ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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十三話

 極東の監獄を統べる王が重畳なりと帰途につく。
 王は歩く。
 リズム良く闊達な足取りで、大胆不敵と自由奔放を掛け合わせた百獣の王の如き風格と貫禄の物腰で、音痴な鼻歌を口ずさんで廊下を歩く。
 過不足なく引き締まった長身と均整取れた足を律動的に繰り出す。
 床一面に散乱した蛍光灯の破片を軽快に踏み砕く。
 牙と爪を隠して油断を誘う豹を彷彿とさせる怠惰なまでに優雅な身ごなしだが、足と連動して縒り合わせた筋肉がうねる腰つきには一分の隙もない。
 日の光に映える藁色の髪は停電の廊下で暗い色彩に沈んでいる。
 常夏の陽光が似合う健康的な褐色肌もまた暗闇に愛撫され、彫り深く端正な面立ちに濃密な陰影を刻む。
 王の帰還に立ち会った囚人が絶句する。
 緊迫した静寂の中、固唾を呑んで王と反逆者の邂逅を待つ観衆の顔には一様に緊張の色が濃い。
 東京プリズンに王が凱旋した。
 東棟に帰還した。
 王が空位にした昨日の昼から今夜にかけてのごく短期間に東棟の情勢は激変した。レイジの地位を脅かす人物が現れた。その人物はレイジ・サムライに継ぐ東棟三番手の実力者であり、東棟三百人の中国人の頂点に立つ最大派閥のボスを実にあっけなく殺してしまった。
 断末魔で仁王立つ凱が目に焼きついて離れない。
 傷付き破れた喉から血と嗄れ声を絞り、最期の最後に娘の幸福を祈った父親の真実が胸に重く圧し掛かる。
 助けられなかった。
 肝心な時に恐怖に支配され体が動かなかった。
 凱は僕の眼前で死んだ。確かに凱は下品で下劣で卑劣で最低な男だ、唾棄すべき男だ。しかしこんな死に方はあんまりだ、あまりにも不条理で受け入れ難い。引き裂かれるように胸が痛む。
 後悔とも感傷とも付かぬ胸の疼きに苛まれて呆然と立ち竦むしかない僕に無言で寄り添うのはより苦渋の色を濃くしたサムライで、凱の死にショックを受けた僕が倒れないようさりげなく背後に回って体を支えるその優しさが酷く哀しい。
 肩に触れた手からぬくもりを感じる。
 サムライの手のぬくもりを感じ、胸の疼きを堪えてレイジを目で追う。
 戦場と化した廊下に突如現れたレイジは、直前まで所長に拘束されていたとは思えないほど闊達な足取りでオッドアイの少年と距離を詰める。
 金と銀の瞳の少年は沈黙の裡に王の到来を待つ。
 反逆者の汚名のもとに断罪が下されるまさにその時も面に動揺を出さないだろう完璧な無表情が一層不気味さを引き立てる。
 「レイジ、体は大丈夫なのか!?今の今まで所長室に拘禁されていてそれで普通に動けるのか、体に異常はないかっ」
 「心配してくれてんの?嬉しいね」
 気丈な横顔が胸をかき乱す。
 横顔に不敵な笑みをちらつかせるレイジに声を荒げる。
 「冗談を言ってる場合じゃない、真剣に聞いてるんだ!」
 カッとして怒鳴り返した僕を逆なでするように笑い声が弾ける。
 「見ての通りどこにも異常ねえよ。心配ご無用さ。ゲリラ育ちを舐めるなよ、こちとら一日や二日の調教でへこたれるようなヤワな訓練積んじゃねーんだ」
 流し目で僕を一瞥したレイジが意味ありげにほくそ笑む。
 虚勢はどこにもない。
 心身ともに健康というのは嘘ではないらしいとひとまず安堵するも、疑惑が完全に払拭されたわけではない。
 第一タイミングが良すぎる。何故今になってレイジが解放されたのか考えれば考えるほど疑問が深まる。暴動発生の報は当然所長のもとにも届いてるはず、数十人に及ぶ暴徒が破壊の限りを尽くす無法地帯にレイジを放つのは戦況をさらに悪化させる危険な行為と言わざるえない。
 それに、安田とヨンイルは?
