ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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十話

 ロンに役立たずと言われた。
 「IQ180の天才にむかって暴言を吐くとは身の程知らずにもほどがあるぞ、あの凡人め。いや、この際だからはっきり言わせてもらう。あの低脳め、少しは身の程を弁えろ。低脳に生まれついたら生まれついたで謙虚に天才を敬い崇めるべきだ。そうは思わないか、サムライ」
 面と向かって罵倒された僕はといえば、その言葉を実証するようにロンが留守した房のベッドに座り込んでいる。
 罵倒されるのは初めてじゃない。
 それこそ東京プリズンに入所してから品性下劣な悪態の語彙は増える一方で、発育不良のモヤシだの頭でっかちの理屈屋めがねだのと唾のかかる距離で何度となく暴言を吐かれてきたが、ロンの啖呵はさすがにこたえた。
 僕の胸倉を乱暴に掴み、片手の膂力で首を絞め、至近に顔を突き出す。
 『膿包』
 ロンが語気荒く吐き捨てた言葉は本来中国語の出来物の意味、転じて役立たずをさす悪態となった。
 役立たず。この僕が役立たずだと?
 喘ぐように口を開き反駁しようとした。
 天才のプライドに懸けても断固否定せねばならなかった。
 だがしかしロンは反論の余地を与えず身を翻し駆け去った。
 役立たずの僕を置き去りに。
 颯爽と駆け去る後ろ姿が瞼裏に鮮烈に焼きついている。
 僕はロンを止められなかった。制止できなかった。ロン待てはやまるなとむなしく呼びかけるだけで彼を追おうともしなかった。
 僕の動きを鈍くしたのはロンに対する一抹の後ろめたさ、細心と優柔不断をはきちがえているのではないかという己への疑問、到底ロンのようには思い切れない己に対する歯痒さだった。
 ロンは一度も振り返らなかった。
 身を翻した瞬間に僕らの存在など念頭から消し去ったかのようにその行動は潔かった。
 迷いと葛藤を吹っ切り、決然と走り出したロンの背中を回想する。
 レイジとロンの絆の深さを痛感し、優柔不断な自分を恥じる。
 僕だってレイジが心配だ。
 所長に連行されてから一日経っても帰ってこないレイジと安田とヨンイルの処遇を考えれば際限なく不安が膨れ上がる。
 彼らがどうでもいいわけじゃない。
 そんなわけがない。
 僕が見かけだけでも冷静さを保っていられるのは隣にサムライがいるからで、もしサムライまでも連れていかれていたらロンと同じく挙動不審に陥り、レミングの葬列に加わるモルモットよろしく房内を徘徊する醜態を晒していた。
 だが、僕まで取り乱してどうなるというんだ?
 更にロンを不安にさせるだけで状況は悪化すれども改善されない。
 ならばいっそロンの抑止力にならねばと房の隅で監視していたのだが、どうやらそれが裏目にでたようだ。
 ロンは僕に反発した。
 冷静沈着な態度が気に食わないと唾飛ばし当たり散らした。お前はレイジが心配じゃないのか薄情者と指を突きつけ罵った。友人の甲斐がないと非難を浴びせた。安田やヨンイルが今頃どんな目に遭わされてるのかもわからないのに、どんな屈辱的な罰を受けているかもわからないのにどうして取り澄ましていられるのだと糾弾した。
 まったくもって不条理だ。
 単刀直入直情径行のロンには想像力が欠如している。
 拳を構えて激昂するロンに僕が見た目どおり落ち着いてるはずがないだろうと怒鳴り散らしたかった。無表情は生まれつきだ。感情が顔に出ない性質は生まれついての特質ゆえ今更変えられない。鈍感なロンに人の心の機微を察しろと言うのは酷かもしれないが、レイジたちの処遇を憂慮するあまりひりつくような焦燥に苛まれていたのは僕だって同じだ。僕だけじゃない、サムライだって同じだ。
 何もロン一人が苛立っていたわけじゃない。
 感情が表にでにくい僕とサムライも、レイジ達の帰りをただ待つしかない現状に業を煮やしていた。
