ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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四話

 「リョウさんあんたってひとはほんとにもー、人をどん底に突き落とす天才っスね」
 「TPOをわきまえない二人が悪いのさ。自業自得だよ」
 緊急放送で夕食を中断された囚人が不満たらたら移動を開始する。
 食堂を出発した大群に混ざり、腹八分目の僕とビバリーもえっちらおっちら歩き出す。
 ぞろぞろと廊下を占拠する囚人たちの間では冗談半分好奇心半分さまざまな憶測が飛び交っている。
 いわく「某国のミサイルがおちた」「日本以外全部沈没」「タジマ弟が病院脱走してヘリジャック、今まさにこっちに向かってるんだ」などなど……
 最後のはマジ勘弁。
 今のところ災害説が有力だけど所長のお話を拝聴するまで真相はわからない。
 「どうでもいいけどさー、所長のお話聞くためにわざわざ視聴覚ホールに行かなきゃいけないの?面倒くさいなあ」
 「最近弛んでますよ、リョウさん。天敵いなくなったからってだらけすぎっス」
 隣を行くビバリーが呆れ顔で指摘。
 天敵……静流。
 そうだ、静流はいなくなった。
 炉の灰となって東京プリズンから消えた。万歳。
 看守に命令して僕を輪姦させた上にクスリやらロープやらをゆすりとったアイツはもういないのだと現実と照らし合わせて再認識、清清しい開放感を満喫する。
 自然と足取りも軽くなる。
 「変わり身はやいってゆーかフキンシンにゲンキンってゆーか、天敵いなくなった途端に即復活なんてリョウさんらしいっスね」
 「とーぜん!僕の弱味掴んでるヤツが消えてくれて今最っ高にしあわせ。人生が楽しくてしょうがない。神様に感謝したい気分」
 両手を広げる僕にビバリーがため息を吐く。
 静流がいなくなってせいせいした。人生ばら色だ。
 これで残り収監日数を何ら憂いなく楽しく過ごせると今の僕は有頂天に舞い上がっている。さようなら灰色の日々。寝ても覚めても四六時中静流の影にびくついてたチキンハートにバイバイ。

 一ヶ月前、鍵屋崎を拉致って消えた静流の死亡が宣告された。
 レッドワーク焼却炉における転落事故が死亡原因らしいけど、詳細はわからない。
 焼却炉に落ちた遺体の回収は不可能。
 ならなんで静流が死んだとわかるんだという疑問は目撃者の存在で解消された。
 現場に居合わせた鍵屋崎とサムライが焼却炉におちて炎に包まれた静流の最期をしっかり証言したのだ。

