ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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二十一話

 鍵屋崎入院から三週間経った。
 「邪魔するぜ」
 シャッとカーテンを開け放ち、ぎょっとする。
 本、本、本。
 ベッドまわりの床に足の踏み場もなく本が散らばってる。
 際どいバランスを維持する斜塔を迂回して慎重にベッドに接近、枕元のパイプ椅子を取り上げる。震度一か二の微震で崩落しそうな均衡を保つ本の斜塔を横目に、ベッドに起き上がった鍵屋崎をしげしげ眺める。
 思ったより元気そうだ。
 三週間前、静流に脇腹を刺された鍵屋崎は手術で一命を取りとめたものの一週間昏睡状態が続いてサムライをはじめとする身近な人間にさんざん気を揉ませた。
 俺も例外じゃない。
 三週間前、カーテンの隙間からちらりと覗いた寝顔を思い出す。
 スーコースーコー……一定の間隔で続く機械的な音。酸素マスクの補助を得てか細く呼吸する寝顔。
 正直駄目かもしれないと思った。
 俺もサムライも悲観的になっていた。なんたって脾臓貫通の重傷に付け加え一週間も意識不明の状態が続いたのだ、誰だって不安になるに決まってる、不安を突き詰めて「もしも」に至るに決まってる。もしも鍵屋崎が死んだら、このまま目覚めなかったら?
 最悪の想像ばかりが浮かんでは消えた。
 あれから三週間、鍵屋崎は大分元気になった。
 「邪魔な自覚があるなら失せろ、集中力が散る」
 「見舞いに来てやったんだよ」
 「頼んでない。恩を売る気なら買わないぞ」
 ………毒舌は健在。
 ベッドパイプに背中を立て掛けた鍵屋崎に何か言いかけて口を噤んだのは、相手が一応重患だと思い出したからだ。口喧嘩中に傷が開いてべろり腸がはみ出したらと思うとさすがに続ける気になれない。
 渋々黙り込んだ俺の視線の先、鍵屋崎は毛布を掛けた膝の上に分厚い本を広げてる。
 何読んでるんだと覗き込んでみたら眩暈の拒絶反応が出た。
 鍵屋崎は人を撲殺できそうな厚さの難解な哲学書をすいすい読んでいく、ページをめくる手が滞ることもなく「なるほど」「斬新な見解だ」「飛躍的な解釈だ」と時々感心したふうに頷く。言うまでもなく俺は完全無視、まるっきり空気扱い。あんまりだ。折角見舞いに来てやったってのに本に夢中でこっち一瞥もしねーなんて……
 「鍵屋崎。おい、鍵屋崎」
 口の横に手をあて呼びかける。んなことしなくても30センチと離れてないのだから当然聞こえるはずだが、鍵屋崎は無反応。銀縁眼鏡の奥、怜悧な印象を与える切れ長の目に知性の光を宿らせて単調にページを繰る。
 「ものがあるとはどういうことなのか?理論的な知識はひとりの人間と彼を取り巻く彼自身も含めた世界内の存在との根源的な関係を意味する。人は知ありて生くる者、前提とする知性がなければ世界と関わりを持てずただ在るだけに甘んじて自己認識が薄れる。在ることを知ることから全てが始まる。存在の耐えられない軽さ。人間の行為は何らかの対象や目的を目指す限りにおいて志向性をもっている。読書という行為は最善の理解を志向しているからこそ尊いもの、志向性がない人間はただ無気力に……」
 「鍵屋崎おい、戻って来い」
 「今いいところなんだ、邪魔するな」
 「どこらへんが?」
 マジで聞き返す。鍵屋崎が鼻白む。
 うわ、あからさまに馬鹿にしてやがる。ちょっと傷付く。観念の世界から現実に呼び戻された鍵屋崎がうざったそうにこっちを見る。読書を邪魔されてご機嫌斜め。
 点滴された腕で苛立たしげに本を閉じ、眼鏡の奥の目を細める。
 「ロン、君は何故ここに存在している?貴重な読書時間を搾取して僕に不快感を与える自分の存在に疑問を感じないか。レイジはどうした、一緒じゃないのか」
 「レイジはホセんとこ行ってる。二人で話し合いだとさ。俺には聞かれたくねー話なんだろ、大方」
 なげやりに吐き捨てれば、鍵屋崎の顔に疑問が浮かぶ。
 やばい。あの事はまだ鍵屋崎に知られちゃいけない。鍵屋崎だけじゃなく他の人間に口外するなと脅迫されてるのだ。慌てて口を閉じた俺の様子を観察、鍵屋崎が得心したふうに頷く。
 「………なるほど。仲間はずれか」
 「あん?」
 なんだって?
