ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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四十二話

 初めて西棟に足を踏み入れた。
 内観は僕が日常暮らす東棟とさほど変わらない。コンクリ剥き出しの殺風景な壁が延々と続く監獄の廊下には陰気な空気が漂っている。
 細長い天井には等間隔に蛍光灯が設置され青白い光を投げかける。
 左右の壁に並ぶ鉄扉の向こうでは囚人が寝静まっている気配がする。規則正しい寝息に衣擦れの音、寝相の悪い囚人がベッドから転げ落ちて床に激突する音に続く悲鳴。大半の囚人は明日の強制労働に備えて熟睡しているが、中には夜更かしの囚人もいるらしく暗闇が淀んだ格子窓の奥から時折密やかな話し声が漏れてくる。 
 「昼間やったらもっと活気あったんやけど、さすがに就寝時刻過ぎると静かになるな」
 ヨンイルが苦笑する。西の囚人で猥雑に賑わう廊下を彼と一緒に歩くのは僕としても望むところではない。ヨンイルと一緒にいるところを見られれば興味本位の詮索と誤解を招く。
 西の囚人に注目されるのは鬱陶しい。
 人がいなくてかえって好都合だ。
 「東棟とあまり変わらないな」
 当たり前の感想を口にしたことを恥じ、ごまかすようにあたりを見回す。無関心に冷たいコンクリ壁がざらざらと硬質な表面を見せて平行に続く廊下、足元の床には茶褐色の汚水が筋を作っている。
 通り過ぎざま壁の落書きに目をやる。壁一面に描き殴られた幼稚な絵に既視感を覚えて立ち止まれば、先行するヨンイルが「なんやなんや」と戻ってくる。
 「実に前衛的な芸術作品だが、主題は何だ?」
 壁に顎をしゃくり、嫌味っぽく聞く。
 僕が相対した壁一面を埋めているのはどこか見覚えのある人物の絵。三頭身の幼女らしきちんまり寸詰まりの物体。その隣にはこれもやはり見覚えのある、下半身に黒いパンツ一枚の特徴的な髪型の少年。額に絆創膏を貼った少年もいる。孔雀に似た黄金の鳥もいる。
 よく注意して見れば殺風景なんてとんでもない、壁の至る所に色とりどりの落書きが出現しさながら画廊に迷いこんだような錯覚を抱かせる。
 「ちっちっちっ!手塚ファン気取っとってもまだまだ初心者やな直ちゃんは。見て一発でわからんか。これがピノコ、これがアトム、こっちが写楽や」
 「君が描いたのか?」
 「ちゃう、西の囚人ども使て描かせたんや。灰色の壁だけがのっぺり続くんじゃ気分塞いでしゃあないなから絵が上手い奴に手塚キャラ描かせたんや。どや、似てるやろ」
 あちらこちらを指差すヨンイルの顔はひどく満足げだ。
 嬉々と弾んだ口調で壁一面を埋めた手塚キャラがどの作品に登場する誰かを解説しつつ房へと向かうヨンイルに黙ってついていく。
 西棟の廊下では手塚治虫博覧会が催されていた。画廊と化した廊下をひたすら歩き続けること数分、遂にヨンイルの房が見えてきた。
 「いとしこいしの我が家や」
 ヨンイルが歩調を落とし、緊張が高まる。他の房と何ら変哲のない無個性な鉄扉。灰色の壁に穿たれた鋼鉄の扉。
 ノブに手をかけたヨンイルが僕の決心を確認するように振り返る。
 額にかけたゴーグルの下、スッと双眸を細めたヨンイルを無表情に見返す。
 「ほんまにええんか直ちゃん。東に逃げ帰るなら今やで」
 鉄扉の向こう側に一歩足を踏み入れたら僕に拒否権はないと暗喩する口調だった。
 ノブに手をかけ、挑発するようにほくそえむヨンイルに反発が湧く。ここまで来て怖気づいたとでも思っているのか、回れ右で東棟に逃げ帰ると思っているのか?馬鹿にするなよ道化風情が。
 眼鏡のブリッジに触れ、動揺をごまかす。
 眼鏡の位置を直すふりで俯き、続ける。
 「ここまで来て帰れだと?冗談じゃない、僕を誰だと思ってる。今ここで逃げ帰るなどプライドが許さない。僕にはもう帰る場所などない、東棟に居場所がない。たとえこの鉄扉の向こう側で何が起ころうが絶対に逃げたりしない。僕を泊める見返りに体を要求したいならすればいい、こちらも望むところだ」
