ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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三十三話

 「う………」
 炉に熱された大気に歪みが生じる。
 軸の歪んだ視界に火の粉が爆ぜる。
 大量の脂汗が額に滲む。
 手首の皮が攀じれて血が滲む。
 いつだったか、悪趣味な看守の手でシャワーのフックに吊られたことを思い出す。あの時味わった苦痛と屈辱が現実に被せて生々しくよみがえり、奥歯を噛む力が増す。
 「痛っあ……」
 口から苦鳴が迸る。
 縄が手首に擦れる痛みにも増して耐えがたい脇腹の痛みが再発する。
 臓物に重力の負荷がかかり自然と体が仰け反る。
 声をおさようとしても無理だ。
 理性が痛みに打ち克てない自制が利かない理性が瞬時に蒸発思考が霧散、脇腹が脇腹が脇腹が痛い痛痛痛痛……脇腹に苦痛が凝縮される。
 生きながら内臓を掻き出され傷口を炙られる痛みは地獄の責め苦に等しくもはや理性を保っているのも困難だ。
 この場における唯一の苦痛からの逃避手段は気絶だ。
 精神が崩壊する前に痛覚を遮断して眠りにおちる。
 意識が溶暗する。
 だがしかしすぐに目覚める、目覚めてしまう。
 脇腹が酷く疼くせいだ。
 激痛のあまり失神して激痛のあまり起こされて、際限なく気絶と覚醒を繰り返す間に今いる場所がどこか何故ここにいるのか頭がぼやけてわからなくなる。
 僕は誰かを待っている。
 誰だ?誰を?わからない。
 大切な人のような気がする。
 とても大切な、僕にとってかけがえのない人間……だったような気がする。
 僕はずっと彼を待っている。
 縄が手首に食い込む痛みと脇腹の激痛に耐えて、宙吊りの拷問で何度となく失神しては火炙りの熱で目覚めさせられ、そうまでして誰を待っているんだ?
 しぶとく、往生際悪く。
 「まだ死なないの?しぶといね」
 細切れの意識の中で嘲笑を聞く。
 せせら笑う声に目を向ける。
 眼下の通路で少年が微笑んでいる。
 「いつまでもつかな」
 虚空に吊られた僕を仰ぎ見て、嗜虐の愉悦に目を細めるのは……
 静流。
 思考野を覆っていた靄が晴れて意識が覚醒する。
 思い出した。僕は鍵屋崎直、IQ180の天才だ。眼下の少年は帯刀静流、重態の僕を医務室から拉致してサムライをおびきだす人質に利用した。僕が待ち続けている男はサムライ……
 帯刀貢。
 生まれて初めてできた友人、かけがえのない存在。
 「サムライはこないぞ」
 きっかり静流を見据えて断言する。
 静流の笑みが薄まり、疑問の色が目に浮かぶ。
 怪訝な表情の静流を見据えたまま、一語一句明瞭に言葉を紡ぐ。
 「IQ180の頭脳の持ち主たる僕が選んだ友人がそんな無謀を犯すものか、自己犠牲の自己欺瞞で彼に生きてて欲しいと願う僕を裏切ったりするものか。いいか、よく聞け静流。サムライは絶対来ない。理解力の欠如した低脳の為に何度でも自信をもって断言してやる。サムライはここには来ない。助けになど来るものか」
 「どうして言い切れるの?」
 深呼吸で脇腹の痛みを紛らわし、口が利けるまで回復するのを辛抱強く待ち、しっかりと言葉を返す。
 「ここに来たら、今度こそ絶交されるからだ」
 嘲笑が弾ける。眼下で静流が笑っている。
 さもおかしい冗談を聞いたとばかり喉を弓なりに仰け反らせて芝居がかった笑い声をたてる。
 炎の唸りが轟く溶鉱炉に振幅の激しい笑い声が反響する。
 来るなサムライ。
 固く目を閉じて一心に念じる。
 どうか来ないでくれ。静流の目的は復讐だ。サムライを殺して目的を達するまで静流は決して止まらない。裏を返せば静流の目的はサムライただ一人、他はどうでもいいのだ。