 なんでその場にサムライがいたのかとか静流とサムライの間に何があったのかとか矛盾をつつけばきりがないけど、とにかく僕は静流が消えてくれただけで万々歳。クスリに頼らなくても最高にハッピーな気分がここ一ヶ月持続している。
 これでもう僕の弱味を掴んで脅迫するヤツはどこにもいないと胸を撫で下ろす。
 ……ん?なにか大事なこと忘れてるような。なんだっけ?
 腕を組んで首を傾げる。
 脳の奥で違和感が膨らむ。
 一体どの箇所にひっかかったんだろうと思考を遡る。
 『これでもう僕の弱味を掴んで脅迫するヤツはどこにもいない』……本当に?何か大事なことを忘れてないかと眉間に皺を刻む。
 「あー、もう少しなのに出てこない!いらいらするっ!」
 あともう少し、もう少しで思い出せそうなのに。
 突如暴れだした僕の背中をビバリーが「どうどう」とさすって宥める。出稼ぎの子守女みたいに癇癪のツボを心得た手つき。伊達に長い付き合いじゃないビバリーは僕の扱い方を心得ている。
 「らしくないな」
 「!」
 はじかれたように顔を上げる。
 僕の視線の先、5メートル前方に鍵屋崎ご一行がいた。
 手足を振り回すのをやめて背後に接近、鍵屋崎の言葉に耳をそばだてる。盗み聞き。ビバリーが咎めるように上着の裾を引っ張るのを振り切り、鍵屋崎の表情と口の動きに集中する。 
 サムライとロンは前を歩いていた。
 憤然と歩くロンを先頭に半歩遅れてサムライ、さらに遅れて鍵屋崎とレイジが並ぶ妙な組み合わせ。
 本来ならレイジとロン、鍵屋崎とサムライが四人二組になるはずなのに、食堂で恥ずかしい姿を披露した腹立ち治まらず大股に突き進むロンが迷子にならぬようにとお目付け役の侍がぴったり尾行する様子が微笑ましい。ある意味抜群のチームワーク、それぞれの立場と役割を弁えた最高の配置だ。
 付かず離れずの距離のサムライとロンを目で追いつつ、レイジと並んで歩く鍵屋崎が思案げに眉をひそめる。
 「前回と同じだ。前回はロンとの初夜の内容を食堂で暴露して不興を買ったというのに、性懲りなく同じ事を繰り返すなど学習能力が欠如してるとしか思えない。君らしくないぞ、レイジ。君がいかに品性下劣で性欲旺盛な男かは正しく現状認識しているつもりだが、ロンが本気で嫌がる事は二度としないと買いかぶっていたのだが」
 眼鏡越しの目が真意を推し量るように細まる。
 相手の心に切り込む鋭い眼光、眼鏡のレンズをも突き抜ける冷徹な眼差し。
 レイジは頭の後ろで手を組み鼻歌を唄っている。
 あくまでとぼける気か?
 聞こえぬふりで答えを拒否る態度に不快指数が跳ね上がったらしく、鍵屋崎の声が氷点下で凍る。
 「ロンの昔の男に嫉妬したのか?」
 鼻歌が不自然に途切れる。不均衡な沈黙。
 周囲の雑音が膨れ上がるのに反比例し、鍵屋崎とレイジのまわりだけ静寂が訪れる。すぐ背後の僕とビバリーも沈黙の重圧に唾を呑む。空気が帯電したように緊張が高まる。
 鍵屋崎とレイジが一瞬目を見交わす。
 長く伸びた前髪の奥、光加減で猫科の黄金にも似る目が細まる。
 知的な銀縁眼鏡の奥、涼しげな切れ長の目が屹然とした意志を宿す。
 「……勘違いすんなよ、キーストア」
 レイジが低く凄味のある声を発する。
 背筋がぞくりとする艶っぽい囁き。
 均整取れた長身をやや前屈みにして鍵屋崎の肩に凭れ掛かる。
 鍵屋崎は動じない。
 肉食獣の大胆でさもって縄張りを侵すレイジにも表立って動揺する事なく悠然と構えている。
 正論を嵩にきて人を見下す不敵な表情、自分にはそうする特権があると信じて疑わない生来の傲慢さ。
 鍵屋崎の肩に顎を載せたレイジが、耳朶を噛み千切るような動作でもって口を開く。
