ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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三十七話

 その晩レイジは帰ってこなかった。
 レイジ拉致事件は東棟で話題となった。レイジが連れ去られた廊下には物見高い野次馬が群れて僕をはじめとする無関係な通行人の進路を妨害した。図書室帰りに廊下を歩いていた僕はわけもわからぬまま、レイジを見送る野次馬の群れに揉まれてひどい目に遭った。
 囚人間にはさまざまな憶測が乱れ飛んだ。
 就任演説を妨害した一件がもとで目をつけられて呼び出されたのだと主張する者もいれば、ヨンイルの花火打ち上げに関わった容疑で事情聴取されているのだと推理する者もいた。
 が、真相は不明。
 どんな誠しやかな噂も憶測の域をでず真偽は判然としない。
 レイジ不在の房で不安な一夜を過ごしたロンの憔悴は激しく、強制労働中は集中力を欠いて些細なミスを連発した。
 心ここにあらずで強制労働を終えたロンは夕食中も塞ぎこみ、僕の問いかけにも生返事を返すばかり。僕が「ロン、味噌汁をこぼしてるぞ」と口うるさく指摘しても「ああ、こぼれてるな」鈍い反応を返すのみで、片手に預けた椀を持ち直そうともしない。
 今の彼にふさわしい言葉はこれに尽きる。
 腑抜け。
 僕も決して多弁ではないが、いつもうるさいレイジが消えてツッコミを入れる相手をなくしたロンの意気消沈ぶりたるや凄まじいもので、惰性で夕飯を咀嚼する間は陰鬱に黙り込み卓上には食器が触れ合う音のみが響いた。
 ロンの隣には空席がある。レイジの指定席。
 ロンの隣にちゃっかり座を占めたレイジはいつもだらしなく頬杖つき、気まぐれにフォークを振り回して夕飯をつついていたが、今日は姿が見えない。
 周囲の喧騒から取り残された空席を一瞥、ロンがため息をつく。
 さっきからずっとこの調子で食事も進まない。サムライはといえば、ロンの異変には気付いているが不用意な発言で彼を刺激してはいけないと自重している。
 使えない男だ。
 「……馳走さん」
 ロンが上の空で手を合わせる。カウンターに食器を返却しようと歩き出したロンを追い、立ち上がる。
 「待て、ロン!」
 味噌汁の残りを啜り、小走りに駆け寄る。
 食堂の雑踏に埋もれたロンに途中で追いつく。トレイを抱えて振り向いたロンは、僕を認めても特に反応を示さず、「……ああ。お前か」とぼんやり呟くのみ。
 発作的にロンを呼び止めたはいいものの、言葉が続かず狼狽する。
 このままロンを房に帰してはいけないと理性が叫び、本能が追わせたのだが、たった一晩で激しく憔悴したロンをいざ目の前にすると動揺を隠せない。
 「……レイジはまだ帰ってこないのか?」
 「音沙汰ねえよ。昨日連れてかれたきりだ」
 ロンがぶっきらぼうに吐き捨てる。
 こうして向き合えば瞼が腫れているのがわかる。レイジの無事を祈り続けて転々と寝返り打ち眠れぬ夜を過ごしたせいだ。寒々しい房で一晩中、いつ帰ってくるかわからないレイジを待ち続けて独り毛布に包まっていたのだろう。
 カウンターに接近、トレイを返却。
 ロンに向き直り、尊大に腕を組む。
 「僕が口に出す件でもないが、心配には及ばない。レイジは以前から素行不良の問題として『上』に目を付けられていた。連戦連勝無敵無敗のブラックワーク覇者、恐れる者ない東棟の王様として自由気ままに振る舞っていたじゃないか。新任の所長がレイジを呼び出したのは東京プリズン最大の危険人物と目される彼の人となりを把握しておきたかったからだ。僕の推理は正しいと自信をもって断言する」
 半信半疑の様子で押し黙ったロンと対峙、一息にまくしたてる。