 僕の生死などさしたる問題ではない、死のうが生きようがどうでもいい関心の埒外だ。静流がこだわるのはあくまでサムライの生き死にのみ、憎い仇さえ葬ることができればそれでいいのだ。
 来るなサムライ。
 来ないでくれ。
 「こないね、貢くん。逃げたのかな」
 僕の心を読んだかのようにさも残念そうな口ぶりで言い、意味ありげに一瞥くれる。
 「武士の風上にもおけない卑怯者だ。そう思わないかい君も?苗さんの時に引き続きまた今度も逃げるなんて帯刀家の恥さらしだ」
 霞む意識の彼方で静流の語りを聞く。
 ロープで吊るされた僕が一呼吸ごとに衰弱していく過程を眺め、美しい少年が小首を傾げる。
 「辛いかい?」
 「あたり、まえだ……」
 声を搾り出すのに多大な苦痛が伴う。
 肺が先細り、声帯がからからに干からびる。
 喉仏を汗が伝う。
 汗に濡れたそぼった前髪が額に貼り付き、ただでさえ眼鏡を取られて見えにくい視界を遮る。
 ロープで宙吊りにされてるせいで両手首に全体重がかかり、脱臼の激痛に腕が軋む。
 重力に逆らって頭上高く手首を纏められているせいで腕の血が滞り感覚が麻痺する。
 ボロ屑同然の苦痛の塊と化した僕を見上げ、静流がしどけなく手摺に凭れる。
 「縄で縛られてひとりで悶え苦しむなんていやらしいね」
 今の僕には静流に歯向かう気力すらない。腸が一ミリほど露出した……気がする。何とか縄をほどこうと必死に身を捩り続けたせいで残り少ない体力をさらに消耗した。
 ぐったり弛緩した僕を眺め、静流が満足げに微笑む。
 「自分で見えないのが惜しいね。今の君すごく色っぽいよ。手首に食い込む縄が残虐美を引き立てる。苦痛に歪む顔は被虐の官能に火を付ける。しっとり額を濡らした脂汗が大粒の玉となってこめかみを滑り落ちる。ぐっしょり湿った上着が素肌を透かす。絶頂に達したように体が仰け反り、そして……」 
 ふいに言葉が途切れる。
 鞭打たれたように顔を上げた静流の視線を追う。
 顔に貼り付いた笑みがかき消え、虚ろな双眸が曝け出される。 
 無表情に激情を封じた静流の視線の先、溶鉱炉に接続した通路の出入り口に現れたのは長身痩躯の男。
 垢染みた囚人服に痩身を包み、脂光りする髪を無造作に結い、激しく燃える炎をも圧する爛々たる眼光で宿敵を睨みつけるのは…
 「サムライ……」
 かすかに唇を震わせ、かぼそく名を呼ぶ。
 諦めにも似た感情が込み上げる。本当はわかっていたのだ、こうなることは。諦念の溜め息を吐いて目を瞑る。
 自責に胸が疼く。
 静流にさらわれた時点でこうなることは予期できていた、サムライが僕を見殺しにするはずないと心の底ではわかっていたのだ。信頼していたのだ。僕は口先では彼に来るな来たら絶交だと言っておきながら心の底では彼の救出を待ち望んでいたのだ、サムライが必ず迎えに来ると信じて執拗な責めに耐え抜いたのだ。
 僕は卑怯者だ。
 とんでもない卑怯者だ、偽善者だ。彼に死んで欲しくないのに戦ってなど欲しくないのにこうしてここに来てくれた事に安堵している、それだけならまだしも喜んでいる。
 呼べば必ず来てくれる。
 必ず助けに来てくれる。
 サムライは決して、僕の信頼と期待を裏切らないのだ。
 「………何故来るんだ、低脳め。君の助けなど要らない。天才の頭脳をもってすればひとりで溶鉱炉を脱出するのも不可能ではないと証明する良い機会だったのに、もったいぶって登場した君のせいで計画が台無しだ」
 虚勢を張って叫ぶ、僕はまだ平気だと言葉に代えて。
 ロープで宙吊りにされた僕を見てサムライの顔が驚愕に強張り、完全に目が据わり、眼光ぎらつく憤怒の形相に変わる。
