ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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十二話

 血まみれの喉を押さえもがき苦しむ凱のまわりから人が掃ける。
 天井が壁が鼓膜がびりびりと震える。
 異質な空気を肌に感じて緊張の面持ちを並べた観衆の中、最前列にいた僕はあまりの衝撃に言葉を喪失し、足元から虚無の渦中に吸い込まれるような脱力感に襲われていた。
 勝負は一瞬で決した。
 凱と少年の実力差は圧倒的だった。
 凱が放った拳は児戯に等しく完全に軌道を読まれていた。
 壁をも穿つ破壊力を秘めた拳が鼻先を削る至近距離に迫り来ても少年は顔色ひとつ変えず、能面めいた無表情のまま、金属の目の表面に凱を映していた。
 「凱が、死んだ?」
 生唾を嚥下し、喉を潤す。
 己が目にしたものが信じられず呆然と呟いた僕を起点にどよめきが広がる。
 「凱さんが?」
 「嘘だろおい、東棟の中国人をしめる俺たちのボスがこんなにあっさりあっけなく殺られちまうなんてよ」
 「だって見ろよあの血の量、喉からどばどば血ぃ流して……ああなったらおしまいだろ?助からねえだろ」
 「頚動脈切れたんじゃねえか」
 「嘘だろ凱さんが」
 「殺しても死なない不死身の凱さんが」
 「娘命の親ばかが」
 「俺たちのトップが!」
 癇症な怒声と罵声が混じりあい、喉から流血した凱のもとへ何人かが反射的に走り出そうとする。
 見物の輪から腰を低め飛び出しかけた連中を制したのは、ひどくゆっくりと凱の首元から鮮血の糸引くつま先を引いたオッドアイの少年だ。オッドアイの少年は無言だった。
 淡白な無表情に何の感慨も感傷も浮かべず、鮮血に濡れたつま先を静かに床に下ろし、負傷した凱へと走り寄ろうとした忠義心の厚い仲間を怠惰に一瞥する。
 その一瞥で、凱へ駆け寄ろうとした連中は感電したように硬直する。
 他者の侵入を妨げる不可視の壁が出現したような錯覚すら抱く底冷えする威圧感が、人ならざる金銀の瞳に凝結していた。
 実力のみならず存在感も圧倒的だった。
 凱など比較にならなかった。
 少年の存在そのものが異質で異端で異常だった。 
 東京プリズンに入所してたかだか一ヶ月の顔も売れてない新入りに、東棟最大の中国系派閥の頭として三百人を顎で使う凱が屈服した。
 無残に敗北した。
 スニーカーに仕込んだ金属片を鋭利に閃かせ、極限まで撓めた膝のバネを解き放ち、確実に命脈を絶つ喉仏の上の急を痛打した少年が、血塗りの靴跡を床に刻印してゆっくりと歩き出す。
 「邪魔だ。どけ。俺の前で醜い断末魔を晒すな」
 強靭なバネの通った膝を極限まで撓めて解き放ち、2メートル近い巨躯を誇る凱が自分の顔面に拳を打ち込もうと前傾姿勢をとったまさにその決定的瞬間に華麗に攻めに転じ、垂直につま先を蹴り上げて喉仏の上を直撃する。
 少年が放った蹴りが凱の喉に吸い込まれる瞬間を目撃した人間は必ずしも多くはなく、実際あれは動体視力の限界に迫る超常の速さを備えていた。
 機械のように正確無比で非情冷徹な動きには一切の温情と容赦がなく、不慣れな手つきで喉を押さえて血止めを図る凱を映す目はどこまでも冷え冷えとしていた。
 底冷えする瞳。
 「ぐつ、に、凶器、仕込むなんざ、ひぎょう、だぜ……!」 
 凱の喉でごぼごぼと血泡が煮立つ。
 辛うじて頚動脈切断は免れたらしいが、喉仏の上の血管が切れて大量の血が噴き出している。
 放っておけば命にも関わる重傷だというのに凱は喉を庇いながらもどっしり踏み構えている。
