ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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六話

 鍵屋崎はあきれ顔だ。
 「少しは落ち着きを取り戻せ。平常心の喪失は判断力の低下を招く。躁病的に歩き回ったところで問題は解決しない」
 壁に凭れて腕を組む。
 冷ややかに取り澄ました表情で俺を見る。
 いつもどおり落ち着き払った態度と偉そうな物言いが今日に限ってやけに癇に障るのは、俺自身がひどく苛立ってるからだ。
 冷淡な無表情に僅かばかり侮蔑の色を加え、眼鏡越しの目を細める。
 檻の中の実験動物でも観察するように醒めきった瞳に不興が浮かぶ。
 自称天才のごもっともなご意見を無視したのがいけなかったらしいが知ったこっちゃない。
 そんなことわざわざ鍵屋崎に指摘されなてもくわかってる。
 房の端から端まで行き来した所で新しい発見など何もない。
 当たり前だ、かれこれ二年近くも暮らした房だ。
 配管剥き出しの天井も壁の染みも床の疵も見慣れたを通り越して見飽きてる。
 房の広さはたかが知れてる。
 ボロっちいベッドに面積の半分を占領された狭苦しい房は壁から壁まで僅かな距離しかなく、五歩もいかずに行き止まりに突き当たる始末だ。
 房の隅々まで探検し尽くして発見したのは塵と埃とネズミの糞のみ。
 からからに干からびたゴキブリの死骸がベッド下に転がっていたが、鍵屋崎にはあえて教えなかった。
 俺はそこまで悪趣味じゃない。
 もっともレイジなら「ベッドの下にいいもんあるぜ」と吹き込んで、筋書き通りの行動を鍵屋崎にとらせたあとで爆笑するだろうが。
 鍵屋崎の助言も上の空に聞き流し、ただひたすらに房をうろつき回る。機械的に惰性的に足を踏み出し、壁に額をぶつける寸前に180度方向転換し、またしても反対側の壁めざしてずんずん突き進む。壁と接触寸前にくるりと身を翻す。
 一歩、二歩、三歩、四歩、五歩。
 端から端まで正確に五歩で縦断する。
 何分何十分こうしてるのか自分でもわからない。
 強制労働直帰後から房に引きこもって、歩幅で面積をはかろうとでもいうふうに休まず歩き回る俺を少し離れた場所で見守っているのは、呼んでも招いてもないのに何故かいるサムライと鍵屋崎だ。
 倦怠期の夫婦みたいに憮然と口を利かず、それでもお互い離れ難く寄り添ってる様子から深い信頼と強い絆が伝わってくる。
 サムライと鍵屋崎は離れて俺を見守ってる。
 いや、見守っているんじゃない。「見張っている」のだ。
 焦燥極まった俺が極端な行動にでないようすぐそばで監視の目を光らせているのだ。
 閉所恐怖症の人間がどうにもならない閉塞感と息苦しさに駆られてそうするように、俺もまた無力さ故に何も出来ない現状に歯がゆさを覚え、一秒たりとも立ち止まれない強迫観念に襲われて房内を歩き回る。

 立ち止まった瞬間にレイジの不在が決定する。
 立ち止まった瞬間にレイジの不在と向き合わなきゃいけなくなる。

 一度疑問を覚えて立ち止まってしまったらそこからもう一歩も動けない予感と不安を抱く。
 こんなのはただの逃げだ、ごまかしだ。
 立ち止まった瞬間に圧し掛かってくる静寂と孤独に耐え切れず、レイジがいない現実に立ち返るのが嫌で逃げ続けているだけだ。
 歩くことそれ自体が目的と化す。
 歩き回る事が逃避の一手段となる。
 俺はただひたすら歩き回る。
 壁にぶち当たる前にくるりと身を翻し、一定の歩幅と歩調で来た道を引き返す。
 レイジが連れて行かれて丸一日が経つ。
 レイジは戻ってこない。
 安田とヨンイルと三人一緒に連れて行かれてから今もって消息不明なままだ。
 俺はまたレイジの足を引っ張っちまった、アイツに迷惑かけちまった。相棒失格だ。レイジはまたしても俺を守り庇って罪を被った。ヨンイルや安田と示し合わせて俺と鍵屋崎とサムライは無関係だと言い張って、せめて俺たちだけでも変態所長の毒牙から逃れさせようとした。

