ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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七話

 耳に馴染んだ台湾語がこれ程禍々しく聞こえたのは初めてだ。
 『久しぶりだな。地獄から来たぞ』
 生身の人間にはありえないメタリックな光沢を放つ双眸に魅入られる。
 銀の右目と金の左目。
 フリークスじみた印象を決定付ける違和感の源のオッドアイ。
 人間に極めて近く精巧に造られた、けれども人間とは決定的に違う、人間に必要不可欠な何かが致命的に欠落している。
 眼前の男が俺と同じ生きて喋って呼吸して飲み食いする人間だとはどうしても信じられない。低体温の瞳から放たれる視線にはどんな感情も乗せられていない。
 まるで機械。人形。
 金銀の瞳に映る俺の顔が強張る。
 体の芯が冷たく凍り付く。
 脊髄を貫く恐怖の芯ができる。
 体の芯が冷えきるのに反比例して心臓が熱く脈動し、冷や汗を噴いた表面とに温度差ができる。
 動悸が限りなく速まり血の一滴までも蒸発しそうに心臓が高鳴る。
 なんでコイツがここに?
 目に映る光景が急速に色褪せてフィルムのネガのように反転する。
 二度と会うはずもない男だ。二度と会いたくない男だ。
 過去の存在だと割り切って忘れ去ろうと努めていた男だ。
 それがなんで今頃になって俺が東京プリズンに馴染んだ今頃になって目の前に現れるんだのこのこやってくるんだ、嘘だこんな事あってたまるかこんな事あってたまるか現実に侵入した悪夢を追い払いたい追い散らしたいこれが悪夢ならどうか今すぐ覚めてくれ消え去ってくれ!!
 願いも虚しく床にへたりこんだ俺の眼前に相変わらず男は突っ立っている。
 記憶の中そのままの金と銀の目に見詰められて過去の光景がよみがえる。
 音や匂いや手触りまでもまざまざ逆流して過去と現実がまるごとすりかわって廃工場の薄暗がりに引き戻される。
 折れた注射針や空の注射器が累々と散乱する廃工場の惨状、空気が澱んだ薄暗がり、奥の方から聞こえてくる硝子の割れ砕ける音と何かを殴り付ける鈍い音、散発する哄笑、喧しく飛び交う野次と下品な罵声、甲高い悲鳴に混じる悲痛な嗚咽……
 忌まわしい光景が怒涛の勢いでフラッシュバックする。
 手で掴めそうな至近距離に梅花の泣き顔『助けて』助けを請う声『ロンにひどいことしないで』命乞いをする声『お願いだから』必死な懇願『悪いのは全部私なの責めるなら私だけにしてロンは関係ないのだからっ』身を挺して俺を庇う梅花の髪を鷲掴み力任せに振り回す男。同情や温情とは一切無縁に機械的な単調さでもって行使する容赦ない暴力。慈悲の欠片もない冷酷な目。暗闇を貫いて銀と金に煌く双瞳……

