ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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十五話

 サーシャはアホだ。
 「だってそうっしょ?道了とレイジがロンを巡ってばちばち火花散らしてる時にしゃしゃり出てくるなんて空気読めないレベルじゃない、生存本能の故障だよ」
 「お説ごもっともっスけどリョウさん手を緩めてください、首、首が絞まる!」
 ビバリーの胸ぐら掴んで手加減なしで揺さぶる。
 がくがく揺さぶられたビバリーが泡食って抗議の声を上げるのを無視、廊下中央を凝視する。
 地雷原の如く剣呑な破片が撒かれた廊下の中央、近いとも遠いとも言えない微妙な距離にて対峙する三人に目を移す。
 眼帯の封印を解いたレイジは助走を経て暴君に覚醒し、大事な十字架を破壊し大事な相棒を人質にとった宿敵を誅さんと、強靭なバネを仕込んだ四肢を柔軟に撓める。
 怒りに燃える眼差しを平然と受け流すのは、左右色違いの目をもつ能面じみた無表情の男。
 男の腕の中で滅茶苦茶に暴れているのは、何故か下半身裸という恥ずかしいカッコのロンだ。
 だぼついた上着が太股を覆っているが、激しく身を捩るたび裾が捲れて肌の露出面積が広がる様は扇情的な痴態に映る。
 激しく首を振り手足を振り回し腕を引っ掻き甲高い奇声を発し、どうにか屈強な腕から脱け出そうと健気に足掻きまくっているが、子猫の奮闘も虚しいかな道了は腕の中の人質に一瞥もくれずその存在ごと忘れ去ったように動じない。
 想像を絶する腕力。
 いかにロンが小柄で華奢とはいえなりふり構わず全力で暴れているのだ。千切れんばかりに首を振り唾を飛ばし鼓膜が破れそうな大声で怒鳴り散らし、旺盛な反抗心を示してもがきまくっているのだ。勢い良く腕を振り上げ振り下ろし同じ要領で足を蹴り上げ蹴り下ろし、肩といわず顎といわず腕といわず拳が当たるを幸いしたたかに殴り付け、後ろ足で器用に脛を蹴り上げて少しでも拘束を緩めようと決死の覚悟で抵抗しているにもかかわらず、道了はロンを抱き竦めたまま停止した機械の如くびくともしない。
 ロンの顔が充血する。
 ずっと喚き通し暴れ通しでさすがに息が上がってきたらしいが、それでも体力と気力の続く限りはと伸びた爪で容赦なく腕を引っ掻き肉を抉り、行儀悪く跳ね上げた後ろ足で死角を狙い急所の脛を痛打して脱出の隙を作ろうとする。
 酸欠の苦しみにロンの顔が紅潮し生理的な涙が目に膜を張る。
 どれだけ頑張っても道了にたちうちできない悔しさが焦燥を煽り、ロンの顔が悲痛に歪む。
 「放せよ道了、いい加減にしろよ畜生、目の前にレイジがいるのにどうして届かないんだよっ……」
 悲壮な形相でロンに罵倒されても道了の目は相変わらずレイジを見据えたまま動かない。
 僕の位置と距離からでもロンの首を押さえた腕に力が篭もるのが筋肉の隆起でわかった。
 気管を圧迫されたロンが濁った苦鳴を漏らし、酸素を欲するように仰け反り身悶える。ロンの苦悶に感応して無意識に一歩を踏み出したレイジが肌に痛い程に先鋭化した殺気を帯びる。
 惨劇の予感。
 前戯はおしまい、本番はこれからだ。
 そしてもう一人、険悪にレイジと睨み合う道了の背後にて不機嫌そうなオーラを発しているのは……
 「私を無視するな」
 サーシャ。超絶技巧のナイフ使いにして北棟トップの座に君臨する皇帝、レイジのライバルを自認する誇大妄想狂の薬物中毒者。
 何故ここにサーシャがいるのかと呆気にとられたギャラリーは顔に特大の疑問符を浮かべている。
 サーシャの登場は全く突然で予想外の事態だった。
 正しく「乱入」と呼ぶに相応しい脈絡なさで道了とレイジの対決に割り込んだサーシャは、手に馴染んだナイフにはやや劣るものの同じ飛び道具の相性の良さを発揮して的確な鞭捌きを披露した。
 風切る唸りを上げて飛来した鞭が邪悪な意志もつ蛇の如く毒牙を剥いた瞬間は、いかに鍛え抜いた動体視力をもってしても捉え切れなかった。
 サーシャに鞭。できすぎだ。
 それより何より群衆の目を釘づけにしたのは場違いを通り越して滑稽な冗談としか映らないサーシャの服装だ。
 軍服。なんで軍服?
