ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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十七話

 君臨すれども統治せず。
 思えばレイジの治世を表現するのにこれほど相応しい言葉もない。
 良くいえば自由人悪くいえば自分勝手、自分が興味ある事(おもにロン)以外はどうでもいいレイジは東棟の連中をこれまで結構好き勝手に遊ばせていた。
 だからまあレイジのテキトーさとだらけた雰囲気が性に合う連中にはそこそこ人気があったんだけど当然人望はかけらもなくて、それでも辛うじて均衡が保たれていたのはやっぱりレイジが有象無象を百馬身引き離して圧倒的に強かったからだ。
 レイジをライバル視してことあるごとにロンにちょっかいかけてた凱だって表立って反抗できなかったのがその証拠。だれもがレイジを恐れていた、びびっていた。いつもへらへら笑ってる尻軽レイジを気に食わないヤツも飯粒とばしてガハガハ馬鹿笑いする凱を気に食わないヤツも大勢いたけど本心を秘めて追従していたのは和平の均衡が崩れて抗争が勃発するのをおそれていたからだ。
 ひとたび抗争が起きれば血が流れる。
 暴君化したレイジを止められるのものは誰もいない、レイジの相棒を自認するロンだっていざ暴君が覚醒したら抑止力になるかわかんないのだ。
 均衡を崩したのは道了だった。
 道了は実にあっさりと地雷を踏んだ。
 ロンという地雷を。
 道了。
 道了について僕が知ってることは少ない。
 東京プリズン一の情報屋にして事情通を自称する僕でさえ通り一辺のことっきゃ知らないのだ。
 道了にはそれだけ謎が多い。
 あの馬鹿げた怪力の秘密も徹底した無感情と無表情の内に隠された生い立ちも僕は知らない、そもそも東京プリズンに来た理由もはっきり判らない。
 本人は「ロンを取り返しにきた」とか言ってるけどまがりなりにもここは刑務所、更正不可能の烙印を押された犯罪者が送り込まれる砂漠の最果ての牢獄。
 東京プリズンに入る最低条件。
 五人以上殺したもの、十人以上に下半身不随などの半永久的な傷害を負わせたもの、十五人以上をレイプしたもの。
 道了もこのうちどれかに当てはまるはずだ。
 傷害か暴行か強姦か殺人かその全部?
 道了ならどれもありえると思う反面どれもありえないように思え今いち確信がもてない。
 道了の収監理由は台湾人以外には完全に伏せられて看守を篭絡して聞き出そうにも時間がかかる。
 道了に関してだけ看守は何故か異常に口が固く食いつきが悪いのだ。
 現時点で僕が道了について知ってること。
 かつて都下最大スラム池袋を縄張りにした最凶チーム「月天心」の首魁。
 冷酷無比で残虐非道、能面じみた無表情で容赦なく敵を撲殺するさまから台湾語で仮面を意味する「假面」の異名で呼ばれた。
 新宿を根城にする中国系チームとの抗争に敗れて組織が壊滅してからはどこで何をしてたか不明で、女に匿ってもらってたとか地下に潜っていたとか海外に渡っていたとか真偽の定かじゃない怪しげな噂が流布してる。
 生い立ちは謎に包まれている。
 月天心初期メンバーには幼馴染も数人含まれていたらしいがその幼馴染は抗争の犠牲となり全員死亡してる。肉親の有無はわからない。いてもおそらく意味がない。
 血の通わぬ殺戮人形と化した道了が親子の情に翻弄されるとはどうしても思えない。
 道了は真実孤高のカリスマなのだ。
 道了が東京プリズンに来た目的、それはハッキリしてる。ロンを取り戻しに来たと大観衆の前で本人が明言してる。
 道了は何故だがロンに執着してる、異常に執着してる。
 憎き中国人との混血でありながら同じチームに属し、月天心壊滅のきっかけとなった先の抗争の生き残りたるロンに歪んだ独占欲を抱いてる。