 「ロンの男は俺だけだ。昔も今もな」
 「なら何故そんなに苛立ってる」
 鍵屋崎が不思議そうに聞く。レイジが顔を顰める。 
 「苛立ってなんかねーよ」
 「食堂のアレはなんだ。大方ロンの頭上に本棚を落下させた犯人に対する牽制だろう?ロンが自分の物だと知らしめて手を出すなと宣戦布告したのか。余裕がないぞ、王様」
 「うるせえ。ほっとけ」
 鍵屋崎があきれたふうにかぶりを振り、神経質な指先でブリッジを押さえる。
 「性急だな。ロンに危害を加えようとした人間が東棟の囚人だと決まったわけじゃない。あの時図書室には東西南北の囚人がいた、ロンを狙った犯人が他棟の可能性も十分ある。食堂でロンを愛撫するなど破廉恥な行為に及んでも肝心の犯人が東棟に該当しなければ体当たりの牽制もなんら意味を成さない、単にロンの不興を買って終わるだけだ。君が一方的に不利益を被るだけだぞ?少しは自重しろ」 
 苦言を呈する鍵屋崎の肩にだらしなく寄りかかったまま、ふてくされたガキみたいに押し黙っていたレイジが放り出すように言う。    
 「……東の人間だろうがそうじゃなかろうが関係ねーよ。俺はただ、ロンを独占したいだけだ。完全に俺の物にしたいだけだ。ロンに手を出す命知らずは暴君が焼き滅ぼす。ロンに疵一つでもつけたら命で償ってもらうさ」
 「……呆れた男だ。僕の説得はまるきり無駄か」
 鍵屋崎の顔が疲労に翳る。
 「……ロンは犯人に心当たりがある」
 確信を込めた断言。
 「僕が犯人の外見特徴を述べた瞬間に表情が変わった。おそらく犯人はロンの知り合いだ。過去に因縁があるのかもしれない。何らかの理由でロンを恨んでいる可能性もある。今後もロンに危害を加えるかもしれない」
 「俺がいるさ」
 レイジが挑戦的に笑う。
 十字架の鎖に気障ったらしく指を絡め、掌にのせた十字架の疵だらけの表面にキスをする。
 伏せた睫毛の長さに見惚れる。
 神聖な光景。
 「俺以外の男には指一本ふれさせない。ロンは俺が守る」
 誓いを立てるように十字架を握り締める。
 鍵屋崎の視線の先にはロンとサムライがいる。
 ひとりずんずんと大股に突き進むロン、その背後を歩むサムライが「そんなに速く歩くと転ぶぞ」とお節介を焼く。
 言うが早いが絶妙のタイミングでロンがこける。
 ロンが前のめりにたたらを踏んだ瞬間、背後に控えたサムライが素早く肘を掴んで引き戻す。
 「……早速触れているが」
 「サムライはいーの。例外。アイツはお前しか見てないから」
 レイジが「わかりきったこと言わせんな」とぞんざいに手を振り、鍵屋崎が憮然と口を噤む。
 行進再開。
 無言で歩き出した鍵屋崎から隣のビバリーに目を移す。
 「ロンの昔の男出現か。楽しくなってきたね、こりゃ」
 「リョウさんだけっしょ。もうトラブルはこりごりっすよ」
 ビバリーがおどけて首を竦める。
 可哀想に、恋人に先立たれた傷心がまだ癒えてないのだ。
 危なっかしいロンに付き添うサムライ、二人並んで歩くレイジと鍵屋崎から尾行を気付かれない距離を保って廊下を進むうちに中央棟に到着。
 東西南北の囚人が流入した中央棟は底が抜けんばかりの大騒ぎで、視聴覚ホールに辿り着く前に死屍累々と行き倒れるヤツらが続出した。
 僕らが何とか無事視聴覚ホールに辿り着けたのは王様ご一行の後塵を拝したおかげ、王様の後光のおかげだ。
 東棟イチの実力者、ひるがえっては東京プリズン№1の実力者レイジの顔は先のペア戦で東西南北に知れ渡った無敵の通行証だ。レイジのすぐ後を歩く僕たちは、王様のお成りにびびりまくったヤツらが両岸に退いた道を行けばいい。
 らくちんらくちん。

