ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

最近のトラックバック
ブロとも申請フォーム
スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

関連記事 [スポンサー広告]
スポンサー広告 | コメント(-) | ------------ | 編集
四十一話

 『僕と静流どちらが大事なんだ!?』
 『お前も静流も大事だ!!』
 
 記憶の中の声から逃げるように足を速める。
 図書室の喧騒を抜けてひたすらコンクリ剥き出しの陰気な通路を歩く。一歩踏み出すのも今の僕には億劫な重労働だ。上着の脇腹に手をやり、吐き気を堪えて口元を引き結ぶ。
 通路をさまよい歩きながら思い出すのは先刻の光景。
 僕の訴えを嘘と決め付け静流を背に庇うサムライ。
 『お前はもっと優しい奴だと思っていたのに、残念だ』
 何が残念だ?勝手に軽蔑するな、勝手に買いかぶって見損なうな。
 僕は優しくなんかない。
 少なくとも、サムライが言うようには。
 否、「彼の信頼に足る人間ではなかった」と過去形で語るべきか?僕の友人だった男はすでにいない。生まれて初めて信頼した他人、恵以外に初めてかけがえのない存在と痛感したただ一人の男はどこかへ消えてしまった。
 まるで、最初から存在しなかったみたいに。
 かつてサムライと名乗り僕の為に剣を取り死闘に挑んだ男はもういない。さっき図書室で静流と抱き合っていたのは僕の知らないもう一人のサムライ、否、サムライの真実の姿……帯刀貢。
 サムライにも僕と同じく捨てた名前があった。
 東京プリズン入所に際し敢えて戸籍とは違う名を自称した。
 その選択が正しいか誤りか判断できなくともそうせずにはいられなかった。戸籍上の父親たる鍵屋崎優がつけた名前を憎み、仮の名前ナオを名乗り続ける僕。誇り高き帯刀の家名を捨てただのサムライとして生きる彼。名を変えた理由こそ違えど過去と決別したかったのは同じだ。
 だが、再び「過去」は現われた。サムライと幼少期を過ごした親戚の少年の姿を借りて。
 数年の歳月を経て再び立ち現われた過去は、一瞬のうちにサムライを帯刀貢へと引き戻した。いかに強靭な意志と高潔な精神の持ち主とて過去の亡霊には抗えない。思い出は美化される。過去は永遠だ。サムライは優しい男だ。
 静流を振り切れるわけがなかったのだ、最初から。
 「……………!っ、」
 衝動に駆られて壁を殴り付け、きつく唇を噛み締める。
 閉じた瞼の裏側に浮上する光景……図書室の最奥、巨大な書架に塞がれた薄暗がりで抱擁する二人。
 嗚咽を堪える静流を背に庇い僕に手を上げるサムライ、赤く染まった憤怒の形相、苛烈な眼光。僕はまだはっきりと覚えている、僕を殴ろうとサムライが手を振り上げた瞬間のことを。
 サムライは本気だった。本気で僕を殴ろうとした、殴って黙らせようとした、静流への侮辱をやめさせようとした。風圧で前髪が舞い上がり反射的に目を閉じたが、予期した衝撃はいつまでたっても訪れず、慎重に瞼を開ければ手を振り上げた姿勢のまま硬直していた。

 その時の顔を何と形容したらいいだろう。
 幻滅、失望、落胆……
 それらの感情が綯い交ぜとなった、正視に耐えない悲痛な表情。

 哀しげに僕を見下ろす目はためらいがちに揺れていた。固く引き結んだ唇は血の気が失せていた。
 サムライの顔に亀裂が走る瞬間を見た、サムライの心が裂ける音を聞いた、僕たちの間にあった何かが断ち切れる音を聞いた。
 最初に感じたのは屈辱でも怒りでもなく衝撃と絶望だった。

 かつて僕を抱いた手で、僕を殴ろうとした。
 売春班の客と同じように。

 僕に手を上げたサムライと売春班の客を重ねて見ていると自覚した時、自分自身に絶望した。自分自身を軽蔑した。たった一回サムライが手を上げただけで、かつてさんざん僕を苦しめた売春班の客と大事な友人とを同類認識してしまう思考回路に吐き気を覚えた。