 「天才の推理が信用できないのか、この優秀なる頭脳が導き出した論理的帰結が間違っているとでも?低脳の分際で天才を否定するとは不愉快な人間だな君は、何様のつもりだ。王様の飼い猫様か。
 まあいい、じきに真実がわかる時がする。レイジの帰還はもうすぐだ。レイジが呼び出されたのは失笑を禁じえないくだらない理由だ。レイジは初日の就任演説を妨害した一件でブラックリストに載せられたんだ、性格異常の人格破綻者たる但馬の兄に目を付けられたんだ……いや待てよ。そうか、そちらが正しいか」
 「そっちってどっちの方向だ。あさってか」
 漸く顔を上げたロンがうろんげに問う。いい兆候だ。
 微妙にずれているが今日初めてまともな反応が返ってきたことに内心安堵、眼鏡の位置を直して畳み掛ける。
 「先日レイジはヨンイルの花火打ち上げに協力した。彼が所長室に喚問されたのは花火打ち上げを決行した容疑者だからだ。あれほど騒ぎになったんだ、所長のもとに連絡が行かないほうがどうかしている。くそ、もっと早く気付くべきだった。たんぱく質不足で頭の回転が鈍ってきている」
 早い話、レイジはヨンイルの共犯と目されて所長室に呼ばれたのだ。今頃はヨンイルも所長に呼び出されてるに違いないと確信、断言する僕をロンが疑わしげに見つめる。
 なんだその目は?これ以上明解な推理はないだろうに。
 「……なら、看守四人で殴りこんでくる必要ないだろ。こんこんて扉ノックして『花火の件で聞きたいことある』とか一言言えばいいだけじゃんか、そしたら俺だって余計な心配しなくてすんだんだ。第一おかしいよ、花火打ち上げの件で説教食らってるにしても長すぎだ、レイジは昨日一晩帰ってこなかったんだぜ!?」
 ロンが唾を飛ばして食って掛かる。
 僕もその点に関しては説明できず、顔の前に手を立てロンの唾を避けるにとどめた。
 確かにロンの言い分にも一理ある。
 花火打ち上げに関わった件でヨンイルと共に呼び出されたにしても、今日になってもまだ帰ってこないのはおかしい。レイジの身に何か不吉なことが起きたのは確実、僕やロンの知らないところで異常事態が進行しつつあるのが現実。
 しかし、だからと言ってどうすることもできない。
 「ロン、忘れてないか?僕らはただの囚人だ」
 僕の胸ぐらに掴みかからんばかりに身を乗り出したロンを醒めた目で一瞥、唾の飛んだ眼鏡を上着の裾で拭う。
 食堂の喧騒に取り巻かれ、人込みの渦中に取り残された僕とロンの間に静寂が張り詰める。
 悔しげに歯噛みしたロンの表情に目を細め、眼鏡をかける。
 「レイジの身が心配なら直接所長室に殴りこむか?そして彼を救出するか?無駄だ。不可能だ。看守に妨害されて負傷するのが関の山だ。君にできることはただレイジの帰りを待つことだけだ。焦燥に焼かれ不安に苛まれ眠れぬ夜に耐えることだけだ。いいか、もう一度言う。僕らはただの囚人だ。看守に逆らうのも命賭け、いつ看守の気まぐれで嬲り殺されても仕方のない東京プリズンにおける弱者だ」
 「わかってるよ、そんなの。胸糞わりぃ」
 「ならば大人しくレイジの帰りを待て。主不在のベッドを君の体温で暖めておけ」
 そっけなく言い捨てれば、ロンの顔が悲痛に歪む。
 ロンも精一杯自制しているのだ、今すぐにでも所長室に殴りこみたい衝動を抑制しているのだ。
 「……あの馬鹿、ひとを心配させやがって。帰ってきたらはったおしてやる」
 憤然たる大股で雑踏を突っ切り、食堂を出ようとしたロンの背中を見送り、彼をこのまま独りにしていいものかと思案する。
 レイジがいない房に塞ぎこんでいてはますます思い詰めてしまう。ロンは思い込んだら一直線の非常に厄介な性格をしている、現在の情緒不安定な彼を放っておくのは危険だ。
 ひとり帰路を辿ろうとしていたロンの背後に立ち止まり、息を整え声をかける。

