ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

最近のトラックバック
ブロとも申請フォーム
スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

関連記事 [スポンサー広告]
スポンサー広告 | コメント(-) | ------------ | 編集
二十五話

 太陽に炙られた舗道の彼方に極小の点がある。
 針で突いたような点は次第に大きく鮮明になる。
 周囲は見渡す限り草一本もない不毛の砂漠、砂塵を含む乾燥した風が吹き荒ぶ。
 大自然の脅威を感じさせる光景の中、砂漠の中心を貫く舗道を疾駆する一台のジープ。車高が高く無骨なジープは質実剛健な威容を兼ねて、四輪のタイヤでアスファルトを削る。
 膨大な量の砂塵が視界を煙らせる。
 平坦な舗道がエンジンの振動を伝えてくる。
 アスファルトを噛んでジープが停止する。
 砂埃が晴れるのを待ち、運転手が降り立つ。
 若々しい黒髪をオールバックに撫で付けた三十路半ばの男だ。
 聡明に秀でた額の下、知性を加味する銀縁眼鏡の奥には涼やかな切れ長の双眸がある。一筋の反乱も許さず整えたオールバックが端正な風貌に似合い、地味な灰色のスーツに糊の利いたワイシャツが映える。
 運転席から降りてジープを迂回、後部座席の脇で直立不動の体勢をとる。
 後部座席の扉が開く。
 段差を降り立ったのは神経質な雰囲気を漂わす痩せぎすな男。
 縁なし眼鏡の奥の瞬きの少ない目は、低体温の爬虫類をおもわす陰湿な光に濡れている。
 身に着けているスーツは最高級の物で、先に下りた男より遥かに金がかかっていると一目で知れる。最高級のスーツに身を包んだ男は、しかし人を不快にせずにおかない険のある空気を発散していた。
 露骨に顔を顰めてあたりを見回す。
 背広の胸ポケットから気障ったらしくハンカチを抜き取り、口元を覆う。
 「相変わらずひどい砂だ。ここはひどい場所だ」
 女性的な仕草で口元を押さえ、嘆かわしげにかぶりを振る。
 大気に混ざる砂塵を吸い込まないよう口元をハンカチで庇い、所長は尊大な物腰で歩き出す。
 後部座席から犬の吠え声がする。
 所長が喜色満面振り返り、両手を広げる。
 「さあ来いハルよ、私の胸に飛び込んでこい!」
 後部座席から跳躍、弾丸のように宙に身を躍らせたのは一頭のドーベルマン。
 黒い毛並みも艶やかに、筋肉のうねりも美しく鍛え抜かれた体躯が強靭さを感じさせる犬だ。
 所長は高笑いして犬を抱きとめる。
 犬が歓喜の声を上げて飼い主の顔面を舐めまわす、犬科特有の異様に長い舌で顔じゅう余さず舐め回されてしとどに涎にまみれても怒るどころか上機嫌で犬を抱擁する。
 「ははははははっははは、まったく愛いヤツだなあ私のハルは!飼い主の粋なはからいに全身で感謝し奉仕するとはお利口さんだ。コンクリートで固められた殺風景な中庭が日々の散歩コースではお前も飽きるというものだ、たまには気分転換の遠出も必要だろう。存分に砂漠を走り回り日頃の運動不足を解消してくれ」
 無邪気に犬に頬ずりする所長のそばで、安田は伏し目がちに沈黙を守っていた。
 その顔には何の感情も浮かばず眼鏡の奥の怜悧な双眸に犬とじゃれあう所長を映している。
 所長が安田に向き直る。
 所長の腕から解き放たれた犬が喜び勇んで砂丘の向こうに駆けていく。悲鳴が連鎖する。
 「可愛い犬だ。あんなにも無邪気にはしゃいでいる」
 所長が満足げに微笑み、同意を求めるように安田を見る。
 所長が先に立って歩き出す。安田も後に続く。
 砂の上に二対の靴跡が刻印される。
 所長の靴跡に沿って歩く間も安田は伏し目がちに別の事を考えていた。
 今安田の心を占めているのは前方を行く所長でも砂丘の向こうで囚人にまつわりくハルでもなく、医務室で静養中の息子……

