ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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三十話

 静流を手引きしたのは僕だ。
 「お願い聞いてくれるね」
 頷くしか、なかった。命が惜しければ従うしかなかった。
 柿沼や曽根崎の二の舞はごめんだ、用済みになった道具は捨てられるだけだと二人の末路に痛感した。身のこなしはたおやかに、僕を抱きすくめた静流の腕が妖しく動く。
 首もちぎれんばかりに頷けば、静流が満足げに微笑む気配を感じる。 物分りの良さを褒めるように僕のうなじに唇を這わせ、囁く。
 「貢くんを足止めしてほしい」
 「え?」
 「鍵屋崎直に用があるんだ。二人きりで話がしたい。貢くんに医務室前をうろうろされると邪魔だ。だから君、彼をどこかに連れていってよ。適当に言いくるめてさ。得意でしょ、そういうの」
 静流が思わせ振りに含み笑う。
 揶揄の響きを込めた笑声に言葉を返すより早く、背中に体重がかかる。僕の首筋に顔を埋めた静流が、熱い吐息に紛れて独白する。
 「待っててよ、姉さん。もうすぐ終わるから」
 姉さん?姉さんて静流の?脳裏に疑問が浮かぶ。
 静流は僕の背中に凭れたまま、安らかな表情で追憶に浸っている。
 愛しい人の面影を重ねているらしく体に回した腕の締め付けが強くなり、痛みと胸苦しさとを覚える。
 腕が体を圧迫する。
 もう二度と失うものか、腕の中から逃すものかと悲愴な決意を込めて僕を抱きしめる静流が濁った嗚咽を漏らす。
 奥歯で磨り潰された嗚咽が前歯の隙間からか細い吐息となって漏れて、うなじの産毛を熱く湿らす。
 華奢な細腕のどこにこんな力が秘められているのか、僕を抱きしめる腕の力は増すばかりで一向に衰える気配がなく、体を締め上げられる苦痛に汗が滲む。
 「貴女のいる処に伴侶を送ります。祝言は挙げなかったにしろは家が決めた婚約者同士なんだから当然そうするべきだ。だけど貴女と彼だけじゃ寂しいから付添い人を送ります、祝いの盃に酒を注ぐお小姓を…」
 呪縛が解けたように抱擁の力が緩み、敢えなく腕が垂れ下がる。脱力した腕から身を捩り抜け出した僕、その背後で衣擦れの音がする。
 怨霊めいて陰惨な気配を纏って背中に覆い被さった静流が、耳朶に毒息を吹きかける。
 「二・三、用意してほしいものがある」
 静流の顔は直視できないまま、蛇が這いずる音にも似た衣擦れの音と淫靡な吐息、背後から吹き寄せてくる圧倒的な気配に戦慄する。
 振り向くな、振り向いたらおしまいだと自分に言い聞かせて狂おしく疼く好奇心を抑え付ける。
 今振り向いたらきっと後悔する、一生後悔する、とんでもなく恐ろしいものを見て夜毎夢にうなされる。
 緊張に喉が渇く。口の中がひりひりする。
 口を開けっ放しにしてぜえはあぜえはあ喘息めいた呼吸をしていたせいで口腔の粘膜が渇ききってる。僕のまわりだけ酸素が急激に薄くなったみたいだ。恐怖に侵された息遣いを続けながら目だけ動かして後ろを探る、僕の背中にぴったりくっついて逃げ道を断った静流がそっと腕に触れてくる。
 「何を用意すればいいの?何をすれば僕を解放してくれるの、許してくれるの」
 発狂しそうな恐怖と戦いながら叫ぶ、涙で目を潤ませて哀願する。
 僕はいい加減自由になりたかった、静流の呪縛から解き放たれて日常に戻りたかった。
 看守に輪姦されたショックが漸く癒え始めた頃だってのになんてタイミングが悪いと自分の不運を呪ってもはじまらない、僕が今すべき事は静流に従うこと、静流の命令を素直に聞き入れて利用価値を示すことだ。
 利用価値のない道具は捨てられる。
 柿沼みたいに、曽根崎みたいに……
 嫌だ、あいつらの二の舞にはなりたくない。
 実際には見てもいない柿沼の最期がどぎつい色彩をもって脳裏に立ち上がる。静流に腹を刺されて絶命した柿沼、何故自分が殺されるのか最期の最後までわからなかったに違いない死に顔には驚愕と恐怖と衝撃がへばりついている。 
 亡骸の傍らに佇む静流。
 自分に尽くした男を殺した事実に関して何ら胸を痛めず、無関心で無慈悲な瞳で物言わぬ亡骸を見下ろしている。静流は今もそんな目をしているのか、そんな目で僕を観察しているのか?
