ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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十六話

 レイジが怖い。
 『こん位たいしたことねえよ。俺、余興で軍用犬とヤらされたこともあるんだぜ。だから別に所長のクソ犬にヤられても良かったんだ、お前が余計な口出し手出しさえしなきゃ全部丸くおさまってたのによ……』
 あの夜もレイジは笑っていた。
 ザーメンに濡れた茶髪は膠のように頭皮にはりつき、口の端から溢れた白濁が艶めかしく喉へと滴り落ちて、褐色肌のそこかしこにいまだ癒えない鞭の跡と蹂躙の痣が炙り出ていた。
 なんで気付かなかった。
 気付いてやれなかった、相棒のくせに。
 レイジはまた俺を庇って一身に責め苦を受けてずたぼろになって、俺より何倍も何十倍もしんどいくせにすべてが終わった後に普通に笑ってみせた。無理して普通に笑ってみせた。「無理して普通に」って表現が矛盾するのはわかってる、けどあの時レイジの笑顔に感じた印象はそれが一番近い。体の痛みも間接の軋みも心の疼きも地獄の責め苦を全部ひっくるめて受け止める微笑み、「これくらいたいしたことねえよ」とうそぶいた言葉通りにあっけらかんとした笑顔。
 場違いな、空気を読まない、ただ俺を安心させるために作られた微笑み。
 レイジはきっと無理すること耐えることがすっかり身に馴染んじまって、死ぬほどしんどい時も普通に笑えるようになったのだ。
 怖かった。俺を守るためなら犠牲を厭わず一身に責め苦を負うレイジが怖かった。このままじゃいつかレイジは壊れちまう、俺を庇って死んじまう。俺の分の痛みや苦しみまで全部ひとりで抱え込んで自滅しちまう。
 一週間前のあの夜、そう痛感した。
 俺がそばにいるかぎりレイジは懲りずに無茶をし続ける、足手まといの俺を庇って守っていつの日か破綻を来たして死んじまう。
 俺さえ無事なら自分がどれだけ傷付いても構わないと刹那的に生きるレイジ。
 別にヤケになってるわけじゃない、自暴自棄になってるわけじゃない。レイジにとっちゃそれが「普通」なんだ。誰かを守るために自分が傷付くのは当たり前のこと。
 レイジは代償を求めない、褒美も期待しない。
 存在自体が原罪、生き方は贖罪そのもの。
 強姦されて出来た子供、「憎しみ」の烙印を押された者。
 生まれながらに十字架を負ったアイツはもとから救いなんか求めちゃいない、みじめったらしく神様に縋って許しを乞うたりせず鼻歌まじりに地獄を突き進んでいくんだ。
 俺と出会う前も、出会った後も。
 これまでもこれからもレイジがそんな破滅的で刹那的な生き方しかできないなら、俺はどうしたらいいんだ?
 俺が隣にいるとレイジは傷付く。
 俺を、俺なんかを守るために看守に犯されてずたぼろになってへらへら笑ってたのが良い証拠だ。レイジのあんな笑顔見たくなかった。いっそ罵ってもらったほうがマシだ。
 「俺がこんな目に遭ったのは全部お前のせいだ、足手まといめ、お前の尻拭いはもううんざりだ」……その通りだ。レイジが散々な目に遭ったのは俺はせいだ。俺は足手まといだ。俺はレイジに尻拭いばかりさせている。だけどレイジは俺を口汚く罵ることさえせずあろうことか笑いかけた、ちょっとだけ悪びれて冗談めかして「こん位大したことねえよ。そんな死にそうなツラすんなよ」と元気づけた。
 なんだよそれ。立場逆じゃねえか。死にそうなのは、お前じゃねえか。
 レイジは何を言っても変わらないし何を言っても変わろうとしない、俺がどんだけレイジに傷付いて欲しくないと思っていても肝心のレイジが自分なんかどうでもいいと考えてる限りくそったれた現状は変わらない。俺がそばにいるとレイジが傷つく。俺がそばにいるだけでずたぼろになる。
 俺は逃げた。
 レイジの所には一週間帰ってない。
 俺はずっとサムライの房に居候してる。サムライの房に匿われてることにレイジが勘付いてるかどうかはわからないが、この一週間何も言ってこないってことは気付いてても知らないふりをしてるんだろう。
 レイジは底抜けの馬鹿だからきっと勘違いしてる。俺が逃げ出したのは強姦されたショックからだと受け止めてアイツなりにしゅんとしてるかもしれない。
 違う。レイジに強姦されたのは確かにショックだった、でもそれよりずっと許せなかったのはレイジを傷つけることに鈍感になっていた俺自身だ。いつ頃からか俺はレイジに守られるのが当たり前だと思って無意識に甘えていた、飼い猫の特権に安住していた。
 なんでもっと早く気付かなかった、こうしなかった?
