ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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六話

 『参りなさい』
 咳のしすぎで掠れた声はともすると衣擦れに紛れて消えそうに細く、だが、内に凛たる強さを秘めていた。
 女の声は絶対だった。
 命令するのに慣れた口調はひどく落ち着いていた。
 己の死期を悟った目は、諦念ではなく覚悟を映していた。
 落ち窪んだ眼窩には燐光が青白く燃え、意志の強さを表すように引き結んだ口元には潔癖な性根が透けている。
 目の下には不吉な隈が浮いている。
 虚勢ではもはや塗り隠せない死相が射した顔に美貌の名残りを留めた母は、癌が全身に転移し、末期の苦しみにのたうちまわる闘病の日々に精根使い果たしてもなお気丈な女当主の威厳を失わず、美しく背筋を伸ばして寝床から半身を起こしている。
 覚悟の上の死に装束にも見える白い小袖の襟元に手をやり指を添え、鎖骨を隠す仕草に貞淑な気品が匂い立つ。
 痩せた首筋におくれ毛を纏わり付かせた母が、鬼火のように揺らめく目を虚空に据える。
 『できません』
 静流は漸くそれだけ言った。
 喘ぐように口を開閉し、迷いに迷った末に言葉を搾り出した。
 手のひらはじっとり汗をかいている。緊張で顔筋が収縮、表情が硬直する。
 母の視線を避けて俯き加減に畳の目を数えながら、揃えた膝の上で手のひらを握りしめる。手のひらの柔肉に爪が食い込む痛みで自分を取り戻そうとでもいうように、正気を維持しようとでもいうように。
 胸裏では嵐が吹き荒んでいた。苦悩に責め苛まれた眉間には皺が寄り、母とよく似た面差しにはひりつくような焦燥が滲んでいた。
 静流の眼前、畳の縁に平行に置かれたのは一振りの刃。
 鞘に仕舞われた真剣。
 ちょうど母の寝床と静流が正座した中間に据え置かれた刀は、黒光りする鞘に隠れながらも異様な存在感を放っている。
 悠に二十畳はあろうかという座敷は、全部の障子を締め切ってあるために昼でも薄暗い。
 紫陽花が一輪生けられた床の間を背に、敷かれた布団から半身を起こした母は、弱気を起こした息子に畳み掛ける。
 『いいえ、なりません。あなたはしなければなりません』
 主治医には余命二年と宣告された。
 早くに伴侶を亡くしてから女手一つで自分たち姉弟を育ててきた母は、最期の最後まで分家の女当主として恥じない振る舞いを貫き通す気だ。
 死を目前にした母は、不思議と穏やかな顔をしていた。
 己の運命を許容し、宿命に殉じる覚悟を決めた顔。
 俗世への執着から脱却した安息の表情。
 母はいつも息子に厳しく接した、分家の次期当主として恥ずかしくない男になれと言われ続けた。
 母はまた、女だてらに剣術の師範でもあった。人間国宝の祖父にも匹敵する剣の使い手と噂される本家の嫡男と常に比較され、「貴方の剣には覇気が足りない」と酷評されたこともある。
 だが、それでも血の繋がった母には違いない。
 どうして母を斬れるというのか。
 親殺しは修羅道に堕ちるとわかっていながら、刀を取れるというのか。
 『母さん、やはり僕にはできません。そのように血迷った真似は……』
 『この期に及んでまだそのようなことを言うのですか』
 母が幻滅する。静流は無言で首を項垂れる。
 打ち萎れて叱責に耐える静流を見つめ、頑是無い子供を相手にするように母は首を振る。その枕元には姉がいる。母とはまた違う感傷に囚われ、潤んだ目に悲哀の色を宿した姉が。
 母が小さく咳をする。咳は止まらない。
 徐徐に間隔が狭まり、激しさが増す。肩を上下させ咳き込む母の背を慣れた手つきで姉がさする。母子の情愛が通う一連の光景を距離をおいて眺め、静流は奥歯を噛み締める。