 僕が抵抗したら即座に命を断つつもりで首筋を見詰めて頚動脈の位置を探っているのか、仕損じないよう熱心に……
 「教えてよシズル。僕はなにをすればいいの、君のためになにを用意すればいいの?君の言うこと聞けば見逃してくれるんでしょ、無事にビバリーんとこに帰してくれるんでしょ?こんなとこで死ぬのいやだよぅ、こんな薄汚い薄暗い路地裏で野垂れ死ぬのは誰にも気付かれずひとりぼっちで死ぬのは嫌だよ寂しいよ、僕は生きてここを出てママに会うって約束したんだ、だからその日まで絶対に死ぬわけにいかないんだ、たとえ他のヤツの足引っ張っても自分さえ助かればそれで……」
 「飲み込みがいいね。話が早くて助かる。愚図で臆病な曽根崎は独房に招じ入れるのに手間がかかったよ」
 背後で苦笑する気配。
 僕の背中にぴったり寄り添い、誘うように淫らな仕草で腰を擦り付けて官能を探り、囁く。
 「麻縄と刃物」
 ごくりと喉が動く。
 生唾を飲み込んだ僕の耳朶を甘噛み、ちろちろと舌で炙って熱を煽る。
 魔性に身を堕とした静流が邪まな本性をあらわに快楽を貪るのに抗い、恐怖に掠れた声を搾り出す。
 「絞め殺すの、刺し殺すの?」 
 好奇心を抑え切れずおそるおそる聞き返す。
 「教えてあげない」
 答えを与える代わりに耳の穴に舌が潜り込んできた。

 その夜、僕は重たい気分で中央棟に渡った。
 正直気が進まなかった。静流に言われた通りロープとナイフを調達し、渡した。
 小道具の入手自体は簡単だった。
 東京プリズンの囚人は大抵護身用だか脅迫用だかのナイフを持ってるしお望みとあらば首吊り用のロープだって売り買いできる。
 ビバリーは何も言わなかった。言えなかった。
 就寝時刻を過ぎて夜も更けた頃、ビバリーがぐっすり寝入ったのを確認後こっそり房を抜け出した。
 ビバリーの眠りを妨げないよう最大限の注意を払って鉄扉に接近、ノブに手をかけてためらった。
 いっそ何もかもビバリーにぶちまけてしまおうかという誘惑に心が揺れる。静流に脅されて共犯にされている、僕は今夜静流を手引きしてサムライを足止めしなきゃいけない、ねえどうしたらいいビバリー、ビバリーならこんな時どうする?
 相棒に教えを乞いたい欲求に抗しきれず、ノブを掴んだ手がじっとり汗ばむ。
 「ろ、ろざんなぁあーーーーー」
 「!?っ、」
 体に電流が走った。
 ノブに手をかけたまま硬直、反射的に振り返った僕が見たものは寝相悪く毛布をはだけたビバリー。悪夢を見ているらしく、身振り手振りも激しくうなされている。毛布を蹴りどけて寝返りを打つビバリーに脱力、安堵のため息を吐く。
 「脅かすなよ、ばか」
 思わず恨み言をこぼす。
 あーあ、毛布はだけたまま寝たら風邪ひいちゃう。しかたないなあもう。ぷりぷり怒りながらベッドに引き返し、毛布をたくし上げる。
 「ろ、ろざんなあ……ゲイツを選ぶなんてひどいっすよ、平均二時間睡眠でスペック増やしてあげたの誰だと思ってるんスか?最高にクールでチャーミングにカスタムして磨き上げた僕のロザンナが僕を捨てて他の男に走ろうとしてる、よりにもよってゲイツになんか、あんな鼻メガネの白人に………くそう、ロザンナがミセス・ゲイツになるくらいならいっそ僕の手で引導を渡してやるっス!」
 「擬人化ロザンナの夢?変な趣味」
 つかゲイツってだれさ。
 僕のツッコミを無視してぶつぶつ呟いてたビバリーも悪夢の波が去ってじき大人しくなる。
 間抜けな寝顔に別れを告げ、忍び足で歩を再開―
 「行っちゃだめっす、リョウさあん……」
 寝言。
 意味のない寝言には違いないけど、あんまりタイミングが良くて。
 ぎょっとした僕の視線の先、片手をさしあげたビバリーが見えない糸を手繰って僕を引き戻そうとするかのように奇妙な動作をくりかえす。 引っ張り、引き寄せ、引き戻す。
 手を出しては引っ込める単純な動作の繰り返しが二・三回続き、やがて完全に停止。
 「いーとーまきまきいーとまーきまき まーいてまーいて とんとんとん……か」
