ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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二話

 あれから一ヶ月経った。
 静流の死は事故として処理された。
 東京プリズンには再び平和が訪れた。
 「そんなに上手くいはずない」
 そう、そんなに上手くいけば苦労はない。静流の一件が片付いても問題は山積みだ。
 図書室の最奥、巨大な書架が蛍光灯の光を遮る行き止まりは廃棄物が床を覆い尽くす危険地帯。
 使い捨ての注射器や注射針が累々と散乱し赤裸々に荒廃を物語る。
 信じ難い事に煙草の吸殻や使用済みコンドーム、麻薬の粉末が付着したビニール袋やいかがわしいポルノ雑誌までも破棄されている。
 東京プリズンの囚人に良識をもとめるのは愚の骨頂だとわかっていても嘆かずにはいられない廃墟の現状だ。
 幸いここには人けがない。
 重要人物との密会を見咎められずにすむ。
 一度も開かれたことない哲学書が並ぶ一角は利用者もなく静まり返っている。
 話し合いには理想的な空間……とは上記の理由からとても言えないが、人に聞かれたくない話をするには好都合だ。
 憮然と腕を組み、同じようにして向かいの書架に凭れ掛かる男をじっと観察する。
 一筋の反抗も許さず後ろに撫で付けた髪、潔癖に秀でた額。
 理知的と評していい風貌はその淡白さ故にともすると近寄りがたいが、時折見せる笑みはひどく人間くさい。
 しかし今、銀縁眼鏡の奥の双眸は深刻な憂慮の念を浮かべてる。
 背広の懐を手探り、男が精神安定剤の煙草を取り出す。
 「図書室は禁煙だ」
 図書室で喫煙などとんでもない。非常識も甚だしい。
 人類の遺産が灰燼に帰したら責任重大だ。
 険を含んだ目で睨まれた男がわざとらしく咳払い、何事もなかったふうに一度手にした煙草とライターを戻す。
 それでよし。
 目の前の男は安田。東京プリズンの副所長を務める人物。
 背広の内から手を抜いた安田が真っ直ぐ僕を見つめる。
 眼鏡越しの双眸が冷たく光る。
 「鍵屋崎、君の西棟移動の件は白紙に戻した」
 「当然だ。はなからそんな不条理な命令に従う気はなかったがな」
 挑戦的にはねつける。安田は取り合わず続ける。 
 「……少し先走りすぎたようだ。結論を急ぐのは賢明ではない。入所後の記録を見る限り君とサムライは互いに良い影響を与え合っている。もう少し様子を見るべきと検討の末判断した」 
 奥歯に物が挟まったような言い方だ。
 気は進まないが受けいれざるをえないといった諦念も窺えた。
 静流が不慮の死を遂げて脅威が去った今、僕の抵抗を受けてまで西棟に移動させる口実と必要性がなくなったというのが本当の所だろう。

 静流は死んだ。
 炉で燃え尽きた。
 サムライに敗北した静流は潔い死を選んだ。敗残の恥を晒してみじめに生き永らえるのを良しとせず誇り高い死を選んだ。
 従兄への嫉妬に身を焼かれ、実姉に恋焦がれた少年の末路。
 彼もまた血の呪縛に苦しみ一族の業に翻弄される哀しい宿命を背負っていた。