 母は狂っている。
 僕と姉さんもまた、狂気に侵されはじめている。

 血なまぐさい惨劇の余波は、帯刀の系譜に連なる者すべての上に狂気を開花させた。
 本家の長男が剣術の師範たる実父を含む門下生十三人を斬殺した醜聞により、帯刀家は凋落した。
 とくに影響を受けたのは本家当主の実妹であり、余命幾許もない病身でありながら分家の当主を務めた母だ。
 長きに渡る確執により本家当主の実兄と疎遠になっていた母までもが帯刀の人間が起こした惨劇により世間に白眼視されるようになった。
 帯刀の血を受け継ぐ者すべてが世間の荒波にさらされ非難の矢面に立たされた。一族から親殺しを出したことで元禄年間から続いた由緒正しき帯刀家の権威は失墜、「血に飢えた人斬りの家系」と中傷されるまでになった。
 母は、それが許せなかった。
 これまでの人生で自分が守ってきたもの、信じてきたものを全否定されたのだ。その無念はいかばかりか想像に難くない。
 母は帯刀の生まれに誇りを持っていた。
 分家の当主として最期まで立派に務め上げ、責務を全うし、自分亡き後は跡目を息子に譲り帯刀の名を後世に伝えるのが使命と肝に銘じていた。
 武家の末裔として誇り高く生きて死ぬのが母の夢だった。
 そのすべてが無に帰した。
 身内から親殺しを出した帯刀家は、もはや存続を許されない。母が生涯かけて守ろうとしたものはすべて失われてしまった。
 帯刀の家土地も、誇りも、名誉も。
 今、母が持っているのは残り僅かな寿命だけ。主治医には余命二年と宣告されたが、頬骨の尖った顔に死相が射して、もって半年かそこらの非情な現実を代弁している。事件の後始末を一手に引き受けた心労が祟り、死期が早まったのだろう。
 居住まいを正して静流に向き直り、母が言う。
 『帯刀分家当主として命じます。早く刀を抜きなさい。私をお斬りなさい。かつて私が教えた通りにやればいいのです、静流さん』
 『できません』
 『目を瞑っていてもできるでしょうに。静流さん、貴方は私から何を学んだのです?』 
 『母さんの命令といえど刀を抜くことはできません。そんな恐ろしいことできるわけがない。母さんは正気じゃない、あの事件がきっかけでおかしくなってしまった。どうして死に急ぐのです?どうして僕に刀を取らせようとするのです?母さんは、自殺する気だ。これが自殺じゃなくてなんだって言うんだ、帯刀家が滅んだらもう生きる意味がない、だから母さんは自暴自棄になって!!』
 感情の堰が決壊する。
 静流はいつのまにか立ち上がり叫んでいた。不条理な命令に反感が突き上げた。ただ哀しくて悔しかった、やりきれなかった。胸を内側から掻き毟られる思いだった。
 腹を痛めた我が子に糾弾されてもなお悟りきった居住まいを崩さず、母は虚空を見据えていた。双眸には静かな諦念がたゆたっていた。
 母の目は既に現実を見ておらず、己の内面を眺めていた。
 語気激しく母に正論をぶつけた静流は、賛同を乞おうと姉を仰ぎ、戦慄する。
 姉がこちらを見据えていた。悲痛な顔で。
 『………帯刀家はもうおしまいです』
 血を吐くように母が言い、重苦しい沈黙がのしかかる。
