ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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三十一話

 体が焼ける。
 タンパク質の焦げる匂いが鼻腔をつく。
 「っ…………」
 ちりちりと火の粉が燻る。鼻腔を刺激するのは髪の毛が焦げる異臭だ。体が熱い。知覚未満の痛みは熱でしかない。僕の時もそうだった。背後から脇腹を刺された時最初に感じたのは痛みではなく熱、衝撃ではなく違和感だった。
 体の中でどろりと熱塊が蠢く、とてつもなく不快な感覚。
 無意識に腹に手をやる。
 手のひらに湿りけを感じ、薄目を開ける。
 視界がぼやけている。
 吐き気と眩暈と頭痛とに同時に襲われる。
 体が熱い……痛い。脇腹が酷く疼く。
 おそるおそる手をどけて脇腹を見下ろす。
 上着の脇腹が血に染まっている。どうやら傷口が開いたらしい。
 昨夜蹴られたせいか移動中に乱暴に扱われたかそのどちらかだ。
 静流ときたら全く手加減がない。僕は重患だぞ、少しは慎重に丁重に扱ったらどうだと抗議したくとも舌が回らない。
 なけなしの気力と体力を振り絞っても、鉛の如く重たく垂れ下がる瞼を開き続けるだけで精一杯なのだ。
 完全に瞼を閉じてしまいたい誘惑に抗い、奥歯を食い縛り激痛を堪える。額に脂汗が滲む。ここはどこだ?覚醒時から脳裏にあった疑問を確かめるべく、疲労と激痛に霞む目を凝らしてあたりを見回す。
 ふと視線を下ろし、息を呑む。
 金網を隔てた下で轟々と炎が燃えている。
 僕が前後不覚で座り込んでいた場所は鉄骨の骨組みの上、より詳しく言うなら横幅5メートル全長30メートルほどの高架上だった。
 下から上へと視線を移動、また驚愕。
 何本何十本という足場が縦横無尽に交差して上へと続いている。
 頂は闇に没している。
 重層的な構造が作り出す幾何学的な眺めに言葉を失う。
 下は休むことなく炎を吐き続ける巨大な炉、上は要所要所で接続と連結と分岐を繰り返し無限に派生していく通路。
 漸くわかった、視界が歪み続けているわけが。
 巨大な炉が稼動しているせいで空気が高温となり陽炎が発生、よって周囲の光景が湾曲して見えるのだ。
 呼吸を整え心を落ち着け、今一度現状を顧みる。
 僕が意識を失い倒れ込んでいた通路は立体交差の中層に位置するらしく、底部の炉までは30メートル程距離がある。
 炉がどれ位の深さかはわからない。こうして見ている限り底など存在しない錯覚に囚われる。
 赤熱の光沢を帯びて液体化した金属が沸騰している。
 核爆発にも似た閃光を放つ炉には、じっと見ているうちに体が傾いで吸い込まれてしまいそうな磁力がある。
 炉に廃棄された鉄屑が溶解していく過程は炎に阻まれてよく見えない。炎の勢いは衰えるどころか激しくなるばかりで僕まで焼け尽くされてしまうのではと不安になる。
 ここから突き落とされたらひとたまりもない。
 炉で溶けて骨すら残らないー……

 足音。

 接近の気配に振り向こうとして、不意に眩暈に襲われバランスを崩す。
 金網に手を付いた僕のもとへ何者かが近付いてくる。
 顔を上げる前から誰だか察しは付いていた、重態の僕を医務室から拉致した張本人だ。
 カシャン、カシャン。金網が鳴る。
 足裏に体重を分散させた優婉な足運びにはまるで威圧感がなく、舞踊でも嗜んでいるかの如く生来の優雅さがある。
 火影に照らされて泰然自若と歩み寄る人影はおよそ現実とかけ離れ、霞を食べて生きているような幽玄な印象を抱かせる。
 すでに彼岸に渡ってしまったような。
 現実に生きる人間ではないような、そんな矛盾した印象。
