ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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八話

 展望台で異常事態が発生した。
 「サムライが立ち稽古だとよ」
 「へえ、珍しい。目立つの嫌いなサムライが表で立ち稽古なんざどういう風の吹き回しだ」
 「相手は誰だ」
 「こないだ来たシズルとかいう名前の新入り」
 「あの女男か。なんでもサムライの従弟だって噂じゃねえか」
 「従兄弟!?似ってねー」
 読書を中断された腹立たしさも相俟って神経がささくれだち、ベッドから鉄扉まで大股に歩く。
 勢い良く鉄扉を開け放ち、「廊下を走るな」と注意しようとして意外な人物の名に立ち竦む。十数人から成る囚人の集団が興奮に浮き足立って展望台の方角へと駆けて行くのを見届け、感傷のため息を吐く。
 立ち稽古、か。相変わらず仲がいいことだな。
 しかし僕には関係ない、サムライは僕にとって過去の人間だ。
 房に引っ込んで読書を再開するもページをめくる手に動揺がでる。サムライの事を意識から閉め出そうと試みるもうまくいかない、僕がこうして読書してる間もサムライは静流と一緒にいる、展望台で立ち稽古をしているのだ。だからどうした?放っておけばいいじゃないか。
 三日前、僕はサムライにはっきりと別れを告げられた。
 サムライは僕の元から立ち去った。僕はサムライに捨てられた。かつて僕の友人だったサムライはもうこの世に存在しないのだ、と繰り返し自分に言い聞かせるも視線が文字を上滑りするもどかしい感覚に辟易、荒々しく本を閉じて腰を上げる。
 発作的に僕は走り出した。
 鉄扉を開け放ち、廊下にとびだす。最初は小走りに、廊下の途中からは肘振りの全力疾走で角を曲がり階段を駆け下り目的地に到着。
 踊り場の壁に穿たれた窓を通り抜け、展望台を踏む。
 展望台にはすでに人だかりができていた。
 黄昏に暮れなずむ空の下、展望台中央にて対峙するのは……
 サムライと静流。
 「………くそ、こんなはずじゃなかったのに。何をしてるんだ僕は」
 自分の行動に説明がつかない。
 僕はこれまで意図的にサムライを避けてきた。食堂で遠くから見かけることはあったが決して彼のそばに寄らなかった。それなのに今日に限って展望台にやってきてしまった。矛盾してる。自己嫌悪に苛まれつつ先着した野次馬の間を縫いサムライに接近。サムライの位置からは最前列の人垣が障壁となって僕の姿は見えないはず。
 「手加減なしだよ、貢くん。僕だって随分強くなったんだから」
 悪戯っぽい声に振り向く。
 静流がいた。
 瞑想で集中力を高めるサムライとは対照的に余裕の笑みを浮かべている。長袖に包まれた細腕で危うげなく鉄パイプを弄ぶ様は、物心ついた頃から刀を持たされてきた者特有の慣れを感じさせた。
 掌中の得物に目が吸い寄せられる。
 色白の綺麗な手。
 白魚の指には真珠の光沢の爪が並んでいる。無骨な鉄パイプを持つよりは扇子を握る方が余程似つかわしい手。
 鉄パイプの表面をさする手を眺めるうちに違和感が膨らむ。
 たかが立ち稽古、ほどほどに手加減すれば重傷を負う心配はない。せいぜいかすり傷程度で済むはず。
 ましてや死亡する危険性などない、はずだ。
 なのに何故、こんなに不安なんだ。
 静流の手を凝視、激しい不安に苛まれ生唾を嚥下。