 馬鹿だ、アイツ。
 かっこつけやがって。

 『大丈夫だよ、すぐ帰ってくるから。んな世界の終わりみてーなカオすんなって』
 別れ際の笑顔がよみがえる。能天気な声が聞こえる。
 俺はサムライの制止を振り解いてレイジに駆け寄ろうとしたが、サムライの拘束は思ったよりも強く、どんだけ暴れても俺を掴んだ手はびくともしなかった。
 サムライに押さえ込まれた俺の眼前、所長に引き立てられて去っていく三人の背中を成す術なく見送る。行くなと呼び止めたかった。声の限りに叫びたかった。
 行くなレイジ行くな俺をおいて行くな俺をひとりぼっちにすんな、カッコつけやがってちきしょう、またカッコつけやがって!
 やり場のない怒りを込めて激しくかぶりを振り、サムライの手に封じられた口からくぐもった呻きを漏らす。
 悔しかった。
 情けなかった。
 歯がゆかった。
 どうして俺はレイジを追えないんだ、サムライひとり振り解けないんだ、こんなに弱くて小さいんだ?俺がサムライと揉み合ってるあいだにレイジはどんどん遠ざかっていっちまう。
 俺は叫んだ。
 聞こえないのを承知で叫んだ。
 戻って来い、レイジ。行くな、と。
 願いが通じた。
 おもむろにレイジが振り返り、驚いたような困ったような曖昧な表情で俺を仰ぐ。
 一抹の未練が隻眼を過ぎるも、すぐに消え去る。
 目が合ったのはほんの一瞬だった。
 俺は必死に懇願した、目で必死に訴えた。
 今からでもいい、本当の事を言ってほしかった。
 みっともなくカッコ悪く取り乱して「あそこにいるロンだって俺と一緒にジープに乗ったんだ、アイツも同罪だ」と暴露してほしかった。
 そっちのほうがずっと気持ちが楽になる、自分の意志に反してダチを見殺しにする罪悪感が晴れる。罰するなら俺も一緒にしてくれ、除け者にしないでくれ。
 俺の気なんかいざ知らずレイジは茶化すように言う。
 『俺がいないあいだ浮気すんなよ。いい子で留守番してろ。約束守ったらご褒美やるよ』
 なん、だよそれ。
 レイジの隣には軍服姿のサーシャがいる。
 立ち止まったレイジを訝しむように眉をひそめ、「早く歩け」と顎をしゃくる。サーシャに促されて「へーへー」とふざけた返事で歩を再開するレイジを理性をかなぐり捨て追いかけたい衝動を抑える。
 俺の視線を意識して緩やかに振り返り、サーシャが勝ち誇ったように含み笑い、レイジの肩に手を添える。
 白く優美な指がレイジの肩をいやらしく這う……
 目の前が真っ赤になる。
 サーシャが考えてる事なんかお見通しだ、頭ん中で何してるかそのツラ見りゃ一目瞭然だ、レイジを足蹴にして服を引き裂いて嬲りものにしてさんざん楽しむつもりだと喜悦に歪んだツラがそう言ってる、暗い愉悦に酔った双眸がまざまざと物語っている。
 欲望の虜と化したサーシャに引き立てられて所長室へと向かうレイジ、ヨンイル、安田。
 かける言葉もなく立ち尽くす鍵屋崎とサムライ。
 これから所長室で何が行われるか、どんな激しい折檻とむごい仕打が三人を待ちうけてるかもわからないのに鍵屋崎はぎゅっと唇を噛んで俯くばかりだ。
 俺は何も出来なかった。むざむざレイジを連れていかせちまった。視聴覚ホールには俺と鍵屋崎とサムライの三人が取り残された。
 あれから一日経ってもレイジは帰ってこない。
 安田とヨンイルもだ。
 俺は三人を心配する余りろくに眠れず強制労働中もあくびばかりしていた。「弛んでる」と看守に叱責されて警棒を一発食らった。
 肩を押さえてうずくまったところを班の連中に笑われた。
 チクった犯人はすぐわかった。
 俺に反感をもってる台湾人のガキ。
 今期の班替えで一緒になって以来、暇さえありゃ嫌がらせをしてくる傷害致死二件の前科持ちだ。娑婆では台湾系の弱小チームに所属してたらしく、俺が昔身を寄せたチームの噂を聞き及んで、「伝説の月天心は半々の裏切りで全滅したんだとよ」とでっち上げて広めるのに余念がない。

 月天心。
 かつて俺がいたチームの名前。

 洒落た名前だと感心するヤツも少なくないが、実態を知りゃあ漏れなく震え上がる。
 チームの構成メンバーは十代前半から後半の札付きの悪童どもで、その全員が都下最大規模の池袋スラム出身者だった。
 似たり寄ったりの屑な両親から生まれ、似たり寄ったりの不幸で貧乏な家庭で物心ついて、人生のしょっぱなからケチの付き通しのガキどもが酒乱の親父に頭を割られて淫売の母親を刺して、親に捨てられるか親を捨てるか大別してこの二通りの選択を迫られたあげく、そのどっちかを選んで路頭に追ん出されたか自分から追ん出てきて、行くあてもなくさまよってるところを同じ境遇のガキどもの集まりに勧誘されて、その集まりがどんどん力を付けて巨大化してく過程で「月天心」と名前が出来た。