 「さよか」
 ヨンイルが頷き、ノブを捻り、鉄扉を大きく開け放つ。
 「道化の房にようこそ。東の人間で足踏み入れたんはレイジに続いて二人目の快挙や」
 錆びた軋り音をあげて鉄扉が開く。ヨンイルに続いて房に入ろうとした僕は、裸電球に照らされた光景に愕然と立ち竦む。
 鉄扉の向こう側、ヨンイルの住処は目を覆わんばかりの惨状を呈していた。床一面に足の踏み場もなく散乱した漫画本が進路を阻んでベッドに近付くことさえできない。
 毛布がだらしなく捲れて枕の位置がずれたベッドは道化のずぼらさを象徴する。
 床だけではない、ベッドの中にも大量の漫画本が持ち込まれているのは明らか。ベッドは殆ど漫画に埋もれた状態で寝る場所もない。
 「人間起きて半畳寝て一畳というが、平常どんな体勢で寝ているんだ?関節の無い動物ではあるまいし。それとも君は無脊椎動物の仲間、軟体動物の親戚か?生物学的進化を誤った生き物か?」
 「寝るときはどかしたらええ」
 ヨンイルはあっさり言う。房に溢れ返る漫画の量などたいして気にしてないらしい。対する僕は房に足を踏み入れるのをためらい、出入り口に立ち竦む。頭上には蝿が飛んでいる。
 裸電球に衝突する蝿から視線を引き剥がし、足元を見る。不用意に足を踏みいたら最後、あちらこちらに積み上げられた漫画の塔が崩落して僕まで埋まってしまう。それだけではない、この吐き気を催す異臭はなんだ?たまらず鼻と口を覆い、こもった声でヨンイルを非難する。
 「ヨンイル、房に立ち込める異臭の正体は何だ?呼吸器系に作用する毒ガスか」
 「ずいぶんないいぐさやな韓国の名産にむかって。キムチやキムチ、俺の大好物のキムチ。あとで直ちゃんにもご馳走したる」
 「貴様正気か、密閉された房にキムチを持ち込むなど……少しは来訪者のことを考えろ、誰もが嗅覚麻痺してるわけではないんだぞ!」
 食欲どころか性欲すら減退する眺めだ。韓国人は皆こうなのかという疑問が脳裏に浮かぶが、多分ヨンイルだけだろうと結論に至る。
 早速ヨンイルの房に身を寄せたことを後悔しはじめた。潔癖症の僕には耐え難い不潔さだ。ヨンイルはそんな僕には構わず、豪快に漫画の山を掻き分けずかずかベッドに歩み寄る。
 いつまでこうしてても始まらないと勇気を奮い起こし、おそるおそる慎重に房に足を踏み入れる。
 裸電球に蝿がぶつかる音が耳障りだ。こんな汚い場所に泊まるなどとんでもない、まともな神経の持ち主なら一夜とて耐え難い。
 だが、僕にはヨンイルしか頼る人物がいない。
 東棟には帰れない。帰ればきっと後悔する、サムライを激しく憎んでしまう。
 レイジとロン、二人の顔を脳裏に呼び起こす。彼らの房を訪ねる選択肢もないではないが……そこまで考え、ロンの心配げな顔が思い浮かぶ。僕が夜分遅く鉄扉を叩けば真っ先にロンがとびだしてきて、どうした何があったといつもの調子で問い詰めるだろう。
 彼に余計な心配をかけたくない。同情されたくない。
 僕はもともと同情を受け付けない体質だ。たとえロンが善意で引き止めても宿泊拒否する。ただでさえレイジ不在で精神的に不安定な状態にあるロンに僕個人の苦悩まで分かち合わせたくない。
 そうなると僕にはヨンイルしかいなかった、頼れる人間が彼しかいなかった。ヨンイルならばきっと僕の身の上に起きたことを根掘り葉掘り探り出したりしない、放っておいてくれるはず。
 彼に抱かれるならそれもいい。そういう関係になるのもいい。
 ただ、こんな汚い場所で性行為に及ぶのはごめんだ。

 「こんな汚い場所で息を吸える神経を疑う。よほど呼吸器が丈夫なんだな、羨ましい。喘息もちなら三秒で死んでいる。第一床に本をおくなど人類の叡智に対する冒涜、君には漫画を読む資格がない!仮にも図書室のヌシを自負する人間がこんなふうに本を粗末に扱っていいと思っているのか嘆かわしい、本を何十冊も積み上げたりしたら下層のページが撓んで変わり果てた姿になってしまうじゃないか!