 一体何が不安を掻き立てるんだと手を観察、違和感の原因を突き止める。
 静流の手に異常な力が込められている。
 鉄パイプが軋むほど握力を込めてるせいで蝋細工の如く五指が強張っているのだ、これでは指の方が砕けてしまうと危惧するくらいに。
 顔にははにかむような笑みを浮かべ、得物を握る手には血を絞る力を込め。
 西空に沈みゆく夕日の照り返しを受け、溶鉱炉で溶かしたような朱銀に輝く鉄パイプを緩慢な動作で構える。
 「懐かしい。貢くんと立ち稽古なんて何年ぶりかな」
 「子供の頃以来だ」
 サムライがそっけなく答え、鉄パイプを振り上げた静流に応じて正眼の構えをとる。隙のない構え。
 「どちらが勝っても負けても恨みっこなしだ」
 静流が悪戯っぽく付け加え、鉄パイプの根元から切っ先まで手を滑らして殺気を通わす。僕は見た、何の変哲もない鉄パイプが凶器に変わる瞬間を。無機物に命が通う奇跡の一刹那を。
 「姉さん、母さん。しかと僕の戦いを見てください。帯刀分家が嫡男、帯刀静流が参ります」
 鋭い呼気を吐き、地を蹴る。  
 癖のない前髪が額を流れる。先攻は静流。
 颯爽と展望台を駆け、流れる動作で鉄パイプを振り上げる。
 綺麗な弧を描いて得物が打ち下ろされるも最前までそこにいたサムライの姿が消失、愚風を纏った凶器が残像を断ち割る。
 瞬時に横に移動、鉄パイプの軌道上から逸れたサムライの目に感嘆の色が浮かぶ。実際昔と比べて格段に技量が向上しているのだろう静流は初撃をかわされてもたじろぐことなく切っ先を引く。
 「逃げないでよ」
 静流が上段の構えから得物を振り下ろす。
 サムライは両手で支えた鉄パイプを水平に翳して難なくこれを防ぐ。
 鉄パイプと鉄パイプが激突、甲高い金属音が夕空に抜ける。
 両腕の膂力に利して鉄パイプを押し込む静流、体重を乗せて打ち込まれた得物を眉間に平行に翳した鉄パイプで防御したサムライが唇を噛み締める。
 力と力が十字に拮抗、鉄と鉄が擦れ合う耳障りな金属音が大気を引き裂く。
 「戦ってよ貢くん。昔みたいに」
 静流の手に力がこもる。サムライのこめかみを汗が滴る。
 両者、膠着状態に陥る。
 緊迫の均衡を破ったのは、苦渋の独白。
 「……太刀筋が変わったな、静流」
 静流の狼狽を見逃さず反撃に転じる。
 膝を屈伸させ腕の間接を撓めて一気に鉄パイプを押し返した反動で静流がよろめく。
 「かつてのお前の剣は静かに流れる水の如く穏やかだった。光のどけき春の日に舞い散る桜の如く優雅だった。しかし今のお前の太刀は……激しく、鋭く、荒々しく。触れるもの皆無慈悲に斬り捨てる殺気に満ち満ちている」
 「時がたてば人は変わる、太刀筋も変わる。僕も君も昔のままではいられないんだ」
 静流の目を一抹の感傷が過ぎる。
 あるいは残照が見せた錯覚かもしれない。
 サムライが無念そうに目を閉じる。
 他ならぬ己にこそ静流を変えてしまった責任があるとでもいうふうに項垂れたサムライめがけ風切る唸りをあげて一手が打ち込まれる。
 サムライが目を見開く。
 苛烈な眼光を宿した双眸が静流を捉えた次の瞬間、腰が沈む。
 地を這うような低姿勢をとったサムライの頭上を鉄パイプが通過、静流の顔に焦りが生じる。
 電光石火、サムライが鉄パイプを抜き放つ。
 「っ……!」
 衝撃。サムライの太刀を受けた静流の顔が苦悶に歪む。
