ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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二十三話

 「静かだと読書がはかどっていいな」
 時刻は夜、皆が寝静まった頃。
 見舞いの客の絶えた深夜、風邪をこじらせて肺炎を併発した者や強制労働中の事故またはリンチで骨折した者、いずれも立って歩けない重患ばかりを収容した医務室では話し声もしない。
 自分の意志で動けない重患は本を読む以外にすることもないが、知的好奇心旺盛な僕を除いて低脳揃いの囚人が自発的に本を読むはずもなく、従って長い夜を持て余した彼らは早々と眠りに就く。
 素晴らしく健康的な習慣だが、もともと読書好きで就寝時刻が過ぎても本に齧りついていた僕には関係ない。
 今夜もまた熱心に本を読み耽ってふと気付けば就寝時刻を大幅に過ぎていた。
 まずい。
 きりの良い所で本を閉じ、枕元に置く。
 医務室は煌煌と明るい。タジマの襲撃事件をきっかけに一晩中電気を点灯しておくようになったのだそうだ。おかげで読書に集中できた。久しぶりに読書に没頭できた満足感にため息を吐き、そろそろ就寝しようと眼鏡の弦に手をかける。
 眼鏡の弦に指をふれ、そのまま考え込む。
 「……サムライはちゃんと眠れているだろうか。睡眠不足になってはいないだろうか」
 サムライは今どうしているだろう。
 元気でやっているのだろうか、体調を崩したないだろうか。
 ちゃんと食べているのだろうか、無精ひげの手入れはしているのだろうか、僕がいない房で毎日何をして過ごしているのだろうか。
 会いたい。サムライに会いたい。
 静かに目を閉じて瞼の裏にサムライの面影を想起、おそるおそる体に触れる無骨な手の感触と力強い抱擁を反芻する。
 突然胸の発作に襲われる。
 心臓がきりりと痛むような感覚。サムライの手、指。愛しげに僕の髪を摘み、愛で、鋏を入れる。シャキンと涼やかな音、冷えた金属音。手際よく僕の後ろ髪を断ち切るサムライ、その真剣な表情と一途な眼光を懐かしく思い出す。
 またサムライに触れたい。
 触れて欲しい。
 触れ合いたい。
 心と体がサムライを求めている、全身の細胞が狂おしく疼いてサムライを求めている。
 「…………っ、」
 寂しい。
 唐突にそれを痛感する。
 サムライが隣にいなくて寂しい、彼に触れてもらえなくて寂しいと感じている事を受け容れる。
 物思いから醒めて、サムライがいない現実に立ち返る。
 思わず肩を抱きあたりを見回す。
 ベッドの周囲は純白のカーテンに閉ざされている。衝立に遮られた向こうにはここと同じ個別空間がいくつも存在する。
 医務室はとても静かだ。
 かすかな、本当にかすかな空調音の他にはごくささやかな衣擦れの音と不明瞭な寝言と規則正しい寝息しか聞こえない。今手を伸ばしてカーテンを開けたら何もないのではないか、一面の無が広がっているのではないかと錯覚に襲われる。
 まさか。そんな不条理あるわけがないと自嘲しようとして失敗、半笑いで固まる。
 僕と世界を隔てるのは薄いカーテン一枚きり、この向こうに今までどおり世界があると言いきれるか?
 カーテンを開けたらは何もないんじゃないか、ただ空白が広がっているだけではないかという疑問がにわかに現実味を帯び始め不安を増幅する。
 虚空に手を伸ばし、カーテンに触れようとして、ためらう。
 「…………」
 指を引っ込める。
 「……馬鹿な、僕は孤独を感じているのか?一人で眠れない子供じゃあるまいし、情けない」
 動悸が激しくなる。
 目をしっかり閉じて落ち着こうと努める。
 夜は長い。まだ始まったばかりだ。はたして永遠に等しく長い夜に耐えられるだろうか、虚無に呑み込まれはしないだろうか。
 昏睡状態の時の夢のように……