 昨日レイジと共に強制連行された安田とヨンイルの姿がないことに不安を覚え、不吉に高鳴る鼓動を抑えて叫ぶ。
 「レイジ、ヨンイルと安田はどうした。一緒に解放されたんじゃないのか、まさかまだ所長室に……」
 「ここにおるで」
 あっけらかんとした返事にはっと向き直る。
 後方の人ごみがどよめき、両岸に分かれて道ができる。
 廊下を席巻した人ごみの後方からもったいぶって姿を現したのは、額にゴーグルをかけた快活な笑顔の少年。口端から覗く尖った八重歯がやんちゃな印象を与える少年は、驚愕の面持ちでサムライと並び立つ僕を発見し、ちぎれんばかりに手を振りたくる。
 少年が手を振る度袖口が捲れて、日焼けした肌に映える龍の刺青が露わになる。
 どぎつく照り映える暗緑の鱗を袖の下にちらつかせ、両手を振りたくる過剰な親愛表現で再会を喜ぶのは、西棟のトップとして東京プリズンの一角に君臨するヨンイルだ。
 「やっほー直ちゃん、元気しとるか。俺はこのとおりピンピンしとるで。今からジョジョの奇妙な冒険一気読みできそうなくらい」
 「ヨンイル、君は……」
 言いたいことは山ほどあるが、いざ面と向かうと言葉がでてこない。
 ヨンイルの元気な姿を確認するなり背骨がふやけるような脱力感に襲われる。腰砕けに座り込みかけた僕の肘を掴んで立たせたサムライが呆れた風なため息を吐く。安堵と脱力が入り交ざった複雑な心境でどんよりヨンイルを見上げ素早く全身を観察する。服から突き出た部位に外傷がないのを確認し、自然と和みかけた顔を引き締める。
 「用が済んだら西棟に帰れ、君の顔など見たくもない」
 「!?んな殺生な直ちゃん、一日ぶりの再会やってのにつれないこと言いなやっ」
 痛烈に叱責されたヨンイルがこの世の終わりのような顔で抗議する。少しだけ良心が痛むも、さんざん心配させられた怒りのほうが上回っている。
 ヨンイルが近付いてくる。
 安堵と怒りが綯い交ぜとなり、泣きたいような笑いたいような衝動が沸騰する。
 眼鏡のブリッジを押さえておもてを伏せたのは表情の変化を悟られない為だ。  
 「とっとと西に帰れてそりゃあんまり冷たいんとちゃうんか一昼夜の生き地獄を味わった心友にもちっと温かい言葉かけてくれはってもバチあたらへんでホンマ!?そりゃ俺は今からでもジョジョ一気読みしてスタンドごっこできそうなくらい元気びんびんやけど、俺がいいひんかったあいだ直ちゃんが図書室でひとりぼっちで膝抱えて『魔少年ビューティー』読んどるとこ想像したらあんまり犯罪的な匂いがしたさかい、所長にお叱りうけとる最中も直ちゃんが魔少年ビューティー化せえへんかはらはらひやひや……」
 「現実と漫画を混同するのは悪い癖だ。相変わらず妄想癖が治ってない」
 縋り付くヨンイルを引き剥がし、できるかぎり素っ気無くあしらう。僕の腕に凭れる格好で目を細めたヨンイルが一転相好を崩す。
 「んなこと言うて直ちゃん、俺のこと心配しとったんやろ」
 「なっ」
 「図星か」
 してやられた。
 ゴーグルの下の目が意地悪く笑う。僕をからかうのがそんなに楽しいのか道化めと罵倒したい衝動を抑制する。ヨンイルは何がそんなに嬉しいのかニヤニヤと笑み崩れて「そうか、せやったんか、愛されとるなあ俺。ええ友達もって幸せもんや」と一人納得している。
 ゴーグルに手をかけて位置を正しがてら、達観の光を宿した双眸を細めて道化が独りごちる。
 「直ちゃんは優しいさかい、所長室に連れ去られた俺らんこと心配してろくに眠れへんかったんやろ」
 「根拠のない妄想だ」
 「目ぇ赤いで」
 ……ばれていたのか。
 自身の不覚を呪い失態を悔やむ。不眠で赤く腫れた目を恥じて俯けば、ブリッジを押さえて顔を伏せた僕の前、ヨンイルが喉の奥で笑いを泡立てる。くすぐったそうな、その癖どこか嬉しそうな幸福感が放出する笑顔に怒る気力も失せる。