 視聴覚ホールに到着。

 中は既に満員御礼だけど、王様一行は構わずずんずん進んでいく。王様の金魚のフンもあとに続く。
 「げっレイジだ!」
 「逃げろ、殺されるぞ!」
 ……レイジの顔を見たヤツらが泡を食って逃げ出す中、当の本人は「うひゃー盛況だね」と小手を翳してはしゃいでいる。 
 「すごい人っスねえ。視聴覚ホールに入れなかった連中が廊下に溢れかてるっス」
 視聴覚ホールからあぶれた連中を振り返り、ビバリーが気の毒がる。
 全囚人を視聴覚ホールに集めるのは無理がある。
 どだい三万人が入りきるわけない。三割が限界だ。その三割も人権を無視してぎゅうぎゅうに押し込んだ結果なわけで、人口飽和状態の視聴覚ホールはお世辞にも快適とは言い難く心なし酸素が薄まってる。体は殆ど動かない。立錐の余地もないって表現がどんな状況をさすのか体感する。
 「リョウさん半径1メートル以内を出ないでください、迷子になっちゃったら二度と会えないっスから!」
 「ビバリー、絶対離れないでね!今見捨てられたら僕ボロ雑巾のようにズタボロにされてポイされる運命だからっ」
 ビバリーの物言いも決して大袈裟じゃない。
 人込みに溺れてあっぷあっぷしながら必死にビバリーの手を掴む。
 ふと見れば鍵屋崎も似たような状態だ。
 「畜生、こんなに人がいたんじゃ前のほうで何が起こってるかさっぱりだよ!」
 喧騒が鼓膜を圧する。暴動の兆候。
 サムライがさりげなく鍵屋崎を庇う。
 レイジがロンを庇う。
 僕とビバリーは離れ離れにならないようしっかり手を繋ぎ合う……
 キィン、と耳に痛い金属音がした。
 超音波にも似た金属音が突如雑音を圧して響き渡り、囚人たちが堪らず耳を覆う。
 『静粛に』
 威厳に溢れた第一声がマイクを通して拡声される。
 耳鳴りが止むのを待ち、おそるおそる手を放した囚人たちが正面を仰ぐ。
 視聴覚ホールの正面。
 三段ほど高くなった場所に設置された演台に一人の男が立っている。
 爬虫類と酷似した陰険な双眸を嗜虐の光に濡らし、神経質な鼻梁に不快な皺を寄せ、薄い唇を癇性に痙攣させる。
 視聴覚ホールに集まった囚人たちを縁なし眼鏡の奥の双眸で油断なく睥睨、その一挙手一投足を制限するように眼光で圧する。

 東京少年刑務所所長、但馬冬樹。

 「ようやくおでましだ」
 興奮に弾んだ声で呟く。
 所長の背後には存在感を消して副所長が控えている。
 きちんとオールバックにした髪、銀縁眼鏡が似合う端正な風貌の壮年男性……安田。犬に欲情する変態と同列扱いされるのを固辞するかの如く上司から距離をおいている。
 所長が視聴覚ホールを見回す。
 潮が引くように雑音が止む。
 所長の視線にひと撫でされた囚人がそそくさと目を逸らす。
 挙動不審に俯く囚人たちのただなかで平静を保っているのはごくわずかな例外のみ。
 「もったいぶった登場の仕方」 
 皮肉に笑うレイジ。
 「裁判官か?」
 嫌味を言う鍵屋崎。
 「虫唾が走る」
 苦々しく顔を歪めるロン。
 「同感だ」
 思慮深く首肯するサムライ。
 四人それぞれの呟きが届かなかったのか、壇上に佇立した所長は改めてマイクを握り、冷静さを吸い込むように深呼吸……  
 威儀を正してご託宣を発する。
 『重畳なり、囚人諸君。先の放送から三十二分四十秒が経過、怠惰と怠慢が習慣化した家畜としてはなかなか統率がとれた行進だったと褒めておく。三十分以内に集まればなお良かったが諸君らが汚らしく餌を貪り食らっている最中だった事も踏まえて苦言は控える。私は寛容な人間なのだ』
 「どこがだよ」
 レイジがつっこむ。

 『先の放送で予告した通り所長直々に重大発表を行う。視聴覚ホールの外の囚人もよく聞きたまえ、君らの命運を左右する緊急事態が起こったのだ。無関心は処罰の対象とする。繰り返す。これより私が発表する事は囚人諸君はもとより東京プリズン全体の命運を左右する問題なのだ』

