ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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三話

 今日の出来事にはさすがにびびった。
 そりゃそうだ。頭の上から本棚が落下すりゃどんだけ肝っ玉がでかいヤツだって仰天する。一歩間違えりゃぺしゃんこに潰れてた。間違いなく即死だ。本棚はかなりの重量がある。人一人で持ち運ぶのは不可能、何人かが踏ん張り利かせて呼吸を合わせて持ち上げなきゃ無理だ。
 しかも本棚には本が入ったままだった。
 結論。
 俺を殺そうとしたやつはひとりじゃない。複数いる。
 まざまざと恐怖が蘇る。
 『ロンっ!』
 鍵屋崎が俺を呼んだ。
 俺は取っ組み合いに夢中で鍵屋崎のほうを見もしなかった。
 世話焼きな鍵屋崎が俺と凱を引っぺがそうと駆け出してくるのが視界の隅にちらりと入った。無視した。俺は怒りで煮えくり返っていた。品性下劣な野次馬どもの前で宙吊りにされて、上着が捲れてヘソが丸見えになって、せめてもの反発につま先を蹴り上げて凱の顔面を踏もうとじたばたしていた。
 文字通りの悪足掻き。
 凱の子分含む野次馬どもは猫の子みたいに宙吊りにされた俺がこぶしを振り回すさまを指さし、これでもかと爆笑した。
 頭に血が上った。
 逆さ吊りの重力法則だとどっかの天才は指摘したかもしれない。
 泣く子も目を覆う顔面猥褻物こと凱は、逆さ吊りの俺が屈辱と憤怒で顔を真っ赤にするのをたっぷりと視姦し、思う存分嗜虐心を満足させた。
 逆さ吊りにされた俺が凱の肩越しに見たもの。
 満面に下卑た笑みを滴らせる凱、その頭上に垂直に落下する巨大な影。表情が瞬時に強張った。理解を超える事態に動きが止まった。俺が急に大人しくなったのを不審がった凱が肩越しに天を仰ごうとし、

 『どわぎゃああああああああああぁあああっ!!?』
 凱が無造作に俺を放り出す。
 宙に舞った体を浮遊感が包む。

 体重がないかの如く凱の巨腕にぶん投げられた俺は風切る投擲の勢いのままに吹っ飛び床に激突、咄嗟に受身を取って落下の衝撃を軽減、勢いに任せてゴロゴロ床を転がる。
 視界の上下がさかんに入れ替わる。床と天井が交互に来た。
 床を転がるあいだに次なる衝撃が襲った。
 凱にぶん投げられた時とは比べ物にならない特大の衝撃、完膚なき破壊の轟音、濛々と舞い上がり視界を閉ざす膨大な量の埃と抜けた棚から雪崩出る圧倒的な量の本。
 『がはごほっ、なんだこりゃ、前が見えねっ……なにが墜ちてきたんだ一体。ロン、てめえの差し金か!?』
 凱のすぐ耳元でがなりたてる。
 声の方に向き直る暇もなく胸ぐら掴まれて引き上げられる。
 足裏が宙に浮く。
 『知るかよ、関係ねーよ!俺はお前と違って卑怯な真似で喧嘩に勝ったりしね……、』
 語尾が途切れる。埃が晴れるにつれ徐徐に現実が浸透してくる。
 凱と胸ぐら掴み合い、その場に棒立ちになって埃に包まれた向こう岸を凝視する。
 わずか50センチ足らずの距離に本棚が倒れていた。
 二階から落下したと思しき本棚は全長6メートルの巨大な代物で、もし俺たちが取っ組み合ったままその場を動かなけりゃ下敷きになってたのは確実。俺と凱は仲良く睨めっこしたままあの世送りになってた。
 間一髪圧死を免れた俺は、前代未聞の戦慄を味わう。

 普通本棚がおちてくるか?
 ひとりでにおちてくるか?
 まさか。んなわけねえ。

 本棚がひとりでに歩いて二階からダイブするなんざ現実的に考えてありえない。誰かがおとしたんだ。でも誰が?こんな重たい物抱え投げるだけで一苦労だってのに……支離滅裂な思考が脳裏に渦巻く。生唾を嚥下する事さえできなかった。
 間一髪命拾いした安堵、それにも増して募る本能的な恐怖と懸念。
 だれかが俺を殺そうとした。
 二階から本棚をおとすようなド派手なやり方で完全にイカレた人間の流儀で、お互いしか見えなかった俺と凱を始末しようとしやがったのだ。
 埃が濛々と立ち込める。埃の向こうで咳の音が聞こえる。
 二階から落下した衝撃で本棚は滅茶苦茶に大破していた。
 被害は床にも及んだ。本棚の自重で陥没した床、隕石の墜落跡みたいに広く抉れた面積……下敷きになったら確実に死んでいた。即死だった。本棚自体も木片の残骸と化していた。もともと本棚の一部だったささくれた板切れが墓標の如く折り重なっていた。
 床一面に本がばらまかれていた。
 全部拾い集めて元に戻すのに余裕で一日はかかりそうな量だった。
 破壊された本棚と床を見比べて茫然自失する俺のもとへ息せき切ってやってくる鍵屋崎、俺の肩を揺さぶり叱咤、懸命に何かを叫ぶ。
 『あっ……、』 
 歯の根ががちがち鳴った。体の芯が凍り付いた。
 脳裏で再生される光景……俺の胸ぐら掴んだ凱のニヤケ面、二階から落下する本棚、凄まじい衝撃と震動、木がへし折れる破砕音、濛々と舞い上がる埃と騒々しくなだれる本……
 『大丈夫か、どこも怪我はないか?』
 ぎこちなく顔を上げる。
 鍵屋崎が心配げな様子で俺を覗き込んでる。
 『なん、だよ今の』
 手のひらがじっとり汗ばむ。
 ひどく苦労して嚥下した唾が喉にひっかかり、ささくれた不快感を覚える。 
 鍵屋崎にしがみつく。
 そうやって誰かに寄りかかってないと今すぐ腰が抜けて座り込んじまいそうで、足腰が萎えて二度と立てなくなる眩暈に襲われて、ただただ必死に鍵屋崎の肩を掴んだ。 
 『鍵屋崎なんだよ今の、普通本棚が頭の上から降ってくるかよ、一歩間違えば俺っ……死っ……』
 先は続けられなかった。

