ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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二十話

 『くそっ、よくも柿沼を……おいしっかりしろ柿沼、柿沼!駄目だ死んでやがる、ああなんだってこんなことに……』
 『さんざんよくしてやった恩忘れてとち狂いやがって静流、看守に逆らったらどうなるか思い知らせてやる!一生死ぬまで独居房にぶち込んで飼い殺してやる、喉にクソ詰めて発狂したほうがマシな思いさせてやるっ!手足切り落として目ん玉抉り出して歯あ一本残らず引っこ抜いて糞まみれの独居房に閉じ込めてやる!』
 看守を殺害した囚人に東京プリズンで生き残る術はない。
 独居房に収監されてから何日何週間経ったのか判然としない。
 頑丈な鉄扉で外界と遮断された闇の中、静流は生ける屍と化した。ただその目だけが妄執に取り憑かれて爛々と輝いていた。頬が削げ落ちて眼窩が落ち窪んで人相が変わった。それでも目の異様な輝きだけは失われず、毒蛇の吐息の如く全身から瘴気が噴き上がる。
 かつての静流を知るもの、たとえば柿沼が今の自分を見たら愕然としただろう。
 かつての穏やかな少年は今やどこにもいない。
 ひび割れた唇から漏れるのは呪詛を煮詰めた呟き。
 「まだだよ、姉さん。まだ終わらない」
 そうだ、まだ復讐は終わらない。この手で帯刀貢との因縁を断ち切るまで復讐は終わらない、この手で復讐を成し遂げねば意味がない。自分が東京プリズンに来た唯一にして至上の目的、それは帯刀貢の殺害。帯刀家に災いを招き滅びに至らしめた男への復讐。母と姉に託された想いを無駄にしてはならない、絶対に。母と姉は無念のうちに死んでいった。帯刀分家の当主として気高く誇り高く生きた母、美しく優しい姉の末路を慟哭の内に目に焼き付け、刀を引っさげて修羅へと身を堕とした帯刀分家の嫡男は、凍て付いた暗闇で目を閉じる。

 思い出す。
 暗く冥い闇の底で。

 『助けて、誰か!』
 『当主と薫流さんが死んでいる、斬り殺されている!』
 『皆逃げろ、屋敷を出ろ、ぐずぐずしていたら殺されるぞ!』
 女の悲鳴が聞こえる。男の断末魔が聞こえる。
 屋敷中を老若男女の使用人が逃げ惑う。母と姉を斬殺したその足で薄暗い廊下を歩く。一歩踏み出す毎に朽ちた軋み音をあげる板張りの廊下を優雅な足捌きで歩く。
 切っ先を下げた刀から鮮血が滴り、廊下に斑を作る。
 静流はゆっくりと余裕ある物腰で廊下を突き進み、逃げ遅れた女中の背中に日本刀を振り上げた。まだ若い女中だった。雇われて日も浅く、殆ど言葉を交わしたことがない。しかし一度だけ肌を重ねたことがあった。誘ったのは自分だ。
 実姉への恋情を断ち切るために屋敷の使用人と老若男女問わず片端から関係を持っていた静流は、それでも躊躇なくかつて肌を合わせた女に刀を振り上げた。
 女中が振り向いた。驚愕に強張った顔、絶望に凍り付いた目。
 廊下の真ん中に腰砕けにへたりこみ、尻であとじさり、呟く。
 『静流さんどうし、』
 最後まで言わせず袈裟懸けに斬り捨てた。女中が血を吐いた。あっけない最期だった。静流は何も感じなかった。憐憫も悲哀も、何も。

 そんな物感じてはいけない。
 いやしくも帯刀分家の嫡男として生を受け、幼少のみぎりより厳しい修行を課されてきたのだから。
 それは多分、心を殺す訓練。
 己を飼い慣らす訓練。
 生きながら修羅となる訓練。

