ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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十三話

 直が死んだ。
 俺の腕の中で事切れた。

 「直、直、直……しっかりしろ目を開けてくれ!」
 返事はない。反応はない。
 全裸に真紅の襦袢一枚きりを羽織った直は、抜けるように白い瞼を閉ざしたままサムライに抱かれている。
 こうしている間も直の体から体温が失われていくのがわかる。
 脇腹にはじわじわと赤い染みが広がっている。
 血。
 絶望と焦燥とに苛まれた面相が悲愴に歪む。
 脇腹の傷口を一瞥、直の頭を膝に寝かせて突然上着を脱ぎ出す。
 垢染みた上着を脱ぎ、贅肉など一切ない鍛え抜かれた胸板と六つに割れた腹筋をあらわす。
 細身だが儚さとは一切無縁、徹底的に贅肉を削ぎ落として絞り上げた頑健な肉体を外気に曝すや直の襦袢を脱がして全裸にする。
 直の腹に上着を巻きつけ、即席の止血帯を作る。
 上着で傷口を圧迫、流血を止めようと躍起になって治療にあたるも直の顔色は一向に良くならない。
 生死の境を彷徨う直を此岸に引き戻そうとサムライは必死に訴える。
 普段の冷静沈着な物腰や武士の威厳をかなぐり捨て、喜怒哀楽の激しい等身大の人間となって、感情を爆発させる。
 「逝かないでくれ。返事をしてくれ」
 情けなく語尾が震えた。
 今の今までいつ何時も忘れたことない父の言いつけ、常に武士の模範を示す人間たれとの訓示を守り感情を表に出さぬよう厳しく己を律してきたが、瀕死の直を目の当たりにして自制が利かなくなった。
 自分はなんて愚かな男だ。
 一度ならず二度までも愛する人間を助けられなかった。
 もっと早く決断していれば、もっと早く窮地に駆けつけていれば直をこんな目に遭わさずにすんだものを……
 喉元に苦汁が込み上げる。
 激しい悔恨に襲われたサムライは、頼りなく弛緩しきった直の体をしっかりと抱きしめる。こうしている間も直の体から失われゆく体温をかき集めるように直の体にしっかり腕を回し、自分の人肌でもって暖めようとする。
 直の心臓の鼓動が伝わる。弱々しい鼓動。消えゆく命の音。
 「……こんな結末は認めん」
 血が滲むほど噛み締めた唇から吐き捨てる。
 またしても最愛の人間を救えなかったという苦い悔恨が、生きる気力を根こそぎ奪う絶望に変わるのに時間はかからない。何故俺はもっと早く駆けつけなかった。もっと早く直と、己と向き合わなかった?
 過去の罪業から脱却できず、苗への哀惜と直への愛情のはざまで揺れていた己に殺意さえ覚える。
 直のそばから離れるべきではなかった。
 決して。
 「俺はかつてこの腕にお前を抱いて必ず守ると誓った。お前を傷つけるすべてから守ると誓った。なのにこのザマはなんだ、俺はお前に何もしてやれなかった、むざむざお前を死なせてしまった。お前は俺をずっと待っていたのに、『愛してる』と答えてくれたのに」
 線の細い体を抱きしめ、裸の上半身で包んで暖める。直の背中に腕を回したサムライは、もう一度奇跡が起こり再び目が開かないかと一心に念じ、ますます強く愛情込めて直を抱擁する。鉄錆びた血臭が鼻腔を突く。直の脇腹に巻いた止血帯には不吉な染みが滲んでいる。
