ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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三十話

 「なにごとだ、体感震度マグニチュード6.2の自然災害か!?」
 展望台が激しく揺れる。
 地震と錯覚するほどの衝撃に翻弄されてレイジの方へと倒れこむ、レイジが僕とロンの肩をしっかり抱いて庇うように上体を伏せる。至近距離で発生した轟音の波動で聴覚が飽和、大音響に痺れた鼓膜が回復して正常な聴覚を取り戻すまでの数秒間が完全な静寂に支配される。
 無音の静寂と濃密な闇に閉ざされた視界の彼方、天衝く大砲から放たれた砲丸が白煙の尾をたなびかせて空の高みに上っていく。
 どこまでもどこまでも遮る物ない夜空へと長大な楕円軌道に乗じて上り詰めた砲丸を見送り展望台の中央に立ち尽くすヨンイル。上着の胸を掴み、空の一点を凝視する顔は緊張に強張っている。
 真剣な表情を浮かべたヨンイルが祈るように仰ぎ見る中、遂に天心に達した砲丸が眩いばかりの閃光を放つ。
 光球が膨張する。
 周囲に鮮烈な光を撒き散らし膨張した砲丸がやがて炸裂、夜空で光が爆ぜる。
 「『はじまりに光あれと神は言った』
 天地創造の一節をしたり顔で口にするレイジの腕の中で僕はその光景を目撃した。夜空を明るく染め抜く光の饗宴。光に照らされ濃紺に明るんだ闇を内包する精緻な細工の蜘蛛の巣。
 極彩色に光り輝く糸で織られた大輪の花火が夜空に出現。放射線状に火花を散りばめて収束する花火は僕らが呆けて見ている前で赤からピンクへ、ピンクからオレンジへと濃淡が移り変わり見る者を飽きさせない。
 闇が濃ければ濃いほど光は映える。
 絢爛な花火は多彩な変化を見せて、極彩色の残光で闇を照らしだす。
 「すっげえ」
 花火に心奪われたロンが感嘆の声を発する。花火を見るのは生まれて初めてなのだろうか、興奮で頬が紅潮してる。そんなロンを微笑ましげに見やりながらレイジもまた称賛の口笛を吹く。僕は夜空から目が離せなかった。花火が青白く燻り燃え尽きて随分経ってもまだ衝撃冷め遣らず、放心状態で突端に座り込んでいた。
 だが、この場で最も驚いたのは五十嵐だ。
 「レイジ、こりゃあ何の真似だ!?」
 声に反応して眼下に目をやれば五十嵐が驚愕の面持ちで天を仰いでいた。首を痛めそうなほどに仰け反り、薄ぼんやりと白煙漂う夜空を仰ぎ見る五十嵐に笑いを噛み殺してレイジが説明する。
 「お別れパーティー。粋な仕掛けだろ?」
 「お前が発案者か?」
 「いんや」
 「俺や」
 レイジの隣にヨンイルが立つ。二週間ぶりの邂逅。
 ヨンイルを見た瞬間に五十嵐の顔が強張るが、ヨンイルは敢えてそれを無視して、堂々と胸を張り展望台の突端に仁王立つ。
 自分がたった今成し遂げた仕事に誇りを持ち充実感を覚えた職人の顔。弾痕が穿たれたゴーグルに手をやったヨンイルは口を開かず、ひどく大人びた顔で静かに五十嵐を見つめる。見つめ続ける。
 怨恨も憎悪もそこにはない、未練すらない。
 あるのはただ一抹の感傷だけ。ヨンイルの横顔にたゆたっているのは人知れず逝く者に対する追悼の念、東京プリズンを去る決意をした五十嵐に対する憧憬の念。
 いつもの腕白な笑顔からは想像できないほどに達観した表情のヨンイルが、火薬の匂いが大気に溶け混ざり漂う展望台に佇み、五十嵐を見つめる。
 この距離と暗さでも五十嵐の動揺が手に取るようにわかった。
 喉仏が動いて生唾を嚥下するさまさえ見えるようだった。
 物言わぬヨンイルの迫力に気圧されあとじさった五十嵐がそのまま身を翻し逃げ出そうとする。
 ヨンイルの凝視に耐えかねて背中を向けた五十嵐が、そのまま中庭を突っ切ろうと―……
 「逃げるな、五十嵐」
 凛とした声が響く。鞭打たれたように五十嵐が硬直する。