 今の自分に怖い物はない、失う物など何もない。
 自分にはもう何もない。たった今、この手で母と姉を殺してきた。病み衰えた母の体を貫いて誰より愛しく美しい姉の胸を刺してきたのだ。
 手にはまだ姉を刺し貫いた感触が残っている。
 刀の切っ先が胸に沈む感触、刃が骨を断ち肉を穿つ独特の手ごたえ。
 ああ、姉さん。
 『帯刀家嫡男、帯刀静流が参る』 
 姉さんを殺した僕なら、きっと世界中の人間を殺せる。大した意味も理由もなく殺せる。だって僕には姉さんしか必要じゃなかったんだから、姉さんしか大事じゃなかったんだから、姉さんがいないこの世でどれだけ多くの罪もない人間たちを屠ろうが構いやしない。何故ならこれから僕が殺すのは姉さんじゃないから、僕に斬られて苦痛を味わうのは姉さんじゃないからだ。
 母さんも帯刀家も、本当はどうでもよかった。
 否、どうでも良くはない。母さんも帯刀家も大事ではあった。けれども姉さんに比べればどうでも良い瑣末事だった。僕はただ姉さんの幸せだけを望んでいた、姉さんを幸せにするためならどんな手段も厭わなかった。
 だけど、姉さんはもういない。
 『これより僕の行く手に立ち憚る者には、帯刀貢に漕ぎ着ける人柱となってもらう』 
 女中の体が屑折れる。女中は極限まで目を剥き絶命していた。三人目の人柱。まだ足りない、まだまだ足りない。帯刀貢に辿り着くにはまだまだ足りない、まだまだ屍を積み上げて修羅の道を征かなくては帯刀貢に邂逅できない。
 この国の法律は『ぬるい』。
 今や数少なくなった生粋の日本人にとても甘い。一人二人殺したところで法律に守られて最高二十年の懲役刑にしかならない。それでは駄目だ。帯刀貢は師範の実父含む道場の門下生十二人を斬殺して悪名高い刑務所に送られた、東の砂漠の真ん中に建つと言われる鉄壁の牢獄だ。

 『一人二人で足りないならば、三人四人と殺せばいい。
 三人四人で足りないならば、五人六人と殺せばいい』
 奇妙な節を付けた唄を口ずさみ、床板を軋ませ廊下を歩く。

 『狂っている……!』
 『静流さんが狂ってしまった、おかしくなってしまった!』
 使用人の悲鳴が飛び交う中、静流だけが不思議と冷めた心地でいた。心は凪のように穏やかだった。あるいは麻痺しているのかもしれない。
 姉を殺した時から何かが狂ってしまった。
 『母さんと姉さんが望んだのは、帯刀家を滅ぼした男への復讐だ』 
 ならば必ず成し遂げてみせる、自分にはもうそれしか残されていない。宿命?運命?違う。これは決意。僕自身の選択。
 帯刀貢への復讐を成し遂げるためなら他の全てを犠牲にしてみせる。 人を殺せ。できるだけ沢山の人を、目に付いた人間を片端から。
 逃げ遅れた人間は運が悪い、要領が悪い。
 足縺れさせ逃げ惑う使用人、その背後に衣擦れの音もなく忍び寄り刀を振り下ろす。ざくりと肉が爆ぜ、血飛沫が飛び散る。
 手当たり次第に使用人を斬り付ける、老若男女問わず逃げ遅れた使用人に一太刀浴びせて盛大に血を噴かせる。
 年配の使用人が尻餅を付き、全身返り血で朱に染まった静流からあとじさる。
 皺深い顔を恐怖に歪め、一杯に見開いた目に涙を湛え、必死に懇願する。

 『静流さん見逃してください、頼むからっ……あんたが小さい頃から帯刀家に仕えてきたってのにこの仕打ちはあんまりだ、恩を仇で返すようなもんじゃないか!ほら、思い出してください!あんたが小さい頃ご当主に叱られて泣いて時、おぶってあやしてあげたのはこの俺だ!あんただって俺に懐いてたじゃないか、あんたたち姉弟とよく一緒に遊んでやったじゃないか!だから俺は俺だけは見逃してくれ、殺すなら他の連中にしてくれ!ほら、あっちの婆なんかどうだ?口うるせえ古株で屋敷の人間から嫌われていた、どうせ老い先短い身だ、一太刀でラクに殺してもらえるなら願ったり叶ったり……』
 迫り来る死の恐怖から今しも廊下の先で転んだ老婆を指さし、ここぞと唾を飛ばす。
 生き汚く命乞いする男の正面に立ち止まり、微笑む。
 誰もが目を奪われずにはいられない、澄み切った微笑。
 『人柱に年は関係ない。冥府を下見してきてよ』