 間一髪、得物を体前に立てて斬撃を止めたものの鉄パイプが震動する威力に腕が痺れたらしい。静流とサムライでは骨格の造りが違う、体格が違う。華奢な静流と鍛え抜かれた痩身のサムライでは必然前者が劣勢にならざるえない。奥歯を食いしばり鉄パイプを押し返そうと苦闘する静流の額に玉の汗が浮かぶ。 
 「静流、お前に聞きたいことがある」
 静流の正面に立ち、サムライが口を開く。
 「お前が東京プリズンに来た真の目的は俺に関係しているのか。叔母上と薫流に関係しているのか」
 静流の双眸に激情が炸裂、全身に殺気が迸る。
 「俺は真実が知りたい。父上を殺した俺が帯刀の姓を名乗るのはおこがましい、しかし俺の中に流れる血を否定することはできない。俺は腐っても帯刀の人間だとお前と再会して自覚した。血の呪縛を断ち切ることができないならいっそ俺とお前、苗と薫流、父上と叔母上を狂わせた骨肉相食む争いの連鎖を食い止めたいのだ」
 「優しいね、貢くんは」
 薄っすらと唇に笑みを塗り、呪詛を吐く。
 「生きながら修羅道に堕ちた僕を救ってくれるの?僕に犯されてもまだ救済を諦めないのは苗さんを見殺しにした罪の意識を拭いたいから?僕は苗さんの身代わりじゃない。僕を助けたからって苗さんは救われない。知ってるんだよ、僕は……」
 なにを知ってるというんだ?
 意味深に言葉を切った静流の方へと身を乗り出す。
 静流は微笑んでいた。残照に染まる朱塗りの笑み。
 生きながら修羅道に堕ち、全身血に染まった壮絶な姿に誰もが息を呑む。奈落の笑みに引きずり込まれる危惧からあとじさったサムライへと歩み寄り、静流が何事かを囁く。
 サムライの目が驚愕に見開かれる。
 硬直したサムライから跳び退き、無邪気な笑い声をたてる。
 「実の姉弟で情を通じるなんて汚らわしい、犬畜生にも劣る行いだ」
 姉弟で情を通じる?静流は何を言ってるんだ?
 周囲の囚人が不審げに顔を見合わせる。
 サムライは唇を噛んで黙したまま、生きながら身を裂かれる自責の念と戦っている。
 西空に夕日が沈む。
 残照に染め抜かれた展望台の中央、身軽に跳躍した静流が最前とは比較にならない苛烈さで斬撃を打ち込む。
 サムライが追い詰められる。
 人垣が崩れ、道が拓く。
 美しき修羅が朱銀の凶刃を振るう。
 サムライはそれでもまだ静流に手を上げることに気後れしているのか、防御を崩さない。
 「知っているんだよ、僕は。苗さんは君に殺されたも同然だ」
 残酷に追い討ちをかけ、防御一辺倒のサムライの間合いに踏み込む。
 「帯刀家では古くから近親婚の風習があった、いとこ同士が婚姻するのも珍しいことじゃない。だけど君と苗さんの場合は違う。君たちはあまりに血が近すぎた、濃すぎた。君たちの恋は誰にも祝福されない禁忌だった」
 静かに流れる水の如く。
 否、岩をも砕く激流の如く。
 「血と血が惹かれあうって本当だね。莞爾さんは君に本当のことを伝えてなかった。考えてみればこれほど残酷なことはない、君も苗さんもそうとは知らずに惹かれあい破滅を呼びこんだんだから。使用人と次期当主?ははっ、まさか!その程度なら大した問題じゃない、身分の差なんか簡単に克服できる。使用人と次期当主の身分差なんて屋敷の塀の中でだけ取り沙汰される問題、手に手を取り合って駆け落ちしちゃえば解決じゃないか」
 いたぶるように目を細め、囁く。
 「莞爾さんが君と苗さんの関係を禁じたのは、たかが使用人と本家跡継ぎの身分差を重んじたからじゃない」
 「やめろ」
 陰湿な光に双眸を濡らし、臆さず間合いを侵す。
 名前を体現するが如く静かに流れる動きで懐に滑り込み、妖艶に赤い唇を開く。