 「……サムライの経過は順調か?」
 不意に話題が変わる。
 「火傷はほぼ治った。日常生活に支障はない。強制労働にも復帰した」
 「そうか」
 安田が複雑そうに黙り込む。眼鏡越しの目に過ぎる痛ましい色。
 「従弟が死んだ場所に毎日通っているのか。辛いな」
 「そう思うなら副所長権限でレッドワークからはずせ」
 くだらない感傷を鼻で笑う。
 「サムライは勤勉な男だ。レッドワークでもブルワークと同じかそれ以上に真面目に働いてる。そもそもたった一度の離脱でブルーワークを外すなど不条理の極み、労働者に対する扱いが中世の炭鉱並みだ」
 一呼吸おき安田の顔色を窺う。安田は黙って僕の話を聞いている。
 よろしい。
 熱心な聴衆に気を良くした僕は、自然と緩んだ頬を引き締める。
 「産業革命期のイギリスを例にとる。都市部の工場で劣悪な環境下におかれた労働者は栄養不足や疲労で次々に倒れていった。非衛生的な部屋に集団で暮らし次々に結核をわずらった。1840年のリバプールにおける労働者階級の平均死亡年齢はわずか15歳だ。日本でも炭鉱労働者は次々に結核で倒れた。退院したてで抵抗力・免疫力が弱まってるサムライもまた結核にかからないとは限らない、結核予防の為にも環境改善をはかるべきだ」
 「次の配置換えで検討する」
 副所長の言質を信用し矛を収める。 
 サムライは全治二週間の重傷だったが、全身至る所に負った大小の火傷が癒えるのを待たず強制労働に復帰した。
 己に厳しい罰を課す事で静流の死を乗り越えようとしているようにも見えた。
 僕はつい先日退院した。
 静流に拉致暴行されて再び開いた傷口を縫い直す必要があったが術後経過は至って順調、ベッドで安静にしていたせいで脇腹の傷も塞がった。
 退院したばかりでイエローワークに復帰するのは正直辛いが、贅沢は言えない。
 「大丈夫か?鍵屋崎」
 安田の声に顔を上げる。
 安田が不安げな面差しでこちらを窺っている。
 安田の真意を推し量るように聞き直す。
 「怪我の事か?」
 「それ以外もだ」
 「幸いにして何も問題はない。僕もだいぶ東京プリズンの環境に馴染んできたようだ。人間関係は円滑にして良好、連日の強制労働のおかげでだいぶ体力が付いてきた。この頃は不眠症も治り食欲も出てきた。至って健康体だ」
 「少し背が伸びた」
 心なし微笑ましげに安田が言う。
 子の成長を喜ぶ親の眼差しに居心地悪さを覚える。
 赤の他人の癖に気色が悪いと反発を抱くも大人げないと自制、兼ねてより気になっていたことに切り込む。
 「僕より貴様だ。ジープを盗んだ事で罰されなかったか」
 「私の事は気にするな。所長との話し合いはもう済んでいる」
 本当か?
 僕を心配させまいと嘘をついてるんじゃあるまいなと疑う。
 胡乱に目を細めて表情を観察する。安田は無表情に徹している。僕如きには本心を悟らせないといった大人の余裕すら感じさせる態度。
 「いかに緊急事態とはいえ所長の許可なくジープを出した私は相応の処分をうけるべきだ。あくまで私と所長の問題だ。君ら囚人が罪の意識に苛まれる必要はどこにもない」
 安田が厳然と言い切る。
 反論を許さない強硬姿勢に言葉をなくす。
 銀縁眼鏡の奥の目を冷徹に光らせる安田、エリートの矜持に支えられた背筋に気圧される。
 何か言おうと口を開き、虚しくまた閉じる。
 安田は心配するなと言ったが今回の件で立場が悪くなったのは確実。サディストの所長に虐げられる安田を想像、おぞましさに鳥肌立つ。
 「心配なのは私よりもむしろレイジだ」
 安田の言葉に顔が強張る。
 安田は厳しい目で虚空を見詰めている。