 ロンにしてみりゃいい迷惑、ロンにとって道了の存在は過去から蘇った悪夢以外のなにものでもないのだから。
 「つまり道了は超熱烈ストーカーってわけね。ここまではおわかり、ビバリーくん」
 頭の後ろで手を組んで隣を歩くビバリーにふっかける。
 ビバリーが首を傾げる。
 素直な反応ににんまり微笑んで補足する。
 「人は見かけによらないもの、クールな無表情決め込んでる道了だって内側には熱く激しい心を隠し持ってるのさ。レイジに嫉妬の炎めらめらでロン独占宣言しちゃうくらいだもんね。妬けるねーアツイアツイ」
 顔の前でひらひら手を振り扇ぐまねをしてみせる。ビバリーがしかつめらしく腕を組んで唸る。
 「すなわちロンさんはモテモテ?」
 「イエス・サー」
 ポケットに手を突っ込んで軽く頷く。
 ビバリーが鼻面に皺を寄せて不快感を表明する。 

 殺戮人形と暴君の邂逅から一週間が過ぎた。

 殺戮人形が下した宣言……逆らう者には鉄槌を下し従う者は守ってやるぞという宣言は影響力絶大で、その場で道了に寝返るものが続出した。
 その後も道了に寝返るものは後を絶たず、凱が入院中のたった一週間で東棟の勢力図はすっかり様変わりしてしまった。
 内分けは道了につくもの六割、凱派三割、レイジ一割。僕とビバリーはどっちつかずの中立派。
 将来を視野に入れるなら即断は禁物、誰につくのがいちばん得かじっくり見定めてから決めるつもり。まあもともと僕もビバリーもグループに属さず好き勝手に動いてたから今のままあっちへふらふらこっちへふらふらも悪くない。
 「所詮こうもりだしね、僕」
 「?何か言いましたかリョウさん」
 「何でもない。あっ」
 不思議な顔のビバリーをよそに立ち止まる。
 僕らは今中央棟にいる。
 目的地は医務室。一週間前にやってきた噂のカウンセラーのお顔を拝見にちょっくらお出かけしたんだけど、その途中でばったりいけない現場に出くわした。 
 「見なよ、あれ」
 前方に顎をしゃくる。ビバリーが身を乗り出す。
 廊下の前方にガタイのいい囚人がたむろって輪を作っている。
 林立する足の間に紺地の制服がちらつく。
 囲まれているのは看守だ。看守が囚人を囲むのならよく見るが逆は珍しいと好奇心をくすぐられ、ビバリーの制止を振り切って足早に近付く。
 「お小遣い頂戴。なあいいだろ、はじめちゃん」
 「アンパン買ってこいよ、はじめちゃん」
 「今日のパンツ何色?」
 「脇腹の疵見せてくれよ。恥ずかしい?なら俺が剥いでやっから大人しくしてな」
 屈強な腕で奥襟掴まれてぶら下げられた看守がぐすぐす泣きべそかいてる。女々しく首をふりふり、「お、お金なんかもってないです安月給なんですパンツの色は自分で言いますカナリアイエローですだからズボン下げないでくださいお願いします本当に、廊下のど真ん中で露出狂は願い下げです!」と鼻声で哀願する看守をしげしげ観察する。
 あどけなさを残した顔だちは青年より少年に近く物腰に初々しさが漂う。眉を八の字に下げたいかにも気弱そうな泣き顔が嗜虐心をくすぐる。腰に引っさげた警棒はやけにぴかぴかして陳腐なオモチャにしか見えない。職業的権威を付与する看守服がかえって身の丈合わぬ滑稽さを際立たせる。
 感想、典型的いじめてくん。
 囚人にちゃん付けされて小突かれまくる看守という逆転の図に興味津々、輪の背後で爪先立つ僕の袖をビバリーが引っ張る。
 「リョウさん、やめましょうよ」
 「見るだけ見るだけ」
 「いじめ見て見ぬふりかっこ悪っス」
 「見ぬふりなんかしてないよ、ガン見だよ」
 一際大柄な囚人が毛むくじゃらの腕を伸ばし看守の裾を掴む。
 人通り絶えぬ廊下のど真ん中で身包み剥がれるという無体な仕打ちに必死の抵抗を試みるも多勢に無勢の腕力に屈するはじめちゃん、咄嗟に逃げようとして転倒したところを数人がかりで押さえ付けられ絶体絶命の窮地に陥る。
 はじめちゃんは号泣だ。涙と鼻水を滂沱と垂れ流し恥も外聞もなく泣きじゃくり許しを乞う。