 越えてはいけない一線を越えて、人の身でありながら修羅に堕ちた姿。
 不安定な足取りに刹那的で危うい雰囲気を漂わせてやってきた少年が、清楚に微笑む。
 「やあ、お早う。すごい汗だ。びっしょりだよ」
 呑気な挨拶に怒りが込み上げる。
 「……こんな場所に放置されれば誰だって汗を分泌する。君は随分涼しげな顔をしているが、自分で体温調節ができる特異体質の持ち主かそうでなくば一段階上に進化した新たな人類なのか?ついでに面白いことを聞かせてやる。哺乳類の中でもイヌやオオカミは汗腺を持ってないために温度調節ができず、そのため汗腺の代わりに長い舌を垂らして激しい呼吸を行い、それによって舌に付着したよだれを蒸発させる事で体温調整を行っているんだ。悪趣味な所長の犬が常に舌を垂らしてるわけがわかったろう、低脳め」
 「相変わらず威勢がいい。好ましいよ、腹が破けても憎まれ口をやめない根性」
 台詞に巧妙に棘を混ぜ、唇を綻ばす。
 足音が止む。
 手前で立ち止まった人物を火の粉が艶やかに彩る。
 闇に爆ぜる火の粉に彩られて鮮烈に浮かび上がったのは、白鷺の生まれ変わりとおぼしき美しい少年。濡れた様に長い睫毛、憂いと潤いを含んだ目は澄んだ漆黒。線が細く肉が薄い鼻梁と華奢な顎が絶妙な均衡を保ち、薄命で儚い美貌を作り出す。
 闇に映える火影が顔に化粧を施す。
 しとやかな挙措とたおやかな容姿を裏切るが如く、唇だけが妖艶に赤い。
 「ようこそ、レッドワークの巨大溶鉱炉へ」
 静流だった。
 「レッド、ワーク、だと……」
 レッドワーク。
 都会から運ばれてきた危険物を加熱処理する仕事、サムライと静流の仕事場。当然それくらいの知識はある。
 とすると、ここがかの有名なレッドワークの巨大溶鉱炉?
 レッドワーク担当の囚人とは地下停留場で乗り込むバスが別で、地下停留場を出たバスがどこへ向かうかも僕は知らない。僕が知っているのは広い砂漠のどこかに危険物を加熱処理する溶鉱炉があり、レッドワークの囚人が働いているという端的な事実のみ。
 待て、静流の話はおかしい。矛盾だらけだ。
 「待て。ここがレッドワークの溶鉱炉だとするなら、どうやって僕を連れてきた?」
 頭が酷くずきずきする。
 脳裏が朦朧と霞みがかって記憶がはっきりしない。
 固く目を閉じて昨夜の顛末を思い出す。
 医務室で就寝中に看守に化けた静流に襲われた、首をナイフで切り付けられた、それきり気を失って……
 口の中に苦味を感じる。
 唾液が苦い。
 なんだこれは?いくつかの断片がフラッシュする。
 僕に圧し掛かり無理矢理口をこじ開ける静流、口に突っ込まれる指、口腔に放り込まれた錠剤が溶け出し独特の苦味が広がり喉を通り……
 あのクスリは何だったんだ?
 静流が持っていたのだからどうせろくなクスリじゃないだろう。クスリを飲んだあとの記憶がないのもおかしい。
 記憶の欠落とクスリが関係している?
 頭がくらくらする。
 気分の悪さと戦いつつ、片手で頭を押さえて口を開く。
 「レッドワークの溶鉱炉にくるにはバスを利用するしかないが囚人との相乗りは避けられない。静流、君はどうやってこの難題をクリアした?他の囚人にバレる危険を犯してまで失神中の僕を連れてバスに乗り込んだのか、いや、そんなことは絶対に不可能だ!地下停留場のバス停に並んだ時点でつかまるに決まってる、君は柿沼を殺し医師を殺し独居房を脱走した凶悪犯だ、東京プリズン中の看守が君の行方を追ってるんだぞ!」
 悪戯っぽく目を細め、内緒だといわんばかりに唇に人さし指をおしあてる。
 「君に飲ませたあの錠剤、ね。人を操り人形にするクスリなんだ」
 謎めいた示唆に不安が増大する。
 「な、に?」
 人を操り人形にする?どういうことだ?