 「所長はレイジに執着してる。今回の件にはレイジが関わっている。レイジもまた私が盗んだジープに同乗していた。ヨンイルとて同じだ。否、バスを盗んで走り出したヨンイルの方が更に罪が重い……」
 緊張に喉が渇く。鼓動が高鳴る。
 ヨンイルとレイジが交互に脳裏を過ぎる。
 「二人はどうなるんだ?」
 生唾を嚥下して聞く。安田は答えない。痛みを堪えるように沈鬱に押し黙っている。最悪の想像……レイジとヨンイルが無期限で独居房に送られたら?僕の動揺を見抜いたように安田が補足する。
 「二人の処分については近日中に決定が下る。私も出来るだけ二人を弁護する。彼らは君の友人だ。行動は極端とはいえ、君を救いたい一心で規則を破ったのだから情状酌量の余地はある」
 安田の励ましでも不安は解消されない。
 僕に関わったせいで彼らが罰を受けるのは耐え難い。
 体の脇で拳を握り込み、やり場のない激情をぶちまける。
 「レイジとヨンイルは馬鹿だ。何故そんな意味のない事をする、僕を助けたいただそれだけの理由で自分の身を危険にさらす?理解不能意味不明支離滅裂本末転倒だ、彼らは死が怖くないのか、処分が怖くないのか、独居房送りになるとわかっていながら僕を助けるために規則を破ったとそう言うのか?!」
 馬鹿だ。
 馬鹿だ馬鹿だ馬鹿だと心の中で百万回繰り返す、激情に任せて吐き捨てる。
 またしても僕のせいで迷惑をかけた、彼らを危険な目に遭わせてしまった、所長が甚振る口実を与えてしまった。
 自己嫌悪と後悔が一挙に押し寄せる。
 喉の奥に苦いものが込み上げる。
 もし僕のせいでレイジとヨンイルが独居房に送られたらと考えるだけで全身に冷たい汗が噴き出し動悸が早くなる。
 拳が震える。衝動的に振り上げるもどこに下ろしたらいいかわからない。
 虚空に停止した拳を見下ろす。
 無様に震えている。
 情けない。格好悪い。
 鍵屋崎直ともあろうものがどうしたことだと頭の片隅で自嘲する。
 しかし僕は激しい恐怖に襲われて、せめて爪が手のひらに食い込む痛みで理性を保とうと拳を固く握りこむ。
 「大体漫画の読みすぎなんだヨンイルは、現実と妄想を混同するのも程がある。ろくに運転もできない癖にバスジャックなど慣れないまねをして挙句の果てに大破させてしまった。バス一台大破させた責任をどうとるつもりだ道化は!王様とロンも馬鹿さ加減ではいい勝負だ、呼んでもいないのにジープで助けに現れるとは善意の押し売りだ!!」
 「君が心配だったんだ」
 「わかっている!」
 わかっているから尚更許せない、彼らを巻き込んでしまった僕自身の愚かさが。 
 安田に表情を見られるのを避けて顔を伏せ、小声を搾り出す。
 「……僕は全知全能の天才だ。そんな単純なことわかっている。だからといって彼らが馬鹿だという前提が覆るわけもない」 
 頑固に言い募る僕にも安田は反論せず気遣わしげな視線を向けていた。今回の件でレイジとヨンイル、それにロンまでもが罰せられたらと思うと自己嫌悪の感情に襲われて頭を掻き毟りたくなる。自分を罵倒したくなる。
 レイジとロンとヨンイルは囚われの僕を助ける為に自ら危険に飛び込んだのに彼らの為に僕は何もできないのか、ただ傍観を決め込むのみかと無力を噛み締めて自問する。
 「……鍵屋崎」
 僕の肩をぬくもりが包む。
 安田の手。
 一ヶ月前、意識を失った僕を抱き上げた手。
 安田が僕の肩を掴む。
 そうすることで何か大事なことを伝えようとでもするように、重大な秘密を打ち明けるように……
 反射的に手を振り払おうとした。だが出来なかった。
 安田の目があまりに真剣で、肩を掴んだ手から意志が発露して。
 眼鏡越しに安田を仰ぐ。
 安田の眼鏡に少年が映る。
 僕だ。
 見知らぬ他人と出会ったような心境で眼鏡に映る少年を見返す。東京プリズンに来てからもうすぐ一年、顔つきが大分大人びて引き締まり、目に不安の色を濃く浮かべた少年を。
