ロールシャッハテストB

まさみの18禁オリジナルBL小説ブログ。

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十七話

 「くはぁあ~」
 目をしょぼつかせた囚人が並ぶ中、手の甲で瞼をこすりこすりあくびを連発。
 「リョウさん、気の抜けるあくびしないでくださいよ。脱力っス」
 「だあって眠いんだもん、こんなとんでもない時刻に中庭集められてさー。で、これから何が起きるのかな。東西南北の囚人全員が中庭に呼び出されるなんて東京プリズン始まって以来の異常事態じゃん。天変地異の前触れかな。ちょっとわくわく」
 「不謹慎っスよリョウさん、あくびは慎んでください。とばっちりで看守に目え付けられるのこりごりっス」
 眠気覚ましに食べかけの板チョコを取り出す。昨日看守に貰ったハーシーの板チョコがまだ三分の一残ってる。フェラチオよくできたご褒美に貰ったチョコは一枚こっきりじゃない、房に帰ればまだまだ沢山ある。ロンにやったところで惜しくはないのだ。
 手に力を込め銀紙に包まったチョコを分割すれば小気味良い音と手ごたえが伝わる。
 「ビバリーチョコ食べる?」
 「リョウさん何やってんすか、集会中にチョコ食ってるのバレたらやばいっすよ!?」
 「かたいこと言いっこなし。集会見張ってる看守の中に僕がいつもフェラしてるヤツ何人か混ざってるもん、小悪魔の魅力で特別に見逃してくれるさ」
 真面目くさってお説教するビバリーに悪戯っぽく微笑みかけてチョコの片割れを握らせる。これで共犯。心の中で舌を出した僕をおっかない顔でビバリーが睨み、降参のため息を吐く。「自分で小悪魔とか言わないほうがいいっスよ、年齢的にきついっス」とか余計なお世話をぼやきながら一口大に砕いたチョコをつまむビバリーの横ではむはむチョコを齧る。甘く濃厚なカカオの味が舌の上で溶け広がり、血糖値の上昇とともに体が温まる。
 今日は朝から変だった。
 東西南北の全囚人が早朝中庭に集められるなんて前代未聞の出来事、前例のない事態だ。さてこれから何が始まるんだろうと好奇心を膨らませて人ごみの向こうを透かし見れば異様などよめきが押し寄せる。
 「リョウさんあれっ!」
 血相変えたビバリーの視線を追い、驚愕。
 犬だ。犬がいた。一目で血統書つきだとわかる高級な毛艶のドーベルマンが荒い息を零しながら四肢をそびやかしていた。なんで東京プリズンに犬が?砂漠のど真ん中に隔離された刑務所には犬どころか猫の子一匹いやしないはずなのに……
 「おっかないわんちゃんだねえ。絶対お手とかしなさそう」
 「注目すべきはその隣の人間っス!!」
 ビバリーが興奮の面持ちで急きたてる。
 ドーベルマンの隣には一人の男がいた。仕立ての良い三つ揃いを完璧に着こなした、特権階級の傲慢さを匂わせる中年男。整髪料で固めたオールバックは年齢には不自然なほど黒々と輝いて秀でた額を強調していた。縁なし眼鏡の奥の双眸は鋭敏な知性とエリート故の傲慢さを宿していたが、爬虫類めいた嗜虐性が透ける残忍な眼光は誰かを彷彿とさせた。