 「ロンには想像力が欠如している。確かに僕は無表情だ。顔に感情が出にくい人間だとよく言われる。だが昨日はろくに眠れなかった。レイジ達に下される裁きとレイジ達が受ける罰、胸の悪くなるような想像が次々湧いてきてとてもじゃないが眠れなかった。従って目の下には不眠の隈がある。眉間の皺だっていつもより深い。下がり気味の口角に不快感が発露している。腕組みは威圧に見せかけた自己防衛で動揺をなだめるためだ。注意深く観察すれば僕がどんなに焦っているか一目瞭然だろうに言うにこと欠いて『役立たず』とは過労死した馬車馬に鞭打つ暴言じゃないか」
 まだ腹立ちがおさまらない。僕自身激しすぎる怒りを持て余し困惑している。反抗期の子供を持った親の心境だ。
 「ぼんやり突っ立ってないで何とか言え、サムライ。僕が役立たず呼ばわりされたということは君も同類と見なされ侮辱されたに等しいんだぞ。腹は立たないのか」
 やつあたりの自覚はあるが一旦堰を切った激情は止まらない。沸々と込み上げる怒りのままに言葉を叩き付けるもサムライは無言、瞑想に耽るように瞠目し外部の雑音を遮断している。
 サムライはどこでもいつでもひとりになれる。
 ひとりになれる術を身に付けている。
 明鏡止水の境地を体現するサムライがおもむろに口を開く。
 「……ロンの気持ちもわかる」
 「サムライ!」
 ロンに共感したサムライに声を荒げて腰を浮かせるも、続く言葉に毒気をぬかれる。
 「俺とてさらわれたのがお前なら、とても冷静ではいられなかった」
 「………っ、」
 舌打ちしてベッドに腰を下ろす。顔の赤さを悟られないよう俯く。
 苛立ち紛れに前髪をかきあげる。

 僕は薄情なのか?
 ロンの言う通り冷たい人間なのか?

 サムライに危険が及べば我が身を顧みず行動を起こす、しかしサムライ以外の人間ならば保身を最優先に無関心に見過ごす。  
 サムライは特別な存在だ。
 それは動かし難い事実で現実で真実だ。
 生まれて初めて出来たかけがえのない友人、僕の生きる意味で目的、僕の希望そのものだ。サムライがいなくなればもはや生きていけない。依存と呼びたければ呼ぶがいい。だがこれは共依存だ。僕にとってのサムライがかけがえのない人間なのと同様に同等にサムライにとっての僕もまたかけがえのない人間だと経験則で自負する。
 「………僕だって、とても冷静でいられそうにない」
 自然とふてくされた口調になるのをおさえきれない。
 サムライの前だと妙に子供っぽくなってしまう自覚はあるが指摘がないのを幸い直さない。
 内心の動揺をごまかそうと落ち着きなくブリッジに触れ、眼鏡の位置を直す。
 眼鏡に触れると同時に同じ癖をもつ男を思い出し、胸が痛む。
 レイジ。安田。ヨンイル。今頃どうしているだろう。
 
 今すぐロンを追いたい。
 所長室に殴りこみたい。
 レイジ達を救出したい。 

 「現実には不可能だ」
 膝の上で五指を組み替え、沈痛に独りごちる。
 深く俯いたせいで鼻梁に眼鏡がずれる。首をうなだれた僕の傍らにサムライが立つ。
 所長室への直通路は厳重な隔壁の向こうだ。
 囚人の房とは指紋照合でしか開かない重金属の扉で隔離されている。
 扉の形を借りた隔壁を突破して看守の妨害をくぐりぬけない限り所長室に辿り着けないのは目に見えている。突発的に駆け出したロンもまた所長室に辿り着くのは絶望的に不可能だ。僕の予想が正しければ隔壁の前で看守に捕獲されて独居房送りになる。運よく独居房送りは免れても足腰立たぬまで暴行されるのがおちだ。
 「不毛なことはしたくない。所長もまさかレイジ達を殺したりはしないはず。ならば彼らが帰ってくるまでヤケを起こさず慎重に対処すべきだ。違うか?」
 瞼の裏にロンが浮かぶ。面と向かって「役立たず」と言い切り、一度も振り返らず廊下を駆け去る後ろ姿が。
 迷いない背中に憧憬の念を抱く。
 ロンはどこまでも真っ直ぐだ。
 レイジを助けたい一心で後先顧みず走り出す自由さが羨ましい。
 理性に反して感情を優先する愚かさに憧れる。