 そして、安田は言った。
 「友人のために馬鹿になれるのは素晴らしいことだ。馬鹿な友人をもてたことを誇れ」
 誰も間違ってないのだから自信を持っていいのだと。  
 ヨンイルやレイジやロン、そしてサムライがしたことはどれだけ極端であっても決して間違ってないのだと。
 僕が今いちばん信じたいことを、成熟した人格に伴う説得力でもって信じさせてくれた。
 「以前私が言ったことを覚えているな」
 「僕の記憶力に対する挑戦か?」
 虚勢で皮肉な笑みを浮かべる。
 「『生き残りたければ友人をつくれ』……あなたは確かにそう言った。ここで生き残りたければ友人を作れと」
 安田が僕の肩から手を放す。
 「上出来だ」とでもいうふうに満足げな笑みを口元に浮かべて。
 ……なんだかくすぐったい気分になる。
 「君は立派に生き残った。弱肉強食の過酷な環境にも淘汰されず、かけがえのない友人たちと共に一年近くを生き延びた。何度も怪我をして命の危機に瀕し死の恐怖を味わって、しかし仲間への信頼を失わず希望を捨てず生き延びる事ができたのだ。自分を誇れ、直。仲間を誇れ。君のためなら危険も顧みず助けに来る馬鹿さ加減に最上の敬意を表せ。馬鹿を突き詰めた友人をもった素晴らしさを自認しろ」
 安田の声には説教じみた響きはかけらもなく、その言葉には真実の核が宿っていた。
 「馬鹿で結構じゃないか。君の自慢の友人だろう」
 そう言った安田は、何故だか僕以上に喜ばしく誇らしげだった。
 気恥ずかしさをごまかそうとブリッジを押さえ、下唇を舐める。
 「………ひとつ質問があるのだが」
 「なんだ」
 「貴様にも友人がいるのか?」
 僕にとってのサムライのような、レイジやロンやヨンイルのようなかけがえのない友人が。
 単純な疑問から発した質問にたちどころに表情が消える。
 「……昔の話だ。今はもう会う機会もない。おそらくこれから会うこともない」
 よそよそしく吐き捨て、内面の動揺を糊塗しようとブリッジにふれる。突然態度を一変させた安田をいぶかしみつつ、持てる想像力を駆使して漠然としたイメージを膨らます。
 「貴様の友人か。どんな人物だか全く想像できないが、失礼を承知で言わせてもらえば完璧な人格を兼ね備えた聖人君子か人格破綻者かのどちらかだな。根拠を述べよう。貴様のようにプライドが高く潔癖主義・完璧主義、自分が正しいと思った事は絶対に譲らず他人の意見を受け入れない男と友人関係を結べるのは太陽系のように広い心の持ち主かブラックホールのように混沌とした人間に決まっている」
 安田がなんとも微妙な顔をする。
 「究極の二者択一だな。どちらにせよ私と友人関係を結ぶには宇宙と交信できる事が前提なのか?」
 「貴様の友人の顔が見てみたい」
 揶揄とも好奇心ともつかない口ぶりで言えば、眼鏡のブリッジにふれた安田がそっけなく言い捨てる。
 「私は二度と会いたくないがな」
 どういうことだ?
 話はおしまいと安田が踵を返す。
 背中が緊張している。苛立ちの気配が窺える。靴音までもが刺々しく響く。先刻の発言を反芻、安田の気に障った箇所を探りだす。友人の話を出した途端態度が急変した。
 友人の話は安田にとって禁句だったようだ。
 しかし何故?
 喧嘩別れでもしたのか?過去の友人に良い思い出がないのか?
 結論。
 「どちらにせよ大人げない男だ」
 安田の背中を見送り僕もまた歩き出す。
 副所長と囚人が一緒に出てきてはあらぬ誤解を招く。
 緊急の用事で安田と待ち合わせる際はこうして時間をずらして極力注意を引かないようにしてるのだ。
 安田から遅れること三分、完全に靴音が消えた頃に書架を出る。