 「僕の裸なんか見ても面白くないよ、僕はただの看守だよ、見ても面白くない薄っぺらい体の看守だよ!」
 死に物狂いにばたつき往生際悪く泣き言を並べ立てる看守に馬乗り、一際ガタイが良く凶暴な面構えの囚人が黄ばんだ歯を剥いてせせら笑う。
 「看守を逆レイプできるチャンスなんざ滅多にねーんだ。とろとろ廊下歩いてたのが運の尽きだと思って諦めろ」
 「ちゃんとまわしてくれよ」
 「わかってるよ、そうあせんなって。俺たちみんなで輪姦してやろうぜ」
 ……いくらなんでも廊下のど真ん中でレイプなんてさかりすぎ。興ざめ。人だかりも増え始めたことだし潮時かな。
 そして僕はあっさり踵を返し―
 「!」
 見た。
 踵を返そうとしたその瞬間、看守の裾がはだけて生白く貧弱な腹部が人目に晒される。
 周囲の野次馬がどよめく。看守の顔が紅潮する。素肌を暴かれ仰向けに転がされた看守の腰に手を滑らし、囚人が口笛を吹く。
 「東棟のシズルに刺された看守ってのはお前だろ、はじめちゃん。安田の命令で医務室前にぼさっと突っ立ってたところをぐさっとやられたんだよな。ったく、情けねえなあ!普段さんざん威張りくさってんだから警棒でぶちのめす位してみろってんだ、それとも腰抜け新人看守のはじめちゃんはシズルにびびりまくって小便たらして腰のモンのことすっかり忘れてたってのか、情けねえなオイ、ホントにキンタマついてんのかよ!?」
 「ふっ………」
 看守の顔が泣きそうに歪む。
 ただでさえ頼りない童顔がふにゃりとふやける。
 制服をはだけられ素肌を晒し仰向けに転がされた若い看守は、自分に跨った囚人に口汚く罵倒され乱暴に揉みしだかれ苦痛と恥辱の極みで涙ぐむ。被虐心を刺激するイイ表情が本人の意図せぬ倒錯した媚態を醸す。
 「シズルに刺された時のこと教えてくれよ、はじめちゃん」
 息遣いを欲情に荒くした囚人の手指が、腹部の傷痕をゆっくり辿る。
 「硬くて太いもんで腹を抉られる感じってどんなんだ?気持ちよかったか?熱かったか?もっとぐりぐりして欲しかったか?もっと奥深くに突っ込んでぐりぐり抉って欲しかったんじゃねえのかよ、白状しちまえこのド淫乱。お前ら看守なんざ全員インポペニスの代わりに警棒ふりまわして喜んでるド変態揃いだ、お前はその中でも特に俺らにいじめてもらいたがってるマゾの変態野郎だ、お望みどおりケツん中に太くて硬いもん突っ込んでやるよ」
 卑語に興奮した囚人が舌なめずりし、抵抗を許さぬ腕力で看守の膝を押し開く。甲高い悲鳴を上げ狂ったように抵抗する看守の姿にリュウホウがだぶる。
 リュウホウ。
 いつもおどおどいじいじ人の顔色を窺ってばかりのうざいやつだった。
 「こいつ、リュウホウに似てる」
 似てるなんてもんじゃない、そっくりだ。
 東京プリズンは弱肉強食の掟がまかりとおる。
 弱者は常に虐げられる運命だ。
 リュウホウは弱いから死んだ、それだけだ。
 僕が手を下さなくても余計なこと吹き込まなくてもリンチで嬲り殺されるか精神を病んで首を吊っていた、僕は悪魔的好奇心でほんのちょっとだけリュウホウの死期を繰り上げただけだ。だから僕が気に病む必要はどこもない、リュウホウはどのみち死んだんだから僕が良心を痛める必要なんて……
 「リョウさん?」
 ビバリーが心配げに僕を覗き込む。
 リュウホウと看守が重なる。喉に苦いものが込み上げる。
 今さら罪悪感に駆られるなんて僕らしくもないと口角吊り上げ自嘲しようとして奇妙に顔が歪む。
 どうしちゃったんだろ、僕。こんな事で動揺するなんて。
 目の前の光景に脳裏が真っ赤に焼けて冷静さを失いそうになる。
 リンチやレイプは年中行事で日常茶飯事、見て見ぬふりするのが賢い選択だと頭ではわかってる。
 けれども僕はそこを動けない、根が生えたように動けない。
 荒れ狂う激情を抑えようと拳を握りこむ。