 理性で感情を制御する僕はロンのようには走り出せなかった。
 僕も本当はああしたかった。
 ロンのように愚かに潔くなりたかった。
 「自分を責めるな、直」
 自責に苦しむ僕の傍ら、憮然と腕を組んだサムライが薄目を開ける。
 「お前のしたことは間違ってない。お前は冷たい人間ではないと誰より身近にいる俺が断言する」 
 「ロンと意見が異なるな」
 口元に自嘲の笑みが浮かぶ。あるいは虚勢。
 眼鏡を押し上げるふりで表情を遮る僕をサムライは黙って見詰めている。平明に凪いだ眼差しが居心地悪くなる。
 サムライに隠し事は無駄だ。嘘は通じない。虚勢は無力だ。
 僕の強がりを見抜いた上で努めて気付かないふりをするのが彼なりの優しさだ。
 房に沈黙が落ちる。
 閉塞感に息が詰まる。
 時間は刻々と過ぎてゆく。ロンは帰ってこない。
 今頃捕まっているのかもしれない、看守に暴行を受けているのかもしれないと悪い想像ばかりが膨らむ。
 膝の上で組んだ手が不快に汗ばむ。
 絶叫して立ち上がりたい衝動を必死に抑えこむ。鉄扉を蹴破り廊下にとびだし全速力でロンを追いたい衝動が自制の限界に抵触する。
 忙しく指を組み替え、伏し目がちに足元のコンクリ床を見下ろす。
 「3.1415926535 8979323846 2643383279 5028841971」
 五千桁まで暗記した円周率を口の中でいつ途切れるともなく反芻する。高度な演算能力でもって機械的に円周率を出力する僕の傍ら、無意味な数字の羅列に負けじとサムライが詠じる。
 「仏説摩訶般若波羅蜜多心経 観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空……」
 般若心経だ。
 サムライは目を閉じ般若心経を唱えて精神の安定を図る。
 耳心地良い読経の声が床を這うように流れる。
 円周率と読経が低く混じり合い不可思議な波長が生じる。
 互いの顔は見ず、僕はベッドに腰掛けサムライは立ったまま、ひたすら円周率と般若心経を唱え続ける。
 他人にはさぞかし奇異な光景に映るだろう。滑稽を通り越して不気味だ。
 ベッドに腰掛け円周率を呟く少年とその隣で背筋を伸ばして突っ立ったまま般若心経を暗唱する男を目撃すれば、誰だって今見たものを見なかったことにしてそそくさ退散したくなる。
 発狂しそうな鈍さで時が過ぎる。
 「1300192787 6611195909……」
 円周率がそろそろ千桁に達しようかという頃、表で異変が起きる。
 「妙だ」
 表がやけに騒がしい。
 読経を打ち切ったサムライが眼光鋭く格子窓の向こうを見る。
 つられて鉄扉に向き直り、格子窓の向こうを喚声を上げて駆けていく人影を視認する。
 膝の上で五指を組み、生唾を嚥下してサムライの横顔を凝視する。
 ばっさり切った短髪に縁取られた横顔は、肉が削げて輪郭が鋭くなり以前より更に精悍さを増していた。
 切れ長の一重瞼の奥、鋭利なまでに真剣な光を帯びた鷹の目を油断なく細める。
 しっかり背筋が伸びた立ち姿は一分も隙が無い。
 脂じみた総髪が与える見苦しく不潔な印象は拭い去られ、潔く髪を刈り込んだ現在のサムライは居住まいに清冽な凛々しさを漂わせている。
 「俺から離れるな、直」
 威圧的に命じられ、不覚にもサムライに見惚れていた僕は忘我の境地から立ち返る。
 一方的な命令に反発を覚え、ベッドから腰を浮かす。
 だがサムライは僕に反論の余地を与えず、喧騒に沸く廊下に顎をしゃくる。
 「様子がおかしい。剣呑な匂いがする」
 剣呑な匂い。
 抽象的な言い回しが得体の知れない不安を煽る。
 おもむろにベッドから腰を上げ、慎重な足取りで鉄扉に歩み寄る。
 手前で立ち止まり、格子窓に顔を近付ける。
 抑揚の激しい中国語が喧しく飛び交う中、血気さかんに廊下を疾走するのは東棟の囚人たち。
 蛍光灯を破壊し壁を殴打し鉄扉に激突し、跳んだり跳ねたりと狂態を演じる囚人たちにさっと視線を走らせ、その多くが食堂で凱まわりに侍る傘下の中国人だと判断する。