 男の顔が引き歪み、崩れ、口腔が開く。

 いちかばちか男が身を翻す。
 鋭く呼気を吐き刀を構え直す。
 凶刃一閃、無防備に晒した背中を斬り裂かれた男が野太い断末魔を上げる。血の飛沫が梁にかかる。背中をざっくり抉られた男がうつ伏せに倒れる。その亡骸を無関心に一瞥、口元に薄っすら笑みを浮かべる。
 むせ返るような血の匂いに酔い痴れ歩く、貫禄ある梁に支えられた薄暗い廊下を恐れるものなく突き進む。
 母と姉と使用人の亡骸を踏み越えて、血飛沫と一緒に殺戮を撒き散らす顔には空虚な笑みが浮かんでいる。
 肉を穿ち骨を断つ手ごたえが日本刀に伝わる。
 混乱を来たした使用人は乱心した静流に怯えるばかりで冷静な判断ができなくなっている。
 血と脂でぎらつく刃を飛燕の如く閃かせ、片端から使用人を屠り、返り血で化粧を施した凄艶な姿に誰もが圧倒される。
 恐怖。戦慄。
 大勢で飛びかかり取り押さえる発想などはなからない。
 屋敷の使用人は静流の剣の腕前を熟知している。本家嫡男と比べらて軽んじられることも多かった静流も決して剣技が劣っているわけではなく、むしろその腕前は十分すぎるほど脅威に値する。
 一度刀を抜いた静流を止めることは不可能。
 屋敷の使用人はそれをよく知っている。
 だから皆必死に逃げる、はしたなく着物の裾を翻し足袋で床を蹴りこけつまろびつ必死に逃げる。狂っている、狂っている……使用人が叫ぶ、滂沱の涙を流しながら。それでも静流の笑みは消えない。限りなく無表情に近い笑み。
 屍を積み上げて、罪業を積み上げて。
 そうして憎き帯刀貢のもとに辿り着けるなら、本望だ。
 それが姉さんの望みなら………

 『最期に本当の事を言うわ。
    を  してる』

 自分の腕の中で息絶えた薫流。
 静流は姉の最期を見届けた。自らの手で殺した姉の最期を瞬き一つせず見届けた。薫流は真実を言った。どうしても言わずにいられなかった言葉を、長らく胸に秘め続けた真実を血泡と一緒に吐き出した。
 そして、静流は壊れた。
 あまりに残酷な薫流の遺言が、静流を正気の瀬戸際から突き落とした。
 薫流の秘めたる想いを知り、決して報われぬ恋情を知った。
 あの梅雨の日。
 紫陽花が咲く本家の庭で落ち合った薫流は、道場の隅にて寄り添う貢と苗をじっと見詰めていた。
 だから勘違いした、薫流の心の内を。
 薫流の胸に燻る火の正体を。
 『最期に本当の事を言うわ』
 本当の事。静流が遂に気付かなかった本当の事、薫流の想い人の正体。
 それは―――……