 凄まじい執念。己の血に塗れた凄惨な形相にあらん限りの憎悪を剥き出し、闘志はいまだ衰えんと眼前に歩み寄った少年を射殺さんばかりに睨み付ける凱の気迫に呼応し、観衆が声援を飛ばす。
 「立て、立つんだ凱!」
 「東棟中国人のトップがちょっと喉から血ぃ垂らしたくらいで死ぬもんか!」
 「腰抜け台湾人に中国人の底力を見せてやれ!」
 「俺ら兄弟地獄の底まで凱さんに付いていく覚悟っス。な、弟よ」
 「勿論さ、あんちゃん」
 喧々囂々と声援と罵声が飛び交う中、威勢の良い観衆に鼻白むでもなく、ただただ無表情に凱を見下ろしていた少年が虚無的に呟く。
 「耳障りだ」
 恐ろしく冷たい目。
 情緒が欠落した機械をおもわせる無機質で無感動な目が、薄刃の剃刀めいて剣呑な光を帯びる。
 「駄目だ、これ以上続けては駄目だ」
 息苦しいのは廊下に充満し始めた殺気のせいだろうか。帯電したように緊張を孕む空気を肌に感じ、思わずサムライの腕に縋り付く。
 サムライが僕を見る。
 サムライの視線を真っ直ぐ受け止めて首を振る。
 周りの連中が暴力の熱狂に浮かれて聞き分けないのなら、凱と対峙する少年を除いて唯一冷静沈着な態度を崩さない、僕が誰より信頼できる男に窮状を訴えるしかないではないか。
 サムライの腕を掴み、必死に首を振る。
 「凱は喉を損傷して大量失血している。このまま戦いが長引けば命に関わる。こんな馬鹿げた立ち会い早くやめさせなければ……」
 「同感だ」
 思慮深く首肯したサムライが凱へと向き直り、推し量るように双眸を眇める。
 「だが、凱が譲るか?」
 譲るはずが、ない。
 絶望的な確信が脳裏に染みる。
 凱の性格を把握している。
 自分の勝利を信じる仲間の前で醜態を晒した凱がこのままおめおめと引き下がるとは思えない。
 切り裂かれた喉を押さえ、しとどに脂汗に塗れた顔に苦渋の色を濃くした凱から、台湾人二人がかりに取り押さえられてぐったりしているロンへと注意を向ける。どうやらロンは失神してるらしく、喉から血を噴いてよろめいた凱が濁った絶叫を上げても反応しない。 
 今のうちにロンを奪還するのは可能か?
 頭を高速で回転させる。
 凱が少年の注意を引き付けているうちに僕とサムライが見張り役を倒してロンを救出するのは可能だろうか?
 ……否、難しいと言わざるを得ない。
 いかにサムライが剣の腕が達者で動きが速くともこの距離から見張り役に近付けば勘付かれてしまう。ロンを人質にとられた僕らは動きを制限されている。
 サムライの木刀が届くよりも敵がロンに危害を加えるのが先の状況下で迂闊な行動はとれないと自重し、無力感を噛み締める。
 「だからといって、目の前で死のうとしている人間を放っておけるはずがない」
 サムライの眉間に苦悩の皺が刻まれ、憂いに沈んだ双眸に愛しさが過ぎる。
 凱には東京プリズン入所当初からさんざん酷い目に遭わされてきた。
 イエローワークの砂漠では集団で襲われた。廊下ですれ違う度尻を揉まれた。食堂ではわざと肘をぶつけられトレイをひっくり返された。だが、それが何だ?それが凱を見捨てる口実になるのか。目の前で死のうとしている人間を放置して殺人行為の片棒を担ぐのは天才のプライドが許さない。
 ロンだって自分のせいで凱が死んだとなれば責任を感じる。
 ロンは優しいから、凱の死の原因は自分だと責めるはずだ。
 「―くそっ、応急処置の技術があるのはこの場で僕だけか?役立たずどもめ!」
 けしかけるだけで応急処置ひとつしようとしない無責任な野次馬に怒り再燃毒づき、とりあえず止血せねばと凱に足を向け、凄味を含んだ唸り声を聞く。