 脳天から甲高い奇声を発して転げまわるもの、野太い咆哮を上げて壁に体当たりして蛍光灯を揺らし大量の埃を降らすもの、そのいずれもが異常な興奮状態において一種の祭りにも似た高揚感を味わっている。
 「連中は覚せい剤常用者か?刑務所における麻薬汚染は深刻だな」 
 嘆かわしげにかぶりを振った僕を押しのけるように前に出て、廊下の惨状を見渡したサムライが顔を苦渋に歪めて断言する。
 「暴動だ」 
 暴動。その言葉に衝撃を受ける。
 「暴動だと?待て、何が原因でそんな……」
 鉄パイプで蛍光灯を破壊し周囲に鋭い破片を撒き散らす。
 床一面に蛍光灯の破片が散乱し危険地帯と化す。
 両壁の鉄扉が蹴破られ開け放たれ、表の騒ぎに触発された囚人たちが手に手に得物を携え廊下の集団に合流する。
 「凱か」
 暴動の中心にいるのは凱だ。東棟最大勢力を誇る中国系派閥の首領だ。暴動の主犯格はいずれも凱傘下の中国人であり、誰あろう凱こそがこの暴動を指揮した張本人だと状況証拠が物語る。
 動機は皆目不明だが暴動の主犯格が凱ということは……
 「!まずい、」
 ロンの身に危険が迫っている。
 「待て、直。今外へでるのは危ない」
 鉄扉を開け放ち、騒動の渦中にとびだそうとした僕の肘をサムライが掴んで引き止める。  
 「暴動の主犯格は凱だ、ロンを敵視する東棟最大の中国系派閥のボスだ!見ろ、彼らはさっきロンが走っていったのと同じ方向に走っていくじゃないか。このままでは遅かれ早かれロンとの遭遇は避けられずロンが集団リンチの犠牲になるのは目に見えている、早く、早くロンに危機を知らせて連れ戻さなければ!!」
 ロンはレイジのようには強くない、ヨンイルのように強くない、安田のような臨機応変さを持ち合わせてない。
 中国人の暴動に巻き込まれて良くて重傷か最悪死亡か……どちらにせよ酷い目に遭うのは確実だ。
 サムライと縺れ合うようにして鉄扉に激突する。
 鉄扉が外側へと開き、勢い余って廊下に倒れこむ。
 「ぎゃっ!」
 悲鳴がした。当然僕じゃない。僕がこんな間抜けな悲鳴あげるわけない。
 反射的に腕の下を見る。
 僕に押し倒された格好で床に寝そべっていたのは、毛先の跳ね回った赤髪とぱっちりした目が印象的な童顔の少年……リョウだ。
 強打した尻をさすりつつリョウが愚痴をこぼす。
 「ちょっとちょっとメガネくん、人目があるにもかかわらず廊下で押し倒すなんて随分過激なマネしてくれるじゃん。そんなに欲求不満なわけ?」
 「扉の前にいるのが悪い」
 リョウの相手をしてる暇はない。
 したたかに尻を打った恨めしげに睨み付けるのを無視、スニーカーの靴底で蛍光灯の破片を踏み砕き、ロンが消えた方角へ走り出そうとしたところまたしてもサムライに妨げられる。
 「放せサムライ、ロンが心配じゃないのか!?」
 「素手で暴動の渦中にとびこむなど正気かお前はっ、命の次に大事な眼鏡が割れても知らんぞ!!」
 気色ばんだ一喝で冷静さを取り戻す。しばしサムライと睨み合う。サムライは一歩も譲らぬ気迫を込めて仁王立つ。先に視線を逸らしたのは僕だ。
 サムライの手をよそよそしく振りほどき、強く掴まれて痺れた腕をさする。リョウと接触したはずみに鼻梁にずれた眼鏡に気付き、傾いだ弦に手をふれる。
 険悪な雰囲気に包まれた僕とサムライを等分に見比べ、後ろ手組んだリョウが無邪気に言ってのける。
 「痴話喧嘩?」
 「「黙れ」」
 サムライと声が重なった。不覚だ。
 ばつの悪い僕に擦り寄り、ご機嫌伺いの猫なで声でリョウが囁く。
 「東棟で今なにが起きてるか教えてあげよっか」
 はっと顔を上げる。サムライが剣呑に双眸を眇める。
 愉快この上ないといった顔で笑いを噛み殺し、リョウが右足を軸に軽快に一回転する。
 「凱が所長室に奇襲を仕掛けたんだ」
 予想外の返答に驚愕する。サムライも軽く目を見張る。
 蛍光灯が割れて囚人が入り乱れた廊下の真ん中、上着の裾を翻してヘソをちらつかせながら、唄うようにのどかな口ぶりで暴動発生の経緯を語る。