 最初は行き場をなくしたガキどもの寄り合い所帯だった。

 池袋にくさるほどいる路上生活孤児の自衛組織というか自警組織というか、まあそんなところ。組織の性質ががらりと変わったのは初代リーダーが殺されて二代目が就任した頃で、名も無き寄り合い所帯は以降「月天心」と命名され、池袋を縄張りとする武闘派チームとして急速に人員を増やして勢力を伸ばしていった。
 俺が出入りしたのもその頃だ。
 激しい抗争を繰り広げて数多くの死傷者を出し、かつて池袋最強にして最凶と恐れられた月天心は、下っ端の生き残りが噂に尾ひれを付けてばらまいたせいで今や犯罪者予備軍のワルどもが憧れを抱く伝説的存在と化してるらしい。 
 今期班替えで一緒になった勘違い野郎は、大方娑婆の噂を鵜呑みにしたんだろう。
 「『月天心』が潰れたのは中国人の血を引く裏切り者がいたからだ」「ヤツが敵を手引きしてチームを壊滅に導いたんだ」「仲間を巻き添えにするのを承知で手榴弾のピンを抜いて投げたクソッタレだ」「その半々が『月天心』を潰した黒幕だ」
 ……うんざりだ。
 東京プリズンでそんな噂が流布してるのは知ってる。
 東京プリズンで流布してるってことは当然娑婆でも流布してるって事だ。元を正せばこの噂を持ち込んだのも俺が来た後に入所した新入りどもで、薄汚い半々の癖に当時抗争に参加した中で唯一生き残った俺を良く思わない連中がすべての責任と罪を俺におっかぶせる魂胆で傍迷惑なデマを流してるんだろうなと見当つく。デマを鵜呑みにして東京プリズンに来たヤツが憎い俺を殺してくれりゃ一石二鳥ってワケだ。
 そりゃ確かに手榴弾のピンを抜いて投げて八人を肉片に変えたのは事実だが、寄ってたかって俺に手榴弾を持たせたのは当時の仲間で、「台湾人の仲間にしてほしけりゃ根性見せろよ」と煽ったのはアイツらなわけで、月天心が自滅した原因まで俺に求められちゃたまったもんじゃねえ。
 月天心が壊滅したのは自業自得だ。
 大体リーダーからしてろくなヤツじゃなかった。
 四六時中酒をかっ喰らっちゃ恋人に乱暴する最低の屑だった。
 土台あんな最低男に率いられたチームが長続きするわきゃない。
 どのみち月天心はもって二年か三年が限界の短命のチームだった。当時のトップは完璧イカれてた。仲間だろうが恋人だろうが一旦キレたらお構いなく半殺しにしていた。

 あてもなく房内をうろつきまわり、過去を回想する。

 東京プリズンで出会う前の日々。
 梅花の優しさだけが唯一の救いで癒しだった日々。
 月天心のアジトは路地裏の廃工場だった。
 廃工場には仲間がたむろっていた。
 埃っぽい薄暗がりの奥で何かが割れ砕ける音が聞こえてくる。
 女の悲鳴が上がる。
 哄笑が弾ける。
 酒に酔ったアイツが考案した悪趣味な遊び……
 梅花がまたその犠牲になってる。
 周囲の仲間は頼りにならねえ。どいつもこいつもトップに負けず劣らず性根が腐ったヤツばかりだ。廃工場の暗がりから聞こえてくる下卑た嘲笑と梅花を冷やかす声が悪い予感を裏付ける。
 はやく行かなきゃ。
 奥に向かって大股に歩く。
 途中で小走りに、最後らへんは全速力で走っていた。
 どうか間に合ってくれと念じながら梅花のもとに急いだ。
 次第に暗闇に目が慣れて視界が明るむ。
 工場の奥、壁を背にした立ち竦んでいるのは……可哀想に、すっかり怯えきった様子の梅花。
 ぎざぎざに割れた酒瓶を片手に梅花に歩み寄るのは、黒いコートを羽織った無表情な男。
 暗闇の中でぎらりと輝く目……金と銀の妖眼。
 非人間的な無表情をさらに際立たせる金属の双眸に梅花の顔を映し、脅しとは思えぬ動作で片手を振り上げ、涙ながらに縋りつく恋人を殴り殺そうと酒瓶を掲げる……
 