 夢の中でも僕を心配してるなんて笑っちゃう。
 お人よしすぎだよ、本当に。
 泣きたいような笑いたいような複雑な気持ちでビバリーの寝顔を見詰める。気持ちに合わせて顔も泣き笑いになる。
 ベッドの脇に屈みこみ、にやけた寝顔を覗きこむ。
 ロザンナが元気だった頃の夢でも見ているのか、幸福そうなビバリーのおでこに軽くキスをする。
 「いってきます」
 必ず戻ってくるから、待ってて。
 心の中でそう告げて、房をとびだした。

 あれから数十分が経過した。
 僕はわざとゆっくり時間をかけて渡り廊下を歩いている。もうすぐ終点、中央棟に着いてしまう。
 中央棟に到着。
 廊下を進み、医務室に向かう。
 途中すれ違う囚人もなく、中央棟全体がひっそりと静まり返っている。柿沼を殺して鍵屋崎を刺して曽根崎のブツを噛み千切った凶悪犯がまだこの辺をうろついてるせいで、臆病風吹かせた囚人が深夜徘徊を控えているのだ。僕だって本当はそうしたいのだ。
 等間隔に並んだ蛍光灯がコンクリ壁と通路を照らす。
 廃墟めいて陰鬱な空気を醸す廊下をのろのろと歩き、医務室に到る。
 サムライは、いた。
 医務室の扉を正面に臨む位置に凭れている。
 パッと見立ったまま仮眠しているのかと思ったけどそうじゃない、目を閉じて物思いに沈んでいるだけだった。扉の隣にはまだ若い看守がいた。安田に医務室の見張りを命じられた新人くんだ。
 サムライが薄っすら目を開ける。
 不審者の気配を察したか、切れ長の眦から鋭い眼光を放ってあたりを見回す。
 「サムライ、大変だ!」
 深呼吸し、叫ぶ。予定通りの台詞を。
 サムライがこちらに向き直るが早いか看守が「ほへっ、な、へ!?」と寝ぼけ顔でずっこけるが早いか、廊下を全力疾走してサムライのもとに駆け付けた僕は、派手な振り付けでせいぜい必死なふりをして報告する。
 「今そこで静流を見たんだ!」
 「静流を?」
 何故こんな時間にここにいるのか、詰問しようと口を開きかけたサムライが瞬時に気色ばむ。
 内心ほくそ笑みつつ、芝居を続ける。
 「あのね、僕の房のトイレが壊れちゃって、それで外のトイレ使おうって廊下歩いてたら通路をふらふら歩いてる静流を見て……渡り廊下渡ってこっちに来るとこまでは追ってたんだけど、途中で見失っちゃって!でも多分この近くにいるはず、見失ってから何分も経ってないからまだこの辺に潜んでるはずだ。サムライいいの放っておいて、君のイトコでしょ。アイツ独居房出たばっかで頭イカレてるから何しでかすかわかんないよ、廊下ほっつき歩いてる囚人や見回りの看守がまたガブリやられないとも限らないし……」
 「がぶり!?」
 看守が股間を押さえ込む。
 サムライは険しい顔で話を聞いて尊大に顎を引き、すっと目を細める。
 「……それはまことか」 
 「まことに決まってるっしょ、なんで僕が嘘つかなきゃいけないのさ!?」
 内心冷や汗をかきながらさも心外そうに反論、サムライの腕を掴んで引っ張る。 
 「こっちだよ、サムライ!さあ早く……早くしないと逃げちゃうよシズルが」
 「僕応援呼んで来ます!」
 それまで股間を押さえてぼけっと突っ立ってた看守が、僕とサムライのやりとりを眺めて本来の職務に立ち返ったのか、慌てて走り出そうとする。
 まずい。
 「ちょっとちょっとどこ行くの看守さん、ちゃんと見張ってなきゃ駄目じゃないか!副所長に言われたこと忘れたの?」
 看守の行く手に回りこみ、両手を広げて通せんぼする。
 「しかし脱走犯が近辺を徘徊してるなら応援を呼んだほうが……僕一人じゃ手に余るし、その」
 僕はもったいぶって言う。
 「忘れたの?静流の目的は親殺しだよ。一ヶ月前、静流が独居房に入れられるきっかけになった事件を思い出してごらんよ。静流の本当の狙いは柿沼じゃない、曽根崎じゃない、その他大勢の雑魚看守なんかじゃない。脇腹刺されて入院中の鍵屋崎ただ一人さ。全治二ヶ月の重態で入院中の鍵屋崎が襲われたらひとたまりもない、もしサムライと僕がこの場を離れてるときに静流がやってきたらどうするのさ、おにーさんが応援呼びにいってるあいだに鍵屋崎が殺されたら……」