 無学な君にはまず重力の法則を教えるべきか、ニュートンの法則から解説すべきか?よろしい、心して聞けよ。ニュートン力学では万有引力の作用は万有引力の法則こと逆2乗の法則に従い、瞬時すなわち無限大の速度で伝わるとされた。2つの物体の間には互いに逆方向の引力が働き、その力の大きさは次の式で与えられ……」

 話してるうちに興奮してきた。
 僕にはヨンイルの無神経さが我慢ならない、本を粗末に扱う人間には怒りすら覚える。床一面に散らばった本を重ねて持ち抱え、房の隅に運ぶ。それを往復何回もくりかえし、本を片付ける。
 てきぱき立ち働く僕を眺め、ベッドに座ったヨンイルが感心する。
 「おお、瞬く間に片付いてく。メイドがおると便利やなあ。直ちゃんどうせなら俺の房に住み込みで働かん?キムチの漬け方教えたるさかい」
 「キムチなど漬けたら手が汚れるし匂いが我慢ならない、却下だ。見ているだけじゃなく手伝え、本来君の房だろう!?」
 「いや、直ちゃんが好きでやってるなら放っとこて」
 「好きでやってるわけがないだろう、何故IQ180の優秀なる頭脳を誇る天才が家政夫の真似事をしなければならない!」
 再三の非難にも関わらずヨンイルは指一本動かす気がないようだ。それならそれでいい、邪魔さえしなければそれでいい。
 憤懣やるかたない面持ちで本を重ねて持ち抱え房の隅へと運び、きちんと整頓する。あらかた本を片付け終えた時にはぐったり疲れきり、そのまま座り込んでしまった。
 「わーこらまた随分とさっぱりしたなあ、見違えるようやで」
 呑気な声に殺意が芽生える。手庇を作り房を見渡したヨンイルが「さて」と腰を上げる。
 「床に空きができたことやし俺こっちで寝るさかい、直ちゃんはベッド使うてや。俺は丈夫やからええけど直ちゃんひよわやから、じかに床で寝たら筋肉痛ばっきばきで明日しんどいで」
 僕にベッドを使えと顎をしゃくり、裸電球を消し、ごろり肘枕で床に寝転がるヨンイル。毛布もかけずに寝るつもりかと驚く。
 いくら馬鹿は風邪をひかないといっても無茶だ。砂漠の夜は寒い、凍死の危険性もあるというのに……
 しばらくのち、わざとらしい鼾が聞こえてくる。
 「……寝たのか?」
 遠慮がちに声をかけるも無言。床に寝転がったヨンイルに接近、顔を覗き込む。間抜けな寝顔、豪快な鼾。
 僕はため息を吐き、靴を脱いでベッドに潜りこむ。
 ヨンイルの匂いがするベッドに身を横たえ、枕元に眼鏡を置き、毛布をたくし上げる。
 いつのまにか裸電球に蝿がぶつかる音もやんでいた。暗闇に降り積もる静寂。俗に枕が替わると眠れないというが、僕の場合もそうらしい。否、僕は慢性的に睡眠不足で体調が優れないのだが今日はいつにも増して目が冴えてしまっている。房の主のヨンイルは僕を残しあっさり寝入ってしまい拍子抜けの感が否めない。
 毛布の中で寝返りを打ち、睡魔の訪れを待つ。
 固く瞼を閉じて暗闇に自我を没する。
 『どうして嘘をつくんだい』
 耳の奥で静流の声がする。責めるでも咎めるでもない静かな口調で、ただただ純粋な疑問をつむぐ。
 『お前はもっと優しい奴だと思っていたのに、残念だ』
 針の眼光で僕を一瞥、激しく唾棄するサムライ。違う、そうじゃない、嘘などついてない。だれが静流をおとしいれるために嘘などつくものか、僕はそこまで落ちぶれてない見損なわないでくれ。双眸に冷光を宿したサムライの顔に侮蔑が浮かぶ。お前がどんな人間か知っているぞと言わんばかりの表情。サムライは僕を見捨てたのか、裏切ったのか、静流の言葉を信じるのか?