 それがついさっきの出来事だ。
 今、俺は食堂で飯を食っている。
 本棚の下敷きになりかけたショックはまだ癒えてない。
 だからと言って食欲が失せるわけじゃない、なんたって一日十二時間のイエローワークの肉体労働で疲れ切っているのだ。
 俺は空腹だった。
 飯は食える時に食っとかないと泣きを見る。明日の強制労働で貧血起こしてぶっ倒れたら洒落にならない。現に鍵屋崎はしょっちゅう貧血起こしちゃぶっ倒れてる。結論。返事が無い、ただの屍のようだ。どさどさ砂かけられて生き埋めにされるのは御免だ、俺を目の敵にしてる連中の思うツボだ。
 「だけどまさか頭の上から本棚が降ってくるなんてぶったまげたぜ。あと50センチ横にずれてりゃ完璧死んでた。本棚ごと床にめりこんだ俺の死体引っぺがすのに苦労したろうよ。畜生、今思い出してもぞっとする。凱が馬鹿力でぶん投げてくんなきゃ干しイカみたいにぺらぺらになるとこだった、アイツに感謝しなきゃな」
 「しゃべるか食べるかどっちかにしろ、行儀が悪い」
 向かい席の鍵屋崎が露骨に眉をひそめるのを無視、興奮のあまり飯粒を飛ばし捲くし立てる。
 「頭の上に本棚落とされてないからそんな事言えるんだよお前は、天才にとっちゃ所詮他人事だしな!」
 箸の先を向けられた鍵屋崎がこの上なく嫌そうな顔をする。
 さも心外そうに不満を表明する鍵屋崎の隣じゃサムライが素知らぬふりで飯を食ってる。背筋はしっかりと伸びている。竹を割ったような姿勢。サムライはいつも素晴らしく行儀がいい。決して椅子の背凭れに寄りかかることなく凛と背筋を伸ばし、淀みない箸使いで焼き魚を一口大に切り分けている。
 惚れ惚れする程完璧な箸捌き。
 刃物の扱いが上手いやつはやっぱ違うなと妙に感心する。
 片手に椀を預けて箸を舐め、サムライの手元に見惚れる。
 箸を咥えて放心する俺をちらりと一瞥、鍵屋崎が嫌味ったらしく指摘する。
 「食事作法の向上に努力しろ。魚の身を零しているぞ」 
 「うるせえ」
 鍵屋崎の指摘で我に返り、照れ隠しにそっぽを向く。
 皿から口に持ってく途中で焼き魚の身をぽろぽろ零していたのは本当だ。畜生、いつもはこんなヘマはなしないのにと舌打ちしたくなる。
 図書室の出来事で頭が一杯で手元が疎かになってるせいだとそれらしい言い訳を捻り出して自分を慰める。二階から本棚に潰されかけりゃ誰だって忘我の境地になる。
 机上に零れた焼き魚の身を箸で摘み、ぽいぽいと口に放り込む。
 鍵屋崎が物凄く嫌そうな顔をする。
 ざまあみろ。
 「まあ機嫌直せって。二階から本棚が降って来るなんて良くある事さ。前向きに考えろよ」
 「前向きになりようねーよ。適当言うなよ、他人事だと思って」
 ひどく苦労して焼き魚の身を摘みながら隣を睨む。
 俺の隣の席、頭の後ろで手を組んで申し分なく長い足を机上に放っているのは東棟の王様ことレイジ。俺と同房の相棒。寝坊した豹のように怠惰に伸びきった姿勢で椅子を揺すってる。
 早々と飯をたいらげて満腹ポーズ、緩慢なリズムで椅子を揺すりながら飄々と嘯く。
 「二階から本棚おちてきた位でびびってたらこの先いくつ命があってもたんねーぜ。外の世界にゃもっと危険が溢れてんだから」
 「たとえば?」
 「道で待ち伏せしてるゲリラに襲われたり検閲にひっかかって銃器没収されたり角から飛び出した犬に襲われたり」
 「前ふたつはお前だけだろ。付け加えんなら最後のは東京プリズンでも普通にある」
 思った以上に適当な返答に呆れ返る。
 レイジに相談した愚を呪い、歯ごたえのない沢庵をしゃぶる。
 「わかった」
 「なにがだよ」
 期待せずに聞く。
 「その本棚お前が好きだったんだよ」
 「阿呆くさ」
 ほら、ろくでもない話だ。
 「無機物にだってハートが宿る事あるだろ?本棚がお前に恋して二階から身を投げる事も絶対ないとは言い切れないだろ。ロンにキッスしようとして二階からダイブするなんざ随分過激な本棚じゃんか。お前もそう思うだろキーストア」
 レイジが冗談とも本気とも付かぬ感じで鍵屋崎を仰ぐ。
 鍵屋崎はきっちり十回飯を咀嚼し、口に入ってた物をちゃんと嚥下してレイジに向き直る。
 「日本には古来より付喪神の伝承がある」
 「はあ?」
 脳天から間抜けな声を発した俺を完全無視、きちんと揃えて箸をおいた鍵屋崎が姿勢を正して話し始める。