 「そうだ、図書室に行こう」
 「はあ?」

 脳天から奇声を発してロンが振り向く。
 「なんだこいつ」と露骨に顔を顰めたロンと向き合い、眼鏡のブリッジに触れる。
 「君もたまには活字にふれて知識を吸収するべきだ。幸い東京プリズンは豊富な蔵書量を誇る知識の宝庫、純文学から哲学書に至るまで先人の遺した貴重な文献が山と積まれた象牙の塔。思い込んだら一直線で周囲が見えない傍迷惑な性格を改善するには様々なジャンルの本にふれて視野を広げるべきだ」
 「いやだよ。本読むと頭痛すんだよ」
 「病気だな。前頭葉が萎縮して思考回路が硬直してるんだ。特効薬は活字だ。君は本を読みなれてないから苦手意識が強いだけだ、免疫ができれば長時間の読書も苦じゃなくなる。さあそうと決まれば話は早い、早速図書室に行こう。ちなみに僕の推薦図書はドエトエフスキー『カラマーゾフの兄弟』だ」
 「変な名前の兄弟。何人だ」
 「ロシア人だ」
 渋るロンを半ば強引に押し切り、食堂の外へと足を向ける。
 気乗りしない足取りで歩き出したロンの隣で振り向き、雑踏に埋もれた食堂に視線を巡らせて、ついさっきまで僕がいたテーブルをさがす。
 いた。
 サムライがこちらに背を向けて食事をとっている。
 「………」
 声をかけようか、迷う。
 ここ最近彼とはまともに会話をしてない。だが、いつまでも互いを無視する平行線を辿り続けるのも大人げない。
 サムライは確かに鈍感で無神経な男でその点に関しては異存がないが、今もって僕の大事な友人に変わりはない。
 たとえ彼が僕の知らないところで静流とキスをしていたのだとしてもそれこそ個人の自由で僕が口を出す問題ではない、同性しかいない東京プリズンでも本来恋愛は自由なのだ。
 サムライが静流と恋愛関係にあるならそれでいいじゃないか、僕と彼とはただの友人でそれ以上でも以下でもないのだから。
 静流に嫉妬などするわけない。僕はそんな狭量な人間じゃない。
 ここはひとつ、天才ならではの寛容さを示してサムライを許すべきじゃないか。
 僕とロンが消えたテーブルにひとり着席、黙々と箸を動かし食事をとるサムライを遠目に眺める。
 「どうした?」
 不審げに見上げてくるロンを無視。深呼吸し口を開き、決心が鈍りまた閉じる。それを二度ばかり繰り返し、勇気を振り絞り前方を見据える。
 サムライはひとりほそぼそと食事をとっている。
 眉間に縦皺を刻み、黙々と顎を動かし、仏頂面で咀嚼する。
 周囲に流されず孤高の背中を見せたサムライの方へ一歩踏み出す。
 「サムラ、」
 「貢くん」
 澄んだ声が語尾を遮る。箸を止め、サムライが顔を上げる。 
 静流がいた。
 静流が何かを囁く。
 喧騒に紛れて聞き取れない親密な会話。
 静流が笑う。心なしサムライの顔も和む。
 静流が笑顔で促せばサムライが即座に席を立つ。トレイを片手に持ったサムライが静流と何かを話す。静流が嬉しげに首肯する。サムライが口元を綻ばせる。
 あのサムライが、笑った。僕以外の人間に微笑みかけた。
 急激に空気の密度が膨張して鼓膜を圧迫する。
 心臓の鼓動がうるさいくらいに高鳴り、喉が干上がる。
 僕は何故こんなに衝撃を受けている、ショックを受けているんだ?自分でもわからない。ついさっきサムライの恋愛には口出ししないと言ったばかりなのに、実際にサムライと静流が親密に寄り添う現場を目撃し、戦慄に打たれる。
 静流に促されて席を立ったサムライが、執拗に背に注がれる僕の視線に気付き、振り向く。
 僕を認めた目が見開かれ、ほんの一瞬後ろめたげな表情が過ぎる。だがそれはすぐに鉄面皮の下に隠され、無愛想に口元を引き結び、そっぽを向く。
 静流もまた僕に気付き、わざとらしくサムライの肩に手をやる。
 蜘蛛が這うように肩に五指がかかる。
 サムライの肩に触れた静流が妖艶な流し目をくれる。
 帯刀貢は自分の物だと暗に匂わすように、サムライを独占するように。
 「鍵屋崎、大丈夫かよ。真っ青だぜ」
 「!」
 はっとする。悪夢から醒めた心地で隣を見れば、ロンが心配げに僕の脇腹をつついていた。
 「―なんでもない。行くぞ」
 サムライなどどうなろうが知ったことか。せいぜい静流と仲良くすればいい、僕は所詮邪魔者に過ぎないのだから。
 互いを支え合うように寄り添うサムライと静流の姿には、容易に他者が入り込めぬ強い絆が感じられた。
 二人の周囲には他者を弾く結界が張られていた。これ以上サムライと静流を見続けるに耐えかねた僕は、ロンをその場に残し、逃げるように立ち去る。
 「待てよ、鍵屋崎!」
 ロンが小走りに追いかけてくる。食堂の喧騒が遠ざかる。
 じっと背中に注がれている視線はサムライのものか静流のものか判然としない。