 「行動原理が単純明快だ。三人寄れば公界の諺が示す通り社会の最小単位は三人だ。つまり君はレイジとホセの話し合いに混ぜてもらえずに暇を持て余して僕に構ってもらいにきたのだろう、違うか?まあ君が信用されなくても無理はない、そもそも南の隠者ホセと東棟の王様との話し合いにただの友人に過ぎない君が同席する方が不自然だ。察するに二人の話に加えてもらえず疎外感を味わっているらしいが、僕が君の暇つぶしに付き合う義務は……」
 「ちげーよ!!」
 椅子を蹴立てて立ち上がる。
 もう少しで鍵屋崎に掴みかかりそうになるのをぐっと堪える。
 体の脇で拳を握り込み鍵屋崎を張り倒したい衝動を自制、パイプ椅子に腰を下ろす。鍵屋崎ときたら人をイラつかせる天才だ。しかも何割かは当たってる。と言うか図星だ。俺が鍵屋崎のところに来たのは「大事な話があるから」とレイジがホセに連れてかれて一向に帰って来なくて身の処し方に困ったからだ。
 『殺しのプロたる東の王に所長の暗殺を依頼します』
 ホセの落ち着き払った声。
 冗談を言ってる感じじゃなかった。
 煉獄の展望台で王と隠者が死闘を演じてから数日、ホセの爆弾発言に心乱された俺は寝ても覚めてもその事ばかり考えて悶々としてる。
 所長の暗殺?本気か?なんでホセが所長を暗殺を企てるんだ、理由は何だと本人をとっちめたくても生憎ホセは南棟に引っ込んだまま姿を見せないし肝心のレイジはホセと一緒に南棟に消えたままだ。

 『どういうことだよホセ、ちゃんと説明しろよ!?俺に断りなくレイジ連れてくなんて承知しねーぞ!!』
 血相替えて追いすがる俺をちらり振り返り、ホセが意味深に微笑む。
 『我輩も胸が痛みますがここから先はレイジ君のみに話します、東京プリズンで平穏に暮らしたいならロン君は踏み込まない方が身の為かと』
 『もうとっくに踏みこんでるよ、さんざ思わせ振りな言動で釣っといて肝心なトコだけお預けなんてなしだぜ!?レイジお前も何とか言えよ、勝手に決められていいのかよ、所長の暗殺なんてそんないきなしっ……』
 『ロン』
 緩やかに振り向くレイジ、その口元は薄っすら笑っている。
 謎めいた笑み。ここから先は俺が立ち入るべきじゃないと問答無用に告げる微笑。
 『当分房空ける。東棟留守にする。ホセと大事な話があるんだ。俺がいないあいだ浮気せずいいコにしてろよ?』 
 『………っ!!』
 俺の中で何かが弾けた。
 レイジを行かせるのは危険だと本能が疼いた。発作的にレイジを追ったが間に合わなかった、ホセと一緒に展望台を去ったレイジは俺が追いつくより先に渡り廊下を渡って南棟に移っちまった。
 息を切らして渡り廊下に滑り込んだ俺は悔しさに歯噛みして境界線の向こうに行ったレイジの背中を睨み付けた。
 最後に見たレイジは、やけに深刻な様子でホセと話しこんでいた。
 緊迫した空気の中、小声で交わす会話の断片が耳に届く。
 「所長」「暗殺」「計画」「遂行」……
 何だ?ホセの奴レイジに何させる気だ?