 その時だ。
 「!!」

 物音が、した。
 医務室の扉が開く音、続く靴音。誰かが医務室に入ってきた。
 誰だ?
 侵入者の正体がわからぬまま片膝立って警戒する。足音が近付いてくる。一定の歩幅で歩いてるらしい靴音……耳がひどく敏感になっている。聴覚を研ぎ澄まし侵入者の気配を探る。
 医者は何をしている、無断で入ってきた者を咎めないのか?
 全く頼りないなと舌打ち、カーテンを掴む。
 「誰だ、そこにいるのは。安眠妨害の不法侵入者はすみやかに退去、」
 「直か」
 心臓が跳ねた。カーテンを掴んだ手が強張る。
 正面のカーテンに影が映る。影だけでわかった。深夜こっそりと医務室を訪ねてきたのは僕が会いたくて会いたくてたまらなかった男……
 サムライだ。
 しかし何故サムライが?見張りはどうした?
 「サムライ、見張りはどうした。斬ったのか」
 「木刀で人が斬れるわけがない。生憎俺の腕はそこまで達してない」
 「そう、だな。物理的に不可能なことを言ったな、僕は。今の発言は忘れてくれ」
 片手で頭を支えて俯く。僕自身混乱している、動揺している。
 会いたくて会いたくてたまらなかった男が突然現れてどう対処していいか思い悩んでいる。夢じゃないのか、サムライを求めるあまり幻覚を見ているのではと次々と疑問が浮かぶ。
 「サムライか。本当にサムライなのか」
 「ああ、俺だとも」 
 くどいほどに念を押せば、僕の動揺を汲み上げるように落ち着いた声が返ってくる。
 サムライだと直感する。
 サムライの声を忘れるはずない、聞き間違えるはずがない。会いたくて会いたくて会いたくてたまらなかった男が今ここにいる、カーテンの向こうに所在なく立ち竦んでいる。
 胸が熱くなる。様々な感情が一挙に込み上げてくる。
 物狂おしい衝動に駆られて毛布をどかしてベッドを這い進み、サムライの吐息でかすかに波打つカーテンに顔を近付ける。  
 大きく深呼吸する。

 「この低脳、今更来ても遅い!!何故今頃になってやってくるんだ、わかっているのか、三週間だぞ三週間!僕が手術を終えて入院してから既に三週間が経過する、この三週間君は所在なく廊下をうろうろしていただけ、すぐそこに僕がいるのに扉を蹴破ってとびこんでこなかったのは何故だ、扉を蹴破る労力を払うほどには僕に会いたくなかったとでも言うのか、医務室の扉と比べて僕はとるにたらない足らない存在だと言うのか、IQ180の頭脳の天才鍵屋崎直が無機物に敗北したとでも!?確かに医務室の扉はシンプルでありながら洗練されたデザインで機能的に優れているし清潔な白塗りの外観は美しいと評せなくもないし頑丈な造りで安全性も」