 「レイジにお熱な凱がついにぷっつんきれちゃったのさ。視聴覚ホールの一件は覚えてるっしょ?メガネくんもサムライもあの時あそこにいたもんね。昨日所長室連れてかれて以来一日経っても音沙汰なし、今頃はお仕置きという名の性調教を所長じきじきに受けてるはずだって東棟はその噂でもちきりさ」
 愛嬌たっぷりに道化た仕草と語られる内容の落差に違和感を覚える。
 「凱はあれで妙に律儀なところあるからね。自分が唯一ライバル視してる東棟最強の男がこれ以上所長の好きにされるのは我慢ならないって激怒したのさ。こうなったら意地でもレイジを取り返してやるって真っ赤な顔で息巻いてたよ。おお怖」
 全然怖がってないどころか大いに面白がってる様子でリョウが首を竦める。現状を愉しんでるのは明白。骨の髄まで愉快犯だ。
 「凱も所長室に向かったのか」
 ますますもってまずい。目的地が同じなら道中凱とロンがぶつかるのは避けられない。
 眼鏡とロンを秤にかける。
 ロンへと秤が傾く。
 「……行くぞ、サムライ」  
 眼鏡越しにサムライを見つめる。
 サムライが首肯するのを確かめてきっぱり踵を返す。
 サムライがすかさず隣に並ぶ。先ほど怒鳴ったのは激情に任せてひとり走り出そうとした短慮を咎めたからで、こうして二人で歩くなら問題はないとばかりに泰然とした物腰で。
 互いに肩が触れ合う距離に並ぶ。
 蛍光灯の破片を踏み砕いて廊下を突き進む。
 サムライはいつ敵が現れても対処できるよう利き手に馴染んだ木刀を腰だめに構えている。廊下に溢れ出した囚人がサムライの気迫に呑まれて潮が引くように道を空ける。
 サムライの出陣が瞬く間に空気を塗り替える。
 サムライが足を運ぶごとに喧騒が引いて静寂が上塗りされる。
 「なかよしさんだこと」
 リョウの冷やかしを背中に受けて足早に歩く。焦燥に駆られた僕の裾を控えめに引いてサムライが囁く。
 「ロンは大丈夫だ。あれはお前が思っているよりも強い男だ」
 耳元に吐息がかかり、むず痒く微妙な感覚が芽生える。
 耳朶は毛細血管が集まる性感帯だ。
 敏感な耳朶に吐息がふれ、仄かに上気した頬を隠して俯く。
 「そうあってほしいものだな。本当に」
 僕を役立たず呼ばわりしたのだから。

 廊下を先に進むごとに状況は悪化した。
 所長室に近付くほどに暴動は激しさを増して廊下は荒廃していた。
 天井の蛍光灯は軒並み割られて全体が薄暗く、床一面に夥しく破片が散乱し、砂利でも踏むようにざらついた感覚が靴裏に伝わってきた。
 途中何度も危険な目に遭った。
 蛍光灯の破片が頭上に降り注ぎ、殺到する囚人に跳ね飛ばされ、暗闇で顔のよく見えない相手に小突かれた。
 大事に至らなかったのは常にそばにサムライがいたからだ。
 彼が身を挺して僕を庇ってくれたからだ。
 蛍光灯の破片が降り注げば咄嗟に僕の上に覆い被さり、背後に囚人が殺到すれば僕の腕を引いて廊下の端へと退避させ、暗闇で奇襲を受ければ果敢に立ち回り犯人を撃退した。 
 「ロンはどこにいるんだ?」
 蛍光灯が軒並み割れ砕けた暗闇の中、興奮状態の囚人が獣じみた咆哮を上げ蝶番が壊れた鉄扉の内へと雪崩れ込み、数人がかりでベッドを担ぎ出して破壊する。
 蝶番が壊れた扉を素手で引き剥がして房へと乱入し、ベッドの下や壁の穴に手を突っ込み、白い粉末入りの袋や皺だらけの紙幣や煙草を詰められるだけ懐に詰める居直り強盗がいる。
 「停電時は強盗および強姦が多発するという統計学的データを思い出す」
 皮肉げに口元を歪めた僕に片時も離れず寄り添い、サムライが周囲に油断なく目を配る。
 「見ろ」 
 サムライに促されてそちらを見る。眉間に皺寄せて暗闇に目を凝らすうちに蝶番が壊れた鉄扉のひとつが浮上する。
 鉄扉の向こうには地獄に通じる入り口のような矩形の空洞がある。
 その鉄扉に面して仁王立つ人物に、見覚えがある。
 「凱」
 忘れもしない。見間違えるはずがない。
 2メートル近い筋骨隆々たる巨躯のその人物こそ、東棟最大勢力たる中国人の長・凱だった。
 ロンはどこだ?