 止血帯を禍々しく染め替える血の染みから顔を背け、寝顔か死に顔か判別付かぬ直の表情を凝視。
 力尽き閉じた瞼、長い睫毛、肉の薄い怜悧な鼻梁、そして……
 色のない唇。
 「目を覚ましてくれ、直。お前がいなくては生きていけない、お前は俺のすべてなのだ。俺が生きる意味、俺が俺である誇り、俺を生かす信念そのものだ」
 直の顔からは完全に血の気が引いていた。脇腹の止血帯に滲み出た血は徐徐にその範囲を広げていく。直が息を吹き返す気配はない。生きているのか死んでいるのか判別しがたい。力強い腕に抱かれた安堵感からか、寝顔に苦痛の色は見当たらない。
 それが不吉な予兆に感じられ、直がすでに痛みのない世界に旅立った証に思え、サムライは動揺する。
 直をこちら側に呼び戻したい一心で声を荒げる。
 「逝かないでくれ。見捨てないでくれ。お前がいなければ俺は駄目だ、お前を失うのが何より怖い……」
 お前を失いたくない。お前がいない世界など耐えられない。
 涙を流すなど武士にあるまじき行為だとわかっていながら、頬を伝う熱い雫をとめられない。
 苗に先立たれた時は泣けなかった。
 涙を流したのは苗の遺書を読んだとき、ただ一度きりだ。苗の遺書に記されていたのは残酷な内容……苗と自分が実の姉弟であるという事実。苗の死の真相を知った自分は、ともに道場で剣術を学んだ門下生十一人と彼らに強姦教唆した父に復讐を誓った。
 しかし心の底ではわかっていた。
 苗を追い詰めた原因は自分にこそあるとわかっていた。 
 たとえ腹違いといえど、血の繋がった姉弟で肌を重ねたのは事実。
 許されざる禁忌を犯した罪の意識に耐えかね、苗は首を吊った。
 「すまん、苗」
 かつての恋人に頭を垂れて謝罪する。
 苗の面影は今もまだはっきりと瞼の裏に残っている。
 帯刀貢の中で苗は生きている。だがそれでも、死者の上では永遠に止まった時間が生者の上に流れる。直と出会い、俺は変わった。再び人を愛せるようになった。苗の面影に縛られて一生を贖罪に費やすはずだったのに、直と出会い、直と共に生きたいと望んでしまったのだ。
 かつての恋人が瞼裏で寂しげに微笑む。
 しかたないわね、と言うふうに。恋人の心変わりを許すように。 
 かつて何より愛しく思った恋人の笑顔が、優しい姉のそれに見えて。
 サムライは、衝動的に直の唇を奪った。
 直の唇は冷たかった。死の味がする接吻。血の気の失せた唇を塞ぎ、胸郭を膨らませ、酸素を注ぎ込む。直の唇に血の気を取り戻したい一心で深く深く口付けたサムライへと、嘲弄が投げかけられる。
 「へえ、見せ付けてくれるじゃないか。瀕死の恋人に断りなく唇奪うなんて奥手の貢くんらしくもない思い切った行動だ」
 背筋を悪寒が駆け抜ける。戦慄。弾かれたように顔を上げたサムライの双眸に映ったのは、現実離れして凄絶な光景。
 一糸纏わぬ裸身の少年が廊下に立ち尽くしている。
 片手には血が滴るナイフ。
 背後から直を刺したナイフ。
 静流だった。羞恥心など持ち合わせぬが如く、後ろめたいことなど何ら存在せぬかのように堂々と立ちはだかった裸身には、情事の痕跡を示す薄赤い痣が無数に散らばっていた。首筋にも肩にも胸にも腹にも太股にも内腿にも淫靡な痣があった。白く清冽な裸身を斑に染め上げた罪の烙印は、男とあれば誰とでも見境なく寝る本性を物語る。
 「静流……」
 「貢くんは相変わらずお人よしだ。僕は最初から嘘を付いてたのに、それすら見抜けなかった」