 展望台の突端に立ったヨンイルは、たった一言で完全に五十嵐の動きを封じ場の主導権を握った。僕は見知らぬ他人を見るような新鮮な思いでヨンイルの様子を窺った。レイジに肩を抱かれたロンも同様だ。
 ゴーグルを跳ね除けた下、吊り目がちの精悍な双眸から放たれる容赦ない眼差しに射竦められ、五十嵐の背中がわななく。
 数秒が過ぎた。僕とロンが固唾を飲んで両者を見比べる中、五十嵐がゆっくりと振り向く。
 「俺に用があんのはお前か。いまさら、仕返しするつもりか?」
 唇を捲り、皮肉げに笑う五十嵐に胸が痛む。
 五十嵐には似合わない露悪的で偽悪的な笑顔は、わざと作ってると誰にでもわかるぶざまな出来映えだった。
 「俺は明日東京プリズンからいなくなる。荷物纏めて宿舎をでて永遠にいなくなるんだ。リカの復讐は失敗した。いったんここから出ちまえばお前には二度と手が出せねえ。だから安心しろ、ヨンイル。お前は今までどおり暇な一日漫画三昧の気ままなムショライフに戻ればいい。だれにも気兼ねなく好きな漫画読んで遊び暮らしてここで一生終えるんだ。望み通り本に埋もれて大往生できるんだ。なあ、満足だろヨンイル。これがお前の望んだ結果だろ?」
 ヨンイルは否定も肯定もせず五十嵐の糾弾に身をさらしている。
 五十嵐の悲痛な表情からは、否定してほしいのか肯定してほしいのか自分でもわからず混乱してる様子が痛いほど伝わってきた。 
 「……お前にしたことが決して誉められたことじゃねえってのはわかってるよ。仮にも殺人未遂だ。追放処分だけで済んだのが奇跡みたいなもんだ。言い訳はしねえ。仕返ししたいならしろ。俺だってリカを殺された仕返しにお前を狙ったんだ。今度はおまえの番だよ、ヨンイル。憎しみってのはそうやって延々と連鎖してくんだ。俺もお前も逃げ切れねえ。俺は一生リカを助けられなかった後悔に縛られて生きいていく。お前は一生二千人を殺した罪の重さに縛られて生きてく。好きな手塚読んでるときもマスかいてるときもクソひるときもお前が二千人殺したって事実はいつでも付いて回るんだ」
 「ああ」
 「その中に、リカがいる」
 「ああ」
 「二千人の中にリカがいる」
 「ああ」
 「……俺、やっぱりお前嫌いだよ」
 五十嵐がひどく苦労して笑顔を作る。苦笑。ヨンイルはどんな顔をすればいいのかわからず困惑した様子。そして、笑うことにした。五十嵐につられて笑ったわけじゃない、自分で決めて笑ったのだ。
 「それで、東京プリズン発つ日に俺呼び出してどうするつもりか?仕返しするなら今だぜ。生憎俺は素手だ。警棒だって持ってきちゃねえ。俺めがけて大砲ぶっぱなせ。後腐れなく蹴りつける気ならそれもいい。お前を階段から突き落として捻挫させて全裸にさせて引っ掻いて銃で撃って、その借り全部まとめてズドンと返しちまえ」
 「五十嵐、ヤケになんなよ!」
 虚空に身を乗り出したロンが怒りもあわらに叫ぶが、五十嵐は取り合わない。
 「俺がおまえら囚人の信頼裏切ってひどくがっかりさせたのは事実だ。娘の復讐成功させる為に親切なフリで囚人に取り入った最低野郎だって、そう思われてもしかたねえ。こうやって東京プリズン発つ前夜に呼び出されて、心のどっかで覚悟してたんだよ。お礼参りって呼び方は古いかな」
 「なに悟ったふりしてんだよ中年、諦めよすぎだろ!東京プリズンにいられなくなったくらいで人生捨ててんじゃねえよ、あんた全部なくしたわけじゃねえだろ、まだ守るモンがあるだろ!」
 「カミさんならフィリピン帰ってやり直すさ。どのみち俺たちはもうおしまいだ。いや……とっくに終わってたんだよ、リカが死んだ時点で」
 五十嵐が静かな諦念を宿した目でひたとヨンイルを見据え、野太い声で宣言。
 「殺るなら殺れよ、ヨンイル。俺が成し得なかった復讐を、代わりに成し遂げてくれ」  
 「アホらし」
 ヨンイルが不敵に笑う。五十嵐が気色ばむ。空気が帯電したように場が緊迫してきな臭い火薬の匂いが大気に溶けて充満する。火薬の匂いが不吉に漂い殺伐とした空気が満ちる中、腰に手をあてふんぞり返ったヨンイルが大袈裟に首を振る。