 図書室一階、図書閲覧用の机が並んだ開放的な空間。
 強制労働終了後の自由時間、暇を持て余した囚人たちが机を占領して談笑している。
 図書室では私語を慎めと怒鳴りたいのをありったけの自制心を発揮して堪える。
 図書室を訪れるのが本を読む人間ばかりとは限らない、むしろ仲間内でだべりにくる囚人の方がずっと多い。嘆かわしいことに東京プリズンの囚人の大半分は図書室と談話室を勘違いしてるのだ。
 中央棟に位置する図書室は、東西南北の囚人が活発に混ざり合う交流の場だ。
 閲覧用の机はほぼ囚人で埋まっている。
 トラブルに巻き込まれる前に足早に出ようとして、手前から三番目の机に見知った顔を発見する。

 机の上座に陣取って下品な冗談を飛ばしている男……
 幹部から末端まで総勢三百人の中国人を傘下に納める東棟最大の華僑派閥のボス、凱だ。

 「だから言ってやったんだよ、青竜刀で脳天から股間までぶった斬られるのと大人しく有り金俺に渡すのどっちがいいかって。そん時のヤツときたら傑作だった。女にイイカッコ見せようって喧嘩ふっかけてきた時の勢いはどうしたよ?連れが見てる前でびィびィ泣き喚いちゃ地べたに這いつくばって命乞い、挙句が『多少銭?』だぜ。壊れたスロットみてーに同じ言葉吐き出しやがってよ!!」
 益体もない話に取り巻き連中が爆笑する。
 中でもいっそう大袈裟だったのが凱の両隣に座る残虐兄弟だ。
 机上に足を放り出した残虐兄弟の片割れ、恐らく弟の方が顎の関節も外れんばかりに大口開けて哄笑する。
 「凱さんにむかって『いくら?』たあ命知らずだな、そいつ!」
 弟の相槌を受けて兄がしきりに頷く。
 「凱さんなんざ頼まれたって買いたくねえっつの、どんだけ趣味わりーんだよ。連れの女ってのも人間のカオじゃなかったに決まっ」
 皆まで言わせず兄の顔面に鉄拳が炸裂、椅子ごと後ろに倒れた兄が鼻血を噴射する。弧を描いて噴出した鼻血を浴び、我が身の危険を感じた連中が脊髄反射で椅子を蹴立てる。
 「あんちゃん!」と悲鳴じみた声をあげた弟の顔面にも拳が炸裂、鼻が潰れる嫌な音とともに兄に勝るとも劣らぬ勢いで両方の穴から血が噴出。
 椅子ごと床に倒れた残虐兄弟はかえりみず、怒り心頭の凱が机を叩く。
 「なに勘違いしてんだよ。俺に喧嘩ふっかけた間抜けが聞いたのは俺の値段じゃねえ、間抜けの命の値段だよ!いくら出しゃ見逃してくれるってそう聞いたんだよ女連れで四川料理食いにきたあの色ボケ野郎は、だれが娑婆で男買うってんだ、刑務所の外で男に値段聞くヤツなんざ真性の変態しかいねえってんだ、てめェら間抜け兄弟が愉快な勘違いしてくれたおかげでオチるもんもオチなくなっただろうが!」 
 「ひゅ、ひゅみまへん凱ひゃん……あやまひゅんだ、おとうとひょ」
 「かんちがいしたのにいちゃんひゃんか、おひぇかんけーねーもん!」
 鼻柱が陥没して顔面を血の朱に染めた残虐兄弟、椅子ごと倒れた二人が戦々恐々と仰ぐ先では野性に返った凱が机を叩き折っている。
 猛烈な剣幕で拳を振り上げ振り下ろし机を真っ二つに叩き折る凱。
 骨折にも似た破砕音をたて、ささくれだった切断面を晒して床に落下した机の残骸を蹴飛ばして、それでもまだ気がおさまらず爛々と血走った目であたりを見回して八つ当たりの対象をさがす……