 ああ、間に合わねえ。
 
 「ロン!」
 厳しい叱責で正気に戻る。
 放心状態で振り向く。のろのろと壁際に向き直る。
 鍵屋崎がとことん呆れた顔で俺を仰ぐ。
 「三百五十歩目だ」
 「え?」
 「君が今踏み出した一歩でちょうど三百五十歩目という意味だ。房の端から端までの距離が五歩だとしてその五の倍数で三百五十歩、君は一体何を考えて記念すべき三百五十歩目を踏み出したのか是非とも聞きたい」
 いきなり言われてたじろぐ。サムライも困惑顔。
 「……どうせ声かけるならきりよく四百歩目にしろよ」
 口を尖らせて渋々言い返す。
 鍵屋崎は俺の反論を無視して眼鏡の位置を直す。
 「四百歩目まで忍耐がもつ自信がない。よって四捨五入を選導入した」
 その口ぶりから相当苛立ってる事が伝わってきた。
 注意してよく見れば偉ぶって腕組みしたままトントンと肘を叩いてる。リズムをとるように忙しく動く指に本人は気付いてるのかいないのか、眼鏡越しの目を鋭くした鍵屋崎が吐き捨てるように言う。
 「時間がもったいないから率直に結論を述べる。無意味な行為はやめろ。以上」
 見てるこちらまで不快になるとでも言いたげな口調に反発が湧く。
 見てんのはそっちの勝手だろ、見たくなきゃとっとと出てけよ。
 反感を込めて鍵屋崎を睨み付ける。
 鍵屋崎は不敵に俺の視線を跳ね返す。
 この野郎、触角掴んで吊るしたゴキブリの死骸を鼻先に突き出してやろうか?鍵屋崎が顔面蒼白で腰抜かすさまを思い浮かべてちょっとだけ溜飲を下げる。俺の妄想などいざ知らず、壁に寄りかかった鍵屋崎が実験動物のデータでも読み上げるように淡々と言う。
 「閉所恐怖症のモルモット特有の強迫的な行動の反復。焦燥の兆候、暴走の前兆。ロン、君がどんなに焦ったところでレイジは帰ってこない。自身を責めたところで始まらない。大人しく房に待機して帰還を待て」
 平板な口調からはさっぱり内面が読み取れない。
 本気で言ってるのか嘘をついてるのかも判然としない。
 鍵屋崎の言い分はもっともだと頭の片隅で理性が囁く。
 俺がどんなに焦れたところでレイジが帰ってくるわきゃないのだと諦念にも似た脱力感に襲われる。
 一方で鍵屋崎の言葉を鵜呑みにする事に抵抗を感じ、自分には何も出来ないと諦めて房に引きこもってるしかない現状に猛烈な反発とやり場のない怒りを覚える。
 本当にそれでいいのかよ?
 本当にそれで後悔しないのかよ、俺は。
 レイジが今頃どんな目に遭わされてるかわからねえってのに、ヨンイルや安田がどんな目に遭わされるかわかんねえって状況で房に引っ込んでぐるぐる歩き回ってるだけで本当にいいのかよ。
 鍵屋崎はアイツらが心配じゃないのか?
 アイツらが心配で俺の房にきたんじゃないのか?
 同じ境遇の俺と不安を分かち合いたくて何も言わず壁際に突っ立ってんだろうと鍵屋崎を見返し、精一杯挑発する。
 「……お前は心配じゃねーのかよ」
 思わずそう口走っていた。
 尖った険を含んだ非難の響きに俺自身ぎょっとする。
 俺が四百歩目を達成するまで余裕で待てそうな風情で立ち尽くしてたサムライも、物騒な気配に反応して壁から背中を起こす。
 険悪な雰囲気。
 「なんでそんな冷静でいられるんだよ。レイジは俺たちを庇って所長に連れてかれたんだぜ。レイジだけじゃねえ、ヨンイルと安田だって……アイツらが全部罪を被ってくれたおかげで俺たちは何のお咎めもうけずに済んだのに」
 どうしてそんな冷静でいられるんだよ、お前は。ちょっと冷たすぎやしねえか。
 鍵屋崎だけじゃねえ、サムライもだ。
 お前ら二人してなんでそんな冷静でいられるんだよ。
 大事な仲間が連れてかれたってのにどうしてそんんなに冷静でいられるんだ、冷静に帰りを待てるんだ?変態サド所長と変態サド皇帝に仲間が嬲り者にされてるのは間違いないのに、どうしてそんな憎たらしい程落ち着いてられるんだよ。
 「………っ」
 胸が痛む。
 レイジがいなくて不安だ。
 帰ってこなくて不安だ。
 シャツの胸を掴んで項垂れた俺に咄嗟に歩み寄ろうとした鍵屋崎をサムライが肩を掴んで止める。
 鍵屋崎がサムライの顔色を窺う。
 サムライが静かに首を振る。
 たったそれだけで互いの気持ちが通じ合い、でしゃばりな鍵屋崎が大人しく引き下がる。
 見せつけんじゃねえよ畜生。
 少しは人の気持ちも考えろ。
 鍵屋崎の隣にはサムライがいる。まだ火傷の癒えてないサムライは長袖の下に包帯を巻いて、時折捲れる袖口から純白の端切れが覗くのが痛々しい。
 サムライは身を焼く炎も恐れず鍵屋崎を助けにいった。
 それなのに俺は。
 俺は。
 「………お前らはいいよな。二人一緒にいさえすりゃそれで満足だもんな。他のヤツがどうなろうが知ったこっちゃねーよな」
 むざむざレイジを見殺しにしちまった。
 サムライの腕を自力で振り解く事ができず、レイジが連れてかれるのを黙って見送るしかなかった。
 サムライとは大違いだ。
 鍵屋崎とは大違いだ。
 二人への憧れと嫉妬とあまりに無力な俺自身への嫌気がごっちゃになって、床に視線を落としたまま淡々と続ける。
 「なあサムライ、お前は鍵屋崎さえ無事ならそれでいいんだろ。文句ねーだろ。だから今だってそうやって落ち着いてられるんだよな、レイジやヨンイルや安田が死にかけようがどうでもいいってでかでかツラに書いて突っ立ってられるんだよな?今頃レイジが鞭打たれてヨンイルが裸に剥かれて安田が絡みを強要されてても鍵屋崎の貞操さえ守りぬけりゃそれでいいって思ってんだろ実際。邪魔なヨンイルが消えてくれりゃせいせいするって思ってるんだろ」
 「ロン!」
 鍵屋崎が鋭く叫ぶ。
 それ以上サムライを侮辱したら許さないといった決然とした響き。
 俺は唇を噛む。
 こんなのただの八つ当たりだ。
 みっともない、見苦しい、最高にかっこ悪い。
 サムライを責めて何になる?
 何にもならないと俺自身いちばんよくわかってるのにねちねちサムライを詰るのをやめられない。
 心の底からどす黒い悪意が溢れ出す。
 目の粗い鑢で削がれたように神経がささくれだつ。
 俺だってあの時サムライが止めなけりゃ鍵屋崎が出すぎた真似をしなけりゃレイジに駆け寄ってた、一緒に罰をうけていた。コイツらが邪魔したせいで俺とレイジは離れ離れになった、またレイジをひとりぼっちにさせちまった。 