 よっぽど足を踏み出そうとした、走り出そうとした。だが出来なかった。戦慄に足が竦んで一歩も踏み出せなかった。
 ホセは本気か。本気で所長を殺すつもりなのか。所長暗殺の汚れ仕事をレイジに押し付けて自分は高みの見物と洒落込むつもりか、本当にそこまで腐ってやがるのか。レイジは引き受けるのか、ホセの手駒に使われるのを承知で所長を殺すつもりか?
 頭が混乱する。不信感が膨れ上がる。
 勿論俺だって所長が死んでくれるのは単純に嬉しい、物凄く嬉しい、諸手を上げて喜んでやる。
 だがレイジが直接手を下すとなりゃ話は別だ。万一レイジが所長を殺した事がバレたらどうなるか想像しただけで動悸が激しくなる。
 所長を殺す。東京プリズンの最高権力者を抹殺する。
 そんな事になりゃ東京プリズンがひっくり返る、レイジは東京プリズンそのものを敵に回すことになる。
 いくらレイジが戦闘に優れた暗殺のプロでも所長を殺す事自体は可能でも問題はその後、殺害が成功した後だ。
 所長を殺したことがバレたらどうなる?
 刑務所内で殺人を犯した囚人を待ち受ける処罰……『死』。
 いや、死よりももっと恐ろしい……

 「ロン?」
 鍵屋崎の不審げな声で我に返る。ハッと顔を上げる。
 鍵屋崎が怪訝そうにこっちを見詰めている。激しくかぶりを振って不吉な想像を追い払う。
 ぐちゃぐちゃ悩んだって仕方ない、答えは出ない。レイジはホセに連れてかれたまま音沙汰ない。南棟に引きこもったレイジとホセが何を話し合ってるんだとしても俺は口出しできない。認めるのは癪だが鍵屋崎の言い分は正しい。南のトップと東のトップの話し合いにトップでも何でもねえ俺が介入できるわきゃない。俺に出来ることといったらお利口さんにレイジの帰りを待つだけだ。 
 「…………畜生」
 せっかく仲直りできたと思ったのに、わだかまりが解けたと思ったのに、喜んだ先からまた離れ離れになっちまった。
 展望台を去り際振り向いたレイジの笑顔が得体の知れない不安を掻き立てる。ホセの依頼を受けるか蹴るかはアイツ次第だが、どっちにしろ平穏は続かない予感がする。
 畜生、なんだってこう次から次へと揉め事が起こるんだ?
 俺はただレイジと鍵屋崎とサムライと一緒に食堂で馬鹿騒ぎする日常に戻りたいだけなのに神様はそれさえ許しちゃくれねえのかよ。
 「……レイジに冷たくされて相当こたえてるらしいな」
 一日中ベッドで寝てるだけのくせに、優れた洞察力をもって痛い所を突く鍵屋崎に反発する。
 「そういうお前こそサムライと会えなくてへこんでるんじゃねーか。副所長の過保護にも困ったもんだな」 
 鍵屋崎が顔を顰める。
 この上なく不機嫌な様子で眼鏡のブリッジに触れ、ため息を吐く。
 「……こちらは迷惑だ。副所長の言動は理解できない。静流は現在独居房に拘禁されている、僕を刺した本人が監禁されているならサムライが僕のそばに来ても何ら問題ないはずだ。なのに何故ヨンイルの房に移そうとする、サムライを遠ざけようとする?不条理だ。理不尽だ。のみならず無意味で無理解で非合理だ。僕は絶対に従わない、たとえ副所長命令だろうが自身が納得できない事は天才の威信を賭けて却下する。僕をヨンイルの房に移したいならベッドごと運ばせるしかない、自発歩行でヨンイルのもとに行く気は毛頭ない」
 「今の安田ならやりかねねーな」
 ほんの少し鍵屋崎に同情。