 神経質な手つきで眼鏡のブリッジを押し上げる。
 怜悧な知性を帯びた切れ長の双眸が瞬く。
 「付喪神とは長い年月を経て古くなった対象に魂や精霊などが宿るなどして妖怪化したものの総称だ。『付喪』は当て字で正しくは『九十九』と書く。この九十九は長い時間や経験、多種多様な万物などを象徴する。百を完全なる永遠と定義してそこから一を引いた九十九は永遠に極めて近い年月を現すのだ。
 日本の風俗においては古来より万物八百万に魂が宿るとするアニミズム的な世界観が定着している。長く使った道具・器物には魂が宿り、上位の存在に昇華するという民間信仰がある」
 俺はぽかんと口を開けて長ったらしい講義に聞き入った。
 サムライは興味深げに意見を拝聴し、時折頷いている。
 レイジはにやにやしている。
 三者三様の反応を示す俺たちなど意に介さず、付喪神なんたらの起源と伝承について滔滔と語り終えた鍵屋崎は、どこか満足げな様子で一息吐く。
 「……と、こういうわけだ。本棚に命が宿るという極めて非常識かつ非科学的な現象も、日本人の民間信仰に照らし合わせれば決して理解できない事じゃない」
 「俺、台湾人なんだけど」
 おそるおそる意見を挟む。
 鍵屋崎が冷ややかにこちらを睨む。視線で人が殺せそうな圧力。
 「おい天才、まさかレイジのたわごと本気にしたわけじゃねえよな。本棚がひとりでにダイブなんて……」
 「貴様は馬鹿か?足がない本棚がどうやって手摺付近に移動するというんだ」
 「あ」
 そうだ、本棚には足がない。足がなきゃ歩けるはずもない。
 どうしてそんな当たり前のことに気付かなかったんだ俺の馬鹿……って、そもそも論点がずれてる。つまり鍵屋崎は何が言いたい?本棚が自分の意志で俺を殺そうとしたってか、ってことはつまり本棚が生きてるの前提なのか、待て待て足がない本棚がどうやって移動するってんだ? 頭が混乱する。
 当惑を深めた俺に視線が集中する。
 サムライが気の毒げな顔をする。レイジが笑いを堪える。
 鍵屋崎だけが無表情を崩さず、出来の悪い教え子の返答を待つ教師然として威圧的な沈黙を守っている。
 「は、はは。みんなしてひっかけようったって無駄だぜ、騙されるもんか。本棚が自分から俺を潰そうとするわけねーじゃん。だいたい本棚が生きてるわけないっつの。本棚だぜ本棚?そりゃ俺だって気に入らない事あった時とかめちゃくちゃ気になる漫画の続きが他のヤツに借りられてた時とかむしゃくしゃして本棚蹴ったことあるけど、そういやこの前ドラゴンボール三十七巻が借りられてる事に腹立てて本棚蹴っ飛ばしたらべキッて不吉な音鳴って、人間でいう骨折?みたいな足応えがあったけど、まさかあの時のこと根に持って付喪神なんたらが降臨して……」
 まずい、どつぼに嵌まった。
 このままじゃまずいと自分でもわかってるが口から迸るネガティブな妄想を止められない。
 片手に椀を預けて不安に押し潰された俺を冷ややかに見つめ、鍵屋崎が嘆かわしく首を振る。
 「………本当に救いがたい馬鹿だな。本棚に殺人意志が存在するわけなかろう」
 「はぁああ!?」
 「ついさっき言ったろう。『犯人はわかっている』と」
 鍵屋崎がキザったらしく眼鏡の位置を直す。
 取り澄ました表情、自信過剰な物言い。
 手にした椀と箸の存在も忘れて穴の開く程鍵屋崎を見つめる。確かにさっきそんなような事を言っていた。本棚落下騒ぎのドタバタでうやむやになったまま詳細を聞きそびれていたが、視力が悪い癖にメガネをかけりゃ千里眼の鍵屋崎が本当に犯人を目撃したなら…… 
 「だれだそりゃ」
 興味津々レイジが聞く。
 「中国系黄色人種の少年だ。着ていた服がまだ新しかった点から推理するにおそらくここ一ヶ月以内の新入りだ。外見的特徴は銀の右目と金の左目、銀のメッシュが入った黒髪。推定年齢は17歳、身長179cm」
 鍵屋崎が思わせ振りに言葉を切る。表情が真剣さを増す。
 銀縁眼鏡の奥の切れ長の双眸が真意を推し量るように細まる。
 「ロン、君の知り合いじゃないか」
 心臓が強く鼓動を打つ。
 「なん、でだよ」
 一呼吸遅れ微妙な半笑いで返す、内心の動揺をごまかすように。
 鍵屋崎は笑わない。
 何もかも見通すように透徹した眼差しをじっと注いでいる。俺の笑みも強張る。サムライが怪訝な顔をする。レイジが背凭れから背中を起こす。緊張が走る。 