 ぶざまに尻餅付いたまま、口を閉じるのも忘れて男を仰ぐ。

 男はじっと俺を見る。凝視している。
 ひどく苦労して生唾を飲み下す。
 喉に唾がひっかかる違和感をねじ伏せる。
 目を逸らしたい誘惑に抗う。
 精一杯虚勢を振り絞って真っ直ぐ目を見返す。
 不敵に口元を引き結んだ決意の表情で視線の圧力を跳ね返そうとするも俺はもう恐怖を抑える限界で屈服したい欲求に駆られていた。
 男が登場した瞬間に空気が変わった。
 場の支配者が誰かは一目瞭然だった。
 男には異様な存在感があった。
 ただそこに居るだけで等身大の磁石の如く場の注目を集めてしまう究極のカリスマ性を照射する男を取り巻く空気はひどく冷えきっている。興味本位に指をふれれば皮膚が剥がれなくなっちまいそうだ。
 冷徹、酷薄、非情。
 喜怒哀楽の全てを排した不動さでもって暗闇に佇む男の名は。
 『道了……、』
 喉からひゅうと息が抜けた。
 男の表情は変わらない。
 即ち鉄板のような無表情。
 真綿で締めるようにじわじわ暗闇が迫ってくる。
 急に酸素が薄くなったように息苦しくなる。
 胸を圧迫される苦しみに顔を歪め、出来るだけ道了から距離をとろうと床に尻を付いたまま無意識にあとじさる。
 俺の考えを読んだように道了が一歩を踏み出す。
 たった一動作がびくりと身を脅かす。
 恐怖の源泉から懇々と込み上げるどす黒い感情が今にも破裂しそうに膨らんで疑心暗鬼に溺れかける。
 荒く不規則に呼吸しながら懸命に距離をとる。
 尻で床を擦ってあとじさる俺のさまを取り巻きが嘲笑する。
 腰抜け、臆病者。
 台湾語の野次が飛び交う。
 構ってられない、俺は命が惜しい。
 拡散しかけた必死に理性をかき集めて平常心を保とうとするも失敗、動転のあまり肘を振った拍子にベッドにぶつかり激痛が走る。
 くそっ、取り乱すんじゃねえ。
 ベッドの脚に肘を激突させた俺を指さし嘲笑する囚人どもを反抗的に睨み付ける。擦りむいた肘がじんじん疼く。
 俺を除いてただ一人この場で笑わなかった男は、相変わらず無表情に無感動に、いっそ退屈げな様子で歩幅を詰めてくる。
 俺は逃げる。無抵抗で逃げる。
 命が欲しいから自分が可愛いからとにかくがむしゃらに逃げる。
 眼前の男が発散するのはとてつもなく危険な雰囲気、暴力の行使に際し一片の慈悲も躊躇もなくそれを実践してのけると無言の内に語る威圧だ。
 これは、人殺しを屁とも思わない人間の特徴だ。
 サーシャのような快楽殺人者でもなく所長のようなサディストでもない。ある意味もっとタチが悪い、それよりもっとイカれた人間の証拠だ。

 コイツは人を殺すことを何とも思わない。
 喜怒哀楽がない。

 正常な人間は喜怒哀楽の感情を採択して表情を決定するが、道了の場合は究極の二択……快と不快のみだ。0と1で思考を紡ぐ機械のように道了は快と不快の感情回路の切り替えのみで行動方針を決定する。
 暴力は快。
 どちらかといえば好きな部類だが、それ以上でも以下でもない。
 暴力は怠惰な娯楽に過ぎず、人生の一瞬を潤す退屈凌ぎ以上の意味や価値はないと断ずるが如く道了の歩みは平静だ。

 道了は快と不快の二択で物事を割り切る人間だ。
 自分が不快に感じた物は容赦なく排除する、破壊する、殲滅する。
 自分が快と感じたものだけ生かす。
 俺は道了がどんな人間か知ってる。
 どんなにヤバイ人間か文字通り体に叩き込まれている。

 道了の本性を知れば今この時馬鹿笑いしてる取り巻き連中だって呑気に構えてられない、道了はコイツらが思ってるより遥かにヤバイ奴だ、コイツらの貧困な想像を凌駕する破壊的狂気の持ち主だ。

 畜生、なんでこんな所で会っちまうんだよ。

 不運を呪う。油断を悔やむ。鉄扉から突き出た足を飛び越せなかった俺自身を罵倒する。
 レイジを助けに所長室に殴りこむつもりが道のり半ばにして最悪の人間につかまっちまった。まさか道了が東京プリズンに来てたなんて……全然知らなかった。
 今の今まで本人を目の前にするまで気付かなかった自分のめでたさに頭の片隅の醒めた部分で呆れ返る。
 待て、おかしい。
 なんで道了が東京プリズンにいたことに今の今まで気付かなかったんだと自然な疑問が思考を遮る。
 だっておかしいじゃないか。
 道了は池袋最強と恐れられた月天心を率いた伝説の男だ。
 道了が東京プリズンに入所すりゃ当然騒ぎになるに決まってる、速攻噂が出回るに決まってる。
 道了が入所したのがここ一ヶ月の出来事だとしても、今に至るまで俺が知らずにいたのはいくらなんでも無理がある。