 抑制の利いた挙措でサムライが歩を運ぶ。
 「置手紙の意味がちゃんと伝わったようで何よりだ。迷子になってるかと思ったよ」
 「御託はぬきだ。即刻直をおろせ」
 「嫌だ」
 有無を言わせぬ命令をあっけなく拒絶、静流が高飛車に腕を組む。
 腕組みで優位を誇示する静流のもとへサムライが大股に歩みだす。
 一歩、また一歩。
 徐々に距離が縮まり緊張感が高まる。
 溶鉱炉の直上に渡された高架にて、同じ姓をもつ二人が対峙する。
 「直は無関係だ。お前の目的は俺だ。俺さえ殺せば満足なのだろう、静流」
 「心外だね。見損なってもらっちゃ困るよ」
 静流がおどけて肩を竦める。
 彼岸と此岸の差が縮まるにつれ、膨れ上がる闘気に呼応して火の粉が乱舞する。
 「君一人あの世に送り込んだところで姉さんは満足しない。いいかい貢くん、君と姉さんはあの世で祝言をあげるんだ。帯刀本家の跡取りと分家の長女が祝言を挙げるのにお付きの小姓がいなけりゃさまにならないでしょ」
 「なんだと?」
 サムライが訝しげに眉根を寄せる。
 サムライに魅惑の微笑みで応じ、つ、と腕を差し伸べる。
 日本舞踊を嗜む者特有の洗練された立ち居振る舞いで前に出る。
 「知らぬは本人ばかりなり。貢くん、君は何も知らないんだね。莞爾さんが下した苦渋の決断も、本家と分家の間でひそやかに取り交わされた婚礼の約束も、薫流姉さんが君の許婚だったことも……」
 サムライが気色ばむ。
 「どういうことだ、静流。薫流が俺の許婚とは……」
 「莞爾さんは君と苗さんの仲を引き裂くのに必死だった。君たちふたりは腹違いとはいえ血の繋がった兄弟、ましてや苗さんには忌むべき異人の血が混じっている。そんな出自卑しい娘を家に入れるくらいならばいっそのこと犬猿の仲の分家から嫁を貰ったほうがマシだと決断したのさ。君が知れば勿論反対するからお膳立てが完璧に整うまで黙っているつもりだったんだろうけど、僕も姉さんも母さんも分家の人間はちゃんと聞かされて知っていたよ」
 暴露された真実にサムライは戸惑いを隠せない。
 サムライの反応から察するに静流の姉との間にはなんら恋愛感情が存在しなかったのだろう。いとこであるというだけで生涯の伴侶となる取り決めをされた薫流も今は故人、僕は薫流の人となりを静流の思い出語りでしか知らない。本人が知らない間に家同士が勝手に決めた許婚の存在が発覚、愕然とするサムライに静流が呟く。
 「僕は君が憎い。才能も人望も全てを持ち合わせていながら、僕が唯一心の拠り所としていた姉さんまで奪おうとした君が殺したいほど憎かった」
 静流の目はここではないどこかを見ていた。
 「けれども僕は姉さんが幸せならと自分を納得させた。苗さんは昔から君が好きだった、二人が結ばれるなら僕の気持ちなどどうもでいいと切り捨てた。僕は莞爾さんの言うなりに苗さんと君を引き裂こうとした。愛する姉さんの幸福のためなら汚れ役に徹するのも厭わなかった、たとえ苗さんを汚して傷付けても姉さんが幸せならばそれで……」
 あてどもなく彷徨する姉の亡霊を幻視、優しく手を差し伸べる。
 泡沫の幻影が折から吹いた火の粉に散らされる。
 最愛の人を抱こうとして、己自身の孤独を抱擁する。
 面影の残滓を掴み損ねた五指を開き、放心したように手を見下ろす。
 「苗さんを犯すよう指示したのは僕だ。僕が道場の門下生をそそのかして苗さんを輪姦させたんだ」
 サムライが衝撃に凍り付く。
 「莞爾さんは知らなかった。君は莞爾さんが全てを指示したと誤解したようだけど実際は何も知らなかった。いくら血も涙もない鬼当主の帯刀莞爾といえど自分の娘を輪姦させたりはしない」