 「……上等だぜ」
 硬直した僕の視線の先、片手で喉を庇った凱がゆらりと上体を起こし、たまたま手近にいた残虐兄弟に短く命じる。
 「脱げ」
 「へっ?」
 唐突な命令に残虐兄弟が脳天から間抜けな声を発し顔を見合す。
 凱を鼓舞していた野次馬も困惑する。
 とうとう頭がおかしくなったのかと疑問を呈した野次馬をよそに、うろたえきった残虐兄弟へ詰め寄った凱が無造作に手を伸ばし服を掴む。
 「ちょ、いきなり何言いだすんスか凱さん。こんな満員御礼衆人環視の中で素っ裸になるだなんて破廉恥なマネできませんよ、いくら俺らが巷で恐れられた強姦魔の兄弟だからって女犯す時脱ぐのは下だけで上まで脱いで全裸になったことなんてねーから人前で白いお肌をさらすの恥ずかしい、きゃーーーーーーーーーーーっ!!」
 「あ、あんちゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん!!」
 レイプされた女性のような甲高い悲鳴を上げた兄のユエに続いて弟マオが絶叫する。
 布の裂ける乾いた音とともに兄の上着が縦に二つに引き裂かれて生白い素肌が暴かれる。
 栄養不良な貧弱な肢体を衆目に晒された兄は、処女を散らされた乙女のように涙ぐび、胸で手を交差させ乳首を隠している。
 ユエを裸に剥いた凱の奇行に野次馬が戦慄する。
 「ひ、ひどいや凱さん……あんちゃんが穢されちまった!!」
 ひしと抱き合い涙に暮れる残虐兄弟に蹴りをくれて床を舐めさせ、体ごと少年に向き直る。
 ユエからひったくった上着を更に細く裂いて即席の止血帯とし、性急かつ不器用な手つきで首に巻き付ける。
 首に巻かれた包帯が瞬く間に血に染まる。
 「来いよ卑怯者。スクラップにしてやるぜ」
 声帯が傷付いているのか、不規則に荒い呼吸の狭間から吐かれた声はひどく聞き取りづらく掠れていた。苦痛の色濃い面持ちに虚勢で塗り固めた挑戦的な笑みを湛え、じわじわと血が滲み始めた首の包帯を無意識にさすり、憎悪にギラついた目で少年を視殺する。
 「俺は凱だ。東棟三百人の上に立つ最強の中国人だ。ちっとばかし喉を切り裂かれたくらいで参ったするような腰抜けにされたんじゃ心外だな。首に穴が開いたくらいなんだってんだ、大したことじゃねえ。ぎゃあぎゃあ騒ぐ程のもんでもねえ。娑婆じゃ腹にナイフを刺されたこともコンクリの角で目を潰されたこともケツの穴に爆竹突っ込まれたこともあるんだ、喉から血ぃ流れた位で台湾人に降参すると思ったら大間違いだぜ」
 闘争心剥き出しの凶悪な顔がふと和み、遠い思い出を反芻するかのごとく双眸が優しくなる。
 伏し目がちに口元を緩めた凱の表情がいつかの五十嵐によく似ていて、彼もまた人の子の親であることを思い出す。
 「可愛い娘に『パパ嫌い』って泣かれるのに比べたら、このくらい屁でもねーよ」
 凱は父親の顔をしていた。
 真摯な愛情が滲んだ眼差しには会えない娘への万感の想いが込められていた。東棟三百人の上に立つ凶悪無比で極悪非道な男が、娘について語る時だけは哀しくなるほど不器用に思い詰めた素顔を覗かせた。
 かつての五十嵐の笑顔と凱のそれが重なる。
 僕が五十嵐に垣間見た理想の父親の片鱗が凱の中にもまた宿っているのを発見し、つまらない感傷を掻き立てられる。
 「さあ来いよ。まさか血ぃ見てびびっちまったんじゃあるめーな。まだまだまだまだ暴れたりねーんだ、最後まで付き合ってくれよ」
 乱暴に首を振って感傷を払拭した凱が、黄ばんだ歯を剥いて獰猛にせせら笑う。首に巻いた包帯の広範囲に血が滲む。こめかみを脂汗が伝う。