 「落ち着け直、医者が起きる」
 「この期に及んでごまかすとは卑怯だぞサムライ、僕が無機物の扉にも劣る存在なのかどうかはっきりしろ!」
 馬鹿な、これじゃまるで扉に嫉妬してるみたいじゃないか。
 無機物に嫉妬するほど僕は落ちぶれてないぞ、そんな次元の低い嫉妬ありえない。否、嫉妬に次元の低いも高いもないか。
 待て、そういう問題じゃない。
 僕はサムライに怒っているんだ、激怒しているんだ。三週間も僕を待たせた挙句に今頃になってひょっこりやってきて「直か」だと、僕がこの三週間どんな気持ちでいたと思っている、朝起きて昼読んで夜寝て夢の中でも君を待ち望んでいたと思っている!?
 胸が苦しい。
 サムライに会えたら胸の痛みが無くなると思った、胸のしこりが溶けると思った、サムライの面影を抱いて煩悶する夜から抜け出せると思った。しかし実際彼の声を聞いてカーテンに映った姿を見たら瞬時に理性が蒸発、僕は激情をぶちまけていた。
 縋るようにカーテンを掴み、激しく揺さぶる。
 「思い上がるなよサムライ。君などいなくても平気だった、僕の日常は変わらなかった」
 カーテンの向こうでじっと耳を澄ます気配。
 サムライは微動だにせず僕の咆哮に耳を傾けている、弁解ひとつせず非難を浴びている。
 僕には容易に想像できる。
 体の脇でこぶしを握りこみ悄然とうなだれて、しかしなお口元を一文字に引き結んだ頑固な顔つきで忍耐強く罵倒を受け止める男の様子が。
 「君如きの不在で僕が変わるはずがない、僕がどうかするはずがない。いつもどおり朝起きて食事をし本を読みロンやヨンイルと他愛ない話をしてこの三週間そうやって過ぎていった、君がいなくても僕は何も不自由しなかった、君がいなくても!!」
 「俺は」
 僕の言葉を遮るようにサムライが口を挟む。
 カーテンに縋り付いたまま、沈黙の重みに耐えて顔を伏せる。
 機械的な空調音がかすかに流れる中、男が淡々と続ける。
 「俺はただ、寂しかった。とても寂しかった。言葉では言い尽くせぬほどに」
 苦悩が滲んだ声音だった。
 カーテンを開けなくとも目の下に隈を作った顔がまざまざと想像できた。憔悴した面差しのサムライを脳裏に思い浮かべ、何か言いかけて口を開き、また閉じる。
 不用意に口を開けたら嗚咽が零れてしまいそうだ。
 だから僕はぐっと奥歯を噛み締める、しっかりと唇を噛んで体の奥底から噴き上げる激情を抑圧する。
 「夜毎お前の毛布をなでた。少しでも近くにお前を感じたくて、お前の感触を思い出したくて、お前のベッドに寄り添っていた。寝ても覚めてもお前のことばかり考えた。元気にやっているか、怪我は治ったか、苦しんではないか、食事が喉を通るようになったか……いつ頃帰ってくるのか」
 カーテンが空気を孕んで膨らみ、手の形が浮き出る。
 サムライがカーテン越しに手を伸ばしてきたのだ。カーテンを纏った手が、そっと頭におかれる。カーテンに遮られていても手の熱を感じる、骨ばった指の感触を感じる。
 「……元気そうでよかった。毒舌も健在だ。俺が知る、俺の直だ」
 「そうだ。君の直だ」
 嗚咽を堪えてそれだけ返す。
 サムライが慎重な手つきで頭を撫でる。胸に蟠っていた何かが急速に溶けていく。サムライが会いに来ない不満や寂しさや怒り、それら負の感情が瞬く間に浄化されて体の内側を涼風が吹き抜ける。
 最初はおずおずと、徐徐に大胆さを増して僕の頭を撫で続けるサムライ。僕の髪の感触をいとおしむように触れていた手がやがて顔へと折り、頬を包む。