 「あんた、俺をだれやと思うとる?寝転がって漫画のページめくる以外は便所のちり紙破く労力も厭うて
評判の図書室のヌシ、もとい西の道化ヨンイル様やで。復讐?んな面倒くさいことするかい。あんたか知っとるやろ、復讐成功さすのにどんだけ布石が必要か。わかりやすく漫画にたとえて言うなら伏線あるからこそ盛り上がるクライマックス、伏線も回収せんといきなり大砲でズドンやなんて美学のない殺し方ゴルゴ13が見とったら逆に撃ち殺されてまう」
 「いや、わかんねーからそのたとえ」
 ロンのツッコミをさらりと流してヨンイルが深呼吸、意味ありげな笑みを湛える。
 「お前をここに呼んだんは復讐なんてつまらんことする為とちゃう」
 「まさか本当に、ただ花火を見せるためだけに呼んだってのか?」
 信じ難いといった面持ちで叫び返す五十嵐にさらに何か言いかけたヨンイルを遮り靴音の大群が殺到、展望台にたゆたう白煙の帳を突き破り踊り込んできたのは今この場にいるはずのない顔ぶれ。
 「ヨンイルさん!!」
 「ワンフー!?何故君が、ここは東棟だぞ!」
 展望台に大挙してなだれこんできたのはワンフーを先頭にした西棟の囚人たち。ペア戦でヨンイルを熱狂的に応援していた囚人たちが二十名以上、我も我もと先を競い身軽に窓枠飛び越えて展望台の床を踏む。
 展望台に殺到した西棟の囚人たちはいずれも全身擦り傷だらけで囚人服はボロボロの状態、中には鼻血を流したり片方の瞼が青黒く腫れ上がった者、足首を捻挫したのかお互い肩を支え合ってる二人組もいて、無傷の者は一人もいない。 
 驚いてるのは僕たちだけじゃない。
 何を隠そう、他ならぬヨンイル自身がいちばん動揺してる。
 「おどれらなんでここに……ここ東棟やで、ちゃんとわかっとんかい!?渡り廊下越えなんて無茶しよってからに体がいくつあっても足りひんでホンマ、その分だとここ来るまでさんざんな目に遭うたろ、東棟の連中は容赦ないから……ああっ、パクお前鼻がヘンな方向曲がっとる!?リボンの騎士のプラスチック卿みたいな鼻になっとる!!」
 「ヨンイルさん一世一代の晴れ舞台だってのに西の囚人が知らんぷりできますか!」
 「花火師としての初仕事ぜったい成功させたるって医務室に見舞いにきた奴に片っ端から語ってたくせに今更なに言ってんスか、水くさい!俺らヨンイルさんの為にレッドワークで鉄屑集めまでしたんスよ、花火打ち上げる大砲まで一致団結して造ったんですよ!お呼びじゃないて言われても押しかけるに決まってるじゃないスか!!」
 「ヨンイルさんはくさっても西のトップ、命の恩人です!命の恩人が人生ここイチバンでどでかい花火打ち上げようってときにヨンイルさんの右腕を自負する俺が駆け付けなくてどうすんスか!」
 「ばかやろうっ、ヨンイルさんの右腕はおれだ!」
 「ふざけんなおまえなんか右足の小指で十分だ、ヨンイルさんの右腕の地位は渡さねえ!」
 西の囚人たちが怒涛の如く展望台に溢れ出してヨンイルに群がる。今や西の囚人の数は三十名以上に膨れ上がったが、展望台に入りきれず廊下に待機した人数を合わせれば最低五十人以上はいるだろう。
 展望台にいる僕らには実際見えなくても、窓向こうで飛び交う罵声と怒声が殺気立った喧騒を伝えてくる。
 「人気者だなあ」
 「他人事みてーに言うなよ。今のトップお前だろ」
 「いや、俺はロンにだけモテれば十分だから。それ以上を望むのは贅沢ってなもんさ」
 羨ましそうに言うレイジの脇腹をロンが小突けば、まんざらでもなさそうに王様が微笑む。のろける二人はさておき展望台を見渡せば、西の囚人たちの中に何名か東棟の囚人が混ざっていた。
 展望台の騒ぎを聞きつけて興味本位に潜り込んだのだ野次馬のひとりが、くるりと振り向く。 
 「カーギーさん!」
 ビバリーだった。
 「は?」