 通路に虚しく靴音がこだまする。

 足早に歩きつつ、最前目撃した光景を意識の外に閉め出そうと自己暗示をかける。
 食堂で目撃した光景、サムライに親しげに声をかけ寄り添う静流、サムライの笑顔……かつて僕が独占していた笑顔。
 僕はもうサムライに必要な人間ではなくなったのか?
 サムライを誘惑したあの夜、友人の資格を失ってしまったのか?
 胸の奥で膨張した自己嫌悪が喉を塞いで呼吸が苦しくなる。
 無意識に上着の胸を掴み、俯き、足元を見つめる。
 性急に足を前後させ廊下を歩きながらも、脳裏に焼き付いた映像は振り払えず、食堂から距離が離れる程にますます鮮明さを増して僕を追い詰める。
 『彼はもう君のサムライじゃない』
 『僕と姉さんの帯刀貢だ』
 「どういう意味だ、静流」
 声が震える。胸ぐらを掴む指に力がこもる。
 彼はすでに僕のサムライじゃないというのか、心も体も静流の物になってしまったのか?嫌だ。認めたくない。サムライがサムライでなくなったなど断じて認めたくはない。僕はまだ彼の唇の感触をなまなましく覚えている、胸のぬくもりと腕の力強さを覚えている。
 それなのに。
 「サムライがサムライでなくなったなど、嘘だ。帯刀貢に戻ってしまったなんて嘘だ」
 声に出して自分に言い聞かせるも不安は大きくなるばかりで一向に効果がない。
 瞼の裏によみがえる静流の微笑み、真紅の唇……
 「どこ行くんだよ鍵屋崎、図書室過ぎちまったよ!」
 ロンに腕を引かれ、物思いから急浮上。
 慌てて立ち止まれば、すでに図書室を行き過ぎていた。
 僕ともあろう者が迂闊だった、まったく気付かなかった。
 「目え開けながら寝てたのか?器用だな」
 ロンの揶揄を聞き捨て鉄扉を押しながら、あの夜、この扉に押し付けられた瞬間の衝撃をぼんやり思い起こす。
 背中に感じた鉄扉の冷たさ、唇に触れた熱。
 そのどちらもを鮮やかに思い出せるというのに、あの夜から僕らの心は離れてしまった。
 だからきっと、あのキスは無意味だったのだ。サムライの唇の感触をいまだに未練たらしく反芻する僕と同じ位に。
 「無様だな。彼には一夜の気の迷いで、僕には一生の不覚だ」
 鉄扉に手をかけ、僕は嗤った。 
  