 「愛しい直だ」
 緩く目を閉じてサムライの手に身を預ける。
 頬を包む手が心地よく安心感を与えてくれる。サムライがゆっくり手を動かし、僕の頬をさする。頬とカーテンが擦れて少しくすぐったい。
 「……手紙、読んだぞ。何だあれは?朴念仁にも程がある」
 小声で文句を言えば、サムライが憮然と黙り込む。 
 「……仕方なかろう。病床の友に何を書けば良いやら判断がつきかねたのだ」
 「封筒に入ってた髪はちゃんと洗ったのか」
 「無論だ」
 「ならいい」
 サムライの愛撫に身を委ねる。
 ゆるやかに頬をさする手から甘美な感覚が生み出される。
 繊細さがかけらもない無骨な手なのに、僕の頬を包んでさする仕草はとても愛情深く、どことなく淫靡でさえある。
 猫が喉を撫でられたらこんな気分なのかもしれない。
 サムライは僕の気持ちいい所を熟知している、僕が最もして欲しい事を汲み取ってくれる。
 心が奥底で繋がっている。頬を包む手から感情が流れ込む。
 「…………すまなかった」
 真摯な謝罪に薄目を開ける。カーテンに映る人影が深々うなだれる。 僕の頬から手を引いたサムライが、苦しげに続ける。
 「危険な目に遭わせてすまなかった。すべて俺の責任だ、俺がお前を手放しさえせねばこんな事にはならなかった……何も知らぬお前を帯刀の因縁に巻き込んでしまった」
 「サムライ………」
 「俺がもっとしっかりしていれば、お前を守りぬく覚悟があればこんな事にはならなかった。お前は血を流さずにすんだのだ。俺の手は血塗れている。静流の手も血塗れている。帯刀家は血塗れた一族、所詮は殺し合いの中でしか生きれぬのだ」
 「サムライ、それは違う。宿命も運命も僕は信じない。人生を左右するのは選択で決定するのは意志だ、それ以外にありえない。確かに君が人を殺したのは事実だ、しかしそれには理由があった、許されはしなくても共感されるべき理由が……」
 「知っているのか」
 周囲の温度が一二度下がった気がした。
 失言に気付いて口を閉ざした時には遅く、あたりは重苦しい沈黙に支配されていた。カーテンの向こう、手を伸ばせば届く距離のサムライが何故か遠く感じられる。
 凍り付いた時間の中、生唾を嚥下して話しだす。
 「……静流から聞いた。君が実父含む門下生十二人を殺した理由を」
 息を呑む気配が伝わる。
 顔に浮かぶのは驚愕の相か悲哀の相か、僕には判断が付かない。
 カーテンを握り締めて顔を上げ、萎えそうな舌を叱咤して必死に続ける。
 「もしも僕が同じ立場でも同じことをする、世界で一番大事な人間がそんな目に遭わされたら同じ事をする。五十嵐の時と同じだ。僕はあの時ヨンイルに銃口を向けた五十嵐を止めたが自分がしたことが正しいなんて思い上がった事は一度もない、ただ僕はヨンイルを助けたかった、漫画の素晴らしさを教えてくれた大事な友人を失いたくなかったんだ。僕はヨンイルが好きだから」
 思い出す。
 亡き娘の為に人殺しとなる葛藤に苦しみヨンイルに銃口を向ける五十嵐、その銃口を掴み自らへと引き寄せるヨンイルの達観した表情……吹っ切れた笑顔。
 ヨンイルは死を受け容れていた、自分の死に納得していた。本来なら僕が口を出すべきではないとわかっていた、無関係の立場の人間が知ったかぶって止めに入るべきではなかった。
 しかしあの時は、そうせずにはいられなかった。