 全部こいつらのせいで。
 こいつらさえいなけりゃ、

 「なあ、俺の言ってること間違ってるか?天才のご意見聞かせてくれよ」
 喧嘩上等な物腰で鍵屋崎に噛み付く。
 鍵屋崎の顔が強張る。
 「サムライは全身に火傷を負ってまで炎の中にお前を取り戻しに行ったのにレイジたちのピンチには何で指一本動かさなかったんだよ?お前さえ無事ならあとはどうでもいいからだろ、どうなろうが構わねえんだろ?結局お前らは互いが無事ならそれでいいんだもんな、俺の事もレイジの事も仲間だなんてこれっぽっちも思ってないんだよな、ヨンイルや安田なんざ最初から眼中に入ってないんだもんな!まったく薄情なヤツらだぜ、どうりで東京プリズン来るまでダチがいなかったワケだ、お前らみてえに薄情な連中とダチになりたい物好きなんざ娑婆にいるわきゃねーよ!!」
 一旦堰を切った言葉は止まらない。
 床を蹴りつけ腕を振りかぶり天井を仰いで癇癪を爆発させる俺をよそに鍵屋崎とサムライは沈痛に押し黙る。理不尽な糾弾が真実だと肯定するように。
 なんだよ。
 俺だけ悪者かよ畜生、被害者ぶりやがって。
 激情に任せて壁を殴る。
 分厚いコンクリ壁をぶん殴ったせいで手がじんと痺れて甲に擦り傷ができた。
 手の甲の痛みに目に涙が滲む。
 鍵屋崎とサムライに責任転嫁して当り散らすしかない自分があんまりみじめで情けなくて悔しくて、俺は絶叫する。
 「なんで所長を止めなかったんだよ、レイジを助けてくれなかったんだよ、ダチのために動いてくれなかったんだよ!」
 お互いのためなら命も投げ捨てるくせに、レイジやヨンイルや安田には指一本動かす価値もねえってか?
 「お前がっ、お前らがあの時止めたりしなきゃ俺はずっとレイジのそばについててやれたのに今だってアイツのそばにいてやれたのに、なんだってお前らは余計な事すんだよ!?どうせお互いしか目に入ってねえならお互いの事だけ考えてりゃいいだろ、俺を巻き込むなよ畜生、俺はただレイジと一緒にいたいんだよ!」
 レイジがどんな目に遭わされてるか想像するだけではらわた煮えくり返る。
 サーシャに犯されるレイジ……いやだ。
 俺のレイジにさわるな、俺のレイジを抱くな、俺のレイジにさわるな。

