道了は違う。アイツは人間を壊すことそれ自体を唯一至上の目的に設定してる。敵をできるだけ長く苦しめて悲鳴を絞り上げるのに執心するタイプの狂人だ」
 らしくもなくどこかなげやりな調子で言い捨てるレイジに反発し、サーシャは即座に言い返す。
 「だからどうした。狂気の度合いではお前も負けてない」
 虚を衝かれたレイジが目を丸くする。サーシャはこの上なく不機嫌な顰め面のまま、それでも頑として主張を譲らずにレイジをねめつける。
 空気が帯電したように緊迫する。
 暮れなずむ空の下に向き合った北の皇帝と東の王は、揃いの眼帯で傷痕を隠し、残照を吸い込んで色合いを深めた隻眼で互いを探り見る。
 「庇ってくれんの?どうしちゃったんだ、お前。俺のことサバーカ呼ばわりして偉そうにふんぞり返る皇帝サマはどこ行った」
 さも意外げに嘯くレイジの隣に立ち尽くし、サーシャは感情を排した声音で語る。
 「レイジ、お前は私の好敵手だ。気高く誇り高いロシア皇帝が極東の監獄で唯一認めた男だ。お前が敗北を喫すれば皇帝の権威まで貶められる、名もなき囚人に引けを取った王がかつて私を下した男とあっては北の誇りに傷が付くのだ」
 「ところでサーシャ、怪我は大丈夫か。廊下ですっ転んで破片が刺さったって聞いたぜ」
 その一言が引き金を引いた。
 「―!!っ、」
 はぐらかすような切り返しに激怒したサーシャがレイジに掴みかかる。
 レイジは笑顔でその言葉を発した、事もあろうに対等な好敵手を自認するサーシャにむかって「大丈夫か」とそう聞いた、プライドをずたずたにする無神経な言葉を投げかけた。屈辱だった。北の大国ロシアを統治する皇帝ともあろうものが汚い褐色肌の雑種に怪我の具合を心配されるなどあってはならないことだ絶対に。レイジがなにげなく発した言葉を最大級の侮辱と受け取ったサーシャは、頬をあざやかに紅潮させ、類稀なる美しさのアイスブルーを激情にさざなみだててレイジの胸ぐらを締め上げる。
 「……お前に心配されるほど私はおちぶれてない。東の王ごときに気遣われるほど私の体は脆くはない」
 「馬鹿言え、そうそう麻薬中毒が治るかっての。ヤクのやり過ぎで骨の髄までボロボロの癖によ」
 「薬とは手を切った。私は正気だ」
 「ロシア皇帝とか自称してる段階で手遅れの誇大妄想狂だろ」
 反省の色などかけらもなく飄々と言い放つレイジに逆上し、手の甲に静脈が浮くほどの怪力をもって胸倉を締め上げる。
 空が暮れる。夕日が沈む。
 砂漠に吹く風がこまかな砂を展望台に撒き散らす。
 サーシャが半歩踏み出し、されるがまま無抵抗のレイジに体を密着させる。
 レイジは余裕の表れか単に無気力なのか、どちらとも判断しかねる醒めた様子でサーシャを見詰めている。
 ぶつけた感情をも反射する透明な硝子の目に危うく取り込まれそうになる。
 その落ち着き払った態度がまた神経を逆なでし、目つきの険が増す。
 しっとり汗ばむ首筋が嗜虐心を疼かせる。しなやかに引き締まった首筋から鎖骨に至る芸術的な流れが目を奪う。
 乱れたおくれ毛が頬に纏わる様が妙に扇情的で、艶めく媚態に劣情を催したサーシャは生唾を嚥下する。
 「忘れるなレイジ、お前は私のサバーカだ」
 褐色の首筋に指を這わせながら熱に浮かされたように呟く。 
 首元には華奢な金鎖が覗いている。一週間前道了に握り潰された十字架をレイジはまだ大事にかけている。未練たらしい男だと心の中で嗤いながら、しかし今でも最愛の兄から贈られたナイフを手放せないおのれを省みて、口の端に浮かんだ笑みが悔恨の滲んだ苦渋に塗り潰される。
 間近でレイジを睨み付ける。
 風が止む。
 変化に乏しい砂漠を見晴るかす夕凪の展望台にて、怒れる皇帝が傲然と宣言を下す。
 「飼い主の許可なく他人に敗けるのは許さない、絶対に。戦うなら、勝て」
 噛み付くようにレイジの唇を奪う。避ける暇も拒む猶予も与えず、貪るように深く深く口付ける。唇をこじ開け隙間に舌を突き入れ大胆に口腔をさぐる。飲み干しきれない唾液が口の端に透明な筋を作り滴りおちる。
 レイジはポケットに手を入れたまま、拒むでもなく落ち着き払い欲望の赴くままに貪り尽くす接吻を享受していたが、サーシャが酸素を欲して体を離すと同時にわざとらしく咳き込み、手の甲で顎を拭いながらおどけてみせる。 
 「応援サンキュって返しとくべき?けどさ、お前がそんなに俺のこと心配してくれてるなんてびっくりだぜ。意外と愛されてるんだな俺。やっぱあれか、こないだのあれは愛の鞭ってやつか?俺のこと愛しすぎるあまりつい苛めたくなっちゃうんだよな、Sっ子さっちゃんは。難儀な性分だぜ本当」
 「卑しい雑種の分際で偉そうに私を語るな。薄汚いサバーカめが私の何を知ってるというのだ」
 憎むべき相手に自身を語られる不快さにサーシャが吐き捨てれば、すべてを見透かしたような得心顔のレイジが首元の鎖を手繰り寄せ、変形した十字架を服の内から抜き取る。
 眩く夕日を照り返し、神々しい真紅に燃える十字架をサーシャの目の位置に掲げ、共犯者めいて微笑む。
 「ホセから聞いたぜ、お前のマリアの事」
 レイジの言葉が意味するところを悟り、サーシャが衝撃を受ける。
 驚愕するサーシャの額に軽く十字架を触れさせ、続ける。
 「祝福を分けてやる。いつか会えるといいな」
 「な、な、なっ………」
 「知ってるぜ。お前が所長の傀儡に成り下がったのはホセの陰謀だろ。でもそれだけじゃない、大方所長のそばにいりゃ何かと融通利かせてもらって故郷の兄貴の消息とか知ることができるって一縷の希望を繋いだんだろ。全部ホセに吹き込まれたんだよな?ったく……自分は表舞台に出ずに裏でいと引いて美味しいとこどりなんて隠者らしいやり口だぜ」
 ひとり合点したレイジが展望台にサーシャを残り用は済んだと踵を返す。
 優雅に身を翻し、猫科の肉食獣を彷彿とさせる軽快な大股で展望台を去るレイジをもはや呼び止める気力もなく、愕然と佇むサーシャを濃淡に富む夕闇が包んでいく。
 漸く呪縛が解けた時、既にレイジは遠ざかっていた。
 