 サムライの背に庇われた静流。親密に寄り添う二人。
 「優しくなんかない」
 声に出して呟く。僕は優しくなどない、優しくなれるはずがない。ただひとりの友人、かけがえのない大事な存在が今まさに奪われようとしてるのに寛容になれるはずがない。僕は卑屈な人間だ。身内を大切にするサムライを許せないのがその証拠。友人と身内なら後者を選ぶのは当たり前なのにそれでも僕はサムライを独占したいと思ってしまう、サムライが静流に優しくするのを許せないと思ってしまう。
 サムライは僕の物じゃない。
 もう、僕の物ではない。
 『彼は君のサムライじゃない、僕と姉さんの帯刀貢さ』 
 「―っ、」
 胸が鋭く痛む。反射的に耳を塞ぐ。僕のサムライはもういない、静流との邂逅が僕らの関係をも変えてしまったのだ。僕が知るサムライはもういない、どこにもいない。その事実が重く胸にのしかかる。
 静流、サムライを返してくれ。
 喉元まで悲鳴が込み上げるも、唇を噛み締めこらえる。誰がみっともなく哀願などするものか、みじめに嘆願などするものか。サムライなど貴様にくれてやる静流、あんな男には未練がない。
 強く強く目を閉じて脳裏からサムライを追い出そうと努める、静流を追い出そうと努めるもうまくいかない。

 『帯刀貢を返してもらいにきたのさ』 
 「違う、あれはサムライだ」
 僕の、サムライだ。帯刀貢じゃない。
 『本当にそう?君がただそう思い込みたいだけじゃないの。本当はサムライなんてどこにもいないのに、君の友人のサムライなんて最初から存在しなかったのに。ここにいるのは帯刀貢という名のただの親殺し、誇り高い武士でも何でもない薄汚い人殺し以外の何者でもないのに、君が思い込みで美化していただけじゃないの?いい加減認めてしまえばいいのに、帯刀貢に騙されたって』
 「騙す?」
 『そうだよ。君はずっと騙されていたんだ、貢くんに。貢くんが真実どんな人間か知れば、君だって嫌悪を隠し切れず彼を遠ざけるに決まってる。だから貢くんは何も話さなかった、ずっと「君のサムライ」でいてくれた。美化された幻影でいてくれた。君がこれまで見ていたのは帯刀貢の虚像に過ぎない現実には存在しない人間なのさ』
 「嘘だ。サムライが現実には存在しなかったなんて認めない絶対認めない。僕は彼に触れたんだ、何度も何度も手を触れて熱を確かめたんだ。売春班に助けに来た夜のことを今でもはっきり覚えている、僕を抱きしめて必ず守ると誓った言葉を覚えている。あのぬくもりが嘘だなんて現実にはありえなかったなんて認めない!!」
 『せいぜいそうやって足掻きなよ。どのみち貢くんは僕の物、苗さんの代用品はいらなくなったんだから』
 「僕は鍵屋崎直、サムライの直だ。苗の代用品なんかじゃない意志と感情をもった一人の人間だ!!」
 両手で耳を塞いで身を縮めても静流の声からは逃げ切れない。声はどこまでもどこまでも追ってくる。
 『君が人間なものか、たかがモルモットのくせに調子に乗るなよ。試験管で生まれた君が僕らと同じ人間に分類されるとでも思ってるの。君の感情がどこまで自分の物か、君の意志がどこまで自分の物か断言できるかい?受精卵の段階で手を加えられ遺伝子を弄くられた後遺症が思考を左右してないと断言できる?君は人間になりそこねた可哀想なモルモット、試験管で生まれた人工の天才、極めつけが苗さんの代用品……』

 ―「うるさい!!!!!」―

 何かが破裂した。
 ベッドに跳ね起きた僕は暗闇にむかい怒鳴る、暗闇に潜む何者かを追い払おうと必死に手を振り回す。