 『時代錯誤を承知で私が守ってきたもの、先祖代々守り抜いてきたものが失われてしまった。親殺しは武家の法度にふれる最大の禁忌。剣の天才と称される本家の跡継ぎが武士道を外れる禁忌を犯したことで、帯刀家の歴史は汚れてしまった。帯刀の血を継ぐ者たちはこの先ずっと人斬りの汚名を被り、生き恥をさらして寿命をまっとうせねばならない。一族の一人が罪を犯したところで世間の大多数はそう見ない、私たちにも同じ人斬りの血が流れている、帯刀家は極悪非道な人斬りの一族と後世まで蔑まれる』
 落ち窪んだ眼窩に鬼火が燃え上がる。
 『私は許せない。我が兄、帯刀莞爾の仇をとる為には手段を選ばない。たとえ武士道を外れる行いとわかっていても、帯刀の家名を貶めて一族に災厄を招いた甥に復讐せずにはいられない。私の寿命は残り僅か、もってあと半年。どうせ残り少ないこの命、甥への復讐の足がかりとなるなら地獄に落ちても悔いはない』
 母の決意は固かった。
 今更何を言っても決心は覆らないだろう。
 絶望を噛み締めて俯きながらも、最後の抗弁を試みる。
 『……母さんは伯父さんを憎んでいたじゃないか。本家と分家はずっと犬猿の仲で、最近は行き来も途絶えていたじゃないか』
 『不幸な行き違いがあっても血の繋がった兄妹には変わりありません。無念の死を遂げた兄の仇をとるのが妹のつとめ。我が兄莞爾は実の息子に斬り殺された。如何なる理由があろうと親殺しは許されざる非道な所業、帯刀家を破滅させた張本人が牢送りになったとてなまぬるい。本家当主の兄を斬殺し帯刀家を滅ぼした張本人、我が甥・貢はまだのうのうと生きているのです。恥知らずにも』
 吐き捨てるように口元を歪めた母の痩身に陽炎が揺らめく。
 母は怒っていた。残り少ない命の火を今この瞬間に燃やし尽くそうとでもいうように全身全霊で怒っていた。復讐の業火を双眸に宿した母の枕元、姉が顔を伏せる。姉は貢に想いを寄せている。
 長い間床で臥せっていた母は、姉の秘めたる恋情を知ってか知らずか続ける。
 『さあ、お斬りなさい。遠慮はいりません。親子の情など捨て去りなさい。最期に母の願いを叶えてください。腹を痛めた息子に憎き兄の仇と同じ道を歩ませてでも復讐を成し遂げようとする、愚かな母の屍をこえていきなさい』
 促されるがままに刀に手を伸ばし、鞘を掴んで引き寄せる。
 膝に乗せた刀を見下ろし、躊躇する。柄を握り締めた手が力の入れすぎで白く強張り、かちゃかちゃと鞘が鳴る。刀を掴んで何度も深呼吸し、意を決して前を向いた静流の顔が泣き笑いに似て滑稽に崩れる。
 『…………僕に狂えと言うんですか?親殺しの修羅になれと言うんですか、母さんは。それが親の言うことですか。僕は、僕はこんなことをするために剣を学んだんじゃない。僕はただ母さんや姉さんに褒めてもらいたくて、貢くんに負けたくなくて、貢くんと比較されるのが嫌で、母さんと姉さんに一人前と認められたくて必死に修行を積んできたんだ!!帯刀の名なんかどうでもいい、そんな物ちっとも欲しくはない、分家当主の座なんかちっとも惜しくはない!!僕はただ姉さんと一緒にいられればそれで、それだけで幸せだった!!』
 絶叫が喉を食い破る。