 本当に逃げ出したかった相手はサムライじゃない。
 サムライを憎んでしまった僕自身だ。

 「………滑稽だな」
 図書室には戻れない。サムライが待つ房には帰れない。彼と会うのが怖い、静流と一緒にいるところを見るのは耐えられない。
 静流。
 図書室の鉄扉に凭れた僕をほくそ笑み眺める静流。
 サムライの肩に手をかけ、さりげなく身を摺り寄せ、優越感に満ちた笑みを湛え……
 『どうして嘘をつくんだい?』
 「鍵屋崎、どこだよ!いるなら返事しろよ!」
 「!」
 僕を現実に引き戻したのは聞き慣れた声……ロンの呼び声。
 コンクリ壁に跳ね返る生きのいい呼び声は次第に近付いてくる。
 お人よしなロンが図書室から逃げた僕を心配して捜しにきたのだろうと直感、どこか隠れる場所はないかとあたりを見回す。
 今図書室に連れ戻されるわけにはいかない。僕の焦りとは裏腹に足音は急速に近付いてくる。
 「……くそっ、お節介しか取り得がないのかあの低能は!?」
 口汚く毒づく。
 僕のことなど放っておけばいいのに、わざわざ捜しにくる必要性などこれっぽっちもないのにと心の中で愚痴りながら手近な通路にとびこむ。
 「鍵屋崎どこ行ったんだよ?図書室出て速攻迷子になるなんて方向音痴にしても器用すぎだぜ」
 心外だな、故意に身を隠してるというのに。
 通路の薄暗がりに潜み、ロンの気配が去るまで息を殺してひたすら待つ。靴音が大きくなる。
 ロンの呼び声も大きくなり、比例して心臓の鼓動が高鳴る。
 ロンは二階の手すりから僕らのやりとりを目撃したはず、今彼と顔を合わすのはどうしても避けたい。コンクリ壁に背中を付けてロンが通過するのを待っている間に、反対側から別の靴音が近付いてくる。
 僕が隠れている通路と接続した廊下の反対側から歩いてきた人物が、素っ頓狂な声をあげる。
 「なーに黄昏とんのや、ロンロン」
 なれなれしく声をかけられ、すぐそこまで来ていたロンが立ち竦む気配。顔を見なくてもわかった、声の主はヨンイルだ。そのまま立ち話が始まる。……まずいことになった。ヨンイルとロンが立ち話している為出るに出られず、手狭な通路に身を隠したまま二人の会話を盗み聞く羽目になり居心地の悪さを覚える。
 「だれだよマチコって。俺にわかる言葉で話せよ」
 「気にすんな、俺が惚れとる二次元の住人や」
 ロンの不満げな訴えをのらりくらりと道化がかわす。
 「お前がここにいるってことはレイジはどうしたんだよ、一緒に呼ばれたんだろ!?ならなんで一緒に帰ってこねえんだ、お前ひとりだけ大手振って帰ってくんじゃねえ!」
 「レイジ?あいつどうかしたんか」
 「だってお前ら、昨日一晩中一緒にいたんだろ?こないだの花火の件で所長に絞られてたんだろ。違うのか」
 「確かに所長室にお呼ばれしとったけどレイジとは会わへんかったで。第一俺が所長室におったんは二時間程度、一晩中所長の爬虫類顔見てたら吐き気頭痛眩暈その他症状に悩まされてぶっ倒れてまうわ」
 どういうことだ?レイジとヨンイルは一緒にいたんじゃないのか?
 「……じゃあ、レイジはどこだよ。なんで昨日一晩帰ってこなかったんだよ」
 ロンの思い詰めた顔が目に浮かぶ。
 僕の予想ではヨンイルもレイジと一緒に所長室に呼ばれたはずだが、ヨンイルだけ先に帰されたということは……レイジは現在どこにいる?花火打ち上げの件で呼び出されたのなら主犯のヨンイルこそ事情聴取が長引いてしかるべしなのにと疑問を抱く。