 東京プリズン最低最悪の看守の呼び声高いあの男を……
 「タジマ!?」

 思わずビバリーの肩を掴む。いや、タジマじゃない。だけどよく似てる。痩せぎすの体を高級スーツに包んだ中年男は体重こそ30キロ以上違うが、血縁関係を匂わせるほどにタジマの面影を宿していた。
 タジマに瓜二つの男は威張りくさって自己紹介する。
 「囚人諸君、初めまして。この私こそが無能な元所長に成り代わり新たに東京少年刑務所の所長に就任した政府直々に派遣された優秀かつ完璧なるエリート、やがてはこの日本を掌握するエリートの中のエリート、君たち愚鈍なる家畜を徹底的に管理教育して従順な牧畜へと調教せよと任命された……」
 一呼吸おいて、言う。
 「但馬 冬樹だ」
 但馬。タジマ。
 「タジマのおにいさん……?」
 どうりで似てるはずだと納得する。但馬新所長は大上段の演説に陶酔して尊大にふんぞり返ってる。僕も噂に聞いたことある、タジマの実兄は警察庁高官のエリートで将来を嘱望されてるって。あれは事実だったのか。でもなんでこんな突然?警察庁高官のエリートがこんな砂漠くんだりにまでやってきたわけ、存在感の薄い所長の辞任だって僕ら囚人には何も一言も知らされてなかったのに。
 中庭を埋めた囚人誰もが驚天動地の衝撃に打ちのめされてる。
 そりゃそうだ、せっかく東京プリズンの寄生虫タジマが消えて喜んでたのにたった二週間でまた舞い戻ってきたのだ。今度やってきたのは兄だけど第一印象から最悪だ。動揺する囚人を貫禄たっぷりに見まわしてタジマ兄こと但馬新所長は饒舌に告げる。

 「諸君らも知ってのとおりここ東京少年刑務所は凶悪犯罪を起こした少年の為の更正施設である……というのは建前で、実際には政府に見放された無法地帯だ。口にするのも汚らわしいが、この刑務所では囚人間の暴力や陵辱が蔓延して退廃を極めている。まったくひどい場所だ。諸君らは聖書にでてくるソドムとゴモラの逸話をご存知かな。なに知らない?聞きしに勝る愚鈍さだな。まあいい、ならば教えよう。私は寛容な精神の持ち主だ、無知蒙昧な家畜どもに新たな知識を授けるのも新所長の努めだ。姿形は人間に似せていても心はけだもの家畜以下人未満、そんな諸君らにこそ知っておいてもらいたい教訓だからな」

 縁なし眼鏡のブリッジに繊細な中指を添え、神経質に押し上げる。
 レンズ越しの眼光がますますもって鋭さを増し、切れ長の双眸が侮蔑の針を含む。

 「ソドムとゴモラは旧約聖書の創世記に登場する、天からの硫黄と火によって滅ぼされたとされる都市のことだ。何故滅ぼされたかには諸説あるが甚だしい性の乱れを原因とする見解が一般的だ。ソドムとゴモラの民は実を結ばぬ背徳の快楽に耽った、つまりは同性愛が流行したのだ。中世欧州で猛威をふるった黒死病のごとく、な。ここはまさに現代のソドム、背徳の都だ!
 しかし私が来たからにはそうはさせない、私は救世主のごとく砂漠の最果てに降臨し必ずや改革を断行する!東京少年刑務所の規則がゆるいからこそ諸君ら囚人が欲望の赴くまま快楽を貪り風紀を乱すのだ、私が所長に就任したからには今までのように諸君らの好きにはさせない、今ここに綱紀粛正を宣言する!!」