 『どういう、ことだよ』
 みっともなく掠れた声を搾り出す。
 まわりに台湾人しかいないのにわざわざ日本語を使う必要がないと台湾語に切り替える。
 ベッドを背にへたりこみ、膝の震えを止めようと手で掴み、コイツらにびびってると思われたくないと剣呑な眼光でぐるりを睥睨する。
 『なんでお前がここにいるんだ、道了。いつ東京プリズンに来たんだ。いちばん最近新入りが来たのは一ヶ月前だ。お前が一ヶ月前に来たんだとしても、なんで肝心の俺がそれを知らなかったのかどうしても納得できねえ』
 肩に硬い物が当たる。
 激痛が爆ぜる。
 肩を押さえて前屈みになる。考賢に肩を殴られたのだ。
 『コイツ、道了さんを呼び捨てにするなんざ何様だ?裏切り者の半々のくせに』 
 考賢が憎憎しげに唾棄する。
 肩を小突かれた痛みに奥歯を噛んで苦鳴を殺す。
 事情を知らない奴には俺の痛がりようが大袈裟に映ったかもしれないがこっちは笑い事じゃない。
 考賢のクソ馬鹿は事もあろうに今日の強制労働で殴られた場所を小突いてきやがったのだ。
 警棒で殴られた肩には特大の青痣ができて腕を上げ下げするたび疼くってのに、今また考賢に殴られたせいで激痛が爆ぜて見苦しく悶絶する羽目になった。肩を庇って倒れこんだ俺の頭上に汚い靴裏が降ってくる。
 調子に乗った考賢が俺の頭を土足で踏みにじり、自分の手柄を誇るように得々と種明かしをする。
 『お前が知らないのは当たり前だ。台湾人仲間からつま弾きにされてレイジにべったりひっついてるお前ンとこに道了さんの情報が入ってくるわきゃねーだろが。第一お前は裏切り者だ。月天心を裏切って中国人どもの側に寝返りやがった最低最悪の屑野郎だ。おい、わかってんのか半々。月天心が潰れたのは全部お前のせいなんだろ。娑婆じゃその噂で持ちきりだったぜ。昔池袋をシメてた月天心が潰れたのは薄汚い裏切り者が中に紛れ込んでたからだって、お情けで仲間に入れてやった半々が仲間を巻き添えにして手榴弾爆発させたせいだって』
 『で、たらめ言ってんじゃねえっ!』
 カッとする。
 激しい怒りに駆られて起き上がった途端に顎を蹴られて仰け反る。
 危うく舌を噛みかける。
 背中からベッドにぶつかった俺の前髪を掴んでむりやり顔を上げさせた考賢が、脂ぎったニキビ面を鼻先に突き出しせせら笑う。
 『何がでたらめだよ。全部本当の事だろ。台湾人の誰も裏切り者の話なんか聞かねーよ』
 裏切り者と決め付けられた怒りと屈辱に震える。
 違う、誤解だ、とんでもねえデマだ。
 俺は仲間を裏切っちゃない。
 敵側に寝返るつもりなんかこれっぽっちもなかった。
 俺が敵側に寝返ったはずないのは東京プリズンでの待遇や凱の態度で明白なのに考賢とその仲間たちは娑婆の噂を頑なに信じ込んで俺を裏切り者と糾弾する、月天心が壊滅したのは半々の裏切り者が紛れ込んでいたからだとデマを鵜呑みにして一斉に声荒げて責め立てる。
 畜生、勝手な事言いやがって。
 俺は裏切り者なんかじゃない。
 チームでも役に立ちたいと必死だった。
 何とか戦果を上げて仲間として認めてもらおうと信頼を勝ち得ようと抗争とあらばいつだって最前線に立ってきた。
 その挙げ句がこれかよ、このザマかよ、こんな結末のためにボロボロになって戦ったのかよ俺は?
 裏切り者の半々と唾飛ばして罵られる為だけに月天心にいたのかよ!!
 悔しい。死ぬほど悔しい。
 俺は裏切り者じゃない。
 月天心を潰したのは俺じゃない、仲間を裏切ってなんかないと声を大にして叫びたくてもその暇さえ与えられない。
 俺がくそったれの人殺しなのは動かし難い事実で真実で否定できないが事実無根の裏切り者呼ばわりだきゃごめんだ、自分がやってないこと身に覚えない事で叩かれるのはまっぴらだ。
 俺が実際にしたことで詰られるならまだ筋が通ってると納得できる。だけどこれは違う、俺が半分中国人だってただそれだけの理由で疑われたり決め付けられたりするのはいい加減うんざりなんだよ!!
 『道了さんが来た事をお前だけ知らなかったのは、東棟の台湾人が横繋がりで内緒にしてたからさ』
 床に転がった俺の鳩尾につま先をめりこませて考賢が嘲笑う。
 皮肉な表情。
 『月天心をぶっ潰した張本人が道了さんの入所を知ったら何しでかすかわかんねえって警戒してたのさ。言うまでもなく東棟の台湾人全員道了さんの味方だ。裏切り者の半々と月天心のリーダー、どっちに付くかって言われればそりゃ勿論後者に決まってんだろ』
 『大したVIP待遇だな』
 合点が行った。
 考賢に負けじと皮肉にほくそ笑む。
 俺がこの一ヶ月間道了の収監を知らなかったのは、東棟の台湾人どもが全員組んで道了の存在を秘密にしていたからだ。
 道了入所の噂が俺の耳に届かないように仕組んでいたからだ。
 もともと台湾人は同朋意識が強く結束が固い。
 秘密主義排他主義で通す台湾人の共同体に一旦囲い込まれちまえばムショの中での安全は保障されるってわけだ。
 特に道了は娑婆で有名な男だ。
 池袋最強のチームを率いて新宿を縄張りにする中国人と幾度も抗争を繰り広げた伝説的人物だ。もし道了の入所が大っぴらになれば凱を頭に据えた中国人グループに命を狙われるのは火を見るより明らか。
 道了を崇拝する台湾人のガキどもはそれを避けるために、その他大勢の新入りと同じく道了を扱って群集に紛れ込ませたんだろう。