 静流が全裸のまま突き進む。

 「覚えてる?深夜廊下を歩いてた君とたまたま行きあった時のこと。突然僕に抱きつかれて動揺する君に言った、『入所当日に看守に犯されたショックが癒えないんだ、ひとりが怖いから一緒にいてくれ』と……ははっ、あんなの嘘に決まってるじゃないか!冷静に考えればすぐわかったはずだ、あの時点で入所三日経ってた僕の体にあんなにくっきり痣が残ってるはずないじゃないか!どう考えたってあの痣は君とばったり出くわす少し前に付けられた物だ。
 苗さんとしか寝た経験のない君が一発で見抜けなくても無理ないじゃないけどそれにしたって間抜けじゃないか、君ときたら苗さん抱くときもおっかなびっくり体に触れてろくに接吻も愛撫もしなかったんでしょう、だからわからなかったんだ痣が消える日数が!ははっ、奥手が仇になったね貢くん。もっと女や男を抱くなり抱かれるなりしてれば僕の嘘なんかすぐ見抜けたはずなのに、」

 「承知していた」
 「何?」
 狂った哄笑がやむ。
 怪訝そうに目を細めて静流が立ち止まる。空気が緊迫する。
 重苦しい静寂を破ったのは、サムライの低い声。
 「俺はお前の嘘を見抜いていた。お前が何故嘘を付くのかわからなかったが、多分俺への複雑な想いがそうさせるのだと罪悪感を抱いていた。静流、俺は長く東京プリズンにいる。長く東京プリズンにいれば嘘を見分ける能力が磨かれる。弱肉強食の非情の掟がまかり通る東京プリズンで生き抜くには真偽を見分ける能力を磨くことこそ重要なのだ……それに」
 ゆっくり目を閉じ、また開く。
 再び瞼を上げた時、切れ長の双眸には悲痛な光が宿っていた。
 直の前髪を愛しげにかき上げ、額の脂汗を拭い、独白する。
 「かつて直が売春班にいた時、今お前の体にある痣と同じ物をさんざん見せ付けられた。痣が癒える期間についてはおぼろげながら察している。お前に初めて痣を見せられた時も怪訝に思ったが、敢えて問い詰めようとはしなかった。俺は帯刀家を滅ぼした男だ。分家の嫡男であるお前が俺を憎むのは当然だ。だからこそ俺が力づくで苗を犯したなど、ありもしないでたらめを直に吹き込んだのだと勘違いした。叔母上の死因はもともと病弱だったのに付け加え事件の後始末で心労が嵩んだためだ。そうだろう静流?ならばお前には俺を憎む動機と道理がある。直に面と向かって問い詰められた時も俺は敢えて否定しなかった……実際、俺が苗を殺したようなものだからな」
 深く息を吸い、直を軽々抱いて立ち上がる。 
 「俺は苗の苦悩に気付いてやれなかった、あの世に持っていこうとした秘密に気付いてやれなかった。畜生と蔑みたければ蔑め。師範代の父を殺したことより共に道場で学んだ門下生十一人を殺したことより苗を救えなかったことを悔やんだ、苗をむざむざ死なせてしまった己の無力に怒りを覚えた。俺は所詮器の小さい人間だ。人間国宝の祖父の再来など過ぎた期待だったのだ。俺はただ愛する者を守りたかった、かつて苗が俺を庇ってくれたように生涯かけて愛する者を守り通したかったのだ!!」
 なんて薄い体だ。なんて頼りない体だ。
 憤怒に駆られて立ち上がるサムライの腕の中、仰向けに抱かれた直はぐったりしてる。皮下脂肪の薄い脇腹をナイフが突き抜けて脾臓から大量の血が流れ出ている。意識不明の直を見下ろし、腕に力を込める。誰にも指一本触れさせまいと守護の決意を固め、弛緩しきった薄い体を抱きしめる。 