 「僕はたしかに実験に使われたモルモットで試験管生まれの天才だが苗の代用品じゃない、サムライの友人だ!帯刀貢なんて知らない、そんな人間こそ存在しない!サムライは東京プリズンに来て過去を捨てた、今はサムライ以外の名を持たない僕の友人だ、僕の自慢の友人なんだ!何故今頃やってくる静流、僕がサムライなしでは生きられなくなった今頃になって彼を連れ戻そうとする?来るならもっと早くくればよかった、僕がサムライに心を許す前にくればよかった!!」
 「直ちゃん、どないした。悪い夢でも見たんか」
 いつのまにか起き出したヨンイルが気遣わしげに声をかけるのを無視、頭を抱え込む。
 動悸が激しくなる。呼吸が荒くなる。瞼の裏側が赤く燃え上がる。
 異常を察したヨンイルがベッドに飛び乗り、僕を助け起こそうとする―
 「!?っ、」
 その瞬間、ヨンイルにとびかかる。僕に押し倒されたヨンイルがベッドに手足を投げ出す。ヨンイルが起き上がるより早く腰に馬乗りになり服を剥ぎにかかる。
 「ヨンイル、僕を抱け」
 「はあ!?まだそんなん、」
 「抱かないなら僕が抱くぞ」
 脅しではない。性急な手つきで上着をはだければ引き締まった腹筋が覗き、精悍な肢体に絡んだ刺青が外気に晒される。動転したヨンイルの上着を胸までたくし上げて刺青を露出させ、今度は僕が服を脱ぐ。
 暗闇に衣擦れの音が響く。
 ヨンイルの上で腰を捻り身を捩り上着を脱ぐ、長袖から腕を引き抜き上半身裸になる。貧弱な腹筋と腺病質に薄い胸板、不健康に生白い肌が劣等感を呼び起こす。
 肌寒い外気にふれて身が竦む。鳥肌立った肌を庇うように体に腕を回し、ヨンイルを見下ろす。眼鏡がないせいで顔がよく見えないのがかえって好都合だ。
 仰向けに倒れたヨンイルにのしかかり、耳朶で囁く。
 「童貞だからやり方がわからないとでも?ならば教えてやる、感謝しろ」
 瞼を閉じて売春班の記憶を喚起。騎乗位も何回か体験した、この体勢でも問題はない。ヨンイルの股間に手をおき、睾丸をさぐりあて、優しく揉む。ズボンの上から性器をさわることに殆ど抵抗はなかった。
 ヨンイルの足の間に片手を潜らせ愛撫を続ければ、やがてヨンイルの呼吸が荒くなり、性器が固くなりはじめる。
 「なおちゃん、ちょ、やめっ……」
 「やめていいのか?感じているじゃないか」
 卑屈な笑い声を漏らしヨンイルの股間を揉むかたわら、自分自身のズボン、下着の中に片手を潜らせる。
 「!んっ………」
 ひやりとした感触。直接性器に手を触れ、指の冷たさを感じる。そして、ゆっくり動かしだす。萎縮したペニスを手のひらに握り込み緩急つけて摩擦する。
 手のひらと擦れたペニスが次第に熱をもちはじめ、快感の喘ぎが漏れる。ヨンイルがぎょっとする気配。無理もない、自分の上で突然自慰をはじめられたのだから。驚愕するヨンイルを無視、下着の中で指をくねらせペニスを強く刺激する。
 「んっ、は、はあっ……」
 体が熱く火照りだす。ペニスに血が集中する。片手でペニスをしごきつつ、もう片方の手でヨンイルの股間を貪欲にまさぐる。
 ヨンイルがごくり生唾を呑む。
 彼も興奮している。ズボンの上から股間をまさぐられ睾丸を揉まれ体が勝手に反応している。
 「は、あっ、ああっあっあ……」
 サムライのことを忘れたい、静流のことを忘れたい、その一心で自慰にふける。くちゃくちゃ粘着質な音が鳴る。ペニスの先端に透明な雫が先走り、しっとり指を濡らしているのがわかる。手に全神経が集中する、ペニスに熱が集中する。充血したペニスに五本の指を絡めて繊細な刺激を与えれば、腰がとろけるような快感に背中が仰け反る。
 「!あああああっあああっあ………」
 脊髄から脳髄へと鋭い快感が駆け抜ける。
 下着の中に白濁が爆ぜ、五本の指を濡らす。
 ぐったり弛緩した体をヨンイルに委ねて呼吸を整え、露悪的に笑う。
 「……僕が射精するところを見て性的に興奮したか?勃起してるぞ」
 事実、ヨンイルのズボンは膨らんでいた。
 動揺のあまり言葉もないヨンイルが何も行動を起こさないと悟るや、彼の首筋に顔を埋め、舌で舐めだす。首筋は人体における性感帯だ。