 銀の右目と金の左目。金銀のオッドアイ。
 黒髪に入れた銀のメッシュ。

 その外見的特徴に当てはまる男をひとりだけ知っている。
 もう二度と会いたくない男だ。
 会うはずもない男だ。
 潮騒のように満ち引きを繰り返す雑音、箸を戦わせて飯を取り合うヤツらの怒声と罵声と呪詛、皿が舞い箸が飛び交いそこかしこで取っ組み合いがおっぱじまる大所帯ならではの悲喜こもごもの食事風景、その中から俺一人浮き上がって空白の世界に運ばれていくような錯覚に襲われる。

 銀の右目と金の左目。
 スタイリッシュなオッドアイ。
 狡猾な細面。恐ろしく酷薄な印象。

 『おねがいっ、ロンにひどいことしないで!』
 耳の奥に絹裂く女の悲鳴が響き渡る。
 荒廃した廃工場の奥、一際濃く闇が蟠った場所。
 床一面に散乱する酒瓶の破片を踏み砕き空き缶を踏み潰し大股にやってくる男、銀のメッシュを入れた黒髪と金銀の目、感情の起伏に乏しい無機質な無表情……
 無造作に伸びた手が胸ぐらを掴む。引き寄せる。引き上げる。
 背中に衝撃。
 背後の壁に体ごと叩き付けられる。女が悲鳴を上げる。
 息を呑む気配が周囲に伝わる。男が俺のシャツを掴んでむりやり捲り上げて肌を暴く。外気に晒された下腹部には拳大の青痣が咲いている。生じたての青痣に容赦なく膝が食い込む。
 激痛。
 『ロンにひどいことしないで!ロンは関係ないでしょねえ、ロンはただ私を庇おうとしてくれただけだからお願いだから許してちょうだい、ロンの分まで私があやまるからやめてよねえっ!!』
 女の嗚咽が激しくなる。
 青痣を膝で圧迫する男の腰に女がしがみつく。
 だが男はやめない。背中から壁に叩き付けた俺の上に屈みこみ腹に膝をめりこませ最大限の苦痛を与え続ける。暴力の愉悦に酔った酷薄な微笑、メタリックに輝く金銀の目、悦に入った表情……