 母は無表情に静流を眺めていた。姉は下を向いていた。
 母と同様、美しく背筋を伸ばして正座した姉の手が膝の上でこぶしを結んでいた。激情を堪えるように膝の上でこぶしを結び、前髪の奥に表情を隠して項垂れていた。
 『狂いなさい』
 穏やかな微笑を湛え、母が言った。
 静流の葛藤を汲んでもなお意見を翻すことがない、復讐の狂気に呑まれた笑顔。
 『狂いなさい、血迷いなさい。静流さん、いえ、静流。貴方は帯刀家の末裔として身内の復讐を果たす義務がある。放っておいても私の命はじき尽きる。女の身の薫流では復讐を果たせない。もはや帯刀家には貴方しかいないのです、我が兄・莞爾の仇を討つべき人間が。法は無視なさい。法が私たちに何をしてくれました?何もしてはくれない。私たちが従うべきは法ではない、廃れて久しい武士道でもない』
 母の目に激情が爆ぜ、禍々しい笑みを湛えた顔に狂気の深淵が開く。
 『私は心の底から帯刀貢を憎みます。人が人を憎むのは本来自由、法で縛れず武士道に添わぬこの憎しみこそが復讐の動機。帯刀家は人斬り一族ではない、人斬りは帯刀貢だと病床の私が血を吐くほどに声張り上げても世間は誰一人とて耳を貸さなかった。私は憎い、帯刀家を貶めたあの男が憎い。あの男に復讐するにはもうこれしかないのです、貴方が修羅道に堕ちるしかないのです』
 『静流』
 姉が声をかける。
 緩やかに顔を上げた静流は、続く言葉に耳を疑う。
 『母さんの願いを叶えてあげて』
 いつのまにかこちらに向き直った姉が、寂しげに微笑む。
 『私も帯刀貢が憎い。できるならこの手で殺したいけど、私では無理。でも、貴方なら……』 
 『貴方にしかできないのです』 
 寝床から這い出た母が静流の膝に縋り付く。
 枯れ木のように痩せさらばえた腕。振り払うのは簡単だ。
 だができなかった、どうしても。
 母と姉の視線に呪縛され生唾を嚥下、再び刀を手に取る。
 黒光りする鞘から刀を抜く。
 鞘から覗いた刀身が白銀に輝く。清冽な殺気を纏わせた刀身に顔を映した静流は、母と姉の願いを叶えてやりたい半面、この手で肉親の命を奪う行為に極大の抵抗と嫌悪を示し、葛藤に揺れ動く自分をそこに見出す。
 母にはできない。姉にもできない。
 しかし、自分ならできる。
 帯刀貢を殺すことができる。
 甘美な誘惑が耳朶に纏わり付く。
 血を求める衝動を抑制できない。古来より数多の血を吸った刀には妖気が宿るという。静流が鞘から刀を抜いたのを確認、病床の母が瞼を下ろす。口元に仄かな微笑すら湛えたその顔は清濁併せ呑む慈母めいた雰囲気すら漂わせていた。
 己の死を覚悟して安息を得た母と対峙、片膝立って刀を構え、真剣の重量と手の震えを意識する。
 『……いざ、参ります』  
 母の願いを叶えてやりたい。
 幼い頃から厳しい母だった。だが、優しい母だった。剣の師範として息子をたゆまず鍛えてきた。「静流さんは気持ちが優しいから太刀筋が鈍ってしまうのね」とため息まじりに言われたことがある。しかし、嘆く言葉とは裏腹に顔は微笑んでいた。息子の気持ちの優しさを喜ぶ母性的な微笑みが瞼の裏によみがえり、涙腺が熱くなる。