 『いつか会えるといいな』
 その言葉が与えた衝撃は計り知れず、動揺を禁じ得ない。

 それでもサーシャは縺れる足を叱咤しレイジに追いすがる。
 天敵に弱味を掴まれた焦燥を滲ませ、真実の残酷さに打ちのめされ、完全に理性を失い取り乱し。
 「貴様なぜその事を知ってる、ホセか、あの下郎が口を割ったのか!?私のマリアとは救い主とはあの男のことか、私の異母兄にして理解者にして忠実な臣下たるあの………っ」
 常の尊大さをかなぐり捨て、故郷に残した最愛の人へと繋がるか細い糸を手繰りよせんと必死に叫んだサーシャにそっけなく別れを告げる。
 「帰らなきゃ。ロンが待ってるんだ」
 いつものふざけた態度からは考えられぬひどく真剣な声音だった。
 「答えろレイジ、ギロチンにかけるぞ!!何故お前がお前ごときがあの男の存在を知っている、私が所長に侍る目的まで見透かしたような口を利く!?前言を撤回しろ、私は兄の消息が知りたくて所長の傍らに侍っているわけではない、誇り高き皇帝がそのような惨めな真似をするものか、あの男など生きてようが死んでようがどうでもいい、清く正しく美しく、虫も殺さぬ聖者の仮面の下で妾腹の私を蔑んでいた唾棄すべき偽善者など凍結地獄におとされ永遠に呪われるがいい!!!」
 息継ぐ間もなく心情を吐露するサーシャに強風が吹き付け、残照の輪を冠した銀髪が盛大に舞い上がる。
 未練がましく己を呼び止めるサーシャには一切関心を示さず、一度も振り返らず展望台を横切り、窓枠に片足かけたレイジが衣擦れに紛れそうな小声で独白する。
 「帰らなきゃ。ロンのところに」
 無意識に胸元の十字架を掴んで心を鎮静させ、祈るように目を瞑る。
 褐色の五指に鎖を絡める。
 薄っすらと汗ばむ手で十字架を揉みしだき、閉じた瞼の裏に大事な人間の面影を抱き、レイジは言った。
 「ロンが壊れねーうちに」
 その顔には紛れもなく焦燥が滲んでいた。

少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050404162916 | 編集
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