 「手ぬるいんだよ、莞爾さんは」と口角を歪めて吐き捨てる。
 体の脇に手を垂れ下げてサムライに向き直る。
 「僕から姉さんを奪うんなら他の女に心を移してほしくない、姉さんだけを見ていてほしい。僕は一計を案じた。君と苗を完全に引き裂く為に道場の門下生を唆してよってたかって彼女を慰み者にした。犯された直後、放心状態の苗さんの背後に忍び寄って耳元で囁いた。君たちは腹違いの姉弟だ、決して結ばれちゃいけない宿命なんだと……苗さんを自殺に追い込むのはあっけないくらい簡単だったよ」
 「……やめろ、静流」
 喉の奥で唸り声を発して威圧するも、静流は動じない。
 サムライの制止を振り切り、甲高い声で続ける。
 「苗さんさえいなくなれば君は姉さんを選ぶと思った、薫流姉さんを好きにならざるえないと思った。だってそうでしょ?莞爾さんは帯刀の血を絶やすのを許さない。分家の娘を娶って子を生して帯刀家を末代まで栄えさせるのが君に課せられた使命、武家の末裔の宿命だった。僕は莞爾さんがくだらない親心に血迷ってるあいだに邪魔者を排除したのさ、全部姉さんの幸せのため、姉さんに幸せになってほしかったからさ!!」
 鬱積した感情が爆発する。
 どこまでも一途に純粋に姉を慕い続けた静流、だがその想いは報われなかった。静流が愛した女性はもうこの世にいない、サムライが愛した女性はもうこの世にいない。両方とも死んでしまった。
 奇縁に導かれて再会を果たした帯刀家の末裔は、互いによく似た境遇に身を置いていた。
 「…………お前が苗を殺したのか」
 ざんばらに乱れた前髪の奥から修羅の眼光が覗く。
 「そして今また直を殺そうというのか。俺の眼前で」
 「そうさ」
 「させるものか」
 静流と10メートルの距離を空けてサムライが停止、肌に痛い程に空気が張り詰める。
 僕は虚空に吊られたまま、無防備な肢体を晒して二人のやりとりを見守るより他ない。
 手首に縄が食い込む物理的な痛みにも増して胸を締め付ける無力感、サムライがこんなに近くにいるというのに手も足も出せず二者の衝突を見守るしかない歯がゆさ。
 「くそっ、ちぎれろ、ほどけろ!」
 必死に身をよじり足を振り縄を切ろうとあがく。
 だがますます深くきつく食い込むばかりで縄は一向にほどけず焦りが募る。このままではサムライが死んでしまう、怪我を負ってしまう。手首の皮膚が縄に食い破られて燃えるような痛みを感じる。
 宙吊りにされたまま暴れる僕をひややかに一瞥、静流が余計な忠告をする。
 「暴れるのはよくない。縄がちぎれてしまうよ」
 「直を下ろせ」
 思い詰めた眼差しで交渉に臨むサムライに向き直り、あっさりとかぶりを振る。
 「直くんを救いたければ力づくで僕を倒すしかない」
 物分りの悪い子供に言い聞かせるように辛抱強く諭し、足元の鉄パイプを拾い上げ、無造作に投げる。
 サムライが手を前に出して鉄パイプを受け取る。 
 掌中にしっくりおさまった鉄棒は片刃を模して斜に削られている。
 「刀の代わりさ。真剣なら尚よかったんだけど、さすがにこれで我慢するしかない」 
 静流が流麗な所作で鉄パイプを拾い上げ、目を閉じて精神を統一する。
 サムライが足幅を開き、腰に重心を落として踏み構える。
 鉄パイプを握り締め、煩悶の形相でこちらを仰ぐ。
 もはや逃れる道はない、静流と戦って倒すしか僕を救う道はない。
 そう己に言い聞かせて迷いを振り切り、肉の薄い瞼を閉ざす。
 ゆっくりと瞼が持ち上がり、凄烈な眼光を宿した双眸が外気に晒される。
 「直」
 サムライが僕の名を呼ぶ。
 視線が絡み合う。
 小揺るぎもせず鉄パイプを構え、断言。
 「必ず助ける。必ずこの手にお前を抱く」
 「サムライ……」
