ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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四十六話

 出口のない暗闇に一人立ち尽くす。
 封鎖された通路に人けはなく荒廃した闇が蟠っている。コンクリ壁に等間隔に穿たれた鉄扉、治安の悪さを示すように破砕された蛍光灯。床一面に散らばっているのは鋭利な切っ先を見せる蛍光灯の破片だ。
 寒々しいコンクリ壁と低い天井が息苦しい閉塞感を与える空間には僕以外の人間が存在せず時間が停滞している。
 禁域、廃墟。
 そういう呼び名こそふさわしい人の訪れを拒否する場所は、一人静かに自分と向き合うには雑音に阻害されず余計な邪魔が入らぬ最適の場所だ。
 立ち入り禁止のテープを踏み越え、酔狂な囚人がペンチなどの道具を用いて強引に突破したらしき痕跡を鉄条網に発見、その穴をくぐる。
 部外者の立ち入りが禁止されて久しい区域だが、それでも囚人が出入りした痕跡がそこかしこに見受けられる。看守の管理と監視が杜撰なためだろう。僕も容易に不法侵入することができた。
 暗闇に目が慣れるのに多少時間を要したが、幸いにも朝まだ早い時間帯ということもあり僕以外の人間はいないらしいと確認。
 埃と静寂が沈殿した通路に靴跡を刷りながら目指す地点に到着、鉄扉に背中を預け座り込む。
 僕は臆病者だ。
 その事実を自らに確認、衝撃に乱れた思考を纏めようとする。
 僕は臆病者だ。現実に目を瞑り、サムライ本人に真相を問いただすこともせず即座に逃げてきた。服越しの背中に骨まで染みとおる鉄扉の冷たさを痛感、動悸を抑えようと深々息を吸い込むも喉にひっかかってしまう。頭が、脳が、現実の受け入れを拒否している。今さっき目撃した光景が現実のものだと認めたくないと絶叫している。
 今さっき目撃した光景……思い出すのも忌まわしくおぞましい衝撃的な光景を回想し、心の表面が不穏にさざなみだつ。
 サムライの上に跨る下半身裸の静流。
 僕らを振り返り、勝ち誇ったように微笑んで。
 勝利の愉悦に酔い痴れた口元には驕慢な風情。
 情事の現場を目撃されても一切動揺も弁解もせず堂々たる態度でサムライに乗り続けた、見せ付けようとでもするかのように。『見せ付ける』?誰に?決まっている、静流が情事を見せつけようと目論んだ相手は僕しかいない。ヨンイルがあの場に居合わせたのは計算外だったにしても、サムライと同房の僕は遅かれ早かれいずれはあそこに戻らざる得なかった。静流はそれを見抜いていた、僕が朝方房に帰ることを予測してズボンと下着を脱ぎサムライにのしかかったのだ。
 僕は、逃げ出した。あの場に居るのに耐えられなかった。
 慄然と立ち竦んでいた時間は三秒もなかった。静流に背を向けヨンイルに背を向け逃げ出した。背後から追いかけてきたヨンイルの呼び声も無視した。どこをどう走ったのか記憶はあいまいだ。
 ただ逃避の衝動に駆られるがまま直線の通路を走り角を曲がり、気付けばこの場所に立っていた。
 理解できない。
 「……理解できない。何故僕はこんなにショックを受けているんだ?」 
 口に出して疑問点を指摘する。
 昨日の時点でサムライが静流を選んだのは明白、図書室での一件がサムライの心変わりを証明してる。
 そうだ、サムライが、違う、帯刀貢が静流を選んだのは既にわかりきったこと、既知の事実だった。なのに何故僕は静流とサムライの情事を目撃したこんなにも動揺している、こんなにも混乱している?