 凱がロンの居場所を知ってると理屈ではなく直感し、我を忘れて駆け出そうとした僕をサムライが片手で制す。
 サムライの横顔は固く強張っている。眇めた双眸に警戒の色が覗く。
 尋常ならざる殺気がたゆたう中、出口を塞ぐように鉄扉の前に立ちはだかった凱が、三白眼を白く光らせて挑発する。
 「いい加減出て来いよ、腰抜けの台湾人。いつまでこうやって睨めっこしてるつもりだ」
 野太い濁声が鼓膜を叩く。
 凱の宣戦布告に刺激され暗闇が不穏にどよめく。
 凶悪な面構えに不敵な笑みをためたまま、いつ相手が攻めてきても返り討ちできるように筋肉を撓めて敵の出方を窺う凱の視線の先、矩形の闇の中で影が蠢く。
 『不要客気』
 衣擦れの音もなく足音もたてず、ひとりの少年が暗闇から歩み出る。
 暗闇に慣れた目が捉えたのは人形じみて小造りで端正な容貌、瞼の奥で冷ややかな光を放つ金属の目。
 ひどくゆっくりと瞬きし、凱と対峙した少年には致命的に表情が欠落していた。
 肉の薄い瞼の奥では金と銀の瞳が剣呑に輝いていた。
 「あれだ。あの少年だ」
 思わずサムライの袖を掴み、凱と対峙する少年の方へ促す。
 「図書室でロンの上に本棚を落としたのはあの少年だ、忘れもしない銀の右目と金の左目……ロンを殺そうとしたのは彼だ!!」
 ロンは、ロンはどこにいる?
 つい先日ロンを殺そうとした少年と常日頃からロンを敵視する男がふたり立ち会った状況下で、ロンの姿を捜し求めて廊下を見回した僕は、今しもオッドアイの少年が進み出た扉の内から漏れくる呻き声に気付く。
 矩形の闇の中で人影が蠢く。
 何かが床を這いずる音がする。
 「ロンっ!!!!」
 柄の悪い少年に挟まれて引きずり出されたのは、足腰立たぬまでに暴行を受けてボロ雑巾と化したロンだった。 
 僕の呼びかけにも反応を示さず首をうなだれたまま、両腕を吊るされて床に膝を折っている。
 意識の有無もさだかでないロンを一瞥、不興げに鼻を鳴らした凱が重心を腰に移す。
 「身元は割れてんだぜ。観念して腹ぁ括れよ、假面」
 假面と呼ばれた少年は眉一筋動かさず、人形じみて無機質な白皙の面に僅かに倦怠の色を浮かべ、金属の光沢の目に凱を映す。
 「お前はロンの何だ」
 「そこの半々は俺の獲物だ。おい假面、お前誰の許可を得て半々をいたぶってんだよ?半分中国人の血が流れてるとはいえむかし同じチームに所属した同朋を数人がかりでなぶりものにするたぁ、假面の名も地におちる外道な所業たぁ思わねーか」
 腕を掴まれたロンへと時折目をやりながら、義憤の迸りで顔筋を痙攣させ、恩着せがましく畳み掛ける。 
 「レイジを取り返しにいくついでだ。助けてやるから有難く思えよ、半々」
 「レイジに借りを作るのも悪くねえ」と冗談とも本気とも付かぬ口吻で嘯き、オッドアイの少年の正面で腰の重心を安定させ、裂帛の気合で腕の筋肉を膨張させる。甲高い音をたて布が爆ぜ、分厚い筋肉で鎧われた上腕二頭筋が露出する。
 撓めた全身から殺気を放散する凱とは対照的に、假面と呼ばれた少年は無防備に立ち尽くす。
 「そうか。お前もこいつが欲しいのか」
 ひとりごちるように首肯し、無感動な目でロンを捉える。
 「渡さない」
 柄の悪い少年二人に取り押さえられたロンから正面の凱へと視線を転じ、抑揚なく宣言する。
 「ロンが欲しければ力づくで奪え」  
 假面の表情が歪む。
 否、笑ったのだ。
 それがあまりに禍々しく不吉を象徴していたために、顔が奇妙に歪んだようにしか見えない仄暗い笑みだった。
 
 凱の咆哮が爆ぜたのは、次の瞬間だった。 

少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050413202241 | 編集
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