 周縁のギャラリーは揃いも揃って顔に特大の疑問符を浮かべ遠巻きにサーシャの挙動を窺ってる。ぶっちゃけサーシャの正気を疑ってる。僕もビバリーも例外じゃなく、ナチスの軍服に身を包んで誇らしげに胸をそらすサーシャに好奇の眼差しを注いでる。 
 呆気にとられたような間抜けヅラを並べるギャラリーの最前列中央、軍服姿にそこはかとない威厳を漂わせるサーシャを眺め、おそるおそる囁く。
 「ヤクのやり過ぎでとうとうイカレちゃったわけ、サーシャ。何あのカッコ?冗談きついって。しかもナチス。古式ゆかしい悪役の代名詞のナチスだよ」
 ただでさえ丸い目を驚愕にひん剥いたビバリーに同意を仰ぐ。
 「皇帝で軍人て意味不明っスよ、ホロコーストとコルホーズは似てるけど違うっスよ」
 「なんか主旨ずれてない?」
 さりげに博識をひけらかすビバリーに鼻白んで頬を膨らます。
 気を取り直してまじまじとサーシャを見る。 
 肩に流れる清涼な銀髪が美しく冷酷な顔に後光を添える。薄氷の眼差しはどこまでも冷え冷えと驕慢さと厳格さを兼ね備える。
 世界大戦時の恐怖の象徴たるナチスの軍服が恐ろしく似合っている。似合いすぎて怖い位だ。ちょっと洒落にならないな、こりゃ。
 以前のサーシャは薬物依存の後遺症でお肌が荒れて頬はげっそり削げてお世辞にも美形とは言えない陰惨な容貌で、皇帝よか死神と呼んだほうが余程しっくりくる不吉なイメージが拭い去れなかったのに、ちょっと見ないあいだに肌は瑞々しい艶と張りを取り戻し尖りきった頬骨を脂肪が包み水分が蒸発しきってぱさつく白髪が銀雪の光沢に冴えて、骸骨とだぶる死相がすっかり払拭されていた。
 切れの長い眦に酷薄な冷光を宿し、威圧するようにあたりを睥睨してサーシャが厳かに宣言する。
 「調教再開だ」
 ああ、やっぱりイカレてる。
 「よかった、中身はサーシャのまんまだ」
 安堵の息を吐いた僕の独り言を聞きとがめてビバリーが「しっ」と唇に指を当てる。
おっと、まずい。
 皇帝サマに聞かれたら粛清されちゃう。不敬罪に問われてギロチンにかけられちゃたまらない。
 ビバリーに促され口を塞ぎ上目遣いにサーシャの様子を窺う。
 腕の延長の如く絶妙な鞭捌きで道了を牽制したサーシャはしかし、道了を通り越したその先に関心を奪われている。
 ロンを抱きすくめた道了の向こう、割れた蛍光灯の下に立ち尽くすレイジはサーシャの存在に気付いているのかいないのか、否、あんなド派手な登場で堂々口上を述べたからには当然気付いているだろうが、サーシャの方は見向きもせずただひたすらに道了を睨み付けている。
 廊下が微妙な空気に包まれる。
 「……聞こえているか、レイジ。調教再開だ」    
 サーシャがあっぱれな自制心を絞って再度宣言する。
 暴君の返答はあまりにあっさりとあっけなかった。
 「それがどうしたよ」
 サーシャの顔が紅潮する。
 軋る程に歯を食い縛るサーシャだが、ここでもまたロシアの凍土に比する心の広さを示し、自己陶酔の絶頂で大仰に腕を広げてみせる。