 自分で自分がわからない。意味不明支離滅裂だ。
 「帯刀貢が静流に欲情したことにショックを受ける理由がない。帯刀貢は静流とごく親しい関係にあった。血縁者という点を除いても静流が盲目的に貢を慕い貢が献身的に静流を庇っていたのは事実、もとより結びつきの強い二人の間に恋愛だか性愛だかの感情が芽生えても不思議はない。帯刀貢と静流の関係はそれ自体閉塞的に完結している、他者の媒介を必要としない閉じた円環の中にある一種の相互依存といえる。帯刀貢と静流が肉体関係を持つのは十分予測の範囲内だった、いまさら何を驚くことがある?ないだろう何も」
 早口に論理をつむぎ、自分を納得させようとする。
 昨日の時点でサムライが静流を選んだのは明白だった。僕は完全にサムライに見捨てられた、拒絶されたというのに……これほどまでにショックを受けるということは、僕自身でさえ気付かぬ彼に対する希望を捨て切れなかったのか?温情を期待していたのか?
 口の端を歪め、無様な自分を嗤う。
 無意識にサムライに縋ってしまう自分を嘲笑する。
 僕が心を許したサムライはもうこの世に存在しないというのに。
 これからどうすればいいのだろう。どこへ行けばいいのだろう、という根源的な疑問が脳裏に浮上する。房には帰れない。サムライと顔を合わすのだけは絶対に避けたい。
 正直、他人と会いたくない。外界との交流を絶ち、こうしていつまでも己の殻に閉じこもっていたい。ヨンイルは今も懸命に僕を捜しているはず。遠く、僕を呼ぶ声がする。ヨンイルの声。発作的に逃げ出した僕を捜して駆けずり回っているのだろうと麻痺した心で同情する。
 懐に抱え込んだ膝に額を預け、目を閉じる。
 瞼の裏の暗闇が視界に覆い被さる。
 「……恵に会いたい」
 瞼の裏に最愛の妹の面影が浮かぶ。
 おさげに結った髪を肩に垂らしたあどけない顔。恵は今どうしているだろう?恵に会いたい、ただそれだけが僕の望みだ。サムライを失った僕にはもう恵しかいない。やはり他人など信じるべきではなかった、恵以外の人間に心を許すべきではなかったのだ。
 これは罰だ。
 恵以外の人間に心を許した罰。たとえ一瞬でも恵よりサムライを重んじた罰。
 「恵に会いたい。会って許しを乞いたい、謝罪したい。こんな僕ですまなかったと、こんな兄ですまなかったと謝りたい」
 暗闇に声が吸い込まれる。当然答える者はない。
 「駄目な兄だと僕を罵ってもらいたい。いっそ人間失格の烙印を押してもらいたい。天才の矜持も人間の尊厳も蹂躙してほしい」
 恵が僕を殺したいというなら殺せばいい。それで恵が救われるというなら構わない。僕が死んだところで哀しむ人間など誰もいないが、僕が死んで安堵する人間は多い。僕も僕自身の命に価値が見出せない。
 所詮人工の命、量産可能な命にもとより価値などあるのだろうか?
 僕はIQ180の頭脳に誇りを持っているが、頭脳以外の価値がない人間はもはや人間ではないという醒めた認識も同時に持ち合わせている。頭脳以外に誇る箇所がないのは人間ではなく精密な生体機械だ。

 僕がいなくなったほうが恵は幸せになれる。
 サムライも幸せになれる。静流と一緒に。

 「最大の誤算はサムライと出会ってしまったことか」
 口の端を吊り上げ、皮肉に嗤う。サムライと出会いさえしなければ僕が他人に心を許すこともなく、また他人に依存することもなく、永遠に恵だけを思い続けていられた。
 サムライと出会ってしまったのがそもそもの間違いなのだ。僕と出会いさえしなければサムライと静流が結ばれるのに何の障害もなかったのだ、僕には無縁の血の絆で結ばれたサムライと静流は苗の死を乗り越え幸福になれたのだ。