 あのクスリによって意志を奪われて静流の思うがままに行動したということか?
 まさか。そんなクスリ聞いた事もない。衝撃を受けた僕にしなやかにくねりより、自分の唇にあてた指をそっと僕の唇へと移す。
 間接的な接吻。
 僕の唇に触れたまま、淡々と説明する。
 「自白剤の一種。リョウ君から貰ったんだ、暗示にかかりやすくするクスリを。君には予想以上に効き目があったらしいね、クスリを呑ませた途端に目がとろんとして僕に言われた通り行動するようになった。あれを呑んだ人間は一時期的な催眠状態になって命令を遂行する。直君、君は自分から僕についてきたんだ。僕には絶対逆らうな、何でも言われたとおりにしろって暗示をかけたせいでね。全治二ヶ月といっても半分は経ってるんだ、歩いて歩けないわけじゃない。よろめいた時は腕を掴んであげたし」
 「心の中で三秒数えてから馬鹿を言え。IQ180の天才たるこの僕がそんな初歩的な暗示にかかって下僕と化すはずなかろう」
 プライドにかけて反論するも腹に力が入らず声から空気が抜ける。
 ぼんやりと記憶がよみがえる。
 バス停の列に並んで夢遊病者めいた足取りでステップを踏みバスへと乗り込み、目立たないよう顔を伏せて、静流の誘導で隅の席へ押し込まれて…… 
 「仮に、仮に貴様の荒唐無稽支離滅裂倫理破綻の戯言が真実だとしよう。だがそれでもまだ疑問が残る、何故バス停に並んでいた時に怪しまれなかったのだ?レッドワークには東棟の人間もいる、東棟の人間が君と僕に気付かないはずない」
 「そうかな。それこそ先入観じゃない?」
 静流が苦笑する。
 「思い出してもごらんよ、昨日の東棟は大騒ぎだった。僕が曽根崎の魔羅を噛み千切って独房をでたせいでね。さて、看守はどこを捜す?最初に捜すのは当然東棟だ。なんたって僕は東棟の人間だし知り合いに匿われているとも限らない。看守は東棟の囚人を追い出して片っ端から房をひっくり返して僕がいないか改めた。無粋なガサ入れは夜遅くまで続き、可哀想に東の囚人たちは極端に眠りを削られるはめになった」
 嫌な予感が徐々に現実の形を取り始める。
 静流の言わんとしていることがおぼろげに察しが付き、そんなまさかという衝動的な反駁が喉元まで出かけるのをぐっと堪える。
 腕を回して腹を庇い、全身に敵意を漲らせ静流を睨み付ける。
 静流の種明かしは続く。得意げに。
 「東の囚人は寝坊する。昨日ろくに寝させてもらえなかったんだから当たり前だ。東棟の囚人は始発バスに乗り遅れる。別に始発バスを逃したところで問題はない、レッドワーク行きのバスは他に出てるんだから」
 「他棟の囚人は僕たちを知らない、顔を見られても問題はない。看守にしても脱走者が強制労働に出るわけないと思い込み、バス停付近はノーマークだった。盲点だな」
 「『問題ない』?東京プリズンに来たての僕ならそう言えなくもないけど君は違う、それはちょっと謙遜がすぎるってものさ」
 静流がおどけて肩を竦め、正面に片膝付く。
 僕の顔を両手で手挟み、真っ直ぐ目を覗き込む。
 「噂によるとペア戦に出たこともあるんだって?仲間思いで結構な事だ。もちろん他棟の人間で君を覚えてるヤツもいる、ペア戦の舞台に上がった人間を今だに記憶してるヤツがいる。だからね、ほら」 
 違和感を感じる。静流の顔がぼやける。
 こんな至近距離にいるにもかかわらず……
 そこで初めて気付く。
 怪我の痛みで頭が朦朧としてなかったらもっと早く気付いたはずだった。
 「貴様、恵とサムライの次に大事なメガネをどこにやった!?」
 我が意を得たりと静流が微笑み、もったいぶった仕草で懐からメガネを覗かせる。