 「レイジ、勝手な真似をするな。まだ調教は終わっていない。お前は一時解放されたに過ぎないのだ、身の程をわきまえろ。お前が解き放たれたのは効率的に暴動を制圧するため、監獄の王の一声で愚かな群集を檻に返すためだ。役目が終わればすぐにでも所長室に連れ帰り調教を続行するてはずになっているのだ。偉大なる皇帝が寵愛するサバーカともあろうものが下賎な愚民を相手に許可なく私闘をするな。お前の体に触れていいのは私だけだ、お前は終生皇帝に組み敷かれてよがり狂う宿命なのだ」
 口上に熱がこもり言動の端々に激情が迸る。
 薄氷の目が爛々と狂気に濡れて輝きを増す。
 口角を吊り上げるようにして残忍に笑うサーシャは、言いながら興が乗ってきたのか颯爽と腕を振りかぶり音高く鞭を撓らせる。
 床で跳ねた鞭が翻り天井を舐め、風を裂く音にギャラリーがびくりと身を竦める。
 「さあ、所長がお待ちかねだ。私にはお前を連れ帰る義務がある。命令無視は即独居房入りだが、手足を縛られて糞尿まみれの床に転がされるのが気に召したなら今ここで皇帝自ら縛り上げてやる。手負いの猛獣すら叩き伏せる鞭捌きにとくと酔え」
 嗜虐的な笑みを浮かべたサーシャが恐怖を煽るように両手で鞭をしごく。
 レイジは鞭が撓る音にも無頓着に瞬きも惜しむ集中力で道了を凝視する。道了もまた左右色違いの目でレイジを見返す。
 殺意が衝突する。殺気が膨張する。
 レイジと道了、どちらが先に攻撃に出てもおかしくない。
 「さっちゃんはアホの子やなあ」
 あきれ返った声に振り向けば、ついさっき空中でとんぼを切って見張り二人を倒してのけたヨンイルが首を振ってる。
 「キレたレイジに何言うても通じへんて。今のレイジはロンロン人質にとられて頭に血ィのぼっとるさかい、いかに目の前の敵を倒してロンロン取り返すしか考えてへんのに、自分の方向いてほしいあまりにああしてビシべシ鞭打ち鳴らして『ワイの美技に酔え』て必死のアピールを……片思いは切ないなあ、報われへんなあ」
 やけに実感のこもった溜め息をつくヨンイルにサムライが渋面を作り、鍵屋崎が大真面目に異議を挟む。
 「片思いと言うが、この場合は三角関係と表現するのが適切じゃないか。否、四角関係か?」
 「~~天然の天才と愉快な仲間たちめ!」
 ……お説ごもっともだけど、緊張感に欠ける発言に思わず脱力しビバリーに寄りかかる。
 ぐんにゃり凭れ掛かった僕をビバリーが「しっかりしてくださいっスリョウさん!」と慌てて支えると同時に、大音声が廊下を駆け抜ける。
 「私を愚弄するなああああああああああああああっ!!!!」 
 攻撃を仕掛けたのはレイジでも道了でもなく、可哀想な子扱いされていたサーシャだった。
 前歯の間からシュッと呼気を吐いたサーシャが、こちらに背中を向けた道了へと鞭を飛ばす。
 延々無視され続ける屈辱に業を煮やしたサーシャは巧妙に鞭を操り道了の後頭部を狙う。
 鞭の利点はわざわざ危険を犯して距離を詰めずとも遠方から攻撃できるところだ。