 そのまま鉄扉に凭れ、世界を呪う。
 僕を生み出した世界を呪い、皮肉なめぐりあわせを呪う。
 僕を現実に引き戻したのは、靴裏が蛍光灯の破片を踏み砕く音。静寂をかき乱す侵入者の気配。
 「!誰だ」
 声音鋭く暗闇に誰何の声を投げかける。応答はない。鉄扉を背に上体を起こし、いつでも逃げ出せるよう身構え、侵入者の出現を待つ。
 暗闇の向こうから現われた人間と対峙、驚愕に目を剥く。
 そこにいたのは安田だった。
 「所長の犬が何の用だ」
 「『上』でヨンイルと会った。行方知れずの君を捜しているらしい。朝早くから西の囚人を捜索隊に駆り出して大騒ぎだ」 
 安田が指で指し示した方角を一瞥、渋面を作る。階上の喧騒は先ほどより大きくなっている。「こっちにはいませんでしたヨンイルさん!」「くそっ、なおちゃんどこ行きよった?通りぬけフープでも使うたか」と舌打ちまじりにやりとりする声がする。
 「君こそ何故ここにいる。売春班は数ヶ月前に廃止された。この区域も閉鎖されたはずだが」
 安田に事務的に問われ、口を噤む。僕が今いる場所は中央棟地下一階、かつての売春通り。僕が強制的に売春させられていた場所。僕が凭れかかっている鉄扉の向こうは、僕がかつて何人もの客に犯されたシャワー付きの房だ。
 「ここなら誰にも邪魔されず思索に耽れると思ったからだ」 
 半分嘘で半分真実だ。
 僕がここに来たのは半ば無意識だった。
 サムライと静流の情事を目撃した直後、足が勝手にここに向いていた。本来近寄るのも嫌で忌避していた場所だというのに、いざとなればここしか行く場所が思い当たらなかったのだ。
 安田は何も言わず、痛ましげな顔で僕を見つめていた。不躾な凝視に気分を害す。そんなに酷い顔色をしているのだろうか、僕は?鏡に映して確認したくてもここでは無理だ。
 と、安田が不意に動き、僕の隣の壁に背中を凭せかける。
 「ここは禁煙だ」
 背広の内側に潜らせた手を止め、安田が疑惑の眼差しを向けてくる
 「そんな規則は存在しないが」
 「僕が今決めた」
 不安定な沈黙が落ちる。背広から手を抜いた安田が諦めたように嘆息、虚空に顔を向ける。 
 眼鏡の奥の目が細まり、冷徹な眼光を宿す。
 「鍵屋崎、君に聞きたいことがある。君がいまだに黙秘を続けている両親殺害の動機だ」
 突然だった。一瞬心臓が止まった。
 安田の横顔を仰ぎ、慎重に本心を探る。
 安田は正面を向いたまま、表情の洗われた横顔を晒している。
 「僕が両親を殺害した動機を知りたいか?高潔な人格者を気取りたがる副所長も俗世への関心を断ち切るのは不可能、下世話な好奇心を封じこめるのは無理か。僕が鍵屋崎優と由香利を刺殺した動機が知りたいなら調書を読めばいい。東京少年刑務所への身柄送致に伴い届いた書類に精神鑑定の判定結果が載っているはずだからそれを参考に適当に予想してくれ。愛情の薄い両親に顧みられなかった反動で突発的反行に及んだとでも事件背景を捏造しろ」
 「君の口から直接聞きたい」
 「無関心な両親に愛情を求めて得られなかった反動で殺した。これで満足か?」
 片足を無造作に投げ出し、なげやりに吐き捨てる。
 どんな意図があり今更こんな質問をするのか、安田の真意が読めず不信感が強まる。安田は何かを隠している、重大な何かを。
 眼鏡のブリッジを中指で押さえて安田を見上げれば、副所長が暗澹と呟く。
 「……鍵屋崎、馬鹿にするのはよせ。虚偽と真実を見分けられないほど私は落ちぶれてない」
 「僕はありのままの真実を語っている。法廷に立ったときと同じく」
 「君の裁判記録を閲覧した。法廷で反抗的な態度をとった為に陪審員の心証は最悪、過半数が極刑を決めたそうだな」