 『元気な重患やな。長生きすんで』
 生きる意欲を分け与える明るい笑い声。
 『ちょうど良かった、皆で動物のお医者さんに貪り読もうや。傷が塞がるまで暇やろ直ちゃん、二ヶ月も入院期間あるなら動物のお医者さんどころかガラスの仮面読破も不可能ちゃうわ。あ、せやけど傷開いて腸がどばーっと溢れたらヤバイからできるだけ笑い堪えてや!とくに漆原教授は出てきただけで笑えるから手のひらか紙で隠して……』 
 陽気に励ますヨンイル。
 僕はこれまでヨンイルに救われてきた、ヨンイルの明るさに支えられてきた。ヨンイルは友人だ。サムライとはまた違った意味合いの友人だ。僕はヨンイルを大事に想う、彼にはいつまでも笑っていて欲しいと願っている。
 西の道化にはいつも笑っていて欲しい。

 「……僕は正しくない。鍵屋崎優と由香利を殺したことが正しいなんて言えない、僕が両親を殺したせいで恵はひとりぼっちになってしまったのだから」
 もう随分昔の事の気がする。
 目を閉じて追憶に耽る。僕と全然似てない両親、鍵屋崎優の傲慢な顔と鍵屋崎由香利の辛辣な顔が交互に去来する。
 僕は両親を憎んでいた、恵が求める愛情を与えず子供を顧みず研究に没頭する両親を憎んでいた。
 しかし、二人を殺したのが正しい事のはずがない。
 カーテンがかすかに動き、悔恨の滲んだ声が漏れてくる。
 「…俺は俺自身が許せない。剣の師範たる父を殺して共に学んだ門下生を殺した罪は一生消えない。一生かけても償うことなど無理だ」
 自責と慙愧の念に苛まれて眉間に皺を刻んだサムライが、血を吐くように心情を吐露する。
 「しかし、もっと許せない者がいる」
 カーテンレールの金具が耳障りな音をたてる。
 サムライが何かに耐えるようにカーテンを掴み、肩を震わす。
 噴き上げる憤怒を堪えるように、込み上げる哀感を堪えるように、全身を強張らせる。カーテンの金具がうるさく鳴る。
 カーテンの向こうから押し殺した息遣いが聞こえてくる。
 布に顔を埋めるようにして、低く、ひび割れた声を搾り出す。

 「……俺は今でも奴らが憎い。苗に取り返しのつかない事をして死に追いやった連中が憎い。何も告げなかった父が憎い。俺はずるい人間だ。卑怯な男だ。苗は俺に殺されたも同然なのに今でも苗を慰み者にした連中が憎いのだ、奴らこそが苗を殺したのだと憎んで憎んで憎みぬいているのだ。多分奴らが生き返っても同じ事をする、俺はまた刀をとり連中を一人残らず斬り殺す。苗の弔い?馬鹿な、心優しい苗がそんな事望むはずもない。弔いと称してあの世に送りつけた下衆どもに喜ぶはずがない。俺はそれでも殺さずにはいられなかった、そうせずにはいられなかったのだ。苗を犯した連中がそれを知っていながら放置した父がどこまでも憎くて憎くて斬り殺さずにはいられないのだ!!」

 語尾が激情に掠れる。
 荒い息遣いが聞こえる。
 僕は呆然とカーテンを見上げていた。
 カーテンの向こう、いつもの鉄面皮をかなぐり捨てて激しい本性を曝け出すサムライに圧倒された。
 静謐が降り積もる。
 世界が消えたようだ。否、違う。世界は消えてなどいない。それが証拠にカーテンが揺れている、何者かが外側からカーテンを掴んでいる。
 その何者かが憎しみに濁った呪詛を吐く。
 己に流れる血に苦悩して。
 人斬りの血を呪い。
 「………何遍般若心経を唱えても心休まらぬ。罪は償えぬ。俺は人殺しだ。のみならず親殺しだ、苗を見殺しにした男だ。それでもまた奴らが生き返れば同じ事をする、躊躇なく刀を振るいヤツらを根絶やしにする!俺は………」
 拳がカーテンを打つ。
 カーテンが風を孕んで膨らむ。手ごたえがないのを承知で何度も何度も拳を振り下ろす、何も砕けないのを承知で虚しくカーテンを穿ち己を責め立てる。本当に砕きたいのは自分だ、しかし自分を砕いたら駄目だ、自分を砕けばもう僕は守れない。
 だからサムライは、
 「俺は、人斬りだ。武士ではない、侍ではない、ただの血に飢えた人斬りだ!!」
 悲痛な咆哮が胸を抉る。
 瞬間、体が動いた。
 カーテンが風を孕んで膨らんだ隙に胴に腕を回す。
 サムライの熱を、体温を感じる。胸の内に温かい感情が流れ込む。瞼が火照る。眼球が潤む。サムライの胴に腕を回し抱きしめる、縋り付くように抱擁する。カーテンが大きく捲れ、一瞬だけサムライの全身があらわになる。
 驚愕に目を見開いた顔。
 その顔を見た瞬間、僕の中で何かが爆発した。
 「君はサムライ以外の何者でもない、僕が愛した男が人斬りであってたまるか!!」
 サムライが力強く僕を抱きとめる。逞しい腕が肩を包み込む。 
 垢染みた囚人服の胸に顔を埋める。速い鼓動を感じる。サムライが今確かに生きている証だ。