 手首の返しや捻りを用いた最小限の動きで自由に遠隔操作できるのが鞭の最大の強みとサーシャは心得ている。
 サーシャの顔が勝利の喜悦に蕩け、捲れた唇の端から純白の犬歯が覗く。
 「レイジの主人はこの私だ、下賎な愚民が皇帝の犬に跨るなど反逆罪ではなまぬるい大逆罪に値する!!」
 歓呼を上げたサーシャの表情が、次の瞬間愕然と強張る。 
 道了が消えた。忽然と。
 「な……、」
 サーシャが放った鞭は道了の残像を貫通して虚空を穿つも、その時既に本人は横脇に退いていた。
 鞭を避けた。
 信じられない。
 「あいつ後頭部に目がついてんのかよ!?」
 実際後頭部に目が付いているような反応速度だった。
 視野が三百六十度あるとしか思えない。
 道了は振り返ることなく横跳びに逃れて鞭を回避、耳朶を掠めるようにして行き過ぎた鞭がサーシャの手元に返るのを待たず体ごと反転、一直線に走り出す。
 サーシャにむかって。 
 「あくまで皇帝に楯突くか不敬な反逆の徒め、ならばいいだろう、皇帝自ら憎悪を込めて処刑を成そうではないか、祖国ロシアの誇りとロマノフの血統に賭けてお前を誅すると宣言しようではないか!!」
 サーシャが狂気の哄笑を上げて鞭を引く。
 空を裂いて舞い戻った鞭が再び道了を急襲する。
 怒り狂った蛇のように乱脈な動きで床といわず壁といわず天井といわず縦横無尽に鞭がのた打ち回り鋭い威嚇音をたてるも道了の快進撃は止まらない。
 右に左に前に後ろにめまぐるしく顔を傾げ首を倒し息継ぐ間もなく飛来する鞭を紙一重で回避、かわしきれなかった鞭が肩を痛打しても蝿がとまった程度の刺激しかない徹底した無痛ぶりで猛然と走り続ける。
 人質を道連れに。
 「「ロンっ!!」」
 叫んだのはレイジか鍵屋崎か、両方か。
 道了はロンと心中するつもりだ。
 それが証拠にロンを抱く腕を緩めず更に速度を上げてサーシャに向かっていく。
 道了の腕に首を巻かれたロンが息苦しさにもがきつつ遥か後方へ腕を伸ばす。ロンが空中に伸ばした手を掴もうとレイジが血相替えて走り出す、もはや王様のプライドも余裕もなげうってロンを取り戻そうと底力を爆発させる。 
 「レイジ!!」
 道了の腕の中でロンが叫び、自ら光明を手繰りよせんと脱臼せんばかりに腕を伸ばす。
 一縷の希望にありついたロンが切実にレイジを呼ぶ、真っ直ぐに呼ぶ。 
 道了の表情がほんのわずか動く。
 「……―耳障りだ」
 眉間に不機嫌な皺が寄る。左右色違いの目が透徹した光を放つ。ロンが鞭打たれたように顔を跳ね上げる。道了がロンの耳朶に顔を寄せる。ロンの目がますます大きく見開かれる。ロンの耳朶に唇を接した道了が吐息に交えて決別を告げるー
 『漫走』
 気をつけろ。
 警告は短かった。
 次の瞬間ロンは飛んでいた。
 道了はロンを「投げた」。
 物みたいに、荷物みたいに。ロンの首にかけた腕をぐっと撓めて、腰に捻りを利かせて遠心力を加えて薙ぎ飛ばしたのだ。
 「!?な、」
 サーシャは逃げ切れなかった、避け切れなかった。