 レイジを傷付けるのが嫌ならもっと早くこうすべきだった、アイツのもとを離れるべきだった。

 あれから一週間経った。
 俺はずっとサムライの房にいる。サムライは前にも増して無口になって俺と一緒でも滅多に口を利かなくなった。無理もない。ちょうど俺が犯されてたのと同時刻、鍵屋崎の身にも大変な事が起きていたのだ。
 鍵屋崎が静流に刺されたのだ。
 鍵屋崎は脾臓貫通・出血多量の重傷で医務室に運ばれて緊急手術が行われた。手術は成功した。昼行灯のヤブ医者は噂に違わぬ名医だった。一時危ない状態だった鍵屋崎も術後何とか持ち直して峠を越したが、経過は安定してるにも関わらず一向に目覚めないのが不安の種。
 医者の診断によると鍵屋崎が昏睡状態にあるのには脾臓貫通の重傷に加えて精神的ショックも影響してるらしい。
 要するに何か目覚めたくないくらいショックな出来事があって昏々と眠り続けてるらしい。
 「心理学では嗜眠症というんだよ」と説明された。
 どうでもいい無駄知識がひとつ増えた。それでなくても鍵屋崎の体は極度のストレスやら栄養失調やら慢性的な不眠やらでぼろぼろで、今回の出来事でそれらが一気に噴き出しちまったらしい。
 一週間におよぶ昏睡はその反動だ。
 一週間前鍵屋崎の身に起きたか、正確にはわからない。
 何度サムライに問いただしても本人は固く口を閉ざしたきり。
 眉間に縦皺を刻み、口元を一文字に引き結び、膝の上にこぶしを結んでじっと自責の念に耐えている。謹厳な面持ちで椅子に腰掛けるサムライの隣、俺は今だ目覚めぬ鍵屋崎を思い、不安に襲われた。
 ひょっとしたらこのまま永遠に鍵屋崎が目覚めないんじゃという不安。
 サムライはこの一週間欠かさず医務室に足を運んだ。
 暇さえありゃ医務室に顔を出して鍵屋崎の経過を医者に訊ねた。医者の答えはいつも同じ、「峠は越えたから安心していい」という気休め。だけどサムライは一度だって鍵屋崎に会わせてもらえなかった。
 この一週間、付きっきりで鍵屋崎を看病してる安田が拒んだのだ。
 『直に会わせてくれ!』
 他の患者の迷惑になるからと医務室前の廊下に追い出されてもなおしつこく食い下がり、一目鍵屋崎に会いたいと直訴するサムライに医者は困惑顔だった。
 俺も同じだった。サムライの気持ちは痛いほどわかる。けど、どんなに頑張っても駄目なこともある。峠を越えて術後経過が安定してても鍵屋崎が気の抜けない状態にあるのは変わりない。医者が駄目と言うならそりゃ駄目だ、諦めて帰るしかない。
 医者はうんざりと言った。
 『気持ちはわかるけどね、君。君がついていてもどうにもならないんだよ。幸い術後経過は良好、脾臓貫通の大怪我も処置が早かったために大事には至らなかった。彼のことは心配せずともいい、じきに起き上がれるようになるだろう。その時にまた改めて会いに来ればいい。何もそんなに焦ることは……』
 『ある。俺には時間がないのだ』
 え?
 医師と顔を見合わせる。
 今、時間がないと言ったか?