 俺には内緒で。
 俺には何も知らせず。
 またここでも除け者にされたってわけか。

 『はっ、はははははっ!笑っちまうぜ、ほんと。実際笑うっきゃねえよなこの状況。俺が、この俺が月天心をぶっ潰した張本人だって?馬鹿も休み休み言えよ。お情けで仲間入りした半々のとるにたらねえ裏切り程度で潰れちまう屑チームだったのかよ月天心は。そりゃあ俺のせいじゃない、お前らがきらきらおめめで理想化してる月天心自体がいつぶっ潰れてもおかしかねえボロボロの状態だっただけだ』 
 ああ、おかしい。ちゃんちゃらおかしいぜ。
 腹の底から懇々と哄笑が湧いてくる。
 背骨もへし折れんばかりに仰け反って笑い出した俺に周囲の連中が気色ばむ。
 知ったこっちゃねえ。
 最上級に愉快な気分、卑屈を通り越して爽快な気分。
 娑婆で月天心が伝説化してるのは知っていた、東京プリズンに新しく来た台湾人のガキどもが熱っぽく目を輝かせて「月天心」の噂をするところを何度も見てきたがその度笑いを堪えるのに苦労したのを思い出す。
 実際の月天心はヤツらの想像とはかけ離れたチームだった。
 平気で女を殴る最低男がてっぺんにふんぞり返った最低のチームだった。
 どのみち長続きするわきゃなかったのだ、月天心は。
 『聞いたかよ道了?コイツらとんだ勘違いしてるぜ。月天心はそんないいもんじゃねえ。お前が一番よくわかってるだろ、假面』
 当時の通り名で道了を呼び、笑いすぎて涙の薄膜が張った目で顔色を窺う。
 假面。ジアーミエン。
 台湾語で仮面をさす言葉。
 眉一筋動かない無表情で人を殴り殺す道了にぴったりの通り名だと妙に感心する一方、そろそろ笑い止まないと窒息して死んじまうんじゃないかと不安になるも、哄笑の発作に襲われた俺は腹を抱えてのたうちまわるのを自分の意志でやめられない。
 『この野郎、道了さんに舐めた口利きやがって!』
 『さんざん世話になった道了さんを笑い倒すたあ中国人は恩知らずって本当だな!』
 道了に心酔するガキどもが舐め腐った態度に激発、こぞって殴りかかる。
 『ロン』
 液体窒素を耳に流し込まれた気がした。
 その一言で、たった一言で場の空気が変容した。
 一斉に殴りかかろうとした連中が急停止、神妙な様子でちらちら道了を窺う。
 一声で取り巻きを下がらせて歩み出た道了が、もったいぶった動作で片手を掲げてみせる。
 殴られる。
 咄嗟にそう錯覚して頭を庇う。
 頭上で腕を交差させて衝撃に備える俺の予想に反し、いつまでたっても拳は降ってこない。
 おそるおそる薄目を開く。
 正面に道了がいた。
 頭上に掲げた手をすっと下ろし、仄めかすように含み笑う。
 『相変わらず反射神経がいい』
 剃刀じみて鋭利な微笑が閃く。機械人形の笑顔……ぞっとしない。
 警戒心を捨てきれぬまま上目遣いに反応を探る。
 道了は何がしたい、何が言いたい?
 道了が俺をほめるなんてどういう風の吹き回し……
 『……あ』
 喉が引き攣る。間抜けな声が漏れる。
 漸く気付いた、道了の動作が意味する所に。