 「先入観を逆手にとったのさ。人の記憶なんて所詮曖昧なもの、髪形を変えただけで誰だか分からなくなることもざらにある。メガネをとっただけで誰だか分からなく事もね。メガネをかけてる人間自体が少ない東京プリズンでメガネをかけてる囚人、鍵屋崎直とメガネを抱き合わせで覚えてる囚人は予想以上に多い。鍵屋崎直といえばメガネ、メガネといえば鍵屋崎直。そんな君からメガネをとったら……どうなる?」
 メガネを上下左右に振っておちょくる静流に激怒、叫び返す。
 「メガネのない僕などただの天才だ!」
 「ただの無個性な囚人だ。ずっと俯き加減でいれば顔もわからない」
 片腕で腹を庇った不自由な体勢でメガネを取り返そうとするも手は虚しく空を切るばかり、動きが素早くてつかまえられない。
 重患をおちょくるとは本当に性格が悪い。サムライと血が繋がってるのが信じられない。
 「くそっ、メガネを返せ!メガネがなければ何も見えない、サムライの顔だって見えないんだぞ!」
 屈辱と惨めさを噛み締め、静流の手からメガネを奪い返そうと躍起になる。
 鼻先に吊られたメガネを取り返そうと膝立ちになれば、脇腹に激痛が走る。体を動かしたせいで傷口がまた開いたらしい。激しい運動は傷にさわるとわかっていながらも挑発に乗せられてしまうのが悔しい。
 深々と体を折り曲げ、苦鳴を発して悶絶する。全身の毛穴が開いて脂汗が噴き出る。たまらず前のめりに倒れた僕の顎先をスニーカーのつま先で起こし、静流が目を光らす。
 「他棟の囚人や看守に見つかる危険を犯してまで君をここに運んだのは、ここがいちばん復讐の舞台にふさわしいと思ったからさ」
 スニーカーのつま先で顎を起こされ、憤りを感じる。
 静流の足元に這いつくばったみじめな体勢から起き上がろうとするもうまくいかない。
 眩暈と激痛に唇を噛み締め抗い、気力と体力を振り絞ってゆっくり慎重に体を起こすも、あえなく肘が滑り突っ伏してしまう。
 僕の努力をあざ笑うごとく、予言めいて達観した声が響き渡る。
 「もうすぐ貢くんはここに来る。今なら強制労働が終わったあとで邪魔者はいない、地獄の炉の縁で存分に斬り結べる。君は強制労働が終わるまでずっと資材の中に隠しといた。足場を組む為の資材の鉄骨がちょうどいい隠れ蓑になってくれた。彼は必ずやってくる、危険を承知で死を覚悟で僕が待つここへとやってくる。由緒正しき帯刀本家の跡取りが命欲しさに逃げるわけない、君一人おいて逃げるわけがない。ねえ直くん、君もそう思うでしょ。十ヶ月もの間貢くんのそばで貢くんを見詰め続けた君なら帯刀貢がどんな人間かよくわかるでしょう」
 「勇敢な、男だ」
 優しい、男だ。
 「そのとおり」
 僕の答えがお気に召したのか、静流が満足げに首肯する。
 僕の顎先から薄汚いスニーカーをどけ、またしても僕の顔を手挟み、噛んで含めるように言い聞かす。
 静流の目に吸い込まれる。
 どこまでも純粋で、危うい光を孕んだ双眸。
 「今度こそ彼はここに来なくちゃならない、間に合わなくちゃならない。一度目は間に合わなかった、苗さんの死に際には間に合わなかった。好いた女ひとり見殺しにしておきながらのうのう生き延びて恥をさらしたんだ、帯刀貢は。それだけじゃない。彼は君のときだって間に合わなかった、君が僕に犯されて刺される前に駆け付けることができなかった。二度だ。性懲りもなく二度過ちをくりかえした、二度も大事な人の窮地に間に合わず救い出すことができなかった武士の魂が試される、それが今この刻だ!三度目の正直はあるかな、今度こそ貢くんは間に合うかな?大事な人を殺してばかりの帯刀貢、いつも遅れてくる男、肝心な時に間に合わない男!ああ可笑しいね可笑しいね、どうして貢くんはこんなに間が悪いんだろう、身内の情だの従弟への愛着だのくだらない感情に拘泥していちばん大事な人を守れないんだろう!?」
 静流が身を仰け反らせ哄笑する。