 『お辛そうですね、静流さんは』 
 懐かしい声が呼び水となり、記憶が蘇る。
 丹精された庭に女が一人佇んでいる。
 紫陽花の葉陰に膝を揃えてしゃがみこみ、優しげな笑みを浮かべた女は……苗。帯刀貢の恋人で静流の幼馴染、帯刀家の遠縁にあたる心優しき盲目の女。
 『僕が辛そうだって?どうして?』 
 あれはいつだったか、母と姉を屋敷に置いて本家に出かけたことがある。その頃静流は母と姉の目を盗み度々本家に通っていた。
 理由は莞爾に呼び出されたから。莞爾が居丈高に静流を呼び付ける用向きは唯一つ、貢と苗の仲を裂くのに分家の嫡男を利用するため。貢と苗の古くからの顔見知りであり数少ない同年代の友人でもあった静流は、貢と苗を引き裂く良い知恵はないかと莞爾に相談されていた。
 苗と会ったのはその帰り。
 莞爾との息詰まる会話を終えた静流は、あてもなく本家の庭を散策していた。
 そして苗と出会った。
 目が見えない苗は、しかし一瞬で静流の心の内を悟った。
 『なんとなくですけど……なんだか空気が重いから気になって。悩み事でもあるんですか。また薫流さんと喧嘩したの?』
 幼い頃一緒に遊んだ苗は、美しく成長した今でも面倒見良く静流に接する。
 『薫流姉さんは相変わらずさ。姉さんは我侭でしたたかで意地悪で、小さい頃から何も変わってないよ』
 『良かった、薫流さんがお元気そうで』   
 苗が微笑む。後ろで一つに結った黒髪が背中で揺れる。
 『薫流さんと静流さんはいつまでも仲が良くて羨ましい。恋人同士みたいなご姉弟ね』
 『本当の恋人同士になれたらどんなにいいか』
 『え?』
 小さな呟きを聞きとがめ、苗が顔を上げる。不思議そうな苗を見詰めるうちに意地悪をしたくなる。
 紫陽花の茂みに寄りかかり、皮肉に口角を吊り上げる。
 『苗さんと貢くんが羨ましい。お互い大事にしあってることがよくわかる理想の恋人同士だ。ね、貢くんとはもう寝たの?』
 苗が紅潮する。伏目がちの目が潤み、襟を合わせた着物の胸元から清冽な色香が匂い立つ。羞恥に頬を染めて俯く苗、その初々しくも艶めかしい仕草が全てを物語る。
 直截な問いかけに狼狽する苗の隣、静流の目の温度が冷えていく。
 紫陽花に手を伸ばし、茎を手折る。
 ぱきん、小気味良く乾いた音が鳴る。
 『静流さん?』
 物思いから醒めた苗が不安げに目を彷徨わせる。
 静流は無視して紫陽花を手折り、惜しげもなく捨てる。足元に捨てた紫陽花を踏みにじる。胸の内をどす黒い感情が蝕んでいく。
 苗と貢は結ばれた。苗と貢は幸福だ。
 汚らわしい。なんて汚らわしいんだ、実の姉弟のくせに。血の繋がった姉弟で睦み合うなんて犬畜生にも劣る行いじゃないか。たとえ本人たちが知らないとはいえ許されざる行いじゃない、帯刀貢と苗はそうと知らず禁忌を犯していずれは伴侶として結ばれる将来を夢見ている。
 暗い炎が胸の内に揺らめく。嫉妬。何故貢ばかりが恵まれているのか、幸せになることを許されるのか。
 同じ姉弟でありながら片方は互いに想い合い、片方は決して報われぬ想いを胸に秘めて。
 『不公平だ』 
 そうだ、不公平だ。帯刀貢だけ幸せになるなど許さない。同じ帯刀家の末裔なのにこんなに何もかも違っていいはずがない。
 追い詰めてやる。引き裂いてやる。僕と同じ絶望を味あわせてやる。
 『苗さんは一途な人だ。本当に心の底から貢くんが好きなんだね。あんな面白みのない男のどこにそんなに惚れているのか僕には全くわからない。帯刀貢はつまらない男だ。剣以外に取り得がなく女を悦ばせる術もろくに知らない、無愛想でとっつきにくくて同じ師範の下で学ぶ門下生にも嫌われている。そうだ、さっき道場の前を通りかかった際に偶然耳に入ったんだけど』
 帯刀貢を不幸にする近道は、苗を不幸にすることだ。
 沸々と込み上げる笑みを抑えきれず、親切ごかして不安を煽り立てる。
 『道場の門下生が貢くんを襲う計画を立ててるらしい。手足の一本や二本折ってしまおう、いや、二度と剣が握れないよう酷く痛めつけてやろうって息巻いてたよ。よっぽど貢くんの態度が腹に据えかねたみたい。気持ちはわかる。貢くんはなかなか周囲に打ち解けないからお高くとまってるように見えるんだ、剣の腕が劣る連中を見下してると誤解されるんだ。自業自得さ。せめてもう少し愛想良くしてれば』
 『本当ですか!?』
 口元を両手で覆い立ち上がり、顔面蒼白の苗が叫ぶ。
 一杯に見開いた目に恐怖が凝る。愛する人が二度と剣を握れなくなるかもしれない、酷く痛めつけられるかもしれない、取り返しのつかないことになるかもしれない。
 唇をわななかせて自分に縋り付いた苗にスッと目を細め、言葉を続ける。
 『本当だとも。嘘だと思うなら道場に行ってみればいい、門下生が居残ってるはずだから。どうする苗さん?早くしないと手遅れになるよ。貢くんが二度と剣を握れなくなったら莞爾さんはさぞかし嘆き哀しむだろうね、いや、誰より貢くん本人がいちばん哀しむだろうね。絶望のあまり切腹しちゃうかもしれない。ははっ、見ものだね』
 苗はすでに静流の言葉など聞いていない。青ざめた顔に決意の表情を浮かべ、口元を引き結ぶ。
 『……私、行きます。門下生の方々を止めてきます。きちんと話せばわかってくださるわ』
 一呼吸おき、真っ直ぐに静流の目を覗き込む。
 刹那、静流は苗の目に魅入られた。
 視力を失った目が何故これほどまでに澄んでいるのか、不思議に思わずにはいられない漆黒の瞳。
 小揺るぎもしない瞳でひたと静流を見据え、微笑む。
 『だって貢さんは、本当は優しい人ですもの』
 言うなり苗は駆け出した。着物の裾をしどけなく翻し、道場の方へと一散に駆けていく。背中で一つに結った黒髪が揺れ、仄かに色香匂い立つうなじが覗く。着物の裾が風を孕んで舞い上がり、目に痛い程白いふくらはぎがあらわとなる。
 苗は善良な女だ。相手がどんな人間でも真剣に話し合えばわかりあえると信じて疑わない。人が良いと言ってしまえばそれまでだが、結局はそのひたむきさが命取りとなった。