 「莞爾さんが君と苗さんの仲を裂いたのはー……」 
 「やめろ」
 「君たちが実の、」
 「やめろ!!!」
 怒気の激発に感応し、大気が震える。
 双眸に憤怒を滾らせたサムライが鉄パイプを構える、ただ静流にそれ以上言わせたくない一心で鉄パイプを振り上げたサムライはその瞬間足場が消失したことにも気付かない。
 サムライは展望台の際に追い詰められていた。
 「危ない!!!」
 サムライの背後に絶壁が迫っている。
 垂直に切り立った展望台の向こうには黄昏の空が広がっている。
 下はコンクリートの地面、展望台から転落したら良くて瀕死の重傷、打ち所が悪ければ即死だ。僕は人垣の最前列に躍り出て叫んでいた。
 「!」
 僕の声で我に返ったサムライが足裏で地を掴み、展望台の際で急停止。
 刹那。
 静流が鉄パイプを一閃。
 サムライの手より弾かれた鉄パイプが燦然と夕日を照り返す。
 展望台の外へと長大な弧を描いた鉄パイプが中庭のコンクリートに激突、高く高く跳ねる。カランカランと涼やかな音をたて中庭を転がる鉄パイプから展望台の際、間一髪踏み止まったサムライに視線を転じ、静流がにこやかに宣言する。
 「勝負あったね」
 サムライは肩で息をしていた。立ち稽古で消耗したわけではない、静流の言葉に心乱されて自制を失っているのだ。
 「莞爾さんに言われなかったかい?敵に何を言われようと平常心を保つのが武士の心得だって」
 溶鉱炉の夕焼けに染まり、賢しげに教訓を垂れる。サムライは展望台の際に片膝付いたまま、従弟に敗北した屈辱に五指を握りこんでいる。
 「東京プリズンに来て腕が鈍ったみたいだね。今の貢くんじゃ僕にかなわないよ」
 捨て台詞を吐いて歩き出した静流の存在感に圧倒され、囚人が道を空ける。
 僕はサムライに歩み寄ろうとして、思い止まる。
 サムライに何て声をかければいいかわからなかった。ペア戦でも敗北したことがないサムライに、恐らくは東京プリズンに来てから初めて敗北を味わったサムライに何て言葉をかければいいかわからなかった。
 落ちぶれ果てたサムライを見かね、試合終了を潮に散開しはじめた人垣の綻びを縫い展望台を抜け出す。
 
 『血と血が惹かれあうって本当だね』
 『莞爾さんは君に本当のことを伝えてなかった。考えてみればこれほど残酷なことはない、君も苗さんもそうとは知らずに惹かれあい破滅を呼びこんだんだから』

 脳裏で静流の言葉を反芻、ある推測を組み立てる。
 そんな馬鹿なと理性が否定しにかかるが、恐怖に強張ったサムライの顔が瞼の裏に浮かび心が揺れ動く。
 僕の推理が正しければ、帯刀貢と帯刀苗はー……
 「直くん」
 「!?」
 突然声をかけられ、立ち竦む。
 静流がいた。展望台からの帰り道、物陰で僕を待ち伏せていたのだ。
 「脅かすな、変質者かと思っただろう!?」
 「ひどい言い草。ちょっと傷付いたよ」
 何がそんなにおかしいのか、喉の奥で愉快げな笑い声をたてた静流がふと真顔になる。
 「直くん、展望台にいたでしょう。僕と貢くんの立ち稽古を見に来たんだ。違う?」
 「違う。僕は明日の気象予測に行ったんだ。イエローワークの進捗状況は天候に左右されるからな、展望台に赴いて明日の天気を確かめたんだ。西空が晴れていたから明日の天気は晴れの確率が80%、湿度は……」
 「『危ない!』って叫んだよね。あの一言がなければ貢くんを落とすことができたのに」
 何?