 直のことだ。

 事件は三週間前に遡る。
 その日、安田は医務室にいた。
 睡眠薬を貰いにきたついでに他愛ない世間話をしていたのだ。そこに駆け込んできたのが血まみれの直を抱いたサムライだった。直は脾臓貫通の重傷で一目で危ない状態とわかった。
 何故か全裸に紅襦袢一枚を羽織ったあられもない格好で、宙にだらりと垂れた片足を艶めかしく白濁が伝っていた。
 それを見た瞬間、理性が蒸発した。 
 『直を返せ!』 
 「渡せ」ではなく「返せ」と叫んでいた、無意識に。
 安田は激怒してサムライの腕から直を奪い取った、物言いたげなサムライに弁解する暇を与えず語気激しく詰り、直を守りきれず大怪我させた不甲斐なさを一方的に責め立てた。
 サムライは口元を引き結び叱責に耐えた、我を失った安田が口汚く罵声を浴びせて医務室から追い出しても弁解ひとつしなかった。
 手術は成功したが、昏睡状態が一週間も続いた。 
 その間安田はずっと直に付き添っていた。
 辛いことだらけの現実から逃避するが如く昏々と眠り続ける直の傍らに寄り添い、ひたすら手を組み無事を祈り続けた。
 直が目を覚ましてくれるなら他に何もいらないと心の底から思った。公私混同の自覚はあったが、それでも毎日欠かさず医務室を訪れて時間が許すかぎり枕元で寝顔を見守り続けた。

 あどけない寝顔だった。
 口元を覆う酸素マスクが痛々しかった。
 何度も直の手を握った。冷たい手だった。

 眠りが深まるほどに死に近付く危惧に襲われ、無防備に投げ出した腕と指から生命が漏れ出しているような不安に駆られて、ひたすら直の手を包み温めずにはいられなかった。
 直の指に体温と感覚が戻るまで一週間もかかった。
 それから間もなく安田は苦渋の決断を下した。直を西棟に移す決断だ。直が刺されたのはサムライとその従弟の争いに巻き込まれたからだ、帯刀家の確執に巻き込まれたからだ。
 柿沼を殺し直を刺した犯人は独居房に無期限拘束されているが、サムライのそばにいる限り安全とは程遠い。直の身柄を保護して安全を保障するために、安田は早急に手を打った。
 「私のしたことは間違っていない」
 直に恨まれても決定は取り消さない。
 これがいちばんいい方法なのだ、理想的な解決なのだ。
 ヨンイルと直は仲が良い。帯刀家と物理的な距離を隔てた上で西の道化の庇護を得れば金輪際危害が及ぶこともない、直が傷付くことはないのだと自らに言い聞かせて平常心を保つ。
 ヨンイルならば信頼できる、直とも良い友人になってくれるはずだ。
 そうだ。これが正しいのだ。
 東京プリズンの秩序を守る副所長として、あまりに繊細な息子を持つ一人の父親として、これこそ最善の選択なのだ。

 『ふざけるな、僕は認めないぞ!』
 悲痛な叫びが耳の奥に蘇る。

 一週間の昏睡から目覚めた直が、必死な形相で安田に縋り付く。
 『漸く気持ちが通じ合えたのに「愛してる」と言えたのにまた彼と僕を引き離すつもりか、勝手なことをするな副所長の分際で、囚人のプライバシーにまで口を出すんじゃない……待て安田話は終わってない、最後まで抗議を聞き反省のち撤回しろ!嫌だ僕は絶対に認めないこれからずっとサムライと一緒にいるんだ、サムライとロンとレイジと食堂で食事をとって展望台で馬鹿話をして夜はサムライの読経を聞きながら読書するのが僕が東京プリズンで手に入れた幸せなのに……!!』

 幸せ。
 私は直が漸く手に入れた幸せを奪おうとしているのか、息子の友人に嫉妬して冷静な判断ができなくなっているのか?