 『はっ、ははははははっははははははっははっははっ!!』

 いい気味だ。ざまを見ろ。
 苗が走り去った庭に一人、誰憚ることなく勝ち誇った哄笑をあげる。
 もう見えなくなった苗の背中に向け、口汚く罵詈雑言を吐く。
 『いい気味だよ帯刀苗、あんたは本当に優しく愚かな女だ、自分がどんな目に遭わされるかも知らないで恋人を救うために敵地のど真ん中に飛び込んでいく救いがたいお人よしめ!いいさ、門下生にかわるがわる犯されて汚されて滅茶苦茶になるがいい!愛する男を庇って汚れるなら本望でしょう苗さん、腹違いの姉弟で睦み合った汚らわしい畜生どもにはお似合いの末路さ、二人揃って不幸になればいい!』
 いつのまにか笑みは消え、醜く引き歪んだ表情が顔一杯に貼り付いた。もういない苗を罵倒し侮辱しそれでもまだ気が済まず紫陽花の茂みを力一杯薙ぎ払う、いつか姉と一緒に見た紫陽花の株に腕を叩き付けて茎をへし折り泥にまみれさせる。
 『は、はは………』   
 閉じた瞼の裏に苗の背中が浮かぶ。姉の笑顔が浮かぶ。
 どうして帯刀貢ばかりが愛される?どうして僕は望んだ愛情を貰えない?
 ひどく、虚しい。
 膝が萎え、地べたに両手を付いて崩れ落ちる。
 豊かな前髪が表情を隠す。肩で息をしながら考える、何故帯刀貢ばかりが人を惹き付けるのかその理由を。彼は天才で、僕は努力の人。彼は優しく正しく、僕は酷く邪だ。僕が捻くれたのは誰のせいだ?
 物心ついた頃からずっと本家の長男と比べられ貶められてきた、人格を否定され続けた。僕は絶対に帯刀貢にかなわない。分家は本家の引き立て役、生涯日陰の存在だ。
 けれども僕は帯刀貢に追いつきたかった。
 帯刀貢の才能を羨み、血の滲むような努力を重ねた。

 母さんに認められたい一心で。
 姉さんを喜ばせたい一心で。

 『姉さん…………』
 地面を掻き毟り、五指に土を掴む。喉の奥で嗚咽が泡立つ。前髪の垂れた目から水滴が零れ落ちる。土に涙が沁みていく。
 『畜生でいい。僕は姉さんを、薫流を』
 姉ではなく。
 弟ではなく。
 血のしがらみにとらわれず互いの為だけに生きれたら、どれだけ素晴らしいだろう。  
 貢と苗のように自分たちが姉弟であることを知らず無垢に愛し合えるなら、喜んで帯刀の名を捨てるのに。