 確かに安田は極端すぎる。
 切れ者エリートの副所長とひねくれ者の天才がいつのまに親子と見紛うほど親しくなっていたのか今いち釈然としないが眼鏡と眼鏡、もとい、頭イイ奴同士気が合うんだろう。
 実際安田と鍵屋崎にはどこか似た所がある、共通の雰囲気がある。
 知的な風貌と潔癖な言動エリート故の傲慢さとプライドの高さなどなど、内と外に共通点が多々ある副所長が自分とよく似た鍵屋崎に肩入れしても不思議じゃない。
 「父親でもない癖に束縛するな。不愉快だ」
 伏せた双眸が苦悩を映す。
 神経質に眼鏡に触れる仕草が苛立ちを匂わす。
 双眸を暗く翳らせた鍵屋崎が、ぽつり呟く。
 「僕にはサムライが必要だ。サムライにも僕が必要だ。……離れたくないんだ」
 固い横顔に絶句。のろけてる自覚もないんだろう、ご馳走さま。ふと視線を下ろした拍子に枕の下からちょこっとはみ出た手紙を発見、好奇心から手を伸ばす。
 鍵屋崎が「あっ」と叫ぶも遅い、狼狽した鍵屋崎が点滴の刺さった手をこっちに伸ばして奪回しようとするのをパイプ椅子を後ろに仰け反らせて回避、わざとがさつかせて便箋を開く。
 「返せ!人の手紙を盗み読むなどプライバシーの侵害だデリカシーの欠落だ社会性の欠如だ人格の欠陥だ!わかったなら手紙を返せ、サムライから来た手紙に汚い手で触れるんじゃない、最低三十回で石鹸で洗って来い!」
 「なんだこりゃ」
 興味津々、便箋に目を落とす。
 便箋にはたった四文字、達筆な字でこう書かれていた。
 「『回復祈願』………」
 便箋を上下逆にする。ひっくり返す。横にする縦にする斜めにする。
 角度と見方を変えてためつすがめつするも「回復祈願」の四字がでかでか書かれてるだけ、他には何もない。味もそっけもない恋文……いや、そもそも恋文なのかこれ。もっと他になかったのかよ、サムライ。
 とことん不器用なヤツ。
 脱力して便箋を放り出す。
 俺が虚空に放り出した便箋を慌ててキャッチ、鍵屋崎が頬を染める。
 「……サムライらしい手紙だな。真心こもってるっつか、」
 「フォローはいい」
 「さいですか」
 「サムライのことだ。入院中の僕になんて書けばいいか迷った末に極端に無駄を省き四字熟語に要約したのだ、そうに違いない」
 「苦しい言い訳。ん?」
 封筒の中に何か入ってる。ひっくり返す。
 ぱさりと音をたて手のひらに落ちたのは、紐で括られた髪の束が一房。髪?なんでこんな物が封筒に入ってたんだと訝しみ、指先に摘んだ髪の束を顔に近づけて離す。
 「サムライの髪だ」
 鍵屋崎が俺から髪を取り返す。
 細心の手つきで髪を撫で、握り締める。
 「自分がそばにいられないからせめて代わりにと預けてくれた」
 鍵屋崎が安らかな顔になる。
 サムライが想いを託した髪を握り締めるさまに温かいものが滲む。束の間の安息。安田の妨害で引き離されてもなお鍵屋崎とサムライの絆は健在、それどころか会えない日々が絆を深めていっそう距離を近付ける。
 妨害工作が裏目にでたってわけか。
 「髪の毛だけじゃ足りない。サムライに触れたい。誰にも邪魔されずサムライと触れ合いたい」
 一房の髪を握りしめ、鍵屋崎が切実に呟く。
 伏せた双眸を複雑な感情が過ぎり、横顔に葛藤が投影される。
 サムライに欲望を感じてるわけじゃない。
 どこまでも純粋にサムライと触れ合いたい、サムライを身近に感じたいという願望。