 自分の演説に興奮した新所長が眼鏡の奥の目を血走らせ、力一杯こぶしを振り下ろす。カリスマ扇動家か自己陶酔の為政者を思わせて大仰に芝居がかった動作。エリート然として冷静な仮面の下から覗いた激しい気性と迸る熱意に誰もが圧倒される。
 主人の昂ぶりに感化されたか足元に行儀良く傅いたドーベルマンがさかんに吠えだす。鼓膜が破れんばかりにうるさい鳴き声に前列の囚人が顔を顰めて耳を塞ぐが新所長は動じない、どころか「愛い奴だ」と微笑を上らせて犬の頭を撫でる。
 主人に撫でられた犬が甘えるように鳴いて濡れた鼻面をズボンに擦り付ける。
 犬の頭を妙にいやらしい手つきで撫でながら新所長は目を伏せる。
 「私の弟もかつてここにいた。東京少年刑務所で主任看守を勤めていた」
 タジマのことだ。
 場に緊張が走り、空気が硬化する。
 にわかにざわめき始めた囚人たちをよそに新所長は苦い顔で吐き捨てる。
 「『あれ』は出来損ないだった。私の経歴に傷をつける不肖の弟だ。まったく、どこまで私に迷惑をかければ気が済むんだ?話によれば、『あれ』が下半身付随の障害を負ったのはここでの事故が原因だそうだな。しかし妙な話だ、ただの事故で処理するにはあまりに不自然な点が多すぎる。頭上に照明が落下した?照明とはそんなに簡単に落ちるものなのか、余程の衝撃が加わらねば落下などしないはず。誰かが照明に工作して故意に落としたのではないか?」
 実の弟が下半身付随の障害を負ったことを哀しむふうでもなく、ただ淡々と事実だけを述べる不感症な口調は鍵屋崎に似ていたが、新所長の口ぶりにはどこか猛烈に生理的嫌悪を掻き立てるところがあった。
 要するに陰湿陰険なのだ、どこをとっても。
 「―まあ、いい。犯人が判明するのも時間の問題だ。『あれ』を負傷させた犯人はやがて自ら名乗りでるだろう」
 新所長が薄く笑う。  
 「私の使命は諸君ら愚鈍なる家畜を従順な牧畜へ教育することだ。くれぐれも恩情など期待せぬよう忠告だ。反抗する者には容赦なく鞭が振るわれる。鞭が欲しくなければ従順な家畜に徹することだ、私の命令には決して逆らわぬことだ」
 剃刀めいた切れ味の笑みを口元に刷いた新所長が、背筋が寒くなる威圧的な声音で言い含める。脅迫。東京プリズンにまたぞろとんでもない男がやってきた。戦々恐々首を竦めた僕は演台の下、新所長の傍らに控えた眼鏡の男に気付く。
 安田だった。ここ二週間ばかり姿を見ていなかった安田がいた。銃を紛失した不祥事を上に責められて副所長退任かと囁かれた安田が苦渋の面持ちで新所長に付き従っていた。新所長に最も近い位置にいるのはドーベルマンで安田はその横、演台の下に立たされていた。
 犬より下位に甘んじる屈辱に安田の顔もさすがに歪んでいる。
 見たところ新所長を補佐する秘書役を仰せつかったらしいが、安田はその抜擢が不本意らしく銀縁眼鏡の奥の目には自己嫌悪の色が浮かんでいた。
 「副所長も大変だ。中間管理職はつらいよってところかな」
 「呑気なこと言ってる場合じゃないっスよリョウさん、あの新所長見るからにやばそうじゃないっスか!マルコムX並の強硬論者っスよ、扇動家っスよ!冒頭挨拶で本人意識してか無意識かわかりませんが三回も『エリート』くりかえすなんてマトモな神経じゃないっス!」 
 安田に同情した僕の横でビバリーがあわあわ取り乱す。わかってるよそんなこと、一目瞭然じゃないか。タジマに激似のタジマ兄は弟に負けず劣らず嫌な性格で、囚人に対する偏見と憎悪に凝り固まった陰険エリートで、僕らを見下す目つきや嘲る口調には露骨な悪意が含まれていた。
 「どうしようどうしようどうしましょう、タジマが去ったと思えばすぐタジマ兄が……東京プリズンはタジマ兄弟から逃れられない宿命なんすか、タジマは永遠に不滅っスか、僕ら囚人に明日はないんスか!?」
 ビバリーは完全にパニックに陥っていた。他の囚人も似たり寄ったり、隣り合った奴とつつきあってひそひそ話を交わしてる。誰も彼もが怯えた小動物のように身を縮めて但馬所長の顔色を窺いその一挙手一投足に過敏に反応する。
 中庭に充満する暗澹たる空気。
 安田は沈痛な面差しで黙り込んでる。他の看守は緊張の面持ちで直立不動の姿勢をとってる。囚人間の内乱が収まらないうちに恐怖政治が幕を明けた。これから始まる激動の日々を予感して二の腕を粟立てた僕の耳を野太い怒声が貫く。
 「そこ、うるさいぞ!!新所長就任の挨拶中だ、私語は慎め!!」
 早朝の大気をびりびり震わす看守の怒鳴り声。囚人のしゃべり声よりよっぽどうるさいよとぼやきながらそっちに目をやれば看守数人が僕らから少し離れた場所の囚人二人にとびかかりあっというまに取り押さえる。
 看守の下敷きになった囚人に目を凝らした僕は「あっ」と叫んでしまった、看守数人がかりで地に這わされたのが東棟噂の二人ロンとレイジだったからだ。
 まわりの連中は皆びっくりして看守と激しく揉み合うロンとレイジを見比べてる。間抜けな話、タジマ兄の強烈な個性に度肝を抜かれて演説に聞き入る余りロンとレイジが乳繰り合ってたのに全然気付いてなかったのだ。
 くそ、ロンとレイジの乳繰り合いの現場見逃すなんて惜しいことした!僕にあるまじき失態だ。鍵屋崎とサムライもぎょっと目を見張ってる、まさか至近距離でふたりがいちゃついてるなんて想像だにしなかったんだろう。
 人前での乳繰り合いが発覚したレイジは「ちっ、いいとこだったのに」と舌打ち、ロンは仏頂面をしてる。ともに看守に組み伏せられた二人に演台上の但馬所長が着目、不快げに口元を歪める。