 ロンも同じ心境らしく、語気を荒げてヨンイルを問い詰める。
 不穏な気配。
 通路から慎重に顔を出して様子を窺えば、壁を背にしたヨンイルにロンが食ってかかっていた。
 「ヨンイル、教えてくれ。レイジは無事なのか、ちゃんと帰ってくるのか?怪我なんかしてねえよな、あいつめちゃくちゃ強いから大丈夫だと思うけ所長には向かって酷い目遭わされたりしてねえよな。看守に乱暴されて手足一本や二本折られたりは」
 「落ち着けロンロン」
 「落ち着いてられるかよっ!!」
 ロンが激発する。
 癇癪を起こしたように怒鳴り、ヨンイルの胸ぐらを掴む。
 おもわず飛び出しかけた僕を制したのは、それに続く長い独白。
 「ちきしょうあのクソ所長兄弟揃って陰険だ、レイジの奴どこに連れてったんだよ!?花火の件でとっちめられてるなら何で張本人のお前よか帰り遅いんだよ、説明しろよ!レイジはただお前の打ち上げ手伝っただけじゃんか、何も悪ィことしてねえじゃんか!
 そりゃ夜中にどでかい音させて近所迷惑だったけど五十嵐の門出の祝いなんだからそんくらい大目に見たってバチあたらねえだろが、『上』の連中は何考えてんだ、そんなにレイジいたぶるのが楽しいってのかよ!レイジはああ見えて寂しがり屋なんだ、寂しがり屋の王様なんだ、レイジには俺がついてなきゃ駄目なんだよ、引き離されたらだめなんだよ!」
 ロンがヨンイルの胸ぐらに縋り付き、力なく首を項垂れる。
 「……レイジに会いてえよ。レイジに会わせてくれよっ」
 胸も張り裂けそうに悲痛な叫びが殷々とこだまする。
 「大丈夫や、ロンロン。安心しぃ。あいつのこっちゃ、そのうちけろりと帰ってくる。東の王様はお前にベタ惚れや、お前遺していなくなったりせえへん。絶対に」
 「……でたらめ言うな」
 「でたらめちゃう。ダチが言うんやから間違いない」
 赤ん坊をあやすみたいにロンの背中を撫で、道化が力強く断言。 
 「お前、俺とレイジが何年ダチやっとる思うてんのや?レイジは必ず戻ってくる。王様のダチが言うんやから間違いない。アイツはタフやから一晩中説教食らったくらいでへこたりせん。今頃もう房に戻っとるんちゃうか?はよ帰ってとびっきりの笑顔で迎えたれ。俺もこれから西の連中に顔見せにいかなアカンのや、心配性のファンが図書室で待ちわびとるさかい」
 そう言って底抜けに明るく笑うヨンイルに魅せられる。
 彼に人望が集まる理由が少しわかった気がした。ヨンイルはきっと、落胆した人間が今いちばん欲しいと切望する言葉をかけられる人間なのだ。なんら気負いなく、ごく自然に。
 「……なるほど。西のトップに選ばれたのには相応のワケがあるか」
 小声で独りごち、感心したふうにヨンイルを眺める。道化に対する評価を改めた僕の視線の先、ロンが元気になったのを確認してなぜか安堵する。
 それから二言三言交わし、ロンが突然走り出す。まずい。咄嗟に首を引っ込めた僕を無視、というより最初から気付かず全速力で行き過ぎたロンが10メートル向こうで急停止、ハッと振り返る。
 「ヨンイル、お前鍵屋崎見なかったか?こっちに駆けて来たはずなんだけど途中で見失っちまって」
 「直ちゃん?さあ、見いひんかったで。迷子になる年ちゃうし今頃房に戻っとるんちゃうか」
 ヨンイルが肩を竦めて付け加える。
 「お前も心配性の仲間やな」
 快活に笑い飛ばされ、ロンがばつ悪げな顔になる。
 再び走り出したロンに手を振り、ヨンイルがずかずか大股にこちらにやってくる。