 解釈によっちゃ愛の告白に等しい過激な発言だが、口にした本人に自覚がないのがすごい。
 「そういやサムライだけど、額に怪我してたぜ」
 「額に怪我だと!?」
 語尾が跳ね上がる。鍵屋崎が思い詰めた眼差しで向き直る。
 サムライの話になると途端に食いつきよくなるなと内心呆れた俺の肩に興奮のあまり掴みかかり、点滴外れんばかりの勢いで揺さぶりつつ声を荒げる。
 「転倒か、壁に衝突したのか、喧嘩か?サムライは平和主義者だから最後の可能性は低い、となると転倒事故か衝突事故の二択だがサムライに限ってそんな失態を犯すとも思えない。それでサムライは無事なのか、頭蓋骨陥没・脳挫傷の疑いがあれば手遅れになる前に医者に診てもらい手術を受けるべき」
 「ここんとこにガーゼ貼ってた。大した怪我じゃねえよ。怪我した理由については言いたがらなかったから知らねーけど」
 「よかった。手術の必要はなしか」
 鍵屋崎が深々嘆息、サムライが無事だとわかった安堵で表情を緩める。心配性の鍵屋崎が俺の肩から手を放してベッドに座りなおすのを見守り、ここに来る前の出来事を回想する。
 サムライは額にガーゼを貼っていた。
 どうしたのか聞いても本人は憮然と押し黙ったまま、怖い顔で睨まれちまった。
 不機嫌なサムライと不機嫌な鍵屋崎を見かねてお節介の虫が騒ぎ出す。
 「鍵屋崎、」
 お互いがお互いに会いたくてたまらないのに安田に邪魔されてストレス蓄積してる鍵屋崎とサムライの為に俺ができることを考える。
 せめて伝言を届けてやろうと口を開きかけたところで、賑やかな声が割り込んでくる。
 「元気しとったか直ちゃん、こないだの約束どおり動物のお医者さん全巻持ってきてやったでー。ってロンロンもおるんかい!」
 ハイテンションな乗りツッコミ。振り向くまでもなく見舞い客の正体を察してうんざりする。
 両手に漫画を抱えたヨンイルがベッドの端っこに腰掛ける。
 「ちょうど良かった、皆で動物のお医者さんに貪り読もうや。傷が塞がるまで暇やろ直ちゃん、二ヶ月も入院期間あるなら動物のお医者さんどころかガラスの仮面読破も不可能ちゃうわ。あ、せやけど傷開いて腸がどばーっと溢れたらヤバイからできるだけ笑い堪えてや!とくに漆原教授は出てきただけで笑えるから手のひらか紙で隠して……」
 「消えろ道化。僕はハイデッカーを読んでるんだ」
 「はいでっかーさいでっかー。絵のない本なんて読んでおもろいんか?人生無駄にしとるよーにしか思えん。さあ直ちゃん気分変えて漫画読もう、チョビの可愛さとミケのふてぶてしさを満喫しよ!」
 えらくご機嫌なヨンイルに鍵屋崎は不満顔。
 付き合ってらんねえ。
 そろそろ潮時だと腰を上げてパイプ椅子をヨンイルに譲る。
 「じゃあな」
 「ああ……、」
 「そんでな直ちゃん、チョビはこないおっかない般若顔やけど実はメスなんやでー純情な女の子なんやでー。犬は見かけによらんもんやなあ」
 鍵屋崎が物言いたげに口を開閉するも、伝言を託そうとしたそばからヨンイルがじゃれつく。
 ヨンイルと漫才繰り広げる鍵屋崎に肩を竦めて歩き出す。
 医務室を出る。廊下に看守が立ってる。安田から見張り役を仰せつかった若い看守……いつだったか、レイジに肩を貸して房に連れてきたヤツだ。
 「あんたが見張りか。大変だな」