 サムライの横顔を盗み見る。
 廊下に所在なく立ち尽くすサムライ、俯き加減の横顔には悲愴な決意が漂っている。切れ長の目の奥に渦巻く様々な感情。哀惜、未練、憧憬……別離の予感。
 サムライは深々伏せた顔に苦渋の色を湛え、根が張ったようにその場を動かず医師と対峙する。
 目を瞑り、息を吸い、吐く。
 ゆっくりと瞼を開く。
 猛禽めいた切れ長の目に宿っていたのは、どこまでも一途な光。
 『一目直に会いたい。直の無事を確かめたい。触れられなくとも構いはしない。……恐らくは直も、それを望んでいる』
 静かな気迫に圧されて医師があとじさる。サムライが一歩詰める。
 『俺は直のそばにいたい。俺はここにいると呼びかけて安心させてやりたい。……身勝手だと思う。さんざん直を傷付けておきながら今更こんな事を言うのは卑怯だと己を唾棄する。だがあの時、俺の腕の中で意識を失う寸前に直が呼び求めたのは他の誰でもなくこの俺なのだ。直が目を瞑る時にそばにいたから、直が目覚める時もともにありたいと願う。あいつが目を開けて最初に見るのは俺以外の男であってはならないと心が叫ぶのだ』
 発狂一歩手前の焦燥に焼かれて踏み止まるサムライに、医者は静かに首を振る。
 『駄目だ。帰りたまえ。東京プリズンで特例は認められない。友人が心配なのはわかるが、君だけ特別に面会を許可しては他の囚人に示しがつかんじゃないか。せめて目が覚めてからきたまえ。どうせ今会っても本人は意識がなく話もできな、』
 ため息まじりに説得する医師の眼前、サムライは思いがけぬ行動をとる。
 『!?サムライお前っ、』 
 土下座したのだ。何ら葛藤なく医務室前の廊下に額を擦り付ける誠意を見せたのだ。俺はぎょっとした。慌てて助け起こそうとしたが邪険に手を振り払われた。上着の袖を引っ張る俺など眼中になく床に額を付けて、サムライは嘆願する。
 『頼む。この通りだ。会わせてくれ』
 医師が狼狽する。医務室前の廊下を行き交う囚人が好奇の目を向けてくる。ざわめき。サムライは一向に顔を上げない。
 鍵屋崎に会いたい欲求に駆られて恥も外聞もかなぐり捨て、背中に刺さる嘲笑や罵倒も取り合わずひたすら土下座を続ける。
 惨めだった。無様だった。もうやめろという言葉が喉元まで出かけた。こんなサムライ見たくなかった。
 『サムライ、やめろよ。お前がそこまですることねえよ』
 サムライの肩に手をかけ、揺さぶる。
 胸が痛かった。やりきれなかった。
 俺はサムライがどんだけ頑固なヤツかよく知ってる。これでもサムライとは鍵屋崎が来る前からの長い付き合いだ。その頑固で意地っ張りのサムライが今の自分が人の目にどう映るかなんててんで気にせず、冷たい床に這いつくばって無理を承知で医者に頼み込んでいる。
 一目鍵屋崎に会えるなら他に何もいらない、サムライをサムライたらしめる武士の誇りすら失っても構わない、床を舐める屈辱も他人に嗤われる羞恥も甘んじて受け止めてみせる。己を卑下するわけでも同情を引こうとしてるわけでもなく、生まれついての不器用さ故こうするしかなく、医者が面会を許可するまで梃子でも動かず土下座を続けるさまは潔いを通り越して滑稽だ。
 『直に会いたいんだ。そばにいたいんだ』
 床に手を付き深々顔を伏せ、低く声を漏らす。
 生きながら身を裂かれるような悲痛な声。
 『一目でいい、会わせてくれ。他には何もいらない。俺は一晩中でもここにいる。少しでも直のそばにいたい、直を感じていたい。これが、この程度のことが償いになるとは到底思えん。だからこれは俺の我侭だ。我侭を承知で頼む』
 毅然と顔を上げ、医者を仰ぐ。
 『俺から直を奪わないでくれ』
 医務室の扉が乱暴に開け放たれたのはその瞬間。