 癇性な笑い声に呼応するかのように次々と火の粉が爆ぜる。連鎖的に爆ぜる火の粉に腕を差し伸べ踊り狂い、空虚に笑い続ける。
 静流は異常だ。明らかに狂っている。
 来るな、サムライ。
 「……サムライは、どうしようもなく弱い男だ」
 来るな。来るべきじゃない。僕など見捨ててかまわない。
 医師を殺し僕を拉致し、そうまでしてサムライをおびきだそうという静流の行動は完全に常軌を逸している。いかに技量が上といえど、理性の枷を解き放たれて本能のままに刀を振るう修羅を相手に無事ですむはずない。
 苦戦を強いられるのは確実。
 最悪、死亡する可能性もある。
 息を吸い、吐く。
 呼吸を一定に激痛がひくのを待ち、断言する。
 「サムライは愚かだ。貴様のうそ臭い芝居を見抜けなかったのは目が節穴だからだ、身内の情に流されて貴様の本質を見誤りありもしない希望に縋っていた。薄々本性に勘付きながらも敢えて目を逸らし続けたのは愚の骨頂だ、よりにもよって僕ではなく貴様を選んだのは最大の失策、最大の誤算だ。ああ、貴様の言う通りだ!サムライは愚かで弱い男だ、物心ついた頃からともに遊んだ従弟と再会してできる限り力になってやろうとした、貴様のことを親身に気にかけて人生を狂わせた償いをしようとした、鈍い頭を懸命に働かせて不器用な手先を懸命に働かせて一生かかっても成し得ない『償い』の『購い』をしようと必死になっていたんだ!!!」
 脂汗が目に流れ込む。
 一言一言吐き出すたびに脇腹に激痛が走る。
 文字通り身を引き裂かれる痛み、脇腹に楔を打つ痛みだ。
 片手を拳に固めて金網をぶつ。金網が撓み、体に振動が伝わる。
 『窮地に間に合わなかった』?それがなんだ。表面だけ見て物を言うな、決め付けるな、僕と彼のあいだにあるものを断ち切るな。
 サムライはちゃんと、ちゃんと間に合った。
 僕が呼べば必ず来た。
 犯されても刺されても手遅れじゃない。本当に手遅れなのは僕が彼を嫌いになった時、彼の顔など見たくない声など聞きたくない触れたくない触れられたくないと存在そのものを否定した時だ。

 僕が手遅れだと思ったときが、本当に手遅れなんだ
 手遅れかそうじゃないかを決めるのは僕自身だ。
 他の人間であっていいはずがない、絶対に。

 それ以外は手遅れじゃない。サムライはいつだってちゃんと間に合った。僕が呼べば必ず来た、顔を見せてほしいときに見せてくれて声を聞かしてほしいときに聞かせてくれて触れてほしいときに触れてくれた。
 手遅れであるものか。
 でも、今度だけは。

 「サムライに、苗を追ってほしくない!!」
 手遅れで、あってほしい。

 『償い』の『購い』ならもう十分じゃないか、十分すぎるほどよくやったじゃないか。もういい、許してやれ。自分を許してやれ。頼むから自分を責めるなサムライ、苗を救えなかったことで僕を怪我させたことで自分を責めて思い詰めるな。
 死にに来るな。
 生きてくれ。
 「たかが血縁の分際で思い上がるなよ、静流。ヒトの血液量は体重のおよそ 13分の1だ。13分の1の鉄棒の味がする水に人生を狂わされただの操られてるだの迷信も大概にしろ。不幸を血のせいにするな。人の不幸が血によるなら残り13分の12は自分のせいだ、トラウマを脱却できず現実と折り合いがつけられず妄想に逃げ込む惰弱な精神のせいだ、貴様とサムライの繋がりなどたった13分の1に過ぎないんだ!!!」
 腹の奥底から突き上げる激情に駆られて咆哮する。
 腹が痛い。脇腹の刺し傷が激痛を訴える。けれども叫ばずにはいられない、帯刀家の呪縛からサムライを解き放ちもう自分を責めずともいいと諭したいのだ。
 絶叫の余韻が業火の唸りにかき消される。
 静流は感情の消失した目でこちらを見詰めている。