 脳裏を過ぎる最悪の想像。
 軍服を着崩したサーシャに抱かれて淫らに喘ぐレイジの姿……

 「どこに行くんだロン!?」
 鍵屋崎の声を背に走り出す。
 鉄扉を開け放って廊下に飛び出そうとして後ろ襟を掴んで引き戻される。あらん限りの憎悪を剥き出しに振り返る。
 俺の剣幕にぎょっとした鍵屋崎が、それでも後ろ襟を掴む手を緩めず叱責を飛ばす。
 「冷静になれ!所長室は囚人立ち入り禁止だ、君が行ったところで追い返されるのがおちだ!!」
 「だから放っとけってのか、房に引っ込んで見殺しにしろってのかよ!?」
 「必ず帰ってくると約束したレイジを信じるんだ」
 鍵屋崎の顔が悲痛に歪む。
 痛みを堪えるように俯く鍵屋崎を真っ直ぐ見つめ返し、毒々しく唇をねじる。
 『膿包』
 「な、んだと?」
 鍵屋崎がうろたえる。
 俺は一歩も引かずに鍵屋崎を見返す。
 鍵屋崎の背後にはサムライがいる。
 鍵屋崎に手を出した瞬間、鬼の形相に変じたサムライがしゃしゃりでてくるのは明白だ。
 頼もしい用心棒を一瞥、今度ははっきりと嘲笑を浮かべる。
 鍵屋崎の喉仏がぎこちなく上下し、生唾が喉をすべりおちる。
 「お偉い天才なら台湾語の悪態くらい勿論知ってるよな。まさかわかんないのか?じゃあ説明してやるよ」
 体ごと鍵屋崎に向き直る。無造作に手を伸ばして胸ぐらを掴む。
 胸ぐら締め上げられた鍵屋崎の顔が苦痛に歪むのをひどく残忍な気分で堪能する。嗜虐の疼きを堪えて鍵屋崎が呻くのを眺め、嘲りを含んだ口調で畳み掛ける。
 「膿包。もとは出来物の意味。そこから転じて『役立たず』をさす悪態になった。聞こえたか鍵屋崎?役立たずはひっこんでろって言ったんだよ」
 苦悶する鍵屋崎の鼻先に顔を突き出し、精一杯凄味を利かせて啖呵を切る。
 眼鏡のレンズに俺が映る。
 鍵屋崎を平然と「役立たず」呼ばわりし、恐ろしく冷たい表情で追い討ちをかける。
 「仲間を助ける気がねえなら房に引っ込んでサムライと乳繰り合ってろ」
 胸ぐら締め上げる握力を強める。
 息の通り道を妨げられて苦しみもがく鍵屋崎に痺れを切らしたサムライが顔色変えて歩み出る。
 鍵屋崎を邪険に突き放す。
 後方によろめく鍵屋崎をサムライが素早く支え起こす。
 鼻梁にずれた眼鏡の向こう、朦朧とした半眼で俺を仰ぎ鍵屋崎が反駁する。
 「この、IQ180の天才が役立たずだと?」
 鍵屋崎が軽く咳き込む。サムライが優しくその背をさする。
 互いに労わりあう姿が嗜虐心を刺激し、腹の奥底で悪意がうねり蠢く。
 怖い顔のサムライと喉を押さえて咳き込む鍵屋崎を等分に見比べ、最大限の不快感を与えようと口角をねじりあげる。
 「ヤるならレイジのベッドでな。俺のベッド汚されちゃ後始末が面倒だ」
 殺気が膨らむ。サムライの顔に怒気が迸る。
 今にも斬りかからんばかりの剣幕でいきり立つサムライをよそに廊下を走り出す。
 鍵屋崎が何かを叫ぶが聞こえないふりをする。
 どうせ下らない事だ、耳を貸す価値もないと一方的に切り捨てる。
 脳裏を過ぎる鍵屋崎の顔。
 面と向かって「役立たず」と罵られ、驚愕した顔。
 「はっ、ははっ。ばっかみてえ」
 一散に走りながら哄笑する。
 めざすは所長室。
 所長室に通じる廊下は特別の許可を得た囚人と看守以外立ち入り禁止で常に二人組の看守が見張ってるが、一旦走り出したらもう止まらない。
 所長室に殴りこんでレイジを取り戻すまで絶対引き下がらないと覚悟を決めて更に速度を上げて廊下をすっとばす。
 鍵屋崎とサムライは房に引っ込んで乳繰り合ってりゃいい。
 アイツらにはもう何も期待しねえと自分に言い聞かせて仮初の平静さを保ち、癇癪もちのガキみたいに二人に当り散らした自己嫌悪をごまかす。