 医務室の扉を開け放って靴音高く廊下に歩みだしたスーツ姿の男が、サムライの胸ぐらを掴んで強引に立たせるや、風切る唸りを上げて手首を撓らせる。
 甲高く乾いた音が鳴り響く。サムライが勢い良く仰け反る。
 手加減なくサムライの頬を張ったのは、銀縁眼鏡の奥から冷酷な眼差しを注ぐ男……安田。医者を押しのけて前に出た安田は怒りを抑圧した表情でサムライと対峙、平板に命じる。
 『君には失望した。直を、鍵屋崎をあんな目に遭わせておきながらまだ友人のつもりでいる図々しさには呆れる。私が理性を保っている間に即刻立ち去りたまえ』
 『なにすんだよ安田っ、お前がしゃしゃりでてくる幕じゃねえだろ!?』
 さすがに俺もキレた。
 いきなり出てきてサムライ殴って意味不明なことぬかしやがってと睨み付けるが、安田は俺など完全無視でサムライだけを見詰めている。安田に張り飛ばされた衝撃で口の中が切れたらしく、唇を血で染めて床に片膝付いたサムライが、情け容赦なく核心を抉られた衝撃に凍り付く。
 医務室の扉を背に立ち塞がった安田は、銀縁眼鏡の奥の目に侮蔑を覗かせ、冷徹に研ぎ澄まされた言葉の刃をぶつける。

 『鍵屋崎を殺しかけたくせによくそんなことが言えるな。もう一度言う、君には鍵屋崎に会う資格がない。君を信頼して鍵屋崎を預けた私が間違いだった。ここに鍵屋崎が運ばれてきたときのことを私はよく覚えている。鍵屋崎は全裸に襦袢一枚きりの寒々しい格好で脇腹から大量の血を流して、意志の通わぬ四肢はぐったり弛緩して、私の呼びかけに反応せず天井を仰いだ寝顔は蝋のように白かった。虚空に垂れた足は不規則に揺れていた。太股からは一筋白濁が滴っていた。何があったか一目瞭然だった。鍵屋崎は柿沼看守を刺殺した犯人、君の従弟たる帯刀静流に犯されて刺されて医務室に運び込まれたんだ!鍵屋崎が犯されてる間君はどこで何をしていた、鍵屋崎を守りもせず刺された頃に呑気に駆けつけておきながら今もまだ友人を名乗る資格があると思っているのか、見損なったぞ帯刀貢!!』

 安田の迫力に圧倒され、言葉を失う。
 いつも冷静沈着で感情を表に出さない副所長がここまで怒り狂ったところを見たことがなかった。激しく罵倒されたサムライは首を項垂れて立ち尽くすばかりで言葉を返そうともしない。
 『……鍵屋崎には私がついている。君の役目は終わりだ。帰りたまえ』
 一方的に話を断ち切り、安田が背中を見せる。
 絶対鍵屋崎に会わせないと背中が言っていた。銀縁眼鏡の奥の目は氷結し、切れ味抜群の剃刀めいた眼光を放っていた。
 拒絶の響きを残して扉が閉じる。
 それでもサムライはそこを動かなかった。安田に殴られた頬は赤く腫れていた。唇には痛々しく血が滲んでいた。
 扉を見据える目に激情が燃え上がる。
 何かを堪えるようにぐっと指を握り込む。
 『……すまない、直。俺は今、お前のそばにすらいられない』
 医務室の奥、昏睡状態に陥った鍵屋崎と少しでも距離を縮めようと扉に額を預けて凭れかかる。孤独が人の形を取ったようなその姿。
 少しでも鍵屋崎の気配を感じようと扉の表面に手のひらをあて、切なる祈りを込めて目を閉じる。
 『生きていてくれ………』
 ただそれだけが、サムライの望みだった。

 ドアの前にサムライを残し、俺は逃げるようにその場を後にした。
 その足で展望台にやってきた。
 強制労働終了後、西日に照らされた展望台には珍しく人けがない。好都合だ。俺は展望台の真ん中に歩み出て全身に風を浴びた。
 もうすぐ約束の時間だ。
 別に約束を守る義務はないが、あいつはきっとここにやってくる。俺に呼び出された理由を知りたくて境界線を越えて東の展望台にやってくるはず。いや、そもそも約束でも何でもない。俺が一方的に今日ここに来いと告げただけでアイツが従う理由も義務もない。