 目が合った。
 合ってしまった。

 「ひさしぶりだなあ親殺し。悪運尽きて天に召されたかと思ったぜ」
 憤怒の形相から一転、舌なめずりせんばかりの表情で凱が挨拶する。
 「つい先日退院したばかりだ。相変わらず血の気が多いな、貴様は。図書室の備品を壊すのは感心しないぞ」
 心の中で舌打ち。
 非常にまずい状況だ。凱と目が合った不運を呪う。
 僕はうんざりした本心を隠しもせず凱を待った。
 今更逃げても遅いと諦観していた。
 既に出入り口は凱の子分に固められおり、凱の怒りを恐れて分散した取り巻き連中により僕を中心に追い込む包囲網が敷かれている。
 分厚い唇をねじるようにして凱が笑う。
 「噂じゃサムライの従弟に犯られて刺されて炙られたそうじゃんか。脇腹の傷は塞がったのか?今ここで傷口おっぴろげて拳を抉りこんでやろうか?公開フィストファックも乙なもんだぜ」
 「体内外の露出趣味はない。大腸小腸を公開するのはぞっとしない」
 凱が唾を吐く。この回答はお気に召さなかったらしい。
 ただでさえ品性と教養が欠片もない面構えを野卑に歪ませた凱が、木片を塗した拳をもったいぶって掲げる。
 「ひとりか。サムライはどうした」
 「包帯を替えに医務室に行ってる」
 「わざわざ俺たちにマワされにきたってのか?サムライに抱いてもらえなくてよっぽど欲求不満なんだな」
 恥辱で体が熱くなる。軽蔑の目で凱を睨む。
 凱は鼻を鳴らして僕を嘲笑うと、周囲に展開した子分に顎をしゃくり、僕を囲い込む間合いを詰めさせる。
 鼻血で顔面朱に染めた残虐兄弟がよろめきでる。
 他の子分が嗜虐的な笑みを浮かべる。
 絶体絶命の焦燥に駆られる。退路をさがしてあたりを見回す。
 「机を叩き折っただけでは飽き足らず僕の背骨を叩き折る気か。ところで凱、イエローワーク配属以来何本シャベルの柄を叩き折ったか教えてくれないか?砂漠にシャベルの柄の墓場でも作る気か。古代人を模倣して貝塚を作るのか。いっそ類人猿にまで遡ったらどうだ?顔と品性が退化した君なら喜んで仲間に迎えられるはずだ、クロマニョン人は大自然と共存する大らかな精神の持ち主だからな」」
 「今すぐ腸を引きずり出して減らず口利けなくしてやる」
 凱が激怒する。
 包囲の輪が狭まる。
 トラブルに巻き込まれるのを恐れて無関係な囚人が退散、あるいは野次馬根性を発揮して机によじのぼる。
 まずい、このままでは本当に傷口に拳を突っ込まれて腸を引きずりだされるはめになると冷や汗をかく。
 「売春班上がりならフィストファックも当然体験済みだよなあ?」
 間延びした嘲弄とともに腰だめに構えた拳が動き、
 
 『不行!!』
 
 今しも僕の鳩尾に鉄拳を叩き込もうとした凱が前のめりに姿勢を崩す。
 「なんだあ!?」
 人垣がざわめく。子分がどよめく。
 無防備な後頭部にスニーカーの直撃を受けた凱、着弾の衝撃に目を白黒させながら靴が投擲された方を仰ぐ。
 その目が驚愕と憤怒に引ん剥かれる。
 凱とその子分が一斉に振り返った方向、階段の真下に二人の少年がいる。
 一人は額にゴーグルをかけた少年。
 精悍な顔だちに愛嬌を添える八重歯、日焼けした肌に映える龍の刺青、快活な印象。
 もう一人は小柄な少年。
 跳ねっ返りの気性を現すように無造作に跳ね回った黒髪、切れ長の目。への字に引き結んだ口元から生来の強情さが窺える。
 片手を前に突き出す投擲のポーズで静止していた少年が、凱と仲間たちの注視を浴びて大儀そうに上体を起こす。
 ロン。
 そしてヨンイル。
 「大勢でよってたかって一人を小突き回すなんざとてもじゃねーが東棟を代表する華僑のボスの仕業たあ思えねーな」
 ロンが小癪に言い放ち、腰に手をあて凱にガンをとばす。
 「ピンチやなあ、直ちゃん。俺ら上から全部見とったんやけどいつ飛び出たもんか悩んどって、タイミング的にはくしゃみかあくびした時かドラゴンボール全部集め終えた時がええかなーて思うて、ロンロンと揉めてるうちにあれよあれよと追い詰められて事態が悪化してもうて……」
 西の道化ことヨンイルの出現に子分がうろたえる。
 いかに総勢三百人の大派閥を率いる凱とはいえ西のトップ相手に一戦構えるのは分が悪い。
 「薄汚ェ半々の分際で俺様を足蹴にするなんざ調子乗りすだぎだ。頭の後ろから鼻が出てくるまで百万回でも土下座させてやる」
 床に転がったスニーカーを荒々しく踏み躙り、凱が憤然と歩き出す。
 殺気走った目つき、紅潮した顔、荒い鼻息。
 怒りの矛先をロンへと転じ、拳の威力を予想させるように大きく腕を振りかぶり威圧的に近付いていく……
 凱との距離が8メートルに縮まった時点でヨンイルがゴーグルを装着。
 「ピピピッ!スカウター調べによる戦闘力650、対するロンロンは……こらあかん、戦闘力12や」   
 「戦闘力650……誰並だよ」
 「ガーリックJr」
 「マイナーすぎてわかんねえよ」
 「おしゃべりはおしまいだ。道化も子猫も仲良く吊るしてやる」 
 距離がさらに縮まる。ロンが臨戦態勢に入る。
 中腰に屈んだ姿勢で足を肩幅に開き重心を安定、腰だめに拳を構える。
 「今のうちに逃げろ、鍵屋崎」
 ロンが顎をしゃくる。
 躊躇する。
 ヨンイルはともかく凱とロンでは力の差が歴然だ。
 ロンを見捨てて一人逃げ帰るのに抵抗を感じる。すり足であとじさる僕の視線の先、僅か五歩を残してロンと対峙した凱が不潔に黄ばんだ不揃いの歯を剥き出す。
 「相変わらず友達思いで感心感心っと。レイジだけじゃなく親殺しとも出来てんのかよ、色情猫め」
 あからさまな嘲弄、挑発。
 ロンの頬が羞恥に紅潮、怒りに沸騰。
 それでも自制心を振り絞り自分から殴りかかるのを踏み止まるロン、その忍耐を粉々に打ち砕く凱の暴言。
 凱が好色に目を細める。
 肉厚の瞼の奥、獰猛な光を沈めた目がロンを映す。
 分厚い唇が蠢き、臭い息がロンをなでる。

