ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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十九話

 『これからたっぷりと飼い殺してやる』
 安田のネクタイを掴んで所長は脅迫した。
 顔を密着させ、威圧的に声を低めて、お前は私の所有物だと言外に暗喩を込めて安田のネクタイを掌握した。安田は従順に返事をした。所長の命令に唯々諾々と従って、後部座席に乗り込む際は慇懃に頭を垂れて扉まで支えた。
 安田は自分に厳しく他人に厳しい潔癖なエリートから主人の命令に絶対服従の卑屈な犬へと成り下がった。
 飴と鞭を巧みに使い分けて隷属を強いる調教の成果。
 僕の知る安田はもういない、僕がかつて憧れを抱いて信頼を寄せた高潔な人格者たる副所長はもういない。
 但馬と安田の間に何があったのか正確にはわからない。
 だが、仮説を組みたてることはできる。
 今を遡ること二週間前ペア戦最終日の事件で安田が銃を紛失した事実が発覚、地下停留場に居合わせた囚人看守に広く知れ渡った。今だかつてない不祥事を「上」は重く見て一時は副所長の退任が要求されたらしい。
 無理もない、刑務所内で銃の盗難事件が発生したなど世間に漏洩したら一大事の醜聞だ。それだけではない。安田がなくした銃はタジマの暴走を引き起こす要因となり、ヨンイルに対する五十嵐の殺意を顕在化させる要因になった。
 安田の責任は重大だ。
 副所長の退任もしくは辞任は避けられないだろう、と僕とて覚悟を決めていた。銃をなくした責任を追及された安田が副所長の地位を返上して東京プリズンを去るのはもはや避けられない事態に思われた。しかしそうはならなかった。不祥事の責任をとらされ現実に東京プリズンを去ったのは無能な前所長で、副所長の安田はその有能さを惜しまれ残された。
 多分、これが真相だろう。
 結論。たかだか一回の不祥事ごときで辞めさせるには安田はあまりに惜しい人材だった。それが「上」の下した判定だ。
 しかし、いかに有能な人材であっても僕は安田を軽蔑する。
 所長の犬に成り下がって権力にプライドを売り渡した男を軽蔑する。
 『……口を慎め鍵屋崎。所長の前だ』
 瞼裏に苦りきった安田の顔が浮かぶ。
 激しい葛藤に引き裂かれて苦悩するエリートの表情、プライドと保身の狭間で揺れ動く自意識。
 安田が僕に手を上げたのはあれが初めてだった。
 東京プリズンでは看守の暴力が日常化して凄惨なリンチが横行してるが、いついかなる時も冷静沈着な物腰の安田が囚人に暴力を振るう場面を見たことは一度もない。
 その安田が手を上げた。僕の頬をぶった。
 義父にもぶたれたことがないのに。
 所長と副所長を乗せたジープが嵐のように去ったのちも、砂漠に取り残された囚人たちは鍬やシャベルを手に労働に励んだ。
 期限は三日。三日後までに用水路を完成させねば連帯責任で処罰されるのだ、必死にもなろうというものだ。
 鍬やシャベルを振るって用水路を掘り進めながら、囚人たちが共通して頭に思い描いてる光景は、レイジの十字架を犬の餌食にしてほくそ笑む但馬の姿だった。レイジの十字架を残忍に踏み躙り、傷だらけにし、無造作に蹴り飛ばした但馬の姿は脳髄に強い印象を刻み込んだ。
 但馬は容赦がない。ある意味弟よりもずっと邪悪な性格をしている。但馬の命令に逆らえばどうなるか今朝の出来事で皆十分に理解した。