 結論から言えば、ロンを図書室に連れてきたのは失敗だった。
 「十三回目だ」
 「あん?」
 本を閉じて指摘すれば、ロンが首を傾げる。
 元の場所に本を返し、苛立ちを隠してブリッジに触れる。
 「君のため息の回数だ。自覚がないとは重症だな」
 ズボンのポケットに手を突っ込み暇そうに書架に凭れたロンが、珍妙な生物でも見るようにまじまじと僕を眺める。
 「お前、ひとのため息数えるくらいっきゃ楽しいことねえの?本読めよ」
 「ため息に集中力を散らされて読めない。いっそ口を縫ったらどうだ」
 「お前が連れてきたんだろ」
 「ならば本を読め。折角図書室に連れてきたのにその態度はなんだ、不愉快だ。図書室で本を読む以外のことをして本に失礼だとは思わないのか?今すぐ本に謝れ。ニーチェに謝れデカルトに謝れフロイトに謝れマルクスに謝れドエトエフスキーに土下座しろ。読書は気分転換に最適だというのに、君ときたら退屈そうに書架に凭れているだけでさっきから一冊も本を読んでないどころか表紙を開こうともしないじゃないか」
 「図書室に来て三十分もたってねえのに本が読みきれるか、大体ここ哲学書コーナーじゃんか!!こんなとこに人引っ張り込んで何読めってんだ、俺はヨンイル仕込みの漫画しか読まねえ主義で哲学書なんかちんぷんかんぷんなのによ!」
 「読んでみなければわからないだろう」
 書架から適当な本を抜き取り、問答無用で突き出す。
 渋々本を手に取ったロンが上目遣いに僕の表情を窺い、ぱらぱらとページをめくる。次第にその顔が顰められ、大袈裟な表情を作る。

 三秒後、ロンは驚くべき行動をとった。

 「やめた。ちんぷんかんぷん」
 ポイと本を投げ捨てる。ゴミのように。
 あまりの暴挙に目を疑う。虚空に放り出された本を慌てて受け止めた僕は、書架に背中を凭せて欠伸をするロンに猛烈に抗議する。
 「貴様、無抵抗の書物に対してなんて卑劣な真似を!?この図書室にある本はすべて人類の叡智が結集した知的財産だというのに、事もあろうに本を投げるとは……ニーチェに謝れデカルトに謝れフロイトに謝れマルクスに謝れドエトエフスキーに土下座しろ、しかるのちに可及的速やかに図書室から出て行け!」
 「お前が連れ込んだんじゃないかよ!」
 堂々巡りの議論に疲労が募る。
 徒労のため息を吐いて手元を見下ろせば、僕がロンに渡した本はソクラテスの「対話編」だった。
 ……確かに理解不能だろう。ロンの読解力に応じた本を選ぶべきだったと少し反省する。あくまでほんの少しだが。