 道了の手は傷だらけだった。

 手のひらには新旧無数の傷跡があった。
 中でも目立つのは手のひらの柔肉を何か鋭利な破片が抉った痕で、出来て日が浅いその疵には薄く瘡蓋が貼っている。
 一瞥顔を顰めたくなる痛ましい傷痕に重ねて記憶がよみがえる。
 頭上に落下する本棚。濛々と立つ埃。抜けた棚から雪崩出る膨大な量の本。陥没した床。
 飴細工の如くひしゃげた手摺―……

 『お、まえ、が』

 悪い冗談みたいに歪曲した手摺、本棚が乗り越えた痕跡。
 誰かが本棚を担いで手摺から投げ落とした。
 俺を下敷きにして殺すつもりで投げ落とした。
 誰が?
 本が一杯に詰まった本棚を運ぶには尋常じゃない体力と腕力がいる、人間離れした怪力の持ち主でない限りひとりで本棚を運べるはずない。
 いや。
 いるじゃないか、ここに。
 『おまえ、が、本棚を、おとしたのか?』
 たどたどしく問いかける。
 嘘であってほしいと祈りながら、しかし心の片隅で既に答えを予期して。 
 『中国系黄色人種の少年だ』
 端的に事実だけを告げる冷静な声が耳の奥に響く。
 『着ていた服がまだ新しかった点から推理するにおそらくここ一ヶ月以内の新入りだ。外見的特徴は銀の右目と金の左目、銀のメッシュが入った黒髪。推定年齢は17歳、身長179cm』
 そうだ、鍵屋崎も言っていたじゃないか。
 あの時不審人物を目撃したと。
 手摺向こうの男の外見特徴は脳天からつま先まで道了に該当する。
 犯人に心当たりないかと聞かれて咄嗟に否定した。
 東京プリズンに道了がいるわけないと思い込んで、否、そう思い込みたいあまりに嘘を吐いた。
 だけど現実に道了は目の前にいる。
 いつでも俺をくびり殺せる距離で不気味な沈黙を守って突っ立っているじゃないか。
 スチール缶を原形とどめぬまで圧縮するのも可能な怪力。
 赤子の手をひねるより簡単に缶ビールをへこましてのけるコイツなら、ひとりで本棚を落とすくらいわけない。
 道了は俺を殺そうとした。
 本気で殺そうとした。
 かつて仲間だった俺を、虫けらのように―

 『そんなに俺が憎いのかよ?!』
 心の堰が決壊して激情が迸る。
 我を忘れて道了に掴みかかり唾飛ばして罵倒する。
 なんでだ?なんで道了に殺されなきゃならないどうしてそこまで俺を憎む、殺したいほど憎まれる理由なんかない心当たりなんかない月天心が潰れたのは俺のせいじゃない俺はただ仲間に入れて欲しかっただけだ仲間が欲しかっただけだ月天心に不利益な事なんか何もしてねえってのに!!
 胸ぐら掴まれても道了は平然としている。
 つまらなそうに醒め切った瞳が反感を煽る。
 どうしてだ、どうして殺そうとした、娑婆でいたぶるだけじゃまだ足りず東京プリズンでも嬲り者にする気か悲鳴を上げさせて楽しむ気か今度は梅花の身代わりに俺を―

 梅花。
 梅花はどうしたんだ?  