 弛緩した雰囲気を変えようとやや強引に話題を転じる。
 「本当に怪我はないのか、大丈夫なのか、医務室に行く必要は?」
 矢継ぎ早に質問を浴びせる僕をヨンイルは飄々とあしらう。耳の穴を気楽にほじりつつかぶりを振り、その必要はないとやんわり拒絶する。
 「直ちゃん忘れたんか?医者は静流に刺されて重傷で今いぃひんやろ。ヘリで病院に運ばれて噂じゃ全治三ヶ月やて。ご自慢の記憶力はどないしたん?」
 ヨンイルが八重歯を光らせ悪戯っぽく笑う。
 現在東京プリズンに医者は不在だ。
 静流に刺された医師は全治三ヶ月の重傷で病院に移送された。
 幸い一命は取りとめたが老齢ゆえに治癒が遅く、医者としての復帰はむずかしいと囁かれている。
 蛇足だが、医者と同日に刺された新人看守は軽傷だった。
 今はもう職務に復帰しており、僕も何度か姿を見かけたことがある。
 囚人に小突かれて泣き笑いする彼を見たときは、世の中には運が強い人間もいるものだと素直に感心した。
 医師が不在中の医務室に待機しているのは最低限の医療知識と技術がある看守数名で、絆創膏を貼れば済む掠り傷ならまだしも大怪我をして運ばれた囚人には対処できないのが現状だ。
 仮にヨンイルが服に隠れて見えない部位に怪我をしていても包帯を巻く程度の処置しかできないが、何もしないよりはマシだと体調を問えば、人を食った反応を返される。
 「舐められたもんやな、西の道化も」
 八重歯が挑発的に光る不敵な笑顔にぞくりとする。
 不穏な気配を孕んだ笑顔で廊下の惨状を見回したヨンイルが鋭い眼光で射抜く先には仁王立ちの凱がいる。眼光鋭く凱を一瞥したヨンイルの顔がにわかに真剣みを帯びて引き締まる。
 口元をきつく引き結び、親指の腹で凱をさす。
 「俺の心配よか木偶の坊の心配や」 
 「は?」
 「アイツまだ生きとるで」
 そんな、まさか。
 衝撃を受けて振り返る。
 廊下の真ん中で仁王立ちする凱は天井を仰いで微動だにしない。
 周囲の反応と凱自身の様態に先入観を与えられて即死と判断したが、そういえば僕は至近距離で観察してすらないし脈もとってないのだ。凱が死んでいると断定するには根拠不十分だ。
 「眼鏡は伊達か天才少年。腕の見せ所やで」
 ヨンイルにけしかけられ、サムライと競うように走り出す。
 ヨンイルの発言が事実なら希望はある、迅速に的確に応急処置をすれば助かる見込みがある。
 たとえそれがどんなに成功率の低い賭けでも挑戦してみる価値はある。
 蛍光灯の破片が散らばった床を蹴り、両岸に退いた野次馬には一瞥もくれず疾走する。鞭打たれたように走り出した僕の隣にサムライが並ぶ。人ごみの合間を縫って凱に接近した僕は首筋を濡らして床へと滴った血の量に絶句する。
 慄然と立ち竦んだ僕より先に我に返ったのはサムライで、凱の足元に跪くや木刀を傍らに置いて手首の脈をとる。
 緊迫した数瞬。
 呼吸すら忘れてサムライの手元に見入る。
 「……直」
 サムライが神妙に僕を呼ぶ。虚空で目が合う。
 真剣極まる面持ちの中、孤高の鷹を彷彿とさせる切れ長の双眸に真摯な光を宿し、サムライが呟く。
 「かすかだが脈がある。諦めるのは早い」
 絶望感が払拭された。
 サムライの一言が引き金となり呪縛が解ける。
 怯惰に竦む足を叱咤して凱の間合いに踏み込み、瞳孔が開いてるかどうか至近で確認する。
 喉の傷口に耳をあて呼吸音を聞く。
 ひゅうひゅうとか細く弱々しい呼吸音が傷口から漏れてくる。
 まだ辛うじて息がある。
 凱は立ったまま失神していた。
 「………っ、紛らわしい言葉を吐いて気を失うんじゃない!!」
 本当に紛らわしい男だ。安堵の前に怒りを感じる。
 周囲に流されて診断ミスをした自身を恥ずかしく思うが、悔やむのは後回しだ。
 凱が一命を取り留めたとなれば処置が先決だ、今すぐ医務室に運んで喉を縫えば助かるかもしれないと淡い希望を抱く。