 舌の先端でつつくように愛撫をくりかえし、また舌の表面でたっぷり唾液を塗りつける。
 「三次元のキャラクターとは空想上でしか交われない。だが、生身の肉体をもつ僕なら君のペニスを受け容れることができる」
 サムライのことを忘れたい。静流のことを忘れたい。
 今だけでいいから忘れさせてほしい。
 発狂せんばかりの焦燥に追い立てられ、懸命に舌を使う。下着の中で糸引く指をくねらせ、白濁を捏ねる。ヨンイルが何もしないなら僕がする。体の火照りを持て余した僕はヨンイルのズボンに手をかけー……
 「!っあ、」 
 視界が反転、背中に衝撃。
 一瞬何が起きたかわからなかった。ヨンイルが突如跳ね起き僕を押し倒したのだと気付いた時には、すでに上下が逆転していた。
 僕の顔の横に手をついたヨンイルが、獰猛な眼光を向けてくる。
 「ホンマにええんか直ちゃん。後悔しても知らんで」
 背筋がぞくりとする低い声で囁き、ヨンイルが上着を脱ぎ捨てる。僕の眼前で上半身裸になったヨンイルがいつになく真剣な顔で見つめてくる。僕はヨンイルの裸身に眼を吸い寄せられる。
 首筋、胸板、腹部。
 龍の刺青に舐められた頑健な肉体。
 互いの顔も見えない暗闇でヨンイルに抱かれるところを想像し、激しい不安に襲われる。  
 「後悔などしない。早く抱け」
 僕の催促をきっかけにヨンイルが動き出す。
 ヨンイルが乱暴に僕の上着をはだけ鎖骨に口を付ける。性急であらあらしい愛撫に体が反応、おもわず声をあげそうになる。
 熱い舌が唾液の筋をひき腹筋をすべりおちる。
 ヘソのくぼみを舌で抉られ、喉が仰け反る。
 「ひっ……!」
 「初めてやから加減できひんかもしれんで。女とヤッたこともないんやから」
 「自慢、することか」
 怯惰を押し隠して虚勢の笑顔を作れば、ヨンイルもまた笑みを返す。歪む表情を見られるのが嫌でヨンイルに手を差し伸べ、抱きつき、肩口に顔を埋める。もっと、もっと刺激が欲しい。もっと快楽が欲しい。快楽に溺れて何もかも忘れ去ってしまえばラクになれる。
 「激しくしてくれ」
 小声でヨンイルに頼む。ヨンイルが僕のズボンに手をかけ、下着と一緒に脱がせる。ヨンイルが僕の足を持ち上げ、左右に開く。無様な姿勢をとらされた自分を見たくなくて目を閉じれば、瞼の裏にサムライの顔が過ぎる。
 何故そんな目で見るサムライ?
 そんな顔をする?
 そんな目で僕を見るのはやめろ。
 やめてくれ。
 静流を信じたくせに静流を選んだくせに僕を捜しにこなかったくせに僕を責めるのはやめろ、ヨンイルに抱かれる僕を軽蔑するのはよせ、よしてくれ。
 「っ……」
 来るべき衝撃に備え、固く目を瞑り、両手でシーツを掴む。脳裏にサムライの哀しげな目が浮かび、自己嫌悪が胸を苛む。ヨンイルに抱かれながらサムライを思うなど最低だ。消えろサムライ、いや帯刀貢、これ以上僕に付き纏うな!心の中で口汚く罵倒するもサムライの面影は薄まらず鮮明さを増すばかりでサムライを裏切る自責の念に耐えかね今すぐ発狂したくなる。僕とヨンイルが寝たことを知ったら彼はどう思うだろう。怒るだろうか、哀しむだろうか、汚いものでも見るように蔑むだろうか……
 『お前が愛しい』
 あの台詞はきっと、二度と聞けない。
 『お前は俺の友人だ』
 そんなふうにはきっと、言ってくれなくなる。
 胸が苦しい。苦しくて苦しくて呼吸ができない。瞼がじんわり熱くなる。どうした、何をしている、はやくしろヨンイル。はやく快楽をくれ、はやくサムライのことを忘れさせてくれ、滅茶苦茶にしてくれ!だが、いつまでたっても何も起こらない。
 不審に思い瞼を開けた僕の目に映ったのは、
 こめかみにふれる人さし指。
 「泣いとるんか」
 泣いてる?僕が?