 異論反論を一切許さない弾圧の姿勢を誇示、抑制の利いた口調で告げる。
 切迫した表情から手に汗握る焦燥が伝わってくる。マイクを握り締めた手がぶるぶる震える。無表情に徹して動揺を押し隠そうと努めても激情に駆られているのは明らか。
 所長のただならならぬ様子に動揺が伝染する。
 視聴覚ホールに詰め掛けた囚人がざわめきはじめる。
 「一体なんだっての?東京プリズンでなにが起きたっての?」
 不安を飲み込んでビバリーに縋り付く。ビバリーは蒼白の顔色で押し黙っている。 
 「やっぱミサイルがおちたんだぜ」
 「世界滅亡まで一週間とか」
 「東京プリズンの地下に核シェルターがあるって噂ホントか?」
 「リンチで殺された囚人がゾンビ化してよみがえったんじゃあるめーな……」
 視聴覚ホールに集った一同が所長に注目する。
 狂乱の余熱を孕んだ異様な緊迫感の中、演台に両手を付き、悲嘆に打ちひしがれたか謝罪を乞うているようにも見える前傾姿勢で深々頭を垂れ、憔悴の色濃い所長が苦渋の声音を搾り出す。
 『東京少年刑務所始まって以来の未曾有の大事件が起きた。こんな事になって非常に残念だ。信頼を裏切られた気分だ』
 「だからなにが起きたってのさ、前置き長すぎだって!」
 遂に不満が爆発、所長に食って掛かろうとした僕をビバリーが「どうどう」と押しとどめる。真相を知りたいといきり立つ囚人たちを焦らしに焦らして暴動でも起こさせる魂胆なのか、悲劇の主人公ぶった自己陶酔にひたっているのか、肝心の所長が身動ぎしないまま数分が過ぎる。
 ストレスの蓄積に比例してどよめきが最高潮に達する頃、惰性的な動作で所長が顔を上げる。
 同情を乞う様にたっぷり間をおいて悲哀を演出、泣き濡れて真っ赤に充血した目であたりを見回す。

 『ハルが消えた』
 ………………………………………………………………は?  

 完全な静寂が場を支配する。
 虚ろな沈黙を自分に都合よく解釈した所長が、突如マイクを振り上げて絶叫する。

 『先日私の伴侶にして生涯の親友、種族を超えた絆で心身ともに深く結ばれた愛犬ハルが行方不明となった。副所長の散歩中の出来事だ。副所長の失策だ、彼がリードを付け替えるのに手間どっているあいだにハルは駆け出してしまった。ハルが行方不明になってからはや一日、失踪後24時間が経過しようというのにいまだ行方が掴めず私はハルの身を案じるあまり動悸息切れ眩暈不眠に悩まされている!!
 ああハルよ愛しのハルよお前は今どこにいる、迷路の如く入り組んだ東京プリズンの行き止まりで飢えてはいないか、喉をからしてはいないか、性欲を溜め込んで壁相手に粗相をいたしてないか、1メートル間隔でマーキングをしてはいまいか!?
 おおハルよ、お前の事を考えるだけで私は苦悩に苛まれ睡眠薬を服用しても眠れない。お前の身を案じるあまりトップが神経衰弱に陥っては東京少年刑務所の存続自体が危ぶまれる!!』

 マイク片手にハルへの愛を切々と謳い上げる所長、その剣幕は真剣そのもので一挙手一投足が殺気立っている。
 
 『囚人諸君に召集をかけたのは他でもない。私の魂の伴侶にして生涯の親友、種族を超えた愛の絆で結ばれたハルを見かけた者は即報告せよ!隠し立ては為にならんぞ。但馬ハル、オス、三歳。ドーベルマン。好物はチョコレートだ。人間のオスに欲情する性癖がある。ハルの行方を知る者は即刻名乗り出たまえ。これは所長命令だ!東京少年刑務所には約三万人の囚人がいる、三万人もの囚人が存在するならその何割かは逃走中のハルを目撃したはず、にもかかわらず目撃証言が得られないという事はハルを監禁して身代金を要求しようという悪辣な魂胆に違いない!!』