 声音を落として脅迫すれば、たちどころに看守の顔が青ざめる。
 「大丈夫だよ、中にはお医者もいるんだし何かあったら呼べばいい。おにーさんはここにいてよ。静流は僕とサムライが捜しにいってくるから、ね?」
 余程気弱なタチらしく「もしも」の可能性をほのめかしただけで顔面蒼白になった看守に安心させるよう言い含め、サムライを仰ぐ。
 「行こう、サムライ!」
 サムライが躊躇する。
 新人看守ひとりを残して離れるのが不安らしい。
 もし自分がいあないあいだに鍵屋崎が襲われたら、それこそ悔やんでも悔やみきれない気持ちは想像つく。
 決断しかねて看守と僕を見比べ、焦燥に苛まれた面持ちで言葉を搾り出す。
 「俺は、直のそばにいたい。もう決して直のそばを離れると約束したのだ。武士の面目にかけても約束を反故にするわけにはいかん。この場を離れたあいだに直の身にもしもの事があったら、俺は切腹するしかない」
 サムライが断固と首を振る。
 「切腹?冗談言ってる暇あるなら一緒に来てよ、君しか静流を捕まえられるヤツいないんだから!わかってるっしょサムライだって、シズルがとんでもなく強いこと。並の看守や囚人じゃ歯が立たない、シズルの暴走を止められない。今のシズルは完璧頭がイカれてる、それこそすれ違ったヤツを片っ端から斬り捨てかねない状態なんだ、そんなヤツを野放しにして本当にいいの、これ以上犠牲者を出していいわけ!?」
 「俺は直を守る」
 「身内の喧嘩に他人を巻き込むなよっ!!」
 鍵屋崎を守りたい気持ちと静流を追いたい気持ちの葛藤に苦しみ、サムライが面を伏せる。
 片手に握り締めた木刀が持ち主の心を反映してわなわな震える。サムライの腕に縋り付き必死に説得するも本人は決して首を縦に振ろうとせず、苦悩を映した目で虚空を見据えている。
 「いいよ、わかったよ、サムライの役立たず!サムライがこないなら僕一人でいくもんっ」
 パッと腕を放し、後ろを振り返らず廊下を駆け出す。
 背後でサムライが何か叫ぶも無視を決め込む。
 僕はひたすら廊下を走った。
 走って走って廊下の先の角を曲がってサムライの視界から脱する。
 曲がり角の壁に背中を預け乱れた呼吸を整え、ゆっくり数を数える。
 カウントダウン。
 「いーち、にーい、さーん、しーい、ごーお、ろーく、しーち、はーち、きゅーう……」
 よし。
 深呼吸で腹腔に息をため、天井を仰ぎ、絶叫する。
 空気が震える。僕の喉から迸った甲高い悲鳴が空気を媒介に鼓膜を叩く。外気に晒した皮膚にびりびり音の波動を感じる。
 「リョウ!?」
 遠くでサムライが叫ぶ。近付いてくる靴音。
 コンクリート壁と天井に反響した悲鳴は最悪の事態に繋がり、僕の一大事を予期したサムライが発作的に駆け出す。
 正義の味方見参。
 どんなに鍵屋崎が大事でそばを離れたくないと思っていても近くで悲鳴が聞こえたら体が勝手に動く、それが人間て生き物だ。サムライは半端に勇気があるのは仇になった。
 なまじあの看守みたいなびびり屋なら悲鳴を聞いただけで金縛りにあって動けなくなるのに、数多の修羅場をくぐり抜けたサムライには金縛りを断ち切る強靭な意志力があった。
 サムライが近付いてくる。
 一散に廊下を駆け抜けて角を曲がりそして、
 危うく僕と衝突しかける。
 「………どうしたというのだ。先刻の悲鳴は何事だ」
 僕の役割はサムライの足止め。
 静流が目的を達するまで、サムライを引き付けること。
 「今、あ、あそこの角に静流が消えて……」
 壁に背中を凭せたままずり落ち、十メートル先の曲がり角を指さす。
 「―ちっ!」
 サムライが邪険に舌打ち、焦りもあらわに木刀を構え十メートル先の角を曲がる。
 「リョウ、お前はここにいろ。俺が戻ってくるまで絶対にここを動くな。よいな」 
 そう、これでいい。何もかも僕の、いや、静流の思惑通りに運んでいる。曲がり角を曲がって見えなくなったサムライ、一本ずつ袋小路を改めるには時間と手間がかかる。