 「反抗的な態度?心外だな、裁判官・検事・弁護士の質問には誠実な態度で答えたのに」
 「検事が過去に起きた子供による両親殺害の事例を挙げた際、検事以上に正確にその事例を述べたのはやりすぎではないか」
 「あの検事は勉強不足だ。予習を怠ったせいか本人の不注意かは知らないが、平成32年12月8日に千葉で起きた12歳男子による両親および妹殺害事件を『平成31年発生』と言い間違えた。年号の誤りを指摘するついでに事件の詳細を語ったまでだ、何が悪い?」
 僕は間違ってないと強固な信念のもと安田を睨み付ける。法廷に立った僕は挑戦的な態度で裁判に臨んで陪審員の反感を買ったが、それがどうしたというんだ?低脳どもの理解など得られなくても構わない、情状酌量の余地など無くても構わないと最初から覚悟の上だったのだから。
 安田が背広の内側に手を潜らせ、煙草を抜き取る。
 僕が注意するより早くライターで添加、橙色の光点を点した煙草を口に銜える。煙草の先端から漂い出た紫煙が仄白く暗闇に流れる。
 手馴れた様子で紫煙を燻らしながら、安田は唐突に口を開く。
 「鍵屋崎、君は何を隠している」
 「!」
 心臓が跳ね上がる。
 淡々とした口調で核心を突いた安田は、敢えて僕の方は見ず続ける。
 「鍵屋崎夫妻殺害の動機について君は徹底的に黙秘を通した。警察の取調べにも沈黙を貫き精神科医すらも欺いた。無関心な両親に愛想が尽きたから殺した?私がそんな短絡的な動機を鵜呑みにすると思うか。IQ180の頭脳に恵まれた君ともあろう人間がそんな不合理な理由で殺人を犯すのか」
 「買いかぶりすぎだ。いかに知能指数が高いとはいえ当時僕は15歳、情緒不安定な思春期の少年だった。些細なことが引き金で殺人に走っても不思議ではない」
 「君は嘘をついている」
 安田が煙草を吸う。
 「鍵屋崎夫妻とは仲が悪かったのか?」
 安田は鍵屋崎優と由佳利をまとめて「鍵屋崎夫妻」と呼ぶ、「両親」ではなく「夫妻」と。ただそれだけの違いが重大なことのように感じられ、腋の下に緊張の汗をかく。顔の前に流れてきた紫煙を手で払い、努めて無表情に言う。
 「良くも悪くもない、お互いに興味がなかっただけだ。両親にとって僕は将来的に研究を継がせる後継者、現段階では頭脳明晰な研究助手でしかなかった。彼らとそれ以上の関わりはない。僕もまた彼らに肉親の情は感じていなかった」
 「君は最初から諦めていた」
 「何を?」
 「愛されることを」
 「はっ」
 安田らしくない感傷的な物言いに失笑する。
 「愛されることを諦めていた」?今更だ。僕は両親に愛情など期待してなかった。最初から求めもしなかったものが得られなかったからとて逆上するのは不条理だ。
 卑屈に喉を鳴らした僕を一瞥、安田が紫煙を吐く。
 「鍵屋崎、どうか私にだけは真実を話してくれないか」
 「僕の殺害動機を上に報告して出世の材料にする気か」
 「個人的な関心もある。何故君が両親殺害に至ったのか明確な理由が知りたい。話を聞いた限りでは君は鍵屋崎夫妻に対し常に距離をおいていた。夫妻と君の間には常に距離があった。夫妻に対し何も期待してなかった君が理性と分別を備えた十五歳時点で凶行に及んだのは『きっかけ』があったからだ」
 「邪推だ」
 「愛情の反対は何か知っているか?」
 「憎しみ」
 そっけなく即答すれば、安田が正面を向いたまま答える。
 「違う。『無関心』だ。だが、人を殺すには『憎悪』と『衝動』が必要だ」
 安田の言わんとしていることを口の中で咀嚼する。