 背中から吹っ飛んできたロンと激突してもんどり打って転がった。
 錐揉み状に跳ねたサーシャが緩衝材になったおかげでロンのダメージは最小限で済んだが、ロンの自重を受け止めたサーシャは軽い脳震盪を起こして即座に起き上がれず、床に手を付いて上体を起こそうとしてがくりと肩を落とす。
 「いで、いででで……サーシャ、大丈夫かよ」
 「汚い手でさわるな無礼者め、汚らわしい雑種の血が服に付く!」
 他人の心配をしてる場合じゃないってのにサーシャと折り重なって倒れたロンはそんなことを言っている。
 重症のお人よしだ。
 末期状態、手の打ちようなし。
 心配げに顔を曇らせたロンが咄嗟にサーシャを助け起こそうとするも、底抜けにプライドの高い皇帝はこれを拒んで自力で起き上がろうとして失敗する。破片が砕ける音が不吉に響く。腕を突っ張って自重を支えるサーシャの顎先から脂汗が滴る。床に付いた手のひらからじわじわ血が滲み出す。
 「!そうか、ロンの下敷きになった時に破片が食い込んだんだ」
 よく見ればサーシャの背中一面朱に染まっている。軍服の背中に微小な破片が突き刺さり血が垂れている。道了はこれを計算してロンをぶん投げるという乱暴な手段に出たのだ。
 破片だらけの床に手を付いて虚勢を張るサーシャの胸ぐらを掴み、ロンが怒号する。
 「言ってる場合かよクソ皇帝、軍服着てるくせに皇帝名乗るな極北の勘違い野郎!相手はあの道了なんだ、池袋じゃ路上最強と恐れられた伝説の男だ、いくらロシアが誇る殺し屋だって道了相手じゃ分が悪い、道了は何でもありの喧嘩のプロだ、何の躊躇いも抵抗もなく人の骨をへし折れるイカレた殺戮人形だ!」
 皇帝の権威を吹っ飛ばす剣幕でロンに叱咤されてサーシャの顔が屈辱に歪む。きつく噛み締めた唇から血の気が引いて硝子の破片を被った銀髪がざわりとざわめく。
 縺れ合って床に伏せた二人のもとに道了が近付いてくる、
 サーシャはまだ立ち上がれない。それ程ダメージが深刻なのだ。破片だらけの床に叩き付けられた衝撃で内蔵を痛めたのか、威嚇の唸りを発してしきりと身悶えている。
 「かはっ……」
 肋骨にひびでも入ったのだろうか?
 脂汗にしとどに塗れた顔に苦悶の相が浮かぶ。
 道了はすぐそこまで迫っている。ロンが台湾語で叫ぶ。
 『逃走!!』
 逃げろ。
 「駄目だ、遅い、間に合わない!」
 力づくでサーシャを引っ立て逃げ出そうとしたロンのすぐ背後に道了が迫り、頚動脈を極めようと手をさしのべるー……
 「ロンさんーーーーーーーーーん!!?」
 ビバリーがひしと僕に抱きつき絶叫する。
 凱の断末魔にロンの断末魔が重なり視界が鮮血に染め替えられる。
 僕にはロンの首がへし折られる幻が見えた、皮一枚で繋がったロンの首がだらりぶら下がる幻覚がくっきり鮮明に脳裏を過ぎった。
 ロン。
 救いがたいお人よしでどうしようもなくうざいヤツだったけど、いなくなるような寂しいようなそうでもないような……
 「ジョジョに代わっておしおきや!!」
 ふへ?