 「馬鹿な」
 想像の飛躍を自嘲する。
 直が幸せになってくれるならこれほど喜ばしいことはない、それは誓って真実だ。しかし父親として直がぼろぼろになるのを見過ごすわけにはいかない。
 脇腹を刺されて血まみれで運び込まれた直を見た時の戦慄、直の死を意識した瞬間の全身の血が凍り付く感覚を忘れられない。
 恐怖。圧倒的な恐怖。
 直を失うのは嫌だ、直に死なれるのは嫌だ。東京プリズンの副所長なら公私の別を付けろと理性が命じても本能が逆らう、血を分けた息子を失う恐怖で発狂しそうになる。

 血を分けた息子。
 生物学上の、遺伝学上の、息子。

 割り切っていたつもりだった。
 頭脳の優秀さで選ばれて精子提供者となった時に父性を封印したつもりだった。
 十五年の時を経て息子と再会するとは夢にも思わなかった。
 それもまさかこんな形で、刑務所の副所長と囚人として再会するとは……
 なんという皮肉な巡り合わせ。
 「副所長、聞いているのかね」
 「なんでしょうか」
 ハッと顔を上げる。
 物思いから醒めた安田の前で立ち止まり、所長がこちらを見る。
 「一体どうしたのだ副所長。随分と体力気力を消耗しているようだが、連日の医務室通いが原因か」
 「何故それを……」
 「私が知らないとでも?事情聴取に熱心なのは結構だが職務放棄は感心しない、下の看守に示しがつかんだろう」
 「申し訳ありません」
 安田は素直に頭を下げる。
 「それで?鍵屋崎の殺害動機は聞き出せたのか。私のデスクには報告が上がってないが……」 
 所長が婉曲に探りを入れてくる。
 縁なしの眼鏡の奥の目が酷薄に細まり、油断できない眼光を放つ。
 安田はひとつひとつ言葉を選び、慎重に答える。
 「……調査は難航しています。鍵屋崎は全治二ヶ月の重患です。長時間の事情聴取は体に負担をかける」
 「くだらない。家畜の体調など気にすることはない」
 不快げに吐き捨てた所長に反感が込み上げる。
 息子を家畜呼ばわりされた怒りが、安田にいつになく反抗的な態度をとらせる。
 「……上が欲しいのはIQ180の頭脳だけですか?それなら頭蓋骨を切開して脳を摘出すればいい。だが違う、政府が欲しているのは鍵屋崎直という一人の人間だ。脳に栄養を送り思考活動を促す『容れ物』をなくして望みは達成されない、よって『容れ物』を粗末に扱うのは控えるべきだ」
 敬語を失念していたのに気付いたのは、所長が憤然と砂を蹴散らしこちらに近付いてきた時。   
 痩せぎすの体から放たれる抑制されたオーラが暴力の気配を連れてくる。
 砂を踏む音も耳障りに急接近、安田の手前で立ち止まる。
 「私に意見する気か」
 「私はただ、」
 平手打ちにされた。
 頬に衝撃が走り眼鏡が弾けとぶ。
 容赦ない打撃によろめく安田のネクタイをすかさず手に巻きつけ乱暴に引き寄せる。
 「何様の分際だ、貴様は。身の程をわきまえろ、エリート崩れが」
 「………申し訳、ありません」
 殴られた際に口の中が切れたらしく口腔に鉄錆びた味が広がる。
 吐きそうだ。
 ネクタイで首を絞められる苦しさに顔を顰める安田を至近距離で観察、嗜虐の悦びに爛々と目を輝かせ唇を舐め上げる。
 プライドを傷付けられた恨みと部下に反抗された怒りが相俟って、エリート然と取り澄ました表情が無残に裂けて粗暴な本性を剥き出す。
 謝罪する安田を許さず、さらなる屈辱的な仕打ちを強いる。
 「拾いたまえ」