 但馬に逆らえば、心を殺される。
 廃人にされる。レイジのように。

 ペア戦を制した王様でさえ手も足もでない男に囚人がかなうはずもない。但馬のパフォーマンス効果は絶大だった。東京プリズン最強の呼び声高いレイジを徹底して痛めつけることでその他大勢の反抗心を根こそぎ奪い去ってしまった。
 「群れを支配したくばボスを倒せ、か。愛犬家らしい考えだ」
 あれで済めばいいが、と祈るように心の中で反駁する。
 十字架を犬に食わせて涎まみれにして踏みにじりながら但馬は狂喜していた。
 看守に後ろ手を戒められたレイジが虚心で凝視する中、靴裏に体重をかけて十字架を擦りながら、嗜虐の悦びに爛々と目を光らせて……鳥肌立つのを禁じえない異様な光景だった。舌なめずりせんばかりにレイジを眺めて十字架を踏みにじる但馬の姿は、手負いの豹を嬲る快感に目覚めた調教師を彷彿させた。
 残虐な快感に酔い痴れて十字架を踏みつける但馬の残像を首振りで散らし、中庭に足を向ける。
 強制労働を終えて中庭に来てみれば既にレイジはいなかった。あれから半日以上経ったのだから当たり前といえば当たり前だ。中庭を見渡してレイジの不在を確認、安堵と不安とを等分に抱く。レイジは今どこにいるのだろう?房に帰っているのだろうか。今朝の様子から考えて、鼻歌まじりに出歩く元気はさすがになさそうだ。
 いないなら、かえって好都合だ。
 「………このへんだな」 
 呟き、足を進める。今朝レイジと所長が対峙したあたりで立ち止まり、片膝付いて周囲の状況を検分。二人が争った痕跡は既に消えていた。地面を濡らした犬の小便も蒸発して、僅かに変色した染みを残すのみだ。犬の小便が乾いたあとを一瞥、ため息を吐いて腰を上げる。この辺はあらかたレイジが拾ってしまったようだが見落としがないとも限らない。地面に膝を付いた体勢から周囲に顔を巡らし……
 「奇遇だね」
 爽やかな声がした。
 「!」
 咄嗟に顔を上げれば、深紅の夕日を背に見覚えある少年が佇んでいた。さらさらと清涼に流れる癖のない黒髪、色白の肌、囚人服の中で泳ぐほっそりした肢体。黒目がちに潤んだ瞳には人懐こい笑みを浮かべている。可憐な少女と見紛う清楚な容姿の美少年……静流。
 「こんなところで何してるんだい。ゴミ拾い?」
 親しげに声をかけてくる静流に不快感を覚え、鋭い目つきで睨む。
 「君こそ何故こんなところにいる。強制労働は終了したんだろう?なら房に帰って仮眠をとるなり読書に励むなり夕食まで効率的に過ごすのを推奨する」
 「散歩にきたんだよ。中庭はまだ見て回ってなかったら好奇心が疼いてね。それにほら、夕日が綺麗だし風も凪いでるし散歩にはもってこいだろう」
 そう言って僕の傍らに屈み込む。
 「蟻の観察?」
 「……愚弄するなよ低脳の分際で、蟻の生態観察など小学生の自由研究じゃないか。第一いまさら蟻の観察などせずとも僕は蟻の生態に関して博識を誇っている。知りたいか?いいだろう教えてやる、心して聞けよ。蟻は昆虫綱・ハチ目・スズメバチ上科・アリ科に属する体長1mm-3cmほどの小型昆虫をさす名称だ。熱帯から冷帯まで砂漠・草原・森林など陸上のあらゆる地域に分布、繁殖行動を行う雄アリと雌アリには翅がある。なお毒をもつ種類もいてヤマアリ亜科の毒を蟻酸と称す……」
 「蟻に興味ないからいいよ」
 ……不愉快だ、非常に。貴重な時間を割いて蟻の生態に関する博識を披露してやったとうのに「興味がない」だと?たかが凡人の分際で天才の好意を無にする気かと反発がもたげる。
 「そういえばさ、やっぱり砂漠には蟻がいるの?蟻地獄っていうくらいだし」
 「僕の説明を全然聞いてないな。つい二秒前に蟻は砂漠・草原・森林など陸上のあらゆる地域に分布すると言ったはずだが?東京プリズンの砂漠とて例外ではない、事実スニーカーの内側によく潜り込んできて辟易する。蟻は嫌いだ、蟻に限らず虫全般が嫌いだ。理屈で説明できない生理的嫌悪を覚える。特に我慢できないのは頭部に触覚を生やして翅をもち、暗くてじめじめした場所を好む茶褐色の……」
 「ゴ」
 「その先を言うな!噂をすれば何とやらだ、ヤツらは神出鬼没だからな」
 慌てて静流の言葉を遮り、腰を上げる。面倒くさい奴につかまってしまった。なるべく人に知られずに済ませたかったのに、と内心舌打ちして足早に移動。静流から遠ざかりたい一心で憤然と歩くが、嫌われてる自覚がない無神経な静流はのらりくらりついてくる。 
 西空が残照に照り輝く。
 コンクリートで固められた中庭に長く影が伸びる。バスケットボールを追って走りまわる囚人たちから離れた場所を歩きながら、慎重に足元に目を凝らす。おそらくこの辺に落ちているはずだ。鎖が千切れた時、確かにこちらの方へ転がってきたから……
 「あ」
 あった。
 最初の一粒を発見し、思わず歓声を上げて屈みこむ。僕の足元に転がっていたのは一粒の玉。但馬の手に引っ張られ、千切れ、ばらまかれた無数の玉のひとつ。レイジ一人で全部は拾い切れなかったはずだから、この辺に落ちているだろうなと推測を立てていたのだ。
 指先で慎重に玉をつまみあげ、目の位置に持ってくる。
 なにげなく頭上に翳せば、残照を浴びて美しく輝く。
 「そうか。そういうことか」
 背後で感心したふうな声がする。玉をてのひらに握りこんで振り向けば、静流が微笑を湛えていた。
 「直くんは友達思いで優しい子だね」
 「意味不明な発言は慎め。僕は空き時間に散歩にきただけだ」
 「千切れた鎖を拾いにきてあげたんでしょう」
 何もかもお見通しとばかり達観した口調で静流が言ってのけ、ぎくりとする。てのひらの玉を素早くポケットに入れ、静流に背中を向ける。足元に視線を落として緩慢に歩き出せば静流も自然についてくる。 
 夕日に染まる空は、血を流したように赤い。
 唐突に足を止め、地面に手を伸ばす。二個目、三個目と続けて発見。
 なにかの道しるべのように点々と落ちた玉を拾いながら、恵が好きだった童話の一場面を思い出す。森の奥深くに迷い込んだ幼い兄妹が道しるべに千切り捨てたパン屑は小鳥の餌となり、二人は帰路を見失ってしまった。今の状況はあの童話によく似ている。夢見がちに目を潤ませ、僕が読み聞かせる童話に熱心に耳を傾ける恵を思い出し、胸が絞め付けられる。