 役立たずはどっちだよ。
 相棒のピンチに出遅れた役立たずはどっちだよ。
 鍵屋崎とサムライを口汚く罵って、結局は無力な自分と向き合うのがイヤで、核心をすりかえて他人を攻撃しただけじゃないか。
 情けない俺。見苦しい俺。最低だ、俺。
 鍵屋崎もサムライも俺が心配で房に来てくれたのに……

 「レイジ」
 サムライは鍵屋崎を救いに炎にとびこんだ。なら俺だって見張りの包囲網を突破して所長室にとびこめるはずだ。サムライにできたことが俺にできないはずがない、俺がレイジを好きな気持ちがサムライが鍵屋崎を好きな気持ちに負けるはずないとがむしゃらに自分を奮い立たせて足を繰り出す。
 俺だって自分一人の力でレイジを助けだせる、サムライや鍵屋崎に頼らなくても相棒を助けられる。
 あんな役立たずどもの力を借りなくてもレイジを助け出せる。
 池袋のチームに身を寄せていた頃、悪趣味な遊びの的にされた梅花を助け出したように……
 所長室へと続く廊下をひた走る。
 左右の壁に並んだ鉄扉が視界に入り、すぐまた後方に流れ去る。
 次第に所長室が近付いてくる。
 この廊下を抜ければ所長室へと至る通路だ。
 所長室への直通路は指紋照合でしか開かない重金属の扉に阻まれているが、腕の一本二本へし折られる覚悟で看守にかけあって通してもら………
 「!?っあぐ、」
 衝撃が来た。
 何が起こったか瞬時にわからなかった。
 がくんと体が傾いで視界が反転、一瞬の滞空のあと床に投げ出される。
 転倒。
 床を滑った勢いで肘と顔を擦りむく。
 ひりつく痛みを堪えて体を起こそうとして、脇から伸びた手に掴まれて暗闇に引きずりこまれる。
 なんだ?
 わけがわからないまま激しく暴れて抵抗するも身をよじるごとに手が一本二本と増えて暗闇に引きずり込もうとする力が増す。相手はひとりじゃない。最低でも三人以上いると確信する。
 鉄扉の奥に潜んだ連中が尻上がりの台湾語で叫び交わし、暴力的な物音と殺気立った喧騒が伝わってくる。
 台湾語?
 相手は俺と同じ台湾人?
 誰だ?
 その時漸く気付いた、ハデに転倒したのは房から突き出でた足にひっかけられたからだと。鉄扉の隙間から不意に突き出た足が前だけ見て突っ走る俺の足元をすくいやがったのだ。
 「はなせよ、急いでるんだよ、おまえらの悪ふざけに付き合ってる暇ねーんだよ!大事な相棒がひどい目に遭わされてるって時にお前らと遊んでやるほどこっちは心が広くね……」
 言葉が途切れる。手で口を塞がれた。
 暗闇に潜んだ連中は本気だ、本気で俺を引きずり込もうとしてる。
 口を塞がれたのは悲鳴が漏れるとまずいから、助けを呼ぶ声が外に聞こえるとまずいからだ。
 用意周到。
 心臓が不吉に高鳴る。全身に冷や汗が滲む。
 眼前で荒々しく鉄扉が閉じ、廊下の光を遮断する。
 獣じみて荒い息遣いがすぐ耳元で弾ける。
 耳の裏側がじっとり湿る。
 これからどんな目に遭わされるか想像しただけで気が狂いそうだ。あと少しでレイジに会えるってのに、こんな所で顔も知らない連中にとっ捕まって嬲り殺されたりでもしたら無念で成仏できねえ。
 「急いでどこ行く気だよ、半々。こっから先は所長のプライベート空間だぜ」
 舐めくさった嘲弄にはっと顔を上げる。
 聞き覚えある声だ。
 暗闇に目が慣れるのを待ってあたりを見回せば周囲には四人の囚人がいて、それぞれ俺に圧し掛かって抵抗を封じ込んでいた。いずれも闇に沈んでるせいで目鼻立ちはおぼろげにしか判別できない。
 ただでさえ狭苦しい房に俺を含めて五人が詰め込まれてるせいか、裸電球を消した暗闇じゃ格子窓から射し込む弱々しい明かりだけが唯一の光源なせいか、不快な湿気と熱気と閉塞感がじわじわ毛穴を塞いでくる。
 襲撃犯の正体を突き止めたい一心で暗闇に目を凝らす。
 「………孝賢」
 ごくりと唾を飲む。
 今期の班替えで一緒になった、ことあるごとに俺を目の敵にしてるガキがそこにいた。
 「久しぶりだな、ロン。といっても三時間ぶりか?ついさっき別れたばっかで顔見忘れちまったなんて言うなよな、いくら中国人が物覚え悪いからって限度があるだろうが」
 脂っこいニキビ面に下劣な笑みを湛えた孝賢の揶揄に仲間が追従する。くそ、面倒くさいヤツに捕まっちまった。日頃の態度からいつかこんなことになるんじゃないかと警戒していたが、よりにもよって今日行動に出るとはツイてねえ。 
 「まさか。ちゃんと覚えてるよ。ニキビを潰して膿をとばすのが趣味の孝賢だろ?お前のその趣味のせいで班の連中が迷惑してるって知ってたか?お前のそのばっちィ手でさわられると肌がかぶれるんだとさ、気の毒に」
 床に転がって卑屈な笑い声を立てる。
 潮が引くように周囲の笑い声が止み、空気が帯電したように殺気が膨らむ。ニキビ痕も生々しい孝賢が険悪な表情で俺の胸ぐらを掴み、むりやり顔を上げさせる。
 「お前に会わせたい人がいるんだ」
 ヤツじゃなくて人。敬意を払った呼称に違和感が根ざす。
 「会わせたい人?」
 反射的にレイジを思い浮かべる。
 かぶりを振って追い散らす。
 そりゃ俺が会いたいヤツだろと自分につっこむ。
 孝賢が俺に会わせたいヤツなんてどうせろくなヤツじゃねえとうんざり予想してため息を吐く。孝賢が俺の胸ぐらを掴んだまま背後の連中に顎をしゃくり何かを指示、両隣の囚人がすばやく道を空ける。死刑執行人のお出ましってか?くそったれ。
 「俺に会わせたいヤツって、誰だよそりゃ。初恋の女でも連れてきてくれるのか」
 内心の怯えを吹っ飛ばすように軽口を叩く。
 虚勢を張る俺を見下ろして孝賢がさも愉快げにほくそえむ。
 俺の耳朶に口を近付け、生温かい吐息に交えて囁く。
 『弥朋友』
 俺の、ダチ?
 真っ先にレイジが浮かぶ。
 続いて鍵屋崎とサムライ、ヨンイルが脳裏を過ぎる。
 まさか。
 さっき別れたばっかの鍵屋崎とサムライがここにいるわきゃないし、今もって所長室に拘束中のレイジとヨンイルが現れる可能性は限りなく低い。じゃあ誰だ?誰だよ俺のダチって。
 情けない話、俺にはアイツら以外にダチなんていない。
 娑婆にいた頃は中国人の血が混ざったガキだってだけで除け者にされて、池袋のチームにいた頃だって……