 安田の解釈も確かに一理ある。人を憎めるということは感情が死んでない証拠、対象に興味をもっている証拠だ。鍵屋崎夫妻に対し積極的な関心を持ち得なかった僕が二人を殺すのは矛盾する。
 僕が鍵屋崎優と由佳利を殺した動機。
 脳裏に恵の顔が過ぎる。自分の手を汚してでも守りたかった最愛の妹の顔。
 「鍵屋崎、君はだれかを庇っているんじゃないか」
 「何を根拠に、」
 「君は一度心を許した人間に献身的に尽くす傾向がある、自分の身を犠牲にしても好意を抱く人間を守ろうとする。鍵屋崎夫妻を殺害した動機が単純に自分を愛さなかったから、それだけであるはずがない。鍵屋崎夫妻は君の大事な人間に何か、ひどいことをしたんじゃないか?」
 何故わかる。何故見抜く。僕が必死に隠し通してきたことを。
 「知らなかった、副所長に妄想癖があるなんて。精神分裂病の兆候だから職を辞して入院したらどうだ?」
 辛辣な嫌味も取り合わず、僕に向き直った安田が断固たる口調で続ける。 
 「確かに証拠はない、私の勝手な想像だ。どう受け取るも君の自由だ。だからこれから先話すことも自由に解釈してくれ。今から話すのは私の秘密だ」
 「え?」
 間抜けな声をあげ、安田を見上げる。
 苦りきった顔で押し黙った安田が、眼鏡の奥の目に葛藤を映す。
 「私の若い頃の話だ。若い頃、大学生だった私が参加したある実験の話だ。その実験では優秀な男女の精子と卵子を必要としていた、私はある縁故からその実験に精子を提供することになった……」
 「待て、何の話だそれは?」
 喉の奥で空気が抜ける。安田の語尾を遮るように立ち上がると同時に階上に靴音が殺到、悲鳴と罵声が交錯する。『上』で何か異常事態が起きたらしい。それに気付いた安田が話を中断、不審げな顔になる。
 「副所長!こんなところにいたんですか、さがしましたよ!」
 突如地下一階に通じる階段から通路に駆け込んできたのは、体格の良い看守。呑気に煙草を吸っている副所長に駆け寄り、大仰な身振り手振りで報告する。
 「何の騒ぎだ?」
 「東棟の食堂で五十人規模の乱闘が勃発、被害は今も膨れ上がる一方です!重傷者五人軽傷十五人、へたしたら東棟全体規模の暴動に発展しかねませんよ!なお乱闘の主犯格は台湾と中国の混血児、ほら、レイジと同房の……」
 「ロンか!?」
 声を荒げたのは僕だ。声を発したことにより今初めて僕の存在に気付いたとばかり驚愕した看守を、表情を引き締めた安田が詰問する。
 「他に乱闘に加わってるのは?」
 「主犯格で加わってるのは凱とリョウ、ビバリーです!とくにリョウは薬で頭がパーになってるらしくえらいはしゃぎっぷりで手のつけようがありません!とにかく手が空いてる看守全員で鎮圧に向かってますが死人がでる前に間に合うかどうか……、」
 安田の命令は至極簡潔だった。
 「主犯格の囚人を拘束、独居房に隔離しろ」
 煙草を投げ捨て、靴裏で吸殻を踏み潰す。
 ネクタイの結び目に指をひっかけ襟元を緩め、看守を従え歩き出す。背広の裾を颯爽と翻し階段に足をかけた安田、その背中を呆然と見つめているうちに「拘束」「独居房」「隔離」の単語とロンの顔が結びつく。
 「待て安田、ロンを独居房に入れるのか!?乱闘の原因を追及するのが先じゃないか!!」
 「主犯格を隔離しないことには乱闘はおさまらない。話は後で聞く」
 安田は僕の抗議を受け付けず、規則的な靴音を響かせ階段をのぼっていってしまった。地下に残された僕は、片手で頭を支えて状況を整理しようとする。
 ロンが食堂で暴れている?何故?原因は?……決まっている、ロンが暴発したとしたらレイジ絡みとしか考えられない。またレイジの身に何かがあったのだ、とんでもなく不吉な出来事が。
 僕も、僕も食堂に行かなければ。