 ………………長い長い回想から目覚め、凍て付いた暗闇の底で密やかに息を吹き返す。
 独居房に入れられてから何日何週間経ったのか判然としない。
 一日二回、鉄扉の下部に設けられた搬入口から残飯が出し入れされるのを除けば光が射すこともない房の中、頭の先からつま先まで自身の糞尿と吐寫物にまみれ、浅いまどろみと覚醒を繰り返し朦朧と日々を過ごす。
 生きているのか死んでいるのか自分でも時々怪しくなる。
 とりあえず呼吸はしている、心臓の鼓動も感じる。手足の感覚は殆どない。後ろ手に掛けられた手錠が手首に食い込んで痛い。この姿勢では寝返りも打てない。まるで芋虫だ、と静流は自らを嘲笑する。
 「………まだ終わらない。僕は生きている。彼も生きている」
 そう、僕と彼が生きている限り復讐は終わらない。
 どちらか一方が死なない限り復讐は終わらない。帯刀の血を継ぐ者が二人、家が絶えてもしぶとく生き続ける限り呪縛はとけない。悪臭立ち込める独居房にて、汚物まみれの床に腹這いになり、日ごと膨らむ帯刀貢への妄執に取り憑かれ落ち窪んだ眼窩を光らせる。
 静流にはわかる。体に流れる帯刀の血が教える。
 いずれこの鉄扉が開き、帯刀貢と剣を交える時が訪れる。
 決着をつける時が来る。
 「………………来た」
 掠れ声で呟き、顎を持ち上げる。
 分厚い鉄扉の向こう、廊下に響く靴音。
 誰かがこちらにやってくる、静流が閉じ込められた独居房めざして歩いてくる。誰だか察しはついた。静流は笑みを湛えて待ち人の到着を待つ。鉄扉の前で靴音が止み、透明な静寂が被さる。
 一枚の鉄扉を隔て、宿敵と対峙する。
 「ようこそ貢くん。会いにきてくれて嬉しいよ」
 「………………」
 返されたのは重い沈黙。
 鉄扉の向こうに凝然と立ち竦んだ男の顔を思い浮かべ、脇腹をくすぐられてるかのような笑いの発作に襲われる。
 鉄扉の向こう側、苦渋の面持ちで俯いてるに違いない男へと笑いを噛み殺して声をかける。
 「直くん死んだ?」
 「生きている」
 怒りを押し殺した声が空気を伝わる。
 静流は「へえ」と感心してみせる。
 「凄い生命力。頼りない見た目してるくせに案外しぶといんだ、彼。見直したよ。随分深く脇腹を刺したのに死に損なうなんて、運がいいんだか悪いんだかわからないね。こんな所で長生きしたっていいことなんか何もないのにそこまで生に執着する意味がわからない。残念だよ。一突きでらくに殺してあげようと思ったのに、かえって苦しませちゃったみたいで」
 「…………」
 「今度は仕損じない。確実にあの世に送る。苗と直で名前も似てることだし話し相手になってあげればいいさ」
 「させん」
 毒に満ちた嘲笑を遮り、貢が力強く断言。
 「直は俺が守る。お前には指一本触れさせん。苗と同じ過ちはくりかえさん」
 鉄扉が溶岩の如く熱をもち溶け崩れる錯覚に襲われる。鉄扉を隔てていても、意志に研ぎ澄まされた視線の強さを感じる。
 居住まいを正して宣言した貢をよそに、静流は策略を練る。どうやれば帯刀貢を傷つけ追い詰めることができるのか、彼の心を揺り動かすことができるのかを考えて口を開く。
 「いいことを教えてあげる。苗さんが犯された時の様子だ」
 鉄扉の向こう側で空気が変化、憤怒の形相に豹変。貢の全身から迸った怒気に空気が熱膨張、凄まじい圧迫感が押し寄せる。
 静流は物怖じせずに続ける。
 嬉々とした笑みを満面に広げ、嗜虐の光を双眸に宿し。
 「君は知らないだろうね、貢くん。門下生十一人にかわるがわる犯され汚された苗さんがどれだけ淫らに喘いだか、男に股を開いて腰を振って悲痛に泣き叫んだか」
 「やめろ」
 「貢さん助けてください貢さんってずっと君の名前を呼んでいたよ。男の物を口に含んで股を開かされて、着物を殆ど剥ぎ取られたあられもない格好でね。凄かったよ、苗さん。いつもはお淑やかな苗さんが雌犬みたいにがくがく腰振って男を誘ったんだ。最後の方は嗚咽が喘ぎ声に変わっていた。はだけた着物から零れ落ちた乳房を男の手に揉みしだかれて、何人もの男を受け入れた股からどろり白濁を垂れ流して、涙と涎とそれ以外の液体とで綺麗な顔をぐちゃぐちゃにしてあんあん甲高い喘ぎを上げていた」
 「……やめろ」
 「ぐちゃぐちゃのどろどろだった。股から垂れた白濁が内腿をゆるぅく伝わっていた。奥手な貢くんはおっかなびっくり苗さんを抱いただけ、どうせ口での奉仕も試してないんでしょ。もったいないことしたね。なかなか上手かったよ、苗さん。あの上品な口で一生懸命男の物を咥えてしゃぶって吐き気を堪えて喉の奥まで、じゃぷじゃぷ大胆な音させながらさ」
 「静流」
 鉄扉の向こう側、極大の怒りを込めた声が響く。
 静流はますます調子に乗って続ける、帯刀貢を傷付けるただそれだけを目的に実際には見てもいない苗が輪姦された時の様子を事細かに描写する。
 さも自分も輪姦一味に加わり苗を犯したと言わんばかりの様子で唾飛ばし捲くし立て、
 「貢さん、助けて貢さん、怖い痛い嫌いやあ、どうして助けに来てくれないのねえどうして、私は目が見えないのに暗闇に包まれてるのにどうして手をさしのべてくれないの呼んでも来てくれないの、苗さんはそう呪いながら腰を振っていたよ。ぐちゃぐちゃぐちゅぐちゅ繋がった場所から下品な音させて最高に気持ちよさそうによがり狂、」