 でも。
 「俺相手に逃げたりしたら南の隠者の名が泣くもんな」
 口角を吊り上げ皮肉に嗤う。空が茜色に暮れていく。
 展望台には俺しかいない。乾いた風に髪をなぶらせ黄昏の空を仰ぐ。前にもこうして展望台で夕焼けを見た。あの時はレイジが一緒だった、鍵屋崎もいた、サムライもいた。
 今は誰もいない……俺だけだ。
 「そして誰もいなくなった、か」
 無人の展望台を見渡し、かつての面影を探す。
 俺たち四人が元気で一緒にいた頃、毎日馬鹿やって笑い合ってられた頃の面影を重ねる。レイジがいた。鍵屋崎がいた。サムライがいた。俺たち四人いつも一緒にいた。展望台の突端に腰掛けて無表情に本を開く鍵屋崎の隣、俺にちょっかいかけるレイジ、レイジに髪をかきまぜられてキレる俺、そんな俺たちに苦笑するサムライ。
 涼しい風が吹く黄昏の空の下、かつて俺たちは同じ夕日を見た。
 「お呼びですか、ロンくん」
 うそ寒い敬語が聞こえた。待ち人来たれり。俺は夕空を見上げたまま、靴音が背後に来るまでさりげない風で待ち続ける。
 「我輩に御用があるそうですが、わざわざ展望台に呼び出すとはロンくんらしくもない回りくどいやり方ですね。では早速ご用件をうかがいましょうか。我輩も暇じゃないのでね……遠く離れたワイフに愛情満載の手紙を書かなきゃいけないのです」
 「手紙は諦めろ」
 「どういう意味ですか」
 背後で温和に微笑む気配、穏やかな問いかけ。
 俺は目を閉じ深呼吸して振り返るタイミングを数える。
 夕空高く靴音が響く。そいつは一定の歩幅で展望台を突っ切ってくる。怖いもの知らずの歩み。見なくてもわかる、そいつが今どんな顔をしてるか。きっちり七三に分けた黒髪の下、聡明な印象の秀でた額。センスを度外視した黒縁メガネの奥では糸のような細目が柔和に笑ってる。
 体の脇で指を握り込み、こぶしを作る。 
 「一本残らず指をへし折ってやるからさ」
 靴音が背後で止む。今だ。
 振り返りざま鋭い呼気を吐き、腋を絞めて腕を振る。
 背後に立ったホセは微笑を絶やさず、顔面めがけて迫り来る拳を最小限の動きで避けた。俺はすぐ次の攻撃に移る、間合いに踏み込み靴裏で砂塵を巻き上げ蹴りを放つ。ホセはこれも余裕でかわす、蹴りの軌道上から一歩飛びのいておどけたように首を竦める。
 「ホセ、お前死ねよ」
 胸の奥が沸騰する。
 こいつが、こいつさえ余計なことしなけりゃレイジに浮気を疑われることもピアス穴開けられることもなかったんだ、俺が寝てる間に人の体があちこちいじくりまわして首の後ろにキスマークまでつけやがってくそったれが!!
 こめかみの血管がどくどく脈打つ。沸騰した心臓が全身に血を送り出す。俺は連続で蹴りを放ちこぶしを繰り出す。池袋最悪の武闘派グループにいた頃は血で血を洗う抗争に日々身を投じていたのだ、今だって勘は鈍っちゃない。
 「『お前死ねよ』とはおだやかではない、我輩何かロンくんの気に障るようなことをしましたか」
 「とぼけんなよ」
 声がひび割れる。
 ホセの顎を砕こうと続けざまに撃ち込むも残像を穿ち舌打ち、地に片手を付き右足を軸に半弧を描く。ホセを転ばそうと地を這う姿勢から足を薙ぐも阿吽の呼吸で飛び越される。

 「お前、俺を泊めた夜に何した。俺の腹に一発くれて気絶させたあと何やったかで吐けよ。俺がぐっすり眠ってるのいいことに人の体好き放題いじくりまわして首にキスマークまで付けやがって何が『ワイフ一筋』だよ笑わせる、ワイフと離れ離れでタマってんなら一人でヌくか南の囚人とヤれよ、なんでわざわざ俺拉致って紛らわしい真似すんだよ!!?