 狂騒の内に繰り広げられる行為から、あられもない痴態から、片時たりとも目を離せない。
 床に寝転んだ看守がズボンと下着だけは死守せんとけなげにも腕に力を込め引き上げる。
 涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながらも意地でも股は開くもんかと抗う看守の痴態をニヤケ面で眺めつつ、発情した連中が腕づく力づくで下着を引っぺがしにかかる。
 下卑た野次と口笛が飛び交う中、威厳溢れる闊達な足取りで何者かが近付いてくるー
 「強姦は感心しませんね」
 喧騒が止む。
 静粛な雰囲気が場を包む。
 看守に跨った囚人とその周りでおこぼれに預かろうとした囚人が振り返る。僕とビバリーもまた声の方に顔を向ける。
 黒い肌の男がいた。
 今時流行らない七三分けに髪を撫で付けて嘘臭い眼鏡をしている。黒い鞄でも持たせれば立派にセールスマンで通用する容姿だ。無個性な囚人服に身を包んでいながらもその体躯が極限まで引き絞られていることが全体の安定感から窺える。
 南の隠者、ホセだ。
 「ひっ、ひっ、ひっ……」
 ラマーズ法に似た息遣いで看守の上からとびのいた囚人が、少しでもホセから距離をとろうと尻を使ってあとじさる。
 「強姦には愛がない。和姦には愛がある。ラブ&ピースこそ我輩の信条で世界平和の秘訣です。強姦の現場を見過ごしては愛妻家の美学に反する。おわかりですか?おわかりですね」
 「ホセだ」
 「南の隠者だ」
 「拳でトンネル開けるバーサーカーだ」
 「冗談じゃねえ、関わり合いになりたくねえ、俺ァ逃げるぞ!」
 身の危険を感じた野次馬が我先にと逃げ出す。
 埃を蹴立てて廊下を走り去る野次馬に出遅れた強姦の主犯格は凍り付いた顔でホセを仰いでいる。
 「これは……」
 廊下にへたり込んだ看守と不気味に迫り来るホセとを見比べて、生唾を嚥下する。
 「な、何か勘違いしてるんじゃねーか?こりゃ合意の上だ、お互い納得尽くの行為だ。強姦なんざとんでもねえ、コイツにゃよくしてやって……」
 廊下が震動する。
 ぱらぱらと白い粉塵を落として壁から拳を引き抜き、ホセが世にも恐ろしい笑みを満面に湛える。
 「口に拳が入るか試してみましょうか」
 限りなく優しい笑みだが、眼鏡の奥の目は決して笑ってない。
 這うように逃げ出す囚人の背中を見送り、上着の裾で丁寧にこぶしを拭ったホセが改めて看守に向き直る。
 ホセに見下ろされた看守の顔が羞恥に染まり、慌しく身繕いをして肌を隠す。
 「た、助けてくれてありがとう……君が来てくれたおかげで本当に助かった、なんてお礼をいったらいいかわからない、この恩は一生忘れない!お歳暮で生ハムおくるよ」
 何とか看守の威厳を保とうと胸を張り礼を述べる。
 何度も頭を下げて大袈裟な位だが、どんだけ育ちがいいのかわからねど世間擦れしてないはじめちゃんは感激に目を潤ませて涙の乾いた頬をあざやかに紅潮させる。
 「どういたしまして。パンツが見えていますよ」
 「あっ」
 床につきそうなほど深々頭を下げた看守が、ホセの指摘にズボンを引き上げ金具をがちゃつかせベルトを締める。
 脱力。ほのぼのなまぬるい空気が漂う中、ホセに見つかる前にそそくさ立ち去ろうとして……
 「どこへ行くんですか、リョウくん」
 バレてら。
 観念して振り返る。
 ホセが含みありげな笑顔でこっちを見てる。
 威圧感を増して無言の脅迫をしてくるホセにびびりまくる。
 『どうしようビバリー、ホセ絶対怒ってるよもしくは何か企んでるよ!見たあの邪悪な笑顔ありゃもう魔王の領域だよ怖いよおしっこちびっちゃいそ!』 『ホセさんの笑顔がどす黒く見えるのはリョウさんのおめめが汚れてるからっすよ、早いとこ水道水で目ン玉洗ってきてくださいっス!』
 ホセがゆっくりと近付いてくる。
 一歩距離が縮まるごとに寿命が一年縮まる。
 どうしよう、逃げる、逃げ出す?