 ビバリーと抱き合ったまま反射的に上を見る。
 弾かれたように顔を上げた僕の視界を蛍光灯を背に残像が過ぎる。
 伸びきったゴムが慣性で戻るような身ごなしで自らを高みに打ち上げたヨンイルが、上着の裾をはためかせ体軸を捻る。
 「俺のスタンドを見さらせっ!」
 ヨンイルが足を一閃、裂帛の気合が迸る。
 ゴーグルに隠れた双眸が闘志に燃え立つ。
 ロンとサーシャの窮地に呼ばれずとびでた任侠心厚い道化は、道了めがけて落下中の不安定な体勢から旋回で加速させた蹴りを放ち数呼吸を稼ぐ。
 「今やサムライ、レイジ!」
 「御意」
 肩を蹴られ重心が傾いだ一瞬の隙に付け入り、いつのまにか間合いに踏み込んだサムライが心頭滅却して木刀を振りぬく。
 「本来この使い方は本意ではない。武士の信念と剣の道に背くが、火急の時故に仕方ない」
 猛禽の如く鋭い呼気と共に、扇を広げるように水際立った素振りで疾風を巻いて足元を一掃する。
 床すれすれを薙いだ木刀の風圧が粉塵を舞い上げて、的確な蹴りで前傾した道了の動きを止める。
 その間隙を縫って反撃に転じたのは非力な天才と怒れる暴君だ。
 息の合った連携プレイで道了の足止めに先んじたヨンイルとサムライに感謝を述べるのは後回しに、獲物に狙い定めた豹のごとく空気抵抗を最小限に抑えて頭を伏せた体勢で疾駆し、胸元の十字架を掴んでレイジが祈る。
 「『彼は虐げと暴虐とから彼らの命を贖いだし、彼らの血は彼の目に尊ばれましょう』……間に合え神様!」
 隻眼に痛切な光がともる。ただひたすらに相棒の無事を祈り、無駄を削り落とされた俊敏な身ごなしで道了の背を射止めるー
 十字架に縋る手に力が篭もる。
 切なる祈りに応じたのは、非力な天才だ。
 「地獄におちろ、レイジ!!」
 何?
 ビバリーと顔を見合す。ビバリーの顔に疑問符が浮かぶ。
 サムライの肩を掴んで身を乗り出した鍵屋崎が、眼鏡の奥の目に鋭い光を過ぎらす。 
 突如鍵屋崎に罵倒されたレイジがぽかんとする。
 ほんの一刹那、鍵屋崎と目が合う。
 両者の思惑を秘めた視線が交錯する。
 「天国に通じる抜け道は地獄だ、そうすれば希望に至る!」
 レイジの希望とはロンをさす。ロンに至る最短の抜け道ってことは―……

 脳裏で直感が閃く。
 地獄はどこにある?「下」にある。 

 「!なるほど、そういうことかよっ」
 レイジが加速の勢いのままに会心の笑みを上らせ床に手を付く。
 しなやかな長身が瞬時に折り畳まれて前転、仁王立ちする道了の股下をすり抜ける。
 僕は見た、道了の顔が強張る瞬間を。
 驚愕の相で固まる道了の足元で上体を立てたレイジが、体のあちこちに突き刺さった破片を抜きもせず歓喜の笑みを湛える。
 「来いよロン、王様の胸の中へ!」
 「行くか馬鹿、てめえなんざ地獄におちろ!!」
 言葉とは裏腹にロンはレイジの腕に倒れ込んでいた。
 返り血に塗れた顔が安堵に溶け崩れて更に幼くなる。
 ヨンイルが口笛を吹きサムライが顎を引き鍵屋崎が自分の助力あってこそと偉そうに頷く。
 道了に気付かれるのを避けて暗喩を使ったのは天才の咄嗟のひらめきだ。聖書に親しんだレイジはすぐさま地獄と下とを関連付けて正解に至ったわけだ。
 「さんざん心配かけやがって……」
 「ごめん。悪かったよ」
 いつになく素直にレイジが謝罪し、ロンを抱きしめて頬ずりする。
 互いの体温を貪りあうような抱擁。