 帯電したように場の空気が緊迫する。 

 縁なし眼鏡の奥の目を爬虫類めいて陰湿に光らせた所長が独白。
 「やはり。前任者が無能だったせいか、ここの囚人は躾がなってない」
 陰湿な光に濡れた双眸に嗜虐の悦びを疼かせて、所長が命じる。
 「その囚人二名を私のもとへ連れて来い。就任演説の妨害の代償にふさわしい刑罰を与えよう」
 『見せしめ』。反射的にその言葉が閃いた。演台に立った所長が顎をしゃくり、後ろ手に絞め上げられ抵抗を封じられたロンとレイジが中庭前方へと強制連行される。看守に引きずられていくロンとレイジの背後で駆け出す構えを見せた鍵屋崎をサムライが止める。
 看守数人がかりで二人が強制連行される姿は捕虜の引き回しに似ていた。衆人監視の中、好奇の注視を浴びて前方へと引き立てられたレイジとロンを一瞥、所長が階段を下りる。
 軍人めいて律動的な歩調で足を繰りだし、黒い光沢の革靴でコンクリを叩き、硬質な靴音を響かせる。静寂の箱庭に響く規則正しい靴音が、なおさら不吉な予感を煽りたてる。新所長の隣には漆黒の毛艶の犬がぴたりと寄り添って大胆な歩調に合わせて脚を繰り出していた。
 中庭を埋めた東西南北全囚人が固唾を呑んで見守る中、靴音が止む。
 演台を下りた所長がロンとレイジと向かい合う。 
 「私の就任演説を妨害したのは君たちか」
 口元に笑みさえ浮かべた穏和な口調で所長は問うたが、目は少しも笑っていなかった。 
 「見てのとおりだよ。でも妨害は大袈裟だろ?俺たちはあんたのつまんない話聞くより楽しいことしてただけなんだからさ」
 「!ばかっ、」
 揶揄する口ぶりで言ってのけたレイジにロンが声を荒げる。両手が自由ならきっとレイジの口を塞ぎにかかってたことだろう。レイジの正面に佇立した所長はいっそ愉快げに問いを重ねる。
 「ほう。私の話が退屈だと言うのか。貴重な意見だから今後参考にしたいね。一体どこらへんがお気に召さなかったと?」
 「馬鹿にすんなよ。ソドムとゴモラの話なんか常識だ、聖書をかじったヤツなら誰でも知ってる有名な話さ。いまさらあんたに教えてもらうまでもなく教訓得てるよ」
 「教訓得てるやつのヤることかよあれが……」
 恨みがましい目つきのロンをよそに大胆不敵に挑発、僕たちから見りゃいっそ痛快なほどに反抗的な態度のレイジを前に所長が微笑む。最もそれは、笑顔に分類するにはあまりに邪悪な表情……底暗い嗜虐の悦びに目覚めた背徳の笑顔だった。主人の感情の波に反応して足元の犬が唸る。今にもとびかかりそうな気迫を漲らせ、獰猛に犬歯を剥いてレイジとロンを威嚇する。最前列の囚人何人かが逃げ腰の悲鳴をあげる。
 「………っ、」
 ロンの横顔に焦燥の汗が滲む。そりゃ怖いだろう、正面じゃ敵愾心剥き出しのドーベルマンがしとどに涎を垂れ流して犬歯を光らせてるのだ。その気になりゃすぐ睾丸噛みちぎれる距離で狂犬が唸ってたら僕だって平常心を保ってられない。ビバリーも股間を押さえて縮こまってる。 
 「……なるほど、この刑務所にも信心深い囚人がいたようだ。嬉しいね」
 レイジの博識を称賛した所長の視線が、ロンの尻ポケットに移る。正確にはロンの尻ポケットに無造作に突っ込まれた矩形の菓子……皺くちゃの銀紙で包まれた板チョコに。
 「これはなんだ」
 「!」
 ロンが「やばっ」という顔をした。ロンの尻ポケットに手を伸ばし、抜き取った板チョコをしげしげ眺め、顔に近づけて匂いを嗅ぐ。
 「チョコか。これは奇妙な、囚人の時間外飲食および嗜好品の持ち込みは規則で禁じられてるはずだがどこから手に入れたんだね。よくよく観察すれば卑しく齧った形跡があるじゃないか」
 「……知らねえよ。落ちてたんだよ」