 手が血で汚れるのも厭わず喉付近に指をあてがい血管の脈動を確認、出血こそ多いが生命線の頚動脈は切断されてないと知り光明がさす。
 「サムライ、ここを掴んでいろ」
 「ここか」
 「そうだ、血を止めるんだ。聞こえるか凱、聞こえているなら返事をしろと言いたいが声帯が傷付いてるなら無理だからただ僕の言葉を聞くだけでいい。凱、こんな所で死んだら一生娘に恨まれるぞ。貴様が死んでからもずっと父を慕う娘からの手紙が届き続けるんだ。貴様はいいのか?娘が下手くそな字で綴った手紙が看守の手慰みで紙飛行機に折られるのを許せるか、君に似て可愛くないが君には可愛い娘がひとりぼっちになってもいいのか、貴様それでも父親か無責任な!!」
 既に大量の血を吸った布を喉に巻きつけ止血を施しながら懸命に凱を叱咤する。血脂にぬめった手で何重にも布を巻いて喉を外気から守る。
 落ち着け、鍵屋崎直。落ち着くんだ。
 どうにか冷静さを保ち処置にあたろうとするが、一刻を争う切迫した事態に指が震えて血染めの布が滑る。
 「っ!」
 凱の喉に布を巻き付けて止血を施した僕の手を、横合いから誰かが掴む。
 サムライではない。いつのまにか隣に来たヨンイルが僕の手を掴み、安心させるように頷く。
 「上出来や。後は俺に任せぇ」
 ヨンイルがさりげなく僕の肩を叩く。
 ご苦労はん、とでもいうふうに。
 ひどくあっさりと僕の手を放したヨンイルが立ち上がり、自らの肩に凱の腕をかけておぶさるも、2メートル近い巨体を背負うのは荷が重く足元がよろける。
 それでも道化の底力というべきか、細身の体には似つかわしくない膂力を奮起して凱をおぶさったヨンイルが、僕に向けた優しい目とは一転苛烈な眼差しで周囲を威迫する。
 「何ぼさっと突っ立っとんのじゃおどれらっ、頭の命がかかっとるっちゅー重大事にぎゃあぎゃあ泣き喚いて逃げ惑うド阿呆しか東棟にはおらへんのかい!?呆れたもんやな全く。西の連中の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいわ」
 唾を飛ばして怒号するヨンイルの体から轟々と瘴気が放たれる。
 誰もがヨンイルの剣幕に尻込みしていた。
 僕には服の下でうねり狂う龍の幻影すら見えた。ヨンイルの体に巣食った龍が胎動し、開いた毛穴から殺気が噴出する様すら幻視できるようだった。
 血染めの布を首に巻いた凱は不規則な呼吸をし、全体重をヨンイルに預けて覆い被さっている。
 廊下の真ん中に仁王立ちしたヨンイルが天井を仰いで大きく深呼吸する。
 そして……

 龍が開眼する。

 ゆっくり持ち上がった瞼の奥で双眸が火を噴く。
 青白い残光を曳いた双眸で薙ぎ払うようにあたりを睥睨し、大上段に啖呵を切る。
 「今までさんざ美味い汁吸うときながら用済みになったらはいサイナラてそりゃあんまり殺生ちゃうんか?そんな不義は俺が認めん、西の道化が許さへんで。コイツはお前らにええとこ見せよォ思て無茶しはったんや、せめてその気持ち汲んだらな報われんやろが。薄情な子ォもった親が可哀想やわ」
 一言一句が重く堅実な説得が大気中に浸透していく。
 野次馬ひとりひとりを見詰め、ヨンイルが真顔で言う。
 「子分の気概を示してみィや」
 凱を背負ったヨンイルのもとへ一人、また一人と囚人が吸い寄せられていく。最前までパニックに陥って乱闘を演じていた囚人たちが幾分冷静さを取り戻し、ヨンイルの背中からずり落ちかけた凱を支え起こす。
 「凱さん」
 「大丈夫っスか凱さん」
 「しっかりしてください凱さん」
 放心状態から覚醒した囚人たちが我も我もと凱に群がり始める。
 ヨンイルの背中から凱の巨体が取り除かれる。
 漸く自分たちの成すべき事を悟った囚人たちが手分けして凱を支え医務室へと連れて行く。