 だめだこの距離からじゃ間に合わない追いつかれちゃう!
 パニックになった僕の横でビバリーがおろおろ無意味に手を振り回す。くそ、野次馬に便乗して逃げ遅れた僕の馬鹿!自分の間抜けに舌打ちしても始まらない、ホセはもうすぐそこまで迫ってる……
 「お久しぶりですね。お元気ですか、リョウくん」
 表面上はあくまで穏やかににこやかに、黒い隠者が口を開く。
 「お元気だよ?」
 可愛らしく小首を傾げてみせる。
 「覚せい剤のやりすぎでお花畑の住人になったと聞いたのですが、すっかり回復したようで何よりです」
 眼鏡の奥の目が計り知れない思惑を孕んで細まる。
 口元に薄っすら笑みを刷いたまま、眼光鋭く僕を射竦めるホセに冷や汗をかく。何を企んでるんだコイツ?潤んだ目でビバリーに助けを求めるも、ビバリーときたら僕とは全く関係ありませんてな見事なすっとぼけっぷりでそっぽを向いて口笛吹いてる。
 この演技達者め。
 逃げるのを諦めた僕は観念して両手を挙げる。
 降参のポーズ。
 自分がいちばん可愛く見えると計算し尽くしたきっかり斜め四十五度の角度に小首を傾げ、媚びた上目遣いでホセを見上げる。
 「んで、用は?どっか行く途中じゃないの、ホセ」
 「医務室に野暮用でね」
 「医務室……ああ、サーシャのお見舞い?」
 嘲弄を含んだ揶揄にホセは答えない、反応しない。
 謎めく笑みを深めて眼鏡のブリッジを押し上げただけ。
 一週間前、蛍光灯が落下した床に転倒した際に背中に破片が刺さったサーシャは通いで治療を受けていたのだ。
 おじいちゃん医者が入院中につき大した治療は行なえないが、ピンセットで破片を摘み出して消毒し包帯を巻く位はできる。
 臨時の医者も来た事だしね。
 「優しいじゃん、ホセ。ワイフ一筋じゃなかったの?サーシャに浮気?趣味を疑うね」 
 ふざけた口調でまぜっかえせば、ホセが少しだけ不機嫌げに眉根を寄せる。
 「ご冗談を。我輩は天地神明アフロディーテに誓ってワイフ一筋ですとも。医務室に野暮用とは……所長のご加減伺いです。一週間前に災難に遭われて以来すっかり塞ぎ込んでしまって連日カウンセラーのお世話になってるそうですから。貢いだサーシャ君がさっぱり役立たなかった言い訳もとい謝罪もせねばなりませんし」
 「道了に鼻へし折られてハルをミンチにされて確かに災難だ。自業自得だけどね」
 心の中で舌を出す。いい気味、ざまあみろ。
 ハルを亡くした所長の醜態を思い出し溜飲を下げた僕の正面、ホセが俯きがちにひとりごちる。
 「……まあ、どうでもいいか。クレオパトラに比するワイフの鼻がへし折れたら我輩嘆きのあまり大地を砕きますが、所長の鼻が折れたところで計画に支障はない」
 「なに?」
 どうでもいい?どうでもいいって所長が?