 母の教え通り剣を持ち、構える。

 布団に起き上がった母は毅然と胸を張っている。
 命乞いもしない、泣き叫びもしない達観した居住まい。
 目を閉じて心を無にする。五感を閉ざして内向して初めて第六感が開眼する。
 明鏡止水の境地を体現するが如く。  
 呼吸を整え目を開いた時、手の震えは完全に止まっていた。
 
 鋭く呼気を吐き、刀を振り下ろす。
 血飛沫が顔に跳ねる。母が着ていた白い小袖が右肩から左脇腹にかけて裂けて、鮮血が飛び散った。

 肉を裂き骨を断つ手ごたえが確かにあった。
 白銀に輝く刃に血化粧が施された。血と脂に濡れ光る刀身と布団に倒れ伏せたまま微動だにしない母を見比べて静流は荒い息を吐く。
 即死だった。母はあっけなく死んだ。殆ど苦しまずに逝った。
 おくれ毛がしどけなく纏わり付いた死に顔は安らかだった。母の死に際しても静流は泣かなかった。泣けなかった。心が衝撃に麻痺して何も感じず、喜怒哀楽いかなる感情も湧き上がってはこなかった。
 『上出来よ、静流』
 姉が言った。
 姉の着物に真紅の花が咲いていた。至近距離で母の返り血を浴びても姉は一切取り乱さず、よくやったと弟を称賛した。
 畳に突き立てた刀に縋るように姿勢を起こした静流をまっすぐ見つめ、紅唇を開く。
 『次は私よ。なるべく苦しめず送って頂戴』 
 
 ああ。
 とうとう薫流姉さんまで狂ってしまった。

 姉は、薫流は笑っていた。
 何もかも受け容れ微笑んでいた。
 親子心中に付き合わされるのを予期した上でこの場に臨んだとその目が言っていた。しかし母と違い、真っ直ぐに静流を見据える目には正気の光が宿っていた。
 母の返り血を拭うのも忘れ、驚愕に目を見開き姉を凝視する。
 嘘だと否定したかった。
 いっそ嘘にしてしまいたかった、聞かぬふり知らぬふりで流したかった。母に続き姉までもが自分を殺せと言う、自分を殺して復讐の足がかりにしろと言う。
 できるわけが、ない。
 走馬灯の回想が脳裏を駆け巡る。
 幼い頃から勝気で意地悪な姉だった。お転婆で男勝りで口喧嘩では勝てた試しがなかった。静流は姉にやりこめられるたび強く頼もしい従兄の背に隠れていた、優しく面倒見がいい従姉の背に庇われていた。「まったく情けない子ね、しずるは。それでも分家の跡取りなの?」とませた口調でからかわれる度に静流は目に涙をためていた。
 『できないよ、姉さん』 
 最初は弱々しく、次第に激しく首を振り拒絶する。
 泣き笑いに似た情けない表情で翻意を求めるも姉は応じない。
 絶命した母の枕元に正座し、弟への愛情と未練を織り交ぜた顔つきで黙りこくっている。
 長い睫毛に沈んだ切れ長の双眸に憂いを秘め、口元を引き結び、首を項垂れている。姉の視線を追いかけて顔を上げた静流は、床の間の紫陽花を目にする。あの紫陽花は確か、先日姉が摘んできたものだ。病床の母の慰みになればと小雨が降る庭からわざわざ手折ってきたのだ。
 優しい姉だった。お転婆で男勝り、意地悪で口達者な姉に隠された優しい一面を常に彼女だけを見つめ続けた静流だけが知っていた。
 床の間の紫陽花が鮮やかに目に染みて、一年前、二人で本家を訪ねた日の記憶を喚起する。
 あの日、傘に隠れて道場を見つめ続けた姉の視線の先には似合いの少年と少女がいた。