 「対話編」を書架に戻し、あたりを見回す。

 分厚い哲学書ばかりが整然と並ぶ図書室も奥まった一角には僕たち以外に人気もなく、埃臭い静寂が沈殿してる。
 十重二十重に連なる書架の向こうからかすかに届く笑い声の他は、僕がページをめくる音とロンのため息、二人の衣擦れの音しか聞こえない。
 気分転換にとロンを図書室に連れてきた僕の試みは、どうやら失敗に終わったらしい。
 「……まったく救いようない低能だな。念のため聞くが、僕の好意を無駄にして良心は痛まないのか?世の無常と人生の意味について苦悩する少年に敬虔な示唆を与えようと哲学書コーナーに案内したのに、君ときたらため息を十三回欠伸を十回、さっきからちっとも本に手を伸ばそうとしないじゃないか」
 「人生の意味なんてどうでもいいっつの。俺に気分転換させたきゃ漫画コーナーに案内しろよ」
 「漫画ばかり読むと馬鹿になるぞ」
 「じゃあお前に聞くけど、ソクラテスとブラックジャックとどっちが面白い?」
 何をわかりきったことを聞くんだ、この低脳は。
 「後者に決まっているじゃないか」
 「ほらな」
 ロンが勝ち誇る。憎たらしい。第一ソクラテスと手塚治虫ではジャンルが違うから本来比較にならないし、そもそも今の問いはソクラテスの『対話編』を完読してからすべきであって、後者しか読んでない癖にさも知ったかぶったふりをするとは手塚治虫にもソクラテスにも失礼じゃないか?
 「上行って来る。漫画読んでくる、暇だから」
 怒涛の勢いで抗議しようとした僕の眼前でロンがあっさり身を翻す。ひらひら手を振って踵を返したロンに「待て、せめて哲学書初心者でもわかりやすいパスカル『パンセ』を借りていけ」と追いすがるも、ロンは聞く耳持たずに通路を抜けて階段を上がっていってしまう。
 これではまるで道化じゃないか。
 息を切らして書架と書架の間に佇んだ僕は、階段を駆け上がるロンの背中を睨み付け、憤然と踵を返す。
 ロンなど知るか、勝手にしろ。僕は僕で新たな本を借りる予定がある、ロンにばかり構っていられない。
 十重二十重に連なる書架の間をくぐりぬけ、本を物色。
 なかなか気に入る本に出会えず書架と書架の間を彷徨するうちに、さっきまでいた哲学書コーナーにさしかかる。
 巨大な書架が天井を圧して左右に並び立つせいで視界が暗く、最初、人がいるのに気付かなかった。
 「!」
 反射的に書架の影に隠れる。
 別に隠れる必要もないのだが、条件反射だ。人は二人いた。さっきまで僕たちがいた図書室も奥まった一角、分厚い哲学書が隙間なく書架を埋めた場所に看守と囚人がいる。
 こんな所で何をやっているのだと不審に思う。
 自慢ではないが、哲学書コーナーに頻繁に出入りする知識欲旺盛な囚人は東京プリズンには僕しかいないはず。僕自身哲学書コーナーに出入りする囚人を他に見かけたことがない。
 滅多に人が立ち入らない哲学書コーナーに今日に限って来客がある。
 この事実が意味するのは……
 「逢引か」
 途端に興味を失う。
 図書室の奥、滅多に人が来ない薄暗がりは看守と囚人がいかがわしい行為に及ぶのに最適の場所だ。
 予想通り、僕に背中を向けた看守の首には白い腕が絡み付いている。
 書架に背中を凭せた囚人の上に看守がのしかかっているのだ。
 僕は即座に回れ右しようとした。看守と囚人の密会現場に遭遇したら、関わり合いを避けて即刻立ち去るのが賢い。
 だが、何かが僕を引きとめる。
 脳の奥で膨らむ違和感。最前目撃した光景が瞼の裏によみがえる。書架に背中を凭せた囚人の上にのしかかる看守、静寂をかき乱す赤裸な衣擦れの音と荒い息遣い、看守の首に絡み付く白い腕。看守の下に見え隠れする、裾がはだけて外気に晒された下腹部。
 男にしておくのが惜しいほど白くきめ細かい肌、快楽に溺れて看守を抱き寄せる華奢な腕。