 恵は今どうしてるだろう。
 病院の窓から同じ夕日を見ているだろうか。

 ……らしくもない感傷に浸ってしまった。静流の存在も忘れ、無防備な横顔を見せて物思いに耽っていたことを恥じて玉の採取に没頭する。玉は1メートルほど間隔をおいてあちこちに散らばっていて、視界に入った玉を手元に集めるだけでかなりの時間がかかった。
 明朝、筋肉痛で悲鳴を上げることになるのはわかっていたがどうしても腰をあげられなかった。僕の目には孤独に玉を拾い集めるレイジの背中が焼き付いていた。犬に放尿された十字架を胸に抱きしめて項垂れたレイジを忘れられなかった。看守に口汚く罵声を浴びせるロンや無念そうに目を閉じたサムライの顔も。
 僕にできることは、これくらいしかない。
 ならば、僕にできることを全力でやるまでだ。
 決意を新たに顔を引き締め、手前の玉へと指を伸ばした僕の耳朶に、衣擦れの音がふれる。
 「手伝うよ」
 スッと指が伸びて、今しも僕が拾おうとした玉を掠めとる。隣を向けば静流がいた。笑っていた。柔和に微笑みながら僕の隣に屈みこみ、洗練された動作で腕を伸ばしてすいすい玉を回収する。
 「余計なことをするな、物好きめ」
 どういう気まぐれだと警戒しつつ皮肉を言い、競争心を煽られて手の動きを速める。静流に負けてなるものかとつまらない意地を張り目についた玉を片っ端から拾い集める。お互い会話もなく熱中。
 「あいつら何やってんの」「さあ」「地面掘って金塊でもさがしてんじゃねえか」「バカ、コンクリート掘ったら爪割れて悲惨だぜ」「言えてら」……言いたい奴には言わせておけ。バスケを中断した囚人が遠巻きに僕らを眺めて嘲笑する。構うものか。
 爪に砂利が入り、手が汚れる。
 真っ黒に汚れた手を見下ろし、房に帰り次第洗わなければと考える。
 その流れで静流の手に目をやり、驚く。
 静流の手に、サムライと同じ火傷があった。
 「静流、その手は?」
 考えるより先に舌が動いて問いを発していた。僕の言葉に促されて手を一瞥、「ああ、これ?」と恥ずかしげに歯を見せる静流の笑顔に秘密めいたものを感じて胸がざわつく。なんだ、この感情は。サムライと火傷を共有する静流に、この僕が、鍵屋崎直が嫉妬している―?
 「溶鉱炉にゴミを入れるときに火の粉が飛んできたんだ。レッドワークにまだ慣れてなくて」
 「レッドワークなのか」
 サムライとおなじレッドワーク。ならば当然サムライと顔を合わす機会があって口を利く機会があって、僕がサムライと一緒にいられるのは強制労働が終了してから朝までで、静流がサムライと共有する時間に比べれば……
 馬鹿な、何を考えてるんだ僕は。サムライと過ごす時間を比較して何の意味があるというんだ。いいじゃないか別に、静流とサムライはいとこなんだ、数年ぶりに再会を果たした親戚同士積もる話もあるだろう。彼らが僕の知らないところで仲睦まじく話し込んで二人が親密さを増そうが全然……
 「その、強制労働中サムライと話す機会はあるのか。彼の仕事態度はどうだ。サムライは決して手を抜かないだろう?人より無理をして体を壊すんじゃないかとあきれてるんだ。レッドワークの巨大溶鉱炉はかなりの高温で火傷する者が後を絶たないと聞くが」
 「班が違うからあまり話すことはないね。ときどきすれ違うけど、頑張ってるみたいだよ。レッドワークは都会から運ばれてきた危険物を溶鉱炉でどろどろに溶かすのが仕事だから、ちょっとよそ見しただけでも大惨事になりかねない。その点貢くんなら心配ない、真剣な顔で溶鉱炉見張ってるから。