 静流は直感した。
 姉が秘めたる恋情を、報われぬ想いを。
 何故なら帯刀貢の隣には、帯刀苗がいたから。
 『静流』
 『できない、いくら姉さんの頼みでもそれだけはできない。姉さんを斬り殺すなんてできるわけない、姉さんは知らないんだ、僕がどんなに貴女を大切に想ってるか、貴女に生きてて欲しいと想ってるか!たった二人の姉弟じゃないか、子供の頃からずっと一緒にいたじゃないか。僕は子供の頃からずっと、貢くんや苗さんと一緒に遊んでた頃からずっと姉さんのことを見てたんだ。からかわれてもいじめられても姉さんのあとを付いて回ったのは姉さんが好きだったから、鬱陶しい弟だ、あっちいけって邪険にされても付いて回るのをやめなかったのは姉さんを独占したかったからだ!!』
 言葉が堰を切り溢れ出す、激情の洪水に理性が押し流される。
 噴き上げる衝動のままに思いの丈を吐き出す静流を、薫流は慈愛の笑みで包んでいた。
 純白の足袋は畳に流れ出した血でしとどに染まっていた。
 薫流は美しく背筋を伸ばして正座したまま微動だにせず、揃えた膝に手をおいて、母の亡骸の傍らで慟哭する弟を優しく包み込むように見つめていた。
 姉には言葉が届かない。
 手を伸ばせば届く距離なのに、彼岸と此岸の断絶がある。
 畳に流れ出した鮮血が静流の膝も手も真紅に染め変える。
 血に滑る手で刀の柄を掴み、畳から引き抜き、正眼に構える。
 薫流の鼻先に刃を突きつけ翻意を迫ろうとでもいうように、命乞いを待とうとでもいうように。
 『母さんは斬れても姉さんは斬れない』
 思い詰めた色を目に宿し、静流が唸る。
 早く命乞いしてくれ、ここから逃げてくれと気も狂わんばかりに一心に念じながら。
 鼻先に刃を突きつけられた薫流はしかし脅しにも屈さず、表情ひとつ変えずにいる。
 すべてを諦めた姉を見るに耐えかね、刃の切っ先をかすかに震わせる。
 『姉さん、二人で逃げようよ。誰も知らないところでいちからやり直そう。帯刀の名を捨てて二人で生きていこう』
 口から零れたのは、哀願。姉が首肯してくれることだけを一心に念じ、一縷の希望をたぐりよせる。
 姉は答えない。切れ長の目を潤ませて漆黒の瞳に弟の顔を映している。
 水面に波紋が起きたように薫流の目の中の顔が歪み、崩れる。
 刃を引っ込めるきっかけを逸し、正眼の構えで姉と対峙し、陰惨な笑みを覗かせる。
 『もういいじゃないか。母さんみたいに帯刀の名に殉じて一生を棒に振ることなんてない。まさか帯刀貢への報われぬ恋に殉じるつもり?知ってるんだよ、姉さん。姉さんが貢くんに想いを寄せてたことくらい当然気付いてた。でも貢くんには苗さんがいた、貢くんは姉さんなんか見向きもしなかった。忍ぶ恋は苦しい。だから僕は、』
 だから僕は、汚い手口で帯刀貢を追い詰めた。
 帯刀苗を自殺に追い込んだ張本人はこの僕、帯刀静流だ。
 それも全部姉さんのため、姉さんに幸せになってほしかったから。姉さんさえ幸せになってくれるなら他の誰を傷つけても構わなかった、帯刀貢と苗の二人が不幸になっても構わなかった。あの二人自身すら知らない秘密を暴いて突きつけても良心は痛まなかった、薫流姉さんさえ幸せになってくれるならばそれで……
 姉さんが笑ってくれるならそれで、
 『僕は姉さんが!!!!!!!!!!』
  