 まさか。

 動悸が限りなく速まる。
 全身の血が逆流する戦慄を味わう。 
 頭上に落下した本棚。一歩間違えりゃ自重で押し潰されていた。本が一杯に詰まった本棚を投げ落とせる人物に心当たりは……
 ひとり、いる。
 スチール缶を素手で握りつぶす桁外れの握力の持ち主。
 栓を開ける前の缶ビールを素手でへこませることもアイツは出来た。
 銀の右目と金の左目。
 小作りで端正な顔だちに非人間的な冷酷さを付与する金属質のオッドアイ。
 廃工場では悪趣味な遊びに興じ『お願い道了やめてロンにひどいことしないで』梅花を的に酒瓶ぶん投げて『助けて』俺の鳩尾に缶ビールをめりこませて『梅花は俺の物だ』低く宣言『お前も俺の物だ』シャツの裾を掴んで肌を暴いてー……
  
 恐怖に身を竦めた俺の眼前に、一人の男が現れる。
 記憶の中から現れた金銀の目、人間として致命的な無表情。
 顔筋の基本的な動かし方を知らないといったふうな表情の無さ。
 思考回路が完璧壊れちまってるような。
 銀のメッシュを入れた短髪の下、線の鋭さが際立つ端正な容貌に一片の感慨も浮かべず、機械仕掛けの殺人人形が怠惰に口を開く。

 『好久不見了。我人人地獄来』
 
 二度と会いたくない男だった。

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少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050417222649 | 編集
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