 凱の巨体に押し潰されかけながら、それでも必死に廊下を歩いて医務室へと向かう一群を見送り、ヨンイルが満足げに頷く。
 「道化の影響力は偉大だな」
 「見直したか?」
 してやったりと笑うヨンイルには憮然とした表情を返しておく。
 不安を押し殺すように手を握り締める。
 凱は必ず助かるはずだと自分に言い聞かせて平静を保つ。
 あのふてぶてしく図々しい男が簡単に死ぬわけがない、東京プリズンからいなくなるわけがない。
 小さく息を吐き、ヨンイルに向き直る。 
 「所長のお咎めは済んだのか?」
 「一時中断。それどころやのうなったんっちゅーんが正しいかな」
 停電の暗闇に包まれた廊下にて、一昼夜ぶりに僕と対峙したヨンイルが不穏に声を低める。
 「所長室に暴動がおきたて知らせが入ったんやけど、主犯はアイツか」
 ヨンイルがぞんざいに顎をしゃくった方角には一人の少年がいる。金と銀の目をもつ不気味な少年の背後ではロンが拘束されている。
 オッドアイの少年とロンとを見比べてヨンイルが舌打ちする。
 「やばい」
 「ああ」
 何がやばいのか聞くまでもない。
 オッドアイの少年とロンとを行き来した視線をレイジに固定する。
 蛍光灯の破片を踏み砕く音も軽やかに、停電の暗闇をものともせず、優雅な足運びで直進するレイジが不意に立ち止まる。
 場が硬直する。
 空気の密度が膨張する。
 急激に酸素が薄くなったような圧迫感に襲われたのは、極限まで膨れ上がった殺気と殺気が激突した為だ。
 「レイジの奴、完璧キレとる」
 ヨンイルが恐ろしげに呟く。
 「何があったんや、直ちゃん。なんでロンロンがつかまっとるんや。ロズウェルごっこでもしとるんか」
 「僕も詳しくはわからない。説明すると長くなる。ロンは所長室に拘禁されたレイジを助けようと僕の制止を振り切り飛び出し、そして」
 何が起こったんだ?僕にもわからない。気付けば暴動が始まっていた。僕とサムライは期せずして暴動の渦中に巻き込まれた。
 ロンの身に何が起きたかなんて僕にもわからない。
 僕にわかるのはただひとつ、レイジと対峙する少年がとてつもない危険人物であるということのみ。
 廊下の一同がレイジと少年を交互に見比べる。凝視する。生唾を嚥下する音がやけに大きく響く。 
 不死身の自動人形を思わせて平板な表情の少年が、酷薄な色の瞳にレイジを映す。
 レイジは悠然と非友好的な視線を受け流す。
 完璧な角度に尖った顎を傾げ、上から見下すような傲慢さで身の程知らずの無礼者を迎えうつ。
 頬に纏わるおくれ毛を手は使わず軽くかぶりを振って払い、褐色肌と白い歯の対比も艶めかしい蠱惑の笑みを湛える。
 『Who are you?』
 王が誰何する。
 『我叫假面』
 拝謁者が慇懃に応じる。 
 万人を虜にする美形の微笑みにも鉄壁の無表情を崩さず、膝を折って恭順せず、ただただ口調だけは慇懃に名を名乗る。
 「―んなこたあどうでもいいや」
 自分から名を聞いておいて実にあっさりとレイジが言い、無関心に醒め切った目に一片の揶揄を含ませて「假面」を見る。
 「お前、ロンに何をした」
 口元だけで笑うレイジに、「假面」は嘲りを滲ませた口調で言い放つ。
 「酷い事だ」 
 假面の顔に初めて表情が生まれる。剃刀めいた冷笑。
 がっくりと首を項垂れたロンへと手を伸ばし、その前髪を無造作に掴む。
 不快げに顔を顰めたレイジを無視し、ロンの前髪を掴んでゆっくりと顔を上げる。
 あたりにどよめきが広がる。僕とサムライもまた言葉を失う。
 大衆の目に晒されたロンの顔は酷く汚れていた。顔の表面には擦ったようにべったりと赤黒い血が付着していた。
 どこか怪我をしているのかと不安に駆られて全身に視線を走らすも、肌を蝕む掠り傷と痣の他に出血を伴う外傷は見当たらない。
 ロンが血を流してない事に安堵し、次の瞬間我に返る。
 なら、あの血は?ロンの顔を汚す血の出所は?