 サムライがいなくなり、緊張がほぐれる。
 壁に背中を付けたまま、上着の胸をひしと掴んで心臓の動悸がおさまるのを待つ。
 遠くかすかに物音がする。静流が遂に行動を起こしたのだ。
 激しく言い争う声、悲鳴、何かが転倒する鈍い音……
 耳も目も潰れてしまえばいい。僕は硬く目を閉じ耳を塞ぎ知らんぷりをする、どうか神様静流が早くやりたいことやりとげて消えてくれますようにとそればかりを一心に念じながら発狂せんばかりに念じながらコンクリ壁と同化する。
 それから何分、何十分経ったろう。
 耳を押さえた指は痺れて感覚がなくなり、閉ざし続けた瞼の裏では赤い輪が回っている。
 誰かがこちらに近付いてくる。
 静流じゃない。別方向からだ。
 サムライだ。
 「シズル、いた?」
 「……いなかった」
 憮然と吐き捨てる。
 角を曲がった現れたサムライの顔には一抹の疑念が浮かんでいる。
 「リョウ、シズルは本当にここに……」
 不自然に言葉が途切れる。ごくささいな表情の変化ー……それとも空気の変化だろうか?唐突に会話を打ち切って天を仰ぐサムライ、その目が豁然と見開かれる。
 「―不覚!!」
 鞭打たれたように走り出すサムライ、慌ててそのあとを追う。駄目、行っちゃ駄目!
 「サムライ待って、そっちに行っちゃだめだ、鍵屋崎のことはもう諦めるんだ!」
 僕の制止など聞かずに廊下を走り抜けたサムライが医務室前で停止、声にならない唸りを発する。
 よろよろとサムライに追いすがるさなか、靴の裏側が変に粘ついてるのを不快に思い、スニーカーの靴裏に視線を落とす。
 血痕だった。
 「ひっ……」
 壁に凭れるように座り込んだ看守、その腹に血が滲んでいる。
 静流に刺されたのだ。息があるのかないのかパッと見にはわからない……死んでる?殺しちゃったの、まさか?そんな……僕のせいじゃない僕は知らなかったんだずっと目と耳をふさいで知らんぷりで
 「直!!」
 サムライが扉を開け放ち、息を呑む。
 僕も見た、見てしまった。
 開け放たれた扉の向こう、転倒した椅子、床一面の血の海にばらまかれたカルテと万年筆……白衣を朱に染めた医者。
 悲痛に顔を歪めながらもすぐさま一隅のベッドに走り寄り、サムライが呼びかける。
 「直、無事か、どこにも怪我は………」 
 言葉が切れ、重苦しい沈黙が被さる。
 血溜まりを避け、床を這うようにしてサムライのもとに辿り着いた僕が目にしたのは……
 空気を孕んで捲れ上がったカーテンの内、からっぽのベッドに散らばった無数の紙片と髪の毛。
 シーツを点々と染めた血痕。
 鍵屋崎の姿はどこにもなかった。
 静流に連れ去られたあとだった。
 サムライはまたしても間に合わず、静流にしてやられたのだ。
 「……………っ………………」
 ベッドの足元に立ち竦むサムライ、その双眸から理性の光が消失、半開きの唇が自責の言葉を紡ぐ。
 「………俺はまたしても間に合わなかった。愛する者の求めに応じられなかった。直、俺は我が身を賭してお前を守りぬくと約束した。心より惚れたお前を是が非でも守り抜くと誓った。しかし……」
 指がほどけ、木刀が落下。
 床に落ちた木刀が甲高い音を奏でる。
 握力が緩んで木刀がすり抜けたことにも気付かず、からっぽのベッドを見詰め続ける。  
 「……………俺は武士ではない。断じて武士などではない。惚れた男ひとり守り抜けぬ腑抜けが武士などであるものか」
 放心の体で立ち竦むサムライ、その背にかける言葉を失う。
 命の次に大事な木刀を拾い上げることもせず、ただその場に時を忘れて立ち尽くし、髪の毛がばらまかれた寝床を見つめ……
 骨ばった喉が膨らみ、この世を呪う絶叫を放つ。 
 「俺はただの、名も無き屑だ!!」 

少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050505221850 | 編集
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