 「ロンロンは行ったで。座敷女みたいに隠れとらんでええ加減でてこんかい、直ちゃん」

 心臓が跳ね上がる。いつから気付いていたんだ、僕が潜んでいることに?
 無造作な足取りで接近するヨンイルにしぶしぶ降参、物陰をでる。
 「性格が悪い男だな君は、気付いているなら気付いているでそう言えばいいじゃないか。僕を庇って恩を売ったつもりなら生憎だが、君の偽善的行為に対してはなんら感謝を抱いてないぞ」 
 「直ちゃんに恩を売るなんてそんな滅相もない、利子が何十倍にも膨れ上がりそうでおっかない。安心しぃ、あんた庇ったんはたんなる気まぐれや」
 気楽なヨンイルに毒気をぬかれる。
 正直、今は道化と歓談する気分じゃない。情緒不安定なせいかヨンイルの笑い声が癪にさわってしかたない。そのまま礼も言わず背中を向ければ、片方の肘を掴まれる。
 「漫画のインクで汚れた不潔な手でなれなれしくさわるな、非常に不愉快だ」
 「どこ行くんや直ちゃん、そんな酷い顔色で」
 「君に指摘されるまでもなく常時顔色が悪い自覚はある。邪推するな、僕は常日頃から貧血状態なんだ。僕にとってはこれが普通の状態なんだ。たとえ病人と間違われるほど顔色が悪く肌が青白くても日常生活には支障ない」
 「いや、しょっちゅう貧血起こしまくっとったら支障ありまくりやろ?意味わからんで」
 「同じ次元で話してないから理解不能で当然だ。君が住まう二次元宇宙と僕がいる三次元では本来意思疎通は不可能だ。……いい加減放してくれないか?肘を掴まれてたらどこにも行けないじゃないか」
 「行くあてあるんか?」
 「え?」
 唐突な問いに虚を衝かれ、眼鏡越しにヨンイルを見つめる。
 ヨンイルはいつになくまじめな顔で僕を見返していた。
 「なにがあったか知らんけど今の直ちゃんおかしいて。絶対おかしいて」
 「おかしくない」
 「なら医務室行くか?俺が途中まで送ったるから東棟に帰る?」
 「帰りたくない」
 まずい。
 ついヨンイルのペースに巻き込まれて本音を吐露してしまった。
 眼鏡のブリッジを押さえて俯けば横顔に視線を感じる。人の顔をじろじろ見るな不愉快だという非難が喉元まで込み上げるが発声には至らない。……居心地が悪い。一刻も早く立ち去りたいが、ヨンイルに挙動不審を指摘された以上逃げるように背を向けるのはプライドが許さない。
 「ホンマどないしたんや。また相棒と喧嘩か」
 「関係ないだろう。興味本位の詮索はプライバシー侵害だ、恥を知れ」
 「図星か」
 ヨンイルがこれ見よがしにため息を吐き、反感が頂点に達する。
 乱暴にヨンイルの手を振りほどき、服に肘を擦り付ける。
 厄介な男につかまったと内心不運を呪う。神経質に眼鏡のブリッジに触れる僕を眺め、ヨンイルは壁に寄りかかる。
 「相変わらずしんどい生き方しとるな直ちゃん。ある意味感心するでホンマ。自分気付いてへんかもしれへんけど、今にもぶっ倒れそうな顔色でふらふらほっつき歩いて危なっかしくて見てられへんわ。こっから東棟まで一人で帰れる?いや、そもそも帰る気あるんか?相棒と顔合わすの気まずぅて一晩中ほっつき歩いとるつもり?アホ。直ちゃんみたいな生っ白くて細っこいのが丑三つ時にほっつき歩いとったらおっかないオオカミさんが群れてやってくるで。暇人どもに強姦されるのがいやなら就寝時刻来る前に大人しくおうちに帰り」
 「帰る家などない」
 「『房』にお帰り」
 「僕を必要としない人間のもとになど帰りたくない!」
 脳裏に蘇る先刻の光景、静流と仲良く寄り添うサムライの姿。第三者が立ち入れない親密な空気。サムライが僕を必要としない、その事実を認識するのが苦痛だ。今房に帰ればきっと後悔する、サムライを激しく憎んでしまう。ならば一晩中歩き通して時間をつぶしたほうがマシだ、遥かにマシだ。たとえ性欲を持て余した囚人に強姦されたとしても、サムライを失った現実を受け止めるよりマシだ。
 感情的に叫び返した僕にヨンイルが目を丸くする。だが、一度堰を切った激情はとまらない。
 屈辱に震えるこぶしを体の脇にたらし、本来サムライにぶつけるはずの怒りを凝縮してヨンイルに転化。
 抑圧に抑圧を重ねた感情を解き放つ。
 「サムライの隣には静流がいる、彼はもう僕を必要としない、彼の隣に居場所がないのに今更どの面下げて房に帰ればいい!?恵を失ってから僕にはサムライだけだった、サムライだけが拠り所だった、ああいいだろう認めようじゃないか僕は彼に生きる意味すら依存していたんだ!!以前の僕は生きる意味すら他者に依存する人間を軽蔑していた、生きる意味すら他者に依存せねばならない惰弱さを憎んでいた!しかしいつのまにか僕自身がそうなってしまった、IQ180の頭脳の持ち主たるこの僕自身がサムライに依存することでどうにか生き延びていた、彼のそばにいたいが為にただそれだけの理由で一日一日を生き延びてきたんだ!!」
 そうだ。
 僕がこれまで生き延びてこれたのは、サムライのそばにいたいという動機があったから。
 サムライと一緒にいたいから、ただそれだけが今日まで僕を生かしてきたというのに。
 「……ここを出て恵に再会するという目標に成り代わり、サムライとただ一緒にいたいという単純な理由が、そんな馬鹿げた動機が、いつのまにか僕の生きる意味になってしまった。鍵屋崎直が生きる意味になってしまったんだ。おかしいだろう?おかしければ笑えヨンイル、存分に嘲笑しろ、サムライに縋らねば生きてけない僕の惰弱さを容赦なく嗤ってくれ!何故だ?僕は天才なのに、他者に縋らなくても自立して生きてけるだけの能力を備えていたのにどうして」