 「武士の信念に賭けて。否、帯刀貢の名に賭けて」
 決して直を死なせない。
 死力を尽くして救ってみせる。
 「静流、俺はお前も大事だ。お前も救ってやりたいと思っていた。だが、それこそ俺の傲慢だった。俺の力には限界がある。一つの体で二人を救うのが無理なら非情を覚悟で決断せねばならないと漸く気付いた」
 「答えを聞こうじゃないか」
 皮肉に口角を吊り上げ、犬歯を鋭く閃かせる。
 蛍光灯が青白く照らす廊下の中央、血の滴るナイフを片手に下げた静流が無防備に間合いを詰めてくる。
 「僕と彼とどちらを選ぶんだい?」
 否、無防備ではない。
 しなやかな動作で足を繰り出す全身から冷え冷えした殺気が漂っている。血塗れたナイフを握り直し、薫流とよく似た顔で静流が微笑む。
 一瞬、薫流の亡霊が取り憑いているのかと疑うほど生前の姉に似通った微笑み。
 ナイフを握りなおした静流と廊下で対峙、意識不明の直を両腕に抱えたサムライが、迷いを振り捨て正面を向く。 
 毅然と顔を上げたサムライの目には、誇り高く孤高を貫く意志の光が戻っていた。
 「直だ。俺は直を選ぶ」
 「屍姦の趣味でもあるの?彼、もう息絶えているじゃないか。脇腹から沢山の血を流して……」
 「かっ、てに殺すな」
 血泡に紛れた声がした。
 「!直、」
 反射的に腕の中を見下ろす。
 サムライが見守る前で震える瞼が持ち上がる。
 直が無意識な動作でサムライに縋り付く。
 「生きているのか、直!!」
 「あたり、まえだ。少し、気を失っていただけだ……失血が、多くてな。貴様らがうるさくて目が覚めたんだ……安眠、妨害だ。否、むしろ永眠妨害と言うべきか」
 「面白くもない冗談を言うな!」
 自嘲的に笑う直を一喝、脇腹の止血帯を絞め直し失血を防ぐ努力をする。
 「ナイフはどうやら、脾臓を貫通、したらしい……大動脈を逸れていたのがせめてもの救いか。応急処置が早かったから一命をとりとめたらしい。この点は君の判断に感謝すべきか?はっ……僕の皮下脂肪がもう少し厚ければ、貫通、しなかったのに……。君のように腹筋を鍛えていればナイフを弾けたかもしれないのに……っあ、くぅ……」
 「しゃべるな直、今医務室に連れて行く!すぐ手術すれば大事には至らない!」
 「僕の腹筋も六つに割れてればよかったのに……」
 「縁起でもないことを言うな!」
 薄れゆく意識を繋ぎとめるため、大量の脂汗をかき、苦痛と戦いながら怪我の程度を分析する直を叱責する。
 直が死んでないとわかった安堵で表情が緩みそうになるのを自制するも込み上げる喜びを隠しきれず、はやる口調で命じる。
 「何をしている、一足先に医務室に行ってこれから怪我人を運ぶと医者に伝えて来い、手術の準備をさせろ!」
 「は、なっ……お前誰に命令、」
 「早くせんと斬るぞ!!囚人間の刃傷沙汰を看過したとあっては処分は免れない、減棒されていもいいのか!?」
 それまで放心状態で床に座り込んでいた柿沼がサムライの気迫に圧倒され、操り人形めいてぎくしゃくと立ち上がる。殺気走ったサムライに追い立てられ医務室に向かおうとした柿沼が、慄然と立ち竦む。
 「どこ行くの柿沼さん。ここ離れていいなんて許可してないよ」
 柿沼の進路を遮るように立ち塞がる静流。サムライの腕の中で顔面蒼白、荒い息を零す直と焦燥に揉まれるサムライとを見比べ、柿沼へと視線を戻す。一瞥で魂を抜かれたように立ち竦んだ柿沼へと纏わりつき、耳朶で囁く。