 「ロン?」
 レイジの一声で目が覚めた。
 ハッと顔を上げる。
 一気に現実の物音が戻ってくる。空白の表情であたりを見回す。
 手元を見る。
 手が傾いで椀がひっくり返り、飯を半分ほどぶちまけていた。
 机にちらばった飯粒を数え、すぅっと目を閉じて動悸が鎮まるのを待つ。
 「………知らねえよ」
 冷静さを吸い込み、咄嗟に嘘をつく。
 一瞬臨界点を突破しかけた鼓動が次第に落ち着いていく。
 「東京プリズンには三万人いるんだ。廊下ですれ違ったとか強制労働で一緒になったとかあるかもしんねーけど、そんなヤツの顔までいちいち覚えちゃいられねよ。オッドアイ?だからなんだってんだ。ホセなんかいまどき七三分けに黒縁メガネだぜ。サーシャは銀髪でおかっぱだぜ。ヨンイルはツンツン頭にゴーグル、極めつけは全身の刺青だ。オッドアイ如き珍しくもねえよ、東京プリズンには見た目にハッタリ利かせたヤツがうじゃうじゃしてるんだ。どっかの王様しかり、な」
 目の端でレイジを捉える。
 褐色肌に映える金髪、光加減で猫科動物の黄金にも似る目、とんでもない美形に黒革の眼帯といったド派手な外見の王様はいつになくまじめに俺の横顔を見てる。
 「………そうだな。オッドアイの人間など昨今珍しくもない」 
 意外にもあっさり矛を収めた鍵屋崎に心底安堵する。
 箸を取り直して食事を再開、明るく話題を変える。
 「おおかた凱の子分だろうさ。俺と凱が取っ組み合ってるうちに二階にとんでって、皆で協力して本棚担ぎ上げたんだろうさ。俺の上に本棚おとすつもりが一歩間違えりゃボスまで巻き添えにしちまうとこだった。お笑い種だぜ、まったく」
 忙しく箸を動かし飯をかっこむ。
 大急ぎで咀嚼して飲み込めば飯が喉に詰まり、苦しさに咳き込む。
 そうだ、あいつがここにいるわけない、ここにいるはずない。
 あいつは今も娑婆にいるはず、チームの生き残りをかき集めて新宿の連中に仕返しをもくろんでるはずだ。
 あいつがここに現れるわきゃない、ここまで追っかけてくるはずない、そんな馬鹿げたことあってたまるか本当に。
 「大丈夫かロン。がっつくからだよ」
 レイジが優しく俺の背中を撫でる。
 喉のつっかえがとれて大分ラクになった。
 まだ何か言いたげな鍵屋崎には無視を決め込み、やや強引に話を打ち切る。
 「もういいさ、本棚に襲われた事は綺麗さっぱり忘れる。いちいち気にしてたら命がいくあったって足りやしねえ。東京プリズンじゃ頭の上から本棚が落っこちてくんのも犬に貞操狙われるのもぼうっとしてるあいだに飯が消えてるのも日常茶飯事だもんな」
 「そそ。人生楽しむコツは地獄を天国に変えるポジティブシンキングだ」
 せっせと背中を撫でる傍ら反対の手でつまみ食いしようとしたレイジにあてつけ、ちゃっかり野菜炒めを頂戴した手の甲をつねる。
 「いででででででっ!甲斐甲斐しく背中なでてやった恋人に対してひどい仕打ちすんなよ、ったくもー」
 「恋人って言うな」
 大袈裟に痛がりつつも顔はニヤけてるのが余計腹立つ。
 手をつねられて嬉しがるのはマゾな証拠だ。
 「まだ二・三回っきゃヤってねえくせに恋人面すんな、図々しいんだよ」
 レイジをぎゃふんと言わせたい一心で冷たくあしらえば、王様がわざとらしく指折り数えてみせる。
 「間違えんなよロン、もう四回ヤってるっつの。発情期を先越した子猫みてェにお前が甘ったるく鳴いた初夜とその次、所長にイジメられて傷心の俺を文字通りで体で慰めてくれた夕方。三回目はホセんとこから戻ってきた日の夜の対面座位、またの名を抱きつき抱っこ……」
 「口に出して言うな色鬼!!」
 慌てて口を塞ごうと身を乗り出すも咄嗟に体をずらされ、目測を見誤った俺の手はすかっと空を切る。危うく椅子から転げ落ちかけた俺には構わずレイジが嬉々として続ける。
 「本当のことだろ。出し惜しみするこたねえ、今だにキス止まり、エッチもしてねー清い仲の欲求不満ではち切れそうなサムライとキーストアにも教えてやれよ。俺はもうロンの体の隅々まで完璧に知り尽くしてる。どこを舐めりゃロンが感じるかどこをさわらりゃロンがイイ声あげるかどこをどうすりゃロンが絶頂にイくか王様はお見通しっわけだ。あー可愛かったなあ、俺の股間に顔埋めて夢中でフェラしてくれたロン」
 「……食欲が減退する話はやめろ。食事中に下半身の話題を上らすなど無神経極まる」
 「なんたる破廉恥漢だ。あきれかえった」
 異口同音に非難されてもレイジは全く動じず、だらしなく鼻の下を伸ばして惚気話を続ける。大仰な身振り手振りを交えて昨夜の俺がどんだけ素直で可愛かったかレイジに抱かれて悩ましい媚態と痴態を演じたか、そりゃもう周囲への配慮なんぞ一切なく、微に入り細を穿ちあることないこと吹き込んでくれた。
 顔から火が出そうな俺に、テーブル隔てた向こう岸の二人が同情の眼差しを注ぐ。
 いたたまれねえ。
 「ほんっと可愛いんだぜ、フェラしてる時のロン。こう俺の股間に屈み込んで不器用に舌使ってぺちゃぺちゃ行儀悪く音立てて、けど逆にそれが快感になってくるんだよなー。初々しい風情っての?フェラチオ処女の慣れない感じが出てて下半身の欲望刺激されちゃうわけよ。小さいお口を目一杯におっぴろげて息苦しさに涙ぐんで俺のモン咥えて……」
 「!このっ、メシ食ってる時にフェラの話なんざ最低だぞ!!てめェは床に這つくばって飯を食うのが似合いだレイジいいィいっ」
 キレた。
 今すぐ消え入りたい羞恥を無神経への反発に転換、勢いの余り椅子を蹴倒してレイジの胸ぐらを掴む。
 鍵屋崎とサムライがやれやれと嘆息、痴話喧嘩には付き合いきれないといった疲労の表情でトレイを掲げて起立。
 二人揃ってカウンターにトレイを返却にいこうとした……