 僕も何回か手伝ってもらったよ。小さい頃から剣を持たされてきたから腕力は並以上あるけど、リヤカー一杯に運ばれてきた鉄屑を溶鉱炉に放り込むのはなかなか力がいってね……僕が困ってると、さりげなく貢くんが手伝ってくれるんだ。ひょいってリヤカーを持ち上げてね。かなわないよ」
 「そう、か。サムライはああ見えて親切だからな、誰であろうが困ってる人間は放っておけない物好きなんだ。別に君に限ったことではない、レッドワークの同僚がおなじように困っていればおなじように手を貸してこそ武士の美徳だ。渡る世間は鬼ばかり情けは人のためならずだ」
 動揺のあまり指が滑り、せっかく拾い上げた玉を落としてしまう。
 動揺?おかしいじゃないか、何故この僕が動揺しなければならないんだと憤慨する。静流はそんな僕を見てくすくす笑っている。男のくせにやけに艶っぽい笑い声だ。 
 そして。
 不意に静流が接近、肩と肩がふれあう。
 僕の手に手を重ね、耳元で囁く。
 「君、貢くんのことをよく知ってるね。貢くんも君には心を許してるみたいだし……」
 静流の吐息が耳朶をくすぐる。
 「妬けるよ」
 「半径1メートル以内に接近するな」
 静流の囁きに肌が粟立ち、本能的な危機感から肩を押しのける。否、押しのけようとして逆に手を取られて引き寄せられる。痛い。華奢な五指で締め上げられた手首に、万力を嵌められた如く激痛が走る。この細腕のどこにこんな力がと驚いた僕の目をまっすぐ見据え、静流が言う。
 嘘偽りを許さない真摯な声音が胸の奥深く響く。
 「君、貢くんとどういう関係なの」
 「何?」
 静かな迫力を込めた問いが虚を衝く。西空から降り注ぐ残照が静流を燃え立たせる。手首を掴む握力が増し、骨が軋む。激痛に顔を顰めた僕の正面で、静流はゆっくりと瞬きした。
 睫毛に沈んだ双眸に、激情の波紋が過ぎる。
 「サムライは、僕の友人だ」
 「それだけ?」
 「大事な友人だ」
 手首の激痛に耐えて毅然と言い返す。静流は腑に落ちない表情で思考を巡らしていたが、やがて僕を見据えて、皮肉げに口元を歪める。
 秀麗な顔に不似合いに邪悪な表情を浮かべ、滝のように残照に洗われた静流が吐き捨てる。
 「くだらない。君は帯刀貢の本性を知らないからそんなことが言えるんだ」
 「サムライの本性だと?」
 語尾が跳ねあがるのを抑えきれない。
 静流は一体何を言いたいんだ、いくらサムライの知り合いでも彼を侮辱するのは許さないと乱暴に手を振りほどく。
 静流が憐れみとも嘲りともつかぬ表情で僕を見る。
 同情めいた眼差しを注がれ感情が沸騰、憎悪に滾った視界が真紅に燃え上がる。眼球の毛細血管の色。
 一体この少年は何の権利があってサムライを侮辱するんだ、僕の大事な友人を侮辱するんだ?静流への怒りが爆発、衝動的に胸ぐらを掴んで引き寄せる。
 目と鼻の先に接した顔を睨みつけ、激情に駆られて怒鳴る。
 「回りくどいことを言うな、小出しにするな!帯刀静流、君の言動はまったくもって矛盾だらけで理解しがたい。昨夜は帯刀貢を取り返しにきたといい今日は帯刀貢の本性を知っているのは自分だけだと匂わせて挑発する、君は支離滅裂な言動で僕を翻弄して楽しむ性格破綻者か!?確かに君は幼年期からサムライと行き来があって親しい仲で苗のことも知っていた、悔しいがそれは認めようじゃないか、認めてやろうじゃないか!だからなんだ?自分のほうがサムライと付き合いが長いからと自慢してるのか、帯刀貢の人生に十ヶ月しか関与してないくせに思いあがるなと僕を牽制してるのか!?貴様になにが、」
 