 壁に凭れて立っている看守に声をかける。
 「副所長の命令だし……それに僕、どうせ暇だから。これ位しか仕事ないから」
 言い訳がましく付け加え、たははと笑う。ぺーぺーの新入りで大した仕事を任されてないって意味か。
 「いい加減子離れしろって言っとけ。ま、言ったらクビになるかもしれないけど」
 「ぞっとしないね」
 見るからに頼りない新入りが相手だと自然砕けた口調になる。
 気軽に冗談を飛ばせば看守が無難に苦笑する。
 「大丈夫かい」とレイジを気遣ってる所からも察したが、腐った看守ばかりの東京プリズンじゃ珍しく好感のもてるヤツだ。
 そういやあんた名前はと聞こうとして背後に気配を感じる。
 振り返る。サムライが走ってくる。
 「直は?」
 「相変わらず口と顔色が悪い。怪我はだいぶよくなった」
 「そうか」
 「大丈夫かサムライ、お前の方が病気みたいだぞ」
 サムライが重苦しく黙り込む。陰鬱な雰囲気。鍵屋崎の事が心配でころくに眠ってないせいで目の下にどす黒い隈ができている。強制労働中にぶっ倒れないのが不思議だ。鍵屋崎に会えない日が続いて心身ともに限界に来てるらしく、手入れを怠った顎に無精ひげが生え始め、垢染みた全身に荒んだ気配が漂っている。
 「………目え真っ赤だ。泣いてんのか」
 「馬鹿な。武士が泣くものか」
 サムライが断固否定、口元を真一文字に引き結ぶ。
 片手には木刀を握っている。体の脇に木刀を引き付けて廊下を行ったり来たり、廊下の端から端を往復するサムライは自分の奇行が注目を浴びてることにも気付かない。
 一挙手一投足が殺気立っている。白目がぎらぎらと血走る。
 この三週間というもの毎日医務室前を行ったり来たりひと時も休まず相棒の無事を祈ってるのだ、精神が削れて当たり前だ。
 「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空……」
 鍵屋崎の回復を祈願し、口中で般若心経を唱えるサムライを一瞥、呟く。
 「意地っ張りめ」
 サムライの額にはガーゼが貼られている。
 本人がだんまり決め込んでるせいで怪我の理由もわからないが、鍵屋崎と会わせてもらえないストレスが祟ってそこらの壁に頭突きしたのかも知れねえなと不謹慎な想像を巡らす。
 思い詰めたら何しでかすかわからないのは鍵屋崎と同じだ。
 「はあ……」
 サムライと鍵屋崎は会えねえし俺とレイジは離れ離れだし、どーしてこううまくいかねえんだろ。

 レイジ、早く帰って来い。
 お前がいないと生活に張り合いがない。
 どうせならレイジとサムライと三人一緒に見舞いに行きたい、その方がきっと鍵屋崎も喜ぶ。

 東棟に戻る前に、中央と南棟を繋ぐ渡り廊下へ向かう。
 数日前、ホセとレイジが消えたきりの渡り廊下。東棟の王様が鼻歌まじりに踏み越えた境界線をひょいと跨ぐ度胸がないのは俺がただの囚人だからだ。
 この前はホセと一緒だから南棟に行けた。
 一人で行くのは無理だ。自殺行為だ。
 北棟ほど敷居が高くなくても他棟へ行くのは抵抗を感じる。
 ホセの保護を失った俺が無事に帰って来れる保証はない。
 渡り廊下の始点に立ち、不吉な闇が凝った廊下の奥を凝視。
 あの闇の向こうにレイジがいる。ホセと二人きり東京プリズンの今後について話し合ってる。
 所長暗殺計画が本格始動したらレイジはどうなる?