 「君はまさか、故意にサムライを落とそうとしたのか?転落事故を装って殺そうと展望台の際に誘導したのか?」
 静流は答えずに笑っている。その笑顔こそ肯定の証。
 展望台から危うく転落しかけたサムライの姿を思い出し、発作的に胸ぐらを掴み、背中を壁に叩きつける。
 一歩間違えばサムライは本当に死んでいた。冗談では済まない。悪ふざけにも限度がある。僕は大事な友人を失っていた……
 大事な友人?
 その言葉に狼狽する。
 僕は今大事な友人と言ったのか?馬鹿な。あの男はもう僕の友人でもなんでもない、僕の知らない男、帯刀静流の庇護者の帯刀貢だ。帯刀貢が死のうがどうなろうが僕には関係ないと自己暗示をかけようとするも、彼が転落しかけた瞬間体が勝手に動いたのは事実で混乱する。
 僕はまだ帯刀貢の中にサムライを見ているのか、帯刀貢の中にサムライの面影を求めているのか?
 「みじめだね」
 静流がはっきりと憫笑を浮かべる。
 「過去に君を守ってくれたサムライはもういないのに未練たらしく展望台まで見に来たのはどうして?僕にはその理由がわかる。君はまだ貢くんを忘れられない、いや、かつて君を守ってくれた『サムライ』への狂おしい執着を断ち切れない。可哀想に。貢くんは僕の物なのに、僕と体を繋げてしまったのに、君はまだ貢くんが振り向いてくれないかと追いすがっている。後生だからこっちを向いてとお願いしてる」
 「黙れ低脳。偉そうに精神分析するな」
 怒りで語尾が震えて迫力に欠ける。
 憐憫を込めた目で僕を眺め、静流が問いかける。
 「……本当の事が知りたいかい?」
 「貴様の言葉など信用しない。サムライが苗を犯したなど根も葉もない妄言をたとえ一瞬たりとも信じた僕が馬鹿だった」
 「そうだ、そのとおり。君は馬鹿だ。貢くんが苗さんを犯したりするはずない。貢くんはてんで意気地なしだからね、想いを寄せた女性を力づくで犯すなんてイチかバチかの危険な賭けにでるわけない。貢くんと苗さんの身に起きたのはもっと残酷な出来事だ」
 一呼吸おき、試すように僕を見る。
 深泉のように澄み切った目に、魔性の誘惑に抗う僕の顔が映る。
 「真相を知れば帯刀貢が嫌いになる。帯刀貢への執着をさっぱり断ち切ることができる。帯刀貢がどんなにか犬畜生にも劣る卑劣で卑俗な人間か痛感し、彼と結んだ友情を後悔し、彼に寄せた恋情を嫌悪し、綺麗さっぱり未練を捨て去ることができる」 
 耳朶に吐息を吹かれ、展望台を立ち去り際に見た光景が脳裏に立ち上がる。
 展望台の際に脱力して膝を屈したサムライ。
 悄然と肩を落として残照の滝に打たれる落ちぶれた姿。
 「…………否」
 僕の呟きを聞き咎め、静流が眉をひそめる。
 当惑した静流をまっすぐ見据え、僕は言う。
 これまで僕を守ってきた男、サムライ。今は静流の隣にいる帯刀貢。
 その二人が同一人物だと自覚し、サムライもまた帯刀貢の一部である現実を受け入れる。
 「僕はこれまでサムライを憎む努力をしてきた。だがどうしても彼を憎めなかった。彼が僕のもとを去っても憎めなかった。それが何故だかこの三日間がずっと考えていた、考えに考え続けて今この瞬間漸く理解した」
 「何故?」
 口元に不敵な笑みが浮かぶ。
 「サムライが去って失ったものより、これまでサムライから貰ったもののほうがずっと多いからだ。僕は東京プリズンに来るまで友人がいなかった、妹以外の人間に心を許すことがなかった。だが、サムライと会って僕は変わった。サムライは僕に感情をくれた。体温の心地よさを教えてくれた。僕を守ってくれた」