 おもわず自分の顔を指さす。カーギー……鍵屋崎だからカーギーが愛称か?ばかな。あまりにも短絡的なネーミングに絶句した僕のもとへとビバリーが小走りに駆けてくる。
 「ちょっと待て、なんだその珍妙な愛称は。以前レイジに付けられたキーストアという姓直訳の愛称も驚くべき短絡さであきれたが、君もそれに匹敵するぞ。第一あだ名で呼ぶのを許可した覚えはない、貴様だれに断って僕をカーギーなどという中途半端に省略した上に音を伸ばした珍妙な呼称で」
 「いえ、東京プリズンに来て十ヶ月以上たちましたしいつまでも『親殺し』呼ばわりじゃそっけないかなって僕なりに気をつかったんスけど……そんなことより、今晩は何のパーティーっスか?」
 「そんなこと?僕の呼称が『そんなこと』だと、僕は特別親しくもない他人にカーギーなどというカーネギーの略称みたいな人種はおろか国籍すら判別しがたい呼称を用いられたくは」
 「グッドタイミングビバリー。パーティーはこっからが本番だ」
 僕の抗議を遮りレイジが口を出す。ロンを抱いたのとは逆の手でビバリーを招いて夜空を見上げる。
 『Look at a flower blooming in desert.』
 砂漠に咲く花を見せてやる。
 「なんだってんだよ一体全体!?」
 恐慌をきたした五十嵐がむなしく叫ぶ。展望台は今や西の囚人と東の囚人で混沌とごったがえし、呼吸すら満足にできない過密状態で端に追い詰められた人間があわや転落しかける始末。西の囚人たちに掻き分け泳ぎ前進し、服を皺くちゃにされつつ大砲のもとに辿り着いたヨンイルの顔は生き生きしている。
 初めて漫画以外の生き甲斐を見つけて、いっそ無邪気なまでに純粋な喜びに満ち溢れた表情。
 「五十嵐はん、あんたに見せたいもんはコレや!これが俺の『けじめ』や!!」  
 弾痕も無残な祖父の形見のゴーグルの下、活発に目を輝かせて大砲を空に向ける。
 「じっちゃんの口癖。ひとを不幸にする爆弾よりひとを幸せにする花火のがずっとええて、俺が作りたいのは花火やて言うとったん思い出したんや!俺、ずっと勘違いしとったんや。俺が知っとるじっちゃんはいっつも爆弾作っとったから、俺も爆弾の作り方しか知らへんで、じっちゃん継いでイッパシの職人気取りで毎日毎日爆弾作っとった。でもな、じっちゃんが作りたかったのは、ホンマに打ち上げたかったんは花火なんや。爆弾よりずっと綺麗で、ずっとみんなに喜んでもらえるタダの花火やったんや!」
 火薬に煤けた手で大砲を動かして傾斜角を固定、空の一点に狙いを定める。ロンが息を呑む。レイジが十字架を握る。ビバリーが両手を組む。僕はただその場に立ち尽くし、成功を祈る。
 五十嵐の顔が悲痛に歪む。彼にもわかったのだ、ヨンイルがやろうとしていることが。
 懐から二個目の取り出し大砲に詰め、マッチを擦り、点火。
 大砲との必死の格闘を物語るように上着の裾がはだけて龍の刺青が覗いても構わず、ヨンイルが絶叫。
 
 「花火師ヨンイルの初仕事にして最高傑作、とくと見さらせこらあああっ!!」

 轟音。 
 大砲から放たれた砲丸が長大な放物線を描いて夜空に吸い込まれる。展望台に押しかけた野次馬が揃って同じ方向を見る。
 高く高く、どこまでも高く。
 それはまるで刺青の龍が肉体の呪縛から解き放たれ、上昇気流に乗じて空の高みに還っていくかのよう―……

 光が爆ぜた。

 極彩色の光が夜空を染め抜く。囚人たちの鼻先へと火の粉が舞い落ちる。ロンの横顔に花火が照り映える。レイジの胸にかかる十字架が花火の輝きを受けてきらめく。僕は言葉をなくし、砂漠の夜空を彩る花火の美しさに見惚れた。
 「……メイファとお袋にも見せてやりたかったな」
 燃え落ちる花火を目に映したまま、ロンがぽつりと呟く。
 「マリアに見せたかった。ついでにマイケルにも」
 つられたようにレイジが呟く。僕も同じことを考えていた。恵に花火を見せてやりたい。赤や橙の火花を散りばめて砂漠の夜空を彩る大輪の花火。輪郭すら掴めない儚い一瞬、鮮やかな残像を瞼の裏に焼き付けて燃え落ちる花火を恵に見せてやりたいと強く思った。