 どうしてサムライがいなければ駄目なんだ?
 サムライがいないだけでこんなにも不安なんだ?
 どうして。
 どうして。
 
 僕を抱きしめる腕の感触を忘れられない。
 優しい眼差しを忘れられない。
 僕を愛しいと言った、あの言葉を信じたいと思ってしまう。 
 今でも静流より愛しく思っているはずだと、ありもしない希望に縋ってしまう。

 「どうしてこんなにも、あんな男を求めてしまうんだ……」
 語尾は萎えて、声は掠れて消えた。自分の体がバランスを失ったのにも気付かなかった。視界がぐらりと揺れる。転倒。
 ヨンイルが素早く手をさしのべてよろけた僕を抱きとめる。ヨンイルの腕に支えられ、のろのろと顔を上げる。胸に凝る熱を吐き出そうと声を荒げてみたが、激情を吐露したところで喪失感が深まるだけ。サムライがいる房には帰れない、顔を見るのが辛い。
 「…………房には帰りたくない。僕が僕でいられなくなる」
 ヨンイルの腕に身を委ねる。冷静さを失った僕とサムライが一緒にいれば互いを傷付けあうだけとわかりきっているのに、今更房に戻れない。ヨンイルの腕の中で顔を伏せ、張り裂けそうな胸の痛みに耐える僕の耳朶に優しい声がふれる。
 「なら、俺の房に来んか」
 弾かれたように顔を上げれば、ヨンイルが照れくさげに笑っていた。僕を抱きとめた際に上着の袖が捲れ手首が露出していた。健康的に日焼けした手首に巻き付く蛇腹の刺青、蛍光灯の光に鮮烈に照り映える緑の鱗に目を落とす。
 四肢から力を抜いた僕の肩を軽く揺すり、ヨンイルが八重歯を覗かせる。
 「行くとこないなら俺んとこにこい。一晩くらい泊めたる。遠慮はいらん、同じ手塚ファンのよしみじゃ。手塚治虫の良さについて朝まで語り明かそ」  
 豪気に笑うヨンイルに引き込まれ、知らず知らずのうちに頷いていた。否、ヨンイルに肩を揺さぶられたはずみにがくんと頭が垂れたのかもしれない……どちらでもいい。
 ヨンイルに手を借りて立ち上がった僕は、袖口から覗く刺青を目で追う。
 「ヨンイル」
 先に立って歩き出したヨンイルが振り返る。所在なく廊下に立ち尽くした僕は、鼻梁にずり落ちた眼鏡を直す気力もなく項垂れていたが、やがてサムライへの反感とも反発ともつかぬ感情に駆り立てられて顔を上げる。