 『道了、お前なんでここにいるんだ。梅花はどうしたんだよ』
 瞬時に怒りが冷める。
 自分が殺されかけた衝撃よりも道了が何故ここにいるのかの疑問が先行し冷静さを取り戻す。梅花。俺の初恋の女。内気で心優しい娼婦……道了の恋人。
 酒乱の道了を見放せずいつも一緒にいた儚い笑みが似合う女。
 決して美人とはいえない地味な顔に恋人に殴られ蹴られた青痣が絶えなかった。
 俺が幸せにできなかった、幸せにしたかった女。
 梅花の笑顔を思い出して胸が痛む。
 最後に見た梅花は担架に寝かされた道了に取り縋っていた。
 手錠をかけられた俺には見向きもせず献身的に恋人に寄り添っていた。
 『どうしてお前がここにいるんだ。梅花はどこにいるんだ』
 梅花は一人じゃ生きられない女だ。
 体も心も男に依存しなきゃ生きられないか弱い女だ。
 俺の詰問に道了は答えず涼しげに罵倒を受け流している。
 梅花など知らない、そんな女知らないといった全く無関心な態度に触発されて残り僅かな理性が完膚なく砕け散る。 
 『てめぇ、梅花ひとりおいてけぼりにしてなに刑務所なんか入ってんだよ!?』
 猛烈な勢いで突き上げる怒りに任せて腕を振り抜く。
 肉と骨がぶつかる衝撃に手首に痺れる。
 道了の頬げたに渾身の鉄拳を叩き込めば、まわりで見守っていた連中が『被打了!』『該死的!』とにわかに殺気立つ。
 『なにやらかして東京プリズンぶちこまれたかは知らねえよ、てめェがどんな悪さしでかしてぶちこまれたかなんざどうだっていんだよ、梅花はどうしたんだよ、てめェの恋人がどうなったか聞いてんだよ三秒以内に答えろよ大壊蛋!!梅花はお前の女だろ、他の誰でもなくお前が守ってやんなきゃいけねえ大事な女放り出して刑務所で本棚持ち上げる大道芸披露して小銭貰ってる場合かよ屑が!!』
 殴られた衝撃でよろめく道了の胸ぐらを掴み、大きく腕を振りぬいて二発目を叩き込もうとした所を取り巻き連中によってたかって封じられる。
 次々と背中に圧し掛かられて四肢を縫いとめられても一向に怒りはおさまらず、腹の底でうねり狂う憤怒のマグマが全身の血管を巡り巡って心臓を脈打たせるのを感じ、今ここで喉が裂けても悔いはないと怒鳴り散らす。
 『梅花はお前のこと本当に好きだったんだよ、お前のような呑んだくれのクズなんざ路上で野垂れ死ぬのが似合いだって何べん言い聞かせても道了にゃ自分がいなきゃ駄目だって笑って受け流して、死ぬほど殴られ蹴られて全身に青痣作ったってお前の事一言も悪く言わねーで甲斐甲斐しく尽くしてたのに、この世で最高の女放り出してこの世の地獄に転がりこんでくるなんざお前はどんだけ……』
 梅花。
 梅花。
 どこにいるんだ梅花。
 ひとりぼっちで泣いているのか、いつ帰ってくるかわからない道了を待って泣いているのか。
 畜生、なんでこんな男に梅花をくれちまったんだ。
 なんでこんな男に惚れた女をむざむざ渡しちまったんだ。 
 遠からずひとりぼっちにされるとわかってたら絶対梅花を諦めたりしなかったのに………
 『梅花をどうしたかだと』
 袋叩きにあって突っ伏した俺の耳に、凍て付いた声音がねじ込まれる。
 嬉々として俺を殴り倒してた連中がぴたりと止まる。
 虚空に振り上げた拳がそのまま静止する。
 裸電球を消した暗闇に目を凝らし道了を捉える。
 殴られても大したこたえてない不死身さで膝を伸ばし、唇の血を拭いもせず、口を開く。
 『惚れた女の末路が気になるか』
 末路。
 不吉な響きに心臓が跳ねる。
 房に静寂が降り積もる。
 大人数に押さえ込まれて床に這わされた姿勢で、限界ぎりぎりまで首を反らせ、道了の表情のささいな変化を読み取ろうと努力するもさっぱり報われない。
 末路。
 一体全体梅花の身に何が起こったってんだ?
 瞼の裏に咲く梅花の笑顔が不吉な翳りを帯びて圧し掛かる。
 衣擦れの音がやけに耳に障る。
 俺自身の息遣いと俺を押さえ込んだ連中の息遣いの他に聞こえるのは窓越しの蝿の羽音と蛍光灯が消耗する音だけだ。 
 道了が優雅に片膝折る。 
 まわりの連中が息を呑む。
 場が緊迫する。
 床にうつ伏せる俺の鼻先、片膝付いて身を乗り出した道了が無感動に囁く。
 『梅花は可哀想な女だ』
 可哀想な女。
 『どういう意味だ?』
 苦しい体勢から精一杯身を捩って道了を見返す。

 『梅花はずっと俺に壊されたいと思っていた。梅花は真性マゾの雌犬だった。猛然と暴れ狂う俺を見て股間を濡らす淫売だった』

 道了の口調はひどく淡々としていた。
 事実の断片だけを並べ立てる平板な口調に反発し、どうにかしてそのツラを殴ろうと身動ぎするも、背中に圧し掛かった連中に手首を締められて新たな苦痛を与えられるだけだった。