 お前が紛らわしいことしたせいでレイジがキレて針持って……お前が余計なことさえしなけりゃ俺が痛い思いすることもレイジが狂うこともなかったんだ、俺たちはずっと相棒でいられたんだ!!全部お前のせいだよクソ隠者、お前のせいで何もかも台無しだおしまいだ、お前さえいなけりゃっ!!!」

 殺してやる。
 レイジが暴君化したのはコイツのせいだ、俺がレイジのもとから逃げ出さなきゃいけないはめになったのも元を正せば全部コイツのせいだと腹の底から怒号する。
 感情の爆発。
 最小限の動きで的確に攻撃をかわすホセを執拗に追い回し、全力で拳と蹴りを放つ。ホセの顔面めがけ右拳と左拳を交互に繰り出すも一度もあたらず掠りもせず、鼻骨粉砕の威力を込めた拳は残像を穿つにとどまる。
 なんで、どうしてあたらない?
 次第に息が切れ始める。顎先を汗が伝う。全身の毛穴から水分が蒸発していく。しとどに汗を吸った上着が四肢に重たく纏わり付いて動きを制限する。 
 苦しい、滅茶苦茶苦しい。心臓が破裂する。これ以上動けない、走れない。走れない?んなわけあるか、まだやれる、まだまだやれる。これしきでへばるわけない。
 膝に手を付き呼吸を整え、ひりつく喉で絶叫する。
 「くたばれラテン眼鏡!!」
 展望台が赤く燃える。西空が真紅に染まる。地平線に夕日が沈んでいく。展望台の真ん中、息一つ乱さずあきれた表情を浮かべたホセが理解不能といったふうに首を振る。
 「おやおや、君には失望しましたロンくん。先ほどの発言から察するに君はまだレイジくんに我輩のことを話してないのですか?我輩の房に泊まったことを話してないのですか?」
 なんてことだ、とため息を吐く。
 「それでは意味がない。何故素直に話してしまわないのですか、我輩の房に泊まったと。君の首筋にキスマークを付けた犯人はこの我輩ホセだと白状してしまえば事は簡単に済んだのに、君がつまらない意地を張り続けたおかげでややこしくなったじゃないですか」
 ?どういうことだ。
 顔に疑問符を浮かべた俺の前、きざったらしくメガネを外す。
 メガネの弦を畳んでポケットに入れ、七三分けに手櫛を入れて無造作にかきまぜる。ウェーブがかった髪を風に嬲らせ、八方美人のセールスマンから軽薄な色男に変貌したホセがにっこり微笑む。
 「我輩、少し怒りました」
 鉄壁の笑顔。顔の皮膚が硬化したような……
 背筋がぞくりとする。
 獰猛な光を双眸に宿したホセが音もなく俺に肉薄、肉眼では捉えられぬ速度で腕を撓めて解き放つ。かわすのは物理的に不可能だった。
 衝撃。地震。
 本当に地震が来たと思った。鳩尾にめりこんだ拳の威力は凄まじく、内蔵が被ったダメージは深刻だった。
 体の内側をかきまぜられる不快感。俺は今この瞬間身をもって人間がただの皮袋に過ぎない事実を思い知らされた。ただの肉と骨と血が詰まった皮袋、到底吸収しきれない程の衝撃を受けたら皮が破けて内蔵ぶちまける。幸いにして腹の皮が破けなかったのはホセがほんのちょっと手加減したからだ。
 「!!がっ………、」
 膝から砕けるようにしゃがみこみ、両手で腹を抱えて体を折り曲げる。胃袋が痙攣を起こす。俺は吐いた。胃液しかでてこなかった。下腹がじんじん痺れた。腹を庇って転がった拍子に上着の裾がめくれて腹があらわになった。拳大の内出血、赤黒い痣……