 結局、サムライは僕を捜しにこなかった。
 僕は完全に見捨てられた。
 それが答えなら、もういいじゃないか。

 下腹部で腕を交差させ、自分を抱きすくめる。
 徐徐に腕の位置を上げ、肩を抱く。
 蛍光灯が青白く冷え冷えと輝く廊下にてヨンイルと対峙。服の上から胸を庇う挑発的なポーズをとり、力無く自嘲の笑みを吐く。
 「ひとつ聞くが、僕を房に連れ帰るのは不純な動機からか。僕を抱きたいからか」
 口の端が引き攣り、笑みが強張る。ヨンイルは当惑。構わず腕に力を込める、そうやって自分を抱くことで体の奥底から突き上げる衝動を抑圧するように。もう何もかも忘れてしまいたい、サムライのことなど忘れてしまいたい、頭から完全に追い出してしまいたい。
 苦痛でも快楽でもいい。彼のことを忘れさせてくれるならどちらでもいい、強い刺激が欲しい。
 現時逃避の刺激を求める惨めな気持ちをひた隠し、媚びるような微笑を浮かべる。
 「抱いていいぞ」
 「はあ!?」
 ヨンイルの顔が驚愕に強張るのをいっそ笑い出したいほど愉快な気分で眺め、口の端をさらに吊り上げる。肩に回した腕から力を抜き、だらりと体の脇に垂らし、大股にヨンイルに歩み寄る。一歩踏み出すごとに道化が近付いてくる。僕はひどく冷静だった。心はひどく醒め切っていたが、刺激に飢えた体が疼いていた。
 静まり返った廊下に靴音が反響する。
 天井高く靴音を響かせてヨンイルに接近、売春班にいた時「最もそそる」と言われた仕草を意識的にしてみせる。
 わずかに首を傾げ、囚人服の襟刳りから鎖骨を覗かせる。
 華奢な首筋から鎖骨にかけて、日頃積極的に人目に晒すことない生白い肌を強調する。
 「なにも後ろめたいことはない、僕と君とは共犯だ。需要と供給が成立するならそれに越したことはない。健全な肉体の持ち主なら性欲が存在して当たり前だ。君も自慰ばかりでは飽きるだろう?売春班上がりのテクニックに通じたこの僕が相手をしてやるから光栄に思えと言ってるんだ」
 「ちょ、直ちゃんいきなりどないしたん?『ふたりエッチ』でも読んでむらむらきたん、」
 狼狽しきったヨンイルの正面で立ち止まり、その胸ぐらを掴む。
 「………こう言えばわかりやすいか?体が疼いて疼いて仕方ない、今夜は眠れそうにない。僕は今夜だれかに滅茶苦茶に抱かれたい気分なんだ。快楽でも苦痛でもいい、脳内麻薬が大量分泌される刺激が欲しい。はっ、タジマの言う通り僕は淫乱だ!不愉快だが認めようじゃないか、僕はもはや男なしでは生きられない体になってしまったんだ。ならばそういう風に生きて何が悪い、何も悪くはないだろう。どうせここではそうやって生きるしかない、僕がだれに抱かれようが哀しむ人間はいない、そんな物好きはいやしない絶対に!!」
 眼前にヨンイルがいる。戸惑いがちに僕を見つめている。
 同情の眼差しに胸がざわめく。そんな目で僕を見るなと罵倒するかわりに胸ぐらを締め上げる。
 「命令だ。僕を抱け、龍一」
 そこで一呼吸おき、露悪的な笑顔を見せる。
 本気だとわからせるためにヨンイルの首筋に顔を埋め、龍の刺青を舐める。塩辛い汗の味。唾を吐きたくなるのをこらえ、熱を煽り立てようと舌を使い、唾液を捏ねる音で劣情をそそる。
 「最初に断っておくが僕はとんでもない淫乱だ。退屈させるなよ、童貞」
 
 そして僕は。 
 絶望を忘れる為に欲望に身を委ねた。 

少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050608164528 | 編集
ブログ内検索
     © 2017 ロールシャッハテストB  Designed by 意地天
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。