 「『多少銭?』」
 お前はいくらだ?

 ロンが飛び出したのはその瞬間。
 「!まてっ、」
 抜群の瞬発力を生かして凱の懐にとびこむ。
 脳天から奇声を発し激情に任せて凱の腹に拳を叩き込むもダメージは少ない、かえってロンの方が苦痛に顔を顰め、乱打で痛めた拳を引っ込める。
 鉄板の筋肉に覆われた腹は衝撃を体内に通さず跳ね返す、瞬発力はあっても着弾の威力で格段に劣るロンの拳は全く利かず苦戦を強いられる。
 「ヨンイル命令だ、止めろっ」 
 「男同士燃えに燃える仁義なき戦いをジャマしたらかあいそかあいそや」
 階段にうずくまったヨンイルがへらへら笑う。
 役立たずの道化め。
 くそ、僕が止めに入るしかないのか?
 こんな時副所長がいればと一縷の希望に縋ってあたりを見回すも安田の姿はどこにもない、すでに図書室を出てしまったらしい。
 役立たず二乗め。
 「俺は売り物じゃねえっ、百万元積まれようがお断りだ!!」
 ロンが威勢よく啖呵を切り、ふくらはぎに蹴りを入れる。
 「売り物じゃなくて疵物だってか?淫売の股からひりだされた癖にウブなふりしてんじゃねえ、ケツ剥いて男を咥え込むのがお前の特技だろうがっ!!」
 ふくらはぎを蹴られても少しもこたえず、ロンが引く間を与えずその足首を掴み、万力めいた怪力で締め上げる。
 ロンが「しまった」と顔にだす。
 凱が会心の笑みを浮かべる。
 足首を捉えた手を自分の目の位置に持っていきロンを逆さまに吊り下げる、あえなく宙吊りにされたロンが「くそっ、おろせよっ、くそっ」と必死に虚空を蹴り上げるも凱の顔面には掠りもしない。
 「いいカッコだなあ半々。その位置からだと世界がどんなふうに見えるか教えてくれよ」
 「可愛いお口のとこに凱さんの立派なモンが来てんじゃねえか。日頃の礼にご奉仕させていただけよ」
 「ズボン剥いじまえよ凱さん、俺たち全員にもレイジの物咥え込んだケツマンコを見せてくださいよ」
 爆笑の渦が巻き起こる。
 ロンは屈辱のあまり唇を噛み締めている。
 唇を噛みながらもスニーカーのつま先を限界ぎりぎりまで蹴り上げて凱の顔面に一撃入れようという試みをやめず、周囲から更なる失笑を買っている。 
 見ていられない。我慢の限界だ。
 ロンと凱を引き離そうと衝動的に駆け出す、床を蹴り加速し一直線に凱の背中をめざす……
 「直ちゃん、危ない!」
 「え?」
 危ないのはロンだろう、と疑問を覚えたのも束の間。
 凄まじい揺れと轟音が襲った。
 続く振動、連続する悲鳴と散発する怒鳴り声。
 視界が反転、上下が逆転。
 何が起こったかわからないまま僕の体は床を転がり滑り机の脚に激突して漸く停止、人心地つく間もなく机上の本が降り注ぐ。
 「痛っ……」
 誰かが僕に覆い被さっている。
 自ら盾となり本の雪崩から僕を庇ったのは、電光石火の瞬発力で馳せ参じたヨンイル。
 「直ちゃん、大丈夫か。怪我せぇへんかった?」
 ヨンイルの肩越しに濛々と埃が立つ。埃の向こうに目を凝らす。折り重なるようにして倒れた僕とヨンイルの視線の先、切れ切れにたなびきながら次第に晴れていく埃。
 暴かれた光景は……
 「ロ、ン?」
 喉が詰まる。
 本棚が落下していた。
 戦慄。
 本棚が落下したと思しき箇所の手摺が自重で撓んでいた。
 二階の手摺周辺に視線を走らせ、本棚を落とした人物を突き止めようとするも不審者は見当たらない。
 どこへ消えた?
 落下の際に舞い上がった埃を隠れ蓑に逃げおおせたのか?
 どうやらその可能性が高いと判断、犯人を突き止める前にロンの安全を確認すべきと優先順位を変更、咄嗟に走り出そうとして……