 「ごめんですむかよ。所長に連れてかれてどんだけ心配したと思ってんだ。自分を粗末にすんなってあんだけ言ったのに、俺を庇って罪を被られてもこっちはありがた迷惑でしかないってのに、お前は本当に……本当に、最強のマゾ野郎だ!!そんなに鞭でしばかれて犬に掘られて所長の慰み者にされるのが好きならとっとと所長のところに行っちまえ二度と帰ってくんなよ、猛豹注意の表札付きの檻でぐでーと伸びてろよ、んで内蔵ぬかれて剥製にされちまえよ!!サーシャと遊ぶのが楽しくて俺のことなんざ忘れてた癖に畜生相棒甲斐のねえ相棒だぜ、お前なんか、お前なんかっ!!」
 「大好きだろ」
 「悪いかよ!?」
 売り言葉に買い言葉で逆上し、真っ赤に充血した目でレイジを睨む。レイジの胸ぐら掴んで引き寄せたロンの顔から拭い去るように表情が消失、鼻先にぶら下がる十字架を震える手でおそるおそる包む。
 壊れ物を扱うように不器用に思いやり深い手つきで十字架に触れ、ロンが俯く。
 「……はは。曲がっちまった、マリアの十字架。こりゃもう駄目だな、手の施しようねーよ。犬に小便かけられて傷だらけにされても未練たらしく持ち歩いてたけど、そろそろ俺も神様離れ……もとい、母親離れすべきかなって。ほら、マザコンは嫌われんだろ?母親と恋人どっちが大事って迫られてどっちもなんて口が裂けても言えねーし……」
 軽い口調でまぜっかえすレイジだが、苦みが勝った笑顔は痛々しいかぎりでありありと虚勢が窺える。
 廊下に重苦しい沈黙が落ちる。
 ヨンイルもサムライも鍵屋崎も息を詰めて二人を見守っている。
 冷えた十字架に体温を通わそうと手に包み、ロンが唐突に呟く。
 「直るよ」
 願望ではなく、確信を込めて。
 「……どうやって」
 「直すよ。気合で。信じろよ。俺が直るって言ったら直るし直すって言ったら絶対直すんだよ」
 手に鎖を絡めて十字架を額に当て、たどたどしく一生懸命に続ける。
 「ほら、こんなに綺麗に輝いてるじゃんか。ちょっと先っぽが曲がったくらいでこの世の終わりみてえなシケたツラすんなよ。つまりさ、チンポと同じだよ。ちょっと皮被ってようが先っぽ曲がってようが穴に入りゃそれでいいって…このたとえはあんまりか。えーとちょっと待て、うまいたとえが思いつかねー……とにかくさ」
 あたふたと取り乱しつつも真っ直ぐにレイジを見詰め、清涼な音零す鎖をすくい上げて首に掛け直してやる。
 ロンが不敵に微笑む。
 「十字架捻じ曲がったくらいでお前がマリアを想う気持ちが死ぬかってんだ。心を捻じ曲げるのは黄金ひねるよかむずかしいぜ」
 十字架を胸に垂らしたレイジがことんとロンに凭れ掛かる。ロンが自分より遥かに体格のいいレイジを不器用に抱きしめ返し、足りない腕を背中に回してさすってやる。
 互いに凭れ掛かったレイジとロンに息も絶え絶えな呪詛が絡み付く。
 「私を無視するな……」
 「あ、サーシャ。元気?」
 床に這い蹲ったサーシャが未練たらたらにレイジに手を伸ばすも、あっけらかんと向き直ったレイジの言葉にその顔が凍る。
 「下賎な雑種の分際で主を無視して乳繰り合うとは言語道断だ、即刻離れろ。身の程を知れ野良め、お前が懐に潜り込んでいるその男は皇帝の寵愛を一身に受けるサバーカだぞ、陵虐の鞭に怯える飼い犬だぞ、ロマノフ王家専属の宮廷男娼だぞ。毛並みのみすぼらしい混血の雑種の野良が我がサバーカと抱擁するなど万死に値する」 
 「犬じゃねーし別に怯えてねーしそもそも宮廷男娼て……ツッコミどころ満載でどっから突っ込んだらいいかわかんねーよ」
 あきれ返ったレイジの眼差しを受け、体に突き刺さった硝子の棘を払ったサーシャが、再び鞭を手にとり闘志を燃やす。
 硝子片を踏み砕いて仁王立ちするサーシャと道了に挟まれて、さりげなくロンを庇ったレイジが寛大に微笑む。