 胸が不吉に高鳴る。
 ロンの背後、開放された鉄扉の内には闇が凝っている。
 僕と同じ疑問を抱いたサムライとヨンイルが自然と身を乗り出し闇へと目を凝らす。僕らの視線に気付いた暇面が手近の少年に顎をしゃくる。暇面の仲間と思しき少年が即座に意を汲んで房内へと消える。房内で物音がする。固い床を何か、湿り気を含んだ肉塊が這いずるような耳障りな異音……  
 「ひっ!」
 最初に声を発したのは残虐兄弟の弟……マオだ。
 喉の奥で悲鳴を発し、顔面蒼白で自分にしがみ付く弟の異常に兄のユエが狼狽する。
 「どうした弟よ、強姦魔の風上にもおけないような可愛い悲鳴を上げて……」
 「あああああああああ、あああああん、あん、あんちゃ、あれ、あれぇっ……!」
 恐怖に戦慄く弟に怪訝な顔をしたユエが房内を覗き込む。
 マオはまだ顔を上げない。裂かれた上着を羽織った兄にひしと抱きついたまま、顔面蒼白でうわ言を繰り返す。
 「嘘だろ、なんで……ちょっと前まであんなに元気だったじゃんか、イエローワークの砂漠をきゃんきゃん駆け回ってたじゃんか、囚人のケツ追っかけてはカマ掘ろうって涎たらして狙ってたのにあんな、あんな変わり果てた姿になっちまってよう……ミンチ、ミンチだよありゃあ、肉団子の具材だよあんちゃん!」
 「落ち着け弟よ、肉団子は好きだろう。夕食で出たら半分こだ」
 「いらねーよあんちゃん、肉団子なんか食いたかねえよ、俺の心に一生消えないトラウマが刻まれちまったよ!」
 「じゃあお前の分まであんちゃんが独り占めだ。これにて一件落着大団円兄弟円満だ」
 ユエがよしよしと弟の頭をなでる。
 「なんやねん、この匂い。肉が腐っとるよな……」
 「君の房の匂いよりマシだ」
 「失礼な、キムチは韓国の宝やで」
 小鼻をうごめかしたヨンイルが八重歯を剥いて反論するのを聞き流し、房内へと視線を投じる。 
 闇の中で何かが蠢く。次第に音が近付いてくる。湿り気を含んだ肉の塊が床を這いずってくる不快な音……
 闇に釣り込まれるように足を踏み出した僕を制したのは、サムライの一喝。
 「見るな、直っ!」
 熱い手のひらが目に被さり視界を塞ぐ。逞しい腕が僕を引き戻す。
 サムライに抱擁された僕の鼻腔に悪臭が忍び込む。
 サムライの胸に顔を埋めた僕ですら吐き気を催す程の悪臭をまともに嗅いだ周囲の連中がどよめき何人かが悲鳴を上げる。
 鼻腔の粘膜を刺激する強烈な異臭があたり一帯に蔓延し、それに比例してどよめきが大きくなる。
 「何が起きてるんだ、何が出てきたんだ!?」
 「獣の死骸だ」  
 「獣?」
 脳裏で閃光が爆ぜる。瞬時に疑問が氷解する。
 サムライの胸を突き放し、即座に顔を上げる。周囲の連中が悪臭に押されて後退する。強烈な悪臭と酸鼻な光景に耐えかねた囚人が床にくずおれて嘔吐する。床に胃の内容物をぶち撒けた囚人のそばを通り、吐寫物の飛沫がスニーカーに跳ねるがままに房から引きずり出された亡骸に歩み寄る。
 房内から引きずり出された肉塊はわずかに生前の面影を留めていた。
 黒い体毛が所々に覗く赤黒い肉塊の頭頂部にはイヌ科の特徴の耳が生えている。
 高級な首輪を嵌めた肉塊を見下ろすうちに猛烈な吐き気が込み上げてくるも、奥歯を噛み締めて耐える。

 なんてことだ。
 殺されていたのか、ハルは。