 その時。
 非常識なまでに大音量のベルが鳴り響く。

 「なんだ?」
 真っ先に反応したのは鍵屋崎。
 椅子から腰を浮かした姿勢で胡乱げに天井を仰ぐ。
 眼鏡の奥の双眸が警戒心を帯びる。
 サムライは虚空の一点を見据えたまま条件反射で鍵屋崎を背に庇い、剣呑な光を含んだ目を周囲に走らせて動向を探る。
 俺とレイジは縺れ合ったままどちらからともなく虚空を仰ぐ。
 「うるっせえ、なんだこのベルは!?」
 「火事か?浸水か?核弾頭か?」
 「前代未聞の緊急事態ってか。一体全体なんだってんだ、こちとら食事中だってのに……」
 「おおかた所長が飼ってるバカ犬が変な物食って腹でもくだしたんだろうさ。緊急事態にゃちげーねーだろ」
 「犬のビチクソ注意報ってか」
 「メシ食ってる時にクソの話すんなこのクソが」
 食堂のあちこちで非難の声が上がる。
 大音量のベルに気分を害された囚人が各自中指を突き立てる椅子を蹴倒すトレイをひっくりかえす皿を放るなどのジェスチャーで一斉抗議、中指突き立てるジェスチャーに喧嘩を売られたと勘違いした囚人が殴りかかり蹴倒した椅子が隣の囚人にぶつかり、ひっくりかえったトレイの中身を至近の囚人がもろにかぶり宙高く舞った皿が長大な放物線を描いて机を隔てた囚人の後頭部を直撃。
 混乱が混沌を招いてあっというまに収拾つかない騒ぎに発展、腕っ節自慢の看守が怒涛の如くなだれ込む。
 「お前ら勝手な真似すんじゃねえ、豚は豚らしく脇目もふらず餌を食え、無闇に騒ぎ立てるな!」  
 「あぁん?聞き捨てならねえなそりゃ」
 「鼓膜が破れそうなベル鳴らしといて気にすんなたァ滅茶苦茶言うじゃねえか、看守さん。俺なんかベルにおっためげて味噌汁ぶちまけちまったよ。どうしてくれんだよ、え、まだ一口しか飲んでねえってのに!?一張羅の囚人服もこの通り味噌くさくて台無しだ、クリーニング代はもってくれるんだろうな」
 日頃抑圧された鬱憤が爆発、警棒ぶん回して鎮圧に乗り出す看守に囚人が食ってかかる。
 看守と囚人の小競り合いが多発、ますます食堂は酷い状態になる。天井すれすれを飛び交う未確認飛行物体もとい銀色に光るアルミ皿、床一面にぶちまけられた味噌汁と野菜炒めと沢庵、横転した椅子ともんどり打って倒れた食卓。
 「ほら見ろレイジ、お前のせいで下ネタ禁止令発令されちまったじゃねえか」
 「俺かよ!?」
 「罰として上唇から下唇に箸ぶっ刺してだんまり決め込め。アフリカ奥地の原住民族が素敵なアクセサリーだって褒めてくれるぜ」
 とばっちり食らっちゃたまらねえと机の下に緊急避難、レイジが俺の頭を押さえ込む。
 レイジとぴったり体を密着させ、床に腹ばいになったいわゆる「伏せ」の姿勢で狂乱の収束を辛抱強く待つ。
 目と鼻の先にけたたましく皿が落下、独楽のように回転する。
 めまぐるしく入り乱れる足と足、紺のスラックスを履いてるのが看守、黒と白の縞のズボンが囚人……
 「あ」
 鍵屋崎がいた。
 顔を、というよりメガネを守ろうとして危なっかしく手を翳してる。
 乱闘の喧騒にかき消されてよく聞こえないが、唇の動きから察するに『恵と命の次に大事なメガネだけは断じて守りぬく、たとえ僕の身を犠牲にしサムライを盾にしても』と本末転倒な事を呟いている。
 ……大丈夫かアイツ。
 盾に見立てたトレイで皿を跳ね返し、鉄壁の防御を築くサムライ。
 俺の目の黒いうちは鍵屋崎には疵一つつけぬと殺気走っている。
 「鍵屋崎、サムラ……っひあ!?」
 おまえらもこっちに来いよと呼ぼうとして、語尾が悲鳴に紛れる。
 鬼のような形相で振り返る。
 テーブル下の暗がり、人目がないのをこれ幸いと俺の背中に被さったレイジが悪戯っぽい含み笑いで思惑を代弁、腋の下に手を潜らせるや両手合わせて十本の指を独立させて動かし、敏感な所をくすぐりやがったのだ。
 『おまっ………死ね!本当に死ね!今すぐ床に頭突きして死ねっ、他の連中に声聞かれたらどうすんだよ!!』
 『嫌なら我慢しろよ。言う事聞けたらご褒美やる』
 恥知らずの王様め。
 性感にも似たくすぐったい刺激が腋の下から送り込まれ、体が不規則に痙攣する。
 慌てて口を塞ぎ、笑い声とも喘ぎ声とも付かないくぐもった呻きを辛うじて堪える。
 なにがご褒美だ、いちゃつく口実欲しいだけだろ結局。
 体が自由に動くなら思いっきり脛を蹴り上げてやりたいが、レイジにのしかかられたこの体勢じゃ物理的に不可能だと苦汁を飲むしかない。俺が抵抗できないのをいいことにレイジはますます調子に乗り、体の輪郭に沿って緩慢に手を滑らす傍ら、じゃれるように耳朶を食んで反応を探る。
 『あっ……レ、イジ、やめっ……四回ぽっち抱かれてやっただけで調子のって、ん、じゃねえっ……はぁ……お前なんか全然良くなかった、よ………俺は真っ当なんだ、男なんか全然よくねーよ、男なんかちっとも感じねーよ。梅花のがずっと良かった。柔らかくていい匂いがしてキスが上手くて、スカートからはだけた太股は目に染みるような白さで、ああ畜生、思い出したら勃っちまった……』
 俺のバカ。俺の下半身のバカ。
 妄想語りで墓穴を掘った俺の耳元でくすくすと笑い声。ぞっとするほど艶っぽい響きに背筋に快感の電流が走り、硬く張り詰め始めた先端が下着の地を突き上げる。
 『素直になれよロン。下が勃っちまったのは初恋の女の感触思い出したからじゃねーだろ?』
 なにもかも見通したような全知全能の響き。
 決して過剰ではない、男女関係なく虜にする魅力を自覚したヤツにだけ許される等身大の囁き。
 体に沿ってくねりおりた手が衣擦れの音も艶めかしく裾をはだけてシャツの中に忍び込む。