 興奮状態のロンが僕の説得に応じるかわからないが、このまま放っておけば独居房送り確実だ。
 「くそっ、僕には感傷に浸る暇もないのか!」
 安田を追って階段を駆け上がろうとした僕は、こちらに降りてくる人影に気付き、全身に電気が走ったように硬直する。
 衣擦れの音もなく階段を下りてくるのは、虚ろな目をした長身痩躯の男。
 幽鬼めいた足取りで階段を下りた男は、慄然と立ち竦む僕の正面で止まり、表情の読めない眼差しを向けてくる。
 「……一晩中静流と楽しんでいたくせに腰が抜けてないとは、日頃の鍛錬の成果だな」
 喉が異常に乾き、声はみっともなく掠れた。荒廃した闇が淀んだ薄暗い通路にて僕と対峙したサムライは、伸びた前髪の奥、切れ長の双眸に苦悩の色を宿す。
 「直、」
 「騎乗位の感想を聞きたい」
 「俺は」
 「言い訳はいい。昨日僕がいない間君は、貴様は静流と一緒にいた。静流と肉体関係を結んでいた。はっ、普段あれだけ強硬に同性愛者ではないと主張していたくせにいとこと関係をもつとはな!見下げはてた男だ、汚らわしい。唾棄するぞ帯刀貢。貴様が志す侍とは穢れた欲望に突き動かされ同性とも関係をもつ者なのか、それが貴様の目指していた侍か!?」
 喉から絶叫が迸る。心が悲鳴をあげる。
 思い出すのも忌まわしい光景が脳裏にフラッシュバックする、下半身剥き出しの静流がサムライに馬乗りになった光景……否定できるものならしたかった。錯覚だと思い込みたかった。
 だが違う、あれは現実だった、現実だった。
 「貴様にサムライを名乗る資格はない、貴様に武士を志す資格はない。かつて僕の友人だったサムライはもういない、もはや完全に跡形もなく消えてしまった、今ここにいるのは静流の守り手の帯刀貢だ。僕とは一切関係のない男だ。僕は帯刀貢を憎悪する、嫌悪する、僕の全存在に賭けて貴様の存在を否定する!何故今頃になって帰って来た帯刀貢、僕がサムライを友人と認め心を許した今頃になって帰って来た、貴様が帰って来たせいで僕のサムライは消えてしまった、どんなに足掻いても永遠に僕の手の届かぬ場所に去ってしまった!!」
 「直」
 サムライが、否、帯刀貢が虚空に伸ばした手を握り締め、顔を伏せる。
 周囲のコンクリ壁にむなしく絶叫がこだまする。 
 「サムライを返してくれ。僕のサムライを返してくれ」
 「俺はここにいる」
 「違う、ここにいるのは帯刀貢だ。僕の友人ではない」
 「どちらも同じ俺だ」
 「外面が同じ別人だ!!」
 僕のサムライはもういない、いないのだ。憤怒に駆られて帯刀貢を睨み付ければ、帯刀貢が大股にこちらにやってくる。
 咄嗟に逃げようとした。
 だが、帯刀貢が僕の腕を掴むほうが早かった。
 僕の腕を掴んで引き寄せた帯刀貢が、血を吐くように言う。
 「俺は本当にお前と静流を大事に思っていたのだ、お前も静流も守りたかったのだ!たとえ卑怯者と謗られようとも俺にはそうする義務があった、帯刀家を滅ぼした俺には静流を庇護する義務があった!だがお前のことは家も義務も関係もなく、ただ純粋にお前だから守りたいと思ったのだ!お前のことが愛しくて他の男に触れさせたくないと思ったのは真実だ、愛しいお前だから守りたいと思ったのだ!!」
 「『愛しい』?よく言う、僕と寝るのを拒否したくせに!僕のことが好きならあの時抱けば良かったんだ、静流がいる前で抱けばよかったんだ!もう手遅れだ帯刀貢静流と寝た貴様の言うことなど信用しない、僕は君が!!」
 「大嫌いだ」、と続けようとした。だが出来なかった。
 振り返り際帯刀貢に口を塞がれた。熱い唇が覆い被さり、続く言葉を封じた。 
 「―!?んっ、」