 「愛しているんだ、お前を。狂おしいほどに」
 顔に苦渋が滲む。双眸に苦悩が浮かぶ。
 口先だけじゃない。サムライは全身で「愛している」と言っている、静流に立ち向かう全身で「愛している」と言っている。心の底から僕を欲し、気も狂わんばかりに僕を渇望している。
 「僕もだ、僕も愛している」
 手が届かないならせめて声だけでも届けたい、想いを届けたい。
 脇腹の激痛に抗い声を限りに叫ぶ、眼下の通路で静流と対峙するサムライめがけ身を乗り出して叫ぶ。
 「早く君に抱かれたい、君の手に抱かれたい。君の腕の中がいちばん安らげる場所だ、君の腕の中にいる時がいちばん幸福を感じるんだ、確かに守られていると実感できるんだ」
 「お前を抱きたい。この腕が軋むほど力を込めてお前を貪り食いたい」
 サムライと触れ合いたい。
 サムライと抱き合いたい。
 念力で縄がちぎれるならと眉間の一点に集中力を注いでみるが縄は手首に巻き付いたまま、高度が下がることもない。
 眼下では炎が燃えている。
 溶鉱炉の上に架けられた橋にて、サムライが厳かに誓いを立てる。
 「俺はお前の物だ」
 誠実な面持ちで緩やかに腕を振り上げる。
 「剣を振るう腕も」
 筋張った喉が震え、朗々と声が響く。
 「お前を呼ぶ喉も」 
 溶鉱炉から噴き上がる火の粉が視界を遮り、サムライのまわりで轟々と渦巻く。 
 紅蓮に染まる世界の中心、溶鉱炉から立ち上る火の粉が大気中を席巻する。
 「すべてをお前に捧げる」
 全身全霊を尽くし、愛する。 
 身も心も砕いて僕に捧げる。
 サムライが大きく息を吸い、腹腔に溜める。
 止水の心で呼吸を均す。
 腹腔に息を溜める。
 丹田で練り上げた闘気を掌に集中する。 
 無機物の鉄棒に神経の芯が通い、サムライと一体となる。
 地獄の業火で鍛えた一振りの刃を斜に翳す。
 「逝くぞ」
 サムライが鋭く呼気を吐き、疾風の速度で地を蹴る。
 猛然と疾駆するサムライに合わせて静流も走り出す。
 通路の中央にて二人が激突、苛烈に火花が散る。
 鉄パイプの刃が噛み合い軋り合い耳障りな擦過音を生み出す。
 「そうまで俺が憎いか、静流っ!!」
 サムライが奥歯を食い縛る。喝と見開かれた双眸に激情が迸る。
 「憎いさ、憎いとも!才能と人格に恵まれた本家の跡取りに分家のおちこぼれの気持ちがわかるものか、物心ついた頃から血も滲むような修行に耐えて剣の腕を磨いても決して君には追いつけなかった、君の何倍も何十倍も努力したところで与えられるのは同情のみ、君が当たり前に貰っている賞賛も激励も無縁の代物でしかない!!」
 静流が嬉々と哄笑する。 
 「君は天才で僕は努力の人、祖父譲りの天分の才に恵まれた君とは格が違う。誰もが君を褒める君に夢中になる、帯刀貢は高潔な人格者にして剣の天才だと君を褒めたたえる!僕は生まれた時から君の引き立て役でしかなかった、君と比較され貶められるためだけの存在だったんだ。そんな僕に姉さんだけが優しくしてくれた、姉さんだけが構ってくれた。僕は姉さんが好きだった。姉さんを独占したかった、どこにも行かせたくなかった、ずっとずっと僕の僕だけの姉さんでいてほしかった!!」
 語気激しく姉への想いを吐露する静流、感情の昂ぶりに比例して膂力が増して鉄パイプが軋る。
 サムライは正眼に構えた鉄パイプで静流の攻撃を受け止めたまま、刃を引こうにもその隙すら与えられず劣勢に追い込まれる。
 「僕は姉さんを愛していた」
 静流の顔が歪み、絶望とも渇望とも付かぬ悲嘆の表情が掠める。
 突然の告白に驚き、サムライが一瞬動きを止める。
 静流はその隙に付け入り懐に潜り込み、巣を張る蜘蛛の如く吐息を絡める。