 鍵屋崎とどっちが痛いだろう、なんて馬鹿なこと考えたのはきっと少しでも激痛から逃れたかったからだ。答えは一秒ででた。鍵屋崎に決まってる。脇腹刺された鍵屋崎と比べるのもおこがましい、けどマジ痛てえ、洒落になんねえ……鍵屋崎には及ばないにしろ鍵屋崎が味わった激痛の十分の一、いや五分の一、ひょっとして三分の一は嫌ってほど思い知らされた。
 「ひぎぃ、ひあっ、ひぐ……あぐぅっ……」
 「漸く話ができますね」
 頭上にホセの声が降ってくる。
 涙でぼやけた目を凝らし、取り澄ました笑顔を捉える。俺の傍らにしがみこんだホセがこっちに手を伸ばす。とどめをさされる恐怖で反射的に体が強張る。芋虫みたいに這って逃げようとしたら片腕掴んで引き戻される。
 ホセが上着を掴み、涙と涎でぐちゃぐちゃになった俺の顔を優しく丁寧に拭う。
 「失礼。ほどほどに手加減したつもりが少しばかり余計な力が入ってしまったみたいです。我輩もまだまだ未熟者、怒りに我を忘れて力のセーブを怠るなどお恥ずかしい限りです。さあロンくん顔を上げて、そろそろ泣き止んでください」
 じっと息を殺していたら下腹部の激痛も少しはマシになった。
 腹に回した腕をそろそろ緩め、顔に纏わりつくホセの手を邪険に打ち払い、ひどくゆっくりと時間をかけて自力で起き上がる。
 体を支えようと腹筋に力を入れる度に激痛が走り、下唇を噛み締めた。死ぬほど悔しかった。惨めで恥ずかしくてやりきれなかった。
 俺は結局ホセに一発も入れられず前回の二の舞で、まんまと同じ手を食わされちまった。こんなんじゃレイジの相棒なんか名乗れるわけない。俺はレイジのそばにいる資格がない。相棒失格の烙印を押されるべきはサムライじゃなくてこの俺だ。なのに何で誰も俺を責めないんだ、笑って許そうとするんだ?

 笑うなよ。
 笑うなよレイジ。

 展望台が煌煌と燃え上がる。
 西空に没しゆく夕日の残光で展望台は朱に染まっていた。俺とホセの影が展望台に長々と穿たれる。コンクリ床に影を曳いて立ち尽くしたホセは、慈父めいた微笑みで俺を見下ろしている。
 俺にはもう、どこにも行く場所がない。
 レイジを傷付けたくない、サムライの負担になりたくない。
 展望台の真ん中、途方に暮れて座り込んだ俺の肩に手がおかれる。反射的に顔を上げる。目の前にホセがいた。優しい笑顔で俺を覗き込んでいる。
 「悩み事があるならご相談にのりますよ」
 「…………」
 本当はわかっていた、ただの八つ当たりだって。
 ホセがキスマークを付けようが付けまいが結果は変わらなかった、所長に二者択一を突きつけられたレイジがとる行動は予め決まっていた。レイジはどこまでも献身的に俺を守ろうとする。自分の身を犠牲にしてまでも俺を庇って守ってそれで死ぬなら本望だとお気楽に笑ってる。ふざけんな。馬鹿にすんな。お前がお前のことどうでもよくても俺はそうじゃない、俺を守るのを最優先してお前が自分を粗末にするってんなら……
 「キスマークの責任とれ」
 ホセの上着を掴み、ぎこちなく体を摺り寄せる。
 西空に夕日が沈み、残照の最後の一滴が滴り落ちる。
 薄墨を垂らした夜気の中、ホセの背中に腕を回して体温を貪り食う。
 「俺を抱いてくれ」
 レイジが俺のことなんか大事にしなくなりゃいい。
 俺の事を嫌いになっても構わない。

少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050519233725 | 編集
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