 展望台に居合せた誰もが魅入られたように夜空を仰ぎ、遠く離れた大事な人に花火を見せたりたいと思った。そして僕は、隣にサムライがいないのを残念に思った。彼と一緒に花火を見たかったと素直に思った。
 「五十嵐。あんたの言う通り、俺はたしかに過去ニ千人を殺した凶悪な爆弾魔で最低の人殺しや」
 夜風に吹かれて火の粉が舞い上がる中、大砲から離れて再び突端に歩み出たヨンイルが胸に手をあてる。
 黒く煤けた手。
 火薬を詰め、砲丸を取り、最高傑作の自賛に恥じない素晴らしい花火を打ち上げた手。
 血に汚れた爆弾魔の手ではなく、火薬に煤けた花火職人の手。
 「俺が人殺しなのは変わらん。あんたの娘は戻ってきいひん。せやけど俺の手は、爆弾生み出す為だけにあるんとちゃう。東京プリズンからいなくなる前にあんたを呼び出したんはこれを見せたかったからや。俺はたしかに凶悪な爆弾魔で最低の人殺しやけど、あんたがこの花火を見てちょっとでも綺麗やなって思うてくれたならちょっとはマシな人間になれた気がする。じっちゃんに近づけた気がする」
 胸から手をどけたヨンイルが真摯に答えを待つ。全身で五十嵐の感想を聞こうとしている。展望台を緊張感が包む。これだけの人数が集まっているにも拘わらず、ごくささやかな衣擦れの音と息遣いの他には火の粉が燻る音しか聞こえない。何故か今日に限っては中庭中央の監視塔も沈黙を守り、サーチライトが巡回する他に見張りの看守の気配もない。
 異常な静けさに支配された中庭にただひとり佇んだ五十嵐の鼻先に、風に吹き流された火の粉が舞い落ちる。
 緩慢な動作で五十嵐が手の平を返し、火の粉を受ける。
 無意識な動作で火の粉を握り潰し、五十嵐が言う。
 「悔しいけど、綺麗だったよ」
 乾いた目でヨンイルを見上げ、無理を強いて微笑む。
 不器用で優しい父親の笑顔。
 「リカとカミさんにも、見せてやりたかった」
 ゆっくりと五指を開く。最前、しっかり掴んだはずの火の粉は跡形もなく消えていた。僕には五十嵐が笑いながら泣いてるように見えた。笑顔も声も乾いているのに、失った物と掴めなかった物の重みを噛み締めて泣いているように見えたのだ。
 ロンの目は真っ赤だった。込み上げる涙を必死に堪えて、瞬き一つせずに五十嵐の姿を焼きつけていた。レイジはそんなロンにさりげなく寄り添い、片手を十字架に添え、片手でロンの手を握っていた。ワンフーは泣いていた。他にも何人が嗚咽を漏らしてる囚人がいた。
 ヨンイルは、泣かなかった。
 笑っていた。誇らしげに、照れ臭げに。
 その言葉が欲しかったのだと返すように。
 「爆弾作りなんかやめて花火一本に絞れよ。お前、才能あるよ。悔しいけど」
 今度こそ五十嵐が背を向け歩き出す。
 別れの挨拶はない。ただ無言で歩き去る五十嵐を展望台の囚人が見送る。
 「待てよ、いくなよ五十嵐!」
 ロンが衝動的に身を乗り出し展望台から落ちかけてレイジに止められる。それでもまだ追いすがろうとするロンに刺激されて何人かが「五十嵐!」と声をあげる。だが五十嵐は振り向かない。歩みを止めずにサーチライトの光も届かない暗闇へと溶けて―
 「行くな、五十嵐」
 知らず知らずのうちに僕も呟いていた。東京プリズンに来て十ヶ月間、五十嵐と出会った最初の日から今夜に至る回想が脳裏を席巻する。銜え煙草でジープを運転していた横顔。中庭での再会。親切に気を利かせて恵の担当医からの手紙を僕に届けてくれた。
 僕は五十嵐の中に理想の父親を見ていた。
 いつしか五十嵐に憧憬めいたものを覚えてさえいた。
 「戻ってこい五十嵐、お前がいなくなっちまうなんておかしいよ!タジマは自業自得だけどお前は何もしてねえじゃんか、そりゃ安田の銃盗んでヨンイル殺そうとしたのは事実だけど現にヨンイルはこうしてぴんぴんしてるじゃんか、前よりもっと元気に生き生きしてるじゃんかよ!!