 やめろ、離せ。帯刀貢の腕の中で死に物狂いに身をよじり抵抗する、帯刀貢を突き飛ばそうと半狂乱で暴れるが僕の力ではとても無理だ。帯刀貢は僕をしっかりと抱きすくめ唇を吸い続ける。
 背中が壁に衝突、蛍光灯が揺れる。それでも唇は離れない。悔しくて腹立たしくて、僕は何度となくこぶしを振り上げ帯刀貢の肩を殴打する。静流と合わせた唇で僕に触れるなと力を込めて殴り続ける。
 体の奥底から激情が噴き上げる。
 静流と寝ておきながら僕の唇を奪う帯刀貢がわからない、理解できない。気持ちが悪い。咄嗟に唇を噛み千切る。苦痛に顔を顰めた帯刀貢が漸く僕から離れる。
 唇から血が滴るままに立ち尽くしたサムライを憎悪に燃えて睨み付け、叫ぶ。
 「何故こんなことをする!?」
 「好きだからだ!!」
 抑えに抑え続けた感情が爆発したようにサムライが叫び、壁を殴り付ける。
 「……手遅れだとわかっている。今の俺がどんなにか惨めで無様でみっともないか十分に承知している。言い訳はしない。だが、俺は今でもお前を愛しく思っている。友として、いや、それ以上の存在だと自覚している。直、俺はお前に救われた。お前と出会え生涯の友を得た、お前がいてくれたおかげで俺は……」
 サムライが諦念めいた表情を宿して目を閉じる。
 「不本意とはいえ静流と体を繋げたことは事実、軽蔑してくれて構わない。俺は今日限りで房を出る」
 「………な、」
 「俺があの房にいる限りお前は帰ってこない。ならば俺が出る。房は好きに使って構わない」
 どこへ行く気だ?
 疑問を発しようとしたが、喉が渇いて声が出てこなかった。僕の視線の先、話は済んだと身を翻した帯刀貢が付け加える。
 「俺がそばにいるとお前は辛くなる。俺たちはもう共にいるべきではない、互いを傷付けるだけの関係は不毛すぎる」
 階段を上りながら続ける。
 「レイジ、ロン、ヨンイル。お前には良き友がいる。これからは奴らを頼れ。必ずやお前の力になってくれるはずだ」 
 薄暗い通路に取り残された僕は、ただ呆然と帯刀貢の背中を仰ぐより他なかった。追うことも逃げることもできなかった。階段を上りきったサムライが振り返り、静かな諦念を宿した目で僕を見下ろす。その目を見た瞬間、自制心が吹き飛んだ。
 サムライを追いかけようと階段に足をかけた僕は、帯刀貢に寄り添う影を目撃する。
 それまで階上で待機していたらしき少年が帯刀貢のそばに来て、勝ち誇った微笑を湛える。
 静流だった。
 「さらばだ、直」
 待て、行くな、行かないでくれ!
 限界まで虚空に手を伸ばした僕の眼前、静流を伴ったサムライが背中を向ける。次第に遠ざかる靴音。漸く階上に辿り着いた時にはすでに二人の姿はなく、かすかに靴音が響くだけ。
 最前まで二人がいた場所に手を付いた僕は、少しでも帯刀貢のぬくもりを感じようと床に身を横たえる。
 そして、目を閉じる。
 帯刀貢は僕に別れを告げ、静流と行ってしまった。僕のサムライはもう永遠に戻ってこない。房に帰ってもサムライはいない。 
 冷たい床に寝転がり、片腕で腹を庇い、胎児の姿勢で身を竦める。
 『さらばだ、直』
 それがサムライの答えなら、こう返すしかないではないか。
 「さようなら、サムライ」
 口の中で呟いた僕はその時になり初めて、サムライに友情以上の感情を抱いていたと自覚した。 
 気付いた時にはすべてが手遅れだった。

少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050603013158 | 編集
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