 「君はそこらへんに落ちてるものを拾って食うのか。賞味期限が切れてるかもしれない、毒が仕込まれてるかもしれない、食中毒を起こす危険性があるやもしれない物を?見下げ果てた野良め」
 「………」
 ロンの顔が屈辱に歪む。僕は内心ひやひやしていた。ロンにチョコを渡したのは僕だ、ロンに名指しされたらどうしようとびくびくしていた。
 「素直に言いたまえ。このチョコはどこから入手した、誰に貰ったのだ。犯人を教えてくれれば今回だけは特別に見逃そう」
 所長は薄く笑いながらロンに取り引きを持ちかけた。僕を裏切って自分が助かるか、黙秘を貫いて罪を被るか究極の二択。ロンは反抗的な目つきで所長を睨みつけ、精一杯ドスを利かせた声音で反駁する。
 「……拾ったんだよ、本当に。廊下に落ちてたんだ。誰かが食べかけで捨てたんだよ。俺は昨日夕飯ぬきで腹減ってたから食べ残しでもいいやってとびついたんだ、賞味期限切れで腹くだしたって構わねえやってそれで」
 所長が銀紙を破いておもむろに板チョコに齧りつく。下顎に力を込め、板チョコを半分に断ち割る。あ然として言葉を失ったロンと囚人一同の前で所長は猛烈な勢いで板チョコを食べ始めた。バリバリと音が聞こえてきそうに豪快な食べ方。 
 「甘い。糖分過多だ。糖尿病になってしまいそうだ」
 あたりまえだ、チョコなんだから。異様な光景だった。所長は口のまわりが汚れるのも構わずひたすらチョコを貪り食った、無表情に黙々と口だけを動かしてチョコを咀嚼して飲み下した。
 過食症の人間が美味くもないチョコを頬張ってるみたいだった。
 機械的な動作でチョコを口に運びつつ、所長は言う。
 「私が糖尿病になったら責任をとってくれたまえよ、君」
 そしてとうとう、ぺろりとたいらげてしまった。手近の看守に顎をしゃくり、小さく握り潰した銀紙を渡した所長の膝元に息を荒げた犬が纏わりつく。尻尾を振り振り、ズボンの膝に前脚をついて舌を垂れた犬の視線に屈み込んだ所長が砕顔する。日常の溺愛ぶりが知れる蕩けるような笑顔だった。
 「よーしよし、可愛いハルめ。お前も食べたいのか、分け前が欲しいのか。いいだろうくれてやろう、さあ遠慮なく舐めろ。はは、そんなに慌てるな。まったく可愛いやつだな!」
 犬が嬉しげに吠えて所長の腕の中にとびこむ。高級スーツが泥で汚れるのも構わず愛犬を抱擁した所長の顔を長い舌が撫で、口のまわりに付着したチョコを舐め取る。
 所長の顔が涎でべとべとになる。犬が吐く息で眼鏡が仄白く曇って表情が見えなくなる。
 「……うへ……」
 所長の奇行に直面した囚人は完全に引いていた。
 嫌悪の表情を隠しきれないのは看守も同じだ。
 犬に自分の顔を舐めさせながら所長は恍惚と笑っていた。  
 「ハルよ、お前は私の自慢の犬だ!この世でいちばん賢い犬、犬の中の犬、人が造り給いし最高の血統だ。嗚呼、食べてしまいたいほど愛しい!お前の賢さを愚鈍な囚人どもにも分けてやりたい、お前の肉球の爪の垢ほどの忠誠心さえあれば折檻されずに済むというのに、こいつは全く度し難い愚か者だ。犬ほどの知性もない愚か者だ!」
 涎まみれの顔で哄笑をあげ、紳士的な動作で犬をどけ、立ちあがる。 
 「君にチョコを渡したのは誰だ。白状したまえ」
 「………あ、」
 ロンが喘ぐように口を開く。待って、その先は言わないで!僕の願いが通じたのか、一旦開いた口をまた閉じ、黙りこくる。
 強情な顔つきで沈黙したロンを一瞥、所長が顎をしゃくる。
 「!!痛あっ、ぐ!?」
 「ロン!!」
 背後の看守が容赦なくロンの腕を捻り上げる。激痛にロンの体が跳ねて、鍵屋崎が悲痛に叫ぶ。サムライの制止を振り切りロンを助けに駈け出そうとする鍵屋崎、新所長の異常さに絶句する囚人と看守、「お願いだから名前ださないで」とビバリーにひしと縋りついて祈る僕―