 大丈夫だよコイツ殺しても死なねえレイジの同類だから、だから戻ってこいよ五十嵐、お前がいなくなったら寂しいよ!!畜生こんなクサイ台詞言わせんなよ、でも嫌だ、お前がいなくなるのは嫌だ!覚えてるだろ五十嵐俺に牌くれたときのこと、凱の子分どもにどつかれてしょげてた俺に牌を恵んでくれたことあったろ?アレで俺すっげえ励まされたのにっ……」
 ロンの声が詰まる。続けられず、下唇を噛んで俯く。
 しかし五十嵐は振り向かず次第に遠ざかる。
 孤独な靴音が闇に反響する…… 
 「せや、大事なこと忘れとった。ちょい待ち五十嵐!」
 ヨンイルが手足をばたつかせ待ったをかけたのはその瞬間だった。
 勢い余ってつんのめったロンが危うく転落しかけ、「ギリギリセーフ!」とレイジに抱きとめられる。靴音が止む。うろんげに振り向いた五十嵐をよそにマイペースに懐を漁ったヨンイルが取り出したのは一冊の本……
 否、漫画。
 「あんたに文句言いたことあったんや。俺が風邪ひいて入院してるときそっと枕もとにおいてくれた『ガムガムパンチ』やけど」
 よく見えるよう漫画を掲げて一気にページを開く。
 気が違ったとしか思えない奇行をだれもがあ然と見守る中、西の道化……もとい図書室のヌシは接着剤でぴたりと封印された最終ページを示して地団駄踏む。
 「最終ページ糊付けなんて陰湿な嫌がらせしくさりよって、図書室へのヌシへの挑戦と受けとってええんか!?だいいち糊付けなんて漫画への冒涜、漫画の神様手塚治虫への侮辱や!!俺はええ、しかし手塚に謝れ、土下座して謝れ!!『ガムガムパンチ』のラストを楽しみにしとった全国の読者に謝れ!!ほらお前らも何か言うたったれ、五十嵐はどうせ明日には東京プリズンからいぬるんや、これまでためこんだ鬱憤晴らしたれ!」
 「んないきなり言われたってヨンイルさん!?」
 ワンフーがうろたえる。野次馬がざわつく。
 やがて中の一人がヨンイルに触発され前に出る。他の囚人を押しのけて前に出たその人物を見て仰天する。いつのまに紛れ込んでいたのか、残虐兄弟を左右に従えた凱だったからだ。
 「五十嵐この野郎、よくも騙しやがって!親切なふりで俺たち腑抜けにして腹ん中じゃずっとヨンイルに復讐たくらんでたんだろ、見上げた黒さだなオイ、囚人みんなのよきお父さんの五十嵐さんよぉ」
 「俺たちの純情もてあそんでヨンイルに近付くダシにしやがったゲス野郎が、てめえにゃ地獄がお似合いだ。道化に見逃してもらったからってイイ気になんじゃねえぞ、俺が出所したら真っ先に殺しに行ってやっからな。なああんちゃん?」
 「おおとも弟よ」
 威勢よく五十嵐を罵り倒す凱たちに触発されてあちこちで怒号が上がる。「屑が」「ゲスが」「所詮五十嵐も東京プリズンの看守だったってことだな」「バスケの審判なんか頼むんじゃなかったぜ」「そういやこないだの試合、トラベリングで注意されたけどアレも相手方から賄賂貰ってわざとやったんじゃねえだろな」「金汚ねえゴキブリ野郎が」「お前だって売春班のガキども買ってたんだろ、五十嵐さんよお」
 根拠無根な中傷が飛び交う中、五十嵐は黙って耐えていた。囚人を裏切った自分には反論する資格がないと体の脇にこぶしを垂らして屈辱に耐える五十嵐めがけ、喧々囂々非難が浴びせられる。
 以前は実の父親のように五十嵐を慕っていた囚人たちが手の平返したように五十嵐を責め立てる。
 「てめえらこのやろう、さんざん五十嵐に世話になった恩忘れやがってデタラメばっか言いやがって!!てめえ凱、お前だって五十嵐によくしてもらったろ!?鉄パイプで殴られて前歯折ったときに医務室に運んでくれたの誰だよ、前歯接着剤でつけてくれたの誰だか思い出せよ親不孝もんが!!」
 堪忍袋の緒が切れたロンが凱に殴りかかろうとするが人ごみに押し返され近付けない、ビバリーは「やばいっスよおこれ」とただおろおろしてる。