 「僕の命令聞いてくれなきゃ嫌いになるよ。いいの?二度と僕を抱けなくても……」
 「いい加減にしろ静流、直の命がかかっているのに……!」
 「命なんてどうでもいいよ、くだらない。姉さんも母さんも僕が好きだった人はもうこの世にいないんだ、僕の興味ない命がどうなろうが知ったことじゃない」
 絶句するサムライの眼前で優雅に身を躍らせ、ナイフの刃を光らす。
 「直くんを助けたいなら僕を倒していきなよ。力づくで」
 「馬鹿な……」
 「ちょうどいい機会だ、分家と本家の因縁に決着をつけようじゃないか。どうせ僕の本性はバレちゃったんだ、これ以上猫被ってもしょうがない。僕にとっては姉さんと母さんの弔い合戦、君にとっては苗さんの弔い合戦。さあ、来なよ貢くん。どうしたの?なんで躊躇してるのさ、人間国宝の祖父をも凌駕する剣の使い手だってかつてあれだけ持て囃された君が!駄目だよ貢くんそんな顔しちゃ、地獄で莞爾さんが怒ってるよ、けしからんって。帯刀本家の跡継ぎたる者いつだって堂々立派に振る舞わなきゃまた莞爾さんに木刀で殴られて額が割れちゃうよ!」
 蛍光灯の青白い光に裸身をさらし、少年が踊る。
 血の滴るナイフを妖しくぎらつかせ、発情した白蛇の如く裸身をくねらせ、甲高い笑い声をあげて。
 「……サムライ……」
 直が心配そうに問いかける。表情の変化を敏感に察し、腕に加わった力を訝しみ。
 「得物がないなら貸してあげる。柿沼さん、腰の物を貢くんに」
 静流が高飛車に命じる。
 「いいのかよ。相手は東棟実力№2のサムライ、天才的な剣の使い手だってのに……お前の柔肌に傷が付いたらどうするんだ?」
 「早く。愚図は嫌いになるよ」
 柿沼は一瞬たじろぐも、言われるがまま腰の警棒をサムライに手渡す。床に横たえた直に襦袢を着せてから静流に向き直り、立ち上がる。
 わずか5メートルを隔てて対峙する静流とサムライ。
 天井の蛍光灯が点滅する。
 「どうあってもそこをどく気はないか」
 蛍光灯が消えた一刹那、闇に沈んだ双眸が剣呑な光を放つ。
 「無駄話してる暇あるの?そうやって君が躊躇してる間にほら、直くんはどんどん弱っていく。直くんを医務室に連れていきたいなら力づくで僕をどかすしかない、僕を斬り伏せるしかない。怖いの?まさか。剣の天才と称された帯刀貢が分家の嫡男ごときに怯える理由が見つからない。僕を怒らせるのは得策じゃない。展望台の時みたいに手加減したらどうなるか……」
 蛍光灯が消えた一刹那、闇に沈んだ双眸が狂気の光を孕む。
 静流が無造作に顎をしゃくる。
 静流の意を汲んだ柿沼が、床に倒れ伏せた直の後ろ襟を掴み、乱暴に顔を起こさせる。くぐもった苦鳴が聞こえ、サムライが怒りもあらわに殺気立つ。
 再び蛍光灯が点き、廊下に光が満ちる。
 殺伐とした空気漂う牢獄の廊下にて、永きに渡る因縁で結ばれた本家と分家の長男が邂逅する。
 かたやナイフ、かたや警棒。
 手に取る得物は違えど、再び剣を交える時がきた。
 「……―いざ参ります。母上、姉上」
 優雅な動作で腕を掲げ、宣言。静流の奥底に渦巻く狂気が腕を介してナイフの切っ先へと流れ込み、禍々しくも美しい凶刃の輝きを放つ。静流の全身から放たれる殺気が気孔を通して体奥に収束、時が満ちる。
 サムライもまた警棒を構える。