 横柄に顎をしゃくり足元を示す。
 安田の顔から弾け飛んだ眼鏡が砂上に転がる。
 安田が膝を折り曲げ中腰の姿勢をとり、砂まみれの眼鏡に手を伸ばすのを制す。
 「砂に手足を付いて四つん這いになりたまえ」
 面倒くさげな口調で過ちを訂正、陰険な企みを秘めた眼光で先を促す。安田の顔が屈辱に歪む一瞬を見逃さず優越感を満たす。
 愉悦の笑みを口端に浮かべ、視線に圧力をかけて屈従を強いる。
 顔を伏せて表情を隠し、ゆっくりと跪く。
 ズボンの膝が砂に汚れる。
 砂に膝を屈した安田の姿にシャベルや鍬を手にした囚人がどよめく。
 囚人がこちらを指差し声高に叫ぶ。
 所長の足元に跪く副所長の構図に興味をそそられたか、ある者はシャベルを放り出しある者は鍬を引きずりこぞってこちらにやってくる。
 興奮の気配を孕んだざわめきが周囲に広がる。
 作業放棄して群れ集まる野次馬を所長は咎めもせず、愉快なショーの見物客として歓迎した。ハルに追い散らされた囚人が泣きべそをかいて砂丘を転がり落ちてくる。
 囚人の尻に噛み付きズボンの生地を破り取ったハルが、発達した四肢で砂を蹴り弾丸のように跳ねてくる。ズボンの生地を咥えて戻ってきたハルが戦利品を示してご褒美をねだる。
 「よしよしハルよ、お前も砂丘を越えてはるばる愉快なショーを見物にきたか。見たまえ、先ほど私に逆らった愚か者が砂に手足を付き頭を垂れて謝罪を乞うみじめなさまを!この男きたら全くなんと愚かだ、上司への敬語を忘れて自己中心的な意見を述べたりなどするから足元にひれ伏す羽目になったのだ」
 所長が得々と語る。
 安田は唇を噛み面を伏せて眼鏡に手を伸ばす。
 「なっさけねえな、安田。これがホントにあの副所長かよ」
 「前はこんなんじゃなかったんだけど新しい所長が来てからすっかり変わっちまった」
 「調教済みってわけか、ハル二号め」
 「こんなヤツの顔色窺ってにびくびくしてた自分が笑えてくるぜ」
 背中に嘲笑が突き刺さる。
 安田を取り囲んだ野次馬が口汚い罵倒を浴びせる。
 野次馬の垣根は二重三重と膨れ上がる。
 厳しい労働の合間の息抜きに副所長のみじめな姿を見物しようと集まった囚人は誰も彼も侮蔑の表情を浮かべている。
 ここにいる囚人は皆以前の安田を知っている。
 無能な所長に成り代わり東京プリズンの秩序を守る副所長を誰もが恐れ怯えていた。
 今や安田の権威は地に落ちた。 
 かつての凛々しい面影はどこへやら消え失せて、今では所長の気まぐれで虐待される哀れな犬へと成り果てた。
 輪の最前列の囚人が安田が拾おうとした眼鏡を蹴り飛ばす。
 「おっと悪ィ、足癖悪いんだよな俺。勘弁してくれよふくしょちょー」
 周囲が爆笑の渦に呑み込まれる。
 「なあ安田さん、あんた所長の命令でハルとヤらされるって本当か。獣姦の愉しみに目覚めて毎日一生懸命腰振ってるってマジか?東京プリズンですごい噂になってんだけど」
 大股開きで屈み込んだ囚人が皮肉に口角を吊り上げる。安田は取り合わず視線を彷徨わせて眼鏡をさがす。
 あった。
 1メートル前方に眼鏡が埋もれている。
 蹴り飛ばされた衝撃で弦がねじれたらしい。
 「ザマあねえな。かつてのエリート副所長もこうなっちまったらおしめえだ。囚人に砂蹴り掛けられて唾吐かれてもじっと我慢のコで無視決め込むわけか。なまっちろい日本人の割にゃ根性あるなって見直したよ。ああそうだ、せっかくだから今ここでズボン脱いでケツ見せてくれよ。あんた肌白いからケツも粉はたいたみてーにまっちろなんだろ?」