 「ばっからしい」
 「すわミサイルか日本以外全部沈没かってすっとんできてみりゃ所長の犬ころが逃げ出したって?」
 「変態所長の下の世話に付き合わされちゃ逃げ出したくもなるわな」
 「犬ころに同情」
 「帰ろ帰ろ。晩飯の途中だったんだ」
 あたりに倦怠感が漂う。
 肩透かしを食った囚人たちが三々五々引き上げていく。
 ハルの身を熱烈に案じる所長をよそに、視聴覚ホールを埋めた囚人たちはすっかり白けきった風情で世間話に興じたり下ネタを飛ばしたり小競り合いをおっぱじめる。
 「アルプス一万尺小ヤギのうーえで アルペン踊りをさあ踊りましょ」
 「動物虐待かよ」
 「所長よりマシだろ」
 「ハルもご主人様に愛想が尽きたんだろうさ」 
 「お暇をもらいますワン、てな」
 懐かしい手遊びをはじめるもの調子っ外れな声で唄い出すもの犬の鳴き真似をするもの……所長の演説には見向きもしない。
 「やってらんない。一大事っていうから何かと思って来てみりゃハルの公開捜査かよ」
 うんざり肩を竦めた僕の隣、ビバリーがしきりと首を傾げる。
 「変っスね。所長が犬にさかる変態でも言ってることは間違ってない、こんなに人が沢山いてどうして誰もハルの行方を知らないんでしょ?」
 「知ってても言う気がないだけじゃないの?あんまりばからしくてさ」
 「もしくは……」
 ビバリーが意味深に黙り込む。
 その沈黙に不吉な匂いを嗅ぎ取って身を乗り出す。
 壇上の所長はすっかり興奮している。
 所長の威厳もプライドもかなぐり捨て、行方不明のハルの捜査に血道上げる一人の犬バカに成り下がり、マイクをひっ掴んで涙声を張り上げる。
 『ハルを見つけ出して私のもとに連れてきた者に恩赦を与える』
 爆弾発言。
 視聴覚ホールが瞬時に静まり返る。
 瞳孔が開いた目からとめどなく血涙を流す他は表情筋をぴくりとも動かさず、爬虫類めいた無表情でのべつまくなしに続ける。
 『一年でも五年でも十年でも五十年でも諸君らの望む恩赦を与えようではないか、懲役を軽減しようではないか。ハルは私の伴侶だ。日本の婚姻法が伴侶の種族または性別など瑣末な事にさえこだわらぬなら籍を入れたいと思っている。ハルを無傷で連れ戻した看守には特別手当と出世を約束し、ハルを無傷で連れ戻した囚人には私の独断で恩赦を与える!ハルの身柄の確保最優先で貴君らに檻を出るチャンスを与えようではないか!!』
 視聴覚ホールに音が戻る。
 「マジ、かよ」
 「あのバカ犬を連れ戻せば本当にここを出られるのか?くそったれた刑務所を出て女を抱きにいけるのか」
 「リンチで殺されるのを待たずに大手を振って出てっていいのかよ!?」
 「娑婆のガキに会えるんだな」
 「父ちゃん母ちゃんに会えるんだな」
 「娑婆に出てまた女をヤれるんだな、あんちゃん」
 「そうとも、弟よ」   
 衝撃に硬化した囚人の顔が希望に輝く。
 興奮を孕んだざわめきが活性化し、やがて大歓声が爆発する。
 狂乱。
 所長の口約束を鵜呑みにして先頭切って走り出す者、抜け駆け許さじと慌てて追う者。押し合いへし合い足をひっかけ転ばし合い、エゴ剥き出しの醜い争いを繰り広げてハルの捜索に赴く囚人の中に特別手当に釣られた看守が加わり、怒涛の濁流となって廊下になだれでる。
 『さあ行きたまえ!一刻も早く、一分一秒でも早く私のもとにハルをつれてきた者に恩赦を与える!!』
 恩赦に目が眩んだ囚人どもが廊下に雪崩出たあと、閑散とした視聴覚ホールにとり残された僕とビバリーは、所長の口先に乗せられたバカどもにほとほと呆れ返る。
 「恩赦だって。まっさか」
 「実現するわきゃねっス。実現したら大問題っス」
 がらんとした視聴覚ホールを見回す。
 僕らの他に残っているのはわずかな人数。
 レイジ、ロン、鍵屋崎、サムライ。
 壇上の所長、副所長。
 そして……
 「………前に出たまえ、副所長」
 所長がため息まじりにマイクを置く。
 所長に促されて演台に立った安田が下を向く。