 ああ。
 僕は彼が愛しい。
 かつて犯した罪ゆえに武士ではなく人斬りだと自分を責め続ける気高さが愛しい。 
 心の底から愛した女性を失った怒りに任せて刀を取り、父親と門下生十二人を斬り殺した。 
 恐ろしい男だ。
 しかし誰より彼を恐れているのは彼自身、サムライ自身だ。己に流れる帯刀の血を誇りに思うのと同じ位忌み嫌い、しかし逃れられず、人斬りと武士の狭間で苦しみ続けている彼自身なのだ。
 哀しい男だ。
 哀しいくらい真摯で、高潔で。
 優しくて。

 「………君が自身の罪を許せないなら、僕が許す。この世の誰も君自身ですら許せない罪でも僕なら許せる、許すことができる」
 僕への優しさは、己への厳しさの裏返しだ。
 渾身の力でサムライを抱きしめる。
 「君自身が許せなくても僕は受け容れる。僕らは同じ人殺しだ、親殺しだ。君に流れる血はどこも特別じゃない。血がどうしたというんだ、全身の細胞に栄養分を運搬する媒体となる体液、それ以上でも以下でもないじゃないか。そんな物にこだわって一生を無駄にするんじゃない、そんな物に『因縁』だとか『宿命』だとか大層な名前を付けて縛られるんじゃない。君は帯刀貢、本物のサムライだ。重要なのは血じゃない、そんな物じゃない、重要なのは……」
 サムライの胸に手をあてる。
 手のひらに規則正しい鼓動を感じる。
 「ここだ。ここに宿る物だ。君が『信念』と呼ぶもの、僕を包み込むものだ」

 サムライが己を憎んでも、許せなくても。
 彼を愛しく想う気持ちに変わりない。  
 君を愛しく想う気持ちに変わりない。

 「君はサムライだ。サムライ以外の何だというんだ」
 「…………直」
 サムライが僕を抱きしめる。強く、強く、強く。砕けそうなほどに。もう二度と失いたくない、奪われたくないと切実な決意を込めて。
 サムライのぬくもりに包まれて顔を上げる。
 双眸に優しい光を宿し、サムライが微笑む。
 「しばし、抱かせてくれ」
 「抱くだけで満足なのか」
 サムライが虚を衝かれる。不意に恥ずかしくなり、サムライの腕をすり抜けてカーテンの内側に隠れる。何だ、今の発言は。どうかしているぞ、僕は。二の腕をさすりサムライの抱擁を反芻、カーテンの外側の彼を見上げる。
 足音を殺し息遣いを潜めてカーテンに忍び寄る。
 カーテンに起伏ができている。サムライの顔の膨らみだ。
 カーテンの起伏に近付き顔のあたりを凝視、唇の位置を確かめる。
 「………………」
 目を閉じる。カーテンがそよぐ音が耳朶をくすぐる。
 そっとカーテンに寄り添い、布一枚隔ててサムライに顔を被せ、唇を重ねる。
 薄い布が頬をくすぐる。滑らかな布が唇にふれる。
 カーテンの向こう、僕にキスされたのに気付いているのかいないのか無言で佇むサムライから素早く身を翻す。
 淡い感触が残る唇に触れ、虚脱してベッドに座り込む。
 「全治二ヶ月だ。今はこれで我慢してくれ」
 急速に顔が上気する。カーテンの向こうから動揺の気配が伝わり恥ずかしさが倍増する。
 わざとらしい咳払いに一方的な言葉が続く。
 「また来る。達者でな」
 呼び止める暇もなく身を翻しサムライが出て行く。バタンとドアが閉じ、医務室に静寂が舞い戻る。
 「~~~~~っ!」
 顔が熱い。頭から毛布を被りベッドに突っ伏した僕のもとへ足音が近付いてくる。はっとして顔を上げれば、無造作にカーテンを捲って医者が顔を出す。
 「ふわあ、よく寝た……ワシが居眠りしてた間にお客が来たようだが、何を話していたんだね」
 医者が意味ありげに目配せする。
 居眠りしたふりでサムライを見逃した医者を鋭く睨み付け、最高に不機嫌な顔で言った。
 「血液の成分の話だ」

少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050512110239 | 編集
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