 展望台は大混乱に陥った。ヨンイルは何のつもりであんなことを言ったんだと当惑した僕の視線の先を人影が大股に横切り、そして……
 悲鳴があがる。
 「ええと、君、凱くんでしたっけ?駄目ですよ、年長者に対してそんな口の利き方は」
 人ごみの渦中から颯爽と踊り出て凱の首を締め上げたのは、意外な人物……南の隠者、ホセ。待て、何故ホセがここに?展望台に押しかけた野次馬が思いがけぬ人物の登場に呆然とする。
 黒ぶち眼鏡の奥の目をうろんげに細めたホセが、威圧的な声音で囁く。
 「年功序列の概念はご存知ですか?なに、ご存知ではない?なら説明してあげましょう。年上の人間には常に敬意を払い接するようにという最低限の常識ですよ。トップがトップだけに東棟の囚人はマナーがなってないですねえ」
 「く、ぐるじ、ぐるじっ……」
 腕で首を圧迫された凱が泡を噴いてもがくが、隠者は容赦しない。
 獰猛な肉食獣をおもわせる双眸を剣呑に細め、口元をにやつかせ、凱の背中にぴたり腹を密着させる。もう少し力を込めれば凱を絞め落とせるだろうにそれをせず、敢えて苦しみを長引かせる
 「君たちだって他に言うべきことがあるでしょうに。自分の胸に手をあて聞いてみなさい。五十嵐さんと会えるのは今宵が最後なのですよ?いいんですか、こんな別れ方で。罵詈雑言で終わらせてしまって。君たちの怒りもいやはやごもっとも、大事な人に裏切られた痛み哀しみは吾輩このホセも十分承知しています。ですが」
 スッと目を伏せ、腕を緩める。漸く気道を解放された凱が激しく咳き込みくずおれ、残虐兄弟が「しっかり、ボス!」「人工呼吸だ、弟よ!」と左右から支える。残虐兄弟に助け起こされた凱にはすでに興味を失ったように人だかりに向き直り、眼鏡のブリッジに触れる。
 「くりかえしますが、今宵が最後。今宵を最後に彼は東京プリズンを去り永久に戻っては来ない。なのにいいんですが、つまらない意地を張って。君たちだって本当は引き止めたいくせに仲間の顔色を窺い罵って、それで本当に後悔しませんか。君たちが五十嵐さんに騙されたのも事実なら優しくされたのもまた事実。何故前者の真実しか見ようとしないのか不可解でなりません」
 「いいこというじゃんホセ。見なおした」
 レイジが茶化す。ホセは大人の余裕で微笑み返す。
 「ホセの言うとおり。お前らだって五十嵐に懐いてただろ?そこのお前はたしかズリネタのエロ本調達してもらったよな。Fカップの金髪美女がモデルの洋モノ。そっちのお前は看守にタコ殴りにされて足骨折したときに医務室まで運んでもらった。そっちのお前は五十嵐に煙草を……」
 「「なんで知ってんだよ!?」」
 「王様はなんでもお見通し」
 レイジが肩を竦める。展望台のざわめきがやがて収束、殺気が沈静化して微妙な沈黙が落ちる。
 ホセとレイジとヨンイルとが一定の距離をおき均衡を保った成果。
 数秒おいて靴音が再開、囚人の罵声がやんだのを潮に五十嵐が歩み去る。悄然と肩を落として立ち去る五十嵐を見送り、レイジが深呼吸。「しゃあねえなあ、最初か」と愚痴り、十字架の鎖に指を絡める。
 「元気でな、五十嵐。あんたちょっとマイケルに似てたよ」
 五十嵐が立ち止まる。
 レイジは笑っていた。
 五十嵐の背中に大切な人物を重ねるように懐かしげに目を細め、口元に微笑を滲ませ、幸福な思い出に浸る。
 「マイケルって俺の親父代わりだけど、不器用なとことか苦みばしった笑い方とかドキッとするくらい似てた。だからあんたのこと、嫌いじゃなかったぜ。あんたがいなくなるの残念だよ。俺のコーチはマイケルだけど、ここの囚人にバスケ教えてやったのはあんただ。ここの連中はバスケのボールも買えねえスラムの貧乏家庭育ちが大半だから、あんたから初めてバスケ習った奴きっと多いぜ。なあ?」
 「そう、だよ。あんたから初めてバスケ習ったんだよ、俺は」