 「たった13分の1、か」
 静寂の水面に呟きが落ちる。
 静寂の水面に不吉な波紋を広げた呟きの主は、静流。腹を庇って倒れた僕を見下ろし、抑揚なく続ける。
 「……そうか。そんなものだったのか。その程度のものにこだわっていたのか、姉さんは。僕は。苗さんは」
 伏せた双眸に一抹の悲哀が宿る。
 「本当に………帯刀の人間は、救いがたい馬鹿ばかりだ」
 静流が緩やかに懐に手を忍ばせる。
 再び懐から出た手には、縄が握られていた。
 「縛るのか?服装倒錯に続いて緊縛趣味とは、変態の末期症状だな」
 口では強がってみたものの、脇腹の痛みのせいで声に力が入らず虚勢にしかならない。静流が少し哀しげに微笑む。いつだったか、夕焼けに染まる展望で見たのと同じ微笑だ。
 展望台と場所こそ違えど、ここもまた紅蓮に燃える煉獄には違いない。
 煉獄とは、天国に入る前に炎によりて罪業を浄化する場所だ。
 「………………っ、」
 腹を押さえたままあとじさる。ロープを手に垂れ下げて、静流がゆっくりとこちらにやってくる。
 「わざわざ縛らなくても逃げたりしない!」
 いつロープで首を絞められるか気が気じゃない。
 ロープで絞殺されるのを恐れて首を振れば、僕の傍らに屈みこんだ静流が、奇妙な節回しで口ずさむ。
 「苗さんは首を吊って死んだ。折角だからあの時と同じ舞台を整えて迎えてあげようじゃないか」 
 静流が僕の背に片膝乗せて圧し掛かる。激痛で視界が真紅に染まる。ちょうど脾臓の上あたりを膝で圧迫され抉られ穿たれ痛い痛い痛いなんてもんじゃない死ぬあああああああああああ痛い痛い呼吸ができない!!!
 手足をばたつかせ抵抗するも怪我のせいで力が出ない。
 両手が纏めて頭上に持ってこられてロープが巻かれる、手首を戒められ腕が開けず完全に抵抗を封じられる。両手をきつく縛り上げられたせいで脇腹を庇うことすらできなくなる。
 「やめ、ろ、しず、るっ……あくしゅ、み、だぞ」
 「緊縛は得意なんだ」
 「重患を緊縛するなと言ってるんだ……」
 それ以上言葉を発することができず首を項垂れた僕を引きずり、腋の下に手をさしいれて抱き起こす。
 意識朦朧としたまま、体が手摺を乗り越えるのを感じる。
 静流が僕の体を手摺の向こうへと押し上げる。
 火の粉が服を炙り、上着とズボンが焦げる。
 「炉に落とす気か」
 足の下に炉がある。
 「太陽の中心は密度が1.56×105kg/m3で、熱核融合反応によって水素がヘリウムに変換されている。1秒当たりでは約3.6×1038個の陽子すなわち水素原子核がヘリウム原子核に変化しており、これによって1秒間に430万トンの質量が3.8×1026Jのエネルギーに変換される。……待て、溶鉱炉とは製鉄所の主要な設備で鉄鉱石から銑鉄を取り出すための炉だ。ならば溶鉱炉という名称は不適切で焼却炉と呼ぶべきか、しかし焼却炉はあくまで可燃物を燃やす施設であり不燃物まで燃やしているなら焼却炉は正しくない」
 どうでもいいことを唱えて平静を保とうとするも今にも生身で溶鉱炉に落とされそうなこの状況下で平常心を保てるはずない精神崩壊を起こしそうだ。
 僕の体の下では溶鉱炉とも焼却炉ともつかない巨大な炉が世界を焦がす勢いで凄まじい熱量を放射している。
 落ちたらひとたまりもない。
 「地獄を下見してきて」
 「―――――――――――――っああ!!」
 静流が耳元で囁くと同時に縄がすべり体が急降下。
 炎の坩堝に呑み込まれた。

少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050504055303 | 編集
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