 普通の人間なら立っているだけでやっとの極限状態にありながら、殺気が炸裂する三白眼を青白く光らせ、戦いを続行しようとする凱に心底呆れる。 
 「顔の皮だけでなく首の皮も厚いのか、彼は」
 喉の皮が厚かったおかげでどうにか致命傷は免れたがそれでも楽観できない重傷には違いない。
 凱の喉が鍛えられていなかったらと考えると冷や汗が流れる。
 最前列で見守る僕のサムライの視線の先、不動で対峙する凱と少年の間で弦のように空気が張り詰める。
 無反応な少年に焦れたか、腰だめに拳を握り込んだ凱が、指の峰を剣山のように尖らせて飄々と嘯く。
 「ロンは返してもらうぜ」
 「………」
 少年が緩慢に顔を上げる。
 無機質な金属の目がまともに凱を捉える。
 「ロンはな、俺のただ一人のライバルの相棒なんだよ。レイジに借り作るためならロン一匹余裕で取り戻してポイとくれてやるさ」
 ふてぶてしく唇を捻じ曲げた凱が冗談とも本気とも付かぬ嘲弄の台詞を吐く。
 「渡さない」
 到底人間の喉から出たとは思えない抑揚のない声で、少年が宣言する。
 「ロンは俺の物だ」
 少年が凱を見る。視線と視線がぶつかり合う。
 凍傷を負いそうに空気が冷え込む。
 いつでも打って出る用意は万全と腰に重心を移して両拳を掲げる凱の正面にて、瞼の奥の目をかすかに漣立て、少年が繰り返す。
 平板な音声の底に妄執に狂った怪物の胎動を感じさせて。
 「永遠に、俺の物だ」
 少年が消えた。
 「!?」
 違う、『走り出した』のだ。
 床を蹴り疾駆する少年がめざすは凱のもとだ。
 少年は床を這うような低姿勢で間合いに突入するや否や、凱が構えた拳が動くより速くつま先を高々跳ね上げる。力学を無視する勢いと高さで跳躍上昇したつま先から突出した金属片が鈍い閃光を放つも、凱は間一髪後これを避けて後退する。
 バネ仕掛けの人形が踊っているような動きだ。
 細身の体に爆発的な力を内包する少年は、その力を完璧に制御し、蹴りの軌道から拳を抉り込む角度まで正確無比に計算し、人体の急所に致死のダメージを与える痛打を与え続ける。もし凱が並外れて筋骨隆々の巨漢でもなければ内臓破裂で失血死は避けられない威力の攻撃が動体視力が追いつかぬ速度でもって続けざまに繰り出される。
 「勘違いすんな、台湾人」 
 劣勢に回った凱が、ひゅうひゅうと間延びした喘鳴を漏らしながら不敵な笑みを拵える。
 「ロンもレイジも俺の物だ。ロンは俺の家来でレイジは宿敵だ。お前の出る幕なんざねーんだよ、最初から」
 僕は二人の戦いに圧倒されていた。劣勢に回りながらも不敵な笑みを湛える凱の意志の強さと意地の粘り強さに感嘆した。
 オッドアイは踊る。
 糸で繰られたマリオネットの如く四肢を操作して凱の急所に一撃を見舞い、凱はといえば致命傷は避けながらも放つ拳と蹴りが道了に当たらぬ歯痒さに業を煮やしている。
 「くっそおおおおおおおおおおおおおおっ、子分が見てる前で負けられっかよ!!」
 怒号が爆発する。
 激昂した凱が憤然と床を蹴り跳躍、巨躯に見合わぬ瞬発力でもって少年に肉薄する。
 頭蓋骨と頭蓋骨が激突する。 
 正面から頭突きを食らわせた凱の額が割れて血の飛沫が舞う、少年の額もまたかち割れて鼻梁に添って一筋血が伝い落ちる。 
 額から顎先へ造作に添って血を滴らせた少年が、痛覚の麻痺した能面の表情で呟く。
 「糞が」 
 死刑宣告は短かった。
 少年と額を突き合わせ密着した凱の巨体がぐらりと傾ぎよろめく。
 僕の位置からでは何が起きたのかわからなかった。
 咄嗟に駆け寄ろうとした僕をサムライが片手で制し、眉間に苦渋をたゆたわせて無念げに瞼を閉ざす。
 「遅い。勝負は決した」