 轟音。
 鉄扉を拳で殴り付ける重く鈍い音。

 鉄扉が震撼する。空気が震動する。
 拳が割れる勢いで鉄扉を殴り付けた男が、獣じみて荒い息遣いの狭間から声を搾り出す。  
 「……………殺してやる」
 冥府の底から湧き上がるような、生きながら業火に炙られるような声。 
 鈍い衝突音が連続、鉄扉が震動。 
 鉄扉の表面に額を打ち付ける音。
 凍えた暗闇の中に響き渡る音が不意に途絶え、深遠な静寂が降り積もる。 
 くりかえしくりかえし鉄扉に額を激突させ出血した男が、身の内で燃え狂う激情を抑制して呪詛を吐き出す。
 「次にまみえる時はお前を殺すときだ。俺は直を守る。お前を殺さなければ直を守れないというなら、一片の躊躇なく未練なく容赦なく血の繋がった従弟も斬り捨ててみせる。覚悟は決まった。俺もお前も後戻りできん、鏡映しに地獄の際を歩いているようなものだ」
 「次にまみえる時はどちらかが死ぬ。生き残るはどちらか一方、帯刀の名を継ぐにふさわしい者のみ」
 静流が平板に復唱する。その顔はもう笑っておらず、一切の感情が抜け落ちた無表情を晒している。
 貢がゆっくりと上体を起こし、昂然と身を翻す。

 靴音高く廊下を歩き去る間際、静かな気迫を孕んだ声が余韻を残す。
 「帯刀の姓が欲しくばくれてやる。俺が欲しいのは直だけだ」
 どこまでも真っ直ぐに、ただ前だけを見据える苛烈な眼差し。
 
 靴音が完全に消え去る頃、分厚い鉄扉の奥から篭もった笑声が漏れてくる。
 おかしくておかしくてたまらないといった笑声が這うように流れる中、独居房の奥に蠢く何者かが独白。
 「奇遇だね。なるほど僕らは似たもの同士、帯刀の姓を憎んで道ならぬ恋に身を投じた畜生同士だ」
 今の君となら存分に殺し合える。
 暗闇と悪臭に閉ざされた牢獄に繋がれて、漸く帯刀貢と対等になれた喜びに酔い痴れ、静流は喉裂けるまで笑い続けた。

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