 「俺だよ」
 呟いたのはレイジだった。

 「聞こえた?こいつにチョコやったのは俺。疑うんなら銘柄言ってやろうか?ハーシーだよ。俺がこっそり隠し持ってたヤツの賞味期限切れたからコイツにやったんだ。むざむざ鼠のエサにすんのはもったいねーしな。いいだろうもう、コイツはただ俺から貰ったチョコ食っただけ。犯人は俺、コイツはとばっちり食っただけ」
 看守、囚人。中庭を埋めた全員の注視を浴びてレイジはヤケ気味にぶちまけ、ロンが何か言いかけたのを遮るように語気鋭く命令。
 「いいから向こう行ってろ。俺はハーシーの回し者なんだ、ハーシーの良さを宣伝する為にアメリカ本社から極秘裏に派遣されたスパイなんだよ。お前が美味そうにチョコがっついてるの見て目的は達した、悔いはねえよ。ハーシーへの義理も立つってもんさ」
 「意味不明だよ!?」
 満足げな表情で嘘八百を並べ立てるレイジにロンが脊髄反射でツッコミを入れる。所長が興味が失せたようにロンを一瞥、「連れていけ」と看守に顎をしゃくり退場させる。看守に引きずられて人ごみへと連れ戻されるさなかロンは虚空を毟り取るように手を伸ばしてレイジを呼んでいた、何とかレイジを振り向かせようと一生懸命に声振り絞り暴れていた。
 「レイジお前格好つけやがって、デタラメ吐くなよ、フィリピ―ナの癖にハーシーに魂売りやがってマリアが哀しむぞ!!畜生、ヤンキーゴーホーム!俺庇ってつまんねえ嘘つきやがって、放せよ、俺はあいつに用あんだよ!」
 レイジはわざとらしく耳をほじりほじりロンの抗議をどこ吹く風と聞き流す。いっそあっぱれなすっとぼけぶりだった。
 人ごみに連れ戻されたロンからレイジに視線を戻した所長が無感動に再確認。
 「君が犯人か」
 「そう言ったろ」
 退屈そうに欠伸を噛み殺したレイジの頬へと手が伸びる。
 その場に集った誰もがレイジが絞め殺される光景を予期して身構えた。看守に腕を掴まれたロンが顔から血の気が引いて、鍵屋崎とサムライは走り出そうとした。ところが、大方の予想を裏切って所長の手がレイジの首を絞めることはなかった。
 チョコでべとべとに汚れた手が、茶色に染まった指が、そっとレイジの頬に触れる。蜘蛛が這うように緩慢な動きで手がのたうち、執拗に指を擦り付ける。
 レイジの頬を包んだ手の平が傾いで五本の指が蠢動、頬の輪郭をなぞるように緩慢に滑り落ちてはまた這いあがる。口の中に生唾が湧き出す扇情的な光景。チョコでべとついた指が上下するたび褐色の頬に濃茶の筋がひかれる。口端にふれる親指、唇の膨らみをなぞる人さし指、端正な鼻梁に添える中指、切れ長の目尻におかれた薬指、下顎にかかる小指……
 指で顔を犯される不快感にレイジは隻眼を細めて耐えきった。
 レイジの頬で指の汚れを拭き取った所長が、茶色の虹彩を覗きこむ。
 「肌が褐色だと汚れが目立たないな」
 レイジはぺろりと舌を出して口端の染みを舐め取った。
 「あま」
 そして、懲りない笑顔を見せる。
 「ちゃんと歯あ磨いたほうがいいぜ。虫歯になる」
 東京プリズンに新たに赴任した所長と東棟の王様が一歩も譲らず対峙する。吐息のかかる距離で互いの顔を見据えて瞬きもしない二人の周囲で緊張が高まる。僕は知らず知らずのちにビバリーにしがみついていた。ロンは今にもとびだしかねん形相で所長に敵意を燃やしていたが、後ろ手を掴まれて身動きできない状態だった。鍵屋崎とサムライは肩を並べて慄然と立ち尽くし、その他大勢の囚人は不安と好奇心が綯い交ぜとなった複雑な面持ちで成り行きを見守っていた。
 犬の唸り声だけが地を這うように低く流れる中、レイジの顔を舐めていた所長の視線が首筋を這い下りて十字架に達した。レイジの胸で輝く黄金の十字架。
 『!Stop,』
 所長が虚空に手を伸ばし、無造作に十字架を毟り取る。僕はこの日初めてレイジの顔に焦りが浮かぶのを見た、レイジの平常心が揺り動く決定的瞬間を見た。レイジが十字架を死守せんと行動をとるより早く、所長の意を汲んだ看守がレイジを後ろ手に絞め上げて身動きを封じた。