 熱い手が素肌にふれる。
 まさぐる。
 貪欲そのものの動きに徐徐に息が上がり始める。

 片手で口を覆い、目だけ動かして食堂の様子を窺う。
 誰も気付いてない。看守と囚人、囚人と囚人の争いは激化する一方でテーブル下でイチャつく俺たちには誰一人気付いちゃない。
 鍵屋崎がいた。サムライがいた。図書室で別れた凱もいた。
 鍵屋崎を背に庇い、空飛ぶ円盤の如く飛来する皿を片っ端からトレイで防御するサムライ。
 はるか向こうのテーブル上に仁王立ち、こぶしで胸を叩いて勝利の雄叫びを上げてるのは三度のメシより喧嘩好きな凱だ。
 「ふっ…………」 
 やばい。ぞくぞくする。
 レイジの手にふれられただけで体が悩ましく火照り、芯から疼いて疼いて仕方ない。理性が快感に流されかける。
 唇を噛んで踏み止まる。
 喘ぎ声だけは絶対漏らさないと心に誓って快感の波に抗うも、褐色の手がズボンの内側に滑り入った瞬間にその決意は萎えた。
 『でかくなってる』
 首の後ろに冷たい金属の感触……
 レイジの胸にぶらさがった十字架の感触。
 『人が大勢いる食堂で俺にさわられて感じるなんて、所構わず発情する恥ずかしいガキだって笑われてもしかたねーな』
 所構わず発情してんのはどっちだと反論したかったが、うっかり口を開けば言葉の代わりに喘ぎ声が漏れそうで、俺はしっかり奥歯を噛み締め、なすがままにされる屈辱と羞恥と憤怒とそれを圧して沸き起こる凄まじい快感を必死に押さえ込む。
 『いいって言えよ』
 『机の角に頭ぶつけて死んでこい。床に零れた脳漿拾ってやっから………ぁくぅ』
 手の動きが速くなる。
 ズボンの中に潜り込んだ手が怪しく蠢き、絶妙な緩急で俺自身を摩擦する。たまらず腰がへたれる。
 レイジは容赦なく俺を絶頂に追い立てる。俺の性感帯をどこもかしこも本人以上に知り尽くした指使いでもって竿を包み先端を爪弾き、繊細な変化に富んだ刺激を与え続ける。
 「あっ、はっ、ふぁ、は………」
 だんだん声が抑えきれなくなってきた。
 やばい兆候だと自覚するがどうにもならない、気持ちいいもんは気持ちいい。たまらず誘惑に負けそうになる。
 レイジの手に身を委ねそうになる。
 もっともっととねだるように腰が上擦り始める。
 浅ましく上擦った腰にレイジ自身を感じる。
 乱闘の騒音が遠のく。
 まわりで起きてる出来事が異世界の事のような距離感を覚える。
 『気持ちいいだろ』
 「よく、ね………」
 『強情っぱり』
 意地になって首を振る。
 首の後ろに息がかかる。
 はやくイきたいイきたいイきてえと訴えて腰を揺する。
 言ってることとやってることが真逆だと自分でもわかってるがこればかりはどうにもならない理性で自制できない射精寸前まで煽られた欲求を吐き出したくていよいよ本当におかしくなっちまいそうだ。
 目と鼻の先で皿が回る。
 縁の部分を縦に独楽のごとく回転する皿を目で捉え必死に気を散らそうと試みるも無駄だ、俺は床に顔を埋めてレイジの手の動きをもっと感じようと腰をくねらせ内腿に挟み込む。
 『愛してるって言えよ』
 『やなこった』
 『俺がいちばんいいって言え』
 『舌噛んだほうがマシ』
 『俺の手でイカしてほしいって泣いて頼まなきゃずっとこのままだぜ』
 イきたくてイきたくてイきたくてたまらない、このまま焦らされ続けたらおかしくなっちまう。
 拳に握った手で床を打つ。精一杯の抗議。
 レイジは無視。しつこくいじくられたペニスから垂れた雫を指の腹でのばして刷り込み、余裕の笑みを浮かべる。
 頼む、イかせてくれ。
 懇願の言葉が喉元まで出かける。寸手で押しとどめる。
 さすがに苛立ったレイジが俺のズボンごと足首まで引きずり下ろして下半身を裸にさせ………

 全く唐突にベルが止む。
 不吉な静寂が食堂を包む。

 ブツリと異音がした。放送が繋がる独特の音。
 皿とトレイと残飯とが散乱した床の上でくんずほぐれつしていた囚人どもが一斉に虚空を見る。

 ずりおちたズボンからケツの上半分を覗かせたまま肘を使って床を這い、机からひょっこり顔をだす。
 壁のはるか上方、天井に近い部分に等間隔に設置されたスピーカーからノイズまじりの音声が聞こえてくる。
 俺が今いちばん大嫌いなヤツの声。

 『緊急事態発生、緊急事態発生。これより東京少年刑務所の全囚人および全看守を視聴覚ホールに招集する。各自私の命令を最優先に集合するように。繰り返す。緊急事態発生、緊急事態発生。私の名は但馬冬樹、東京少年刑務所の最高権力者たる所長にして政府の信任厚いエリート中のエリートだ。東京少年刑務所の全囚人と職員に告ぐ。本日東京少年刑務所の存続を揺るがす未曾有の大事件が起こった。この放送を聴いた者は一人残らず中央棟の視聴覚ホールに出頭せよ。
 なおこの放送を無視した者は社会秩序に対する挑戦および所長に抵抗の意志ありと見なし看守・囚人の別なく独居房に収容する。諸君らに拒否権はない。この放送が終了次第全員視聴覚ホールに出頭せよ、上の決定に逆らった者は厳しく処分する。私こそが東京少年刑務所の最高権力者にして唯一無二の支配者、無能な家畜を従える霊長類のエリート但馬ふ』
 ぶつり。