 暴君ではない、王様の笑顔。
 「来いよ。皇帝も人形も二人同時に遊んでやる。ロンさえいりゃあ俺は無敵だ」
 服の裾から太股をちらつかせるロンを人目にふれさせないよう背に庇いつつ、サーシャと道了とを油断なく警戒するレイジのもとに、悠々たる足取りで道化とサムライがやってくる。
 「手伝うで、レイジ。さすがに一人で二人はしんどいやろ」
 頭の後ろで手を組んだヨンイルが朗らかに笑う。
 「同上、助太刀いたす」  
 サムライがいつでも振り抜けるように腰だめに木刀を構え、猛禽の眼光を帯びた双眸であたりを睥睨する。
 背中合わせに共闘の構えをとる三人を挟み、緊迫の重圧を感じる中でサーシャと道了が牽制の視線を交わす。  
 「勝負の行方がわかんなくなってきたぞ?」
 舌なめずりする僕の隣、ひとり違う方向を見ていたビバリーがあっと叫ぶ。
 「リョウさんあれ、あれ……」
 廊下にどよめきが広がる。野次馬が道を空ける。レイジ登場時と同じ現象だが、もっと規模がでかい。
 嫌な予感。
 「諸君、静粛に。この有り様は何だね?家畜の反乱には徹底した厳罰で臨むのが私の信条だが、覚悟はできているかね」
 爬虫類めいて陰湿な細面で憂わしげに廊下の惨状を見渡し、人ごみを退けて現れた所長がかぶりを振る。
 「所長だ」
 「所長だ」
 「後ろに安田もいるぞ。今日は特に顔色悪いな。今にもぶっ倒れちまいそうじゃんか」
 「俺たちをつかまえにきたのかよ」
 「まさかここにいる全員独居房送りかよ?」
 「いやだぜそんなの、逃げるが勝ちだ!」
 動揺が伝染し恐慌に陥った囚人が先を競って逃げ出し、廊下は再び混乱を極める。
 殺気立った喧騒に沸き返る廊下を一通り見渡し、東京プリズンの最高権力者は苦々しく唾棄する。
 「わざわざ私が赴くまでもないとレイジを向かわせたのは失敗だったか。東京プリズンの囚人トップとして実力を知られる君ならば、その類まれなるカリスマ性でたちどころに暴動を制圧せしめると楽観していたが……」
 辟易したように眼鏡の奥の目を細めた所長が凍り付く。
 廊下の片隅、房の手前に横たわる黒い塊に蝿がたかりはじめている。
 不衛生な床に横たわる肉塊に目を留めた所長の表情が疑問から驚愕へと移り変わり、その正体を見極めるに従い顎間接が外れる程に口が開かれる。 
 喉の奥が覗けるほどに開かれた口から、狂ったように踊る舌が覗く。
 「は、ば、は、は、ははははははははばばばばははははばばばはは」
 ところどころ赤黒く潰れた肉を露出した黒い塊にはよく見れば耳があり尻尾があり、何より確かな証拠に高価な首輪を嵌めていた。
 所長の愛犬の首輪を―――

 狭心症の発作のように体全体を不自然に痙攣させ、
 自制を失った舌を涎の糸引き突っ張ってぜいぜいと間延びした喘鳴を漏らし、
 極限まで剥いた目に絶望を塗りこめた毛細血管を浮かせ、
 最愛の伴侶を最悪の形で失った孤独な中年男は世界を呪う絶叫を放つ。
 「はるうううううううううううううううううううううううううううううううううゥううううううううう!!」
 
 予測不能の惨劇に、所長の精神は崩壊した。

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少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050408200325 | 編集
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