 ヨンイルの声に促され、緩慢な動作で顔を傾げる。こめかみに一筋涙の跡ができている。目尻から零れた涙がこめかみを垂直に滴り落ちた名残り。こめかみの涙を指で拭ったヨンイルがあっさり僕の上から身を引く。どうしてやめるんだと跳ね起きた僕の顔面を囚人服が覆う。ヨンイルが床から拾い投げ付けた僕の上着だ。
 「やめや、アホらしゅうて付き合いきれん。なんで他の男にフラれてヤケになっとる奴に童貞ささげなあかんねん。俺の童貞はそない安くないで」
 「僕は自棄になってなどない、君に抱かれたいと本気で思っている!」
 「嘘つきは七色いんこのはじまり」
 ヨンイルがせせら笑い素早く服を身に付ける。上着の裾を引き下ろしてへそを隠したヨンイルが不意にまじめな顔になる。
 「俺やっぱ二次元やないと興奮せんねん、勃たんねん。生身には萌えんのがオタクの哀しいさがや。それに直ちゃん、フラれた腹いせに自分粗末にするんは感心せんで。フッた相手への仕返しで俺に抱かれるつもりならとばっちりもええとこや。俺に抱かれとる間じゅうそいつのこと考えてめそめそ泣かれたんじゃこっちも萎えるわ」
 「僕は、違う。僕はサムライへの復讐のつもりで君に抱かれるわけじゃない、僕はただ彼のことを忘れたくてそれで!」
 「ええ加減にせえ!!」
 威勢いい一喝が鼓膜を貫く。空気がびりびり震える。
 ベッドに半身を起こして硬直した僕へと大股に歩み寄り、ヨンイルが両手で顔を挟み、正面に固定する。
 ヨンイルに顔を挟まれた僕が驚愕に目を見開けば、ヨンイルが唾飛ばしてまくしたてる。
 「さっきから黙ってされるがままになっとったらぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ繰言ぬかしおって、自分フッた相手のこと忘れたいから俺利用するてあんまりやろそれは!だいいち直ちゃん俺のこと好きなんか、俺とヤりたいて本気で思っとるんか、俺に抱かれて後悔せんて断言できるんか?できんやろ、無理やろ。自暴自棄で抱かれたらのちのち後悔するに決まっとる、吐き気するほど自分が嫌いになって死にたくなるに決まっとる!」
 「吐き気ならもうしてる、吐き気がするほど自分が嫌いになってる!」
 「せやけどまだ生きてる、生きとるなら自分を粗末にすな、ホンマに好いた男以外に抱かれようとすんな!!」
 「じゃあどうすればいい、僕が抱かれたい人間は今頃別の人間を抱いている、僕以外の人間を抱いているのに僕はどこへ行けばっ…」
 その瞬間。
 ヨンイルが優しく力強く僕を抱擁する。
 「……今晩はこれで許してや。直ちゃんがしんどいのはようわかったけど、俺やっぱ、直ちゃんとそういう関係になれん。直ちゃんとはこれからもダチでいたい、手塚仲間でいたいねん。それに直ちゃん、別に好きな男おる奴抱いてもむなしいだけや。好きな男の身代わりにされて喜ぶほど西の道化はおちぶれてへんねん、生憎と」
 ヨンイルが笑う。こんなことしかできなくてすまないと謝罪するように僕の目を見て、笑う。  
 僕はもう何も言えなかった。体を包み込むヨンイルの腕のぬくもりにいつかのサムライを思い出し、手足の力が抜ける。
 「しんどかったらまわりの奴頼ればええねん。レイジもロンも俺も力貸したるさかい、ダチやと思ってくれたらいい。皆直ちゃんのこと心配しとるんや。直ちゃんがぽきんて折れそうになったらこうして支えたるから、いつもみたく毒舌返してくれたらええ」
 優しい声が鼓膜に沁みる。ヨンイルの胸に顔を埋め、人肌のぬくもりに安堵を覚える。
 「こんなくそったれた監獄で出会うたのも何かの縁や。なあなあで寄りかかって生きてこうや。何も恥ずかしいことやない。俺も東京プリズン来るまでようわからんかったけど、ダチってそういうもんやろ。互いに寄りかかって何とか支え合うとる奴のことやろ」
 言葉通りヨンイルに寄りかかる僕に、ヨンイルもまた寄りかかる。
 「ひとりで立てへんときは寄りかかってええんやで。泣いてええんやで」
 温かい手が背中をさする。大きく深呼吸した僕は、しっかりした口ぶりで言い返す。
 「………泣くものか。IQ180の天才のプライドに賭けて泣くものか」
 「さよか」
 「さっきはキムチの匂いが涙腺に沁みたんだ。生理現象の涙だ。邪推するな」
 「さいでっか」
 ヨンイルが柔らかく苦笑する気配が伝わる。
 片手で床を手探り、無造作に放り出したゴーグルを掴んだヨンイルがおもむろにそれを僕の顔にかけ、目の位置にずり下ろす。
 突然視界が暗くなり当惑した僕は、ヨンイルが優しく諭す声を聞く。