 始まった時と同じ唐突さで放送が遮断される。
 変態の演説に嫌気がさした神様のはからいかもしれない。
 食堂が完全なる静寂に覆われる。
 互いの胸ぐら掴んだまま静止する囚人、囚人の頭をかち割ろうと警棒振り上げた姿勢で硬直する看守、どいつもこいつも呆気に取られた間抜けヅラをさらしてる。鍵屋崎とサムライも似たようなもんだ。 
 「緊急事態だあ?」
 「マジかよ。所長自らおでましってわけか」
 「所長自らマイク握って放送たあ前代未聞じゃねーか。聞いたか、あの所長の慌てっぷり。いっつも嫌味な笑い浮かべて俺らを見下してる所長が血相替えてるさまが目に浮かぶぜ」
 「火事か?浸水か?まさか外の世界で核戦争が起こって世界全滅人類絶滅の危機に瀕してて、砂漠のど真ん中の東京プリズンが生き残りだけを集めたシェルターになったとかそういうありがちなオチじゃねーだろな」
 「漫画の読みすぎだろ」
 「所長の焦りようからすると国連の査察でも入ったんじゃねーか。東京プリズンの実態バレたら人権問題に発展するぜ」
 「学がねー癖にわざとむずかしい事言って頭いいふりすんなよ、小卒のスラム育ちが」
 「ざけんな。託児所卒だ。しかも無認可」
 放心状態から立ち直った囚人どもがにわかにざわつきはじめる。
 鍵屋崎とサムライが不安げに顔を見合わせる。
 お気楽極楽レイジよかよっぽど真面目な意見が期待できる二人に今の放送の事を聞こうと机の下から這い出し、
 「「あ」」
 鍵屋崎が俺を見る。サムライが俺を見る。
 周囲の連中が示し合わせたように話をやめて一斉にこちらに向き直る。
 そして俺は思い出す。
 今の自分の状態を、
 ズボンを引き摺り下ろされてケツが半分見えて服はしどけなく乱れて、机の下でナニやってたか一発でわかる……
 自身の下半身を見下ろして硬直した俺の肩をぽんと誰かが叩く。
 ぎこちなく顔を上げる。俺の隣でにっこり笑ってる童顔のガキ……
 癖の強い赤毛とよく動く緑の目、愛嬌たっぷりに潰れた鼻と濃いそばかす、天真爛漫の形容が具現化したような茶目っ気が覗く笑顔……
 可愛い容姿に反比例して中身が黒い売り専の男娼、リョウ。 
 なれなれしく俺の肩に手をのせ、寄りかかるようにして体を凭せる。
 下半身を晒して佇む俺と机の下から顔を出したレイジを見比べ、一部始終合点がいったと頷き、リョウは言った。 
 無邪気な無神経を装った、この上なくタチの悪い愉快犯の笑顔で。

 「わーお。王様のデザートはロンってわけ?ご馳走さまっ」
  
 食堂中に爆笑が巻き起こる。
 リョウの一声で俺を指さし涙を流して爆笑する囚人ども、「俺たちが殴り合ってる時に机の下でいちゃついてたのか」「隅におけねーなあ」「おい半々、レイジに美味しく頂かれた気分はどうだ?」「そりゃもう甘くて瑞々しい最高のデザートだろうさ。一口で蕩ける気分、全部たいらげりゃ糖尿病ってな」「口のよこっちょに何か付いてるぜ半々。レイジの生クリームじゃねえのか、それ」………
 最悪だ。
 考え得うる限り最悪の事態だ。
 全囚人の笑い者になった俺の肩を、だれかが馴れ馴れしく抱く。
 わざわざ顔を上げなくても囚人服の胸にぶらさがった黄金の十字架で一発でわかる。
 「で?ロンの味はどうだった」
 背中で手を組んだリョウがスキップするような足取りで寄ってくる。
 好奇心半分からかい半分のリョウの問いに、胸に十字架輝く満腹の豹めいたご満悦の表情で唇を舐め上げてみせる。
 『He is very delicious』
 言い終わるが早く脛を蹴る。
 「~~~~~~~~~~~~~~~~~~っでえええええェえ!!?」
 これ以上ない的確さでもって脛に蹴りを入れた俺の隣、声にならない声で悶絶する王様をほとほとあきれた顔で眺め、鍵屋崎が俺の心の内を代弁する。
 「いいかレイジ、よく聞け。一般に動物の発情の周期はホルモンによって決まってる。しかし人間はこれに当てはまらない、何故なら人間には理性があるからだ。もし人間が野生動物の如く所構わず発情して交尾に及べば周囲に迷惑をかける、のみならず当事者はわいせつ物陳列罪の罪状に問われて最低でも懲役一年から三年の刑に処される。しかしながらホルモンの過剰分泌が原因で動物並みの理性と節操しか持たず、一年中発情している難儀な体質の人間もいることはいる。大抵の人間はその難儀な体質と折り合いを付け、社会規範から逸脱する事なく生きていく道を選ぶが、他ならぬ貴様が信仰上の理由だか性的嗜好による特殊なこだわりだかでそう出来ないというなら解決方法はただひとつ」
 一呼吸おき、眼鏡のブリッジを押し上げる。
 釘を打てそうに冷ややかな眼差しでレイジを視殺、蔑みとか嘲りとか全部通り越した諦観の表情で結論をのべる。
 「去勢しろ」
 天才に全く同感。

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少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050420171657 | 編集
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