 「何か言えよリーベンレン。所長の飼い犬がお高くとまってんじゃねーよ」
 調子に乗った囚人が唾を吐き、顔面に砂を蹴りかける。
 目に砂が染みる痛みに動きが止まり、生理的な涙が瞼を濡らす。
 野次馬が一斉に囃し立て、仕立ての良いスーツに大量の砂を蹴りかけ汚していく。
 獲物が弱味を見せたことで悪乗りする野次馬を一瞥、所長が背広の内側から何かを取り出す。
 鞭。
 度重なる妨害にもめげずに四つん這いで前進、全身砂まみれになりつつ落下地点に辿り着いた安田が、弦の曲がった眼鏡に手を伸ばす。
 「!―っ、」
 空気を裂く音も高らかに、手の甲に鋭い痛みが走る。
 冷水を浴びせ掛けられたように野次馬が沈黙、一同に怯えが走る。
 鞭で打擲された肌に赤い痕が盛り上がる。
 裂けた手を庇い身を丸める安田、その額を脂汗が濡らす。
 噛み締めた唇から苦鳴が漏れる。容赦なく部下を鞭打ち痛みを与えた所長はそれでもまだ飽き足らず、二度三度と興に乗り鞭を振るう。
 勢い良く鞭が撓り、風切る唸りが連続する。
 肩を、腿を、全身至る所を打擲される痛みに安田はただ目を閉じて耐える。鞭が頬を掠めて肉が爆ぜる、滴り落ちた血が砂を固める。
 最前列の囚人が顔を背ける。
 中にはこそこそと逃げ出す者がいる。
 「本当に、君は、使えない、犬だな!可愛いハルとは、大違い、だ!」
 荒い息の狭間に罵倒し、体力尽きて気が済むまで鞭を振るい続ける。 あと少しで眼鏡に手が届くところを鞭に妨げられて、伏せた顔が苦渋に歪む。
 巻き添えを恐れたか所長の狂気にあてられたか、鞭が振り上げ振り下ろされる度に人垣から離脱者がでる。
 「いかれてるぜ、マジ」
 「所長と副所長のSMにゃ付き合いきれねーっつの」
 捨て台詞を残し、遂に最後の一人がいなくなる。
 漸く鞭が力を失いだらりと垂れ下がる。
 所長は肩で息をしながらぐったりと突っ伏す安田を見下ろす。
 スーツのあちこちが切れて赤く腫れた素肌が覗く。
 片手に鞭を預け、舌なめずりせんばかりに安田の素肌を鑑賞する。
 安田が酷い顔色で眼鏡を拾い上げる。
 レンズには分厚く砂がこびりついてる。
 丁寧な仕草で眼鏡の砂をこそぎ落とし、神経質にレンズを拭い、顔にかける。弦が曲がった眼鏡は鼻梁の上に乗らず大幅に位置がずれる。
 「………お気が済みましたか、所長」
 膝の汚れを払い、素早く立ち上がる。
 鞭打たれた全身が熱をもち痛んでいるはずだがおくびにもださず、冷静に告げる。 
 「嬲り甲斐のない男だ。プライドを売り渡して許しを乞うより声を殺して耐え忍ぶのを良しとするか」
 喉の奥で不快な笑いを泡立てた所長が、不意に真顔になる。  
 芝居がかった身振りでぐるりを見回す。
 だらりと体の脇に垂れた腕を庇い、安田もつられて視線を追う。
 無限に連なる砂丘の斜面、手に手にシャベルや鍬を掴んだ囚人たちが穴掘りに精を出す。水を汲んだバケツを両手に提げて貯水池を往復する囚人がいる、シャベルを立て掛けて談笑する囚人がいる、サボリを見咎められて逃げ出す囚人がいる。
 用水路は八割がた完成している。用水路の斜面に土嚢を積んで補強する囚人たち、その声が風に吹き流されて聞こえてくる。
 見渡す限り果てなく広がる大砂漠に穿たれた無数の穴、その合間で働く囚人たち、それを監督する看守たち……
 