 「貴様っ、所長の飼い犬を殺したのか!!」
 混乱した頭を手で支え、よろめくように後退する。  
 心臓の動悸が激しくなる。ハルの死骸を前に思考力が低下し冷静な判断ができなくなる。ハルが死んだ。殺された。目の前の少年に殺された。
 撲殺、殴殺、挽き肉。
 猛烈な吐き気と戦いつつ、今にも萎えそうな気力を必死にかき集め振り絞り、假面に最大級の嫌悪感を示す。
 体の奥底から沸々と怒りが湧いてくる。
 体の奥底から沸き上がる怒りが激情のうねりと化し、圧倒的に不条理な力でもって木っ端の如く理性を押し流す。
 「ロンの顔に跳ねていたのはハルの血か、貴様ロンに何をした、そうやってロンの前髪を掴んでハルの死骸に押し付けたのか、嫌がるロンを無理矢理ハルの死骸を向き合わせ口をこじ開けそろそろ蛆の沸き始めた犬の腐肉を食わせようとしたのか。何故そんな真似をする、ロンが貴様に何をした、貴様がロンを憎む理由がこの僕の優秀なる頭脳をもってしても皆目わからず気味が悪い、一体貴様はロンの何なんだ、答えろ假面!!」
 一息に捲くし立てる僕をよそに假面を自称する少年はレイジと対峙したままこちらを見もしない。 
 動転する僕の背後に足音が近付いてくる。
 左右の腕をそれぞれ違う人物に掴まれた。
 右腕を掴んだのはサムライ、左腕を掴んだのはヨンイル。
 抵抗を跳ね付ける真剣な横顔でしっかり僕を支える二人を見比べるうちに興奮が沈静化する。
 静寂の帳が落ちる。
 足元に横たわるハルの死骸とあたり一帯に立ち込める悪臭にも無表情で通す少年と互角に、不敵な笑顔でレイジが吐き捨てる。
 「引っ込んでろよ、キーストア。邪魔だ」
 薄茶の目に憎悪の波動が迸る。
 「假面か。英語じゃデスマスクか。ちょうどいいや」   
 何がちょうどいいのかとは誰も聞かなかった。否、聞けなかった。
 廊下の真ん中に悠然と佇むレイジが、唄うような抑揚で挑発する。
 「お前がロンに何したかなんて一目瞭然だ。お前がその口で言ったとおりとてもとても酷い事をしたんだろ。俺なんかが及びも付かない最悪に酷いことをしてくれちゃったんだろ?なあ、ミスターデスマスク」
 レイジは真っ直ぐに暇面を見据えたまま、ひどくゆっくりと優雅な動作で腕を掲げ、顔の半面を隠すように手を置く。
 レイジの手が眼帯にかかる。
 眼帯の端が捲れ、瞼を縫いとめた傷痕が露出する。
 場の空気が弦のように張り詰める。廊下に居合わせた囚人を一人の例外もなく戦慄が襲う。
 「ロンの顔汚した代償は高く付くぜ」
 極大の威圧感が押し寄せる。
 この場には不似合いに極上に甘い笑顔のレイジが、褐色の指先を顔に添え、ひどくゆっくりと眼帯を剥がしていく―……

 宙高く眼帯が舞い上がる。 
 
 眼帯が虚空に舞った一刹那、僕の網膜に鮮烈な残像を投じて対象に肉薄したレイジが左足を軸に鋭角の蹴りを放つ。
 口笛でも吹くように唇を尖らせ、蹴りの風圧で前髪を泳がせ、処刑を宣告。
 『Hello and good-bye, death mask』
 今再び暴君が降臨した。

少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050410013237 | 編集
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