 ―「凱さんっ!!」―

 叫んだのは残虐兄弟の兄か、弟か。
 悲痛な叫びに応じ、余力を振り絞って踏み止まる凱。
 轟々たる声援を受けて怒り荒ぶる仁王の如く屹立したその姿は、僕の記憶に長く残ることになる。

 長く。
 長く。
 
 不規則な痙攣を繰り返し、口からごぼりと血泡を吐く。
 鉤で吊られたが如く限界まで仰け反らせた喉に血染めの包帯が禍々しく映える。
 『福倒、娘娘』
 停電の暗闇に包まれた天井を仁王立ちで仰いだ凱が最後に呟いたのは、祈りの言葉。最愛の娘への遺言。
 福倒とは中国語で幸せを願う吉祥の言葉。
 「幸せが至るように」と願いを込めた言葉。
 
 最後に凱は微笑んだ。
 霞みゆく目で娘の幻を見ているのか、東棟の中国人を率いる凶悪犯から一人の父親へと戻り、優しい微笑を浮かべ。
 
 立ったまま、死んだ。

 「凱さんが、死んだ」
 呟いたのは僕ではない。
 残虐兄弟の弟の方……マオという名の少年だ。
 兄と瓜二つの平凡な面持ちを驚愕に引き攣らせ、口元を神経質に痙攣させ、寄りかかるものを欲する無意識な動作で半裸の兄に縋り付く。兄もまた凱の壮絶なる最期に衝撃を受けていた。
 残虐兄弟だけではない。
 廊下に集った凱傘下の中国人全員が絶句していた。
 凱は死んだ。たかだが一ヶ月前に入所したばかりの正体不明の少年に赤子のように弄ばれて殺されてしまった。
 僕からさほど遠くない場所で凱の最期を目の当たりにした中国人の少年が、絶望に侵食された目を見開いて滂沱の涙を流す。
 「凱さんが死んだ」
 「マジかよ。嘘だろ。こんなのってありかよ」
 「凱さんが死ぬわけねえよあの最強無敵の凱さんが死ぬわきゃねえよだって凱さんは東棟でいちばん強くて俺たちの憧れで、ああ、凱さんが死ぬわけねえだろこんちくしょう不吉なこと言うなよだって凱さん死んだら俺たちゃどうなんだよお先真っ暗じゃねえかよ!!」
 「今まで凱さんがいたから東棟で好き勝手できたのに凱さんいなくなったらおしまいだ食堂でふんぞり返ることも強制労働サボることもできなくなる、みんな凱さんがいたから凱さんのおかげで看守もびびって俺たちの言う事聞いてたのによ!!」
 凱の死の衝撃も冷め遣らぬ中、各所で小競り合いが勃発し怪我人が出る。
 半狂乱の中国人が甲高い声で泣き叫び滅茶苦茶に頭を掻き毟り不潔なフケを撒き散らす、そのフケを被った囚人が激怒して胸ぐら掴み殴り倒し、歯が欠けた口が血まみれになりそれでもまだ少年は慟哭し動揺と混乱が際限なく伝染する。 
 サムライは身を挺して僕を庇った。
 力強い腕に僕を抱きしめ、凱の亡骸を視界から隠してくれた。
 凱が死んだ。
 「くそっ、くそっ、くそっ!凱さんについてりゃ東京プリズンでの生活は安泰だと思ってたのにとんだ計算違いだぜっ!」
 誤算を呪う囚人が八つ当たりの激しさで拳を振るい友の顔面を破壊する。
 「凱になんか付いてくんじゃなかったぜちきしょう、よりにもよって台湾人にやられて最期に娘の名前呼ぶなんざ無様な死に方しやがって、中国四千年の恥だっつの!!青竜刀で脳天から股間まで真っ二つにしてやりてえよ!!」
 娘の名を呼んで果てた凱を口汚く罵り、猛烈に怒り狂った囚人が青竜刀に見立てた鉄パイプで壁を殴る。
 「死ね、死ね、恥さらしは死ね!凱に付いてた俺が馬鹿だったぜ、凱なんざレイジにもサムライにも及ばない永遠の三番手どまりじゃねえか。凱相手なら俺だって本気出せば勝てたのに何でこんな奴に媚びへつらってたんだがマジで腹立つぜ!!」
 死人に鞭打つ暴言を吐いた囚人が蛍光灯の破片を蹴散らし狂気の哄笑を上げる。
 凱の死を契機に錯乱した中国人が敵味方入り乱れ、潰し合いに近い殴り合いを繰り広げる阿鼻叫喚の戦場を見回し、僕とサムライはただただ寄り添い合っていた。
 サムライの腕に抱かれて確かに守られてると実感しながら、僕は凱の死に際して何も行動を起こそうとしなかった自分の愚かさを呪っていた。
 咄嗟に凱を救いに駆け出せなかった。
 二人の壮絶な戦いに圧倒され、足が竦んで動かなかった。
 「すまん、直」
 僕の心中を察したように肩を抱く手に力を込め、サムライが耳元で囁く。
 熱い吐息が耳朶にかかり、心臓がひとつ、強く鼓動を打つ。
 「凱を助けられなかった」
 「……君が謝ることはない」
 サムライが謝罪するのは筋違いだ。何故ならサムライは僕を守る事を最優先したのだから。常に僕に付き従い僕を守ることこそ静流の死を乗り越えて己に課した存在意義なのだから。
 サムライの腕の中で悄然とうなだれる。
 凱の最期が目に焼きついて離れない。
 娘の幸福を祈る父親の顔が瞼裏にちらついて消えてくれない。

 いやな奴だった。
 下品で最低の男だった。
 僕もロンも何度酷い目に遭わされたか知れない。
 なのに。 
 どうしてこんなにも、胸が痛むんだ?