 「なぜハルを逃がした?」
 「故意ではありませんでした」
 「いや、あれは故意だった。君は私に反感を抱いていた。私を苦しめる為にわざとハルを逃がしたのだ」
 被告台に立たされた安田は突如始まった弾劾裁判に苦渋の色を濃くする。
 不条理な理由で詰られる安田を仰ぎ、鍵屋崎が一歩を踏み出す。
 サムライが鍵屋崎の肩を掴む。目が合う。首を振る。
 鍵屋崎が悔しげに唇を噛み、引き下がる。
 「君は以前から私に反抗的だった。私の指導方針が非人道的だと身の程知らずに意見したことさえある。君は以前から囚人に同情的だった。彼ら無能で無価値な家畜どもに感情移入するあまり上に立つ者として冷静な判断ができなくなっていた。まこと嘆かわしい事態だ。エリートの恥だ。そう思わないかね?」
 安田を中心に円を描くように徘徊する所長、その口ぶりが次第に狂熱を帯びていく。
 「君には期待してたのに、まったくもって残念だよ」
 言動の端々に憤激が迸る。性急な歩調で安田を中心に円を描き、ひどく苛立った様子で靴の踵を鳴らす。
 「家畜が好きなら彼らの仲間入りをするか?」
 所長が背広の懐に手を潜らせ何かを掴む。
 懐から出した手を一閃、風切る唸りを上げる鞭が安田を打擲する。
 安田がよろめく。鍵屋崎が息を呑む。ロンの顔が強張る。思わず駆け出しかけた二人をサムライとレイジが制する。
 折檻が始まる。
 「君には、まったく、失望、したよ。ハルの世話ひとつ、満足にできん、とは、エリートもおちぶれたものだな」
 被告台の安田が激しく折檻されて力無くしゃがみこむのを不可視の壁で傍聴席に隔離された僕らはただ呆然と眺めるより他なかった。
 「ハルに、万一の、事があったら、どう責任を、とるつもりだね」
 容赦なく鞭打たれ、安田が体を折り曲げる。
 「やめろ!」
 サムライの制止を振り切り駆け出す鍵屋崎、自ら盾となって所長と安田の間に割り込む。
 その横顔をヒュッと鞭が掠め、眼鏡が後方にはねとぶ。 
 眼鏡が床に落下する。
 鍵屋崎が床に落下した眼鏡に気をとられた隙にその頭上に鞭をかざす―……
 「家畜は死ね」
 サムライが咆哮を上げる。
 「直おおおおおおおおおおおおおおォおおおおおおおおおおおっ!!!」
 突き飛ばした鍵屋崎の身代わりに仁王立ちで鞭を受ける。
 所長が嬉々として哄笑する。
 「胸糞わりィぜ!」
 仲間のピンチにロンが行動を起こす。
 所長めがけて一直線に突っ込んでいくロン、サムライを鞭打つのに夢中で注意力が削がれていた所長はロンを突き倒されてしたたかに背中を強打、その手から弧を描いて鞭が放擲される。
 「今だっ、鍵屋崎と安田を連れて逃げろサムライ!」
 所長とくんずほぐれつしながら喚き散らすロン、その叫びに急き立てられたサムライが鍵屋崎を抱き起こし二人協力して安田を助け起こす。 鍵屋崎に背中を支えられ上体を起こした安田が疵の疼きを堪えて警戒を促す。
 「ロン、前方に注意しろ!『彼』が来る!」
 「え?」
 所長を押し倒したロンの頭上に影がさす。
 反射的に顔を上げる。
 予想外の人物の登場に驚愕、衝撃。
 僕もあんぐり口を開け言葉をなくす。
 悪名高い鉤十字の徽章が付いた帽子を被り、ナチスの軍服を端正に着こなした男が、貴婦人に接吻するように優雅に腰を折って鞭を拾い上げる。
 どこかで見た顔。
 肩で切り揃えた銀髪は雪原の美しさ、健康的な張りと艶をとりもどした肌に映える薄氷の目。悪役の代名詞たるナチスの軍服に身を包み、猛獣使いもかくやとあざやかに腕を一閃して鞭を打ち振ったのは……

 「ご機嫌麗しく久方ぶりとでも挨拶すべきか?主に似てやんちゃの治らぬ王の猫よ」
 
 美しく様変わりしたサーシャだった。 


少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050419205111 | 編集
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