 『俺は梅花の願いを叶えてやった。俺に滅茶苦茶壊されたいという願いを。手足の骨をへし折られ砕かれて全身のあらゆる関節を曲げられたいという願いを。アスファルトの路面で鼻の先端から磨り潰されて唇を剥がされて顔をただの肉塊にされたいという願いを。股間節が脱臼するまで酒瓶突っ込まれてケツの穴にも同じ事をして欲しいという願いを』

 喉仏を汗がすべりおちる。
 瞼の裏側に浮かび上がる梅花の面影が急速に薄れていく。輪郭があやふやになって目鼻立ちがおぼろげに沈んでいく。
 水面に小石を投じたように動揺の波紋が広がっていく。
 渦巻く狂気にあてられたガキどもが凝然と言葉をなくす。
 道了がゆっくりと近付いてくる。
 道了の手が頭にふれる。
 ひどく優しい手つきが逆に不安を煽る。
 首を振って払いのけようにも四人がかりで圧し掛かられた状態では上手くいかず、苦汁を飲んでされるがままになるしかない。
 抑揚なく台湾語が流れる中、ひんやり骨ばった手が髪の間を通っていく。

 『可哀想な梅花。どうしようもない変態の雌犬の梅花。俺は願いを叶えてやった。梅花の鼻を削いで目を抉って唇を噛み切って丁寧に顔をならしてやった。まず最初に両手の指を十本木琴を叩くようにへし折ってやった。愛撫するように』

 骨ばった手が頭をなでる。
 愛撫するように。

 『梅花は暴力に酔っていた。自分が壊されていく過程にさえ恍惚としていた。梅花がどんなに殴られ蹴られて頭を割られ顔を潰されても俺のそばを離れなかったのは愛情を感じていたからじゃない。梅花の中にあったのは欲望だけだ。徹底的に自分を壊してほしいという狂った欲望だけだ。梅花は心も体も俺に捧げ尽くして……』

 道了の手が欲情の火照りを帯びる。
 梅花への仕打ちを反芻しているのか、頭を包む手に微妙に力が加わり、動きがさらに緩慢になる。
 頭蓋骨を砕く事など造作もないというふうに。
 金銀の目が不気味に輝く。
 のっぺりした顔に感情の断片が浮かぶ。
 自分に身も心も捧げ尽くした女に対する嘲弄。
 『道了。お前、梅花をどうしたんだ。梅花は……』
 その先を続けられず口を噤む。
 極限の焦燥に苛まれ全身の毛穴から汗が噴出す。
 先を聞くのが怖い。怖い。怖い怖い怖い怖い。
 今すぐここから逃げ出したい扉を開けて廊下を突っ走って鍵屋崎たちが待つ房に逃げ戻りたい頼むもう帰してくれ解放してくれ悪夢なら覚めてくれ助けてくれレイジ助けて……
 きつく閉じた瞼の裏側で梅花が微笑む。
 優しく俺を呼ぶ。
 懐かしい笑顔が瞼の裏側に再び浮上した時、とうとう堪え切れず半狂乱で叫びだす。

 『梅花は違う淫売なんかじゃないお袋と同じ淫売なんかじゃないお前にいっつも泣かされていたお前に殴られて悦んでなんかいなかった嘘つくなデマ言うな梅花はちっとも喜んでなかった、お前に腕の骨折られた時は涙と鼻水で顔べちゃべちゃにして泣いてた、アレは喜んでない痛がってた苦しんでた梅花はいつだっていつだってお前にいじめられて可哀想にすすり泣いてたじゃねえかよっ!!梅花になにしやがったんだどんな酷いことしたんだ言ってみろ道了言った瞬間にぶち殺してやる、お前の歯ァ一本残らず引っこ抜いて口ン中に穴だらけにしてやるお前の目ん玉抉り出して中で小便して脳味噌びしょびしょにふやかしてやる、お前が梅花に与えた以上の最高の苦しみを与えてたっぷり時間をかけて嬲り殺してやるからさあ言ってみろ、言えるもんなら言ってみろよおぉおおおおおおおおおぉおおおおお!!!!』