 笑いを引っ込めた僕の前、ホセが慎重にあたりを見回し人けがないのを確認する。
 黒い隠者の登場によりあたり一帯からは潮がひくように人が失せている。ホセが前傾し顔を突き出す。同じ視線の高さに顔がくる。
 「…………!ひっ」
 僕の顔の横に手を付き、ホセが体を寄せてくる。
 逃げられない。完全に囲われた。手のひらに緊張の汗が滲み、唾を嚥下した喉がぐびりと鳴る。ホセの後ろじゃ口笛をやめたビバリーがおろおろはらはら見守ってる。こンの役立たずと声を大にしてビバリーを罵りたい衝動を自制心を総動員して抑え、膀胱が破裂しそうな感覚に激しく貧乏揺すりをしつつ、あらんかぎりの勇気を振り絞っておそるおそる眼前のホセを見る。
 口元に笑みを刷き、可聴域ぎりぎりに声を絞ってホセが耳元で囁く。
 「『例の件』、よもや忘れたとは言わせませんよ」
 え?
 何を言われてるかわからなかった。
 ぽかんとしてホセを見詰める。ホセは醒めた顔で僕を見下ろしている。ホセの顔を見詰めるうちに急速に記憶がよみがえり『調べて欲しいことがあります』ああそうだ思い出した『では、地下に潜ってください』 今から向かおうとしてる医務室でホセは依頼したんだった『聞こえませんでしたか。地獄の最下層を探索してきてくださいと言ったのです』僕の情報収集力を見込んで東京プリズンの地下に潜ってこいと東京プリズンの秘密を探って来いとにっこり笑顔で脅迫したんだっけ…
 忘れていた。
 すっかり忘れていた。
 「思い出しましたか?」
 ホセが優しく微笑むも目は全然笑ってない。ある意味レイジより怖い。牛乳瓶底眼鏡の奥、糸のように細い目が僕を推し量るようにすぅと眇められる。脅迫というにはあまりに優しく穏やかな、だからこそいっそう怖さが引き立つ声と表情で問いかけられ、僕はこくこく頷くしかない。
 「……ごめん、ホセ。許して。怒んないで?」
 「怒ってなどいませんよ」
 嘘だ。ホセは嘘をついてる。その証拠に目が笑ってない。
 穏健な笑顔からどす黒いものが滲み出る。
 長袖の内で腕の筋肉が膨張し筋が立つのが目に見えるよう。
 必死に頭を回転させこの場を切り抜ける言い訳を考える。
 ホセの後ろでビバリーが泣きそうになってる。
 『僕には何もできないけど命だけは見逃してもらえるよう5メートル以上離れて祈ってるっス、リョウさん!』と追い討ちだか声援だか微妙な心情を口パクで伝えてくるビバリーをジト目で睨む。
 うん、とりあえず邪魔だから消えて?
 「だってだって、大変だったんだもん!」
 ひしと両手を組んでお願い許してポーズを作る。
 「ホセ知ってる?ちょっと前にレッドワークの炉におっこちって死んだサムライのいとこのシズル、あいつほんとひどいヤツだったんだよ。僕が覚せい剤のやり過ぎで頭がぱーになったのも全部あいつのせい、あいつに嵌められたせいなんだ。あの時はシズルおっかないおっかないよーってそればっかでとてもじゃないけど依頼に構ってるひまなかったんだ、地下に潜る使命はキレイさっぱり……むぐっ」
 分厚い手が口を塞ぐ。
 全責任をシズルになすりつけようと詭弁を駆使する僕の弁明を遮り、駆け引き上手なセールスマンめいて如才なく微笑する。
 「いえね、我輩心配していたのですよ。責任感の強いリョウ君に限ってまさかそんな南の隠者自らの依頼を失念するような失態を犯すはずないと信じておりましたが、数ヶ月も何の音沙汰もなく成果の報告がないまま過ぎるうちに疑念が膨らみまして、今日こうしてお会いできたのを幸いに、もしうっかり依頼を忘れていたのなら頭蓋骨の中身がちらばらない程度に手荒なショック療法を試みんとしましたが……」
 顔の真横で壁が砕ける。 
 ホセの手を中心に放射線状の亀裂が壁に生じ粉塵が舞う。
 分厚いコンクリ壁が手の形に陥没していく様に下半身に震えが走り、ほんの少しだけおしっこをちびる。
 五指に力を込めて壁にめりこませ、硬直した笑顔でホセが問う。
 「我輩の依頼、改めて引き受けてくれますね?」
 気が遠くなるのを感じながらビバリーを仰げば、僕の頭の中身を拾い集める準備はいつでもできてるとばかりに真剣に頷き返してくれた。
 断れるわけがなかった。 

少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050406004219 | 編集
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