 警棒でナイフと互角に戦えるか心許ないが、逃げるわけにはいかない。今この場に直を見捨てて逃げるくらいなら切腹したほうがマシだ。視界の隅、床に倒れ伏せた直が不安に揺れる眼差しでこちらを見つめている。
 俺は、お前を守る。
 静かに目を閉じ呼吸を整える。
 心の刃を研ぎ澄ます。
 一切の邪念雑念を吹き散らし、ただ眼前の敵を倒すことだけに集中し、覚悟も新たに薄目を開ける。ゆっくりと瞼が持ち上がり、流血沙汰を厭わない悲壮な覚悟を映した双眸があらわになる。
 修羅を倒すには修羅になるしかない。
 その真理を体現すべく我が身を修羅道に堕とし、利き手に預けた警棒を上段に構える。
 「直への想いが尽きせぬ限り修羅堕ちの夜叉が相手でも負けはせん」
 「ほざけ痴れ者がっ、魔羅節でも唄っていろ!!」
 静流が怒号する。
 静流が一気に間合いを詰める、その腕が目にもとまらぬ速さで振られて風切る唸りをあげて鋭利なナイフが飛来する。
 狂気は狂喜に通じる。静流は満面に笑顔を湛えていた。
 見る者すべてを引きずり込む奈落の笑顔。
 爛々と目を輝かせ満面を笑みに歪ませ、夜叉の化身がナイフを振るう。脇腹や肩口を狙い来るナイフを漏れなく警棒で弾いて防御するも、鞭のように腕を撓らせ巧みに軌道を変化させる手腕と凄まじい気迫に圧倒されて反撃の糸口が掴めない。
 刃渡りの長いナイフを小振りの日本刀の如く扱い、苛烈な剣捌きでサムライを追い詰めていく。
 警棒でナイフを食い止めるたび表面が削れて木片が飛び散る。縦横斜め無数の線が刻まれた警棒でナイフを受け流し間合いをとり、鋭く呼気を吐く。
 「―っ!?」
 手首に衝撃。
 警棒に深々切れ込んだナイフを引き抜こうと体勢を崩した一瞬の隙に反撃にでる。手首に捻りを利かせて刃が噛んだ警棒を引き戻し、静流の懐にとびこみ、容赦なく手首を打ち据える。
 渾身の打撃。
 静流が濁った苦鳴を漏らし、よろけるようにあとじさる。
 「大丈夫、まだ戦える、まだ僕は戦える。手首が折れたくらいで刀を捨てたりしないんだ、帯刀の男子は」
 余裕を演出する笑みを浮かべすぐさまナイフを持ちかえる。
 静流もまた帯刀の人間、片手を怪我しても戦いを続行できるようにと幼い頃両利きに矯正された。
 手首を捻挫した激痛を堪え、大量の脂汗でしとどに顔面を濡らし、それでも静流は立ち続ける。
 「静流、そうまでして何にこだわる?俺が死ねば満足なのか、叔母上の復讐を果たしたと清清しく笑ってここを出ていけるのか」
 サムライの双眸に純粋な疑問が浮かぶ。
 右腕をだらりと垂れ下げ、ナイフを左手に持ち替え、静流が静かに問いかける。
 「……ここを出てどこへ行けと?娑婆も牢獄も変わりない、姉さんがいなければどこであろうと地獄なのに」
 黒髪の奥に表情を隠し、卑屈に喉を鳴らす。
 濁った笑い声が奔騰、細い体が仰け反る。発作に襲われたように不規則に体を痙攣させ、静流が再びナイフを握り締める。頭を低めた前傾姿勢で突進、甲高い奇声を発して間合いに踏み込み刺突をくりだす。
 紙一重で脇腹を掠め去る銀の軌跡にも増してサムライを戦慄させたのは、爛々と燃える眼光。
 「君はここで死ぬんだ帯刀貢、苗さんと莞爾さんの後を追って地獄に落ちなければいけないんだ!本家と分家の因縁を断つのは僕だ、母さんと姉さんに託された復讐を成し遂げて分家の汚辱をすすぐのが僕の使命だ!君を殺さなければ僕は姉さんと母さんに顔向けできない、帯刀家の人間として認められないんだ!!」