 震える声でそう言ったのは、さっき、五十嵐の不正を疑った囚人。過去にトラベリングを注意されたその囚人は、水っぽく潤んだ目で五十嵐を睨み、ひきつけを起こしたようにしゃくりあげる。
 「俺んちは貧乏で、親父は最初からいなくて、お袋には十歳で捨てられて……東京プリズンに来てあんたに出会って、初めてバスケを知った。トラベリングを知った。ボール持ったまま歩くのが反則だってそんな基礎的なことも知らなくて最初はまごついたけど、あんたが根気良く練習に付き合ってくれたおかげじゃ今じゃ五人抜きできるようになったんだ。こないだの試合じゃスリーポイントシュートだってきめたんだ。だから」
 浅い呼吸に合わせて激しく肩が上下、堰が決壊したかのように絶叫。
 「ほめてくれよ、親父!!」
 それが引き金となった。  
 「行くな、五十嵐」
 気弱な声音でだれかが言った。置き去りにされる子供のように心細げに、必死に、縋るように。
 「行くな」
 「行くなよ」
 「行かないでくれ」
 「俺だってやだったんだ、本当は」
 「五十嵐がいなくなっちまうなんて嫌だって腹ン中じゃずっとそう思ってたんだ」
 「あんたに裏切られたって知っても頭じゃわかってても心が納得しなくて」 「あんたがくれた煙草最後の一本吸わずに残してあるのに」
 「あんたがくれたエロ本かぴかぴになってもまだ大事にとってあるのに」「俺が他の看守にぼこぼこにやられたとき、大丈夫かって心配してくれた。あんただけが心配してくれたんだ」
 「医務室まで付き添ってくれた」
 「見捨てなかった」
 「本当の親父みたいに」
 「見捨てないでくれた」……
 叫びが連鎖する。囚人が競って身を乗り出し五十嵐に追いすがる。虚空に手を伸ばし掻き毟りそれでも届かず地に膝付いて絶叫する、行かないでくれ、捨てないでくれと五十嵐にすがりつく。
 花火を打ち上げた時と同じかそれ以上の大音響が展望台を揺さぶる、夜気を震わせて鼓膜をびりびりと痺れさせる。
 展望台の突端から半ば以上身を乗り出した囚人がいる。
 五十嵐を追って虚空に身を踊らそうとして仲間に引きずり戻された囚人がいる。
 「行くなよ、寂しいよ!!」
 「あんたがいなくなったらだれがバスケの審判やんだよ、あんた以外の審判なんか認めねえ絶対!」
 「捨てないでくれよ父さん、俺もうケンカしねえから、悪さしねえから……」
 「このままずっと俺たちの親父でいてくれよ」 
 「東京プリズンにいてくれよ!!」
 五十嵐の肩が不規則に震える。歩みが再開、中庭を横切り闇に溶け込む五十嵐の背中を見届けて囚人が泣き崩れる。涙と鼻水を滂沱と垂れ流し、こぶしでコンクリの地面を殴りつけ、首を振る。ロンが乱暴に目を擦り涙をごまかす。凱と残虐兄弟までが地にくずおれて嗚咽を堪えている。
 ヨンイルとレイジとホセは三者三様の表情で五十嵐を見送った。

 僕は。
 僕は、

 「!!っ、」 
 気付けば駆け出していた。展望台の突端から身を乗りだし五十嵐が消えた方向の暗闇に目を凝らす。
 まだそこに五十嵐の残滓が漂っているかのように必死に目を凝らし、胸を苛む熱を吐き出すように喉振り絞り、今の感情をあまりに愚直すぎる言葉にして闇の向こうに伝える。

 「待っているから、帰ってこい!!父親が子供を捨てても、子供は父親を捨てられないんだ!!」

 僕の言葉が届いたかどうかはわからない。
 ただ、見間違いではないなら。
 サーチライトの光が気まぐれに照らし出した一瞬に暴かれた五十嵐は、片手をこぶしにして空へと突き上げた。
 もう僕らを裏切りはしないと。
 必ずまたここへ帰ってくると、誓うように。

少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050619014459 | 編集
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