 「帯刀貢が苗を犯したと聞いても、彼の友人でいられるのかい?」
 
 指から力が抜ける。喉から呼気が漏れる。  
 衝撃に立ち竦む僕をきっかりと見据え、静流は嘲りの笑みを浮かべた。
 最初、耳から入った言葉を脳が拒絶した。しかし、徐徐に浸透してきた。
 帯刀貢が、苗を犯した。
 静流はそう言ったのか。僕の知るサムライが、あの寡黙なサムライが、優しい男が……力づくで苗を犯したと?間髪入れず否定しようとしたが、舌が縺れて反論できなかった。サムライを擁護しようと焦れば焦るほどに舌が縺れて、一言も発することなく口を開閉する醜態をさらした。

 サムライ。

 僕が読み聞かせる手紙の内容に黙って耳傾けてくれた。下水道で土下座をした。売春班に助けにきた。僕の為に涙を流してくれた。僕のせいで足を捻挫して試合に支障がでても一言だって責めなかった。タジマに襲われた夜は僕の震えが止むまで一晩中抱いて寝てくれた。サーシャのナイフから僕を庇い大動脈を掠る大怪我をした。最終決戦のリング上で僕を抱きしめた。
 『お前は俺の友だ』
 『俺の直だ』
 何度も何度も助けられた。何度も何度も抱きしめられた。
 しかしそれは、サムライだ。
 僕はサムライになる前の帯刀貢を知らない。帯刀貢がどんな男だったか知らない。サムライは過去について多くを語らないから苗の自殺の原因や帯刀貢が実父含む十三人を殺した動機は依然謎に包まれたままで、
 『俺が苗を殺したんだ』
 『苗を追い詰めて首を吊らせたんだ』
 いつか聞いた台詞が甦る。激しい自責の念に苛まれて吐き捨てるように言ったサムライ。

 あれが真実だとしたら?
 そのままの意味だとしたら? 

 頭は真っ白で、思考が働かなくて、萎えた腕が静流の胸ぐらから滑り落ちて弧を描いた。地面が沈み込むような虚脱感に襲われた僕の肩にすれいちがいざま静流が手をおく。
 赤い唇が綻び、蜘蛛の糸のように耳朶に吐息が絡む。 
 「本当のことを教えてあげるよ。帯刀貢は苗を犯したことが発覚して後継ぎにふさわしくないと絶縁状を叩き付けられた。勘当を言い渡されて逆上した貢は神棚の刀を手にとり、実の父親を含む門下生十三人を斬り殺したんだ。莞爾さんはともかく、残り十二人はとばっちりもいいところさ」
 魔性の笑みを湛えた静流が、揺蕩うように淫靡な手つきで肩を撫でる。
 「せいぜい気をつけなよ。『あれ』はけだものだから」
 体の脇に腕が垂れ、こぶしが緩み、五指がほどける。掌で温められた玉が滝のように流れ落ちて地面を滑っていく。潮騒の音色を奏でて地面に散らばった玉を一瞥、静流が「あーあ」と嘆く。
 手近の玉を幾つか拾い上げ、放心状態から脱しきれない僕の手をとる。 
 僕の手に手を被せた静流が、されるがままの五指を折り曲げ、こぶしを作らせる。
 優しく僕の手を包み込み、一つ一つに祈りを込めた玉を握らせて静流は言った。
 「苗さんの二の舞にならないよう祈ってるよ」
 残照を吸い込んで真紅に冴えた水鏡の目には、絶望に暮れた僕の顔が映っていた。

少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050630191938 | 編集
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