 「帯刀家などどうでもいい、お前はただお前として生きればいい!」
 「僕だってできるものならそうしたかった、だけど僕一人で生きたって意味がない、姉さんが一緒でなければ意味がないんだ!」
 獣じみた雄叫びを上げ、サムライの心臓めがけ一直線に刺突をくりだす。サムライは咄嗟に膝を屈めしゃがみこむ、その姿勢から警棒で脛を殴れば悲鳴があがる。脛を強打された静流が前のめりになった隙に跳ね起き、電光石火ナイフを弾き飛ばす。
 頭上を飛び越えたナイフが澄んだ音をたて背後の床に落下する。
 放物線を描いて背後の床に落下したナイフを一瞥、床に跪いた静流を冷ややかに見下ろす。
 「勝負あった。行かせてもらうぞ」
 敗北の味を噛み締める静流を捨て置き、瀕死の直を抱き上げる。
 「大丈夫か静流、しっかりしろ!こりゃひでえ手首腫れてる、今すぐ医務室に連れてっやるから辛抱しろ!」
 床に座り込んだまま、俯き加減に押し黙る静流に柿沼がとびつく。サムライは大股に歩き出す。一刻も早く直を医務室へ運ばねばならない、手術をしなければ命にー……
 「へ?」
 背後で間抜けな声。思わず振り返ったサムライは、驚愕に目を見開く。
 柿沼の腹からナイフの柄が生えていた。
 ナイフは根元まで腹部に埋まっている。
 紺色の制服にどす黒い血が滲み出す。直とは比べ物にならない大量の血。醜悪な半笑いのまま表情を凝固させ、体の均衡を失って突っ伏した柿沼の傍ら、膝を崩してしどけなく座り込んだ静流は、血の海でもがき苦しむ柿沼を無表情に見つめている。
 「な、んだ、これ……わる、い冗談、だよな。なんで俺を刺すんだよ静流。入所当初からずっとよろしくやってたんじゃんか、お前にはいろいろよくしてやったじゃねえか。忘れたのか、お前が一人がいいって言うから房をかえてやってお前が看守呼んで来いって言うから同僚連れてきて乱交パーティーではっちゃけて、そうだ襦袢、あの襦袢と扇子だって中に持ち込むの見逃してやったのになんで……」
 柿沼の喉がごぼりと鳴り、血泡が零れる。吐血。
 腹部を両腕で庇い、瀕死の芋虫のようにのたうちまわる柿沼を見下す静流の目はどこまでも無慈悲で無関心だ。
 「なんで?決まってるじゃないか」
 凄まじい苦痛に悶絶、助けを乞うように膝に縋り付く柿沼を鬱陶しげに見下ろす。
 「口紅の塗り方が下手だから」
 紅など塗らなくとも十分に赤い唇が艶めかしく動く。
 柿沼の瞳孔が開ききる。絶望か失望か、断末魔の恐怖か苦しみか。そのいずれとも付かぬ表情で固まったまま、あっけなく柿沼は死んだ。自分の膝の上で絶命した柿沼を愛想なく払い落とせば、ごとりと音をたて床に頭が転がる。
 脂でぱさついた柿沼の髪に手櫛を通し、問わず語りに呟く。
 「がさつな人間に化粧を任せちゃだめだ、唇の輪郭から紅がはみだしてみっともないったらありゃしない」
 柿沼の髪から指を抜き、返り血で朱に染まった顔で緩慢に向き直る。
 直を抱いたサムライの眼前、死体から流れ出た血で剥き出しの太股を赤く染め、口を開く。
 「貢くんも同感でしょう」 
 その瞬間だった。
 静寂を打ち破る大音量で火災警報装置が鳴り響いたのは。

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