 痛切な独白を遮ったのは、蓮の茎のように虚空に伸びた白い腕。
 薫が静流の手に重ねて柄を掴み、自らの胸へと深々切っ先を埋める。
 
 振り払う暇もなかった。
 白銀に輝く刃が薫流の胸に半ばまで沈んだ。薫流が血を吐いた。綺麗な赤い血だった。
 口から大量の血を吐いた薫流が刀を胸に埋めたまま上体を突っ伏す。畳に屑折れた薫流を断続的な痙攣が襲う。静流は極限まで目を見開いて、最愛の姉が死に至る過程を余さず網膜に焼き付けた。
 着物の胸にじわじわ血が滲み出す。胸の傷口から流れ出た血が緩やかに刃を伝い、静流の手まで禍々しく染めかえる。
 強張った指を意志の力でこじ開けて柄を離した時、うつ伏せに倒れた薫流はすでに瀕死の状態だった。
 『ねえ、さ』
 嘘。嘘だ嘘だ嘘だこんなの僕が姉さんを殺したなんて嘘悪い冗談だ。
 恐慌を来たした静流に抱き起こされ、膝に頭を寝かされた薫流の目には半透明の膜が下りていた。
 朦朧と濁った目がやがて弟の顔で焦点を結び、鮮血に濡れた唇から喘鳴が漏れる。薫流が何か言おうとしてる、死に際に余力を振り絞り何かを伝えようとしてる。
 以心伝心、素早く意を汲み口元に耳を近づけ、姉の最期の言葉に表情を失くす。
 そして、姉は事切れた。
 弛緩した四肢を無造作に投げ出した姉は、瞼を半ば下ろし、弟の膝に頭を預けている。 
 母と姉の亡骸が横たわる座敷にて、ただ一人生き残ってしまった静流の腕から力が抜け、薫流の頭がごとりと畳に落ちる。
 『かおる、ねえさん。卑怯だ』
 最期にそんなこと言うなんて、卑怯だ。
 姉さんは子供の頃から変わらず意地が悪い。最期にそんな、重大な秘密を明かしていくなんて。僕を共犯にするなんて。
 しばらく放心状態で座り込んでいたが、やがて操り人形めいた動作で立ち上がり、二人分の血が滴る刀を拾い上げる。手のひらにずっしりこたえる刀の重みは、母と姉の命と釣り合いなお余りある。
 母の遺志を継ぎ、姉の無念を汲み。
 僕にはしなければいけないことがある。果たさねばいけないことがある。
 二人分の返り血が跳ねた障子を開け放ち、刀をひっさげて板張りの廊下にさまよいでた静流の背後、床の間に飾られた紫陽花からひとひら花弁が落ち、血の海にひたる。
 耳の奥に呪いの言霊がこだまする。

 血迷え。狂え。斬り捨てろ。帯刀貢を殺すまで
 血迷え。狂え。斬り捨てろ。帯刀莞爾の仇を討つまで。

 『帯刀世司子と薫流の無念を晴らすためならこの身を修羅道に堕としても構わない。存分に血迷い狂い斬り捨ててやろうじゃないか。それが母さんと姉さんの望みなら、今この時より帯刀静流は人の生き血を啜る魍魎となる。帯刀貢を斬るために、帯刀一族を滅ぼした元凶を断つために、手段を選ばず罪を積み重ねる約束をしてやろうじゃないか』
 喉の奥で汚泥が煮立つような笑いをたて、血塗れた刃を携えて、不吉に軋む板張りの廊下を歩き出す。 
 現世への執着は吹っ切れた。未練は断った。この手で薫流にとどめをさした瞬間に一切合財を捨て去った。
 開け放たれた障子の向こう、母と姉の亡骸が横たわる座敷から鉄錆びた血臭が漂ってくる。
 床の間の紫陽花にいつか見た光景を重ね、全身返り血に塗れた静流は心の中で反芻する。 