 腕。
 サムライの肩におかれた手………

 「!!―っ、」
 戦慄。
 驚愕に目を見開き、書架に手をかけ、立ち竦む。
 見間違いかと思った。彼がここにいるはずない。今もサムライと一緒にいるはずだと思い込んでいたのに、何故?衝撃を受けた僕の視線の先、看守に体をまさぐられて無邪気な笑い声をたてているのは……

 静流。

 上着の裾をはだけられ、下腹部を貪られ、胸板をなでられ。
 体の表裏を這い回る手に乱され、貪欲な愛撫に身悶え、おのれを犯す看守に抱き付き嬌声をあげる。
 「ああ、すごくいい。すごくいいよ、柿沼さん」
 書架が聳える薄暗がりに獣じみた息遣いと衣擦れの音が流れる。込み上げる吐き気に耐え、眼を逸らしたい衝動と戦い、看守の手に暴かれた白絹の裸身をしっかり目に焼き付ける。
 静流は恍惚と笑っていた。
 撃ち抜くように喉を仰け反らせ、局部が繋がった看守に揺さぶられるたび甲高い嬌声をあげていた。足首にズボンを絡ませ下半身を露出した静流が、もっと結合を深くし快楽を貪ろうとでもいうふうに相手に腰を摺り寄せる。
 喘ぎ声が高くなる。
 静流は激しくされればされるほど感じるようで、上気した顔に至福の笑みを湛え、もっともっととねだるように看守の下肢に足を絡め縛り付ける。
 「う………、」
 気持ちが悪い。吐きそうだ。嘔吐の衝動を堪え、書架に肩を凭せてずり落ちる。看守と静流が繋がった場所から淫猥な水音が聞こえてくる。体液と体液が交じり合う湿った音。静流は全身で歓喜していた。自らすすんで行為を受け入れ背徳の快楽に溺れていた。
 看守に腰を突き上げられる度はしたない喘ぎ声を上げ、首を前後に打ち振る。
 「あっ、ぁあっ、あああああああああっふあっ、そこ、そこおっ……」
 静流の背中が仰け反り、甲高い絶叫とともに絶頂へと駆け上がる。剥き出しの太股を艶めかしく白濁が伝う。朦朧と弛緩した表情で天を仰ぎ、書架を背にずり落ちた静流の上から看守がどく。
 「じゃあな、静流。明日は房に行くからな、たのしみにしてろよ」
 ズボンを引き上げベルトを嵌めた看守が卑猥な笑みを浮かべ、虚脱状態の静流の頬に触れる。
 疲れた顔に笑みを浮かべ、息も絶え絶えに静流が呟く。
 「たのしみにしてるよ。僕の帯を締めるのはやっぱり柿沼さんじゃなきゃダメだ。他の看守は皆不器用だもの」
 どういう、ことだ?
 静流は、他の看守とも関係を持っているのか?犯されたのではなく、自らすすんで関係をもったのか。
 何故?何の為に?
 確かに東京プリズンで生き残るには看守を味方につけたほうが都合がいい、それもできるだけ多くの看守を……
 しかし、サムライの前で楚々と振る舞う静流と看守に抱かれて淫蕩に乱れる静流とはあまりにかけ離れている。
 二重人格。
 何の為に?何故サムライに自分を偽る必要がある?
 後始末を終えた看守が静流を残して意気揚々とこちらに歩いてくる。まずい、このままでは見つかってしまう。
 書架に手をかけ、足を引きずるように移動する。
 看守から死角となる書架の影に逃げ込み、息を殺して靴音が遠ざかるのを待つ。看守が立ち去ったのを耳で確認、安堵のあまり書架に背中を預けてへたりこむ。
 とにかく、一刻も早くこの場を去らねば。