 『……っ、コイツ、いきなり暴れだしやがって……!?』 
 『お前らなにぼうっとしてんだよ、ちゃんと押さえとけよ、半々ごときにびびってんじゃねーよっ』
 まわりの連中がうろたえる。
 俺に向ける視線が怯えを含む。
 腹の底から声振り絞り絶叫する鼓膜も割れんばかりに空気をびりびり叩いて絶叫する、道了の返答次第では今すぐ殺しにかかる梅花が味わったのと同じ生き地獄をいやそれ以上の生き地獄を見せてたっぷり後悔させながら殺してやる、俺の惚れた女苦しめた分きっちり償わせて地獄を堂々巡りさせてやる!! 
 言葉が続かない。
 喉から迸るのは言葉の体を成さない獣の咆哮だ。
 体の中で怒りが暴走して心臓が肋骨を叩いて全身の血が沸騰して梅花梅花生きてるのか梅花知りたいけど知りたくない本当の事なんていつだって俺の予想以上に最低最悪で救いが無くて現実なんてクソ食らえででも梅花心配で幸せになってほしくて
  
 『ロン』

 憎悪にひび割れた咆哮を遮って届いたのは、ひどく穏和な声。
 体重かけて圧し掛かる連中を薙ぎ飛ばそうと暴れ狂っていた俺は、至極ゆっくりと正面に目を向ける。
 一抹の未練なく俺の髪から指を抜いた道了が、くるりと踵を返して反対側のベッドに歩み寄り、低姿勢で屈みこむ。
 道了の奇行を訝しんで目を細める。
 まわりの連中も怪訝な面持ちを隠せず動向を見守る。    
 一同の注視をうけて反対側のベッドの下を覗き込んだ道了が、無造作にベッド下に手を突っ込み、何かを手繰り寄せる動作をする。
 ベッド下の暗がりで何かが蠢く。
 道了の手元に注目して初めて気付く。
 反対側のベッドの下、ベッドの底面と床との僅かな隙間に押し込められていた黒い物体が、いつまでも耳に残る湿った音をたて引きずり出されていく。 
 黒い塊の正体を見極めようと身を乗り出す。
 『あ、ひぎあ……』
 『ぐ……ひっでえ匂い……』
 まわりの連中が慌てて鼻と口を覆う。
 黒い塊が引きずり出されると同時に強烈な悪臭が匂い立つ。
 腐った血と肉と臓物の匂い。
 真新しい死骸の匂い。
 『ロン。梅花はこうなったんだ』
 道了は「それ」を手掴みで引きずり出した。
 缶ビールの栓を開けるような気楽さで平然と、至って無造作にベッド下の暗がりに手を突っ込んで、それを……
 腐りかけの生き物の死骸を引きずり出した。
 背中で手首を締め上げられた俺は他の連中みたく口を覆うことも目鼻を覆って悪臭に耐えることもできず、道了が鼻先に引きずってきた黒い塊をまんじりともせず見据えるはめになった。
 どさりと音がする。
 何かの死骸が鈍い音をたて俺の鼻先に落下、得体の知れない汁が頬に跳ねる。
 悪臭が一層強まる。
 目を背ける事も出来ず鼻先に放り出された死骸を凝視する。垂れた耳、尖った鼻、裂けた口……黒く引き締まった体は所々血に濡れて体毛はぐっしょり湿っている。

 まざまざと記憶が蘇る。
 今の所長が赴任した時、コイツは一緒にいた。
 お前らより俺のほうが偉いんだぞと言わんばかりに所長に寄り添っていた。
 我を忘れてチョコにむしゃぶりついた。レイジの十字架に牙を突き立て噛み傷だらけにしたあげく小便ひっかけて台無しにした。所長にけしかけられて俺と鍵屋崎をさんざん追いまわしてカマを掘ろうとした。安田を散歩のお供に東京プリズン中を我が物顔で闊歩していた。

 ああ、知っている。
 知ってるよ、お前の事。

 『ハル………』
 眼前の床に物言わぬ死骸と化したハルが横たわっている。
 全身の体毛を血に濡らした凄惨な姿で。
 死―――――――

 次の瞬間。
 『これだ。しっかり目を見開いて焼き付けろ』
 耳朶に生温かい吐息がかかある。
 不規則な息の合間に目だけ動かして隣を見る。
 気配すら感じさせず隣に移動した道了が、耳朶に唇をふれさせ、囁く。
 『お前もこうなれ』
 道了が頭を掴み、顔面からハルの死骸に叩き付けた。

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少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050416040203 | 編集
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