 四肢に電流が流れたように硬直する。

 寒気がした。
 ぎこちなく首をもたげ、二階の手摺に沿って再び視線を巡らす。
 誰かがこちらを見ている。気配を感じる。
 敵意。悪意。冷え冷えとした害意の放射。
 絶対零度で凍結した殺意。
 「どないした直ちゃん?スーパーサイヤ人からグレイトサイヤ人に進化した悟空を見たクリリンみたいなカオして」
 「………『彼』だ」 
 見つけた。 
 階下の騒ぎが沈静化するまで書架の奥に姿を潜めていたらしき少年が洗練された足取りで手摺に歩み寄る。
 まだ新しい服を着た囚人……おそらくここ一ヶ月以内の新入りだ。
 少年が手摺に手をおく。
 無表情に階下を見下ろす。
 陥没した床、大破した本棚、床一面になだれ出た圧倒的な量の本……突如頭上から本が降ってきた事に驚愕する囚人、腰を抜かして喘ぐ囚人、躁状態で騒ぎ立てる囚人。
 それぞれ個性的な反応を示す囚人たちの中、落下地点に最も近いロンと凱は互いの胸ぐらを掴み合ったまま完全に硬直、本棚の自重で陥没した床と何層にも堆積した本を見比べる。
 手摺に手をかけた少年が見詰めているのは―……
 ロン。
 凱の胸ぐらを掴んだまま茫然自失するロンを映す目は、冷たく透徹した金属の色。
 右目が銀、左目が金。
 完全に感情を排したオッドアイ。
 体の中に銀色の血が流れているような非人間的な鉄面皮。
 黒が基調の短髪に銀のメッシュを入れた少年は、暫く何の感興も湧かない様子で階下を眺め、上体を起こしがてら無音で囁く。
 唇の動きに目を凝らし、正確に意味を読み取る。

 『好久不見了』
 ひさしぶりだな。

 現れた時と同じ唐突さで身を翻し、どこへともなく去っていく。
 少年が姿を消すと同時に金縛りが解けた。
 緊張の糸が切れた安堵でその場に座り込みたくなるのに抗い、萎えそうな膝を叱咤してロンに駆け寄る。
 「大丈夫か、どこも怪我はないか?」
 「なん、だよ今の」
 ロンの肩を揺すって正気に戻す。
 徐徐に目の焦点が合わさり僕の顔を認識する。
 「鍵屋崎なんだよ今の、普通本棚が頭の上から降ってくるかよ、一歩間違えば俺っ……死っ……」
 ロンの歯ががちがちと鳴る。僕に縋る手が小刻みに震える。
 ショックが癒えぬロンの手を握り返し、オッドアイの少年が姿を消した手摺を仰ぎ見る。
 「犯人はわかっている」
 ロンと凱とヨンイルが一斉に僕を見る。
 落下の衝撃で棚が抜けた書架を見下ろし、直撃すれば即死は免れなかった確信を掴み、金銀の眼差しに込められた真意を汲み取る。
 
 オッドアイの少年は、ロンを殺そうとした。

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少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050421023704 | 編集
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