 それはそれはあっけなく。
 華奢な鎖が千切れ、無数に連なる黄金の玉が弾けて、虚空にばらまかれる。
 コンクリの足元一面に十字架を繋いでた玉が散らばる。

 看守の足元にも囚人の足元にもその玉は転がってきた、僕の足元にも転がってきた。レイジの胸から力任せに毟り取った十字架を掌中に握り込み、頭上に翳してしげしげと見つめる。
 「陳腐な十字架だな。安物か」
 「本物の黄金だよ、マリアがくれた十字架だよ、返せよブラザーファッカー!!」
 「真実か否か試してみよう」
 手負いの豹のように暴れるレイジを看守が数人がかりで必死に押さえ込むさまを横目に、腰を屈めた所長が犬を招いて掌に乗せた十字架を突き出す。犬がくんくんと鼻を鳴らし興味深げに顔を近付ける。
 手も足も出ないレイジの前で、鼻を蠢かして匂いを嗅ぐ。 
 「……やめろ」
 犬が獰猛に唸り、所長の手の平に乗った十字架に向かってさかんに吠えたてる。耳に痛い吠え声。所長の口元に勝利の笑みが滲む。漆黒の毛艶の犬が口腔から滝のように涎を垂れ流して十字架にむしゃぶりつく、異様に長い舌を出して十字架を舐め転がして涎まみれにする。黄金の十字架が涎にまみれていく、さっきまでレイジの胸で輝いていた十字架が獣臭い息を吐かれて涎を浴びせられて貶められていく。
 「やめ、ろ」
 余裕を捨て去った顔と声でレイジが反駁。
 「どうだ、美味いか。黄金の味がするか。もっとよく舐めてみろ、表裏余すところなく舐めてみろ」
 犬は主人の命令に従う。何から何まで言われた通りにする。主の手の平に乗った十字架を舐め転がして口腔に含んで味を反芻、ぺっと吐き出してからまた咥える。興奮して牙を立てる。噛みつく。しゃぶりつく。
 十字架が、犬に陵辱される。
 『食吃鬼狗!!』
 看守に羽交い絞めにされたロンが激しく身悶え、意味はわからないが切羽詰った台湾語で咆哮をあげる。
 「レイジの十字架から離れろバカ犬、蹴っとばすぞ!!餌と勘違いして尻尾振ってんじゃねえ、そりゃレイジがお袋から貰った大事な十字架なんだ、犬畜生ごときがさわっていいもんじゃねえんだよ!食べんな咥えんなしゃぶんな、とっとと吐き出せ、思い出汚すんじゃねえこのバカ犬!」
 頬を鮮やかに紅潮させ犬歯を剥いてロンがしゃにむに叫ぶ。憤怒にこぶしをわななかせるロンの視線の先では犬が相変わらず十字架を玩んでいた。
 肉球で転がして口腔奥深く咥え込んで牙を突き立てる。
 十字架を貪欲にしゃぶり尽くす犬を見下ろして所長は満足げに微笑んだ。
 そして、おもむろに十字架を捨てた。
 「!」
 所長の手から投げ捨てられた十字架は虚空を舞い、落下。砂利に塗れて黄金の輝きがくすんで、レイジの胸にあった時の名残りが跡形もなく消え失せる。犬は待ってましたといわんばかりに十字架にかぶりついた、ちぎれんばかりに尻尾を振って前脚で十字架を押さえ付けて顎で噛んだ。
 犬の傍らに片膝つき、頭を撫でながら囁く。
 「お前の玩具だ。好きにしていいぞ」
 レイジは呆然としていた。目の前で十字架が蹂躙されても手も足もでず立ち尽くしていた。屈強な看守数人がかりで拘束されてはさすがにレイジといえど跳ね返せず、十字架が汚されてくさまを虚しく見守るしかなかった。
 どれ位時間が経った頃だろう。疲労に息を荒げた犬が独り遊びに飽きて、踵を返す。そして、後ろ脚を高々上げる。まさか。ビバリーが両手で目を覆う、ロンの顔が悲痛に歪む、鍵屋崎が虚空に手を伸ばす、サムライが無念そうに瞠目する。
 