 僕はサムライを憎めない。
 憎みたくない。
 「静流、僕と君は違う人間だ。たとえ君がサムライを憎んでいても、僕までそうなる確証はない。僕は」
 そこで言葉を切り、目を閉じ、呼吸を整える。
 一拍のためらいのあと、嘘偽らざる本音を吐露する。
 「僕は、サムライを愛しく思う。彼を愛しいと思う気持ちが彼を憎いと思う気持ちに呑まれるとは思えない。真実を知ればきっと僕もサムライを嫌悪する、だけど憎悪ではない、僕はサムライを憎めない。帯刀貢もサムライの一部だと気付いたから」
 帯刀貢はサムライの一部、サムライは帯刀貢の一部。
 帯刀貢がかつてこうありたいと志した理想の体現がサムライなら、帯刀貢はサムライの人間的な弱さを代わる分身。どちらか一方だけでは成立しないのだ。僕、鍵屋崎ナオにとっての鍵屋崎スグルがそうであるように。
 突然、静流が笑い出す。
 撃ち抜くように喉を仰け反らせ弓なりに背中を撓らせ、狂った哄笑をあげる。

 「愛しい、か。そうか、君も苗さんと同じ事言うんだね。『あの時』の苗さんとそっくり同じこと言うんだね。いいさ、教えてあげる、帯刀貢の本性とやらをあとでたっぷり教えてあげるよ!後悔しても知らないよ、元の木阿弥だ、悲劇は再びくりかえすんだ!!
 『愛しい』?帯刀貢にこれほど似つかわしくない言葉はないのに君も苗さんもどうかしてる、愛しいもんかあの男が、僕と姉さんを狂わせて帯刀家を滅ぼしたあの男が!!僕はずっとずっと帯刀貢を憎んでいた、いつからなんてわからない、ずっと昔から憎んでいたよ!
 本家の嫡男は天才で分家の嫡男は努力の人、僕が生涯かけて到達できるか出来ないかの剣の極みに貢くんはたった十年、いや五年で到達できる!同じ帯刀の姓を持つのに何故こうも違うんだ、こんな不公平が許されるんだ?本家の長男の上だけに才能が発芽して開花して、日陰育ちの分家は本家の引き立て役で一生を終えなきゃいけないなんて姉さんと母さんが哀しむ不公平は認めない!!」

 拳で壁を殴る。鈍い音が鳴る。
 壁から天井に震動が駆け抜け、蛍光灯が揺れる。
 肩で息をする静流の目が爛々と光る。
 「君に帯刀貢の本性を教えてあげる。帯刀家の血の因縁がもたらした悲劇、帯刀貢と帯刀苗の関係を暴露してやる。帯刀貢の過去を知ってそれでもまだ彼が『愛しい』なんて戯言がほざけるなら大したものだ、苗さんといい勝負のお人よしの馬鹿者だ!!」
 「お人よしの馬鹿者で結構だ、サムライを憎む天才よりサムライを好きな馬鹿でいたほうがマシだ!!」
 感情的に口走ってからこれではまるで僕自身が馬鹿だと認めてしまったようだと後悔、忸怩たるものを感じる。
 「……その、今のは言葉の綾だ。断っておくが僕は馬鹿じゃないぞ、天才だ」
 まずい、このフォローではますます馬鹿っぽく聞こえる。どうしたんだ鍵屋崎直、しっかりしろ。この場の空気に流されるな。
 内心動揺する僕を廊下に残し、何事もなかったように静流が歩き出す。
 鉄パイプの先端を廊下にひきずって歩きながら、唄うように言葉を紡ぐ。 
 「『玉の緒よ 絶えねば絶えね 永らえば 忍ぶることのよわりもぞする』……苗さんはそうしたんだ。重すぎる秘密を守るのが苦しくて自ら命を絶ったんだ」
 澄んだ声音で諳んじて、最後に付け加える。
 「姉さんも、ね」

少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050526232442 | 編集
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