 「東京プリズンに原子力発電所を建てる」

 「なん、だって」
 乾燥した風が頬を嬲り、前髪を乱す。
 所長は安田に背を向け淡々と続ける。
 「何も驚くことはない。原子力発電所の建設が忌避されるのは一重に放射能事故のせいだ。人は万が一の事を考えて際限なく不安を膨らます生き物だ、自分たちの生活圏内に原子力発電所が建つとあらば住民は猛烈に反対するだろう。東京プリズンはその点非常に都合がいい。都民の生活圏から十分に離れている、周囲には見渡す限り広大な砂漠がある。仮に事故が起きたとしても放射能が蔓延するのは砂漠の一定圏内に限られる。それに……」
 思わせ振りに言葉を切り、安田を見る。
 「囚人ならば、死んでもいいということですか」
 口にしたそばから凄まじい嫌悪感が湧き上がる。
 狂ったように鞭打たれた時でも表情を変えず平静を保っていた安田がこの時ばかりは激情に駆られて所長に詰め寄る。
 「仮に事故が起きて放射能が蔓延しても砂漠で働く囚人ならばいくらでも死んでいいとそういうことですか、どうせ政府に遺棄された犯罪者なのだから放射能に毒されて緩慢に死にゆくのもリンチで殺されるのも同じだと?入れ替わりが激しい東京プリズンでは先の囚人が死んだそばから新しい囚人が来る、いくらでも補充が利くし労働力に不足はない、だから……っ!!」
 「たかが家畜じゃないか。ガス室で虐殺されるのも砂漠で照り殺されるのも同じ事だよ。それに……」
 ハルの頭に手をおき、愛情深く撫でる。
 ハルが嬉しそうに尻尾を振る。
 ハルの頭を執拗に撫で回し、微笑む。
 「事故に見せかけて愚鈍な家畜どもを一掃できるならこれ程素晴らしいことはない」
 「……………」
 「万一放射能が砂漠の外に漏れだしても心配することはない。砂漠の周縁には無国籍スラムがある。台湾・中国から流れ込んできた戦争難民や韓国・ロシア・東南アジア出身者やその二世三世がドブ鼠のように繁殖して住み着いているのだ。東京プリズンの家畜どもと一緒に彼らを始末できるならこれ程喜ばしいことはない」
 「『上』はこの事を知っているのですか」

 底が抜けたような哄笑が轟く。

 ハルの前脚を取ってダンスを踊り、上機嫌に言う。
 「ははははははははっ勿論だとも、勿論ご存知に決まっているじゃないか!私はもともとその為にこの地に遣わされたのだ、東京プリズンに原子力発電所を建てる計画を推進するために政府から送り込まれたのだよ。政府とてこの無駄な土地を持て余しているのだ、原子力発電所の一つ二つ三つ建てたところで放射能汚染されるのは周縁スラムの住民と犯罪者だけ、不潔な外人どもを一掃できるなら上も万々歳だ、生まれつき血の汚れた家畜は放射能で朽ちゆくが似合いだ!!」
 哄笑が空虚に響く中、安田は固く目を閉じ直の顔を思い浮かべていた。

 直。
 二ヶ月経ったら強制労働に復帰せねばならない。
 砂漠に原子力発電所が建てば真っ先にその影響を受けるのがイエローワークの囚人。

 「……………っ」
 心臓の動悸が激しくなる。嫌な汗が全身から噴き出す。
 何とかしなければ。この男を止めなければやがて最悪の事態が起きる。砂漠が放射能に汚染されて東京プリズンの囚人が全滅、のみならず周縁スラムの住民までもが被害を受ける。
 この男は、東京を滅ぼす。 
 唇を噛んで押し黙った安田を呼び戻したのは、所長の声。
 「東京プリズンに異分子が紛れ込んでいる」
 「………どういうことですか」
 ハルの前脚を放して立ち上がり、縁なし眼鏡の奥から鋭い視線を送る。
 「政府筋からの情報だ。信憑性は高い。東京プリズンの囚人三万二千四百二人、その中に異分子が紛れ込んでいるのだ」
 「レイジ、ですか?」
 慎重に確認すれば、嘲りの笑みを返される。
 「Rаge、か。あれは確かに異端児だが東京プリズンの秩序を乱す『異分子』ではない。いいかね、安田君。異分子とは東京プリズンの秩序破壊者、本来東京プリズンにいてはいけない人間だ。ここにいるはずのない人間だ」
 不吉な予兆のように雲に遮られた空の下、不気味な陰影が所長の顔を隈取る。
 所長が両手を開く。
 視界一杯に広がる砂漠を抱き込むように腕を広げ、説明を続ける。
 「その男は本来ここに移送されるはずの囚人に成り代わり東京プリズンに潜入した。前任者のデータ管理が杜撰だったせいで未だ個人の特定はできないが、その異分子がどこから来たのかは調べがついている」
 安田が息を呑む。
 所長の顔にいかづちめいて憎悪が迸り、眼鏡の奥の双眸を極限まで見開く。
 眼窩から迫り出した眼球が血走り、ぬらりと異様な輝きを放つ。
 そして、吐き捨てる。
 忌まわしき、その名を。 
 「世界的武器密輸組織『ダンカイロ』工作員、コードネーム『ドン・ホセ』……!」 

少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050510133835 | 編集
ブログ内検索
     © 2017 ロールシャッハテストB  Designed by 意地天
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。