 しゃああああ。

 音が、した。黄色い液体が弧を描いて迸った。犬が放尿した。砂利に塗れて輝きの失せた十字架に勢いよく尿を浴びせた。十字架を覆った砂利が尿で洗い流されて皮肉にも燦然と輝きが甦った。 
 気持ち良さそうに放尿した犬が甘えるように鼻を鳴らして主人のもとへ戻る。その頭を撫でてやりつつ十字架に歩み寄り、無慈悲な一瞥をくれ、革靴で執拗に踏み躙り砂利をかけたのち蹴り飛ばす。
 視界から汚物を排除したい衝動に突き動かされて十字架を蹴り飛ばしたのは明らかだった。
 「規則では私物の持ち込みは禁止だ。今後私の目に装身具が触れたら例外なく取り上げてハルの玩具にする。ハルは貴金属に目がない犬だから彼の二の舞になりたくなければ諸君らも心しておけ」
 縁なし眼鏡のブリッジを押し上げ厳粛な静寂が支配する中庭を睥睨、溜飲を下げた所長が看守を率いて踵を返す。看守に後ろ手を締め上げられたレイジは虚ろな目で十字架を見つめていた。
 前髪に表情を隠し、壊れた人形めいて首を項垂れたレイジの傍らを通りすぎざま、所長が何かを囁いた。

 「匂いがつくから早く洗ったほうがいいぞ。私は破棄を勧めるがな」

 僕にはそう言ったように聞こえた。
 所長が通りすぎると同時に腕の戒めが解かれ、レイジがよろけるように前に出て、十字架の前に膝をつく。ズボンの膝が犬の小便で汚れるのにも頓着せず、十字架に手を伸ばし、掴む。犬の小便に濡れた十字架からは強烈な異臭が漂っていたが、レイジは迷うことなく十字架を掴んで上着の裾で拭いた。何回も何回も繰り返し上着の裾に包んで擦り付けて丹念に汚れを拭き取った。
 なにかに憑かれたように必死に、掌中の十字架に縋るように必死にその動作をくりかえした。
 遠くで犬の鳴き声がする。しらじらと夜が明ける。すべての事物の輪郭を克明に暴き出す太陽のもと、全貌を曝け出した中庭にただひとり膝を付き、懐に十字架を抱いたレイジは項垂れていた。
 やがて。緩慢な動作で十字架に顔を近付け、匂いを嗅ぎ。
 折りよく一条の朝日が射して、前髪に隠された表情が暴かれる。
 「……はは。くせえ」
 困ったように、笑った。
 あんまり滑稽で情けなくて、胸が痛くなる笑顔だった。

少年プリズン(未完) | コメント(-) | 20050701013934 | 編集
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