 「俺が東京プリズンに来たばっかの頃。まだほんのガキで、まわりの奴に泣かされてばっかで、頼れる人間なんかひとりもおらんかった時、じっちゃんからもろたゴーグルがごっつええ感じに役立ったんや。ゴーグルしとけば泣き顔バレへんやろ?かっこ悪い自分見せずにすむやろ?せやからな、ゴーグルしとったら安心して泣けるんや。じっちゃんのこと思い出しておもいっきり泣けるんや」
 ゴーグルに覆われた視界にヨンイルを映す。
 ヨンイルは少し照れくさげに鼻の下を擦っていた。やんちゃな悪ガキといった風情の憎めない笑顔。ベッドに腰掛けた僕はそのまま首を項垂れ、足元に呟きを落とす。
 「こんな物役に立たない」
 そっとゴーグルに触れる僕を、傍らにたたずむヨンイルが無言で見守る。僕は深々と首を項垂れる。胸の痛みが激しくなる。張り裂けそうな胸の痛みに耐えて顔を伏せ、震える声で吐き捨てる。
 「こんな物……」 
 語尾は嗚咽に紛れて消えた。かすかに嗚咽を零す僕の肩を抱き、ヨンイルが言う。
 「明日、房に帰ろうな。東棟まで送ったる」
 力なく首を振り帰りたくないと主張するも、ヨンイルは却下する。
 「ロンロンやレイジが待っとる。直ちゃんの大事な人が心配しとる。せやから帰ろうな」
 重ねて促され、駄々をこねるように左右に振りかけた首が垂直に落ちた。ロン、レイジ、サムライの顔が続けざまに浮かぶ。東棟にはもう居場所がないと思っていたが、ヨンイルはそうじゃないと断言する。僕は東棟に帰られなければいけないと言う。
 ならば、そうするしかないではないか。
 サムライが迎えてくれると信じて、東棟に帰るより他ないではないか。
 「……ヨンイル、ひとつ聞かせてくれ」
 「なんや」
 説得された悔し紛れに、嗚咽の隙間から不明瞭な声を搾り出す。
 ゴーグルの内側で涙を零しながら、ひどく無理して強気な笑みを浮かべる。
 「君こそ、僕を抱かなくて後悔はないか?」
 ことによると一生に一度かもしれない童貞を捨てる良い機会だったのにと皮肉れば、ヨンイルが笑いながら首を竦める。
 「そりゃお前、ガムガムパンチの最後のページが接着剤で糊付けされて無理矢理ひっぺがそうとしたらページびりっと破けてもうたああああああ!!!!くらいに後悔しとるけどな」 
 ……わかりにくいたとえだが、どうやら相当後悔してるらしい。

 翌朝。
 まだ暗いうちにヨンイルに付き添われ東棟に戻る。起床時刻より少し早い為に囚人は寝静まり、廊下には静寂が立ち込めている。
 「ほなら直ちゃん、元気でな。相棒とまた喧嘩せんようにな」
 「『また』は余計だ。用が済んだら西に帰れ道化、二人でいるところを目撃されたら僕の立場がまずくなる」
 「それが一晩泊めたった恩人への仕打ち?相変わらずつれへんなあ、昨日はあんなに情熱的やったのに」
 「……昨夜のことは忘れろ。僕はどうかしてた。人生最大の失態にして失策、一生の不覚だ」
 冗談めかしたヨンイルの台詞に自己嫌悪がぶり返す。昨夜の僕は錯乱状態にあり、自分からヨンイルを誘惑するという平常考えられない行動にでてしまった。魔が差したというしかない。いかにサムライの態度にショックを受けたからといってあれはない。しかも相手はヨンイルだ。ありえない。
 「簡単に忘れられへんて、俺の上で背中仰け反らせてイってもうたくせに。結構色っぽかったで?こう、ぐっときた」
 「フォローになってないばかりか二次元にしか欲情しない道化が言っても説得力皆無だ」
 こぶしを振り上げて力説するヨンイルにうんざりする。二人で会話しながら廊下を歩むうちに房が見えてきた。僕とサムライの房。
 鉄扉の前に佇み、緊張する。昨日一晩帰らなかった僕が鉄扉を叩けば質問攻めにされるに決まってる。
 「叱られるのがおっかないなら俺がノックしたろか」
 「問題を複雑化させる要因は極力排除したい」
 ずうずうしくしゃしゃりでてきたヨンイルを押しのけ、覚悟を決めてこぶしを掲げ、控えめにノックする。応答はない。サムライはまだ寝ているのだろうか?無理もない、まだ夜も明けきらぬ時間帯だ。諦め悪くノブを捻った僕は、錠が下りてないことに気付き愕然とする。
 「開けっ放しで寝たんかい?無用心やなー」
 ヨンイルが眉をひそめる。
 薄く開いた鉄扉の向こう側に目を凝らせば胸騒ぎが強まる。 
 鼓動の高鳴りを意識しつつ鉄扉を押し開け、中に踏み込もうとして硬直。
 房の片隅のベッドにサムライが寝ている。
 その上にだれかが跨っている。囚人服のズボンを下ろし、裸の下半身を晒し、こちらに背中を向けて。
 サムライの股間に腰を埋めていた少年が振り返り、僕らを認めて嫣然と微笑む。

 静流、だった。

少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050607142951 | 編集
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