 「君と苗さんは姉弟と知らず愛し合っていたけど、僕は血の繋がりを自覚した上で姉さんを愛していた」
 「サムライ!」
 呪縛が解ける。
 僕の声で我に返ったサムライが咄嗟に半歩後退する。
 衣擦れの音もなく肉薄した静流は間合いを脱するのを許さず、肩から脇腹へと斜めに斬り付ける。
 「!くあっ、」
 肩から脇腹へと抜けた鉄パイプが容赦なく肉を抉る。
 サムライの上着が裂けて繊維の破れ目から素肌が覗く。
 袈裟懸けに斬られたサムライが本能で追撃を回避、己の鉄パイプで打ち込みを弾いて後方に跳躍、呼吸を荒げて体勢を立て直す。
 「腹違いの姉弟であるとも知らずぬくぬく愛し合ってた君たちがどんなに妬ましかったか、鈍感な君は気付きもしなかったね」
 「……俺が憎いなら俺を殺せばいい。なぜ苗まで……」
 「繰言は聞き飽きた」
 慙愧の呪詛をにべもなく切り捨て、再び鉄パイプを構える。
 肩の肉を深々抉られたサムライは、朦朧と霞む目を凝らして静流を睨み付ける。
 鉄パイプの一振りで血糊を払い、幽鬼じみた足取りで接近する静流の全身から混沌と瘴気が漂い出す。鉄パイプに縋って上体を起こそうとするも、肩口の激痛に片膝が砕けてずり落ちる。
 どうにか鉄パイプに凭れて上体を起こすのに成功したサムライのもとへ、美しき修羅が歩み寄る。
 「非業の死を遂げた母と姉の遺志を継ぎ、今こそ帯刀貢への復讐を果たす」 
 「サムライしっかりしろ、立ち上がるんだ、もう一度僕を抱くんじゃなかったのか!?」
 脇腹の激痛を耐えて声を振り絞り呼びかける。激しく暴れる度にロープが食い込んで手首が内出血する。宙に垂れた縄に負荷がかかるのはわかっていても体を動かすのをやめられない、必死に身をよじり首を振りサムライに呼びかけるのをやめられない。
 一度は鉄パイプに縋った立ち上がるのに成功したサムライだが、鉄パイプを掴む手が血脂でぬめり、またしても膝を屈してしまう。
 額におびただしい脂汗を浮かべて抗い続けるサムライの眼前に不吉な影がさす。
 静流。
 「サムライ、ここで死んだら二度と僕が抱けないぞ!また約束を破る気か、僕を失望させる気か!生きて必ず僕を抱くという約束を忘れたのか、僕をその手に取り戻すという約束を放棄するのか?僕はまだこうして生きているちゃんと呼吸している君の戦いを見届ける、僕の前で無様な姿をさらすなサムライっ………」
 サムライ。
 サムライ。
 死なないでくれ。

 ―「僕を抱くまで死ぬな!!」― 

 溶鉱炉に絶叫が響き渡る。
 僕の喉を焼いて迸った絶叫に静流が鼻白む。
 「無論、だ」
 永遠にも思える一瞬の空白のあと、間断ない激痛に苛まれて息を荒げながらサムライが立ち上がる。
 静流が目を見張る。
 肩から脇腹へと開いた切り傷が肉に達し、鮮血が滴る。
 血脂にぬめる手を服に擦り付け、鉄パイプを掴む。
 地獄の情景が出現する溶鉱炉。
 中空に架かる橋にて復活したサムライが、どこからでもかかってこいと暗示するかの如く刀を上段に構える。
 腕を上げ下げするだけで肩に響くだろうに、毅然と前を向いた顔には不思議と苦痛の色がなく、潔い決意が浮かんでいる。
 無防備に隙を晒しているかに見えて、その実玄人ならばどこから打ち込まれても万能に対応できる上段の構えをとり、力を取り戻した双眸に意志の光を閃かせる。
 「お前を抱かずに死んだら、心残りで成仏できん」
 サムライが、侍になった。  

少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050502202757 | 編集
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