 手のひらがじっとり汗ばむ。胸の鼓動が高鳴る。
 依頼を受けるのか、蹴るのか?そりゃ所長が死ぬのは願ってもない。所長がおっ死にさえすりゃレイジは俺の所に戻ってくる。
 けど、代償はあまりに大きい。

 『いい子にしてろよ』

 別れ際の台詞を想起して胸が苦しくなる。
 言われた通りいい子にしてた、してたよ。
 お前はいつ帰ってくるんだレイジ。
 「…………」
 ごくりと生唾を嚥下、さんざんためらった末に一歩を踏み出す。また一歩。このまま廊下を歩いて南棟に行き、力づくでレイジを奪いたい欲求に駆られる。
 三歩、四歩、五歩……停止。
 金縛りにあったように体が硬直、これ以上進むのは危険だと本能が知らせる。渡り廊下の空気が微妙に変容、侵入者を追い返す為なら手段を選ばず流血も辞さない空気が流れる。
 肌にちりちりと感じる殺気、産毛が逆立ち燻る感覚。
 廊下の奥から殺到する殺意と敵意、威嚇と威圧、牽制の眼光。
 廊下の奥に潜んだ南棟の門番が緩慢に動き出す。
 右側の囚人が壁に立て掛けた鉄パイプを取り直す、左側の囚人が堂に入った動作でトンファーを構える。
 廊下の奥から凄まじい殺気が吹き付けてくる。
 「お前ら、南の門番だな。ホセに言われて見張ってんのか」
 返事はない。続ける。
 「レイジはどうしてるんだ。こないだホセに連れてかれたきり帰ってこねーけどお前らなら知ってんだろ、答えろよ」
 「知ってても言いたかねーな」
 「お前に教える義理ねーよ」
 鉄パイプを肩に担いだ囚人が歯を剥いてせせら笑い、トンファーを構えた囚人が野卑に唇を捲る。
 南の門番と対峙、突き指しないよう親指を内側に拳を握りこむ。俺の武器は喧嘩慣れした拳だ。門番の動向を鋭く探り、実力の差を冷静に見極める。
 イケるか?……二人同時は無理、一人なら何とかイケる。
 南の門番を叩きのめしてレイジの居所を吐かせるのが一番手っ取り早い。 
 空気が帯電する。首の後ろがささくれるような緊迫感。廊下の始まりと終わりで二人組の門番と対峙、肩幅に踏み構えて重心を落とす。
 「とっとと帰りなビチクソガキ。そっから先は南の領域、隠者の許しなく足を踏み入れたら骨の三本四本へし折られるぜ」
 「人の相棒拉致ったヤツの許しなんかいるか。くそくらえだ」 
 頭に血が上る。全身の血が沸騰する。
 そろそろ我慢の限界だ。いつだって俺だけ蚊帳の外で重要な話に混ぜてもらえねえ、全部終わってからこれこれこうでしたと種明かしされんのはうんざりだ。俺は今レイジの身に起きてることが知りたい、拉致同然の形で南に連れ去られたレイジが無事でいるか元気でやってるか確認したくて心配で夜も眠れず気が狂いそうなのだ。
 「脇役は引っ込んでろ。レイジは俺が連れ帰る」
 門番にボコられるのを覚悟で強行突破を決意、身軽に床を蹴る。
 頭を屈めた姿勢で一気呵成に廊下を走りぬける。門番二人組がそれぞれ鉄パイプを振り上げトンファーを跳ね上げ、
 「おー。ロン、迎えにきてくれたのか」
 へ?
 靴裏の摩擦でゴムが磨り減る。急ブレーキを掛けて失速する俺の眼前、臨戦態勢の門番の肩をポンと叩いて出てきたのは……
 やけにご機嫌なレイジ。
 「迎えに来てくれたのじゃねーよ、お前今までどうしっ……」
 「長らくお引きとめて申し訳ない。少々話が長引いてしまいました」
 ご機嫌麗しいレイジの背後に控えたホセが如才なくフォローする。「それではレイジ君、例の件はくれぐれも慎重に」「わかってるよ、任せとけって」と笑顔でやりとりする二人に唖然とする。例の件……所長の暗殺。任せとけ……承諾。つまりレイジは暗殺依頼を受けたってのか、ホセの手駒に使われるつもりなのか?