 「見つけた」

 「!」
 弾かれたように顔を上げれば、いつのまにか書架を迂回し、静流が僕の前にやってきていた。
 反射的に立ち上がろうとするも、書架に手を付き前傾姿勢をとった静流が頭上に覆いかぶさり、腰を半端に浮かせた状態で停止。
 「覗き見は悪趣味だよ、直くん。僕と柿沼さんがしてるとこ見て興奮したの?」 
 「馬鹿、な。誤解だ!」
 「本当に?」
 静流が妖しく微笑み、僕の顔の横に手を付いたまま、もう片方の手を股間に伸ばしてくる。避ける暇もなかった。静流の手がズボンの上から股間に触れ、下着越しに性器を愛撫する。
 やめろ、と叫びたかった。しかし声がでなかった。
 静流をどかそうと必死に腕を突っ張ってみたものの、華奢な細身に反して力が強い彼を押し返すのは到底不可能で、されるがままに性器をもてあそばれる屈辱に唇を噛んで耐える。
 「嘘つき。勃っているじゃないか」
 「これは違、」
 「僕でよければお相手してあげようか」
 手に執拗に撫でられ、抵抗の意志を裏切り体が反応しだす。性器に血液が集中、静流の手を押し返すようにズボンの股間が膨らむ。
 間違っても喘ぎ声など漏らさないよう必死に唇を噛み締める僕をあざ笑い、手の動きを速める。
 蛇のようにのたくりながら下着の中に忍び込んだ手が、勃ちあがりかけた性器をゆるりと撫でる。
 「………はっ………、」
 「彼のものは僕のもの。僕のものは彼のもの。ねえ、そうでしょ姉さん?僕らは何でも分け合わなきゃいけない宿命なんだ、三つ巴で共食いしなけりゃならない宿命なんだ」 
 「即刻下着から手を抜け最低1メートル以上距離をとれ、僕に触れるんじゃない淫乱め!」
 怖い。
 眼前の静流が純粋な恐怖を煽る。
 静流の発言は意味不明だ、静流の行動は理解不能だ。なんとかして静流の手から逃れようと書架に背中をぶつけてあとじされば、その衝撃で頭上に本が降ってくる。 
 「静流!」
 騒々しい音をたて、数冊の本が床になだれおちる。
 僕の視界を遮り降り注いだ本の向こう、書架の角から現われたのは……驚愕の相のサムライ。僕の上にのしかかる静流を見て何と思ったか、不審げに眉をひそめる。
 「……直?」
 僕の下着から手を抜き振り返り、笑顔でサムライを出迎える静流。
 書架を背に佇む静流と僕とを慎重に見比べ、サムライが問う。
 「これは、どういうことだ?」
 サムライの顔を見た瞬間に安堵で腰が砕けた僕は、書架に手を付き体を支えー

 僕がサムライの名を呼ぶより早く、黒髪を靡かせ駆け出す静流。 
 上着の裾を翻し颯爽と通路を駆けた静流が、サムライの胸にとびこむ。
 全幅の信頼を預けた人間に対してそうするようにサムライの腕に身を委ね、嗚咽を堪えて静流は言った。 

 「怖かった。でも、必ず来てくれるって信じてた。貢くんはいつもいつだって僕を助けにきてくれるから」
 サムライの胸に顔を埋め、啜り泣く静流に呆然とする。
 サムライは嗚咽を堪える静流の背中を思いやり深い手つきでさすってやった。
 何度も、何度も。僕が見ている前で。
 そして、囁く。
 無骨な顔に包容力溢れる微笑を浮かべ、しゃくりあげる静流の背中に手をおき。
 「大丈夫だ、静流。俺が来たからには恐れることは何もない。俺が捨てた帯刀の矜持が息づいているのなら涙を拭い胸を張れ。
 ……お前に泣き顔は似合わない」
 いたぶりぬかれた弱者を無条件に包み込む優しい笑顔で、帯刀貢は言った。 

少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050612051114 | 編集
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