 激化する暴動から自らを盾に僕を守るサムライの腕の中で、東京プリズンの歴史を塗り替える革命の一声を聞く。
 『別着急』
 鎮静を促す一声は、非常識な騒ぎのただなかにあって不思議と朗々と響いた。
 顔を腫らし切れた唇に血をこびりつかせ上着もズボンも引きちぎられた悲惨な風体で乱闘に身を投じていた囚人らが、一斉に声の飛んだ方に向き直る。一人の少年が立っていた。短い黒髪に銀のメッシュを入れたスタイリッシュな少年が、金と銀の目を冷厳に光らせて場を威圧する。
 凱を殺した少年だ。
 「これは、死んだ」
 仁王立ちの凱に顎をしゃくり、少年が断言する。
 「お前たちはどうする。頭と一緒に心中するか。それが中国人の絆というなら止めはしない。暇面は嗤わない」
 「假面……!?」
 少年が告げたのは「仮面」をさす台湾語だが、さりげなく発した一言が中国人らに与えた影響は計り知れなかった。
 「假面」の名乗りを聞いた中国人らにどよめきが走り、取っ組み合いを中断した囚人たちが異形と相対した恐怖に青ざめる。
 「假面てあの、池袋最強の台湾系チーム月天心を率いた伝説の……」
 「素手の拳で敵を何人も殴り殺して血の海に沈めた最強の男だ」
 「假面のような無表情で機械のように淡々と人を殴り殺して、ミンチにして、それで……」
 怯惰に打ち震える中国人らの視線を集め、「假面」と称した少年が抑揚なく述べる。
 「俺は假面。かつて池袋を制した月天心を率いた男。お前たちの頭を潰した男。頭を潰された蛇は死んだも同然。だがしかし秩序なき混乱は俺の望むものではない。俺はただ俺の物を取り返しにきただけだ。俺の邪魔さえしなければお前たちに危害は加えないと天帝に誓おう」
 一呼吸おき、冷たく冴えた金銀の目を順繰りに中国人の顔に据え、「暇面」が鷹揚に言う。
 「味方になるも敵になるも、お前たちの自由だ」
 選択を委ねられた中国人らが互いに不安げな面持ちを見合す。
 ここにいる誰もが「暇面」の存在感に呑まれていた。
 傲岸不遜のカリスマ性と言い換えてもいい不思議な魅力が彼には備わっていた。
 涼しげな切れ長の瞼の奥、どの部位よりも魅力的に謎めく金銀の目が、敵になるか味方になるか未知数の大衆の動向を観察している。
 「假面」の背後には凱が仁王立ちしている。
 誰一人として即答できない。容易に決断を下せない。
 中国人の誇りを擲って台湾人の配下になるなどごめんだと啖呵を切ることもできない。
 廊下に居合わせた全員が凱の死に際を見ているのだ。
 凱の二の舞になると思えば慎重になるのは当然だ。
 廊下の中央にて凱の亡骸を従えた「假面」が、相変わらず無表情のままに、声だけはどこか愉快げな抑揚で誘う。
 「俺は俺の物を取り返しにきただけだ。しかし来てみればここが気に入った。俺はここを貰う。東京プリズンを俺の物にする。かつて池袋は俺の街だった。今はこの監獄が領地だ。領民になるのがいやならそれでもいい。誇りに殉じておちぶれるなら本望だろう」

 「ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ王様の居ぬ間に勝手なこと抜かしてんじゃねえよ、オートマタ。人形は人形らしく運命の操り糸に絡まって宙で溺れてろよ」
  
 少年の演説を遮ったのは、不敵な声。
 場の主導権を一瞬で奪還するカリスマ性に満ちた男が、暴君の怒りを恐れて退いた囚人たちを従順な僕の如く侍らせ、野生の獣じみて気品と風格を併せ持つ優雅な物腰で歩いてくる。
 きびきびした歩みに合わせて干し藁の髪が後方に流れる。
 大股で颯爽と歩く姿に誰もが見惚れる。
 停電の闇に紛れてはいても際立つ容貌は非常識に美しく、完璧な造作の双眸では猫科の肉食獣と酷似した瞳が獰猛な輝きを放つ。
 無防備にリラックスしきったポーズでポケットに手を突っ込み、吹けば飛ぶように軽薄な笑顔の男を見上げ、僕は呟く。
 「王の帰還だ」

 大衆を革命に導く自動人形の前に、遂に王が降臨した。

少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050411174005 | 編集
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