 頭が混乱する。危うくパニックを起こしかける。前進も後退もできず廊下の真ん中に立ち竦む俺のもとへレイジが無防備に歩いてくる。
 「会えなくて寂しかったぜ、ダーリン。内緒話終わったら速攻帰るつもりだったんけどホセがなかなか放してくれなくて予想外に時間食っちまった。さ、スイートホームこと東棟に帰ろ。そういやオシオキもまだだったよな?俺がヨダレ垂らして見てる前でホセとディープキスあーんどフェラチオしたお仕置きだ、房に帰ったらたっぷりと……」
 隻眼が物騒に細まる。
 危険な光を宿した隻眼が射抜く方角を返り見て、冷水を浴びせ掛けられたような戦慄を覚える。

 大股に突き進むレイジの先、俺の背後から威風堂々行進してくる痩せぎすの男。
 肩で切り揃えた綺麗な銀髪。
 無慈悲に氷結したアイスブルーの目。
 片方の目は凝った装飾を施された黒革の眼帯で覆われている。

 豪華な装飾の眼帯で片目を覆った男は、落ち窪んだ眼窩で目を爛々と光らせて、乾いてひび割れた唇で何かを呟きながらこっちにやってくる。一目で重度の薬物依存症だとわかる異常な痩せ方と灰色がかって不健康な皮膚、髑髏めいた死相がちらつく不吉な顔貌。
 最後に見かけたのは俺たちの命運を決めるペア戦最終戦、あの時と比べて更に体重が落ちて肌の色がくすんで髪が傷んでいる。
 もう長くはない。
 一陣の冷風を吹雪かせて颯爽と突き進む男の手には、銀光閃くナイフが握られていた。
 「私は認めん」
 世にも美しいアイスブルーの隻眼に憎悪が迸る。 
 「何故私ではないのだ隠者、暗殺の手腕ならばこの私とて其処の雑種に劣らんと言うのに何故私を指名しない?暗愚な選択が片腹痛い。それともペア戦で其処の卑しき雑種に屈した私の手腕を軽んじているのか、薬に侵されて手の震えが止まらぬ私では暗殺を成し遂げられないと軽んじているのか。笑わせるな隠者風情が!私の暗殺技術は今だ衰えてない、ナイフの冴えは鈍ってないぞ」

 憎悪に顔歪ませて、狂気を身に纏わせて、銀髪の男がやってくる。

 「久しぶりだな。その後どうしてた?ペア戦で負け犬姿晒した手前今まで通り威張り散らしてられるはずもねえ、下克上で王座引きずりおろされて北の連中にマワされてんじゃねーかって心配してたんだぜ。お前の恐怖政治にゃ北の連中びびって小便漏らしてたからな、威信が地に墜ちたら寄ってたかって復讐されんのが世の習いだ。今度はそっちが調教される番じゃね?」
 レイジが口角を吊り上げて歩みを進める。
 次第に距離が縮まり威圧感が増す。
 銀髪の男は歩みを止めない歩調を緩めない、レイジと距離が近付けば近付くほどに全身に異様な気迫を漲らせてナイフを振り翳す。

 「今ここで優劣を決めようではないか、真の王者を決めようではないか。ペア戦のあれはわざと手加減してやったのだ、哀れな犬に慈悲を垂れてやったのだ。皇帝に敗北はありえん。皇帝の威信が地に墜ちるなどあってはならないことだ」
 「いい加減認めろよ、お前は負けたんだよ。今度から負け犬に改名しろ。『皇帝』なんざお前にゃ過ぎた名だ、北じゃどうせお前を皇帝サマと仰ぐ囚人いないんだろ。メッキが禿げたんだよ。今のお前はただの薄汚れたジャンキーだ、我こそは偉大なるロシア皇帝だって誇大妄想に取り憑かれた気違いだ」

 銀髪の男が禍々しく笑う。
 薄青に透き通る瞳にレイジが映る。
 冷酷な眼光を発する男に物怖じせず歩み寄るレイジ、その顔はこの上なく愉快げな笑みを浮かべている。遊び相手を見つけたガキみたいな無邪気で残酷な笑顔。 
 俺と門番が固唾を呑んで見守る渡り廊下で、北の廃帝と東の王が邂逅する。
 「東京プリズン最強の暗殺者はこの私だ」
 銀髪の男が憎憎しげに吐き捨て、鞭のように腕撓らせて行く手を薙ぎ払う。
 「なら俺は東京プリズン最高にして最悪の暗殺者だ」 
 レイジが挑発するように両手を広げる。
 銀髪の男が凄まじい奇声を発して廊下を疾駆、生あるもののように銀髪が舞い上がり後方に流れる。自分めがけて突っ走るサーシャを歓迎すべく両手を広げ、レイジが皮肉っぽく独りごちる。
 「殺し合いの第二幕か。好きだぜ、こういうのも」 
 北の皇帝改め北の廃帝サーシャと東の王が激突する。

少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050514001342 | 編集
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