 血迷え。狂え。斬り捨てろ。帯刀貢を殺すまで
 僕と姉さんの人生を滅茶苦茶にした帯刀貢を地獄に送るまで――――――― 


 ―「あっ、あぁああああああああっああぁあああああああっぁあ!!!?」―
 そこで目が覚めた。
 生々しい悪夢から覚醒した直後、全身にびっしょり汗をかいてることに気付く。
 「はあっ、はあっ、はっ……」
 ベッドに跳ね起き、薄い胸板を喘がせる。心臓の動悸が跳ね回る。大量の寝汗を吸ったシーツにはどす黒い染みができていた。濡れそぼった前髪をかきあげ鉄扉を一瞥、侵入の形跡がないのを確認してのち隣に視線を移す。
 隣では、貢が上半身裸で寝ていた。
 上着を脱いで熟睡する貢の寝顔を観察、疲れ切った顔に自嘲の笑みを浮かべ、毛布から抜け出る静流。サムライが房に来て三日が経つ。三日間ずっと同じベッドで寝ている従兄の上にのしかかった静流の耳に邪悪な囁きが忍び込む。
 『血迷え。狂え。斬り捨てろ』
 『血前よ。狂え。斬り捨てろ』
 「帯刀貢を殺すまで……わかってるよ、姉さん母さん」
 帯刀貢の首に手をかけ、蜘蛛の脚が這うように指を絡め、徐徐に握力を強めていく。気道を圧迫される寝苦しさに眉間に皺が寄るもまだ起きる気配はない。いっそこのまま殺してしまおうかという誘惑が脳裏を掠める。苦痛の皺を眉間に刻んだ寝顔を見下ろすうちに心の奥底でどす黒い殺意が蠢き、指に力がこもる。
 「まだ殺さないよ」
 帯刀貢が苦しむさまを眺め、静流は恍惚と微笑む。極楽浄土にいるような微笑み。
 「もっともっともっと苦しめて殺してやる。畜生道に落ちるべきは僕じゃない、君だ」
 帯刀貢の耳朶に口を近付け、そっと囁く、
 「『玉の緒よ 絶えねば絶えね 永らえば 忍ぶることのよわりもぞする』……姉さんの遺言、確かに伝えたよ。あの時姉さんは僕に膝枕されてこう言ったんだ。僕たちは同じ穴の狢だ、僕と姉さん、君と苗さんは――……」
 「………静流?」
 唐突に帯刀貢が目を開けた。
 反射的に首から手を放す。 
 「おはよう、貢くん」
 最前まで首を絞めていたことなど感じさせないにこやかさで挨拶、その時にはもう帯刀貢の腰から下りて隣に座っていた。瞬き二回、完全に覚醒した帯刀貢が首の違和感をいぶかしむように喉をさするのに目を細め、静流は声をかける。
 「貢くん疲れてる?」
 「いいや」
 「ならちょうどいいや、久しぶりに稽古に付き合ってよ」
 ベッドから腰を上げ、スニーカーを履く。ベッドの下に手を突っ込んで取り出したのはレッドワークの廃棄物、荒削りな鉄パイプが二本。片方の鉄パイプを困惑する貢に握らせ、静流は笑みを深める。
 「修行熱心な貢くんのことだ、今日もどうせ剣の稽古するんでしょ?般若心経の読経と写経と同じ日課だものね。せっかくだから僕に付き合ってよ。場所は……そうだな、展望台がいい。たまには外で体を動かすのも悪くない。貢くんだっていつも同じ型をなぞるだけじゃ飽きるでしょ?久しぶりに討ち合いしようよ」 
 「いや、俺は……」
 「いいでしょ?貢くんの太刀筋を見たいんだ。それとも刑務所に来て以来、修行怠けてたせいで腕が鈍ったとか?」
 揶揄する口調で挑発すれば、静流に気圧されて鉄パイプを受け取った貢の顔がプライドを刺激されたらしく引き締まる。
 狙い通りの展開にほくそ笑み、静流は先に立って歩き出す。 
 鉄扉を開け放って廊下に出た静流は、既視感を刺激されて振り返る。
 「どうした」
 開け放たれた鉄扉の向こう側、殺風景な房にサムライがひとり佇んでいる。
 「……なんでもない。ここに来る前、これとそっくり同じことがあったなって思ってさ。ちょっと懐かしくなったんだ」

 あの時。
 開け放たれた障子の向こうにあったのは、畳一面の血の海に横たわる二人の亡骸。
 血に濡れた手に握り締めていたのは鈍器の鉄パイプではなく、正真正銘の刀。

 感慨深げに房を見渡し、無意識に姉の面影を探していた静流は、不審げにこちらを見返すサムライに気付いて照れ笑いをする。
 殺風景な房のどこにもあの日の紫陽花は見当たらない。
 だから僕は、本心を隠してこう言える。
 「行こう貢くん。言っとくけど、手加減しないよ」
 討ち合い中の事故に見せかけて帯刀貢を殺すことはできないかと、頭の中で策を巡らしながら。

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少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050528022224 | 編集
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